2017年03月25日

「その悩みは、過去形になる」ラジオ、なぜ生きる2、よかったね〜。

今日も土曜日の朝のラジオ「なぜ生きる2」、
これがなかなか良かった。

「その悩みも過去形になる」

ということ。

私は、もう30年近く日記を書いているが、
私にとって、自分に向き合う唯一の場所だ。

ふと、昔の日記を読み返してみると、
「あ〜、こんなつまらないことで悩んでいたのか」
と、思うことが多い。

多くの悩みというのは、時間が解決してくれるということ。

その時というのは、その問題が過去のものとなり、
客観的に見れるようになる。

では、客観的に見れる訓練をすればどうだろうか?

苦悩に苦しんでいる人の大きな特徴というのは、
極端に視野が狭くなること。

自意識というのが、過剰になり、周りが見えなくなる。

もし、もっと周りに目が行くようになれば、客観的に
自分自身が見ることができるようになる。

そんなこと言うのは、簡単であるが、長年慣れてきた
自分の思考パターンを変えるということなので、
なかなかむつかしい。

しかし、もしそのようにならば、かなり自由を手にすることになる。

「自由」というと、とても魅力的な言葉であるが、
それが物質的な、もしくは時間的なゆとりから自由を感じるわけでも
ないようだ。

むしろ、心の開放こそ、本当の自由を感じることができるように思う。

何から解放するかって、それは思考パターンを変えて、
時が経てば、とても小さなことに思える、常に存在する、
今現在の悩みだ。

たとえば、初めて自転車に乗れた小学校一年生の時、、、。

おじいさんに、後ろから押してもらって、その惰性で自分一人で乗れた。

その時は、まるで背中に翼が生えたように思えた。

高校の時、原付免許を取って、初めてバイクに乗ったとき、、、。

この時も明確に覚えている。

車の免許を取って、車を買って初めてのドライブ、、、。

この時もメチャ楽しかったし、どこへでも行けると、
とても自由というのは、開放感のようなものを感じた。

しかし、どうだろうか?

自転車に載れれば、その自転車でいつまでも満足などできやしない。

いつの間にか、次のモノを求めている。

バイクに乗っているときも、車が欲しい、車が欲しいと
常に思っていた。

車を手にしても、あの時味わった解放感というのは、
一年もすれば消えてしまい、今では次のモノを欲している。

欲には切りがない。

逆に言えば、物質では、飽きてしまい、次々と欲に翻弄され、
満ち足りない自分を常としているのが現実ではなかろうか。

それよりも、見方を変える、捉え方を変える、
それによって本当の自由を手に入るような気がする。

例えば、そこに缶ビールがあるとする。

朝からビールなどを浴びるように飲む人は、
その缶ビールなど、まるで水のように飲んでしまうであろう。

しかし、しっかり体を動かして、風呂に入り、
その後ビールをのめば、はるかに美味しいのでは、、、。

今、ビールが飲めるありがたさ、、、。

病気になれば、飲めなくなる。

震災にあえば、しばらく飲めなくなる。

世界中で、多くの人が貧困に苦しんでいる以上、
冷蔵庫に常にビールが冷やされ、いつでも飲めるという状態というのは、
もしかしたら、とてもありがたいことなのかもしれない。

そのように、視野を広げれば、かなり幸福感が得られるのでは、、、。

不自由だ、不幸だと思ってしまう人よりも、あ〜幸せ、あ〜自由だと
思える人の方が、人は集まってくるし、頭を悩みでパンパンにしていれば
いろんなチャンスを逃してしまうことになる。

モノの見方を変える、心の開放こそ、本当の自由を味わえると思う。

神様は、常にあなたが必要な時に必要なモノを与えてくれる。

そんな風に考えた方のが、心が軽くなるのでは、、、。



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2017年03月24日

「愚直」さ、「素直」さの大切さ、、、。

私の会社の後輩であるM君。

M君は、現在20代で入社して丸四年だ。

かなりどんくさいタイプで、何か言われると
おどおどしてしまういじめられっ子タイプ、、、。

しかし、こんな彼でも、他の人とは違った
素晴らしさを持っている。

それは、「愚直さ」と「素直さ」だ。

焼き物が好きで、高校卒業後、焼き物の産地である愛知県瀬戸市の
窯業の専門校に入る。

その後、うちの会社に入社したのだが、最近、私の友人で
陶芸活動をしているF君に、M君を紹介した。

F君は、山の中の斜面で、自分の手作りの薪を燃料とする昔ながらの
窯を作ってしまうほどの凄腕で、粘土の方も、自らいろんな
工事現場や開発地におもむき、採取して使いこなしている。

つい最近、会社の後輩のM君が、凄腕の陶芸家のF君の仕事場に
手伝いに行き、一日一緒に作業したらしい。

その夜、F君から私のところにメールが来て、その内容は
「今日は、Mくんが手伝いに来てくれました。
いろいろと教えるつもりでいましたが、M君と接していると
その愚直さ、素直さに私が何か教わっているような
気分になりました」
というような返信があった。

どんくさくて、要領が悪く、世渡りのうまくないM君、、、。

しかし、果たして若いうちから、世渡り上手なのが
本当にいいのだろうか。

前の会社の先輩が
「だいたい要領のいい奴というのは、すぐにやめていってしまう。
むしろ、どんくさいやつのが残っていく」
というようなことを言っていた。

ある意味その通りだと思う。

要領が悪く、世渡りがヘタならば、もがき苦しむ。

そのもがき苦しむことって、若いうちには必要なんじゃないかと思う。

特に、M君は、いつも等身大の自分をさらけ出す。

だれでもそうであるが、自分を大きく見せようとするところって
あると思う。

しかし、M君はそういうところがほとんどない。

たとえば、「頭のいいキャラ」を前面に出している人っていると思う。

そういう人って、うかつに自分の疑問を他人に聞けることって、
できるのだろうか?

恥をかいて、何かを思いっきりやってみるということができるのだろうか?

失敗こそ、いろんなことを学ぶチャンスである。

自分を大きく見せようとする気持ちを抑え、好奇心と探求心を
第一に生きてきた人では、モノの理解力が格段差が出てくる。

「プライドを捨てる、プライドもを持つ、両方とも大事なことさ〜」


と、むかしスズキの宣伝でやっていたが、
つまらないプライドが自分を縛り上げ、成長を止めてしまうことって
あるんじゃないかな〜。

そんな意味でも、素直さを前面に、そして愚直なまでに
自分の道を突き進むMくん、、、。

なかなかいない存在であり、見かけより、輝くものがあるような気がしてならない。

どこか多くの人が、忘れ去った大事なモノを持っているような気がする。




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2017年03月18日

占守島の戦い、三ヶ根山の英霊達、、、。その壮絶な日本の歴史を振り返る、、、。


先日の日曜日、愛知県の三ヶ根山に行ってきた。

そこに、戦争で亡くなった方々祀られているということを聞いて、
さっそく行ってみた。


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この慰霊碑、、、。

占守島の戦いって、ご存じだろうか。

太平洋戦争が終結した日といえば、昭和20年(1945)8月15日,,,.

しかし、その二日後にあたる8月17日に、占守島という島で、ソ連と
日本の壮絶なる戦いがあった。

占守島とは、択捉島、色丹島、歯舞群島、国後島の「北方四島」が属する
北千島列島の北東端の島で、終戦の混乱に乗じて、日本の北方の領土、
そして北海道まで奪い取るというスターリンの思惑があったようだ。

ドイツ、朝鮮半島をみれはわかるように、もし北海道までソ連に取られていたら、
日本人民共和国、北日本民主共和国のような国ができ、日本を二分するような
時代が続いた可能性があった。

占守島を守っていた兵隊たちは、8月15日の玉音放送後、「これで故郷に帰れる」
「久しぶりに、家族の顔を見ることが出来る」安堵していた頃、ソ連軍が
占守島に侵攻、、、。

このまま黙って降伏するのか、それとも戦うのか、
大きな選択に迫られた。

上の三ヶ根山に祀られている士魂碑は、その占守島の戦いで大活躍した
戦車第十一連隊は、「十一」を合わせて「士」、通称「士魂部隊」と呼ばれた精鋭部隊で、
「戦車隊の神様」と言われた池田末男大佐が指揮していた。

池田大佐は、自らの部下たちの前で、

「諸氏は今、赤穂浪士となり、恥を忍んでも将来に仇を奉ぜんとするか、
あるいは白虎隊となり、玉砕もって民族の防波堤となり、後世の歴史に
問わんとするか!?赤穂浪士たらんとする者は、一歩前に出よ。
白虎隊たらんとするものは手を挙げよ!」


と、問いかけたところ、

全員が、喚声と共に即座に手を挙げた。

池田大佐は、先頭に立って敵陣に突撃し、戦闘中に敵の戦車砲に
よって戦死なされた。

本来ならば、一日で落ちると思われていた占守島に
かなりの時間を費やし、その間にアメリカ軍が北海道に
入ってしまったので、ソ連軍は北海道まで到達することが
出来なかった。

この激闘で、日本軍の死傷者は700〜800名におよび、
ソ連軍は3000名以上の死傷者を出したとのこと。

ソ連軍の侵攻地における略奪、破壊はすさまじいものがあり、
特に女性に対する陵辱は陰惨を極めた。ベルリンや満州では地獄絵図が
繰り広げられた。この占守島にも、缶詰工場で働く約400人の若い
女子工員がいた。戦闘のさなか、占守島司令部隊は、島にあった独航船
20数隻に女性を乗せることにした。戦闘を終了したソ連兵が血眼に
なって女性を探したが、女性達は無事に北海道に着いた後だった。


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この三ヶ根山の士魂碑の前に立つと、素直に両手を合わせて
「ありがとう、ございます」という気持ちになる。

降伏を決めた8月15日以降に、、占守島、樺太における対ソビエト軍への
戦闘を指揮し占守島の戦いではソ連軍千島侵攻部隊に痛撃を与え、
防衛戦に勝利した樋口季一郎中将。そのため極東国際軍事裁判に際し、
スターリンは当時軍人として札幌に在住していた樋口を「戦犯」に指名した。
世界ユダヤ人会議はいち早くこの動きを察知して、世界中のユダヤ人
コミュニティーを動かし、在欧米のユダヤ人金融家によるロビー活動も始まった。
世界的な規模で樋口救出運動が展開された結果、ダグラス・マッカーサーは
ソ連からの引き渡し要求を拒否、樋口の身柄を保護したとのこと。

では、なぜユダヤ人が、この樋口中将を助けたのか?

http://rekisi.amjt.net/?p=4744

そのあたりのことが、この上の記事に載っている。

オトポール事件


1938年3月、満州国と国境を接したソ連領のオトポールに、ドイツの迫害から
逃れてきたおよそ2万人のユダヤ人難民が、極寒の吹雪の中で立往生し
凍死しようとしていた。
これらのユダヤ人たちは、ソ連政府によってビロビジャンに強制入植させら
れた人たちで、過酷なビロビジャンから逃れ、満州国を経由して上海へ脱出し
ようと考え、オトポールまで逃れてきたのであるが、ドイツに遠慮した満州国が
入国を拒否したため、極寒の中、食糧がつき凍死寸前の難民たちは前へ進む
こともできず、そうかといって退くこともできなかったのである。
当時、満州国のハルビン特務機関長を務めていた樋口季一郎のところに、
ハルビンのユダヤ人協会会長・カウフマン博士が飛んできて、同胞の窮状を訴えた。 
しかし、満州国外務部(外務省)を飛び越えて、独断でユダヤ人を受け入れるのは、
明らかな職務権限逸脱であった。
が、樋口季一郎は自分の判断で、ユダヤ難民全員を受け入れることを認めた。
この、樋口季一郎少将のユダヤ人救出に 「まさに 八紘一宇(はっこういちう)
である」 として許可を出し外務部とドイツを説き伏せたのは、
東條英機 関東軍参謀長(当時)。
ドイツ外務省は日本政府に対し、大量のユダヤ人難民を満州国へ入れたことへの
強硬な抗議を行った。 この抗議は東京から新京の関東軍司令部にすぐ伝えられたが、
東條英機中将(当時)は、「当然なる人道上の配慮によって行ったものだ」として
一蹴したのである。救援のための列車を動かしたのは、当時の満鉄総裁 松岡洋右
(戦後、A級戦犯として公判中に病死) の判断であった。
日本のシンドラーとして有名になった杉原千畝が「生命のビザ」を6,000枚発行する
2年前に、樋口季一郎少将と松岡洋右、東條英機 によってユダヤ難民が救われていた。
この流れがあったからこそ杉原千畝はビザの発行ができたわけです。



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この三ヶ根山には、東京裁判でA級戦犯として処刑された
東條さんら七名の方が祀られている。

彼らは、むしろ、永遠に汚名が引き継がれる世界の極悪人を
引き受けた人たちではななかろうか、、、。

戦争に負けた、、、。

誰かが裁かれなくてはならない。

そんな中でもA級戦犯として、刑場に上がった人々、、、。

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この慰霊碑の前で、深々と頭が下がるのは、私だけなのだろうか、、、。

薩摩の知覧特攻記念館にいった時もそう。


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二十歳前後の若者が、大きな爆弾を抱えて、
沖縄方面に向かう、、、。

確かに、「彼らは洗脳されていたから、
その洗脳をした軍部が悪い」
というような意見をよく耳にするが、
ただそれだけみるには、あまりにも了見が狭いように思う。

歴史とは、[his-story」であり、勝った方のものである。

日本の歴史、地形、風土、文化、思想、気候
あらゆる観点から見て、「強固な共同体」存在し、
そこから生まれる「仲間意識」というのは、かなり強いものが
あったはずだ。

「仲間を信じられるか」どうかで、自分よりも大事に
思える共同体が生まれると、私は思える。

ある戦争の生き残りの人と話した時に、私が
「死ぬのは怖くなかったんですか?」
と、たずねると、

「そんなことを言っておれる場合ではない。
我々の世代で何とかしなくてはならない、という
気持ちが強かった」

と、、、。

そんな思いがこもった郷土であるこの日本、、、。

ただ、日々の欲望を満たすだけの人生でいいのか、、、。

見ざる、聞かざる、言わざるを貫いているだけの
人生でいいのか、、、。

この日本という国、日本という社会は、
多くの先人たちの結晶であり、
その日本を次世代に引き継がせていかなくてはならない。

うちの会社の会長さん、、、。

94歳であり、元陸軍少尉であり、22才で終戦を朝鮮で迎えられた。

会長の同級生の半分が戦死しておられ、
一番被害が大きかった世代である。

会長は、アメリカの悪も、中国の悪もいうが、
それでも最終的には、
「戦争は絶対やってはならない」
と語る。

そして、こないだ安保法案が国会で通過したとき、
いきなり
「わしゃ〜、自民党をやめる!!」
と言って本当に自民党員をやめてしまった。

地元では、自民党支持者の大物である。

この100年の世界の戦争を振り返れば、そのほとんどが
石油などのエネルギー資源の奪い、、、。

なぜ、中東で戦争が止まらないのか、、、。

なぜ、日本があのような無謀な戦争に突入しなければ
ならなかったのか、、、。

昭和天皇は、
「あの戦争は、石油で始まって、石油で終わった」
と、語られている。

ただ、戦争反対を唱えているだけでは、戦争は止まらない。

戦争を極力少なくする方法とは、なんなのか、
よくよく考える必要があるのでは、、、。

日本のために、そして我々のために、多くの人々が
命をかけてくれた現実、、、。

はたして、次の世代のために、われわれは何をするべきなのか、、、。




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2017年03月14日

三ヶ根山に眠る七名のA級戦犯たち、、、。彼らは英霊なのか?世界の極悪人なのか?

 ある人から、三河の三ヶ根山に、東條英機元総理ら七名のA級戦犯の
方々が祀られていると聞き、さっそく見に行ってみた。

東京裁判で絞首刑とされ、その後死刑が実行された後、
心ある方がGHQの命令を振り切って、その遺骨を拾い
上げることに成功した。

そして、現在、愛知県の三ヶ根山に祀られている。


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果たして、彼らは本当に世界の極悪人だったのか?

歴史とは「his-story」と言われるように、勝者のモノ。

どの時代でも、世界のどこでも、勝った方が自分たちの正当性を高めるため、
書き換えられる。

これは、ごくごく当たり前のこと、、、。

本当に日本だけが悪かったのか、、、。

アメリカがだけが本当に正しかったのか、、、。

アフガン・イラク戦争、シリアでの戦争、、、。

目を覆いたくなるようなアメリカの悪事の数々、、、。

アメリカとは、建国以来二百数十年のうち、戦争をしなかった年というのは、
たったの十数年に過ぎない、、、。

イラクに対しても、シリアに対しても、戦争にまで
トコトン追い詰めていく、、、。

それが現実であり、アメリカの東側の数州で始まったアメリカ合衆国が
今では世界唯一の超大国、、、。

それには、数々の世界の覇権を狙った戦争、謀略があったのは、
これはれっきとした事実である。

それに、日本が戦争に突入する直前の状況をよくよく考えてもらいたい。

世界の石油の生産量の大半は、米国産だ。

その石油を止められてしまった。

昭和天皇が
「あの戦争は、石油で始まり、石油で終わった」
と、おっしゃられていた。

エネルギーでも、軍事力でも、圧倒的な力を持つ米国に対して、
「窮鼠猫を噛む」というような状態で、ドンドン追い詰められ、
最終的には、真珠湾へと向かうことになってしまった。

長崎、広島への原爆投下、、、。

東京大空襲などは、四方を炎の壁で囲い、人々が逃げれないうえで、
その中を徹底的に焼き尽くす。

あれが戦争犯罪でなくて、何をもって戦争犯罪というのだろうか。

私は、過去のことでアメリカを憎めと言っているのではない。

世の中には、非常に不合理なこともあるし、
過酷な運命を受け入れないけない人も多くいる。

東條さんを始め、A級戦犯の方々というのは、
むしろ、誰かが敗者としての罪を背負わなくてはならない中で、
絞首台で命を落とした人だということ。

実際に、東條さんは東京裁判でたった一人で、
よく戦われた。

歴史とは「his-story」、勝者によって作られる。

そんな中で、負けた方の総大将として、
世界の極悪人として、東京裁判でさらされながら、
刑死される。

一人の人間として、これほど過酷な人生も、
そうはないのでは、、、。

開戦当時は、東條さん、東條さんとして英雄視していた国民が、
戦争敗れれば、極悪人として蔑む。

そして、未来永劫、極悪人として世界にその名が引き継がれていく。

残された家族はどうなのか、、、。

天皇、国民、そして共に戦った部下達、、、。

そして日本の未来は、、、
と思うと、生き続けるということは、東條さんにとって
耐え切れない思いではなかろうか。

処刑される前にこんなことを語っていたらしい
「死ぬにはいい時期です。終身刑にでもなったら
永遠に煩悩に付きまとわれ、たまったものではない」

と、、、。

またこんなことも
「昨日宣告のとき、心が朗らかになりました。
『大無量寿経』の中の、法蔵菩薩が決定して無上正覚をいるといわれる、
あのような気持ちになりました。
日本の土地に同化して行けることは、非常にありがたいことです」

と、、、、。

そして、東條さんの奥さんへの歌
「明日よりは誰にはばかるところなく
    阿弥陀のみもとでのびのびと寝む」

と、、、、。

そしてA級戦犯として判決を待つ元側近に対して
こうも語ったとされる
「戦争の責任は僕一人で背負いたかったが、多くの人々に
迷惑をかけて相済まぬ。君もどんな判決を受けるか知らないけれども、
敵に罰せられると思えば腹もたつだろが、陛下や国民から罰をいただく
と思って、甘んじてもらいたい。敗戦により、国家と国民とが蒙った打撃と
犠牲を思えば、僕が絞首台に上がるごときは、むしろもったいない。
 僕はただ絞首の辱めを受けるだけでなく、永遠に歴史の上に罵りの
鞭を受けなればならないからです」

と、、、。

そして
「トウジョウ・。ヒデキ、デス・バイ・ハンギング(絞首刑)」
を、言い渡されたときに
東條さんは「そうか、よしよし」とでも言いたげに軽くうなずいた。

東條さんは
「自殺でもしたら意味がない。絞首刑で死ぬことこそ意味がある。
それが日本の再建の礎石隣、平和の捨石となりえる」

考えていたようだ。


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私は、東條さんは東京裁判では立派に戦った唯一の日本人だと思う。

ご立派だったと感じる。

多くの人々の犠牲のもと、今の日本という国が存在し、
我々が豊かな生活で暮らしている。

あのような悲惨な戦争に、二度と巻き込まれないためにも、
自前のエネルギー資源がどうしても不可欠だ。

自前のエネルギー資源、そして石油が確実にそう遠くない将来に
枯渇する現実を考えれば、どうしても再生可能エネルギーで
自給できる国家、見本のような存在が必要である。

それが、日本以外、どこの国ができるというのだろうか、、、。






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2017年03月05日

遺伝子組み換え食品が生物兵器となる可能性、、、。

https://jp.sputniknews.com/opinion/201703053399812/

「遺伝子組み換え食品:普通の食べ物、それとも生物兵器?」

遺伝子組み換えについて、私もその害、もしくは
害になる可能性について、ほとんど知らなかったが、
上の記事によると、こんな使われる可能性もあるという。

その部分を一部紹介したい。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
病気を作り出す有機体を故意に拡散させる様々な手段は、
生物学兵器として受け止められている。しかし普通の人達にとって、
最も恐ろしいことは、日常口にする普通の食べ物や、あるいは
飲む水を通して、人々の間に病気が蔓延するという事だ。
そうしたリスクは、一体どれほどのものなのだろうか? 
その点では、遺伝子組み換え食品は、どんな役割を果たすのだろうか? 
そうした食品が全く有害なのか、あるいは人間にメリットがあるのか、
今も分かっていない。
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ツィヂェンダムバエフ氏
:遺伝子組み換え食品は、完全に、そうした兵器になり得る。なんらか
の病原性細菌の遺伝子を、植物ゲノムに組み込むチャンスは常にある。
例えば、コレラや、あるいは炭疽菌のようなものだ。そうした植物の
種から得られる食物は、その後、バイオテロ攻撃実施のための手段として
用いることが可能だ。毎日の生活の日常のレベルで、それは、少なくとも
アレルギーを、ひどい場合にはガンを誘発させる。しかし、そうした食物を
とることで第一に影響が出るのは、生殖機能においてである。血液の成分が
変化し、肝臓、腎臓、副腎に害を与える可能性がある。そして一度に数千の
遺伝子の働きが変わる。
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確かに、恐ろしいことだ。

コレラや炭素菌のようなモノを植物のゲノムに組み込むことができるという。

それを日常的に食べる遺伝子組み換え食品に組み込みこまれたら、、、。

そういうことが、技術的に可能だという。

さらに、次のようなことも述べている。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
ツィヂェンダムバエフ氏:
 まず第一に、これは、遺伝子が組み替えられた種を作っている
巨大多国籍企業によるビジネスだからだ。遺伝子組み換えを利用する
根拠とされたのは、それによって飢餓状態にある人達を救う助けに
なるという事だった。それ以外に、定着しつつある遺伝子組み換え
植物の70%は、除草剤に対する耐性遺伝子を含んでいる。それゆえ
企業は、種ばかりでなく、それらが耐性を持っている除草剤も売る
ことができる。そうすることで、巨大多国籍企業の利益は、
2倍に膨らむのだ!
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


巨大な多国籍企業が、果たして人々の命と健康を優先するのか?
それとも自身の利益を優先するのか?

果たして、彼らの根本にある一神教的な価値観とは、、、。

う〜ん、なんだか深く考えさせられるのは、私だけだろうか??


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2017年03月02日

入社20周年に思うこと。

昨日で、今の会社に勤めて勤続20年となる。

会社の入り口に、いつものように足を踏み入れる瞬間、
20年前はどんな気分だったのだろうか、とふと思った。

不安もあったが、それ以上に、かなり気負っていたような気がする。

振り返れば、人一倍、いろんな体験をさせてもらい、
自分で言うのも何だが、人一倍よく学んできたと思う。

それまでは、ホテルマンから、まったく畑違いのセラミックスの会社への入社。

それも、うちの社長の講演を聞いて、押しかけてきた
薄紫色のスーツを着た元ホテルマンの青年、、、。

会社もよく私のようなどこの馬の骨かわからないような男を、
いれてくれたものだと、大変ありがたく思う。

私にとっては人生の大転換であり、飛び込み入社、そして一年後に結婚と
それらの理由から、かなり私を気負わせた。

とにかく、いろんなことを体験しよう、いろんなことを学ぼうという
気持ちが強かった。

入社以来、ひたすら突っ走ってきたが、まったく畑違いの仕事なので、
自分の知識不足を痛感する。

仕事にのめり込めばのめり込むほど、科学的な知識が
喉から手が出るようにほしくなる。

そして、入社三年目から、放送大学に入り、そこで科学を徹底的に
学ぶことにした。

もちろん、仕事をしながらなので、かなりハードであったが、
何とか5年で卒業することができた。

会社としても、突然、飛び込んで入ってきたと思ったら、
大学にも行き始め、かなり生意気なこといい、協調性のない若者に、
かなり手を焼いていただろうと思う。

また、いろんな体験から、周りの人から、とても多くのことを学んだ。

特に、今93歳になられるうちの会長さん、、、。

かなり個性的な人であるが、その生きざまというモノも、
すごい味を感じる。

いろんなことを学び、いろんなことを体験し、20年がたった。

あと数カ月で50歳になるが、いい感じで50を迎えれるのではないかと思う。

まだまだ気力もあり、体力もあり、それなりの知識、知恵も身についてきた。

ある人が言っていたが、
「よく学び、よく体験すること、それらが自身の血となり骨となる」
と、、、。」

日々、その場その場で逃げるのか、立ち向かうのか、
その積み重ねで、大きく人生変わってくると思う。

立ち向かうということは、自身を追い込むことであり、
それだけ身につくことも多いように思う。

その自身で身につけたモノをどう使うか、

それは世間様に還元すること。

私がここまでこれたのも、いろんな人からいろんなことを教わってきたからだ。

だから、次の世代になるべく伝えるていきたい。

知識なんて、一人で抱えていては腐ってしまう。

それより、いいと思ったことは、周りに惜しみなく伝える、
それは知識でも知恵でもそうだ。

知識や知恵なんて、一人だけのものではない。

例えば、目の前に納豆があるとする。

この納豆を最初に食べた人は、ものすごい勇気だと思う。

多分、ありとやらゆる、このような見た目に、腐っているようなものに
いろんな人が食べれるかどうかと、トライしてきたのであろう。

そんな人類の歴史の中で、それを食べて亡くなった人もたくさんいるはずだ。

そんな中で、「納豆が食べれる」ということが、
人類の共通する知識の中で、固定されていく。

つまり、それは我々人類のの財産である。

そんな多くの犠牲や、多くの血のにじむような努力によって、
培われた知識や知恵を土台にして、今の私は生きている。

そう思えば、今自分が、習ったこと、次の時代に伝えていかなくては
いけない。

一番、働き盛りの50代に間もなく突入する。

どのように生きるのか?

どのように、より自由に幸せに生きれるのだろうか?

それよりも、自我を溶かし、自分を溶かす、
そんな生き方の方が、しあわせになれるのではなかろうか。

自分の身を溶かし、一歩踏み込んで、周りに尽くす。

それには、かなりの忍耐が必要であり、
自身の煩悩との戦いになる。

簡単なことではない。

しかし、それを積み重ねることにより、
より強い信頼関係ができるのではなかろうか。

これからは、明らかに共生の時代となる。

今までの価値観では、何もかもが上手くいかなくなってくるであろう。

地縁、血縁、社縁が崩壊し、無縁社会に突き進む中、
時代とは逆行するであろうが、周りに尽くし、
周りとの信頼関係を築くことがどれほど大事なことか。

欲望と恐怖は紙一重、、、。

本当の自身を縛るものとは、何んなのか?

すべてがつながっている。


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2017年02月26日

日本とは、日本人とは、、、。この共同体は「先人」、「英霊」の方々とも強くつながっている、、、。

 今週も、香里奈が出ているドラマ「嫌われる勇気」が
やっていたので、録画を見た。

アドラーの心理学の中で、
「嫌われる勇気」と「共同体意識」って、実は人生において、大事なことだと思う。

しかし、パッと聞いて、この両者って、矛盾しないだろうか?

実際に、ドラマの中で香里奈が演じる女刑事は、
まったく協調性がなく、とげとげしいような人物であろう。

その女刑事に、「共同体意識」と言っても、だれもが
信じないであろう。

「嫌われる勇気」というモノに、重点をおくのなら、
ただ自分勝手にやっていれば、ただのわがままな人であり、
結局は誰も相手にされなくなる。

それよりも、「公共心」を持て、ということではなかろうか。

「共同体意識」とは、私なりに解釈すれば、イコール「公共心」
ということになると思う。

人間って、どんなときに自分の存在感、もしくは
自身の人生の意義を感じるだろうか?

例えば、ドラマの中で、学校を卒業してから、
42年間警察官として働いた男性が、警察署に立てこもり、
事件を起こした。

彼の主張は、42年間警察に奉仕してきたが、
退職してみたら、まったく感謝されることもなく、
久しぶりに行ってみても、自分がいなくて、さぞ困っていると
思いきや、自分の仕事場も、大きく変えられているし、
久しぶりに合った元同僚達も、忙しくてあまり相手にされなかった。

それに、現役時代は毎年300枚ほど、年賀状が来ていたのに、
やめたらたったの7枚だけ、、、。

自分は、警察官としてしか、存在価値がないんだ、
自分の存在するスペースは警察しかないんだ、というような
そんな感覚に陥り、なんだか無性に自身の存在理由が
分からなくなり、事件を起こしてしまったとのこと。

自分の存在理由、、、。

確かに、自分の存在理由が一番分かりやすく感じれるときというのは、
誰かのために役に立っているときではなかろうか。

実は、何か自分よりも大事に思えるもののために
一生懸命になっているときというのは、自身の煩悩も
かなり薄まるような気がする。

例えば、独身時代、あれだけ着飾っていた若いお母さん。

子どもが出来れば、子どものことで一生懸命になり、
自身のことなど忘れがち、、、。

悩み、怒り、恐怖など、煩悩に心が占領されたときとの
大きな特徴としては、まったく周りが見えなくなり、
極端な自意識過剰となる。

つまり、自意識が自分に集中してしまう。

その逆で、自分のことはそっちのけで、他のことに
意識が集中していると、視野が広くなり、
心が穏やかになる。

人に役に立つ、人にあてにされる、もしくは自分よりも
大事なモノ、その「他者」というモノを、何処におくのか?

それともう一つ大事なことは、例えば他者のために何かを
やっても、「なんか、なんも感謝されへんし、馬鹿馬鹿しい」
と、感じることも事実である。

ドラマの中では、見返りを求めないというが、
それも人間である以上、なかなか難しいのではなかろうか。

また、「共同体意識」、、、とは言うが、その共同体に
どれほどシンパシーを感じることができるのか?

それは、イコール何処まで「仲間意識」をもてるのか?
ということにつながってくる。

常に仲間が、各々自分のことしか考えずに、わがままな主張ばっかり
されていたのでは、「もう勝手にしろ」ということになる。

実際に自分から共同体意識を持とうと思って、
ひたすら頑張っても、ぶち当たるのは、
仲間の理不尽な態度、自分勝手な主張、何も見えてない理解力のなさ
などなど、いやになることばかりになる。



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これは、鹿児島の開聞岳山頂から、南の海を撮った写真である。

この開聞岳のふもとに、特攻隊の知覧基地があった。


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そして、その特攻隊の人たちが、南の沖縄方面に旅立つときに、
この開聞岳を富士山に見立てて、翼をふって、
日本に対して、別れの挨拶をしたとのこと。

その跡地には、「知覧特攻平和会館」があり、数多くの特攻で
なくれた方々の遺書がある。

その人たちは、たかだか二十歳前後で書かれた遺書の数々、、、。

それを読むと、正直な話、自分が恥ずかしくなる思いだ。

死が目の前にあり、自分の死、そして自身の限られた命、
何のために死ぬのかという自分の自我に対して、
トコトン向き合った人たちの文章のように思う。

確かに、「彼らは洗脳されていたから、
その洗脳をした軍部が悪い」
というような意見をよく耳にするが、
ただそれだけみるには、あまりにも了見が狭いように思う。

歴史とは、[his-story」であり、勝った方のものである。

日本の歴史、地形、風土、文化、思想、気候
あらゆる観点から見て、「強固な共同体」存在し、
そこから生まれる「仲間意識」というのは、かなり強いものが
あったはずだ。

「仲間を信じられるか」どうかで、自分よりも大事に
思える共同体が生まれると、私は思える。

山口県のあの人間魚雷回天の記念館に行ったとき、
戦争で生き残った人の話を聞く機会が合った。

そんな時、必ず私がする質問というのは
「死ぬのが怖くなかったんですか?」
と聞く。

その時、その記念館の老人は
「自分が生きる死ぬというようなことを言っている場合ではなかった。
多くの兵隊達は、若い自分の世代で何とかしなくては
という気持ちが強かった」
と、、、。

一昔前の、例えば地域の農業用水、土地改良、それに
成功した会社や組織の雰囲気をみれば、何が彼らの
心の支えになったのか?

ただ、自分のよくだけでは、もっと大きな格差を生み、
犯罪や衛生などなど、劣悪な社会になっていたはずだ。

海外に住んだ経験のある人が、真っ先に感じることは、
自分が日本人であるということ、、、。

そして、日本のすばらしさを実感するのではないだろうか、、、。

それは、きれいさ、礼儀正さ、勤勉さ、協調性、犯罪のなさ
などなど、明らかにすぐれているところが一杯ある。

日本に2年ほど滞在したことのあるニュージーランド人の友人が
言っていたが、「多くの日本人は自分の国のすばらしさ知らなさ過ぎる」
というようなことをいっていた。

私が知り合ったニュージーランド人、台湾人、マレーシア人、
シンガポール人、オーストラリア人、韓国人、中国人などなど、
日本人のよくよく知っていた。

日本って、とても特異ではあるがすばらしい国だ。

それには、外国ではまれば、
仲間意識を持てる日本という共同体が長いことかけて、
出来上がってきたからだと思う。

そして、そんな日本で培ってきた仲間意識、
それをささせる思想、宗教、自然との接し方、物をトコトン大事にする考え方
などなどこれから世界で非常に重要になってくる。

むしろ、あの戦争で負けたことさえ、
これもこれからの世界貢献にもつながる大きな意味を
持つような気がしてならない。

特攻隊の英霊をどのように見るのか?

ただの「洗脳された犬死」扱いでは、
あまりにももったいない。

見返りを期待せず、ただひたすら自身の考えを持って
共同体に貢献していくというのは、非常に難しいことだ。

どうしても、現代社会の中では、
理不尽な要求、わがまま、思慮の狭さ、などなど
人間のいやなことに接しなければ、ならなくなる。

そんな時に、「勝手にしろ」という気持ちを乗り越えて、
共同体意識を持ち続けるというのは、非常に難しい
ことであるが、しかし、この日本を造ってくれた人、
多くの先人、英霊の方々は、それは強い奉仕の心が
あったと、歴史を見れば分かる。

共同体意識、仲間意識の対象とは、ただ現在生きている人たちだけでは
ないように思う。

我々は、英霊、先人の方々から、この日本を引き継いだ。

そして、次の世代に引き継がれていく。

例えば、原発の問題でも、その原発の一番恩恵を受けているのは、
我々の世代であり、その後の核のゴミというのは、
次の世代、またその次の世代と、とてつもなく長い時間、
引き継がれていくことになる。

ある人が言っていたが、
「我々は未来の子供たちにこの土地を借りて生きている」
と、、、。

深い言葉だね〜。



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2017年02月19日

世の中をどのように見るのか?自身のモノサシ(主観)が変われば、人生、大きく変わる、、、。

先日、ダウンタウンの浜ちゃんが司会をしている
俳句のテレビを見ていた。

その俳句の題材は、河原の土手につくしが生え、
そのバック雄大な富士山がそびえたつ。

そんな中で、うちの嫁が、即興でこんな俳句を作ったが、
なかなかいいできばえだ。。

寝ころべば 富士とつくしの 背くらべ

ちょっとびっくしたが、うちの嫁にそんな才能があるとは、、、。

私は、けっこう写真を撮るのが好きだ。


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この写真は、海側から名古屋の街を手前に、御岳山にピントを
合わして撮ると、御岳山が実際よりも大きく写せる。

名古屋のような巨大な都市も、このような御岳山のような山々に
水源を依存している。

そういう意味でも、このような山々はとても偉大であり、
それを表現するうえでも、いい写真が撮れたと思う。

つくしと富士山の写真でも、寝ころんで、視点を下げてみれば、
富士山とつくしの高さが同じくらいに見える。

何が言いたいのかというと、人間って、ピントを変えてみれば、
世の中がまったく違って見えてくる。

例えば、背が低いことにコンプレックスを感じている人がいるとする。

こんな感じに見れば、まったく違って見えるではなかろうか。

逆に、世の中を見るうえで、公平に客観的に見ることができず、
いつも自分に都合よく世の中を捻じ曲げてみる人もいる。

結局、人間というのは、自分のモノサシ(主観)により、
まったく違って見えてくるし、そのことにより、大きく人生が
変わってくる。

他の人と比べて、自分が劣っているとか、不幸だとか思っている人でも、
果たして本当にそうなのか?

体の不自由な人に比べれば、手が動く、足が動く、目が見える、耳が聞こえる、
ウンチが出る、シッコでる、これらのことって本当ならば、
ものすごくありがたいことではなかろうか。

今は、スーパーに行けば、食べ物にあふれている。

外食産業もかなり普及し、飽食の時代だ。

これって、昔からそうだったの?

世界的に、どこでもそうなの?

と思えば、これがどれほどありがたいことか。

幸せを感じることができるというのも、その人の人間力だと思う。

人間だれでも、コンプレックスがあり、煩悩に苦しめられている。

しかし、なるべくそれらを薄め、なるべく心をフリーにできる人と、
そうでない人では大きく出せる力が変わってくるように思う。

また、自分のことを中心にしすぎれば、周りが見えず、
自身の成長は鈍くなる。

自分の見方を変える、モノサシ(主観)を変える、
これにより大きく人生変わる。

簡単なようで、そんなことなかなかできるものでもない。

一番大事なことは、日々いろんな経験すること、
日々よく学ぶこと、それしか方法がないし、そのような気持ちで
10年もやれば、かなり変わってくるような気がする。

神様は、常に必要なモノをあなたに与え続けている。

「神」という概念も、上手に自分の中で使い切れば、
より考え方がすっきりするのでは、、、。


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2017年02月08日

石油文明の終焉とその後の世界とは、、、。

福島第一原発2号機の格納容器内で530シーベルトの線量を
計測されたとのこと。ヒトは7シーベルトを浴びると即死とされているが、
果たしてこれをどのように取り出すのか。

費用の方も、今後どれほどかかるのか?

この現実からしても、地震、津波、噴火、台風、洪水などなど
天災大国日本で、原発が行えるのか。

地図をよくよく見ていただきたい。

40年を超える原発が立ち並ぶ日本一の「原発銀座」と呼ばれる若狭湾、、、。

その若狭湾から、若狭、琵琶湖、関ヶ原、この濃尾平野と[伊吹おろし]という
強風にさらされている。

日本列島は、その中央部に背骨のような高い山脈が連なっているが、
一カ所だけそれが途切れているところがある。

それがこのラインである。

そして、冷たい大陸からの寒気団が、暖かい太平洋側へ
と、強風となって、通り抜けていく。

若狭湾と琵琶湖間の距離をじっくりと見ていただきたい。

数十キロメートルである。

高い山もなく、強風が原発のある若狭より、琵琶湖に強く吹き付けている。

もし、その山の南斜面に雨が降れば、琵琶湖に流れる構図だ。


ということは、水源から見れば、数十キロメートルの原発銀座と琵琶湖の距離も、
そう考えると約半分となる。

盆地状の琵琶湖の水源とは、周りの山々であり、その周辺の山々に降り注いだ
放射性物質が琵琶湖に集まることになる。

そして、その琵琶湖とは、京阪神1450万人の大事な大事な水源である。

今後のエネルギーをどうするのか?

歴史を見れば、エネルギーが変われば、社会も思想も共同体も
文明そのものが、大きく変わる。

今の人類の繁栄というのは、石油文明と言える。

石油ももとをただせば、太陽光エネルギーであり、何億年とかけて、
藻類の光合成により溜め込んだ
太陽光エネルギーを、今、一気に使い切ろうとしている。

石油という缶詰をあけたことにより、莫大なエネルギーを得た。

しかし、それは近い将来、必ず使い切ってしまう。

今は、人類にとって、バブルだという。

莫大なエネルギーを得たことにより、ありとあらゆる資源を
掘り起こし、ほとんどの資源が枯渇が近づいている。

莫大なエネルギーのために、人間の活動がドンドンと活発になり、
「自由」という概念が強調される思想が強くなった。

アメリカの建国の理念
「人間は、神から幸福を追求する権利を与えられている」
とされ、そのアメリカで石油が見つかり、一気に石油文明が
広がっていく。

しかし、どう考えても、今、このような文明は保てない。

温暖化、異常気象、それに確実に化石燃料は枯渇する。

何億年前の太陽光ではなく、今の太陽エネルギーをどう集めるか使うのか?

地球上に降り注ぐ、莫大なエネルギーであるが、薄く広く分布する
太陽光エネルギーを、どのように集中させるか?

明治の頃、あの電話を発明したアメリカのグラハム・ベルが
「日本は豊かなエネルギーを保有している」
と、語ったらしい。

実は、彼は地質学者であり、一流の科学雑誌である「ナショナルジオグラフィック」の
編集責任者だった。この雑誌は、現在でも、地質学、地理学および
環境分野の第一級の専門誌である。当時、彼は地理学に関して
世界的にも有数な権威だった。

それは、雨が多いこと、そしてその雨が国土の70%の山岳地帯に降り注げば、
それは位置エネルギーを得たことになる。

水力というのも、元をただせば太陽エネルギーである。

太陽光により海水などが温められ、それが水蒸気となり雨が降る。

その水蒸気が雨となり、山々に降り注ぎ、湧き水となり、無数の渓流から谷に存在する川に
集められてくる。

その川の上流である谷にダムを造って、水を貯めればということは、
大量の位置エネルギーを得たことになる。

三十年ほど前、御岳山に登ったときに、その山頂付近に、
コカ・コーラの自動販売機があった。

そのコーラをどのように運ぶのかというと、男の人が背中に背負って、
運んでいたのを見たことがある。

重たい自動販売機の飲料水を山の頂上に運ぶというのは、大変な労力である。

もし、その仕事をヘリコプターなどで行っても、
大変なエネルギーを使うことになる。

水を下から上にあげるというのは、重力に逆らうことになり、
大変なエネルギーを使うが、逆に上から下に流れていくには、
エネルギーを得ることができる。

その大量の水を山の上にあげるということを、、日本を取り巻く水の自然環境が毎年、
毎年当たり前のようにやってくれている。

山に積もった雪もそうである。

まさに、ダムに溜められた水というのは、石油と同じである。

その水力が、まったく有効に使われてないという。


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元国土交通官僚、元国土交通省河川局長でダムの専門家である竹村公太郎氏の
著書、「水力発電が日本を救う・今あるダムで年間2兆円超の電力を増やせる」
という本であるが、一気に読み切った。

竹村氏は、ダムの専門家であり、水力発電のスペシャリスト、自身もダムを
3つもつくってきた人が、いったい何を語るのか、非常に興味深く読んでいるが、
今あるダムというのは、法律に縛られ、まだまだその能力からして、
半分も使われていないという。

さらに少し手をくわえるだけで、さらに多くの電力が得ることができるという。

竹村氏自身も、もう新しいダムができる時代ではないという。

財政的にも、もし新しいダムをつくろうとすれば、莫大なお金がかかる。

しかし、そのかかるお金の大部分が、立ち退く人たちの保証や
周辺の道路などであり、実際の建設費用というのは、全体のほんの一部だという。

例えば、武村氏は、現在あるダムの嵩上げを提案している。

その嵩上げの方法も本の中にかかれてあるが、たかが10%嵩上げしただけで、
水力発電により、倍の電力を得ることができるという。

水力発電の原理として、その溜められている水の量、落差がとても関係してくる。

ダムというのは、山と山の谷間をせき止めて造られたもの。

ということは、底へいけばいくほど、狭くなり、溜めてある水量が少なくなる。

上部の嵩上げというのは、はるかに効率的に水量を増やすことができる。

落差も稼げるし、水量が増えれば発電効率が向上する。

それを、新たなダムを作ると莫大なお金がいるが、
今あるダムを嵩上げすれば、ダムをもう一つ造ったくらいの効果があるという。

そう考えると、今のダムは高度経済成長期に、急増する水需要にともない
次々に建設された。

いわば、既存のダムというのは、高度成長期の「遺産」とも言える。

その先人たちが残してくれた大事な大事な遺産を、もっともっと有効に使える方法が
あると水力発電の専門家が語っている。

また、大部分の国というのは、大きな川によってつながり、そのような
ダムを建設したり、水力発電をよろうと思うと、国境を越えて、
国と国との抗争になりかねないし、現在も水利権等の問題で
いくつも国が終わることがない争いの最中だ。

戦後、水力中心だったのが、60年代より中東より、
安い石油が入り始めた。その後、原子力へとつながっていくが、
その大きな流れの中で、水力発電が埋没していったように思う。

水力は、まだまだ掘り起こせる余地が十分ありそうだ。

「人類のバブル」ともいえる石油文明の中で、人間の活動がどんどんと活発になる
膨張社会の中で、自由、人権というような価値観が強調されてきた。

しかし、これからは明らかに限られた資源の中で、
生き方を見いだしていかなくてはならない。

そんな中で、どのような生きがい見つけていくのか?
どのような、価値観を見出していくか?

限りない我欲を追求していっても、満足感が得られないのは、
なんとなく多くの人にわかってきているのではなかろうか?

それよりも、自分を忘れること、自我を薄めること、
その方が、自身の煩悩を薄めることにつながるような気がする。

その自分を忘れるには、どうしたらよいのか?

それは、周りのために生きること。

自分より大事なモノがあれば、自分を忘れることができる。

ほんの一昔前の日本人は、とても公共心が強かったように思う。

もしかしたら、自分自分という生き方よりも、
社会のためとか、家族のために生きた方のが、心がすっきりするのでは
なかろうか。

石油文明は、必ず終わる。

そして、自然エネルギーを中心にした共生社会に変わるしかないほど、
人類は追い込まれている。

その共生社会にどうしても必要なのは、信用の構築である。

ある仏教の教え、
地獄でも極楽での、大きな釜でうどんをゆでている。

そのうどんを1メートル箸で食べなければならない。

極楽では、互いに助け合い、互いの口にうどんを運んで、
みんな満腹になれる。

しかし、地獄では、先にと競って食べようとするので、
結局、だれもうどんを食べることができず、みんな餓死してしまう。

この違いは何なのか、その共同体に、互いに信用があるのか、ないのかでは
なかろうか。

信用がなければ、各々が猜疑心のかたまりとなり、
地獄のうどんのようになってしまう。

一歩、周りのためにアクションを起こしてみては、、、。

それが一人一人ができる小さな一歩であるが、
必ずそういう時代が来る。

なぜそのようになったのか?

ある人の言葉であるが
「我々は、未来の子どもたちに土地を借りて生きている」
と、、、。
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2017年01月29日

幕末ラスト10年、長州の大躍進!もしかしたら「石炭」というカードが大きく作用したのでは、、、。

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この水力発電が日本を救う 今あるダムで年間2兆円超の電力を増やせる 
   元クコ度交通省河川局長 竹村公太郎

の中に、歌川広重の「東海道五十三次」の日坂宿(現在の静岡県掛川市)と
二川宿(現在の愛知県豊川市)の絵である。(P.109)

背後の背景に、木がポツンポツンとしか描かれていない。

さらに、江戸時代の当時天領であった天竜川流域の木材伐採量の表があった。

広重ほどの絵描きが、あからさまに手抜きをしたとも思えないし、
しっかりと管理された天領である天竜川流域でも、木を伐採しつくし、
江戸時代後期からは、著しくその伐採量が減少している。

江戸末期には、かなり森林が消滅していた。

黒船が来たとか、尊王攘夷とか、明治維新について、
色々な解釈があるが、エネルギー面から言っても、行き詰って
いたことが分かる。

話しは、変わるが、私の義両親は現在、山口県宇部市の昔ながらの
山陽道の宿場街に住んでいる。

そこの風景を見ると、いつも不思議に思うのは、古い家など
外壁がレンガで出来ている。

レンガなんて当時は、かなり高級品だっただろうに、
なぜ、一般庶民がこのようなレンガを使えたのだろうか。

それは、ここら一帯が、昔石炭の産地であり、
燃料があるのでそのようにレンガを使えたのではないかと、
推測していいた。

山口と言えば、長州、、、。

なぜあの幕末にあのように大暴れできたのか、
いろんな説がある。

関が原で破れて、その260年間の恨みが爆発したとか、
吉田松陰の革命思想が開花したとか、いろんな説があるが、
エネルギーの面から見ると、非常に面白い。

これから話すことは、あくまでも私の妄想である。

黒船が来た。

その黒船は、石炭で動く。

さらに、その後、外国との交易が盛んになり、国内でも蒸気船を
持つ藩が増えてくる。

さらに反射炉など、複数の藩で実験や稼動し始めている。

ということは、さらに石炭の需要は上がる。

これは、あくまでも幕末、江戸時代の最末期の10年ほどに
限っての話しである。

開港など、外国との交渉がその時代活発に行われてた。

外交交渉の延長線上には、戦争がある。

軍事力が外交交渉の一番の決め手になるであろう。

そんな時に、外国から来た軍艦の兵站線とは、いったいどうなるのか?

たとえ、軍艦が物資や石炭を積んだ貨物船を遠くから運んできたとしても
それを狙われれば、一発でやられてしまう。

馬関戦争のとき、関門海峡で長州藩がコテンパンにやられた。

しかし、その後、上陸した外国部隊が陸上で果たして勝てたのだろうか?

当時、九州などの大名が行き来した天下の公道「山陽道」を見たことがあるが、
今でいう片側一車線ほどの幅で、舗装もしてない土の道であり、雨になれば
ぬかるむであろう。

その両脇には、ぬかるんだ田んぼが拡がり、ところどころに川で切断されている。

当時の川とは、帆掛け船が通るため、橋がかけられていないところが多く、
工兵を引き連れないと、陸戦は難しい。

薩英戦争でもそうだが、確かに鹿児島の街は打撃が大きかった。

その後、陸戦になり、ゲリラ戦ともなれば、起伏の激しい日本の大地では
外国勢力に勝ち目はないように思う。

それも、戦う側の士気次第になるが、薩摩も長州も士気の上では、
清のアヘン戦争とは、まったく違っていたであろう。、、。

しかし、老獪なイギリスは、そんな時、必ず内乱を引き起こす為に、
反対勢力に加担する。

なんであそこまでやられたとされる馬関戦争、薩英戦争で、
領土もとられることもなく、ことが収まったのか?

イギリスは、幕府に立ち向かう内部の勢力が欲しかった。

ここまでは、多くの歴史学者がかたられることであろうが、
さらに言うならば、長州の「石炭」、これが大きかったのでは
なかろうか。

私がその石炭のことを語るのは、明治維新後ではなく、
活発に外国との争い・交渉が行われた最幕末のラスト10年間ほどの
時期の話である。

北海道や九州などで、日本で本格的に、石炭鉱山が開かれるのは、
維新後であり、その当時石炭を掘っていたのは、限られてくると思う。

イギリスにしてみれば、石炭を当時持っていた藩がいたとしても、その藩が幕府寄りならば、
いざ国交が断絶したときに、石炭の供給が途絶えることにもなる。

もし水戸藩が石炭を持っていたとしても、
あまりにも幕府に近く、すぐに見つかってしまうであろうし、
近畿、東海、北陸、関東、東北では無理であろう。

そうなると、やはり限られてくる。

長州藩では、塩を作る燃料として、細々と江戸の中期から
石炭が掘られていたとのこと。

うちの義理のオヤジなどは、石炭で風呂をたき、飯も炊き、
比較的この地方では、昔から石炭が日常的に使われていたようだ。

イギリスにとって、もし長州藩を味方につけるということは、
石炭の補給基地にもなる。

そうなると、幕府との長期戦もできるようになり、「石炭」という
カードが開港などの交渉の過程で、大きなカードになるのでは、、、。

なんで絶対絶命の長州に対して、薩摩が同盟を結んだのか?

薩摩も当時、蒸気船を持っていた。

では、その石炭をどうしたのか?

黒船が来て以来、江戸最末期、かなり石炭の需要が高まったはずだ。

その時に、その「石炭」は各藩どうしていたのだろうか?

日本に来ていたイギリスなどの外国勢力は、いったいどうしていたのか?

その辺りを調べると、もしかしたら、新しい歴史の見方ができるかもしれない。

これは、あくまでも私の妄想であり、最幕末のラスト10年に限定した
話しである。

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