2016年08月28日

死後、「やがて地球の一部になる!?」、、、。週刊ポストの記事、おもしろかった!!

今回も「死」とか「あの世」とかの考え方についての
記事を紹介しようともうが、なんとなくこんなことを
書くと「こいつ宗教くさいな〜」とか、思われるかもしれない。

しかし、私もあなたもいずれ死ぬ。

父や母、かわいがっている我が家の犬もいづれ死が訪れる。

諸行無常であり、今、当たり前のことも、いずれは当たり前で
なくなる。

我々は限られた命、限られた時間の中で、過ごしている。

そう思うと、今、この時が大事に思うのではなかろうか。

あの栄華を極めた豊臣秀吉も辞世として、
「露と落ち 露と消えにし 我が身かな
浪速のことは 夢のまた夢」
と、詠んでいる。

あの巨大な大阪城も、金銀財宝も、多くの家臣団も、
すべてこの世に置いて、たった一人であの世に旅立っていった。

あれがほしい、これがほしい、こうなりたい、ああなりたい
人間いろんな願望があると思う。

しかし、どうあがいても、いずれはあの世に行く身の上、、、。

そう思えば、世の中の見方がまた違ってくるのではなかろうか。

求めるものが、変わってくるのではなかろうか。

少しでも、心の贅肉を落とし、限られた時間、
限られた命をめいいっぱい使い切りたい。

自分の死を認識するということは、
その「死」と真逆の「生きている」ということが
浮き彫りにされる。

ちょっと、前置きが長くなってしまったが、週刊ポストで
とてもいい記事が載っていたので、是非とも紹介したい。


死後の世界がわかれば生きるのも辛くなくなる
本気で考えてみた
「あの世」の大研究

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 
 臨済宗の僧侶で作家の玄侑宗久氏によれば、日本人が
「死」の概念を持つようになったのは、仏教伝来以降のことだという。
 「『万葉集』や『古事記』などには『死ぬ』という言葉はなく
『避(さ)る』という言葉を使っています。”どこかに行く”という
イメージで、『死』とはちょっと違うでしょう。6世紀半ばに
仏教が火葬の風習とともに入ってきて初めて、”体が灰になる=死”と
いう概念に触れたように思います。ポイントは、当初日本に伝来した
仏教は、中国の『輪廻』の概念を外されたものだったことです」
「輪廻」は、死んでもこの世のどこかで次の生が始まるという概念だ。
だから体を取っておく必要がなく、火葬しても構わないことになる。
後に輪廻の考え方も日本に伝わることになるが、当初は伝来の過程で
輪廻という概念が外され、火葬という形だけが残っていたという。
つまり「次の生に対する保証が何もないのに、体は燃やされてしまう」
(玄侑氏)ことになったのだ。
「このため、平安初期の説話集『日本霊異記』などを読むと、
『頼むから9日間は燃やさないでくれ』とか『腐敗が進んで諦めが
つくまでそのまま置いておいてくれ』という貴族がいっぱいいたんです。
そういう状況下に、救世主のように現れたのが浄土教でした」(玄侑氏)
 浄土教では死ぬことは「往生」、すなわち「浄土に往って生きる」
ことを意味する。
 この考えは『万葉集』や『古事記』の『逝る』という表現にピッタリと
合う。『ああ、死んでも大丈夫なんだ』と人々が思ったことで、浄土教は
燎原(りょうげん)の火の勢いで広がっていったんです」(同前)
 死後どうなるかという”ビジョン”が人々を救ったという解説だ。
 さらに玄侑氏は「あの世」という表現が定着していることにも
注目する。
「『あの世』という言葉は仏教ようごではなりません。日本人にとって
の死後の世界は、どうも”昔いた懐かしい場所”という感覚のようなんです。
『あの世』といった時に、誰も『どの世?』とは聞かないでしょう?
『あ〜、あれね』という暗黙の了解が前提にある気がします。浄土教に
置ける浄土は、”十万億土の彼方”といわれますが、日本人にとっては、
”身近な自然の奥のほう”というようなイメージが形づくられてきたの
ではないでしょうか」

「やがて地球の一部になる」!?

だが、こうした日本人の「あの世観」は、他の国とは違っているようだ。
中央大学大学院教授で宗教学者の保坂俊司氏がいう。
「日本人は古くから、奇岩に神が宿ると考えたり、コブだらけの樹に
霊的なモノを感じたりしてきましたが、そこに宿る神は世界を創造した
神ではなく、死者の霊などです。しかし、樹木に神が宿るといわれても、
砂漠地帯の人にはわからない。このように、ある地域に住む人なら理解し
共感できるものを民族宗教、世界中のどこにいていも受けれれられる
ものを普遍宗教です」
 その普遍宗教では「あの世」をどうとらえているのだろうか。
「2つの普遍宗教(キリスト教、イスラム教)のもととなった
ユダヤ教では、人間には神を裏切った”原罪”があり、この世は罪滅ぼし
の世界だと捉えています。ここで神の教え通りの良いことをすれば
許してもらえて、天国に行ける。この考えは、派生したキリスト教にも
イスラム教にも継承されています。ただ、この世の位置づけは
少しずつ違っていて、キリスト教では『悔い改めよ』というストイックな
面が強調され、イスラム教では礼拝やランダンなど罪の償い方が全部
決められている。しかしいずれも『一回起生』といって、生きるチャンスは
一回しか与えられていません。だから厳しいのです」(保坂氏)
 これに対して仏教では、人間は「輪廻転生」し、生前の行いで次に
生まれる世界が(来世)が決まると考える。しかし、転生はあくまでも
極楽浄土などの理想の世界に行くための通過点だ。ここが
ユダヤ教系の宗教と大きく異なる。ただし、そうした普遍宗教の底流には
共通するものがあるという。
「天国とは来世がないと、この世での倫理が成り立たないという考えです。
簡単に言えば悪いことをしても、死んでしまえばそれまでということに
なってしまう。生きている世界は不安定さを乗り越えたい。その意味で、
人類にとって宗教は不可欠なモノです」(保坂氏)
 "死後どうなるか”が示されることで、”どう生きるか”が見えてくるわけだ。
 キリスト教やイスラム教の「天国」のあり方は少しずつ違っている。
「キリスト教の場合、『光の世界』といった抽象的な表現しかありません。
一方、イスラム教では、いくら飲んでも酔わない酒だとか、縁があふれて
川が流れているなど、砂漠の中のオアシスに住む貴族の世界のイメージが
『コーラン』に書かれています。中には、”いくら抱いても処女の女がいる”
といった記述もありますよ」(保坂氏)
 宗教と切り離せたところでも、「あの世」に関しては様々な考察がある。
元京都大学帷幕部付属病院救急部・集中治療部部長で東大名誉教授の
矢作直樹氏は、「死とは何か」について次のように語る。
「我々の目に見える肉体はあくまでも三次元の存在で、人間の意識は
目に見えるものとは別の高い振動数の粒子の集まりと考えられます。
ただし、生きている間は意識は肉体とつながっている。人が死ぬことは、
肉体と意識のつながりが切れ、意識が肉体を出ていくことを意味します。
意識は肉体を離れれば自由になる。痛みも苦しみも感じることは
なくなります。ですから、死ぬことは決して怖いことではありません」
 他にも多様ない見方がある。(あの世ではまず、自らの人生を
振り返る映像を見る)(あの世はすべて自己管理の世界。タラタラ
過ごしても起こられない) そんな広告宣伝文が全国紙に掲載されて
話題の『聞いてビックリ「あの世」の仕組み』(東宝出版)の著者で
ライフアドバイザーの松原照子氏は、「不思議な世界から来た方々」に、
「死後の世界」のことを教えてもらっていたという。
 「人は死を迎えてもすべてが消滅してしまうわけではありません。
意識が体とお別れするということだそうです。体とお別れする
ときには痛みを伴いますが、天寿を全うして老衰で亡くなる場合は
『十分生きました』ということで心地よい痛みを覚えるそうです。
自己の場合は痛みは感じますが、体と別れたことを理解すると
痛みは治まるそうです。
 意識が肉体から離れると光の衣が現れ、それを纏うと次の場所に
導かれます。それが『あの世』です。あの世ではまず、自分の生前の
道のりを繰り返し映像で見せられるので、過ちを反省し、後悔する
そうです。そうして様々な欲から開放され、やがて自分は地球の
一部なのだというこに気づかされるそうです」
松原氏の"独自の説”をまとめた本に注目が集まるのは、人々が
それだけ「あの世」に興味があるということの証左だろう。

魂の重さは[21グラム」なのか

一方、化学の視点で言えば、そもそも「生」と「死」の境目は、
はっきり断定できないところもある。前出・大津医師がいう。
「便宜的に心停止、呼吸停止、瞳孔散大を一つの区切りとしていますが、
生物が心停止した後でも脳波の変化はありますし、すべての細胞が
死んでいるわけではなく、生きている部分もある。どう捉えるかは
実は非常に難しいところなんです」
 その上で大津氏は臨死体験者が見た「あの世」についてこう考える。
「最近ではラットの実験で、亡くなった後の数十秒間は脳波の活動が
活発になるといわれていて、臨死体験に関係している可能性があると
話題になっています。最後にぬくもりを見せてくれる脳の働きが
観測されているのかもしれません」
『霊はあるか』(講談社)の筆者で、自らも臨死体験がある立命館大学
橋上の安斎育郎しは「科学者の立場」という前提でこう話す。
「死んでだら無に帰す。例えば体重の18%を占める炭素原子は、
死んで焼き場で焼かれれば二酸化炭素となって飛び散っていく。
科学的にはそれだけです。残念ながら、死後の世界はない。でも、
それを思い描くのは人間の自由です」
 100年以上も前に遡るが、アメリカ・マサチューセッツ州の医師・
ダンカン・マクドゥーガル博士は人が死ぬ瞬間の体重を計測し
続け、死ぬと体重を測定し続け、死ぬと体重が21グラム減ることを
発見した。そしてそれが「魂の重さ」だと結論づけたのだ。この説は
現代科学では否定されているが、『21グラム』は03年公開の
心臓移植をめぐる映画のタイトルにもなった。
 それはつまり人間の魂や「あの世」への関心は科学的な知見の
発展とは別のところで存在し続けていることを意味する。
「あの世」がどんなものかを考えることが一人ひとりの「この世」
に与える影響は決して小さくないのだ。

非常に面白い記事だ。

「我々の目に見える肉体はあくまでも三次元の存在で、人間の意識は
目に見えるものとは別の高い振動数の粒子の集まりと考えられます。
ただし、生きている間は意識は肉体とつながっている。人が死ぬことは、
肉体と意識のつながりが切れ、意識が肉体を出ていくことを意味します。
意識は肉体を離れれば自由になる。痛みも苦しみも感じることは
なくなります。ですから、死ぬことは決して怖いことではありません」
と、、、。

この考えって、いいと思う。

そして、その肉体から離れた「意識」が大きな地球と合体していく。

体は、おもに二酸化炭素と水でできている以上、
その炭素はそこにある雑草だったのかもしれない。

私の中にある水は、もしかしたら、あなたの体の中に
あったのかもしれない。

人間の体内には、60兆もの細胞があるという。

その細胞は、崩壊と再生産を繰り返し、二年ほどで、
総入れ替えされるという。

生きているうちも、私たちの体は、
水と二酸化炭素の地球規模の循環の中にある。


では、「意識」はどうなのか?

オオカミに育てられた子供は、オオカミの習性を身に着けてしまう。

中国人なら中国人らしくなる。

日本人なら日本人らしく、周りの目を気にする性質になる。

我々の人格とは、実はそこに住む大きな社会の文化、風習により
作られていく。

最近ある法事に行ったら、親戚のおばさんが、
「あんた、死んだおじいさんと言うことが似てきたね〜」
と、言われた。

おじいさん、おばあさん、父、母、兄弟姉妹、叔父や伯母、
先生、上司、友人などなど、多くの人から影響を受け、
何層にも重なって、今、私という人格が形成されている。

また、人間社会には「文字」がある以上、
何百年前に生きていた道元さんや親鸞など、そういう人たちの
影響を受けていることになる。


人間とは、非常に社会性のある動物で、
ある精神科医は
「人間は、著しく周りから影響を受けている」
と語っておられた。

馬や鹿は、産み落とされてすぐに立ち上がり、歩き始める。

人間が歩き始めるまでには、それよりかなり時間がかかるのであり、
一人前になるまでには、20年もかかる。

その期間、多くの人から教育を受けることになり、
社会に出てからも、社会人として、いろんなことを周りから
学ぶことになる。

狼に育てられれば、狼のような習性を見につけてしまう人間の人格とは、
結局は、長いこと築き上げられた人間社会の集団意識により、
作られることになる。

この肉体も、細かく見れば、地球規模も規模の大きな二酸化炭素と水の
循環の中になる。

意識(人格)も、長い間築きあがられた人間社会の集団意識により、
作られる。

自分って、いったい何なのか?

もしかしたら、「自分など何も無い」のではなかろうか?

又吉さんがある番組の中で
「みんなが自分、自分がみんな」
と言っていた。

自分自身も、人間社会の中で、生きていく以上、
多くの人と摩擦を起こしながら、周りの人に影響を
与えることになる。

そうなると、わずかではあるだろうが、
人間社会の集団意識に影響を与えていくことになる。

「個」を強調する西洋的な思想と、「個を薄める」
日本的な思想と、今後どちらが主流になっていくのか?

共生の社会に移っていく以上、思想というのも、
大変重要になってくる。

むしろ「個を薄める」思想でないと、共生社会は
成り立たない。

今だけ、自分だけ、お金だけの考えから、
社会に「信用」を再構築し、共に生きる社会・思想を
築きあげなければならない。

そうなるためにも、自分はやがて死ぬということ、
死んだ後、どうなるのか、
また、我々は、体も心も、大きな循環・再生産の中にあるということを
よくよく認識する必要があるのでは、、、。


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2016年08月23日

自分の人生の主人公というのは、自分自身である、、、。

リオデジャネイロ五輪がおわり、振り返ってみると
一番印象的だったのが、レスリング女子53キロ級で銀メダルだった
吉田沙保里(フリー)のコメントだった。

「(涙を流し、声を詰まらせながら)たくさんの方に応援していただいたのに
銀メダルに終わってしまって申し訳ないです。日本選手(団)の主将として、
金メダルを取らないといけないところだったのに、ごめんなさい。
自分の気持ちが、最後は勝てるだろうって思っていたが、取り返しの
つかないことになってしまって。・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

号泣の中でもコメントだった。

やはり、ものすごいプレッシャーだったのであろう。

そんな吉田選手を見て、ふと思い浮かべたのが、
ボクシング世界王者だった鬼塚選手の言葉だった。

少年の頃、世界チャンピオンはスーパーマンみたいな存在やと思ってきた。
俺にとっては神様に近い存在ですよね。凡人の俺が、そんな凄い場所に
辿りつくことができたら、いったいどんな凄い人間になれるんだろう。
そのことだけを励みにここまで頑張ってきました。
しかし、試合に勝ってはみたものの、あるはずのものが何もないんです。
「エッ、何なのこれ?なんで、何もないんや?」
「いや、次勝てばきっと何かが得られる」
そう信じて、次から次へと試合を積み重ねていきました。だけど何も残らない。
試合が終わった夜は、生き残れた実感と自分が探し求めたものが何もなかったと
いう寂しさで発狂しそうになりました。俺は常に素直に飛び跳ねる自分で
おりたいのに、充足感がないから、「何でや?」という思いばかりが
虚しく深まっていく。最後の試合までずっとその繰り返しでした。
  (『週刊文春』平成6年11月)

もしかしたら、達成感というモノは、一瞬のモノ。

そのあと、新たな苦悩が待ち受けているのが人生なのかもしれない。

自分は、チャンピオンなんだ、だから無様な試合はできないし、
敗けられない、そんなプレッシャーで自分が押しつぶされそうに
なっているのかもしれない。

同じような悩みで悩んでいたと思われるオリンピックで
三大会連続金メダルを取った柔道の野村選手が、何か月か前、
アナザースカイ出ていた。

彼は、アトランタ、シドニーと二大会連続で金メダルを取った後、
逃げるようにサンフランシスコに語学留学に向かった。

日本にいると、「引退」か、「継続」かを迫られる。

しかし、なかなかそんな重大なこと、そうは簡単に決められない。

シドニー大会の時,野村さんにしてみれば、一番のピークの時。

私も見ていただが、得意技の背負いだけでなく、
いろんな投げ技で一本勝ちを収めていた。

それだけ、体に切れ味があったのであろう。

彼が言うには、
「いつまでも、ダラダラと現役にしがみついているのは、
カッコ悪い。惜しまれるぐらいでやめていた方のがいい」
という思いもあったようだ。

しかし、小さいときからやっていた柔道を本当に捨てられるのか?

それも、体力的にも、身体能力的にも、全盛期で
最高の状態でオリンピックの金メダルを勝ち取った
シドニーの後にだ。

また、金メダリストとしてのプレッシャーも
相当なモノだろう。

勝って当たり前、無様な負け方でもしたら、取り返しのつかない
ことになる。

そんな恐怖と、その当時、戦っていたのかもしれない。

番組の中で、野村さんがサンフランシスコ時代にお世話になった
地元の柔道道場の館長が、14年ぶりにあった吉田さんを見て
「あの頃は、ずいぶんととんがっていたようだった。
今回、とても表情が穏やかで、なんだか安心した」
と、、、。

日本から離れている身であったのだが、気持ちはかなり
悩み続けていたのだと思う。

そして、彼は、三回目の金メダルに挑戦することを決断する。

長いブランクは、彼に屈辱を与えたらしい。

いきなり、日本に帰り試合をした結果、まさかの敗戦。

「野村は終わった」と、ささやかれたらしい。

そして、何とか日本代表選手に選ばれ、そして再び
金メダルを取る。

その後が、実に素晴らしい。

なんと、彼は40歳まで現役を続けたらしい。

それも、若い選手に負け続ける。

体が明らかに衰えてきている。
さらにけがで苦しむ。

三度も金メダルを取った男が、いつまでも現役にこだわり
無様に負け続ける姿、、、。

あなたなら、耐えられるだろうか。

彼は、彼がサンフランシスコ時代に、柔道から離れ、
一人になって、心底「柔道」のこと、自分自身のこと
見つめ直したのではなかろうか。

絶対負けられない、無様な姿は見せたくない、
そんなプレッシャーに押しつぶされそうな柔道というのが、
本当に自分の柔道だったのか?

それより、少しでも強くなるために、技を研究し、
練習し、一つ一つ身に着けていった時代の方が、
自分の真の柔道であり、柔道を好気になっていたのでは
なかろうか。

30代には、30代なりの柔道、
40代なら40代なりの柔道を極めようとする野村選手。

彼が言うには、若い人たちに負けるのは分かっている。

しかし、その体力的に落ちた状態でも、自分なりに
より強くなれるように、努力していきたい。

というようなことを語っていた。

世界チャンピオンという大きな重圧。

しかし、その本質を見れば、もしかしたら、
自分が作り上げた虚像では、、、。

みんなが見てるから負けられない。

世界チャンピオンだから、ブザマな姿は見せられない。

ブザマでもいいんじゃない、負けてもいいんじゃない、

それでも、技を磨き、自分が少しでも強くなる努力をし続けることこそ、
それこそ、本当の彼の柔道だったのではなかろうか。

プレッシャー、またはパワハラやいじめなどなど、
人間生きていれば、必ずいろんな摩擦を受けることになる。

しかし、しっかりと足元を見つめながら、自分が今できることを
やり続ける、これってとても大事なことではなかろうか。

自分の人生の主人公というのは、自分自身である。

いつまでも、他人の噂話の世界で生き続けていれば、
がんじがらめに縛られ、本当の自由というのは、
手に入れることはできやしない。

自分を見つめよう、見つめ続けよう、
他人の評価に頼りすぎれば、自分が見えなくなってしまう。

吉田選手も、すごい経験をいっぱい持っている。

それを、世間のため、周りの人の為に、おおいに活かしたら、
きっと素晴らしい人生になるような気がしてならない。


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2016年08月19日

日本とは、、、。

お盆休み、楽しかった。


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なんと言っても、この萩の海!


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山口県に住むうちの義両親の家から、車で約70分。

毎年、お盆と正月に帰省しているが、今年は
お盆期間中に、萩まで海水浴を楽しみに行った。

そして、水中メガに、息をブクブクやるスノーケル、
足には、足ひれをつけ、泳ぎまくった。

おるわ、おるわ、いろんな種類の魚が、、、!

刺身にしたらおいしそうな鯛、黒いたぶんクロダイなのか何なのかわからないが、
だいたい50p程の魚が、優雅に泳いでいる。

だいたい4時間ほど海の中に浮かびながら、それらの魚の写真を
撮りまくって、楽しんだ。

インスタントカメラだったので、その写真をこのブログで
紹介することは、できないが来年ことは、防水用のデジカメを
買って再度チャレンジしようと思う。


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萩の海は、本当に美しい。

それも、すぐ陸側を見れば、萩の街だ。


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ここには、山もあり、海もあり、川もあり、沖を見れば、
島もあり、そして歴史もある。


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暖流の支流がこの日本海側を流れ、比較的温暖で、
海産物も豊富だと聞く。

こんな素晴らしい日本の田舎を見ると、あるニュージーランド人の
言葉を思い出す。

彼の名前は、マーク。

歳も私と同じ年ぐらいで、日本にも二年間滞在経験がある。

自然が大好きで、その日本にいる間に、いろんなところをまわったらしい。

私もニュージーランドに一年間滞在したことがある。

その時、ニュージーランドを100ccのバイクで、ファームステイを
しながら、旅をした。

そして、マークが住むクライストチャーチに返ってきたときに、
久しぶりに会ったマイクに
「いや〜、ニュージーランドって、ほんときれいだよな〜」
と、話した。

そしたら、マイクがこんなことを言っていた。
「hide、日本の方がきれいなところいっぱいあるよ。
ほとんどの日本人が、そのことを分かっていない。
もったいないと思うよ」
と、、、、。

私もその頃は、都会で働き、工業地帯で住んでいた。

確かに自然は好きで、よくキャンプにも行っていたが、
おもな生活の基盤は、車がブンブン行きかうところなので、
たまに行く自然豊かな場所とは、特定の場所で、
日本のほんの一部のような気がしていた。

しかし、その後、日本中のいろんなところを旅をした。

萩のような文化と自然が上手く調和し、さらに温泉もある
素晴らしい場所は、日本にはいくつでもある。


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これは、島根県の松枝市だ。

街に、宍道湖が溶け込み、素晴らしい夕日を見ることができる。

私が行った時も、100人ほどの人が、ここで夕日を眺めていた。


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お城もあり、そのお堀に船で回れるようになっている。


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また、こんな大きなビルの前で、シジミが取れる。

松山もよかったし、鹿児島なんかも最高だった。


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これは、鹿児島の開聞岳。

薩摩半島のほぼ先端に、そびえたつ独立峰だ。


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頂上へ上ったが、西側が枕崎までの海岸線。


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北側がイッシーという恐竜がいるとされる池田湖。


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東側が海に付きだ出した長崎鼻と呼ばれる岬。


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そして、南側には東シナ海があり、その先に屋久島がうっすら見える。


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山口の青海島。


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これは、きれいな川の横にある岐阜の飛騨、無人の新穂高温泉だ。

和歌山、尾道からのしまなみ海道、能登半島、越前海岸、上高地
などなど、紹介したいところは、いっぱいあるが、これをもし多くの日本人が、
あまり知らないのであれば、マイクが言うようにもったいない限りだ。

それにね〜、もう一つ紹介したいことがある。


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これは、日本のある高速道路のトイレだ。


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ドアが自動で開き、便座に座れば音が流れ、使用後は、
温水シャワー。


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手を洗おうとすれば、ただ手をかざすだけで水が出る。

もし、外国人から見ればどう思うだろうか?

日本は、まさにハイテクの国。

そして、サービスエリアの人たちも、とても親切で、清潔に保たれている。

こういうところも、日本って素晴らしい国だとつくづく思う。

もう一つ言いたいことがある。

日本を旅していると、どこまで行っても、森林と田んぼが続く。

これって当たり前のことなのか?

どこまで行っても、田んぼと森林が続く。

あの美しい国、ニュージーランドでも、大半の森林というのは、
伐採されている。そして、山々はあるがそのほとんどが、
草原のような感じだ。

ニュージーランドのの森林とは、国土の20%ほどしかなく、
国定公園に指定され、保護されている。

なぜ、森林が切り倒されたのか?諸説あるが、今の現実を見ると、
国土のほとんどで、人口の10倍ほどいる羊などを飼っている。

このあたりが、イギリスの植民地であり、その文化を
しっかりと引き継いでいる。

日本は、どうかというと、我らの祖先は、森林を残し、
その自然と共生しながら、稲作の道を選んだ。

最近、日本の田んぼも非常に見直されている。

今、世界では、干ばつ、水不足、化学肥料・農薬による土壌の劣化、
異常気象、さらに中国の爆食、バイオエタノールの普及などなど、
今後、食糧がどのようになるのか、非常に危ぶまれている。

しかし、日本の田んぼとは、その歴史は2000年以上であり、
何年も何年も連作可能である。

それに、田んぼというのは、単位面積当たりの収穫量が多い、
非常に優れた農地と言える。

我々の先祖は、約2000年かけて、平野の湿地帯を切り開き、
田んぼを広げてきた。

この田んぼを支えてきたのが、森林である。

よく山の方に行くと、いたるところに湧き水がある。

その湧き水や、山に降り積もった雪解け水が集まって、
川を形成し、そして田んぼの水源となる。

もし、森林がなければ、どうなるか?

山々に保水性がなくなり、梅雨の時期に雨が集中するこの日本において、
河川は荒れ狂い、田畑や住居を飲み込むであろう。

森林はある意味ダムであり、、水を保持し、そして緩やかに湧き水が
流出させてくれる。

また、森林を大事にすれば、海の幸も豊かになるという。

平野(田んぼ)の民、山の民、海の民、川の民、
それぞれに自然に合わせて、自然から豊かな幸をいただき、
また地震、津波、洪水、噴火、台風などある時は、
恐ろしい自然と長いこと共存してきた我々日本人、、、。

もう一つ言うならば、田んぼは、単位面積当たりの収穫量が多い。

ということは、牧畜などに比べ、人が密集して住めるということ。

そして、多大な労力が必要とする稲作に、協力しながら
田んぼに労働力を集中し生きてきた。

逆に言うならば、狭い限られた平野で、ひしめき合って
生きてきた。

だから、協調性があり、空気に依存する繊細な我々日本人、、、。

日本の宗教や哲学は、西洋の「個人」を強調する思想とは違い、
集団で生きていくうえで、必要な「我」を無くし、
協調性を重視する考え方が発展してきたように思う。

また、頻繁に天災を引き起こす自然とは、恐ろしいものでもあり、
豊かな幸を与えてくれる荒れ難い存在、、、。

山も海も川も大地も動物も、そして人間でさえ神として祀る
我々日本人、、、。

自然に対して、どこか畏敬の念を持ちながら、
長いこと自然と共生してきたと言える。

そんな我々日本人って、そんな捨てたもんではないように思う。

日本を旅するとつくづく、そのようなことを感じる。

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2016年08月09日

時代の大転換!あなたにもできること!!

 朝の連続ドラマ、「とと姉ちゃん」いいね〜。

とてもはまっている。

毎日、録画してまで見ている。

終戦直後、非常にモノが不足している時代に、
ほとんどの人が困り果てている。

そんな中で、今あるものを最大限有効に使って、
少しでも豊かさを感じてもらう、
そんな目的で生活総合雑誌「あなたの暮し」を立ち上げた。

あの直線縫いの服、とてもいいアイデアだったと思う。

生地を無駄なく使い、しかもおしゃれに着こなす、
そういえば、うちの亡くなったおばあさんも、
あのようなスタイルの服を着ていたような気がする。

そのように、時代に合ったこと、つまり、モノがない時代に
いかに工夫して、心の豊かさを味わうか、
その方法を自身で見つけ出して、雑誌を発行して、
世間に広める。

そんなこと、この時代の人なら、大変やりがいを感じたのではなかろうか。

その当時の社会的なニーズとは、「豊かさ」であった。

では、今はどうなのか?

今は、時代の大きな転換期、、、。

資本主義が行き過ぎてしまった。

今では、多くの人がお金を稼ぐことでヘトヘトで、
「お金に対して、奴隷化」が進んでいる。

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これは、著名な経済学者、ピケティーがの法則であるが、
ここ300年のデーターから分析して、
金持ちはその資本力により生み出したお金により、
さらなる富が蓄積されていく。

つまり、庶民があくせく働いて得たお金よりも、
株式や利子など、お金がお金を生んで得た所得の方が
多いということ。

放っておけば、お金持ちはどんどんお金があつまり、
そしてそれとは逆に、その他のほとんどの人が
ドンドンと貧困になっていく。

特に、ソ連が崩壊し、アメリカが世界唯一の超大国に上り詰めた。

そうなれば、その傾向は、一気に進む。

大多数の人が今、望んでいることは、
安心、安全、安定した暮らしではなかろうか。

弱肉強食の尖鋭化した資本主義から、共生の時代への大転換期の
真っ只中。

常に時代を動かすのは、我々全体の集団意識、、、。

また、いくら技術が変わり、社会システムが変わっても、
人々の心が変わらなければ、必ず失敗する。

そのためにも、できる限り共生の思想を広めるべきではなかろうか。

それが、私が感じる時代のニーズのような気がする。

その共生の思想を広めるために、とと姉ちゃんの時代のように、
雑誌を出すために、大金が必要なわけでもない。

また、スポーンサーも必要ないし、各々個人で行えば、
誰にも遠慮することなどない。

インターネット上で、自分の意見を述べ、それが多くの人に
受け入れられれば、広まっていく。

例えば、こんな思想をひろめたい。

ある仏教の教えに、こんなものがある。

地獄でも、極楽でも、大きな釜でうどんをゆでている。

そのうどんを1メートルほどの長い箸で食べなくてはならない。

地獄では、我先にと競い合って食べようとするので、
結局誰も食べることができず、みんな餓死してしまう。

極楽では、その1メートルの箸をを使って、
互いの口にうどんを運び、助け合いながら
うどんを食べて、みんなが満腹になれる。

共生の時代に一番必要なのは、信用の構築である。

それを上手く表現しているこの仏教の教え。

このような昔の思想を掘り起こし、ブログで紹介し続けるのも、
共生の思想を広めることにつながるのでは、、、。

私個人など微々たるものであるが、
しかし、ノミとトンカチで、毎日毎日、大きな岩盤に穴を開け続ければ、
もしかした30年後、私が死ぬ時ぐらいには、
何らかの変化が起こっているのかもしれない。

コツコツ、コツコツ、それが私一人ではなく、
一人でも多くの人が行ってくれれば、その力は二倍になり、三倍にもなる。

私が思うには、もう潜在意識化では、多くの人がこのままでは、
成り立たないということを気がついていると思う。
 それをしっかりと言葉にして発信し続ければ、
必ず大転換は起こるのではなかろうか。

コツコツ、コツコツ、これは私の得意分野である。

あと人生三十年、私のような庶民でも、十分やれることがあると思う!!



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2016年08月02日

身近な人の死とは、、、。

一昨日の日曜日、母のすぐ上の姉の法事に、母と行ってきた。

母は4人姉妹の末っ子。

その亡くなった母と四つ違いの姉が、家を継ぎ、
実家を切り盛りしていた。

母が小さいときに、すでに母の父は他界。

母の母、私の祖母も、早い時期から寝たきりになり、
その伯母が母の親代わりのようなもんであった。

母だけでなく、母の子供である私たちも
大変お世話になった思い出深い伯母である。

その伯母が亡くなったときのことは、よく覚えている。

ちょうど六年前の夏、あるとても暑い日の早朝、
家に電話があった。

そんな早い時間に電話があるときは、たいてい悪し知らせ。

私より、先に電話を取った母が、伯母の死を聞いて、
泣き崩れている。

私も、涙が止まらなかった。

昨日の法事でもお坊さんが、言っていたが、
「親しい人の死というのは、自分のいづれ死ぬということを
よくよく認識させるために、その親しい人が身をもって、
教えてくれる。よくよく、その現実を受け止めるべきである」
というようなことを言っていた。

確かにその通りだ。

母にとって、親代わりの伯母の死というのは、
一番そのことを母に示すことができる人の死であったように思う。

母が、自分の死をどのように思っているのか、分からない。

毎日、毎日、父と漫才のようなケンカをし、暇さえあれば、
友人や親せき、娘たちと携帯で、電話しまくっている。

いずれは、病気になり、老いて死んでいく。

そして、親しい人たちとの別れが待っている。

限りある命という認識が持てるようになれば
今生きている一日一日が大事に思えてくる。

今日、ご飯が喉を通る、べんが出る、歩ける、
手が動く、息ができる、友人や家族らと話ができる、
これって、できなくなった人から見れば
とても幸せなこと。

ある人は、「自分は不幸だ、不幸だ」と、
いつもつぶやいている。

果たして本当なのだろうか?

心のあり方ひとつで、周りを見るモノサシが変わる、

自分のモノサシが変われば、幸福感も変わってくる。

人間って、逃げ切ることができない宿命のようなものが、
いくつもある。

限らられた命、限られた時間、その限られた人生をどのように
使い切るのか?

自分もやがて死ぬということを認識できれば、
生きる目的も変わってくるような気がする。

自分という意識が薄らいでくるような気がする。

伯母の法事に参列し、お経を読みながら、ふとそんなことを
思った。

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2016年08月01日

「出会い」、「別れ」の繰り返し、、、。ご縁で定められた人の人生、、、。

 最近、夕方になると、うちの近所の田んぼ道を
白い犬を引っ張って、トボトボ散歩している老人を見かける。

ドラゴンズの青い帽子をかぶり、ニコニコしながら、
犬に話しかけかけながら、散歩しているその老人。

その老人とは、間もなく80歳になるうちのオヤジだ。

そして、その白い犬とは、うちの愛犬パンチだ。

オヤジは、ぜんそく、皮膚病、高血圧、慢性的に腰が痛むなど、
複数の病気を抱えている。

さらに、認知症もかなり進行し、おまけに耳もかなり聞こえが悪い。

数年前より、ほとんど田畑にもいかず、家でゴロゴロしているだけ。

おまけに耳も遠いので、なかなか人と会話がスムーズにいかない。

数年前、ある親戚の法事にオヤジといった。

法事の法要も終わり、お茶を飲みながら、みんなで雑談していると、
私のいとこが、私を呼ぶので、オヤジを残して、席を外した。

三十分ほどして戻ってくると、オヤジが近くのおじさんに
話しかけられているようで、ニコニコしながら、相づちを打っているが、
何しろ、耳が悪いので、ほとんど聞き取れていないはずだ。

そのおじさんも、オヤジが耳が悪いことを知らない。

オヤジは、ただでさえ、人に気を使うタイプなので、
自分が聞こえていないと言えないようだ。

そして、私が帰ってきて、おやじは、あ〜助かった、というような
顔して、その場を去った。

法事の帰りの車の中でも、
「わしも、もう耳が聞こえんようになったので、おまん法事とか、
行ってくりょ」
というようなことを言う。

数年前より、田畑にも出ないし、冠婚葬祭もあまり行かない。

ほとんど、家で寝ていることが多い。

そして、そうなるとだんだんと認知症が進んでいくようだ。

ボケてもらっては、困るということで、いろいろやったが、
なかなか本人にやる気がない。

そして、母が「犬」がいいらしいということで、
姉の家に飼っている犬を毎週、毎週借りてきていた。

そんなこんなで一年過ぎたところで、義兄が
「もう、おまんところでかや〜」と、
言ってくれたので、愛犬パンチがうちに来ることになったのが
今年の正月、、、。

オヤジは、今でさえ、パンチの姿が見えないと
「あれ〜、犬返しちゃったかや〜」
と、がっかりそうに言う。

何度、「犬は、もううちがもらったんだよ。
うちの犬なんだよ」
って言っても、毎週、日曜日の夜になると、
犬があっちの家に行ってしまうことが、かなり寂しかったのかも
しれない。

今では、あの出不精だったオヤジが、毎日のように犬の散歩に
行っている。

毎週、デイサービスがある。

オヤジの担当の介護士さんが、オヤジが犬の話をよくするのか
「ワンちゃんにだいぶ癒されているみたいですね〜」
と、言っていた。

さらに、そのデイサービスのお迎えが来ると、支度の遅い
オヤジは、いつも介護士さんたちを待たしている。

さらに、「犬にあいさつしてくるから、ちょっと待っていて」
とかなんとかいっちぇって、さらにもたもたしている。

夜中も、トイレに行くたびに犬の様子をうかがいに来る。

こないだも、ニコニコしながら、犬とたわむれていた。

パンチが来てくれて、本当によかった。

認知症であり、耳が遠いオヤジも、家族でさえ
なかなか意思疎通が難しい。

パンチが上手く、オヤジの相手をしてくれている。

それに、寝てばっかりであれば、筋肉も落ちてくるだろうし、
散歩程度なら、ちょうどいい運動にもなる。

ほんと、我が家にとって、パンチとの出会いは、
ありがたかった。

我が家流に言えば、これもご先祖さんのお導き、
ありがたい、ありがたいということになるのだが、
ほんと、神様からの贈り物のように感じることもある。

しかし、よくよく考えると、この二人というか、
一人と一匹、互いに人生の晩年と言える。

オヤジは、間もなく80歳。

平均年齢で行けば、あの世へ旅立つのも、そう遠くない。

パンチも11歳なので、あと数年っていうところだろう。

この二人(一人と一匹)が、いなくなると、
私ら家族にとっても、かなり寂しくなる。

今のうちから、そのことをしっかりと覚悟していなくてはならない。

うちの嫁など、
「パンチがいなくなったら、私ボケるかもしれんで頼むね〜」
とか何とか言っている。

人生って、「出会い」と、「別れ」の連続、、、。

まさに、旅をしているようなものなのかもしれない。

そこで、いろんなことを学び、いろんな影響を与え合って、
生きている。

思えば、私の人生の中で、いろんな影響を与えてくれた人って、
多くいる。

仕事なり、友人なり、今、共にいる仲間、家族というのは、
互いに影響を与え合っている以上、ソール・メイトなのかもしれない。

時には、対立し合うこともある、時には助け合うこともある。

その中で、知恵をつけ、忍耐力を学んでいく。

パンチに関しては、我々家族にとっては、本当にありがたい存在だ。

時には、そのようなご褒美のような出会いもあるのかもしれない。

昨日、親戚の法事に行ったが、その時のお坊さんのお話の中で、
人生とは見えない「縁」によって結ばれている。

「御縁」といって、その縁はすべて阿弥陀様が定めらえた縁なのである
と、、、。

オヤジにパンチ、あと数年で旅立つことになるであろう。

諸行無常であり、今、この時間を共に過ごせることということは、
後々考えれば、大切な時間なのかもしれない。

そう思えば、「今」という瞬間を大事の思え、思いっきり生きようと
思えるのではなかろうか、、、。


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2016年07月23日

「生きる」、「生きる」、「生きる」、生きる目的とは何ぞや!?

毎週土曜日早朝にラジオ放送される「なぜ生きる2」、
いいね〜。

今日はこんなことを言っていた。

親や子を生きがいにする人は、彼らがなくなったときに、
自身も崩壊する。

地位やお金を生きがいにする人は、それらがなくなった
時に、自身も崩壊する。

信念を生きがいにする人は、それがなくなったときに、
自身も崩壊する。

仕事を生きがいにする人は、その仕事がなくなったときに、
自身も崩壊しる。

仕事を生きがいにして、今まで生きてきた人が、
定年退職を迎えた。

毎日、何をしていいのか分からない。

どう生きようか迷ってしまう。

終戦の日を境に、大きく価値観が変わってしまった。
多くの人が、今まで正しいとされてきたことが、
徹底的に排除される世の中になってしまった。

そう思うと、信念ですら永遠のものではない。

時が変わり、時代が変われば、正しいとされていたことでも、
ゴミ箱に捨てられる。

諸行無常、、、。

地位、お金、家族、仕事、信念など、世の中すべてのモノが
決して永遠のモノではなく、それに大きく依存しているということは、
薄氷の上を歩いているようなもの。

さらに、よくよく考えれば、いづれ来る「死」というモノは、
それらの生きがいと必ず決別しなくてはならない。

浪速のことは夢のまた夢、、、

と、あれだけ栄華を極めた天下人、太閤豊臣秀吉でさえ、
地位も名誉も、家族も家臣も、莫大な資産も、
すべて置いて、一人であの世に旅立たなくてはならない。

なんで、火災保険だの、老後保険だの、まだ起こるかどうかも
分からないことには、しっかり準備しているのに、
確実に決定された未来である「死」に対しては、
ほとんどの人が準備をしないのか。

なぜ生きるのか、どのような目的で生きるのか、

このようなことを「なぜ生きる2」では、
毎回、問いかけている。

それと想像してもらいたい。

老いて、ほぞ細とした体で、おむつを着せられて、
病気に苦しみながら、病院のベットで、寝ている自分、、、。

そのような姿を想像できるだろうか?

今の現代人の現実な死に際とは、そのようなモノ。

いったい自分は、これからどのようになってしまうのであろう。

かわいい孫や、そして子供たちは果たして今後大丈夫なのか。

親しい家族と別れ、苦しみながら孤独な旅立ちを迎えようとしている。


「死」とは、「老」、「病」、「死」、そして「別れ」と、
それぞれ一つでも大変な困難なのに、そのようなことが
4つも同時に起きる。

その人生最大の困難を、あなたは耐えることができますか?

人生の目的とは、「魂の研磨である」であると
誰かが言っていたが、そのようなことにもなんとか
乗り越えられるようにして準備しておく必要があるのでは、、。

自分の死を客観的に見つめれるようにすること、
悔いのない人生を過ごしておくこと、
死の瞬間を耐えられるだけの何か宗教的な
世界観をみにつけておくこと、

などなど、どんなことでも、最大の困難というのは、
自分の心の中に渦巻く煩悩が作り出す。

死、老、病、別れを通じて、怒りや悲しみ、不安に
心が占領され、もがき苦しむことが、体にも
心にも大きな負担となるであろう。

また、もし、「あいつだけは絶対に許せない」とか、
そのような煩悩にがんじがらめにされて
いたのでは、決して魂を昇華させることはできないず、
魂がこの世をさまようことになるのかもしれない。

仕事がけっして本当の目的ではない。

仕事を通じて、魂の研磨こそ、本当の人生の目的なのでは、、、。

信念が本当の生きる目的ではない。

その信念が本当に正しいことなのか、
常に自分に問いかけ悩み苦しみながら、
真理を追究し続けることが、
本当の人生の目的なのでは、、、、。

親や子供、親しい友人など、神様が与えてくれた
いわば、ソウル・メイトである。

周りの人々とまじわり合い、影響を与え合いながら、
自身がが成長していく。

別れも、また一つの課題でもある。

知り合い、そして別れる、そんなことで
何かを学んでいく。
「学び」こそ、人生の最大の課題であるのでは、、、、。

世の中、何一つ無駄なことなどない。

すべてのことが、魂を研磨させるために用意されている。

そして、その魂を向上させることこそ、
人生の目的でもあり、「死」という人生最大の困難に
立ち向かう準備にもつながる。

それには、「自分など何もない」という
自我を薄めることが重要ではなかろうか、、、。


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2016年07月22日

親日国 トルコの大決断!!

 「トルコは、超〜親日国〜」と、
昨日ラジオを聴いていたら、そんな言葉が
流れてきた。


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CIMG0377.JPG


これは、本州の最南端、和歌山県串本町になる
トルコ記念館とトルコ軍艦遭難記念碑である。

とても美しいところにあり、トルコと日本の歴史を知る上で、
避けて通れない、大きな出来事であった。

そのあたりは、昨年あたりに映画でやっているので
一度見てもらいたい。

そのトルコ記念館に行ったときに、その受付の人に
「トルコの人たちって、日本のことどう思ってるんだろう?」
と、うかがったら、

「ベリー・ベリー・ベリー ウィー・ラブ・ジャパン」

と、ニコニコしながら言っていた。

さらに、愛知万博の時に、トルコのパビリオンで
若いきれいなトルコ人のお姉さんに同じ質問をした。
「おまんらな〜、戦争にたった一回敗けたくらいで、
何をそこまで卑屈になっとんじゃ〜。経済も一流
勤勉で人間性も素晴らしい、もっと自信を持たんかい!」
というようなほれぼれするようなタンカを切っていただいた。

そのトルコ人の女性は、日本語も堪能で、かなりの日本通。

こういう人の方が、実は本来の日本人らしさを感じることがある。

私は、そんなトルコ人の方々に、勇気を与えられたような気がした。

是非とも、和歌山の串本に行ってください。

特に次の世代を引き継ぐ子供たちを、是非とも連れてってもらいたい。

そのトルコが、いま、大変なことになっているようだ。

テレビでは、大統領の独裁とか何とか言っているが、
要するに、アメリカを中心とした欧米からの独立を模索しているようだ。

http://jp.sputniknews.com/politics/20160718/2511555.html

「ケリー米国務長官、NATOからの排除をトルコに示唆」
とのこと。

地図を見れば分かるが、トルコとは、西洋と東洋の
ちょうど中間点。

今までは、アメリカを中心とした欧米ばかり意識していた。

20数年ほど前、ソ連が崩壊し、米国が
世界唯一の超大国として君臨し、その超大国アメリカが
中東をクチャクチャにひっかきまわしてきた。

トルコも、長い間、そんな暴れん坊の大親分に付き合わなくては
ならなかったのだろうが、ここへきて大きな決断をしたように見える。

それは、「脱米国」だ。

それは、もう切羽詰まった苦渋の決断であったであろう。

もう、何年もシリアが大変なことになっている。

そのシリアを長年にわたり、ひっかりまわしている張本人は、
アメリカだ。

シリアとトルコは、長い国境線につながれた隣国だ。

隣国が混乱に陥れば、多数の難民が国境線を渡って押し寄せてくる。

それに、ISだ。

トルコがシリアやイラクに近い以上、西側は、
トルコの領内から、いろんな形で、ISに支援をする。

しかし、ISが勢力を拡大すれば、いったいどうなるのか?

すでに、ISというのは、世界各国の共通の敵、、、。

アメリカでさえ、及び腰になってきている。

ISと真剣に戦っているのは、実際のところ、
シリア、イランとロシアだ。

そのロシアの戦闘機を打ち落としてしまったトルコ、、、。

すぐ隣国で、トルコよりもはるかに大きなロシアの戦闘機を
打ち落とすことが、通常できるはずがない。

ここでも、米国の影が見えてくる。

さあ〜、このまま、アメリカについて行っていいのか?

それに、今まであこがれていた西側に、ここまで付き合わされて、
果たして、その魅力があるのだろうか?

トルコは、中国を中心とするAIIBの加盟国でもある。

さらに新シルクロード計画もあり、大きく今後逆側の
トルコよりも東の諸国とつながりが大きくなってきている。

インド、中国、ロシア、新興国と呼ばれる大国が、
トルコの東側には、大きく存在する。

すでにこれらの新興国の経済の方が、先進国の経済の規模を
上回っている。

口うるさく、小ばかにしくさる欧米よりも、
はっきり言って、こっちの方がはるかに魅力を
感じ始めたのではなかろうか、、、。

このトルコの大転換、米国が反対しているAIIBの設立の時にも、
あれだけ多くの国が参加したのには、驚いた。

多くの国々、多くの人々が、欧米だけが世界ではない、
ということに気が付き始めているのでは、、、。

その我々人類の大きな歴史の転換期に、
今のトルコで起きていることが、大きく
我々の歴史の一ページに、刻まれていくことになるので
あろう。




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2016年07月20日

アメリカがトルコを失うということ、、、。そして、多くの人が何かを感じ始めるのでは、、、。

先月、トルコの大統領が、あれほど頑なに拒否していた
ロシアのスホイ24撃墜に対し、謝罪したのには、驚いた。

その後、そうこうしているうちに、トルコ国内で、
イスラム過激派による大規模なテロが横行する。

そして、今度のトルコ国内による一部のトルコ軍による
大規模なクーデター。

http://jp.sputniknews.com/middle_east/20160718/2509389.html

この上の記事によると、

トルコのエルドアン大統領は軍事クーデーターの際、
「数えるほどの時間の差で死とすれ違った」という。
ロイターが報じた。


とされている。

さらに、この下の記事によると

http://jp.sputniknews.com/politics/20160718/2511555.html

ケリー米国務長官、NATOからの排除をトルコに示唆


と書かれている。

なんだか、私のような素人でも、とても分かりやすい
世界情勢だ。

そして、こんな記事がある。

http://jp.sputniknews.com/incidents/20160717/2504387.html

米国の痕跡:米軍基地の軍人らがトルコ軍事クーデターに参加


http://jp.sputniknews.com/incidents/20160716/2501970.html

「トルコの米空軍基地 停電」

とされ、

「NATO諸国の航空機も置かれているトルコ軍のインジルリク空軍基地は、
現地当局により、封鎖され、電気の供給も止められている。」


トルコは、西洋と東洋の境界線、、、。

今までは、西の方ばかり向いていた。

そして、中東でも、その欧米の下請けのような
汚れた仕事をやり続けてきたのかもしれない。

そして、ロシアの戦闘機を撃墜、、、。

トルコより、何倍も大きな国であり、さらにすぐ近くの隣国である
ロシアの戦闘機を打ち落としてしまった。

それも、シリア領内で、、、。

こんな事ふつう考えられない。

考えられるとしたら、ロシアよりも大きな勢力が
バックにいるということ。

そして、その後、ロシアとの関係は悪化、、、。

特に大量にお金を落としてくれるロシアからの観光客が皆無に
なってしまった。

それに、米国に言われるまま、トルコのすぐ南にある
シリアで悪事をやり続ければ、トルコに大量の
難民が押し寄せてくれる。

トルコにすれば、
「ね〜ね、アメリカの親分さん、この難民どうすんの?」

また、
「ロシアからのお客さんがいなくなっちゃったけど、
どうしてくれるの?」

て、ことになる。

また、支援してきたイスラムの過激派は、すでに世界の共通の敵、、、。

そんなのときに、アメリカでさえ、すでに逃げ腰、、、。
「あんたさ〜、まさか、わしら(トルコ)に、罪を全部
なすりつけるつもりじゃないやろな〜」

と、これらのことが、トルコの米国離れの大きな要因では、、、。

このまま、アメリカにくっついていっても、
何もいいことがない。

さらに、まったく頼りにならんし、知らんぷりされて、
世界を敵にまわすことになる。

西にばかり向いてばかりあこがれていたけれど、
東に向けば、ロシア、中国、インドなど、新興国の発展が著しいし、
AIIBや新シルクロード計画など、おいしそうな話もあるではないか。

すでに、先進国の経済規模と、新興国の経済規模を比較してみると、
新興国の方が上回っている。

ブラジルでも、謀略の臭いがプンプンするクーデターは、
失敗に終わった。

最近、西 鋭夫氏の『日米魂力戦』という本を読んでいる。

1941年生まれの西氏は、日本の大学を出て、アメリカの大学で学び、
博士号を取得し、米国での生活が長く、かなりの米国通である。

そんな西氏が30代の頃、「CIAで働かないか」と誘いがあったとのこと。

その時のやり取りが、次のようなモノであったとのこと。

「CIAの話し上手なパームさん(仮名)との昼食は、三時間以上続いた。
彼の出身校は「プリストン大学だ」と教えてくれた。長い会話の
なかで、強く印象に残っている事柄がある。
 彼が「東京は安全で、ライフルの弾も飛んでこないし、
とても楽しい街だ。私の仕事は人と会って、話を聞いて、
情報を集めることなんだ。仏教によれば、人間は108の煩悩を
持っているというが、僕の勘定では、もっとあると思う」
と言った。
「人の欲望や煩悩をくすぐれば、パームさんの言うとおりに
動くのですね」
「ボクの経験では、ほとんどの人は原始的な欲望1・2・3で
落ちる。第一は、お金。第二は、女、セックス、愛人、
情婦、男色。第三は名声、名誉、勲章、プレステージ。
これを組み合わせると、皆さん喜んで私に協力する」

「日本に、CIAの協力者は大勢おりますか」

「かなりいる。東京は世界中からスパイが集まるところだ。
事実、日本はスパイだらけ。居心地もいいし、日本の警察も
公安庁も私達を監視していないので、のびのびと動けるんだ。
エジプトの海路でいがみ合ってたソ連のスパイに、六本木で
バッタリと出会い、二人で大笑いしたよ」

「大使館や領事館に、盗みに入られるのですか」

「本当に貴重な情報は、中にいる人が『これが重要機密です』と
持ち出してきたモノだ」

「東京に在る諸外国の大使館の職員に極秘を盗ませるには、
人の好みや弱みをつかみ、永い月日を費やさねばならない
のでしょう」

「10年、20年、30年かけて、内部に『モグラ』を育てるんだ。
アメリカも、ソ連のために動き回っていた『モグラ』に
FBIやCIAの国家機密が長期にわたり盗まれた。
アメリカの友達イスラエルでさえ、アメリカの極秘を
盗んでたんだ。スパイ活動をしない国が賢くない、
と思うよ」

「日本では、どんな人がモグラですか」

「それはいえない」

「私が今『CIAに入ります』というと、教えてくれるのでしょう」

「ウーン、教える」

「企業の大物や国会議員や著名なジャーナリストもアメリカの
モグラですか」

「ウーン、いないこともない」

「国会議員で、何人いるのですか」

「ウーン、not less than ten(10人以上だ)」

私の表情が険しくなったのか、パームさんが
「驚くほどの数ではない。よその国の議会なぞ
半数の議員が私達の協力者だ」と私を慰める。

「自民党、社会党、共産党の議員の議員も、モグラに
なっているのですか」

「私たちは、モグラのイデオロギーに興味はない。
お金に、国境やイデオロギーの壁はない。カネのためなら
なんでもする人が多いよ」

「産業スパイも養成されているのですか」
と、私が話題を替えた。

「アメリカと日本が技術で世界独占を競っているとき、
産業スパイは国家の戦略として当然の政策だ」

「日本の産業スパイは、アメリカでたびたびお縄を
ちょうだいしていますが、アメリカの産業スパイは
日本では捕まりません」

パームさんが綺麗に並んだ白い歯を見せ、声を出さず
大きく笑った。
「アメリカの産業すぱいが日本で捕まらないのは、
内部の日本人が機密を盗んで持ち出しているからだ。
日本人がアメリカで逮捕されるのは、素人の自分たちで
盗むからだ。日本人は基礎ができていない」

理想論、倫理観、希望的観測に縛られていない者が
自国の国益のためには手段を選ばないという現実を
見せ付けられ、私は反論をすることもままならず
圧倒された。本能と理性が戦ったとき、本能が勝つ。

「ところで、ドクター西は何に弱い」

「私は、長い間、奨学金で貧しい学生生活をして
いましたので、お金が欲しい」

パームさんは胸の内ポケットから一枚のリストを取り出し、
テーブルに広げ
「連邦政府の給料表だ。ドクター西は、博士号を持っていて、
34歳なのでこのあたりだ」
と真剣な顔を作って私の年棒額をさした。パームさんの
ハンサムな顔に一瞬私の弱味を捕らえたかのような喜びが
はしたが、「カネが欲しい」と言ったのは本当かと
私の顔を見つめている。

「ドクター西、女は好きか」

「大好きです」

「東京の一等地に、すばらしいオフィスを構え、美しい秘書を
二人ほど座らせて、羽振りのいいビジネスマンになってはどうか。
もちろん、運転手兼ボディーガード付きだ。ドクター西、
何になりたい」

「大学教授になりたいと思っていますが」

「なぜそれを早く言わないのだ。すぐなれる。電話一本だ。
日本人は教育が好きで、教授は社会的な地位が高いから、
その方がドクターに下動きやすいかもしれないな」

「大学教授にもモグラはいるのですか」

パームさんは当たり前だろうという顔で答えない.CIAが
「原始的な三大欲望」と呼んでいる「カネ」、「女」、「地位」
がパームさんの口からすらすらと出てきた。
、、、、、、、、、、、、、、、、、。

なかなか、生々しい話である。

さらに、CIA年間予算は、公開されているだけで7兆円規模。
隠し予算がその額の2倍ほどあると思うのは、常識らしい。

その後、西氏はCIAのスパイになるには、
国籍を変えなくてはならないことを迫られ、
我に返り、その話を断ったとのこと。

そういえば、自民党の議員で、民主党が政権をとったときに
選挙で落ちて、いきなり大学教授になっていた女性議員がいたな〜。

それに、明らかに「怪しい」と思える大学教授も
日本には多くいる。

今回のトルコでは、クーデーターに関与したとして、
6000人もの人を逮捕され、さらに増えるようだ。

それだけ、米国のモグラが各国を侵しているのだろうか?

それとも、米国と手切れにするには、これほどのことを
やらなくてはならないのかもしれない。

この西氏の著書は、2003年に出されたのだが、
その後、小選挙区制が浸透し、政治家の力が一段と弱くなった。

小選挙区制というのは、確かに国民の意志で、
国を変える力はあると思うが、政治家の力を弱める
方向に進むと思う。

そうなると、より漬け込まれやすくなったのでは、、、。

あれだけ反対していたTPPに対しての自民党議員たち、、、。

それが、一気に熱が冷めたように、誰も反対を言わなくなって
しまったようだ。

民進党にも、確実にいると感じる。

もし、モグラでない人は、ドンドン、政治的な立場が、
狭められ、ありとあらゆる手段を使われて、
失脚させられる。

今回のトルコの事件で、米国が中東での拠点を
大きく後退させた。

地図を見れば、長くつながるシリアとトルコの国境線、、、。

そして、トルコを拠点として、シリアで戦うイスラム過激派に
多大な援助が行われてきた。

それを失うということは、シリアは安定に進むであろう。

そうなれば、難民問題も、解決の方向に向かうのかもしれない。

一連のシリアでの出来事が、こんな形に終わるとは、、、。

これらのことで、多くの国、多くの人々が
何かを強く気付かされることになるのでは、、、。

posted by hide at 07:38| Comment(0) | TrackBack(0) | 社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年07月11日

どうしても総理にしたい女傑、森ゆう子氏、当選!!

2016年夏の参議院選挙、蓋を開けてみれば、
残念な結果であった。

しかし、もし野党共闘がなかったら、もっと悲惨であったろう。

また、大きく時代を見れば、これも歴史の通過点に過ぎない。

時代は、今、大きく変わろうとしている。

世界を見れば、今となっては、旧勢力である「戦争」、「オイル」、「マネー」を
牛耳っている勢力は確実に後退している。(日本は、以前その
勢力の力が強いようだが、、、)

時代は、変わる、今、大きく変わろうとしている。

そんな中でのこの参議院選挙も、最後のあがきも
所詮は彼らの最終版のあがきにすぎない。

いずれ、何もかもが露出することになるであろう。

今回の選挙も、ガックリするような結果であったが、
しかし、その中でうれしいたことがある。

それは、どうしても総理にしたい女傑、新潟で森ゆう子氏が
当選したこと。

これは、非常にうれしいことであり、日本の未来に向けて、
大きな種をまいたような選挙であったのかもしれない。

生活の党と山ちゃんのチーム、一人減ったが、
もし森ゆう子氏が入ってくれれば、
小沢一郎、山本太郎、森ゆう子、これってものすごく
最強メンバーじゃないかな〜。

まさに、一騎当千のすごいチームだ。

森ゆう子さんが、野党共闘の建前上、
生活の党に入ってくれるかどうかは、分からないが
まず、強く協力し合うことは間違えないように思う。

それと、山形では、反TPPの舟山やすえさんも
当選された。

佐賀では、あの熱い男、中村のてっちゃんが
落選してしまった。

残念でならない。

しかし、彼は必ず復活する。

たとえ、国会議員でなかろうと、自身の大義のため、
必ず復活する。

もしかしたら、いろんな強い大きな力にがんじがらめにされた
国会議員より、一般方が、自由に、大きく社会に
インパクトを与えれるのかもしれない。

てっちゃんがんばれ!

あんたが、人生かけて、政治行動したことを
私は今でもよく覚えてるよう!

その勇気があれば、何だってできるさ〜!
posted by hide at 07:21| Comment(3) | TrackBack(0) | 政治 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする