2012年05月02日

断固小沢政権を造るべし!民主党党員・サポーターに応募しよう!

 四月の中旬ごろ、小沢事務所よりメールがきた。

内容を見たら、どうも民主党の党員・サポーターの
募集の知らせだった。

「民主党〜??」だと〜ちっ(怒った顔)
どうも「民主党」と聞くと、今ではすっかり
仙石だの、前原だの、枝野だの、野田だの
薄汚いようなやつらの顔が思い浮かぶ。

こんなやつらに、うまいように利用されては、
それこそお天道様に顔向けが出来ない。

2009年の夏、あれだけ駈けずり回って、
票をかき集めたのに、なに〜消費税増税だ〜、
TPPだ〜、極めつけは小沢排除だ〜、
腹が立って腹が立って仕方がない。

「消費税増税に命を賭ける」とまで言った野田総理。

だけど、そんなモンに命を懸けるなら、
なんで「国民の生活が第一」と高らかにうたった
マニフェストに命を懸けないのだろうか。

総予算を組み替えれば、
消費税増税分の12兆円ぐらい、
すぐにでも、捻出できるはずだ。

消費税の増税がどれほど、
中小企業を苦しめることか。

雇用の大部分をまかなっている中小企業。

そして、中小企業が一つ潰れれば、
100の技術がなくなるといわれている。

日本経済の本当の力は
中小企業にある。

それなのに、何でマニフェストにも
書いてないことに、命を懸けるのか。

聞いてあきれる。

そんなやつらに、自分の大切な小遣いの
中から捻出お金など、断じてない。

民主党のサポーターになるのも、
陸山会事件の判決しだい。

小沢さんが復権するかしないかで、
民主党はまったく変わるであろう。

そして、小沢裁判が「無罪」となった。

しかし、あのアホどもが
小沢さんを党員資格停止を解除するのかしないのか、
9月の代表戦に出馬できるのか、できないのか、
それを見てからにしようと思った。

そして、昨日なんと
「小沢氏、党員資格停止解除」
というニュースが飛び込んだ。

よっしゃ〜、この辺で腹をくくろうと思い、
さっそく今日、郵便局へ出かけた。

「無罪」になっても、小沢総理が誕生しなくては
意味がない。

この日本の難局を乗り越えられるのは、
小沢一郎しかいない。

原発はこのままでいいのか、
被災地はこのままでいいのか、
司法は、、、。
マスコミは、、、、。
統治機構は、、、。

そして、シロアリさんたちは、、、。

本当にこのままの状態で、
日本社会を子供たちに引き渡す
ようなことで、いいのだろうか。

我々の今の繁栄は、
多くの先人たちの
血のにじむような努力の結果である。

それを、散々食い尽くして、
大変な負の遺産残すようなことで
よいのだろうか。

我々の世代がやらなくてはならないことが
たくさんあるのではなかろうか。

今、やらなければならないことが
あるのではなかろうか。

多くの人がそうしているように、
「見ざる、聞かざる、言わざる」を貫き、
ゴルフ、パチンコ、競馬などの娯楽に
うつつをぬかしておってよいのだろうか。

そんなことを、まじめに考える私が馬鹿なのか。

日本社会も、今までとこれからは
明らかに違う。

小沢氏が一貫して主張しているように
「変わらずに生き残るためには、自ら変わらなければならない」
と、、、。

さあ〜、みなさん。
無罪を勝ち取っても、それだけでは
日本は何も変わらない。

その最短の近道は、
9月の民主党代表戦に焦点を当てるしかない。

奇跡は必ず、また起こる。

そして、全国数百万の小沢支持者のみなさん、
代表戦をしっかりと監視しよう。

どこの組織にも、どこの地域にも小沢支持者は
存在する。

それも、煮えたぎった闘志を持った
ハート熱い人たちが、しっかりと監視しるであろう。

それでは小沢氏のホームーページから、
小沢氏の募集に対するメッセージを書き起こして
おきます。

民主党党員・サポーター募集のお知らせ
 平素より党活動にご理解とご協力を賜り、
誠にありがとうございます。
 あの歴史的な政権交代から二年半が経過いたしました。
改革を進めていくためにも、私たちは、今こそ民主党が
その原点に立ち返って、一刻も早く国民皆様方のご期待に
応えられる政治体制を構築しなければならないと考えております。
 そのためにも、皆様方のご支援が不可欠な情勢でございます。
これまで、皆様方にご協力いただいておりました
民主党党員・サポーターにつきましては、昨年は、
東日本大震災の影響から登録・更新のお願いを
控えておりましたが、本年、改めまして新規ご登録を
お願いいたしたく、ここに謹んでご案内申し上げます。
 また、本年9月には民主党代表選挙が予定されております。
お一人でも多くのお知り合いの方、ご家族の皆様にお声かけいただき、
ご支援の輪を一層広めていただければ幸甚に存じます。
皆様の絶大なるご協力を心よりお願い申し上げます。


 平成24年4月吉日

民主党岩手県第4区総支部
衆議院議員小沢一郎事務所

なお、申込書請求の締め切りは5月5日まで延長いたしました。
https://www.ozawa-ichiro.jp/support/form_input.php?id=3
コチラより、5月5日までに、申込書の請求を
よろしくお願いいたします。






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2012年04月27日

小沢裁判判決!「虚偽記載」、「期ズレ」認定だって??限りなく「黒」に近いグレーだって??ふざけるな!!

 昨日の小沢裁判、「無罪」判決!
あまりにも嬉しくて、好物の白ワインを
買ってきて、嫁と二人で乾杯した。

白ワインと言っても442円の安物のワイン。

疲れているところで、安物のワインなので、
酔いがまわったのか、インターネットの
森ゆう子さんの動画を見ながら、
つい寝てしまった。

朝起きて、新聞、ラジオ、テレビ等を見ていて、
大変憤りを感じた。
マスコミは何も反省していない。
裁判所も、まったくデタラメな「虚偽記載」だとか
「期ズレ」認定しているではないか。

小沢さんの政治資金報告書は、
どんな会計士さんが見ても、
まったくおかしくはない。

「虚偽記載」とか「期ズレ」にするほうが、
完全に感覚がづれている。

これでは、マスコミにエサを与えているようなモノ。

百歩譲っても、いや一億歩、いや一兆歩譲っても、
それは単なる会計上の解釈程度の問題。

裁判の中で、会計士の専門家が言われるように
「収支報告書は、家計でいう家計簿程度の話。
何にどれだけ使ったのか、記載すればそれでよい」
と、その程度のことなのだ。

賄賂をもらっただとか、
そのような話なら別であるが、
書き方が間違えた程度の話なら、
総務省の指摘により、変更すれば
済む話であり、何千件の政治家の
報告書も、今のそのように取り扱われている。

検察が総力を挙げて、また血税を30億円も
投入して、はたまたインチキだらけの
検察審査会を悪用して、裁判に持ち込んだ。

このほうがはるかに問題ではなかろうか。

多くのマスコミの報道の通り、
小沢さんの肩書きは
民主党元代表」だ。

民主党が政権交代間近の2009年5月まで、
民主党の代表であった。

そのまま、代表でいれば、
2009年8月の総選挙後には、
日本国の内閣総理大臣になっていた人だ。

あれ、何で辞めたんだっけ??」

それは、怒涛のごとく、
小沢さんの秘書である大久保さんを
2009年の3月に、いきなり逮捕し、
マスコミもそれと結託して
怒涛のごとく「政治と金」、「政治と金」
の大合唱。

謀略によるいわゆる「西松事件」の
はじまりであった。

政権交代のかかった総選挙の影響を考え、
小沢さんは代表を辞任。

そして、政権交代後、幹事長に就任し
翌年2010年の参議院選挙直前に
これまた辞任に追い込まれた。

これも、マスコミのしつこいまでの
「政治と金」というキャッチフレーズの
影響を避けるための辞任であった。

西松事件のデッチ上げで大失敗した
検察とマスコミは、今度は
「陸山会事件」という妄想ストーリーを
作り上げた。

そして、2010年9月14日の民主党代表戦当日。

なぜか、検察審査会の二回目の議決が
その日に決定され、これまた代表戦に
対して、大きく影響を受けた。

小沢さんの肩書きのように
小沢さんは民主党の元代表である。

そして、もしこのような謀略がなければ、
日本国の総理大臣となり、本気で
大鉈を振るっていたであろう。

それを阻止した最大の足かせは
この検察とマスコミがでっち上げた
いわゆる「小沢事件」である。

いままで、このような謀略でどれだけの
有能な政治家や企業家たちが貶められて
きたことか。

あの鈴木宗男さんはどうであったのか。

福島原発の危険性をうったえた
佐藤栄作久元福島県知事はどのような
結果で、知事を辞任しなければ
ならなかったのか。

多くの有能な新興企業家たちも、
冤罪でやられている。

それが日本の成長にどのような影響を
与えてきたことか。

それが収支報告書のとんちんかんな会計解釈で、
政権交代の立役者で、総理候補の
民主党代表を、三年間も事実上
つまらないでっち上げ事件で
手足を縛ってしまった。

選挙に選ばれてもいない、
一官僚組織が、大変な労力を費やし政権交代を
なしとげ、3000万人の人が支持した
民主党の有力な首相候補を、冤罪で陥れて
しまった。

さらに、その陥れのやり方がえげつない。

検察審査会というまったくベールに包まれた
いわゆる市民11人に対して、
まったくの嘘デタラメの資料をみせて、
検察が起訴議決に誘導してしまった。

小沢裁判が進めば進むほど、
その検察のデタラメが明るみに出てくる。

まったく根拠に乏しい、たかだか政治資金報告書の
会計上の解釈が、新聞の一面で
「明らかに黒に近いグレー」などと、
報道されるほど、大問題なのか。

それとも、多くの国民の支持で選ばれた
有力総理候補の政治家を、謀略により
陥れる、今までの慣習が問題なのか。

田中角栄さんの末路は、、、。

あの金丸信さんでさえ、法律上は
何も問題がなかったらしい。

マスコミが明らかにあおりまくって、
突入してしまった先の大戦。

東條さんさんでさえ、アメリカとの戦争は
避けたかった。

しかし、それが出来なかった根本は、
国民感情であった。

それをあおりにあおったのは
どこのだれなのか。

さらに、その当時反対派をことごとく
でっち上げでしょっ引いた特高警察。

その流れをくむ検察。

歴史は繰り返しているように見える。

熱狂した政権交代から早三年。

残された期間は、あと一年しかない。

このまま、自民党政権に戻るのか。

それとも、どこも過半数を取れない
政治的に混沌とした状態で
この難局に立ち向かわなくてはならないのか。

マスコミのみなさん、
司法官僚のみなさん、
あなた方がどれほど、国益に反することを
しておられるのか、よくよく
考える必要があると思いませんか?

それに、あなた方が叩けば叩くほど、
目覚めた国民の数が増えていくようだ。

時代の大きな転換期というのは、
権力を持っている側の横暴さに、
多くの国民が反発をして目覚めていく。

いつの時代も、どこの国でも
そのような光景が見られる。

そして、「運」というものが
どちらに味方するのか。

歴史をよくよく観察すれば、
よく分かることだ。

ここまででも多くの「運」が
小沢側に味方しているような気がする。

案外、歴史の新しいページが開くのは
もうすぐそこなのかもしれない。







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2012年04月25日

2012年4月26日、日本の重大な岐路となる!

 震災復興、原発、TPP、消費税、
そして世界同時不況と、
多くの問題が待ったなしに、
日本社会に襲いかかる。

そんな中で、政治はまったく機能していない。

それよりも、匿名希望で
責任の所在もわからないシロアリさん
たちが、今までの惰性のままに
日本を動かし続けている。

TPPも、原発も、消費税も、経済の問題でさえ、
その根本は、すべて同じだ。

シロアリさんたちがはびこる
シロアリ帝国が、しっかりとこの国を
支配している。

そして、彼らは自覚症状がないようだ。

この国を食い尽くすことというのは、
結局彼らでさえ、餌がなくなり、
自滅するということ。

戦後ここまで繁栄し、
平和を享受してきた日本社会。

しかし、それは世界から見れば、
大変幸運なことであり、日本の歴史上に
おいても、大変稀なことである。

日本は大きく変わらなくてはならない。

もう先送りは出来ない。

もう、彼らがしっかりと握り締めている
既得権益を開放しなくては、
日本の復興などありえない。

電波、高速道路、電気、農業、医療、地方行政、
そして東北の復興までもが、
既得権益にがんじがらめで、
何も動けない状態だ。

どんな業界でも、彼らの
既得権益でしっかりとがんじがらめに
されている。

そんな中で、何兆円つぎ込んでも、
よくなるはずがなく、借金が膨らむだけ。

この「既得権益の開放」という日本にとって
最後の最後のカードである。

それを使いこなせる政治家は、
小沢一郎しかいないのが現実である。

「既得権益の開放」というのは、
彼らから、甘い蜜を奪うことになる。

だからなりふり構わず、
小沢に襲い掛かる。

今回の一連の小沢事件でも、
検察の実態が明らかにされた。

検察は「絶対正義」などではない。

むしろ、既得権益側の守護神。
潤沢な血税を使い、なんでもありの冤罪を作り出し、
シロアリ帝国にはむかう政治家や新興企業家たちを
次々に葬り去ってきた。

これがどれほど、日本の改革を阻害してきたことか。
これがどれほど、日本の成長を阻害してきたことか。

シロアリさんたちに言いたい。

以前はあなた方も、しっかりした
「働き蟻」だった。

自分の小さな出世ではなく、
自分の老後の安泰だけではなく、
大きく天下国家のために汗を流して
いたはずだ。

彼らに、そのことを気付かせることも、
力のある政治家しかできない。

はっきり言うが、
「日本を取り巻く環境は
今までとこれからは、まったく違う」
ということを、、、。

明日、2012年4月26日、
小沢裁判の判決が下される。

これが日本の大きな岐路になることは
間違いない。

現代に生きる日本人の責務として、
しっかりとこの裁判の行方を
監視していきたいと思う。
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2012年04月24日

小沢一郎の「生き様」!

「小沢一郎は、ケンカが下手くそだ」
とよく言われる。

私も
「何で言い返さねえんだちっ(怒った顔)
とよく思うし、
「反小沢」以外では、何のとりえも無い
偽黄門のようなやつを、いつまでも
のさばらせてよいのかと、
つくづく思う。

一度、偽黄門なんかに
本気で怒れば、かなりインパクトが
あるはずだ。

実は、東北の人ってこういう人が
多いんだよね〜。

私の恩師も、秋田県出身。

その恩師も
「けっして言い訳はしない」
と言うようなタイプだ。

小沢さんと同じ岩手県出身の
東條英樹も、終戦後家族に向かって
「けっして言い訳などするな」
と、厳命していたらしい。

橋下市長のように、
もう少しディベートが上手いといいのだが、
個人攻撃はいっさいしない。

それが相手を付け上がらせ、
偽黄門のように、何度も
利用されて、何度も裏切られるハメになる。

しかし、こないだの4月20日の

「STOP!権力の暴走」国民大集会
驚いた。

すごい熱気であり、みんな手弁当で集まってくる。

これほど、多くの国民を熱くさせる政治家が
いるのだろうか。

さらに、昨日森裕子議員らを中心に、
140名の国会議員が
小沢さんのために署名を集め、
検察のデタラメを暴く為に
立ち上がった。

昔のような中選挙区時代ではなく、
ポストもお金も小沢さんにお世話に
なっているわけでもない。

それに、検察・マスコミにやられた
同僚議員の姿を見れば、
小沢派であり続けることが、
国会議員としてどれほど、
危険なことか。

普通のいい子ちゃんの国会議員からすれば、
森ゆう子さんなど、「頭がおかしいふらふらとしか
思えないのではなかろうか。

国会議員であれだれであれ、
自分の身はかわいいものだ。

さらに郷原さんや江川さんのような
有識者19名も、立ち上がった。

私は長年の小沢ファンであるが、
小沢さんがたたかれれば、たたかれるほど、
支持者が増えていく。

それも、「自分が何とかしなくては、、」と
思うのか、多くの人が大変な熱意だ。

普通に考えて、あんな不細工で
不器用で、しゃべりの下手なおっさんのために、
今となっては、国民的なうねりに
なりつつある。

なんでだろうか?

なぜ、みんなあんなおっさんのために必死に
なるのだろうか。

相手をけっして、非難しない。

ただじっと耐えている。

権力とは一切妥協しない。

そして真正面から、巨大な権力に挑んでいく。

ほんとう普通の人から見れば、
頭がおかしいんではないか」と
思うのではなかろうか。

国家権力に逆らうということが
どういうことなのか、
田中角栄、金丸信など
大変身近な人がどのように
末路だったのか、

ブルドック顔のおっさんは、
骨の髄まで、よくよく分かっているはずだ。

真正面から、玉砕覚悟で挑んでいく。

いつもそうだ。

いつも小沢さんは「捨て身」だ。

こんな生き方というのは、
功利主義がはびこっている現代において
「不器用」というか「どんくさい」というか、
「空気が読めない」というのか、
けっしてなじめるものではない。

しかし、結果的に
こんな生き方を何十年と続けてきた結果なのか、
多くの熱心な仲間に囲まれている。

例えば、石原慎太郎なんかに比べても、
これほど多くの熱い仲間が彼の周りには
いるのだろうか。

もっと上手に、妥協しながら、
やる方法もあったのではなかろうか。

しかし、小沢のおっさんは一切妥協しない。

そして、自分が身を捨ててまで、
「生き様」として、多くの人に見せ付けている
ような気がしてならない。

恐れない、妥協しない、信念を貫く、
逆に言えば、不器用、どんくさい、KYとでも
いうのだろうか、
それが小沢一郎の「生き様」なのだ。

こんな生き方が、多くの人に「何か」を
気付かせるのではなかろうか。

こんな生き方が、多くのひとにマスコミの洗脳から開放し、
自分で考える力を与えるのではなかろうか。

結局は、今回の大改革というのは、
上から与えるものではけっして上手くいかない。

それよりも、自分自身で考え、
自立した精神のもとで、一人一人が社会のために
何ができるのか、真剣に考えるようにならなくては、
けっして成功するものではない。

今回の大改革の本質は
国民の意識革命だ。

権力を待たない小沢一郎にとって、
身を捨てて、戦う姿を見せ付ける。

それがどんなに無謀でも、
どんなに不利でも、サウンドバックのように
される姿を見せ付ける。

それでも、信念を曲げない。

高校のとき、ある先輩が
リンチにあっている姿を見た。

気を失いかけても、
立ち上がろうとするその先輩に
大変感銘を受けたことがある。

それと同じなのではなかろうか。

自分が身を捨てて戦わなければ、
多くの国民の心に届かない。

権力が既得権益側にある以上、
小沢一郎はいつも「まな板の鯉」。

そんな状態でも戦い続ける。

死ぬも生きるも、お天道さんが決めること。

与えられた「お役目」をただ全力でこなすのみ。

小沢さんがよく「天命に遊ぶ」とは、
このような思想なのではなかろうか。

不器用でも、自身の信念に従って行動し続ける
ことというのは、もしかしたら
ディベートの強さよりも上まわる現象が
起こるのではなかろうか。

それを、長年かけてやり続ければ、
もしかしたら、ほんとうに理解しあえる
多くの仲間にかこまれるのではなかろうか。

長年、小沢一郎という男を見てきた私は
はっきりと明言できる左斜め下

「私は、小沢一郎は信用できる」。

これは心のそこからこみ上げる
ゆるぎない気持ちだ。

そのような気持ちが
例え「信者」と呼ばれても、
それほどいとわない。

それより、他人のすごさを
素直に認めれる力のほうが
はるかに尊いと思う。

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2012年04月21日

小沢事件と私!

 三年間に及ぶ、いわゆる小沢事件!
その判決が来週4月26に下される。

小沢事件とはいったいなんだったのか?

裁判が進めば進むほど、検察のデタラメが
ドンドンと浮き彫りにされてくる。

逆に、小沢さん側には、
まったくの事件性事実がないことが
明らかになっていく。

ある人が言っていたが、
この裁判での被告人はいったい
検察なのか?小沢氏なのか?
やればやるほど、検察の犯罪性が
浮き彫りにされてくる」

と、、、。

小沢事件を通してみてみれば、
検察だけがその組織のデタラメさを
さらけ出されたわけではない。

検察、メディア、裁判所、ヤメ検などなど、
これほどまでに、冤罪を作り出す
方程式が確立され、多くの被害者が出たいる。

元検察の郷原氏が言うには、
検察内部では
「自殺者が出るほうのが、いい筋読みだ」
というようなことを語っておられた。

今までどれほどの冤罪による被害者を出してきたことか。

本人だけでない。

家族、知人など、多くの関係者が拷問にあい、
いろいろな嫌がらせをさせられ、
その人達の人間関係はおろか、
生活基盤でさえズタズタにされてしまう。

そんなことをしてまで、
自白を強制してくる。

それが検察のやり方であり、
巨大な権力を行使してくる。

そんな検察と真っ向から、
この三年間戦い続けた小沢一郎。

私自身、小沢氏が追い込まれれば
追い込まれるほど、
「何とかしなくてはならないちっ(怒った顔)
というモチベーションが沸いてくる。

この一連の小沢事件で、
小沢氏に対する「政治と金」という
言葉がメディアに載ったのは
7000回といわれる。

それに、小沢さんの秘書の逮捕、
さらに関係している会社、団体等、
強制的に家宅捜索にあってしまった。

あなたなら、耐えられますか?

これがあオランダの
政治学者カレル・ヴァン・ウォルフレン氏が
指摘している
小沢一郎氏に対する国家的な人物破壊だ。

打たれても、打たれても
立ち続ける小沢一郎。

どんなに苦しくても
信念を貫こうとする小沢一郎。

「お天道さんが見ている」と語り、
最後に勝つのは正義だと信じ切っている
ようだ。

人間って、ここまで強くなれるのだろうか?

ここまで信念を貫けるのだろうか?

そして、ここまで多くの人に感動を与えることが
出来るのだろうか?

マスコミや検察が小沢氏を叩けば叩くほど、
小沢ファンは増えていく。

多くの国民が目覚めていく。

それらの国民が熱意を持って、
自らの手弁当で小沢氏を助けようと
必死になっている。

たった一人のブルドックのような
無愛想なおっさんの為にだ〜。

「勇気」、「信念」、「周りを思う気持ち」
というのは、大変な力があり、
多くの真の仲間をつくるということを、
彼は私に「生き様」として
見せ付けてくれた。

それも心の奥底に、何か熱いものを
植えつけられたような気がしてならない。

昨日4月20日に行われた
「「STOP!権力の暴走」国民大集会、
誰からお金をもらっているわけでもない
多くの人々が大変な熱意を持って集まってきた。

たった一人のブルドック顔のおっさんの勇気が
これほどまで、多くの人の心に火をつけてしまったようだ。

「生きざま」としての小沢一郎生き方、
私は深い勇気と熱意をもらったような気がする。

そして私自身も、少しでも小沢一郎のように
周りの人のために、何かしていきたいと思う。

大変なヤンチャ坊であった私が
ここまで人生生きてこれたのも、
多くの「面倒見のいい大人たち」のおかげだ。

その「面倒見のいい大人たち」も
多くの「面倒見のいい大人たち」に
助けられて生きてきたようだ。

それが日本の社会であり、
日本の伝統ではなかろうか。

周りのために生きる、
社会のために生きる、
日本人って本来は、そういう風土の
国民性であった。

その伝統を守り、
断ち切らないのも、
我々の世代の大きな責務ではなかろうか!!
タグ:小沢一郎
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2012年04月14日

中日新聞「大飯再稼動方針を決定 政府安全性を強調」!

「大飯再稼動方針を決定」!

本日の中日新聞、この一面トップを見て
 
え〜、と思わずのけぞってしまった。
何でそんなに性急なんだ〜?

いったいこの国の政府というのは、
どうなっているんだろうか?

まったく政治が機能していない。

2年数ヶ月前
「国民に政治を取り戻す」
と、語って政権を取った民主党政権が、
こんな国民無視のデタラメな政策決定が
されるとは、、、。

原発銀座若狭湾に存在する大飯原発。

その風下には、京阪神1400万人の大事な
水瓶である琵琶湖が存在する。

琵琶湖は、周りを山々に囲まれ、
そこなら水が集約され、それが京阪神の水瓶となる。

その琵琶湖及び、琵琶湖周辺に放射性物質が
降り注いだらどうなるのだろうか。

琵琶湖に集められ濃縮されることになる。

そして琵琶湖は、「海」ではなく「閉鎖系の湖」である。

福島の事故の時は、大量に降り注いだ放射性物質は
いずれ海に洗い流され、拡散される。

水源のことだけ考えても、
若狭で原発事故が起これば、
大変なことになる。

日本人は、きれいな水をただ同然で
使えることを、どれほどありがたいことか
深く認識する必要がある。

こんな大変重要な政策決定を
こうも性急にやる必要があるのだろうか。

本当に電力が足りないのか。

ただピークのときだけなのに、、、。

顔も見えない、責任の所在もあいまいな
官僚に、いいように操られ、
ただ振り付け通りにベルトコンベアーの
ように、どしどし推し進められてしまう。

原発問題だけでない。

今、消費税増税なんてとんでもない。

瀕死の中小企業がどれほどつぶれることか。

中小企業一つつぶれるだけで、
100の技術が失われるという。

日本の雇用の7割を中小企業がまかなっている。

日本経済を支えてきたのは、
中小企業だという。

消費税増税では、けっして国の収入が増えない。

それより、民にもっと力を付けさせること。

それが、民主党の掲げた「国民の生活が第一」
という理念だったはず。

TPPだってそう。

こんなもん、知れば知るほどひどいものだ。

司法にしろ、西松、陸山会事件、
いわゆる小沢事件で露出した
検察の組織ぐるみのとんでもない
デタラメ。

こんなことがまかり通ってきたのだろうか。

調べれば調べるほど、ひどい話であり、
元検察官の郷原氏によると、検察内部では
「自殺者が出るほうが、いい筋だ」
と、平気で語られているらしい。

冤罪でどれだけの人が、
自らの命を絶ってきたことか。

また、元福島県知事の佐藤栄佐久さんのように
原発の危険性を訴えただけで、
冤罪で罪を着せられ、失職してしまった。

また、ホリエモンなど、
大変な有望株の新興企業が
検察により、ドンドンつぶされていく。

小沢一郎さんを見れば分かる。
30億円かけ、検察の総力をかけて
襲い掛かっても、何も出てこない。

出てくるのは、検察のデタラメ捜査ばかり。

いったい、小沢裁判というのは、
誰が裁かれる裁判だったのか。

それでも、裁判にかけられてしまう。

それも、やっと苦労して政権交代をしたのに、
その最大の功労者に、検察の魔の手がかかり、
身動きできない。

原発問題も、消費税も、TPPも、復興も、
すべて根っこは一緒!

このまま、やつらに食い散らかされていいのだろうか?

無邪気に遊んでいる子供たちが
30年後大人になったとき、
日本はどうなっているのだろうか。

いったい彼らに何を残すのか。

そして、我々が祖父たちから何を引き継いできたのか。

よくよく考える必要がある。

現在の日本の繁栄は、
多くの先人たちの血のにじむような
積み上げがあったからこそ、
我々は平和で豊かに暮らせてきた。

それを、我々の世代で使い切ろうとしている現実。

そして、子供たちに大変な不の遺産を残すことになる。

本当にこのままでいいのか、
よくよく考える必要があると思う。

2012年04月06日

津波のように襲ってくる「無縁社会」!このまま行けば日本が溶ける!!

 私は、ニュージーランド一年間滞在したことがある。

その時に、バイクで農場やユースホステルみたいな
ところを泊まり歩きながら、ニュージーランド国内を
旅した。

 そして、あるユースホステルで、品が良さそうな
60代ぐらいの日本人女性と知り合い、
その宿の食堂で長い時間、語り合った。
 
話を聞くと、独身のようだ。
30代で離婚し、自由を謳歌しているような
感じに見えた。

その人はニュージーランドにも家を持ち、
日本と行き来しながら、二重生活をしてらっしゃった。

また、世界中を旅行されたようで、
その話で盛り上がった。

うらやましい限りの人生である。

途中から我々の話に加わったある若い日本人女性も、
「わ〜、いいな〜、いいな〜、
そんな生き方してみたいな〜わーい(嬉しい顔)

というようなことを叫んでいた。

その人のパスポートは、世界中の入国印鑑で真っ黒。
思い立ったら、次の日には飛行機に飛び乗り旅立つ。
行動力抜群の女性だ。

酒も入ってきたのか
途中から、ふと思いがけない一言が
彼女の口から飛び出した
「自由って、実は飽きるのよね〜」
と、、、。
さらに続く左斜め下
「自由でいろんな体験をするのも面白いけど、
なんていうか、一人だとだんだんと
感動が薄くなっていくのよね〜

と、、、。
さらに、さらに続く左斜め下
「それよりも、やっぱり旅先でも
日常でも、共によろこび、ケンカも思いっきりできる
ようなパートナーを持つべきだった。
歳をとればとるほど、そんな風に
しみじみ思うようになってくるものよ〜

と、、、。

話の方向が、途中から思わぬ展開になったのは
おどろいた。

酒もだいぶ入り、どうも彼女の本音のようだった。

「『自由』には飽きがくる」
当時、まだまだやりたいことだらけだった私にとって、
あまりピンとこないひとことだった。

しかし、今になって思えばうなずけるところがある。

「人間とはもっともっとの動物である」

何かが手に入れば、しばらくすればそれに満足できず、
次のモノをほしくなる。

本当の「自由」とは、外的な要件ではなく、
もっと内側の問題のような気がする。

しっかりと自分に見つめ、
煩悩からなるべく自分を解放してやる。

この方が、心が開放され、
自由になれるものだ。

なんか、話が坊さん臭くなってきたので、
この心に関する話は止めよう。

それより話が変わるが、
今、日本社会で大変なことが起こっている。

それは「無縁社会」だ。

分かりやすいのは「孤独死」であるが、
問題はそれだけではない。
もっと深いものだ。

この「無縁社会」というのは
今後ものすごい勢いで、表面化してくるであろう。

地縁、血縁、社縁、ことごとく「共同体」というのが
衰退していっている。

実は、この共同体の衰退と言うのは、
大きく我々日本人の心の中まで、
影響してしまう。

日本人の「空気」って、だいぶ認知されて
きたと思うが、最初に言い出したのは
たぶん亡くなられた山本七平さんだと思う。

日本人は、周りの空気にいつも依存しながら
生きている。

その「空気」がよどんできたらどうなるだろうか。

その「空気」が利己的で、自分中心主義に
なりすぎてしまったら、どうなってしまうのだろうか。

建前だらけでは、社会は持たない。

おのおの個人が
自己中心的な自由を求めて、
生きて行くならば、社会は持たない。

それは社会に「信用」というモノが
なくなることになる。

ある引退された学校の先生と話してきたときに
こんなことを言われていた
「昔と比べ、学校と親との信頼関係がなくなってきたもうやだ〜(悲しい顔)
と、、、。

親は先生が信用できないからなのか、
自分の子供の損得のみを考えて、
抗議してくる。

そんな親が怖くて、まともな教育が出来ないし、
先生自身の熱意も質も落ちてきたと聞く。

昔はピンタなど当たり前だった。
その分、学校の先生も生徒に対して、
面倒見が良かったし、親身になってくれた。

利己的な空気が漂えば漂うほど、
社会的な信用がなくなり、
何事もうまくことが運ばなくなる。

「自由」という言葉はアメリカから入って
きたのだろう。

その自由の国アメリカの現実をよくよく
認識してもらいたい。

日本より、はるかに治安が悪く、
貧富の差が激しい。
それによる社会不安が日本と比べモノに
ならないくらいだ。

そうなってまで、「自由」と主張できる覚悟は
日本人にあるのだろうか。

そのアメリカの現実を直視すれば、
多くの日本人が抱く「自由」というのは、
甘え構造の中の「自由」であることがよく分かる。

人種のるつぼで移民の国であり、人口国家である
アメリカ的な価値観よりも、
日本独特の助け合い社会の方が、
はるかに持続可能で、スマートな生き方では
なかろうか。

今、社会的な信用も、血縁、地縁、社縁などの
連帯感も共同体も、著しく溶けようとしている。

助け合うという精神が衰退すれば、
支配者側に簡単に分断され、
片方に肩入れすることで、
支配を強める。

それは今も昔も同じこと。

列強の植民地支配がどのようなモノだったのか。

イギリスがインドをどのように統治していたか、
どれほど醜い非人道的であった。

昔のように、国が国を武力により支配するというより、
現在は、「お金」を介した支配になるであろう。

しかし、支配の根本原理というのは
同じである。

そして、今進んでいるのは、
「お金」を介した支配である。

現在の生活を振り返ってみれば、
お金がなくては何もできないようになってしまった。

つまりこの日本の隅々まで「貨幣経済」がしっかりと
浸透しきっているのが、現状だ。

数十年前は、どうかというと
例えば家を建てるにしろ、
多くの労力はご近所や血縁の助けにより
賄われた。

土壁の土、木材なども近くの山から掘り出し、
材料も量力も、大部分が地産地消的に行われた。

つまり、今ほどお金が必要としなくても、
生活が成り立った。

介護でもそう。

昔は家族が親を見るのは当たり前。

結婚式でも、基本的には近くの神社。

葬式でも、家か近所のお寺。

今となっては、介護も、結婚式も、葬式も、食事も
教育も、電気もガスも水道も
ありとあらゆるモノにお金がいる。

ということは、お金があるモノが簡単に
支配できる現状だ。

それが、同じ日本人だけではなく、
グローバル化により、世界からそのような
動きが働く。

では必死に個人としてお金を貯め込めばいいのかというと、
そんなレベルの話ではない。

そのような貯金も、年金も
うまいこと支配層に使われてしまい、
気がつけばスッカラカン。

日本人の力がなくなり、民度が落ちれば
かなり露骨に、それも非人道的に支配される
ようになる。

どこか遠くで起きている戦争へ駆り出されたり、
原発事故現場のような危険なところで、
安い賃金でこき使われるようになる。

働いても、働いても暮らしは向上せず、
ほんの一握りの富裕層と、その他大勢の
貧困層に別れるであろう。

失業者に溢れ、家を捨て、故郷を捨てて、
たださまようしかなくなる人が
かなりの数になるであろう。

そのような光景が世界各国に溢れている。

メキシコの田舎では、
自分たちが食べる食料の生産を止め、
外貨を稼ぐため、無理な農薬による
コーヒー畑に変わってしまった。

その為、畑が荒れ、使い物にならなくなり、
多くの人が都会のスラム街へ移り、
食うや食わずの生活をしている。

インドネシアのパイナップル畑もそう。

グローバル企業により、持続可能な生活スタイルが
急速に破壊されようとしている。

日本でも、同じように力が無くなれば、
そのようになるということ。

その日本の力の根本は、
地縁、血縁、社縁などの共同体であった。

何で日本が豊かでいられたのか、

資源もエネルギーもない日本が
何で奇跡の経済成長を遂げることができたのか。

明治の頃、なんで植民地になることを
避けることができたのか。

日本人は、なぜ集団で強いのか。

それは強固な共同体が存在してこそだ。

強固な存在したからこそ、社会に信用があった。

社会に信用があったからこそ、多くの人が
献身的に社会に貢献してくれた。

よく、スポーツ選手なんかが自分の「夢」について、
語る。その多くがオリンピック出場など
自己の目標が多い。

一昔前の日本人は、自分の夢というと、
社会的貢献度の強いモノであった。

例えば、うちの近所の「愛知用水」。

50年ぐらい前までの話であるが、
毎年、日照り続きの知多半島に何とか
用水路を引いてきたいと思いつき、
身を投げ捨てて活動された
久野庄太郎さんと浜島辰雄さん。

久野さんなんかは、私財をなげうってまで、
活動し、とうとう破産してしまった。

しかし、久野さんの夢はかなえられた。」

個人と言うよりも、社会に貢献する為に
命を賭けた人が、どれだけ多かったことか。

そのおかげで、今の日本の繁栄、豊かさがある。

このような人が多かったのも、
社会が信用できたからだ。

さらにその信用の根本は、
やはり強固な共同体が存在したからだ。

それが、地縁・血縁の宝庫である田舎が衰退
しきっている。

会社ではリストラの嵐、そして雇用体系も変わり、
いつ首にされるか分からない。

そんなところで、社縁などできるわけがない。

若者は、将来不安で結婚もしない。
年寄りは、独りで住むようになってきている。

これが、本当の日本の姿なのか。

これではどうしても、日本の民度も
国力も落ちてしまう。

エネルギーも、食料もかなり外国に依存しきっている
日本の国力が落ちるということが、
どういうことなのか、

一人一人がよくよく考える必要がある。

もう甘ったれた自由なんかを求めるときではない。

おのおのがしっかりとまわりの人の為に
汗をかくときだ。

自ら進んで、縁を切るような行為ではなく、
自ら進んでまわりの人と「縁」を再構築
するときだ。

隣の人に手を差し向ける、
自分のことは押さえてでも、
家族や地域の為に汗をかく。

そして、子供たちに何を残すのか、
よくよく考えて日々生きていく。

このままでは、大変な負の遺産を残す
ことになる。

今は、「自由に生きる」
なんて言う場合ではない。

「みんなと共に生きる」という覚悟こそ
必要ではなかろうか。

そして、そんな生き方に残りの人生を
使い果たした方のが
はるかに有意義ではなかろうか。

そんな生き方を「生き様」として、子供たちに見せつける。

それが後々、子供たちに良い影響を与えると、
私は強く思う。



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2012年04月03日

「強さ」とは、自分の「弱さ」を受け入れること!

 私は29歳のときに、
ホテル業から、まったく畑違いの
セラミックスの会社に、自ら飛び込んで
転職した。

「お前、頭おかしいんじゃね〜のふらふら
と、周りの人にも言われた。。

しかし、本人は大まじめ。

自分にとっては大決断であった。

それとほぼ同時に結婚もした。

結婚に相当臆病であった私にとって、
これも大決断であった。

大決断であればあるほど、
がんばり屋の私は、一生懸命になる。

よし、この業界で一生飯くってくんだちっ(怒った顔)
なんとか、がんばって仕事で生き甲斐を
見出そうちっ(怒った顔)

そんな気持ちが強かった。

そして、ドンドンと積極的に取り組んだ。

積極的にやればやるほど、
自分の知識不足に悩む。

専門的な知識、また科学の基礎的な知識が
喉から手が出るほど欲しくなる。

これではいかんと思い、
就職して2年経った後、放送大学で
科学の勉強をはじめた。

もちろん働きながらなので、
ほとんど仕事と勉強漬け。

とにかく、勉強をする時間を作るのに必死であった。

会社帰ってからはもちろんのこと、
会社の昼休み、早朝早起きして
毎日、毎日5年間も続け、
何とか卒業することが出来た。

同時に、セラミックスの基礎的な知識も
ドンドン吸収していった。

仕事ではいろんなことを体験し、技術と知恵を学び、
会社外では科学とセラミックスと勉強に没頭した。

知識も技術も、知恵もそれなりに身についてきて
充実した日々を送っていた。

そこまでやるにはかなり自分を追い込まなくては
ならない。「俺はやるんだ、やるんだちっ(怒った顔)
と、言い聞かせながら突き進んだ。

反面、取り組めば取り組むほど、
周りからは浮いた存在になってしまう。

それはそうであろう。

時間を作るため、周りからの誘いもあまり受けずに、
とにかく時間が欲しい、俺はやることがあるんだ
という様な気持ちが強かった。

自分の勉強の世界にどっぷりと
入り込んでしまったような状態であった。

またその時期、他人との衝突も増える。

ストイックになればなるほど、
自分を追い込むことになる。

追い込むということは、「弱い自分」、
能率的でない自分、そのようなモノを
自分の中から排除していかないと、
けっしてやり遂げれるようなことではなかった。

ある人が言っていたが、
他人とは、しょせん自分の鏡である
と、、、。

自分の中に切り捨てたいモノがあるということは、
自然に他人のそのような部分も受け付けられなくなる。

他人にも、知らず知らずのうちに
ストイックさを求めてしまっていた。

例えば、仕事でも、少しのことでえらいだの、疲れただの
ほざく人たちと
「こいつら飯食っていくきがあるのかちっ(怒った顔)
と、よく対立もした。

当時、ストイックに生きれば生きるほど、
周りと摩擦が増える。

追い込めば追い込むほど、
孤独感が増す。

家庭内でも同じこと。

私の妻は、どちらかというと
被害妄想系というか、誰でもあるのだろうが
自分の気にしていることを、自分の中で
拡大解釈し、なにかあると、「なんて私は不幸なの〜もうやだ〜(悲しい顔)
という感じになってしまう。

当時なかなか子供ができない妻は、
とてもセンシティブで、周りでその話題になると
落ち込むような毎日であった。

周りの人は、まったく意識してもいない言葉にも、
敏感に感じ取って落ち込んでしまう。

私は「周りの人はまったく悪意などない。
子供ができないからって、人生終わったわけではない。
それにもっと不幸な人などいっぱいいるじゃないか。
そんなウジウジしとってどうするんじゃ〜ちっ(怒った顔)

ぐらいなことを、言っていた。

妻は私に対して
何で私の悲しみを分かってくれないの〜もうやだ〜(悲しい顔)
私は妻に対して
え〜加減しゃきっとして、前向きに生きろ〜ちっ(怒った顔)
というような感じでいつまでも平行線。

こんな感じだったかもしれない。

自分がストイックであればあるほど、
周りにも知らず知らずのうちに
自分に厳しく生きることを要求してしまう。

そのような原理が働き、
自分を追い込めば追い込むほど、
どうも孤独感が増す。

そんな生活を8年近く続けた後、
私の価値観を大きく変えるような出来事が
起こった。

「価値観」とは、変わるものである。
その時、自分が何を求めて生きているかで、
その時々の自分の中で「価値観」が形成される。

その大事件とは、仕事で右手のひらを複雑骨折してしまった。

利き腕であり、包帯で縛ってあるので、
仕事も何もできない。

どちらかと言えば、周りに横柄な態度をとっていた自分が、
会社でも家でも、何もできなくなってしまった。

一人で、箸もてなければ、服もきることができない。

何でも自分でバリバリやってきた私に、不自由さが
突然おそってきた。

仕事上のことでも、冷や汗をかきながら、
周りに自分仕事をお願いするしかない。

それはもう青汁1リットルを一気のみするような日々であった。

立場が変われば、まったく視界が変わってくる。

その人その人の立場というのも分かってくる。

それと、何でも自分一人でやっていたように思いこんでいたが、
直接的にも、間接的にも、多くの人の支えがあることにも
気がついた。

自分を追い込んで追い込んでいるうちは
実は視野もドンドン狭くなる。

よくイノシシ猛進系というが、その通りだと思う。

そして、立場の弱いときには、人の助け、
人の何気ない温かい言葉が身にしみる。

けっこうこういう経験って、多くの人が味わっている。

弱い立場になって気がつくことの多さ。

そして、自分の愚かさ、弱さを知ることができる。

「自分の弱さを知る、そしてその弱さを受け入れる」
これって、非常に大事なこと。

自分の弱さが受け入れられるようになれば、
相手の気持ちが理解できやすくなる。

互いに気持ちの疎通ができれば、
信頼関係が生まれる。

実は、この信頼関係というのがとても大事。

何か物事を成し遂げるにしろ、一人でがむしゃらにやるよりも
信頼関係をベースに協力しあってやった方のが、
実は成し遂げれることが多い。

自分自身の意志を持っているがんばり屋さんには、
大変難しいことであるが、時には自分の価値観を押し殺してまでも、
相手にとことん合わせることも必要である。

頭から「私はそんな風には思わないから」
と、避けていれば信頼関係は築けない。

それよりも、もし失敗したとしても
共に失敗し、共に立ち上がる、そうした方のが
信頼関係ができやすい。

確かに、時間と忍耐、そして勇気がいる。

心理学を学んでいるような人は、
このように「自分の価値観を押し殺す」なんて
とんでもないことのようにおもえるだろうが、
勇気、忍耐、見識さえあれば、
出来ないことはないように思う。

信頼関係の構築とは、子育てと同じようなのかもしれない。

時間と労力を掛けた人間関係の方が
強固であり、お互いの価値観をも融合できる可能性が十分ある。

特に夫婦もそうだし、親子もそう。

最近、私の身近な夫婦が別れるという。

どんな理由があるにせよ、片方が自分の世界に
入りすぎて、結局は夫婦の信頼関係、絆の
積み上げ構築を怠ってきたきた結果、
「価値観のズレ」、「すれ違い」に繋がったように
見えてならい。

「自由」には、必ず「飽き」がくる。

それより、もう一度パートナーと、
信頼関係の再構築に力を注いだ方のが、
はるかに価値があるように思えてならない。

親子関係でもそう。

親との信頼関係がなければ、
親の老介護も大変になるのではなかろうか。

「自分の為に生きる」という言葉をよく聞く。

私は「まわりと共に生きる」という言葉の方が
カッコイイと思う。

自立心を養い、ただがむしゃらにがんぱる時期は
「自分の為に生きる」というフレーズがピッタリだ。

あるところまで行くと、実は潜在的に違うことを求める
ようになるのではなかろうか。

いつまでもがむしゃらに生きようとし続ければ、
限界を感じる。

そして神様は何度も「自分の弱さを悟りなさい」
という機会を与えてください。

しかし、いつまでたっても、そのことを否定し続け、
受け入れられない人も多くいるのも事実だ。

猛進系の頑張り屋さんで、それを受け入れられない人というのは、
だんだんと酒におぼれていく傾向がある。

そのようなおじさん達の酒にさんざんつき合わされた
経験がある。

酔うと、何度も、何度も過去の自慢話しか話さなくなる。

自分の弱さを受け入れれば、
さらに道が開ける。

そして、楽しい仲間達に恵まれる。

それには、すべて自分の内側の開拓だ。

ある人のフレーズだが、
最大のフロンティアは自分の内側にあり」。

いいフレーズだね〜。



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2012年04月01日

「苦悩」。そして苦悩が導くモノ!

 昨日早朝、仕事が早出だったので、
5時40分頃、家を出ようとした。

会社に行く前に、いつもの日課であるが
オヤジの母屋に住む親父の顔を見に行く。

オヤジは、年寄りなので、朝5時には起きて、
ゴソゴソ何かやっている。

「おやじ〜おはよ〜」といつものように
いっても返事がない。

それに人の気配を感じない。

お袋が寝ている寝室にいっても、
いつも出勤時間ギリギリの6時半まで
大いないびきをかいて寝ているお袋もいない。

家中探してもいない。

外を見ると、お袋の車がない。

こんな朝早く、どこいったんだろ〜
と、ちょっと心配になってきたので、
お袋の携帯に電話したら、
何と早朝から倫理を教えている
「早起き会」というものに参加していたらしい。

この「早起き会」というのは、オヤジが言っていて
お袋や私にも何回も誘うが、
朝早いし、一度いったら毎回行かなくてはならないので、
断り続けていた。

それが、昨日は母も突然参加したので
ビックリした。

母にとって、一週間ほど前、
ショックなニュースが入ってきた。

最近、あまり寝ていないみたいだ。

何かにすがりたい気持ちになたのかもしれない。

毎朝母の顔を見ると、トロ〜んとした顔し、
あまり元気がない。

母はあっけらかんとした性格であるが、
何か心配事があると、いつもそのようになる。

私も昔はずいぶん心配をかけ、
母のこのような顔を見てきた。

昔は、その顔を見るのがいやでいやで
逆に家に寄り付かなくなったりしたもんだ。

今思えば、ヤンチャばかりしていた私は
両親にはいろいろな心配をかけてきて、
申し訳ない気持ちである。

こんな顔をして、私のことを相当心配してきた。

私の古い幼馴染がよくいうが
「お前の親なら、普通ノイローゼになっとるぞ〜
と、、、。

その通りであり、その分今は両親に色々と
こき使われている。

ほれ、「テレビがつかないふらふら」とか、
ちょっと、保険屋が来て難しい話をしとるで、
おまえちょっと、代わりに聞いとけちっ(怒った顔)

とか、なんかあるたびに
携帯を使って呼ばれる。

私もブツブツいいながら、そんな両親の
注文に「わかった、わかったハイハイ
といいながら、母のわがままをきいている。

親にしてみれば、昔の仕返しなのか、
あれほどヤンチャだった私が何でもやってくれるのが
嬉しいのかわからないが、
あつかましいくらい、あれやれこれやれと
注文してくる。

まあ〜、これもそれほどいやなことでもない。

オヤジはもお袋も年寄りなので、
あと何年生きれるか分からない。

いずれ私たちを置いて、あの世に旅立ってしまう。

そう思えば、今のこのように両親と過ごす時間が
大変貴重に感じる。

若くして両親を次々に亡くした
私の幼馴染がこんなことを言っていた
hideくん、親孝行なんて今のうちやに〜
と、、、。

彼の言葉には深みがある。

そんな母が今、苦悩にあえいでいるようだ。

齢をとり、胃があまり強くないので
心配であるが、生きている以上、
思いも寄らないハプニングはついてまわる。

人生とは、苦悩にどこまでも追いかけられるもの。

今度の苦悩も母にとっては、
大きなものであるが、それを何とか乗り越えようと、
もがいているようだ。

何かにすがりたい、何かの「悟り」を求めてなのか、
倫理の勉強会に、朝早くから出かけていった。

これをまた乗り切れば、より一層人間的に
深みが増すのであろう。

年寄りなので大変であるが、これが人生なんだ。

そんな母に付き添って生きたい。

一人でがむしゃらに、苦悩を乗り越える人生もある。

苦悩にもがき苦しみながら、
支えあって生きていく人生もある。

それぞれあった人生を歩めばいい。

もがけばもがくほど、小さな悟りを得たときの
喜びは増すであろう。

さあ〜、おかんがんぱぞ〜と、
声をかけ続けようと思う。

親はいつまでも生きているわけでない。

親孝行はやれるときにやったほうが
いいと思う。




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2012年03月30日

「価値観」のズレ、すれ違い、そして離婚!

 つい最近、私のとても身近な夫婦が離婚するかもしれない。

そのニュースが我が家に入ってきた。

家中、蜂の巣を突っついたようにテンワヤンワ。

その夫婦によく話を聞いてみると、
価値観のズレ、すれ違いが原因らしい。

「価値観」、、、。

この言葉は、結婚のときも離婚のときも良く使われる。

それはさておき、その夫婦の話を別々に聞いてみると、
驚いたことがあった。
それは、奥さんの方が、旦那さんの両親に
もう何年も会ってないらしい。
なんちゅうこっちゃ〜、そりゃすれ違うわ〜
と、強く思った。

私にとって、そのことはすごく大事なこと。

私ら夫婦が結婚するとき、
私は長男、私の嫁は2人姉妹の長女、
どちらも家の跡取りとして、期待されていた。

十数年前、うちの両親が、嫁の両親に
初めて挨拶に行くとき、
娘さんをお嫁にいただいても本当によろしいのでしょうか?」
と、たずねた。

義父は
私どもは娘の幸せを一番に考えております。
跡継ぎの件は、もうすでに諦めています。
どうか末永くよろしくお願いします

というような返答であった。

本当にジーンとして、感動した。

愛娘であり、その長女を私にくれると言う。

当時の私は、29歳。
ニュージーランドに一年間滞在し、
帰国して、定職に付いたばかりのころだ。

それも、遠い他県のどこの「馬の骨」か分からない
ようなやつに大事な娘ををくれると言う。

本当に感謝感謝で、胸が一杯になった。

その後、結婚生活がスタート。

やはり他人同士、何度も激しいけんかを経験した。

けんかの後、冷静になると、どうしても
嫁の両親の顔が浮かんでくる。

「このくそったれ、何でわからんのじゃ〜ちっ(怒った顔)
と、はらわた煮えくり返るときも、しょっちゅうあったが、
次の日には妥協点を探り、方向修正を繰り返す。

そのような、腹をくくって、苦い青汁を一気飲みするような
行為を無理してするのも、やはり両親の存在が大きい。

また、子供もいないのでその分、両親がいとおしく思え、
互いの親を大事にすることが、夫婦生活を維持する上で、
私らにとっては、すごく大事なこと。

その離婚しそうな夫婦の話に戻すが、
相手の親に会ってないというのは
なんちゅう手抜きをしとるんじゃ〜
と、私には思えてしまった。

しかし、よくよく冷静に考えれば、
それは私の結婚に対する価値観だ。

もし私のような体験をしていなければ、
その価値観の度合いは、かなり低くなって
いるのかもしれない。

やっぱり人間というのは、
自分の短い物差しでしか、世の中の諸現象を
測ることしかできない。

それから、もう一つ。

こないだうちの親父と飯を食っていたら、
親父は相変わらず、牛のように音を立てて
クチャクチャ食べている。

以前は、それが親父と同じで私の悪い習慣であり、
それが嫁の影響で、改善されてしまった。

気が付けば、いつの間にか、
その音を立てない事が、私の中で習慣となり、
常識化してきたようだ。

考え方もそう。

何度も何度も、感情をぶつけ合ってけんかをし、
互いに何かが融合しているような気がする。

偽りなく、真正面から向き合い続ければ、
けっこういい関係が築けるような気がする。

それも地道にコツコツやることだ。
それには忍耐も、見識も、勇気もいる。

人間関係というのは、そのように
地道にコツコツ積み上げれば強固なモノが築ける。

それは私の信念であり、この人と思った人には、
出来る限りそのようにしている。

別れそうな夫婦を見ると、
「もう一回、もう一回諦めずに
勇気をもって、向き合ってみろよ。
もう一回、もう一回腹をくくって、
向き合えば、もっといい関係が築けるよ〜

と、つい思ってしまう。

今回も、そのような熱いものが心のそこから
こみ上げてくる。

離婚というのは、二人だけの問題ではない。
多くの人を悲しませることになる。

子供のいない我々にとって、
大事な夫婦であり、その二人が
離婚するというのは、私にとっては
ショックが強い。

しかし、それも私独自の価値観なのかもしれない。

私らは、比較的向き合う時間が多く持てた。

しかし、世の中の多くの人はそうではない。

人というのは、立場やその環境によって、
価値観が変わるもの。

今、その価値観に執着して、
別れてしまったら、もしかしたら、
大きなものを失うのではなかろうか。

私も、「価値観」というものに重きを置いて結婚した。

しかし、結婚してみて、その価値観にかなりのずれがある
事にも気付いた。そして、価値観は融合する。

真剣に向き合えば向き合うほど、
より良い共通の価値観を生み出せる可能性がある。

所詮はこれも、私の「価値観」であり、
「考え方」であるが、、、、。

また、別れた方のが、より多くのいろんなことに
気付くチャンスになる例もある。

いったい、何が良いのか、悪いのか、
頭がこんがらがってくる。

大事な人であっても、自分の価値観を押し付けるのは
なるべく控えるべきであろうし、
心の中からこみ上げる強い塊が存在し、
その葛藤で、また思い悩む。

しかし、一ついえること。

そのように、毎日毎日思い悩むことで、
日々成長していく。
これが私の「最大の価値観」なのかもしれない。

posted by hide at 21:11| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする