2019年01月15日

クイーンの映画を見て。改めて本当の幸福感とは何なのか、、、。と、考えさせられてた。

一週間ほど前、うちの嫁とクイーンの映画を見に行った。

気が付いたことがある。

それは、やはり同じ映画を見て、嫁と私とでは、
とらえ方が違うんだな〜ということ。

やはり、クイーンのファンであるうちの嫁は
「感動した」という感想だった。

ファンであるため、やはり好意的な感想だった。

私は、ちょっと違う。

とても面白かったし、もう一度見に行きたいとも思った。

しかし、「感動した??」というのとは、ちょっと違うような気がする。

私が思うに、とても痛々しい一人の男の人生を
描いた作品のように思えた。

クイーンと言えば、多くの人を熱狂させるスーパースターで、
成功者だ。

しかし、その裏には、多くの葛藤があるということ。

スーパースターになれば、幸せをつかむことができる
と思いがちであるが、逆にそのことにより、さらなる
苦しみが伴う。

クイーンの映画を見て、世界チャンピョンになった
鬼塚さんの話を思い出した。

少年の頃、世界チャンピオンはスーパーマンみたいな存在やと思ってきた。
俺にとっては神様に近い存在ですよね。凡人の俺が、そんな凄い場所に
辿りつくことができたら、いったいどんな凄い人間になれるんだろう。
そのことだけを励みにここまで頑張ってきました。
しかし、試合に勝ってはみたものの、あるはずのものが何もないんです。
「エッ、何なのこれ?なんで、何もないんや?」
「いや、次勝てばきっと何かが得られる」
そう信じて、次から次へと試合を積み重ねていきました。だけど何も残らない。
試合が終わった夜は、生き残れた実感と自分が探し求めたものが何もなかったと
いう寂しさで発狂しそうになりました。俺は常に素直に飛び跳ねる自分で
おりたいのに、充足感がないから、「何でや?」という思いばかりが
虚しく深まっていく。最後の試合までずっとその繰り返しでした。
  (『週刊文春』平成6年11月)

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確かに、無我夢中でトップを目指しているときは、
楽しいのかもしれない。

この鬼塚選手のように、プロボクサーとして、好きなことを
一生懸命やっていて、さらにそのトップを極めても、
そこに待っていたのは、生き残れるかどうかという
猛烈な恐怖感、、、。

華やかな仕事のように思えるが、華やかな仕事ほど、
競争率が激しくなり、まさに生きるか死ぬかの
生存競争に、さらされることになる。

多くの人が、ちやほやしてくれる今の地位と名声が
崩壊してしまうのではないかと、常に心のどこかで、
不安と恐怖に付きまとわれるのではなかろうか、、、。

そう思うと、「幸せ」って何なのか、、、。

ただ上へ上へと、目指しているだけで、
その先には何があるのか、、、。

本当にすごい人というのは、どのポジションでも、
どんな環境でも、幸せを感じることができる人だと思う。

みんなにちやほやされて、舞い上がってしまうようでは、
逆に身を崩すもとになってしまう。

自分の役目というモノを認識し、常に目の前のことを全力でやる、
これが幸せに生きれる人のモットーのような気がしてならない。


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2018年12月27日

身近な人の死とは、自分もいずれ「死ぬ」ということを悟らせるためにあると、、、。

今日でこのブログも、今年の最後の記事になるであろう。

今年を振り返ると、やはり大きなことは、
95才になるうちの会長さんがなくなったことだ。

何度も、「今年の夏が越せないかもしれんぞ〜」というようなことを
聞かされたが、その都度、不死鳥のように、元気に復活する会長。

もしかしたら、この人は不死身なのではないかと、
どこかで思っていた。

しかし、今年の九月に亡くなられてしまった。

身近な人がなくなると、その人について
振り返るいい機会になる。

戦争から帰ってきて、会社を立ち上げ、
中小企業の経営とは、荒波の連続、、、。

そんな中で、気丈夫でおられる会長。

決断力もすごかった。

まさに猛将という言葉がピッタリという感じだ。

周りの亡くなられた方で、やはり影響を受けたのは、
うちの祖父母だ。

亡くなった後、両親、叔父伯母、近所の人など、
周りから、いろんな祖父母に関するエピソードを聞かされた。

また、亡くなってから、家の掃除などをしているときに、
手紙などの祖父母が書き残したモノ、写真を見る機会もあり、
ポロリと涙を流したこともあった。

自他共に認めるおじいさん、おばあさん子である私は、
根本のところで、祖父母の考え方がベースにあるような気がする。

祖母に関して、働き者であった祖母が、亡くなる前、
7年間も寝たきりであった。

働き者であったからこそ、その寝たきりという状態が、
祖母にとって、大変な苦痛であった。

一日中、「おかあさん、おかあさん」
と、うちの母を呼び続ける祖母。

半分、ボケていたが、怒れば家族に対しても、
ひどいことを言う。

あれだけ、信仰深くて、温和な祖母が、
あのような姿になってしまい、正直、私も驚いた。

しかし、亡くなってみて振り返ってみると、
私や家族に対して、老いるということ、死というモノを
あれほど鮮明に身近でみささせてもらったということ、
これってとても大事なことのように思う。

あのベットの中で、もがいて死んでいくその姿、、、。

永遠の命など、存在しない。

誰もが、いずれ行く道である。

そういう老後、そして死への認識って、
必要ではなかろうか、、、。

また、亡くなってからであるが、祖母が私に書いてくれた
手紙を発見した。

それは、私が高校の時に、同級生と喧嘩して、
学校に救急車が来るほどの大けがをさせしまうような
事件を起こした時に書いてくれたものだ。

ホントに、有難い。

亡くなってから、よりしみじみに思う。

温かく見守られていたんだな〜と。

そして、亡くなられてからも、どこか
私の身近にいて、守り続けていてくれているような
気がしてならない。

亡くなった人を振り返る、それって
我々の心の中に、大きく刻み込むものが
あるのではなかろうか、、、。

良いことも悪いことも含め、人生の手本となり、
それだけ、自分のキャパが拡がるような気がする。

身近な人の死とは、そういう意味があり、
そして「自分もいずれ死ぬ」ということを
悟らせると、おるお坊さんが言っていた。

そして、そのような影響を与えてくれた人が、
私の中で生き続けることになる。

それこそが、永遠の命ではなかろうか、、、。
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2018年12月26日

ちょっと感動した話。「千の風」と書かれた墓石、、、。残された子供たちへのメッセージ。

約三カ月ほど前、近所のおじいさんで、
私がとても親しくしている人が亡くなった。

その人は、通称M先生。

知識も豊富で、特にこの地域の歴史にも詳しい人だ。

私も、その郷土史には、大変興味があり、
よく二人で、講演会や古城の見学会などに
出かけた。

なかなかマニアックな趣味なので、誰かを誘おうにも
のってこない。

マニアック同士、よくケンカもしたけど、
言わば、その道の「相棒」的存在。

M先生も、歳が30も違う私に、いろんなことを教えたいようで、
楽しんでいたようにも思えた。

そんなM先生がなくなり、三カ月。

その娘さんとは、私の幼馴染で、三日ほど前の土曜日に
中学校の同窓会で会うことができた。

M先生の葬式は、家族葬で行われ、なかなかお別れを
告げる機会がなかったので、一度墓参りにでも
いきたいと思っていた。

M先生の家の墓と、うちの墓は同じ墓地にあるので、
その幼馴染娘さんに
墓の場所を聞き、さっそく次の日にお参りに行った。

そこで驚いたことがある。

それはM先生のお墓の墓石に
「千の風」と書いてある。

墓石は、普通戒名などが書いてあるが、よく他の墓地に行っても、
いろんな墓石を見るようになった。

「千の風」、、、、。

「千の風」言えば、

私のお墓の前で泣かないでください♪♪。そこに私はいません・・・・♪

とか、そんなような内容のはずだ。

やはりいろんな変わった墓石があるが、
その人が主張したいこと、また、残してきた家族への
メッセージなど、思いが込められているともう。

「千の風」の意味、、、、。

さっそく、もう一度「千の風になって」の歌詞を調べてみた。


私のお墓の前で 泣かないでください
そこに私はいません 眠ってなんかいません
千の風に
千の風になって
あの大きな空を
吹きわたっています
秋には光になって 畑にふりそそぐ
冬はダイヤのように きらめく雪になる
朝は鳥になって あなたを目覚めさせる
夜は星になって あなたを見守る
私のお墓の前で 泣かないでください
そこに私はいません 死んでなんかいません
千の風に
千の風になって
あの大きな空を
吹きわたっています
千の風に
千の風になって
あの大きな空を
吹きわたっています
あの大きな空を
吹きわたっています
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なんか、改めて振り返るといい詞だな〜と思う。

この墓石は、M先生の奥さんが10年ほど前に
亡くなられたときに建てたらしい。

ではそのご夫婦が、どのようなメッセージを
残したかったのか、、、。

やはり、残していく、子供たち、
お孫さんらへのメッセージのような気がする。

朝は鳥になって あなたを目覚めさせる・・・・

夜は星になって あなたを見守る・・・・・

もし、私が亡くなっても、あなたを見守り続けますよ〜
というようなメッセージではなかろうか。

死後、悲しむ子供たちのことを思ってのメッセージでは
なかろうか、、。

最近、宗教的なことは、否定される傾向にあるが、
有史以来、人間は神と共に生きてきた。

最近つくづく思うのだが、「宗教」って、我々人間に
とって、やはり必要なモノではなかろうか。

例えば、見えない何かが、自分を見守ってくれている、
と思えば、とても心強く思えるし、勇気も湧いてくる。

私は、自他共に認めるおじいさん、おばあさん子だ。

恥ずかしい話、そんな祖父母と二十歳くらいまで、
寝起きを共にしていた。

祖父母が毎日のようにいう言葉は、

「ご先祖さんが見守ってくれている。氏神さんが見守ってくれている」

と、、、。

散々、科学を学んできた私にとって、
そのような考え方にとても嫌悪感を感じた時期もあったが、
歳をとればとるほど、祖父母の言葉がボディーブローのように効いてくる。

ご先祖様が守ってくれていると、いつも言っていた祖父母が、
亡くなって、私の「ご先祖様」になった。

人生の中で、勇気をもって何かに立ち向かわなくてはならない時、
意見の対立などから起きる孤独感を感じるとき、そんなことって
ちょくちょくあると思う。

そんな時に、生前、大変お世話になった人、祖父母であり、
両親であり、そういう人が見守ってくれていると思えるようになれば、
勇気や忍耐力が湧いてくるのではなかろうか、、、。

宗教とは、そういう面もあると思う。

墓石による残された子供たちへのメッセージ、
こういうやり方もあるんだと、ちょっと感動した週末だった。



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2018年12月17日

自身の思い癖とは、、、。 先日、放送された「しくじり先生」がとても面白かった。

先日、放送された「しくじり先生」がとても面白かった。

先生として出演されていたのは、お笑いコンビ
「南海キャンディーズ」だ。

そして、告白の内容というのは、山ちゃんが、
しずちゃんに対しての強い妬み、、、。

デビューして二年で、M-1で好成績をあげるなど、
順調なスタートのように見えるのだが、その後は
しずちゃんだけが特に目立って活躍、、、。

それに対する妬みが、すごいモノだった。

山ちゃんは、
「以前は、自分より弱いモノを叩いて、自分の力を誇示し、
自分の価値観をみたしていた」

というようなことも言っていた。

こういう人って、けっこういると思う。

売れているしずちゃんに対しても、
ありとあらゆる嫌がらせのようなことも
やっていたとのこと。

それも、多くの人が引いてしまうような
内容の事であった。

「妬み」、、、、。

誰でも、人それぞれ思い癖ってあると思う。

今になって本人も言っていたが、もしそんなエネルギーを使うなら、
もっと違う場所で使った方のが、はるかに為になっていたと、、、。

冷静になれば、その通りだ。

人それぞれ、いろんな思い癖があると思う。

不安に陥りやすい人、、、。

怒りに狂って、自分を見失ってしまう人、、、。

妬み、不安、怒り、その根本は何かというと、
それは自己の防衛本能である。

別の言い方をすれば、
「自分が傷つきたくない」という強すぎる思いが、
そうさせるのであろう。

江戸時代の禅僧、鈴木正三さんは、

「我が身を思う念(自己保身)」が分別(煩悩)の本質である」

不安で頭がいっぱいになれば、周りが見えない。

嫉妬で気が狂いそうな状態なら、冷静な判断などできやしない。

「傷つきたくない」という強い気持ちが、
そのように自分を視界を大きく奪うことになる。

そのような思い癖が、そう簡単になくなるのかというと、
そんなことはないと思う。

山ちゃんも、しずちゃんに対する嫉妬に関して、
冷静になるまで、15年かかったという。

番組の中で、
「そんないやがらせのようなエネルギーをもっと違う場所に
使っていた方のが、はるかによかった

とか、

そして、最後に、しずちゃんに対して泣きながら感謝の言葉を述べられた。

それは

「ほんと、こんな嫌な自分であったけど、何度も、コンビ解散するという
機会はあったはずだ。なのに、コンビでい続けてくれた。
ホントに、申し訳ない。そしてありがとう」

と、こんな言葉を語っておられた。

冷静になれば、相手のありがたさが分かる。

煩悩は、自身の視野を奪ってしまう。

では、どのようにその煩悩と付き合っていくのか?

常に冷静になる場所を作ること。

例えば、毎日日記を書いて、自分の心を整理する。

そして、自分にはそういう思い癖があるということを
しっかりと認識すること。

誰にだって思い癖というモノがあるのだし、
そう簡単になくなるものでもない。

しっかりと向き合い、一生付き合っていく覚悟を持つこと。

この辺りが大事なんじゃないかな〜。

そのような煩悩は、ある意味、何か行動する
エネルギーでもある。

煩悩を強く持ってしまう人というのは、それをうまい方向に
持っていけば、莫大なエネルギーを持っていることになる。

自身の思い癖と向き合う、自分自身と向き合う、

決して、他人が問題ではない。

問題は、自分の中にあり、しっかりと向き合わなければ、
何度も何度もそのことでつまづくことになる。

今回の山ちゃん、なかなかカッコよかった。

やはり、そのようなことから、乗り越えた人というのは、
魅力を感じる。


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2018年12月14日

人間「西郷隆盛」として。激しい性質に対して、どう心を整えるたのか?とても興味深い。

西郷どんも、いよいよ今週で最終回。

改めて、もう一度、西郷や大久保を振り返って、
見たくなり、図書館へ出かけて、次の本を借りてきた。


「西郷隆盛伝説の虚実 安藤優一郎(日本経済新聞出版社)」

まだ、三分の一ほどしか読んでないが、とても面白い本だ。

まずは、この本の冒頭に書かれていることをいくつか
紹介したい。

「西郷は、現在でも大変人気の高い歴史上の人物である。坂本龍馬と
並んで幕末史を語る上で欠かせない英傑だ。
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度量が非常に大きい人物として英雄視されるようになったのである。
いわゆる「西郷伝説」だ。太い眉と大きな目、その巨漢ぶりを
今に伝える西郷の肖像画も、そうしたイメージを増幅させた。
 西郷は「南洲翁遺訓」に象徴されるような数々の人生訓を残している。
「児孫のために美田をかわず」という語句も有名だろう。西郷が
語ったとされる言葉の数々に大きな感銘を与えた。そうして、
一連の語録をもってその人格は理想化されていく。西郷が好んだ
「敬天愛人」という言葉と相まって、仁愛に富んだ類まれな人格者と
して敬愛される存在に転化した。一言でいうと、「西郷どん」である。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・P・9〜10


次の大熊重信の西郷評だが、

「世の人の多くは西郷を目して英傑と称し、豪雄と称すけれど、
余は不幸にして未だそのその英傑と豪雄と称する所以を知るに及ばず
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

同じ薩摩藩出身で、日本の歴史学研究に大きな足跡を残した重野安繹氏は、

「西郷は兎角相手を取る性格がある。これは西郷の悪いところである。
自分にもそれは悪いということを云っていた。そうしたその相手を
ひどく憎む塩梅がある。西郷という人は一体大度量のある人物ではない。
人は豪傑肌であるけれども、度量が大きいとは云えない。いわば度量が
偏狭である。度量が偏狭であるから、西南の役などが起こるのである。
世間の人は大変度量の広い人のように思っているが、それは皮相の見で、
矢張り敵を持つ性質である。トウトウまでも憎む。古の英雄豪傑も
皆そういうものだろう。
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・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

西郷をよくしる大久保も、西郷のことを「激情家」と評している。

西郷と竹馬の友の海江田信義も

おごり高ぶっているわけではないが、簡単に人には屈しない
性格と西郷を評した。血気にはやるあまり、協調性に欠ける
頑固者としての顔も持っていると評している。


更に同じ薩摩藩の市来史郎も、
自分と意見を異にするものと交わることは少なく、いったん
人を憎むとずっと憎み続けると証言している。


また、この本の中にこんなことが書いてあった。

薩摩藩は西郷を中心に一枚岩でまとまっている印象が非常に強い。
薩摩藩イコール西郷というのが定説になっている観が強いが、
それは事実ではない。藩内の大勢は統幕路線に異を唱えていた。
西郷は大久保とともに薩摩藩をして討幕路線に舵を切らせることに成功し、
維新を実現した。藩内での権力闘争に勝利した結果である。
 よって、藩内で西郷を敵視するものは多かった。むしろ、西郷は孤立
していたのだ。誰からも親しまれる「西郷どん」の姿はそこにはない。
それだけ西郷の政治手法が強引だったわけだが、それは激情家で好悪の
感情が強い性格と大いに関係があるはずだ。本章でみていくように、
西郷は好戦的で独走する傾向が強かったが、そうした顔は西郷伝説に
よって覆い隠されているのが現状である。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・P.12〜13

私も、この本に書かれているように、
西郷は、好き嫌いが激しく、激情家で協調性がない。
協調性にかけ、豪傑ではあるが、度量が狭い、

このような西郷評に同意する。

むしろ、俗に西郷の伝説とは、「鎮魂」の意味もあるように思う。

そのことについては、あまり深く立ち入らないが、
どう考えても、信念をもち、自分の意見を曲げずに突き進む、
そのような人でないと、成し遂げられるとは思えない。


このような人物が、どのように自分の心を整理することが
できるのか、、、。

自分の信念が強ければ強いほど、孤立してしまう。


また、誰のいうことも受け入れるようであれば、
流されてしまい、結局、何も成し遂げられない。

私もそうであるが、自分の「自我」というモノと
どう向き合うか、常に心を整理する方法を身に着けるか、
それによって人生大きく変わってくるのではなかろうか。

この本の23ページに次のようなことが書いてあった。


「西郷を京都に迎えた大久保たちは、久光との関係を非常に
気にしていた。再び久光の逆鱗に触れるような言動をしてしまう
のではないか。
しかし、二度目の配流生活は西郷を大きく変えた。自省して禅を
学び、心を落ち着けることに努めた結果、慎重な生活を兼ね
備えるようなったのだ。」
・・・・・・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・

自分の自我にどのように向き合うか?

自我を薄める思想の「禅」なんて、とてもいいことだと思う。

さらに、二度目の配流は、かなり過酷なモノで、生死をさまよったと聞く。

死線を潜り抜けた人というのは、死から見た視線で、
客観的に「生きていること」つまり、人生というモノが
見れるような気がする。

また、故郷薩摩や、江戸や京都の世俗から離れ、
極限状態で、自分と向き合う。

自分とは何なのか?

薩摩とは何なのか?

日本とは何なのか?

遠く離れているからこそ、見えるものがたくさんあるのでは、、、。

自分が正しいという主張を通すことで、周りから孤立してしまう。

でも、その自分の「正義」というモノが、本当に正しいのか?

正義なんて人それぞれ違うし、視野が変われば
また違う見方が生まれてくる。

たとえ自分が正しくて突っ走るよりも、もしかしたら、
折れて相手を立て、失敗してもトコトン付き合うくらいの方が、
相手から信用を勝ち取り、後々良い方向に向くこともある。

強烈な自我に対して、どのように周りの人を受け入れるのか、
それが西郷にとって、最大の課題だったのではなかろうか、、、。

遠い離島の流刑の身で、禅を学んだという西郷、、、。

人を受けいえるというのは、自分を受け入れるということ。

人間西郷をもう少し、研究してみたいと思った。





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2018年12月06日

大久保の「決断」、、、。

大河ドラマも、いよいよ大詰めだ。

改めて、大久保利通という人を振り返ってみると、
一言でいうならば、「決断の人」と、
私は思う。

「決断」って、なかなかできるものではない。

竹馬の友であり、互いに尊敬し合った西郷を追い詰めるような
ことをしなければならない。

さらに、そのことにより、故郷である鹿児島からは、
ほとんど縁を切るような状態になってしまう。

ドラマの中でだが、大久保の正妻と子供たちが住む鹿児島の家に、
石が投げられるようになってしまった。

もう、そこには住めず、東京に引っ越すことになる。

大久保の決断とは、むしろ、大久保が生まれ育った薩摩を捨てるということ。

それに、政府内では、幾度のとなく、政争が繰り返される。

もし政争に敗れても、西郷とは違って、大久保には帰る場所がなくなると
いうことにもなる。

これって、大久保個人にとっては、とても大きな決断では
なかろうか。

また、西南戦争も、上手く勝てれればいいが、もし不利になり、
日本中の不平士族が立ち上がるような事態になれば、
それこそ自分の決断で、日本中が大混乱となる。

その混乱にすきをうかがっているのが、欧米列強であり、
それらの国内的な対立により、多くの国や地域を植民地に
してきた。

大久保は、子煩悩だったという。

政争や激務の間に、子供たちに接するのが、
唯一の慰めだったのでは、、、。

政府の頂点に立つということは、いろんな人の我欲に振り回され、
毎日毎日、多くの決断の連続だ。

一歩間違えれば、自分の立場もひっくり返されてしまう。

明治へと時代が変わった後にまずやることは、
やはり士族の大リストラだ。

そんなこと、誰がやれるのだろうか、、、。

よっぽど腹をくくって、大決断できる人でないと、
もたない。

そして、西南戦争後、やはり大久保も不平士族により、
暗殺されてしまった。

よっぽど、大久保に恨みを持っていたのか、
その暗殺のしかたというのは、これでもかっというぐらい
刺し殺された。

このような人たちの決断により、今の日本はある。

決断というのは、大きな責任を負うことになる。

そして、その責任の重さに耐えて生きなければならない。

日常生活でも、大久保に比べれば、全然たいしたことないが、
生きていく以上、決断の連続だ。

正直、逃げたくなるようなことだった多くある。

しかし、逃げてばかりでは、いずれは逃げるところがなくなってくる。

その瞬間瞬間を思いっきり生きる。

その連続が人生であり、多くの経験を積めば、
よりよい「決断」ができるようになるのでは、、、。

大河ドラマの最終版、改めて大久保という人を
しっかりと振り返ってみようと思う。


ラベル:大久保利通
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2018年12月03日

西郷と大久保の対立、、、。「新しい日本に、我々士族が生きていく場所がない」と半次郎が放った一言に尽きるのでは、、、。

今年の大河ドラマもいよいよ大詰め。

長年の盟友で竹馬の友ともいえる大久保と西郷が対立、、、。

そして、いよいよ西南戦戦争へと突入していく。

なぜ、長年盟友関係になった大久保と西郷が対立
することになったのか?

昨日の大河ドラマの中で、人きり半次郎こと、桐野半次郎が
なかなか腰を上げようとしない西郷に向かって
放った言葉がとても印象的だった。

「新しい日本に、我々士族が生きていく場所がない」

と、、、。

私は、この問題につきると思う。

どんな時代でも、歴史が大きく変わった後の
兵士のリストラというのは、最大の問題となる。

特に、勝った方の兵士たちをリストラするというのは、
非情にならざるおうえない。

果たして、それが西郷にできただろうか、、、。

西郷は、そのような兵士たちの犠牲や働きにより、
戊辰戦争で大活躍できた。

そんな兵士たちを、
「おまんらもういらんわ。どっかいってくれ」

なんて、言えないと思う。

だいたいがそのような兵士の再雇用を「外征」へと
求める。

それが「征韓論」であり、西郷は、征韓論には、
必ずしも賛成ではなかったといわれるが、では征韓論を
強硬に主張している板垣や江藤らを切って、中止が
できたのかというと、「自分が韓国へ行って話をつける」
と言って、抑えるのが精いっぱいだったのでは、、、。

「非情」になれるかどうか、、、。

その後、明治維新といういろんな改革を進めていく中で、
どうしても、多くの不満分子が出てくることになる。

そんな時に、武力にたけた士族の集団が、各地でくすぶっている状態で、
果たして大改革が進んでいくのだろうか、、、。

この士族の問題というのは、どの改革にも影響を及ぼすことになる。

征韓論で、西郷らが下野した後、佐賀の乱、萩の乱、西南戦争と
次々に不平士族の反乱がおこる。

西郷も、十分わかっていたと思う。

もう、桐野が言うように
「我々士族の生きる場所がない」

ということを、、、。

それは、銃など兵器の改革により、刀や槍の時代は
終わった。

農民が主体の奇兵隊がなぜあそこまで活躍できたのか、、、。

また、日ごろは自分の仕事を持ち、戦争の時に徴兵するという
徴兵制度の方が、明らかにお金がかからないのでは、、、。

当初、明治の大改革において、この不平士族をどうするか、
これは最大の問題でもある。

そこで、心を鬼にして「非情」をやり遂げた大久保という人には、
凄みを感じる。

先週の大河ドラマの中で、薩摩で暮らす、大久保の家族が
家に石を投げられたり、多くの人の不満を受けていたシーンがあった。

この郷土に対して「非情」になるということは、故郷を捨てるということ。

もし、政争で敗れても、帰る場所がなくなるということ。

それも家族も含めての話である。

西郷が薩摩で作った私学校というのは、農業もおしえていたという。

もしかしたら、不平士族を「帰農」させようとしていたのでは、、、。




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2018年10月16日

ある老人の「失敗学」、、、。

今から、一ヵ月前の9月16日、95才になられる
うちの会社の会長さんが亡くなられた。

あれから、一ヵ月たったが、ふと思うと、
やはり会長的な生き方、考え方は、
私の中にも、宿っているように思う。

ある精神科医が言っていたが、
「人間って著しく、周りから影響を受けている」
という。

特に、会長のように、自分の考えで、強烈に生きてこられた人と
いうのは、周りに影響を与えやすい。

たしかに、生きていれば、いろんな場面に遭遇する。

その時に、ふと思うのは、周りの人は、どうするか、
ということを思い浮かべる。

そんな時、ふとその参考にするのが、会長であったり
することがあるように思う。

中小企業の経営者とは、とても過酷である。

取引先がつぶれてしまったり、不良品を出したり、
高価な機械が壊れたり、そんなことばかりだ。

毎日、いろんなことが起きる。

そんな時、いつでも動じないのがうちの会長さんだった。

なぜ、そのように気丈夫でいられるのか?

ふと会長の生前の言葉を思い浮かべてみると、
その一つが「失敗」についての考え方だ。

「わしゃ〜、今まで、いろんな失敗をしてきた」

「そんなもん、やってみなわからん」


これらの言葉は、会長の口癖だった。

失敗やアクシデントをどのようにとらえるか?

ある人がいっていたが

「失敗は、一時の挫折感と、その後の向上心を与える。
成功は、一時の高揚感と、その後の慢心を与える」


と、、、。

その通りなのかもしれない。

成功した経営者のなどの言葉を聞くと、どの人も

「今まで、いろんな失敗をしてきた」

と、語る。

エジソンなどは、

「私は、失敗をしたことがない。うまくいかないことがあっても、
それが上手くいかないということが分かったという実験だからだ」


と、言うようなことを語っていた。

また、織田信長に関して、ある歴史学者が

「信長は、戦に弱い。いくつも負け戦を経験している」

と、、、。

しかし、尾張の小大名から、着実に勢力を拡大し、
天下取り寸前までいった。

それだけ、いろんなチャレンジをし、トライアンドエラーを繰り返してきた
と思う。

例えば、大坂に立てこもる本願寺に救援物資を送るため、
毛利水軍が大坂湾へ訪れた。

その時、織田水軍は、毛利水軍による焙烙火矢という手榴弾のようなモノに、
の壊滅的な敗北を受けたが、その数年後、鉄の船をつくり、毛利水軍に
勝利している。

私自身の人生を振り返っても、もしあの時、あの失敗がなければ、
今の自分はあったのだろうか?

というようなことばかりだ。

思いっきり、いろんなことにチャレンジすれば、
必ず失敗する。

そして、その失敗から、いろんなことを学べ、
今の自分がある。

逆に、つまらないプライドに固守し、何もやらなければ、
そのまま、流されるまま生きることもできる。

しかし、そのようなに流されてきた10年と、
いろんなことに挑戦してきた10年では、明らかに違ってくるのは
なかろうか?

会長の話に戻るが、なぜ、あのようにどんなことが
あっても、気丈夫で入られるのか?

その一つに、「失敗」に対する考え方を持っていたから
ではなかろうか。

人生なんて、思いもよらないことばかりだ。

そんな中でも、その経験から、いろいろ学ぶことができるし、
必ず将来の何かにつなっがっていくことを、体験的に
しっかりと理解していたように思う。

無駄なことなど何もない。

そのことが必要だから、神様が、今、あなたに
その失敗を与えてくれる。

そんなことを誰かが言っていたが、そのように思えば、
勇気もわいてくるのではなかろうか、、、。





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2018年10月15日

「自分を脱ぎ捨てる」という勇気、、、。

 最近、知ったのだが、羽毛布団ってすごいな〜と思う。

むかしから、重たいせんべい布団を何枚も重ね、
冬はセーターを着こむなど、厚着をして寝る習慣が
身についていた。

子供の頃、体の上に、何本かのタイヤが積み重なり、
体がつぶれそうな夢をよく見た。

しかし、20年前、結婚を機に、義理の両親が羽毛布団を
買ってくれた。

羽毛布団を買ってくれたのはもらったのはいいが
長年、その価値をしっかりと理解していなかった。

少し寒さを感じれば、その羽毛布団の上に、
分厚くて重い布団をかけて寝てしまう。

どうも、昔から重たい布団でなていた習慣があるので、
「軽い」イコール「寒い」というイメージが頭の中に
こびりついている。

しかし、三年前ほどに気が付いたのであるが、
逆に羽毛布団だけにして、薄着で寝た方のが、
寒さを感じなくなる。

それは、体から体温が、羽毛布団に蓄積され、
全体が暖かくなるからだ。

結婚当初から、隣で寝ているうちの嫁は、
そのようにやっているが、自分の方が寒がりだからと
思い込んでいたが、これをやり始めてから、寒さを
感じず、非常によく眠れるようになった。

ふと思ったのだが、これって、人生にも言えるのでは
なかろうか、、、。

馬鹿にされたくない、傷つきたくないと思うから、
人は、見栄を張り、威勢を張る。

必要以上に、頭がいいキャラを強調しすぎる、、、。

必要以上に、強さを前面に押し出す、、、。

しかし、そのような張り子の虎の中で、生きていて
本当に温かみを感じるのだろうか、、、。

人間は、生き方次第で、周りも変わってくる。

周りに誠意をもって生きていれば、自然と
周りからも温かみを感じるようになってくるのでは、、、。

もしかしたら、必要以上に威勢を張ることをやめてみたら、、、。

頭いいキャラを脱ぎ捨ててみたら、、、。

必要以上のマウンテイングなど、周りを逆に押さえつけて
しまうのでは、、、。

自分の殻を脱ぎ捨て、周りにも、自分にも誠意をもって生きる、
これがもしかしたら、良い人生になるのかもしれない。





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2018年10月10日

「人生有限 名無尽くす」、「我是不是我的我(私は私ではない私)」

私も50を超え、人生80年とするなら、
残り30年、、、。

ある人が言っていたが、
「30代より40代、
40代より50代、だんだんと時間というモノが、
加速度的に、ものすごいスピードで過ぎていく」
と、、、。

第二次世界大戦で亡くなられたある兵士が残した言葉

「人生有限、名無尽くす」

と、、、。

元台湾総督、李登輝さんの言葉

「我是不是我的我(私は私ではない私)」

と、、、。

残りの限られた人生をどのように過ごすのか?

この辺りに何か、ヒントがあるような気がしてならない。


あと、三十年のこの命、、、。

それも、加速度がついて、あっという間に、
60代、70代へと突き進むのであろう。

すべてをこの世に置いて、あの世に旅立たねばならない。

ある人が言っていたが、

「恨み、怒り、悲しみ、不安などなど、この世に強い
執着をもって、死ねば魂もしばられ、昇華することは
できず、その強い念と共に、この世をさまようことになる」


と、、、。

そのことが正しいのかどうかわからない。

しかし、それらの煩悩をいつまでも飼いならすことができず、
残りの限られた人生を過ごすのも、いささかもったいない。


江戸時代の禅僧、鈴木正三さんが、

「我が身を思う念(自己保身)」が分別(煩悩)の本質である」

では、「我が身」を忘れることができるのなら、
煩悩からも、かなり薄らぐのではなかろうか、、、。

怒り、不安、妬みなどに心を囚われる人の
大きな特徴というのは、自意識過剰なくらい、
周りが見えていない。

では、自分という意識を他者に移す訓練をしたら、、、。

それには、周りのために生きる、
また公共心を持つ、利他の心で生きるように努力し続ければ、
もしかしたら、「我が身を思う念」というモノが薄らぐのでは、、、。

残りの人生をそのようなことを大事に生きていきたい。

お金や地位にいつまでも、求め続けていても
果たして本当に幸せになれるのか、、、。

いつまでも他人の評価の中で、生きていても
結局、本当に大事なモノが、見えないのでは、、、。




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