2020年02月11日

「自我さえなければ、苦しみも悲しみも存在しない。苦しみや悲しみを作りだしていたのは、私自身だったのです。」深い言葉だね〜。

最近、草場一壽という人のフェイスブックで見つけた
素晴らしい投稿を紹介したい。

https://www.facebook.com/kusabakazuhisa/?__tn__=kCH-R&eid=ARDzGvW1ZYwixGpSpoYq1ExfAKPcpt-fUdrsn14qOht2nQgCK1POZr43fPs-cKM4fahmYrGO8t_aDX1W&hc_ref=ARSy0p5ADslzvwQRCmShxy_XxpxsjnYb7FpHyKtZGAFEZO47p5oRl3IcjIm3thhsm4E&fref=nf&__xts__[0]=68.ARBs8pORCovhLetbU42DhjeX9zczlraJ8xCw7wz1C9VXZUpWN-1x6Qi2dapi2fxryeJsovRwi858mWFSnfklFxRcObsjZCbOrgExxiknHr-j2nP7Oute6rAGq2gpdBjyYga2PBo4IxeL_k_dqkkepu3o9wvaB5zhhQGHPfXJvtHvY2vsaL4Mhds0OQcdw004SNh2CUHBy0EO5V1ddA82YsyDQ_igByPVhzLUXZ_z_00GQnxpxtRaX3rCP0aYlxtqI5mIVucjZsv-Z-NYCTJZH0rAHpaC4MK013gW-vkW1LmgJXeilrYsey5oeo-CeqKb3OFgymRR5G_T2w1PjSSXHhaN


自我を捨てると愛が、愛を捨てると・・・

 生命科学者の柳澤桂子さんが、次のようなことを書かれていました。
 「十数年前、車イスで外出したとき、通りかかった同年配の女性に
「お気の毒ですね」と言われました。
 「みじめだ」という目で見られているのか、という嫌な考えが、
ふと頭をよぎりました。そして、少し車イスを進めてから、道端に
止まって考え込み、あることに気が付いたのです。
 私がいなければ、この嫌な気持ちはないはずだ。あのご婦人は、
かわいそうな人にやさしい言葉をかけて心地よかったであろう。
私がいなければ、その心地よさしか存在しなかったのだ。
 たったそれだけのことですが、私は身震いするほどの感動を味わ
いました。まるでジェット機で雲をつきぬけて、真っ青な空に出た
ときのような恍惚感でした。
 自我さえなければ、苦しみも悲しみも存在しない。苦しみや
悲しみを作りだしていたのは、私自身だったのです。」
 この経験を「神秘体験」と名付けられています。
 この一文を読んで、まず感じたのは、「(立ち)止まって」
考えることの大切です。立ち止まり、静かな呼吸をする。そこで、
自分(自我)との距離がとれるのではないかと思います。
 我欲を捨てた人は、相手にも我欲を捨てさせる力を持つ、とも
言われています。そして一方に「癒し」があり、その反対側に
「癒される」があるのではなく、お互いが愛をたたえあう人として
等しい立場にあるとき、人と人は精神的に成長する可能性を開きあうと。
 先日、障害者という言葉を「要援者」「要助者」に変えようという
投稿を読みました。助けることで助けられる。それは双方向の関係性
なのですね。そうして育っていく愛には、自我の邪魔がないように
思います。
 自我を捨てれば愛があふれ、愛を捨てれば憎しみがわいてくる
ものですね。愛も憎しみも伝わっていく性質のものです。
ならば、愛を。
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ある若い女性の好きなタイプの男性についての話。

「私だけを愛してくれて、私だけを見続けてくれる人」

と、、、。

これって、自己愛っていうのでは、、、、。

ある結婚式での仲人さんのスピーチ

「結婚っていうのは、少しだけ相手のことを
優先して生活すること」


と、、、。

本当の愛って、自分から離れた状態でなければ、
成り立たないように思う。

自分より大切に思える存在、自分よりも優先して
考えられる何か、、、。

自我に縛られていては、それだけ他者を愛せる
余裕などないように思う。

「自我を捨てる」、と言ってもそんなに簡単なものではない。

よく、怒り狂っている人、落ち込んでいる人などを
見ていると、その共通点というのは、かなり自意識過剰で、
周りが見えていない。

自分を忘れるには、他者に目を向けること。

それには、他者のために生きる、
社会のために生きる、公共心を持つ、
そのようなことが大事なのかもしれない。

実は、私も、もっと若いころは、かなりの問題児であった。

持て余す自分自身、、、。

常に何かにおびえ、その反動で怒りをぶつけて
いたように思う。

そんな自分自身と向き合い、行きついた考えというのは、
自分を捨てるということ。

他者のために生きるということ、
周りのため、社会のために生きるということ。

自分を大切にとは言うのだが、私のような元々自我の強い
人間は、自分を大切にとは、イコール他者のために生きる
ということになる。

なぜなら、自我が薄らぐから、、、。

では、他者に尽くすといっても、その他者が尽くす
価値があるかないか、それによって、モチベーションが
かなり変わってくる。

家族や身内のためならと思えば、なんでもやれる。

しかし、社会のためとなると、かなり各々が
身勝手ばかりな社会では、勝手にせい、となってしまう。

でもね、この日本には尽くす価値が十分ある。

それは、日本の先人たちだ。

例えば、いわゆる南京で
いわゆる”百人切り競争”の罪で、中国の地で
処刑された向井敏明少尉と野田 毅。

その遺書を紹介したい。

辞世
 我は天地神明に誓ひ捕虜住民を殺害せる事全然なし。南京虐殺事件等の罪は
絶対に受けません。死は天命と思ひ日本男子として立派に中国の土になります。
然れ共魂は大八州に帰ります。
 我が死を以て中国抗戦八年の苦杯の遺恨流れ去り日華親善、東洋平和の因と
もなれば捨石となり幸です。
中国の御奮闘を祈る
日本の敢闘を祈る
中国万歳
日本万歳
天皇陛下万歳
死して護国の鬼となります
十二月三十一日 十時記す 向井敏明
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 我々は死刑を執行されて雨花台に散りましても貴国を怨むものではありません。
我々の死が中国と日本の楔となり、両国の提携の基礎となり、東洋平和の人柱となり、
ひいては世界平和が到来する事を喜ぶものであります。何卒我々の死を犬死、
徒死たらしめない様に、それだけを祈願致します。
 中国万歳
 日本万歳
 天皇陛下万歳
 野田毅
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人それぞれの人生に「お役目」があるとするならば、
これほど過酷な運命もあるということ。
「戦争の恨みを一手に引き受ける」
と、言って処刑されていった両少尉、、、。

「占守島の戦い」ってご存じだろうか?

http://cpt-hide-cook.seesaa.net/article/448099399.html

「占守島の戦い、三ヶ根山の英霊達、、、。その壮絶な日本の歴史を振り返る、、、。」


話が長くなるので、詳しくは、上のブログの記事に
まとめてあるので、どうぞお読みください。


IMG_8923.JPG


IMG_8919.JPG


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lこの上は、福岡県の大刀洗平和記念館に展示されている実物の
ゼロ戦だ。

そのゼロ戦の操縦席を、上からも見られるように
設置され、覗いてみると、なんとも
言えない気持ちになる。
こんな狭いところで、、、。
空の上という極寒の中で、操縦バーを
震えながら握りしめ、敵艦に突っ込んで
逝かれたのであろう、、、。

「死ぬのが怖くなかったのですか?」

と、ある戦争の生き残りの人に、たずねる
ことがある。

そしたら、
「自分の死がどうのこうのと、言っている場合じゃ
なかった。みんな我々の世代で何とかしなくては
ならないという気持ちが強かった」


と、、、。
戦後、三十年間、フィリピンのジャングルで一人で
戦ってきた小野田寛郎が、小泉さんの
靖国参拝に対して、次のようなことを語っておられた。
一国の首相たる者が、この靖国神社へお参りをして

「心ならずも」と英霊に対して言葉をかけております。
果たして私たちは「心ならずも」あの戦争で命を
散らせたのでありましょうか。
・・・・・・・・・・・・・・・・・
もし私がその時に本当に死んでいたとすれば
国のために我々が戦わなければ誰が戦えるのかと、
そういう自分たちの誇りを持って力一杯笑って
死んでいたのであり、また私だけでなしに
私の仲間も皆そうであります。
それがなんで「同情」の対象なんでしょう。
「誇り」を持って死んだ人に対して、
何故ただ黙って「ありがとうございました」と
感謝の念を捧げられないのか。

・・・・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・
一昨年、95歳で亡くなられたうちの会社の会長さん。
韓国で、終戦を22歳で、会長の同級生の半分は、
戦争でお亡くなりになれた。
その会長さんが、
「日本人なら、一度、知覧へいくべきだ」

ということをおっしゃっていた。
知覧の特攻平和会館でも、大刀洗の平和記念館でも、
亡くなられた方々の写真が飾られているが、
そのほとんどが、会長や小野田さんとほぼ同世代の
20代前後だ。
亡くなられた命、、、。
生き残られた命、、、。
作家の百田尚樹さんが次のようなことを
言っておられた。
「戦後のこの奇跡のような豊かさを実現したのも、
大正生まれの人たちの血のにじむような努力の
おかげです。それと同時に、その世代の
人たちがどれほど戦争で、亡くなりになられた
ことか。今、我々は、その豊かさの中で生活して
おり、そして、この社会を私たちの手から、
次の時代に引き継がせることになるのです」

と、、、。

この日本の社会を築き上げたのは、明らかに先人たちの偉業だ。

その偉業の上に、我々は豊かな生活をしている。

そして、この社会を次の世代に引き継がせなくてはならない。

ただ、自己の追求だけに没頭していて
本当に良いのだろうか、、、。

特に力みすぎてもしょうがないが、身の周りのやれることだけでも、
やり続けたい。

それが、私自身の自我をうすらげるという苦行でもある。
ラベル:草場一壽
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2020年01月05日

イランを救え!!

2003年、米国と共にイラク進攻を決断した
英国の元首相トニーブレアー氏、、、。


2015年のCNNのインタービューの中で
「誤りだった」と認めて謝罪している。

当時のアメリカ国務長官であったコリン・パウエル氏、、、。

国務長官在任時、国際連合安全保障理事会で
「イラクが大量破壊兵器を開発している証拠」を列挙した。

その後、そのことが誤認と認め、
「人生最大の恥」とまで述べている。

そこで、もう一度、再度皆さんに、問いかけたい。

「2003年のときに、イラクに本当に
大量破壊兵器があったのか?」

と言うこと。

その後、イラク戦争は、戦争は泥沼化、、、。

米国史上、とても長期に及ぶ戦争になり、
いまだに解決していない。

その混沌とした状況の中で、
イスラム国が台頭し、さらに状況を悪化させてしまった。

そして、次はシリアだ。

シリア政府軍が、化学兵器として、
明確な証拠がないまま、シリアの侵攻に踏み切った米英仏、、、。

アサド政権を支持する政府軍、
穏健な反対体制派「シリア自由軍」、
そして、国際テロ組織イスラム国という
三つの勢力が当時のシリアに存在していたとされる。

イスラム国がかなり台頭している中で、
アメリカは、穏健な反体制派「シリア自由軍」を
支持するんだとして、アサド政権にありとあらゆる謀略、攻撃を
仕掛けていたが、果たしてシリア国民であるはずの
シリア自由軍が、単純な話、

「アサド政権」 or 「イスラム国」

どっちを支持するのだろうか、、、。

国内でも、奪略、殺人、麻薬、強姦、そしてテロと
あらゆる暴挙を行るテロ組織、イスラム国。

そして、その多くがシリアにとっては、外国人であった
ということ。

このような条件下で、もしあなたが、シリア自由軍の
メンバーであったなら、どちらを選びますか、、、。

実際、シリア自由軍など存在しない。

時には、「シリア自由軍」と名乗り、時には
「イスラム国「」と名前を変え、その多くは、金で雇われた
外国の傭兵部隊、、。


当時、トルコ大統領が
「米国は「ダーイシュ(IS、イスラム国)」と芝居を止めよ」
と、強く語っている。

「米国は、ダーイシュとの芝居を終わらせる時が来ている。
今こそ仮面を脱ぐべきだ」
と、、、。

オイル、マネー、軍事は、複雑に絡み合い、
おもにこの三つで世界の覇権を牛耳ってきた米国、、、。

その覇権が今、大きく揺らごうとしている。

今回のイランの事件にしろ、大変、きな臭さを感じる
のは、私だけなのだろうか、、、。

「海賊と呼ばれた男」でも紹介されてきたが、
出光さんが創り上げたイランと日本との伝統的な
友好関係、、、、。

二百数十年というアメリカの歴史の中で、戦争をしていなかったのは、
たったの十数十年とのこと。

その多くは、いつも都合のいい時に、都合のいいような出来事が起きて、
戦争に踏み切ってきた。

そんなアメリカに付き合い続けて出兵していたら、
日本の信用がガタ落ちになることは、火を見るよりも
明らかだ。

今回のことは、イラン国内でも、もしアメリカと容易に妥協しよう
モノなら、国内世論が持たない。

かなり厄介なことになりそうだ。

何とか、世界中の世論を「アメリカの暴挙を、もう許さない」
いうような方向になることを心から願う。

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2020年01月03日

大刀洗平和記念館での英霊の方々からのメッセージ。

さあ〜、正月休み最終版。
昨日は、義両親が住む山口県の家から、九州北部へ
一日旅行に出かけた。

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国東半島、湯布岳と美しい自然と触れ合い、
そしてなんといっても心を打ったのが、
当時東洋一の航空基地があった
太刀洗平和記念館だ。

ここから、各地に特攻隊員が知覧などの
旅立っていった。

展示してある特攻隊員の写真を見ると、
そのほとんどが二十歳前後の若者だ。

一昨年、95歳で亡くなったうちの会社の会長さん。

終戦当時、22歳。

そして、会長の同級生の半分が、戦争で亡くなられた
そうだ。

そんな会長が、20年ほど前、

「日本人なら一度は、知覧へ行くべきだ」

と言われていたので、知覧特攻平和会館へ
行ってみた。

そこには、莫大な数の特攻隊員の遺品が存在した。

そして、遺書などを見ると、日々、つまらないことで
怒ったり、悩んだりしている自分が恥ずかしい。


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この上は、大刀洗平和記念館に展示されている
ゼロ戦だ。

これは、世界で唯一、実際のゼロ戦を引き上げて
修正したものとのこと。


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そして、この上がそのゼロ戦の操縦席だ。

こんな狭い空間で、上空の極寒の中、震えながら操縦バーを握りしめ、
敵艦に突っ込んでいったのだろう、、、。

ある戦争の生き残りの人に、

「死ぬのは、怖くなかったんですか?」

そうしたら、

自分の死がどうのこうのと言っている場合じゃなかった。
我々の世代で何とかしなくてはという気持ちのほうが強かった」


と、、、、。

戦後、三十年間、フィリピンのジャングルで一人で
戦ってきた小野田寛郎が、小泉さんの
靖国参拝に対して、次のようなことを語っておられた。


一国の首相たる者が、この靖国神社へお参りをして
「心ならずも」と英霊に対して言葉をかけております。

果たして私たちは「心ならずも」あの戦争で命を
散らせたのでありましょうか。

私は国の手違いによって、十五年間靖国神社に
おまつりをして頂きました。

もし私がその時に本当に死んでいたとすれば
国のために我々が戦わなければ誰が戦えるのかと、
そういう自分たちの誇りを持って力一杯笑って死んでいたのであり、
また私だけでなしに私の仲間も皆そうであります。

それがなんで「同情」の対象なんでしょう。

「誇り」を持って死んだ人に対して、
何故ただ黙って「ありがとうございました」と
感謝の念を捧げられないのか。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・


と、、、。

このような戦争の生き残りの人たちが、
戦後、この豊かな日本を作ったといっても
決して過言ではない。

知覧の特攻平和会館の見学感想録につぎのような
ことが書いてあった。

「この特攻平和会館を見学して、『自分』という枠組みを
もう一度、見直そうと思った」

と、、、、。






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2019年12月31日

石見銀山の謎、、、。中国、ポルトガル、日本、日本の銀が世界に広まったその要因とは、、、。

一昨日、念願の石見銀山に行ってきた。


戦国期、日本はゴールドラッシュであり、
シルバーラッシュでもあった。

銀は、世界の基準通貨。そして、その銀の三分の一が
この日本でとれていたという。

そして、日本の最大の銀山とは、この石見だ。


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石見は、外国に地図にも載っているぐらい有名ある。

そして、

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「日本人が大量の銀を持って交易に来た。」
   
     1542年 朝鮮王朝賓録


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「スペイン人は、日本を銀の国と呼んでいる」

 1552年 フランシスコ・ザビエルの書簡より



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「山脈の日本の銀鉱山を有する石見の国」

 1586年 ルイス・フロイスの書簡より



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「HIVAMI / 石見 Algente / fodenae / 銀鉱山」

 1595年 日本で唯一の銀鉱山の記載 ティセラ日本図


このように、石見の銀は、世界でも有名で
かなり流通していたらしい。

その銀が流通する構図というのは、
当時の中国、ポルトガル、日本の国内事情が大きく
作用していたようだ。

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当時の明では、通貨政策が失敗し、紙幣が紙屑の
ようになってしまったとのこと。

そのため、通貨として、銀が必要であった。

日本では、博多の商人により、1527年に
石見で銀が見つかった。

当初は、銀を製錬する技術がなく、銀鉱石ごと
輸出していたが、それでは効率が悪く、灰吹法が
伝わり、シルバーラッシュへとつながる。

ポルトガルは、スペインとのトルデシリャス条約により、
スペインは西へ、ポルトガルは東へと勢力の拡大を
図り、東アジアにも頻繁にポルトガル船が現れていた。

中国での需要に目を付けたポルトガルは、
日本との交易により銀を手に入れ、中国で
陶磁器や絹を買い付け本国へ持ち帰った。

日本も、銀の対価として、中国やポルトガルから
品物が入ってくる。

それと同時に、日本の戦国期は、経済成長の時代であり、
技術革新の時代でもあった。

そして、それは銀のパワーによるところも大きかったであろう。

銀の力により、交易を通じて、いろんな技術を習得できたともいえる。


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大内氏の時代に発見された石見の銀が、その後、
大内氏が滅ぶと、尼子氏に移り、それから毛利氏が奪い取る。


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そして、豊臣秀吉が天下人になると、共同経営ということになるが、
実際は、毛利氏が運営し、その何割かを秀吉に献上するという
仕組みが出来上がっていた。

そして、関が原後、天下人は徳川家康へ。

戦後すぐに、徳川が接収し、天領となり、
大久保長安を送り込んだとのこと。

徳川時代、この辺りは40数万石の天領であった。

近くの港から、いろんな物資が運ばれ、
この銀鉱山は、比較的栄えていたようだ。


灰吹法について、


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砕いて、その重さにより、ざっくりと分別する。

そして、分別した銀鉱石に鉛を混ぜて、溶かして
銀と鉛の合金ができる。

その合金を鉄なべで、熱をかけると、
再度鉛が熔けて、銀が残るという。

融点の違い、イオン化傾向の違いなど、
反応性の違いにより、銀の製錬されるのであろう。

今回の石見銀山の見学、とてもよかった。

銀の力と、日本の歴史が大きく関係していたことが
よくわかった。














   







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2019年12月24日

小学生の時の一か月と、50代の私のようなおっさんの一か月とでは、まったく体感時間が違う。「ジャネーの法則」とは、、、。

会社でもらった「職場の教養」という本の中に、
いいことが書いてあったので紹介したい。

年末が近づいてくにつれて、(もう一年が経つのか、、、)と、
時の流れの早さに驚いている人も多いでしょう。
 時間が過ぎるのが早く感じる理由として、とても有名な
ものに、フランスの哲学者ポール・ジャネが発案した
「ジャネーの法則」があります。
 生涯のある時期における時間の心理的な長さは、
年齢に反比例する(年齢を重ねると体感時間が短く感じる)
というものです。この要因の一つとして、「生活に新鮮味が
なくなる」ということが挙げられます。
 子供の頃は、毎日新しい経験をします。しかし、大人に
なると毎日同じような日常の繰り返しに慣れてしまうことで、
時間の流れを早く感じるようになるのでしょう。
 マンネリから抜け出すには、通勤経路を変える、いつも
よりも早く起きる、普段より明るい声で挨拶するなど、
新しいことに目を向けてみると良いかもしれません。
新鮮味を感じる充実した毎日を過ごせるよう努めたい
モノです。

今日の心がけ◆生活にメリハリをつけましょう
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小学生の時の一か月と、50代の私のようなおっさんの
一か月とでは、まったく体感時間が違う。

人生80年とするならば、すでに3分の2が終わっていることに
なるのだが、体感時間にすれば、それよりもかなり
短く感じるのであろう。

「人生とは時間である」

と、ある人が言っていたが、残された時間を有意義に使いたい。




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2019年12月02日

今を全力で生きる、愛犬パンチ。

毎日のことであるが、会社から帰り、玄関を開けると
猛烈な愛犬パンチに、私の帰りを歓迎される。

別の言い方をすれば、「歓迎」というよりも、
「散歩に連れてけ!」という催促だ。

家に帰って、カバンを置き、トイレに行ったり、
散歩に出発する準備をしたり、その間にパンチに
引っ付きまわされる。

散歩に出る前に、おやつである魚の煮干しを二つ与えるのだが、
早くくれ、早くくれ、というような猛烈なアピールがある。

散歩に出れば、行きたい場所に猛ダッシュ。

散歩から帰れば、夕食だ。

これも、猛アピールの後、
さっさと食べ終わると、遊んでくれというような
アピールがあり、その後は抱えてマッサージタイム。


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そのようなことを一通り終えると、知らない間に
ソファーの上で、イビキをかいて寝始める。

ほんと、煩悩まみれというのか、
その時、その時の欲求を満たすことに、全力を尽くしている。

違う言い方をすれば、「今を、全力で生きている」
ということになる。

人間って、「考える」ということができる。

しかし、それが大きな負荷にもなりうる。

過去のことをいつまで悔いていたり、未来に対して、
常に不安を抱えていたり、、、。

しかし、それってどうなんだろう。

過去のことって、ただ頭の中で映像化されて心に
負荷を与えているだけ、、、。

つまり、現実には存在しなく、ただ空想の世界だ。

未来のことも、同じことだ。

あるのは、この今だけだ。

ある仏教の教えで、

「この一瞬を全力で生きる。この一瞬が次の一瞬につながる。
その一瞬、一瞬の連続が人生そのものである」


と、、、。

過去や未来のことを考えて、心に大きな負荷を抱えるよりも、
今を全力で生きる方のが、尊いことなのかもしれない。

しかし、今をどのように生きるのか、その心の持ち方で
大きく変わってくる。

たとえば、常に愚痴を言っている人。

常に人の悪口を言っている人。

それって、裏を返せば、どこか心の不安の吐け口として、
もう習慣化している。

しかし、ネガティブなことを考え、それを口にし、
耳からフィードバックされる。

あんまり、心のあり方として、よろしくないし、
結局、愚痴や悪口を言う一瞬が次の一瞬に繋がってしまい、
そこから抜け出せなければ、大きく人生をも左右される
ことになってしまう。

それより、今やれることを全力でやるということ。

どのような心持で、その一瞬をどう生き続けてきたかにより、
人生が大きく変わってくるような気がする。

それを10年、20年やり続ければ、かなり自身にも実感として
湧いてくるし、自信にもつながる。

今を全力で生きる愛犬パンチ。

どのような心持なのかは、置いといて、
その姿は、学ぶところがある。


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2019年11月25日

快楽とは、実は厄介。なれば「物質の奴隷になるな」という教え。

昨日の日曜日、あるスーパーへ行った。

急に、おなかの調子がおかしくなり、トイレへ直行。

便座へ座り用を足して、一安心。

その後、いつものようにワォシュレットを使おうと思うと、
そのボタンに「故障中、使用不可」と書いてあるではないか、、。

思わず「え~」と、トイレの中で叫んでしまった。

ちょっとしたショックを受け、仕方なく、トイレットペーパーだけで
済ました。

ふと、思った。

それは、最近、中日新聞に載っていたある禅宗のお坊さんの話。

あまりにもよかったので、最近始めたFacebookで検索し、
友達申請したら、快く友達になってくれた。

そのお坊さんの「梨の話」がとてもよかったので、かいつまんで
紹介したい。


知恵の仏教

梨の話

佐藤 隆定

梨っておいしいですね。
しかし、この「美味しい」という感覚が実は厄介でもあるのです。
なぜなら、何かを美味しいと感じると、またそれを食べたいという
欲が生じ、食べることができないと、不満という「苦」の感情が
沸き起こるから。どちらにしても心が不自由になるのです。
 これは味覚に限らず、五感のすべてにあてはまります。
視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚、そのいずれもが好む対象を
もっており、好まない対象をもっています。
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 美味しいものを食べることができた。嬉しい。快楽。それは
一般的には幸せなことと認識されます。しかし仏教では、俯瞰(ふかん)
すれば快楽もまた不自由という枠のなかにあると、まず考えます。
 仏教にとっての不自由とは、欲の心から離れること。欲の
趣くままに行動することを自由と考える人もいますが、それは
むしろ心が欲に縛られているだけ。まったくもって不自由極まりない。
欲の言いなりである限り、精神はちっとも自由ではないのです。
自由とは「自らに由る」と書くでしょう。「自ら」というのは
自分の精神のことです。

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私なんかは、12年ほど前まで、公共の住宅に住んでいた。
洋式便所ではあったが、ワォシュレットはなかった。

その時は、それが当たり前だった。

よくよく考えれば、私が高校生まで、私の実家では、
和式のドボンだった。

それも、中学生ぐらいまでは、うちのおじいさんが
新聞を切り分けで、それを使用していた。

新聞から、それよりはるかに柔らかい、四角いブヨブヨした
ティッシュになったときは、感動した。

では、もし、水害、地震、津波など、近年頻繁に起こる
災害のため、避難生活を余儀なくされたらどうなるのか、、、。

ワォシュレットのトイレしか経験したことのない人にとっては、
かなり苦痛であろう。

快楽を得るということは、「苦」と表裏一体なのかもしれない。

ラベル:梨の話 佐藤隆定
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2019年11月18日

「無我」の話。

禅宗のお坊さんで エッセイスト 禅僧、佐藤隆定さんの
エッセイがとてもいい。

次のエッセイを紹介したい。


https://www.zen-essay.com/entry/muga?fbclid=IwAR0WZGI7ZdOxsrCCvmlYeDhwH7wlRDZ6vJ2OJieBMwULDWbfXSfXWyE70fY

『「無我」の話』

この上は、エッセイストで禅宗のお坊さん、
佐藤隆定さんの記事だ。

無我についてだが、無我の反対は「自我」ということになる。

怒り狂っている人、

不安で落ち込んでいる人、

妬みで頭がいっぱいな人、

などなど、これらの煩悩というのは、
突き詰めれば、自分を守ろうとする心の作用。

つまり、自分が傷つきたくない、自分が馬鹿にされたくない
というような自己防衛本能。

そのような時に、共通していることが、
周りが見えずに、自意識過剰なくらい、自分という意識「自我」
が強くなっている。

しかし、守る自分って本当に存在するのだろうか、、、、。

体の70%は、水である。

その水とは、絶えず自分の体の中を出入りしている。

体を構成する細胞でも、だいたい2年ほどですべて入れ替わって
しまうという。

体の中にその細胞は、約60兆あるという。

それを上回る100兆もの微生物が、人間の体に寄生して
体の機能を助けているという。

この身体というモノも、絶えず変化している。

たまたま、今日この日、この時間に集まった物質の
集合体が自分ということになる。

意識にしろ、過去のことは、すでに終わったことで、
ただ自分の意識の中に存在するだけのこと。

未来のことも、ただ意識の中で、ただ思い描いているだけ、、、。

そして、過去の記憶も、未来の空想も、そして今置かれている状況も、
大きく影響するのは、自身の主観というモノ。

人間は、自分の色眼鏡で世の中を見ている。

その色眼鏡が曇れば、当然、拡大解釈したり、
間違って解釈することも多々ある。

過去、未来、現在のこの時、すべてのものが、
間違った解釈のもと、意識の中にこびりついているだけなのかもしれない。

体も、決して「自分」とは、言い切れない。

意識についても、ただ頭の中のモノであり、
主観によって大きくずれてしまっている。

日常的に、自分を守ろうという意識が働き、
怒り、不安、妬みなど、煩悩に振り回されている。

しかし、その「自分」というものが本当に、
存在するのか、、、。

自分というモノがないのであれば、意識を外に外に
向ければいいのでは、、、。

江戸時代の禅僧、鈴木正三さんは、

「我が身を思う念(自己保身)」が分別(煩悩)の本質である」

というようなことを言われた。

自分というモノが、あやふやな異常、それほど自分を守る必要もない。

それに、何人たりとも、いずれは消えてなくなる身の上、、、。

力まず、力の抜けば、いろんなことが見えてくるのでは、、、。


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2019年11月12日

マザーテレサのいい話、、、。

 昨日の週始め、会社ではいつものように朝礼があり、
そこで「職場の教養」という雑誌の中に書いてあることを、
社長の奥さんが紹介してくれた。
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 マザー・テレサの名言といわれる一つに、「思考に気を付けなさい。
それはいつか言葉になるから」というものがあります。
「言葉が行動に、行動が習慣に、習慣が性格に、性格が運命になる」
と、言葉は続きます。
 いついつかなる時も、自身の思考が大切なのです。例えば、人の
成功をねたんだり、人の不幸を喜んだりする気持ちが湧いてくる
ことがあるかもしれなせん。
 そのような心はすぐに捨て去るように努めなければ、やがて
それが自分の運命になると、私たちに道を示してくれているのです。
 より良い運命を切り開ていくには、自分の思考がネガティブに
なっていないか、マイナスの言葉が口癖になっていないか、
何事も明るく前向きに取り組んでいるかなど、日々チェックして
みるとよいでしょう。
 それが習慣化していけば、性格や運命も変わってきます。自分らの
思考や言葉の行き先にも意識を向けたいものです。
そういう境地をお互い目指しましょう。
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この言葉を聞いて、ふと思い出したのが、テレビでやっていた
ある仏教の言葉、、、、。

「その一瞬が次の一瞬につながる。そして、一瞬、一瞬の連続が人生その
ものである」


と、、、。

人それぞれ、思い癖というモノがある。

過剰なまでに、人と競いたがる人。

過剰なまでに、不安に陥ってしまう人。

過剰なまでに、妬みが強い人。

それらを直すことができるのか、というと
思い癖であり、習慣である以上、なかなかむつかしい。

しかし、なかなか治せれないのであれば、
上手く付き合っていくしかない。

それは、相手のことをよく知ること。

自分の思考パターンというモノをよくよく知ることが、
大きな一歩につながるのではないだろうか、、、。

放っておけば、やがては自分の人生にまで、
大きく作用してくる。

ただその一瞬の出来事だけではない。

その積み重ねが、大きく運命にも左右されてくる。

そうと思えば、本格的に、自分の内側を掘るということに
取り組む出来ではなかろうか、、、。

マザーテレサの話を紹介してくれた社長の奥さん、、、。

今年の六月に旦那さんである社長を亡くされた。

その悲しみや不安を何とか乗り越えようと、
自分自身のことでもあると言っておられた。

どのように自分自身の心の中を整理し、前向きに生きられるのか、、、、。

このような名言も、とても参考になるのでは、、、。


 
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2019年11月11日

「人間って、神様から30000日という時間を与えられているんですよね。」と、あるラジオのパーソナリティの言葉。

一昨日、FMラジオを聴いていたら、

「人間って、神様から30000日という時間を
与えられているんですよね。「日」に直すと、
とてもリアルに感じます。一日なんてあっという間。
私も、もうすでに半分ほど使ってしまいました。
このように限られた時間と感じると、やはり時間を
大切に使おうと思います。ただネガティブな人を
なるべく避けて、ポジティブな人から、いい影響を受けたい。
また、そのことを他の人に発信したい」


こんな内容だった。

半分ということは、40歳ぐらいの人だと思う。

誰だろうと、いずれはあの世に行かなくてはならない。

そのようなことを意識すれば、この人のように
時間を大事に、有意義に生きようと思うのでは
なかろうか、、、。

解剖学者の養老孟司が

「現代社会では、死や老を施設や病院に追いやってみる。
身近にそれらを感じることができなくなった」


と、言うようなこと語っておられた。

70代後半のうちの母は、元は8人兄弟であった。

しかし、そのうち4人は、幼い時に亡くなっている。

うちのおじいさんも、7人兄弟だったが、そのうち
4人は幼い時に亡くなっている。

20年ほど前亡くなったうちのおばあさん、、、。

家で、七年間寝たきりのあと、家で息を引き取った。

本来、とても働きモノだったうちのおばあさんが、
歩くこともできず、思うようにトイレも行くことができない。

それが、おばあさんにとっていやでいやで、
あれだけやさしかったおばあさんが、鬼のような顔して、
うちの母につらくあたっていた。

母もそんなおばあさんを本当によく面倒見たと思う。

今では、なかなかそのようなことはできないが、
その様子を見ていて、老いてく死んでいくっていうことが、
身近でみれたということは、後々考えると
とてもよかったと思う。

自分もけっして、避けて通れない。

なんだか、暗い気持ちにさせてしまうのかもしれないが、
それより、限りある時間と悟れば、時間を大事にし、
有意義な人生が送れるような気がする。

たとえば、ある姑さんの話。

その姑さんのお嫁さんの悪口を、もう30年も言い続けている。

実際に、お嫁さんにあってみると、とても感じのいい人。

正直、その姑さんは、かなり妄想チックで、
ものごとのとらえ方が、少しひねくれてしまっているように感じる。

人の悪口を言い続ければ、それだけ自分自身を縛ることになる。

30年という期間がとても、もったいないように感じる。

それよりも、限りがある人生、限りがある時間、、、。

一日一日大事にし、小さな挑戦を繰り返し、学び続ければ、
はるかに心が軽やかになると思う。





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