2024年04月13日

本当の幸せとは、、、。本当の自由とは、、、。

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昨日は、出社前の
早朝から畑を耕す。

]朝日を十分に
浴びながらの作業。

とてもさわやかな
気分になる。


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その朝日の下で
母がブロッコリーの収穫。

ふと幸せな気分になる。

こんな風景、昔は
そんな風に思えたろうか?

常に、何かしらのことで
頭がパンパン、
気持ちがどこかへ
飛んでいた。

今でも、大半は
そうであるが、
ふと、こんな風景を
見ると心が和む。

本当の「幸せ」って
何なんだろうか?

本当の「自由」って
何なんだろうか?
究極を言えば、
もしかしたら、
「自身の物事の
とらえ方」次第なの
かもしれない。

そう思うと、
随分、遠回りしてきたな
〜なんて思う。

しかし、その遠回りが
なくて、今のような
風景を見て、
幸せと感じることは
ないと思う。

そう思えば、
何が良いのか?悪いのか?
すべてのことが
必然必要。
常に最適な課題を
用意されているのが
人生。

ほんと、そうなのかも
しれませんね(^^)/
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2023年12月31日

瀬戸内海、山口県祝島、平さんの石積み田んぼ!

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昨日は、瀬戸内海、
山口県祝島に行って
来ました。


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まさに、石積みの島。
石も多いようで、
棚田、集落のいたるところに
石造りの壁が広がる。

そして、究極は、
ここ、平さんの
石積みの田んぼ!



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この石積み、一番高いとこで
9mにも、およぶという。

すでに、平らさも高齢に
なり、田んぼは三年前に
やめられたらしいが
とにかく、実際に見ると
想像を絶するほどの高さ。

これを人の力で
親子三代でやられたとか。

ここは、とにかく急斜面。

さらに、瀬戸内海である
以上、降水量が少ないはず。

こんなところで、
ここまで石を積み上げて、
田んぼを作ってしまう。
驚くばかりだ!

「米」と日本人。

その米作りと
石積み技術、水を引く技術、
土木技術、社会の在り方や
思想、哲学までまで、
いろんなことに深く
影響している。

そんなことを
このそびえ立つ石積み
田んぼを見て、妄想しました(^^)/
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2023年12月03日

「今日、だれのために生きる」著者 ひすいこうたろう×SHOGENを読んで

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うちの嫁に勧められて
読んだ本、
「今日、だれのために
生きる」
著者 ひすいこうたろう
×SHOGEN
これがとてつもなく
面白かった。
詳しい話は
次回に譲るとして、
とにかく
本来の日本人のあり方に
ついて、何度も何度も
語られている。
「目覚めよ〜日本人」、
そんなメッセージが
多くの人に届いたの
ではなかろうか、、、。
この本の中で、
次のようなことが
書いてあったので
皆さんと共有したいです。
・・・・・
かつての日本人は、全ての存在の中に
神(精霊・魂)を感じていました。
人の中にも、小さな虫の中にも、
木の中にも、一枚の葉の中にも、
星空の中にも、雨粒の中にも、
吹いてくる風の中にも、
そして、トイレの中にさえも。
 古い道具に宿る神は「九十九神」と言われ、
貧乏や疫病さえも神の化身、「貧乏神」「疫病神」と
いう言葉がある通りです。
 だから、日本人にとってはご飯を作ること、
食べること、お掃除をすること、生きること、
生活すること、そのすべてが神との対話、
神との交流だったのです。そして、おおらかに、
朗らかに、高らかに、笑いの中を生きてきたわけです。
・・・・・・・
全てのもの、現象に
「神」を見出してきた日本人。
生活の中、仕事の中にも
神とともにあったはず。
そうなれば、自ずと
大事に丁寧に,物事を
行うということに
繋がる。
それが、今を生きると
いうことの大切さ、
そして、朗らかに生きる
ということに、
繋がってきたように
思います。


ちの嫁に勧められて
読んだ本、
「今日、だれのために
生きる」
著者 ひすいこうたろう
×SHOGEN
これがとてつもなく
面白かった。
詳しい話は
次回に譲るとして、
とにかく
本来の日本人のあり方に
ついて、何度も何度も
語られている。
「目覚めよ〜日本人」、
そんなメッセージが
多くの人に届いたの
ではなかろうか、、、。
この本の中で、
次のようなことが
書いてあったので
皆さんと共有したいです。
・・・・・
かつての日本人は、全ての存在の中に
神(精霊・魂)を感じていました。
人の中にも、小さな虫の中にも、
木の中にも、一枚の葉の中にも、
星空の中にも、雨粒の中にも、
吹いてくる風の中にも、
そして、トイレの中にさえも。
 古い道具に宿る神は「九十九神」と言われ、
貧乏や疫病さえも神の化身、「貧乏神」「疫病神」と
いう言葉がある通りです。
 だから、日本人にとってはご飯を作ること、
食べること、お掃除をすること、生きること、
生活すること、そのすべてが神との対話、
神との交流だったのです。そして、おおらかに、
朗らかに、高らかに、笑いの中を生きてきたわけです。
・・・・・・・
全てのもの、現象に
「神」を見出してきた日本人。
生活の中、仕事の中にも
神とともにあったはず。
そうなれば、自ずと
大事に丁寧に,物事を
行うということに
繋がる。
それが、今を生きると
いうことの大切さ、
そして、朗らかに生きる
ということに、
繋がってきたように
思います。
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2023年08月17日

亡くなった人と、共に生きるということ!

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今日は、愛犬パンチの命日。

この一年を振り返って
みると、あ〜パンチが
私の心の中に
しっかりと「結晶化」
したな〜と、ふと思う。

ふと、パンチのことを
思い浮べると
とても暖かい気持ちになる。
そして、いつも
一緒にいるような気になる。
出会いは、一番素敵なこと。
別れは、二番目に素敵なこと。

この友人の言葉の
通りだと、つくづく思う。
「そんなのただの妄想じゃん〜」
と、言われればその通り。
しかし、この「妄想力」って
けっこう大事なのかも
しれない。

ユダヤ人で精神科医
ヴィクトール・フランクルが
書いた「夜と霧」。

先の大戦でナチスの
強制収容所の中で
生き残る人というのは
その「妄想力」の
ある人とのこと。
どんなに頑張っても
頑張っても、ガス室に
送られ、仲間がどんどん
殺されていく。

そんな究極の環境の
中で、逆に前向きな人と
いうのは、絶望のどん底に
陥ってしまい、
食べるのさえやめて
しまうとか、、、。

辛い時、悲しい時、
パンチと遊んだ時の
ことを妄想する。
これって、私の大きな
財産なのかもしれない。

亡くなった祖父母、
伯父、伯母、上司、
先生、友人、、、。

そんな人と共に生きる
ことって、悪いことでは
ないのかもしれない。

時には、勇気をもらい、
時には、孤独感が和らぐ。

自分の中で
そんなチャンネルを
持つことって、
今を思いっきり
生きることに繋がる
のかもしれませんね(^^)/
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2023年04月13日

日本人と田んぼについて。

どこででも見かける
田んぼ。

我々日本人人に
とって、なくては
ならないものです。

そんなことを、
今、多くの日本人が、
忘れようとしている
と思います。

田んぼとは、何のか?
4/22(土)午後8時から
日本学ユニバーシティ(JU)で
お話をさせていただくことに
なりました。


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無料ですので、
もしよろしければ
ご参加ください。

共に、田んぼについて
研究していきましょう(^^)/

https://mekiki.sukumane.biz/sukumane/event/detail/1361?fbclid=IwAR2EkvNV_R0ZulwFTze70cD_sKkVXwTRuXEnMO0174aeZnIr3O7R6ksvGec



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2023年03月18日

友人の命日。

昨日は、28年前、
27歳でなくなった
親しい友人のY君の命日。
いつものように、
薄暗い早朝、出社前に
お墓参りに行ってきた。
きれいな花が飾られている。
ちょっと、ほっとした瞬間。
毎年、きれいな花が飾られて
いたが、昨年は
枯れていた。
もう、Y君のお母さんも
高齢のはず。
体調が芳しくないのかな〜
と、少し心配して
いましたが、よかったです。
一年に一度、
毎年、ここでY君と
向き合う。
つまり、自分を振り返る
いい機会でもある。
最近、あるFBの友人が
自身のお父さんに
こんな質問をされていた。
「お父さん、人生の中で
一番価値があると思えた
出来事って何?」
と。
そしたら、お父さんが
「それは今だね。
今この瞬間。そうだと感じるよ。
若い頃は色々あって、
今が1番自分が整って
いるからね。」
と。
とても、グッときましたね。
私自身を振り返れば、
頭はうすなるは、
腹は出るは、
尿漏れもありの
おっさんになって
しまったが、
もしそのような質問を
されたら、同じように
思うのかもしれない。
苦しいことも多くあった。
しかし、「魂」という観点で
みると、その苦しさって
貴重な体験だった
ような気がする。
今年で、私も56歳。
Y君より、倍以上
生きれたことになる。
長ければいい、
短ければいい、
というような話では
ない。
それぞれ
お役目、課題を持って
生まれてきた
のだと思う。
そう思うと、
自身の人生をまっとうし、
いずれあの世へ
帰っていく。
人生って、冷静に見れば、
「夢幻の如くなり」
なのかもしれない。
そんな中で、魂を
育てていきたいな〜と
妄想しています(^^)/
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2022年12月08日

二酸化炭素による地球温暖化が本当なのか?それより、脱炭素の流れの本質とは、、、。

二酸化炭素による
地球温暖化が本当なのか?

いろんなところで議論されて
いるが、「分からない」
というのが正直なところ。

その急先鋒であると
思い続けていた
T教授でさえ、最近の
動画で、「分からない」
とこたえていた。

なぜなら、科学者は
未来のことは分からない。

ただ、データを見て、
分析するのが仕事とのこと。

しかし、どうしても一つ言いたい。

脱炭素とは、ほぼほぼ
脱石油。脱化石燃料。

そして、ここ100年、
世界の戦争を見渡せば、
その多くが石油などの
エネルギー資源の奪い合い。

今日、炭焼きを
しながら読書にふけっていた。

その本とは、
「エネルギーの物語」。

マイケル・E・ウェバー教授で
エネルギー資源の専門家の著書。

ここに、明確に
エネルギーの流れ、
そしてその歴史などに
ついて書かれている。

特に私が書き起こしたいのは、
石油と戦争。

・・・・・・
第六章 安全保障

戦争はしばしば資源をめぐって起きる。
資源不足に苦しむ集団が資源を求めて
資源が豊富な集団と戦うこともある。
また資源の制約は社会を不安化する要因となり
兵士を志す者も増える。
・・・・・・
過去の戦争は食料や水、塩などの資源をめぐる戦いだった。
しかし前世紀からの戦争は、特に石油をめぐる戦いになった。
このエピソードは第一次世界大戦、軍事力の機械化に始まる。
世界に拡大した紛争で勝敗を分けたことから、石油の
戦略的価値が高まり、戦う価値のある資源となった。
・・・・・・

「カータードクトリン」P.256
カーター大統領は1980年の一般教書演説で、
中東のとても活発な石油生産の中心地である
ペルシャ湾において、アメリカ軍は世界中にその力を
誇示し、石油タンカーが自由に航行できるような
海軍にシーレーンを守らせた。
特に気がかりなのがチョークポイントだ。
チョークポイントというのは、重要な貿易航路の中で
地形的に狭くなった部分のことで、この地点が軍事的に封鎖されたり、
敵対勢力によって寸断されたりすれば、輸送の流れ
全体が止まってしまう貿易の急所だ。
2015年、世界は一日に」9700万バレル近い石油を消費していた。
その内5900万バレル近くはタンカーで海上輸送され、
その際いくつかのチョークポイントを通過する。
重要なチョークポイントをあげると、ペルシャ湾の出口にあたる
ホルムズ海峡(一日に1900万ばれる、世界の消費の約20%)、
スエズ運河(550万バレル/日)中東から欧州へ。
そしてシンガポールの近くを通りマレー半島とインドネシアの
間に連なる長さ数百キロにもおよぶマラッカ海峡
(アジア向けの1600万バレル/日)がある。
超大型タンカーは一隻で、200万バレルの石油を運ぶ。
1バレル50ドルとして1億ドルの価値がある。
2009年の事件では、ソマリアの海賊がサウジアラビア所有のスーパータンカー
(シリウス・スター)を二か月間拘束した末、
300万ドルという大金と交換で解放した。海賊は世界中で一年間に
何百隻もの船舶を攻撃し、なかでも石油タンカーは
彼らにとって魅力的な獲物で、年間数十隻が攻撃を受けている。
2003〜2017年にかけて総計470隻の石油タンカーが
攻撃を受け、他にも天然ガスとプロパンガスのタンカー133隻が
攻撃を受けている。タンカーへの攻撃がこれほどの頻度になったことで、
世界の石油価格は上昇した。石油のグローバル・サプライチェーンが
このように脆弱なことを見せつけられると、多くの国は
石油輸入量を削減し、可能ならエネルギーを自給自足することを
積極的な関心を示すようになった。

そして、現在緊張感が一層高まっている
台湾海峡。

また、エネルギー資源として、
局在化する石油。

石油の輸出国にとって、
石油の輸出規制は、とてつもない
カードとして使い続けられてきた。

それらからの脱却、つまり
「省エネ」。言い方を変えれば「脱炭素」。

これが、世界の大きな流れのような
気がしてならない。
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2022年10月02日

プーチンの演説(2022.9.30)

世界通貨「米ドル」。

その米ドルが崩壊しつつ
あるという。

そして、2022年9月30日に
行われたプーチンの演説の
中で、次のようなことが
語られていた。

「印刷されたドルやユーロで
人々を養うことは、もはや
不可能。実際の
食べ物が必要であり、
エネルギーが必要」
と、、、。

支配のために使われ続けた通貨の時代から、
本来の通貨の価値が問われる時代になりつつ
あるのかもしれませんね。
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2022年09月03日

無縁社会(社縁編)について。

無縁社会(社縁編)に
ついて。

ベルリンの壁が崩壊した
のが1989年。

資本主義が共産主義に
勝った瞬間。

世界は、資本主義こそ、
唯一の正しい経済システム
という雰囲気へ。

資本家たちは
安い原料、安い労働力、
市場を求めて、世界中に
拡がる。

中国、インド、東南アジア、
東欧、南米などなど、
あらゆるところに工場ができ、
あらゆるところから、資源が
採掘される時代へ。

本格的な
新自由主義・グローバル化の始まり。
そして、日本でも
1995年のある雑誌に
次のようなことが
書いてあった。
・・・・・・・・
新自由主義の信念は
「自由市場には、価格を
通じて資源をとても効率的に
配分し、経済厚生を拡大する
原理がある」とするものである。
そのため「小さな政府」
「健全財政緊縮財政」
「規制緩和」「「自由化」
「民営化」「労働市場の流動化」
「グローバル化」という施柵を
推進する。
・・・・・・・・・
まさに、この約30年の
流れでしたね。
では、それ以前の
社会の雰囲気とは、
どういうものだったのか?

特に、会社について
私の体験談を語りたいです。

私が高校を卒業し、
近くの会社に就職し
たのが1986年。

ベルリンの壁が崩壊する前
であり、バブルの前で
ありました。

その入った会社とは、
とても教育熱心で、
今思えば、あまりにも
ありがたさで、
涙が出るほど。

危険物などの免許を
積極的に社員全員に
取得させ、
通信教育も毎年二つ。

持ち寄った本で、
図書館をつくるなど、
私の社会人としての
基礎を作ってくれた。

特に極めつけは、日報。

新入社員に、
「日報」をつけさせ、
毎日、その日報を
班長、係長、課長、工場長、
常務が閲覧し、コメントを
書いてくれた。

その日報を開いてみると
例えば
「今日は、一日ドラム缶詰めを
やった。なんだか、とても疲れた。
早く昼休みがこないかな〜と思った」
とか、、、。

そんな私に対して、
「何で疲れるのか、どのように
仕事を進めれば、効率が上がるのか、
よくよく考えてください」 
課長
、、、
「仕事は、一生しなければならない。
その仕事とどのように
向き合うのか、真剣に考えれば、
よりより人生に出会えると思います」
係長
まったく、バカ丸出しの
私に、真正面から
向き合ってくれた。
そして、二年目。

ついに大爆発。
トップである常務の家に
怒鳴り込みに行く
「わしは、勉強が嫌で
就職したんだ。
何で働いてまで、
勉強しなきゃ〜
いかんのだ」
と、、、。

ほんと、今思えば、
大馬鹿野郎だ。
そんな私に常務は、
コンコンとその必要性を
語ってくれた。
当時は、そんな雰囲気が
あったように思う。

そして、5年経過したところで、
みんなが止めるのを振り切って
会社を退社。

その会社の良さが、
心底身に沁みるのは
その後だった。

今では、読書は大好き。

勉強も大好き。

大好きなあまり、
30代で放送大学もやり遂げた。

そして、日報の効果であるが、
毎日、毎日日記をつける習慣。
それが、どれだけ私を
助けてくれたことか。

客観的に自分と向き合える場所。
それってとても大事。

当時は、もっと社会全体で
若いものを育てるって
いう雰囲気があったように思う。

先悦化した
新自由主義社会では
非正規雇用の増加、、、。
派遣切り、、、。
無縁社会へ突き進んでいる
と言われている。

安い労働力確保というものが
後ほど、どのように影響して
くるか。
振り返るには、
いい時期だと思います(^^)/
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2022年08月09日

シラクの国日本

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シラスの国日本。

シラスの国、ウシハクの国
という言葉があるようです。

ウシハクとは、
支配者が所有する国。

日本は「シラスの国」として、
神話の中にも出てくるとのこと。

そのシラスの国とは、
権威(天皇)、
権力(幕府、政府)
天皇の大御宝(国民)
とし、天皇から
政権を与えられた
幕府なり政府が
大御宝である国民を
しっかりと養っていく
そんな思想、、、、。

ほんとかよ〜と、思う
かもしれませんが、
歴史を学んでいると
その痕跡がいたるところ
にあるようです。

今日は、終戦直後の
昭和天皇とマッカーサー元帥の
対談について、紹介したいです。

945年9月27日、
昭和天皇は、敵将マッカーサーに
会うために、アメリカ大使館公邸を訪問。
大使公邸の玄関で昭和天皇を出迎えたのは、
マッカーサーではなく、
わずか二人の副官だけだった。

昭和天皇の訪問の知らせを聞いたマッカーサーは
第一次大戦直後、占領軍としてドイツへ進駐した
父に伴っていた時に敗戦国ドイツの
カイゼル皇帝が占領軍の元に訪れて
いたことを思い出していたとのこと。
カイゼル皇帝は
「戦争は国民が勝手にやったこと、
自分には責任がない。

従って自分の命だけは助けてほしい」
と、命乞いを申し出たのだ。
同じような命乞いを予想していた
マッカーサーはパイプを口にくわえ、
ソファーから立とうともしなかった。
椅子に座って背もたれに体を預け、
足を組み、マドロスパイプを咥えて
た姿は、あからさまに昭和天皇を見下していた。

そんなマッカーサーに対して昭和天皇は
直立不動のままで、国際礼儀としての
挨拶をした後に自身の進退について述べた。

「日本国天皇はこの私であります。
戦争に関する一切の責任はこの私にあります。

私の命においてすべてが行われました限り、
日本にはただ一人の戦犯もおりません。

絞首刑はもちろんのこと、いかなる
極刑にも処されても、いつでも応ずるだけの
覚悟があります。
しかしながら、罪なき8000万の
国民が住む家なく着るには衣なく、
食べるには食なき姿において、
まさに深憂に耐えんものがあります。

温かき閣下のご配慮を持ちまして、
国民たちの衣食住の点のみに
ご高配を賜りますように」
マッカーサーは驚いて、スクッと立ち上がり、
今度は陛下を抱くようにして
座らせました。

マッカーサーは今度は一臣下のごとく、
直立不動で陛下の前に立ち、
「天皇はこのようなもので
ありましたか!天皇とはこの
ようなもので
ありましたか!
私も、日本人に生まれたかったです。

陛下、ご不自由でございましょう。

私に出来ますことがあれば、
何なりとお申し付け下さい」と。

陛下は、再びスクッと立たれ、涙をぼろぼろ流し、
「命を懸けて、閣下のお袖にすがっておりまする。
この私に何の望みがありましょうか。

重ねて国民の衣食住の点のみに
ご高配を賜りますように」と。

マッカーサーはこの時の感動を『回想記』に
こう記している。
「私は大きな感動にゆすぶられた。

死を伴うほどの責任、それも私の知り
尽くしている諸事実に照らして、
明らかに、天皇に帰すべきではない
責任まで引き受けようとされた。

この勇気に満ちた態度に、私の骨の
髄までもゆり動かされた。

私はその瞬間、私の眼前にいる天皇が、
個人の資格においても日本における
最高の紳士である、と思った」
この時マッカーサーは、次のように
返答したという。

「かつて、戦いに敗れた国の元首で、
このような言葉を述べられたことは、
世界の歴史にも前例のないことと思う。
私は陛下に感謝申したい。
占領軍の進駐が事なく終わったのも、
日本軍の復員が順調に進行しているのも、
これすべて陛下のお力添えである。
これからの占領政策の遂行にも陛下の
お力添えを乞わねばならぬことは多い。
どうか、よろしくお願いいたしたい」
(藤田侍従長による『侍従長の回想』)
マッカーサーは、立ち上がって昭和天皇の
前へ進み、抱きつかんばかりに
天皇の手を握りしめて、
「私は初めて神の如き帝王を見た」と述べた。
わずか37分間の会見で、マッカーサーの
昭和天皇に対する態度は、
まったく変わっていた。
会見前は傲然とふんぞり返って
たマッカーサーが、
会見後には昭和天皇のやや斜め後ろを
歩くような敬慮で柔和な態度で、
会場から出てきたという。
会見後、マッカーサーは予定を変更して、
自ら昭和天皇を玄関まで見送った。
当時、1000万人の餓死者を出すように、
天皇を処刑するように、
と本国からいわれていたマッカーサーは、
それらをすべきでないと考えた。
むしろ天皇の願いに応じるように
食料調達などに尽力し、日本国民の衣食住を
極力守り、天皇の助命を訴えた。
・・・・・・・・
こんな歴史があり、
そして今の我々の豊な
生活があるのですね(^^)/
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