2019年03月06日

ある初春の墓参り。

今日は、24年前に27歳で亡くなった友人のY君の命日。

毎年、会社に行く前、薄暗い中、Y君の墓参りに行く。

そして、今日も早朝よりお墓にたどり着くと、
きれいに花が飾ってあった。

「あ〜、お母さん元気なんだ」

と、安堵する。

Y君が亡くなり、お通夜から葬式まで立ち会ったが、
一番印象的だったのは、お母さんのことだ。

号泣して、涙が止まらない。

そして、葬式が終わり、最後に棺桶に入っているY君に、
お母さんが草鞋を履かせる。

「Yちゃん、しっかり歩いていくんだよ〜」

と、何度も何度も、冷たくなっているY君に泣きながら
語りかけていた。

その光景が、頭から離れない。

親より、絶対に先に死んではならない。

そのことを強く思った。


Y君がなくなって、五年後ぐらいにある不思議な夢を見た。

それは、中国で一人旅をしているとき、
ちょっと薄気味悪い南京の宿で見た夢だった。

夢の中で、畳の部屋で、友人三人と雑談していると、
フラッとY君がニタニタしながら入ってくるではないか。

私が冗談交じりに

「どうだ、あの世は?どんな感じなんだ」

好奇心丸出しの私らしい質問を、夢の中でもしている。

Y君が「たいしたことないよ」とか、なんとかいいながら、
その後、いつものように雑談がつづく。

そして、いきなりY君が大声で泣きだして
「オフクロを頼む、オフクロを頼む」

というようなことを言っていた。

不思議な夢だった。

中国から帰り、さっそくY君のお母さんに電話してみた。

「実は、夢の中で、Y君が出てきて、
お母さんを頼む、お母さんを頼むって言っていたけど、
なんか変わったことありました」


と、聞いてみたが

「別に何もないよ。あんたが、あんまうちに顔ださんもんで、
そんな夢みたんじゃないの?」


その後、他の友人たちは、『Y君杯』とかいって、
Y君のお父さんやお兄さんとゴルフをやっていた。

しかし、毎年、一人で墓参りには続けていたが、
ゴルフをやらない私は、参加しなかった。

とりあえず、その時はお母さんは元気そうだったが、
その後もどうも気になっていた。

そして、毎年、早朝、Y君の命日に花が飾ってあると
安心する。

私も、Y君の好きだったサントリーの缶コーヒーか、
ビールをそっとお墓にお供えしてくる。

お母さんにとっては、それが誰だかわからない。

しかし、20数年たっても、誰かが息子の命日を
忘れずに覚えてくれていると思うと、うれしいのかもしれない。

毎年、毎年、私は花を見て、安堵する。

そして、お母さんはお供え物のビールや缶コーヒーを見て、
少し心が和むのかもしれない。



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2019年03月02日

あるおっさんから見た「結婚」観、、、。

一昨日は、結婚記念日だったので、
近くの創作料理がとてもいい居酒屋に夫婦で行った。

うちの嫁が牛肉のたたきを注文すると、
若い元気な女性の店員さんが

「これ、バエですよ!バエ!」

と、言われるので

「バエ????バエってなあに??」

と、私が訪ねると、店員さんとうちの嫁が
大笑い!!

「ほんと、この人おっさんで申し訳ない」

と、いうような感じで、話が盛り上がった。

若い店員さんが

「よく、ここには来るんですか?」

と、たずねられて

「5回ほど来たかな。今日は、結婚21周年なので、
嫁と二人できた」


というと、話の途中から、私ら夫婦のファーストネームを
訪ねてくる。

私もだいぶ酔っぱらってきたので、
うちの嫁の名前の由来を話した。

「嫁の小さいころのアルバムを見ると、
義父のコメントがあった。うちの嫁の名前は
『マナ』というが、マナの意味とは、聖書か何かで、
パンということらしい。食べていけるようにということで
マナという名前を付けた」


というようなことを話した。

その後、帰り際に、
チョコレートで、二人の名前と、コメントとして
『結婚21周年、おめでとうございます』と書かれた
アイスクリームがのせられ大きな皿が運ばれてきた。

どうやら店のサービスらしい。

下の名前を聞かれたのもそのためだったらしい。

嫁は
「私は、わかっとたよ」

と、言っていたが、こっちは酔っぱらって
気が付かなかった。

そんなほのぼのとした結婚21周年であった。

21年ってあっという間だ。

そうこうしているうちに、あと4年で銀婚式だ。

今では離婚する夫婦がだいたい全体の三分の一だという。

とくに、なかなか強烈な自我を持つ私が、他人を受け入れなければ
ならない結婚という関係を21年間も続けてこれたというのも、
大きな理由がある。

その一つは、義父だ。

結婚を申し込んだ当時の私というのは、29才で
しかも一年間ワーキングホリデーでニュージーランドから
帰ってきたばかりだった。

仕事も、やっと見つけたばかりであった。

それも、嫁の実家があった奈良県から
200kmも離れた愛知県に住む、どこの馬の骨だか
分からないような男である。

私が、「娘さんと結婚させてください」
と、あいさつした後、

うちの両親と再度あいさつに奈良まで、
足を運んだ。

長男、長女であり、うちのオヤジが
義父にこんなことをたずねた。

「娘さん、長女でありますが、本当にいただいても
よろしいのですか?」


と、義父にたずねると

「そのことは、とうにあきらめております。
娘の幸せを一番に考えております。どうか
幸せにさせてやってください」


と、、、。

とても、感動する一言であった。

その結婚生活がスタートするが、
やはり何度も喧嘩をした。

その時に思い出すのは、義父の一言。

あの言葉が、とても効いている。

決して粗末には、扱えない。

喧嘩をした後も、辛抱強く、妥協点を探る。

そんなこと、私には、できる芸当ではなかったが、
やはり義父の一言が効いている。

それともう一つは、私が20代前半の頃、
当時5年間付き合った彼女がいた。

とても尽くしてくれた彼女であった。

当時の私はやりたい放題で、そのことが原因で
別れることになってしまった。

当時の彼女も結婚適齢期。

週に何でも彼女の家に泊まりに行き、周囲の目を
気にせず、その大事な時期にある意味、私に
人生をかけてくれたと思う。

そんな彼女を粗末に扱ってしまった。

彼女から別れを告げられた時は、体が半分引き裂けられるような
ショックであったが、その経験があり、深く反省したことが、
やはり今の結婚生活にも生きていると思う。

やはり、大きな痛みがあって、周りが見えるのかもしれない。

ほんと、24の時、情けなかった自分から、
その大きな失恋を機に、再スタートしたといっても
過言ではない。

あのままの自分でいたら、何度も離婚再婚を繰り返すような
男であったろう。

結婚って、男でも女でも、大きな決断だと思う。

私のように、自我が強く、自分のお金も時間も
かなり制限される中で、他人を受け入れることができるのだろうか?

それにより、なかなか結婚にたいして、
勇気が出なかったように思う。

しかし、今若い人たちに、「結婚っていいものだよ」と、
私は勧めている。

なぜか?

「恋」とか「愛」とか、そういうモノは、続かない。

倖田來未ちゃんが
「恋愛至上主義〜」とか、よくタレントでも
恋バナをテレビなんかでやっている。

「恋とは、一時の気の迷いである」

と、ある人が言っていたが、私もそのように思う。

恋愛だけにあこがれて、結婚してしまうと、
逆にギャップが大きく、失敗するケースが
多いようにも思う。

しかし、現代社会の中で、他人と深く関わるという
人間関係がなかなかないように思う。

コンビニへ行けば、簡単に食べ物が手に入る。

洗濯も買い物も、かなり手軽でやれる世の中になった。

昔に比べれば、はるかに一人で生きていける時代になった。

逆に言えば、人とかかわる機会が少なくなったのでは、、、。

特に、結婚のような生活の隅々まで、
他人を受け入れなくてはならない。

相手の嫌な面だって、逃げるわけにはいかない。

何度も、何度も喧嘩を繰り返すことにもなる。

それでも、辛抱強く、積み上げていく。

偉そうなことは言えないが、大事なのは「誠意」の
ような気がする。

「誠意」をもって、対応することにより、
夫婦間でも強い信頼関係ができるのかもしれない。

結婚っているのは、ある意味、非常にリスクの
高く、莫大な労力を費やすことにもなる。

離婚なんて、結婚よりもはるかにヘトヘトになるであろうし、
本来、最大の味方が最大の敵になることもよくある。

「結婚とは、自分より相手のことを少しだけ優先して考えること」

と、誰かが結婚式のスピーチで言っていたが、
その通りなのかもしれない。

何か、与えられることばかり、期待していては
本当の幸せなど、ありえないように思う。

まだまだ21年、、、。

今後、さらに老後を迎え、死を迎えることになる。

その時、夫婦関係がどのようになっているのか、
先のことは分からないが、やれることをやっていくだけだ。


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2019年02月25日

上手くいくのか、いかないのかって?それを決めるのは、神の領域、、、。ただ目の前のことを全力でやるのが、人間の領域。

何かに挑戦したとき、何かを決めたとき、
やはり心を占領するのが、
「うまくいくかな〜」
という不安だ。

そんな時に、私がいつも頭に浮かべる言葉が、

「うまくいくか、いかないかは、それを決めるのは、
神様の領域。ただおまんは、目の前のことに全力で取り組む
だけのこと。
上手くいけば、神様からのご褒美。
失敗すれば、ただもう少し「学べ」戸いうだけのこと」


これは、誰の言葉だったのか、忘れたか
とても気に入っている。

なんとなく、言葉が禅宗ぽいので、
禅宗の教えだったかもしれない。

もし、失敗しても、よくよく自分の人生を振り返れば、
「あの失敗がなければ、今の自分があったのだろうか?」
と、思えるようなことって、よくあるんじゃないのかな〜。

逆に、成功ばかりおさめていたり、失敗の経験が
乏しければ、人間なんて必ず慢心してしまう。

幾度の失敗を含めた、いろんな経験を積んでおかないと、
後々苦労することになる。

あれこれ迷わず、目の前のことにもっと集中できるのであれば、
もっといいパフォーマンスができる。

瞬間、瞬間の連続が人生であり、
心の負荷をなるべく取り除き、その瞬間を全力で
生きれるようになりたい。

神様は、必要な時に、必要なモノを与えてくれる。

今、目の前で起こっていることも、必要だから
あなたに降りかかている。

あれこれ悩まず、いいと思ったことを全力でやればいい。

あとは、神様に任せるしかない。

このように考えれば、積極的にいろんなことに
挑戦できるのかもしれない。


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2019年02月20日

手を差し伸べる勇気。かっこいいあるお婆さんの話。

 昨日一日、どうしても家のことで
やらなくてはならない手続きがあったので
会社を休んで一日、母と行動した。

母が
「四時にせっちゃんを迎えにいかなかんで、
早くやるよ〜」


というよなことを一日中いっている。

せっちゃんとは、母の昔からの友達、、、。

近所に住み、この集落にとても過酷な農家のお嫁に来たもの同士、
仲良くしてきた母の50年以上の付き合いになる
昔ながらの仲間だ。


せっちゃんは、母より四つほど上で、
一人で暮らしている。

実は、認知症がかなり進んでいるようで、
もう車にも乗れず、こないだ運転免許証を返却したようだ。

しかし、車にも乗れず、一人で家にボーっとしていれば、
ドンドンと認知症が進んでしまう。

それなのか、何か理由を作っては、
母に会いにくる。

母も放っておけず、色々と世話を焼いているようだ。

せっちゃんは、認知症になっても、働きたいようで
母と同じ高齢者でも雇ってくれるシルバーの仕事を続けている。

運転できないので、母が送り迎いをしているようだ。

今日は、せっちゃんだけが仕事のようで、
四時に迎えにいくそうだ。

四時近くになると、

「今日、さよちゃん、迎えに来てくれるかな〜?」

と、そわそわしているようだ。

そんなせっちゃんを放っておけない母、、、。

とても母らしい。

そんな母に対して、周りの人は、

「そんなん放っておけばいい」

とか、いろんな意見があるようだ。

確かにその通りだと思う。

どっちがいいのだろうか?

その答えは、それぞれだと思うし、立場立場によって
違う。

私ら家族は、どんどんやってやりゃ〜という考えだ。

今、そのような一人で暮らす老人が多い。

何もやることがない、人とあまり接する機会がない、
あとはただ死んでいく人生、、、。

やはり心に大きな不安があるのでは、、、。

少なくとも、母の友達はそのように思う。

そんな時に手を差し伸べてくれる母のような明るくて
面倒見のいい人がどれほどありがたいことか、、、。

地縁、血縁、社縁がドンドン薄まっていく中、
私は母のような人がむしろかっこいいと思う。

母に、

「なあ〜なんで、おまんはそんなに面倒見がいいんだろうな?」

と聞くと、

「ほりゃ〜、在所のおばさんもよかったでな〜。
むかしな〜、近所の人が子供を産んで、一ヵ月ぐらい
実家に帰らなかんので、そのお兄ちゃんも九州に
連れていくという。おばさんがな〜
『ほんなん、一ヵ月もかわいそうだで、わしが面倒みたる』
といって、一ヵ月あずかったことがあった。その子が、
大人になっても、ことあるごとに何か買ってきてくれたり
するらしい。おばさんも面倒見がよかったでな」


と、、、。

その伯母とは、母のより4歳上で、婿養子をもらって、
その実家を継いだ人だ。

早くから父を亡くし、母の母になる私から見れば祖母は
寝たきりの状態が長いこと続いていた。

その伯母が実質、母の母代わりのような存在であった。

叔母も根っから人のいい人で、私ら甥っ子姪っ子も
とてもお世話になった人だ。

10年ほど前、その伯母が亡くなった。

その葬式を見ると、だいたいその人の人柄が分かる。

そこで、伯母に世話になったという人が、けっこう
たくさんいた。

みんな心から、別れを惜しんでいるようだ。

母もそのような叔母を見てきている。

そして、何らかの影響をうけているのかもしれない。

それが引き継がれて、母が実際に伯母のような行動をしている。

これって、伯母的な何かが、母の中で生きているということであり、
叔母が生きているということになるのでは、、、。

考え方やその行動は、このように伝わっていく。

ある精神科医が
「人間は、著しく周りから影響を受けている」

と、、、。

もし、そのように人の温かい心を引き出すような行動をしていれば、
もしかしたら、自分にも鏡のように帰ってくるのかもしれない。

所詮、他人は自分の鏡、、、。

どのように生きるかでその人の幸福感が変わってくるのかもしれない。





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2019年02月01日

あたり前など、何一つない。

 先日、テレビを見ていたら、鹿児島のあるアナウンサー家族の
ことがやっていた。

子ども五人の大家族。

そんな家族が毎日なのか、家族で歌を歌っているという。

その内容は

「あたり前など何もない〜♪♪」

とても、耳に残るフレーズだった。

朝起きる、息ができる、手足が動き、起き上がることができる。

これって、本当に当たり前のことなのか、、、。

横を見れば、妻がいて、下に行けば愛犬がすやすや寝ている。

母屋へ行けば、両親がいる。

これって、当たり前のことなのか、、、。

トイレに行けば、水が使え、台所へ行けば、
ガスを使ってお湯が沸かせる。テレビ、照明、暖房と
電気が日常生活で使える。

これって当たり前のことなのか、、、。

今日も、会社が存在し、会社で働くことができ
給料がもらえる。

これって、当たり前のことなのか、、、。

病気をすれば、病院に行ける。

中学の時の交通事故、19才の時にビール瓶のケースで殴られ、
頭を割られた。

社会人になってからも、手術を二回、入院を三回ほどした。

病院が存在し、昔ならば、その時点でかなり生活に制限されたであろう
に、こうして完治して健康でいられる。

これも、本当に当たり前のことなのか、、、。

あたり前など、一つもない。

人間は、集団の中でしか生きられない。

そして、人間の歴史の中で、蓄積され続けた知恵、知識、技術、インフラ
社会など、その土台の中で、私というモノが存在できる。

今、日本とロシアで北方四島と平和条約終結に向けて
話し合いがされている。

北方四島と聞くと、どうしても占守島の戦いの事を思い出す。

IMG_2575.JPG


この慰霊碑、、、。

占守島の戦いって、ご存じだろうか。

太平洋戦争が終結した日といえば、昭和20年(1945)8月15日,,,.

しかし、その二日後にあたる8月17日に、占守島という島で、ソ連と
日本の壮絶なる戦いがあった。

占守島とは、択捉島、色丹島、歯舞群島、国後島の「北方四島」が属する
北千島列島の北東端の島で、終戦の混乱に乗じて、日本の北方の領土、
そして北海道まで奪おうとするスターリンの思惑があったようだ。

ヤルタ会談で、米国、英国とどのような密約があったのか
分からない。

ドイツ、朝鮮半島をみれはわかるように、もし北海道までソ連に取られていたら、
日本人民共和国、北日本民主共和国のような国ができ、日本を二分するような
時代が続いた可能性があった。

占守島を守っていた兵隊たちは、8月15日の玉音放送後、「これで故郷に帰れる」
「久しぶりに、家族の顔を見ることが出来る」安堵していた頃、ソ連軍が
占守島に侵攻、、、。

このまま黙って降伏するのか、それとも戦うのか、
大きな選択に迫られた。

上の三ヶ根山に祀られている士魂碑は、その占守島の戦いで大活躍した
戦車第十一連隊は、「十一」を合わせて「士」、通称「士魂部隊」と呼ばれた精鋭部隊で、
「戦車隊の神様」と言われた池田末男大佐が指揮していた。

池田大佐は、自らの部下たちの前で、

「諸氏は今、赤穂浪士となり、恥を忍んでも将来に仇を奉ぜんとするか、
あるいは白虎隊となり、玉砕もって民族の防波堤となり、後世の歴史に
問わんとするか!?赤穂浪士たらんとする者は、一歩前に出よ。
白虎隊たらんとするものは手を挙げよ!」


と、問いかけたところ、

全員が、喚声と共に即座に手を挙げた。

池田大佐は、先頭に立って敵陣に突撃し、戦闘中に敵の戦車砲に
よって戦死なされた。

本来ならば、一日で落ちると思われていた占守島に
かなりの時間を費やし、その間にアメリカ軍が北海道に
入ってしまったので、ソ連軍は北海道まで到達することが
出来なかった。

この激闘で、日本軍の死傷者は700〜800名におよび、
ソ連軍は3000名以上の死傷者を出したとのこと。

ソ連軍の侵攻地における略奪、破壊はすさまじいものがあり、
特に女性に対する陵辱は陰惨を極めた。ベルリンや満州では地獄絵図が
繰り広げられた。この占守島にも、缶詰工場で働く約400人の若い
女子工員がいた。戦闘のさなか、占守島司令部隊は、島にあった独航船
20数隻に女性を乗せることにした。戦闘を終了したソ連兵が血眼に
なって女性を探したが、女性達は無事に北海道に着いた後だった。


IMG_2575.JPG


この三ヶ根山の士魂碑の前に立つと、素直に両手を合わせて
「ありがとう、ございます」という気持ちになる。

今の日本が、北海道を含めた国土で、このように豊かに
なれたのも決して当たり前のことではない。

多くの人の尊い犠牲と、その後の懸命に働いた
戦争の生き残りの人の力が大きいのではなかろうか、、、。

その上で、我々は胡坐をかいで生活しているということ。

健康であり、家族がいて、働く会社がある。

それだけでも幸せなこと。

あたり前など、何一つない。

それにきがつけば、感謝の気持ちがわいてきて、
幸せを感じれる力がつくのでは、、、。

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2019年01月31日

認知症のオヤジを見て。もしかして認知症が心の壁をとりのぞいたのでは、、、。

毎日、会社から帰ると、まずは両親の住む母屋に行く。

母屋に行くと、両親がちょど夕食時。

オヤジの横に座って決まっていうことは、

「おとっつあん、腹がだいぶ出てきたな〜。
子どもが一人おるぐらいの腹しとるぞ〜。
もう、ビールやめなかんな〜」

と、オヤジの腹をさすりながら言うと、

「ビールをもう一本増やさなかん。ビールを飲めば、
シーコがようでるようになって、腹がひっこむわ〜」

と、毎日毎日同じような会話だが、おやじは、
いつもニコニコしながら喜んでいるようだった。

昔は、こんなんではなかった。

アルコールが入ると、ものすごく怒り出し、
オフクロに当たり散らす。

今では、すっかり好々爺のようだ。

オヤジは、数年前から認知症がすすみ、認知症の人で
怒り出すと止まらない人なんかに、それを抑える薬を
飲ませることがよくあるが、どうもオヤジが飲む
薬の中には、それが入っていないようだ。

実は、5年ほど前、大腸の手術をした時から、
あまりアルコールがよくないということで、
分からないように毎日飲むビールをノンアルコールに変えた。

アサヒビールなら、ノンアルコールとあまりデザイン的に変わらないので、
毎日、アサヒビールの飲んアルコールを飲んでいる。

それでも、なんだかご機嫌よく、毎日ビールを楽しんでいる。

よく分からないが、認知症になって変わったこともある。

オヤジは、とても他人に対して極度に気を使う人で、
オヤジから言えば義理の兄になるおじさんなんか、

「おまんのオヤジさんは、気ばっか使って、なんだか一緒にいると
悪いような気にもなる」


と、、。

これは、どこへ行ってもそうだった。

しかし、二年ほど前、毎月行われるオヤジの兄弟会に私も
出席したときに驚いたことがあった。

ある叔母が遅れてきた。

事前に連絡はあったのだが、そのことを忘れてしまっていたオヤジが

「Tちゃん、遅れてきちゃかんぞ〜。遅れてくるんだったら、
ちゃんと連絡しなかん」


と、いきなり怒り出した。

人前で、気ばっか使い、怒るようなことがないオヤジが
妹夫婦に対して、怒りをあらわにしている。

そんなこと一回もなかった。

それから、数年前から週に一回か、二回デーサービスに行き始めた。

私も母も

「オヤジは、気ばかり使って、きっと一日でいかんくなるわ」

と、思っていたが、けっこういつもニコニコしながら
言っている。

デーサービスでのいろんな写真を見たが、なんだか
友達もいるみたいで、楽しそうだった。

私も母もちょっとびっくりした。

よくよく考えたのだが、もしかしたら、認知症になったことで、
オヤジに存在した心の大きな壁というモノがなくなったの
ではなかろうか、、、。

とにかく、人に気を使いすぎる人で、そのうっぷんが溜まって、
飲むと怒りだし、当たり散らす。

ある人が言っていたが、歳とって認知症になることは、
本人にとってしあわせなことだと、、、。

ウンコ、おシッコを漏らすようになり、まともな状態なら、
そんな自分が嫌で嫌でしょうがなくなるところが、
認知症により、その感覚が鈍る。

どんな人にも、心の壁ってあるんじゃないのかな〜。

もっと、あの積極的になりたい、もっと勇気を持ちたい、
もっといろんな人と親しくなりたい、それを邪魔をするのが
心の壁てあったりする。

先ほどの伯父の話ではないが、
こちらが気を使えば、相手も気を使ってしまう。

こちらが例えば不安で頭がいっぱいでいたら、
相手も不安な気持ちを引き出してしまう。

生きている以上、怒り、悩み、不安になることなど、
あたり前、、、。

しかし、それらがもし薄まれば、オヤジのように
心の壁が消えていく。

もし、心のあり方を少し変えてみることで、
だいぶ心の壁が薄まるのではなかろうか、、、。

人の感情にあまりにも敏感になりすぎない、
他人は自分の鏡である。

どのようにとらえるかは自分次第で、コンプレックスや
煩悩があなたの視界を大きく狭めていることもある。




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2019年01月24日

点が線になり、線が面になっていく実感、、、。日々のいろんな体験こそ本当の財産になっていく。

 昨日は、微笑ましいことがあった。

入社して間もなく、6年を迎えようとする
うちの会社のM君。

私が、昨日、北陸の仕事から会社に帰ってくると
M君が

「機械直しましたよ。なんだか、機械について
少し自信が持てるようになりました」

と、いうようなことを言っていた。

昨日、一日かけて、他の社員の人と一緒に
ある機械を直していた。

そこで、ある発見をしたらしく、それがちょっと
感動したらしく自信につながったらしい。

M君は、なかなか、理解力もあまりなく、
どちらかというと「どんくさい」というような
イメージを与えるのかもしれない。

しかし、最近、いろんなことを経験しながら、少しずつ
自信てきたような気がする。

確かにどんくさい。

しかし、人にはない素晴らしい面を持っている。

それは、素直さだ。

そして、勇敢なチャレンジャーでもある。

なかなか、こんな青年今どきいないと思う。

「なんだか、いろんなことを経験して、
その経験がつながっていくような気がする」


というようなことも言っていた。

だんだんと、そういうことに実感がわいてきたのかもしれない。

「点が線になり、線が面になっていくんだよ」

と、私が言うと

「なんだか、漫画のキャラクターのような名言ですね〜」

ほめ言葉を言っているようだが、相変わらず
ちょっとずれているような気もする、、、。

20代をどう過ごすか、それによって人生大きく変わってくる。

ただ、他人の眼だけを気にして、見栄と張ったりで
生きてきた10年と、M君のように、怒られながら、
怒鳴られながらでも、挑戦し続けてきた10年と
あとあとどれだけ、差がつくか、、、。

今は、醜いアヒルのこのように見えるが、
正面から自分と向き合い、20代をもがきながら
がんばっているM君は、必ず白鳥になっていく
ような気がしてならない。


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2019年01月15日

クイーンの映画を見て。改めて本当の幸福感とは何なのか、、、。と、考えさせられてた。

一週間ほど前、うちの嫁とクイーンの映画を見に行った。

気が付いたことがある。

それは、やはり同じ映画を見て、嫁と私とでは、
とらえ方が違うんだな〜ということ。

やはり、クイーンのファンであるうちの嫁は
「感動した」という感想だった。

ファンであるため、やはり好意的な感想だった。

私は、ちょっと違う。

とても面白かったし、もう一度見に行きたいとも思った。

しかし、「感動した??」というのとは、ちょっと違うような気がする。

私が思うに、とても痛々しい一人の男の人生を
描いた作品のように思えた。

クイーンと言えば、多くの人を熱狂させるスーパースターで、
成功者だ。

しかし、その裏には、多くの葛藤があるということ。

スーパースターになれば、幸せをつかむことができる
と思いがちであるが、逆にそのことにより、さらなる
苦しみが伴う。

クイーンの映画を見て、世界チャンピョンになった
鬼塚さんの話を思い出した。

少年の頃、世界チャンピオンはスーパーマンみたいな存在やと思ってきた。
俺にとっては神様に近い存在ですよね。凡人の俺が、そんな凄い場所に
辿りつくことができたら、いったいどんな凄い人間になれるんだろう。
そのことだけを励みにここまで頑張ってきました。
しかし、試合に勝ってはみたものの、あるはずのものが何もないんです。
「エッ、何なのこれ?なんで、何もないんや?」
「いや、次勝てばきっと何かが得られる」
そう信じて、次から次へと試合を積み重ねていきました。だけど何も残らない。
試合が終わった夜は、生き残れた実感と自分が探し求めたものが何もなかったと
いう寂しさで発狂しそうになりました。俺は常に素直に飛び跳ねる自分で
おりたいのに、充足感がないから、「何でや?」という思いばかりが
虚しく深まっていく。最後の試合までずっとその繰り返しでした。
  (『週刊文春』平成6年11月)

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確かに、無我夢中でトップを目指しているときは、
楽しいのかもしれない。

この鬼塚選手のように、プロボクサーとして、好きなことを
一生懸命やっていて、さらにそのトップを極めても、
そこに待っていたのは、生き残れるかどうかという
猛烈な恐怖感、、、。

華やかな仕事のように思えるが、華やかな仕事ほど、
競争率が激しくなり、まさに生きるか死ぬかの
生存競争に、さらされることになる。

多くの人が、ちやほやしてくれる今の地位と名声が
崩壊してしまうのではないかと、常に心のどこかで、
不安と恐怖に付きまとわれるのではなかろうか、、、。

そう思うと、「幸せ」って何なのか、、、。

ただ上へ上へと、目指しているだけで、
その先には何があるのか、、、。

本当にすごい人というのは、どのポジションでも、
どんな環境でも、幸せを感じることができる人だと思う。

みんなにちやほやされて、舞い上がってしまうようでは、
逆に身を崩すもとになってしまう。

自分の役目というモノを認識し、常に目の前のことを全力でやる、
これが幸せに生きれる人のモットーのような気がしてならない。


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2018年12月27日

身近な人の死とは、自分もいずれ「死ぬ」ということを悟らせるためにあると、、、。

今日でこのブログも、今年の最後の記事になるであろう。

今年を振り返ると、やはり大きなことは、
95才になるうちの会長さんがなくなったことだ。

何度も、「今年の夏が越せないかもしれんぞ〜」というようなことを
聞かされたが、その都度、不死鳥のように、元気に復活する会長。

もしかしたら、この人は不死身なのではないかと、
どこかで思っていた。

しかし、今年の九月に亡くなられてしまった。

身近な人がなくなると、その人について
振り返るいい機会になる。

戦争から帰ってきて、会社を立ち上げ、
中小企業の経営とは、荒波の連続、、、。

そんな中で、気丈夫でおられる会長。

決断力もすごかった。

まさに猛将という言葉がピッタリという感じだ。

周りの亡くなられた方で、やはり影響を受けたのは、
うちの祖父母だ。

亡くなった後、両親、叔父伯母、近所の人など、
周りから、いろんな祖父母に関するエピソードを聞かされた。

また、亡くなってから、家の掃除などをしているときに、
手紙などの祖父母が書き残したモノ、写真を見る機会もあり、
ポロリと涙を流したこともあった。

自他共に認めるおじいさん、おばあさん子である私は、
根本のところで、祖父母の考え方がベースにあるような気がする。

祖母に関して、働き者であった祖母が、亡くなる前、
7年間も寝たきりであった。

働き者であったからこそ、その寝たきりという状態が、
祖母にとって、大変な苦痛であった。

一日中、「おかあさん、おかあさん」
と、うちの母を呼び続ける祖母。

半分、ボケていたが、怒れば家族に対しても、
ひどいことを言う。

あれだけ、信仰深くて、温和な祖母が、
あのような姿になってしまい、正直、私も驚いた。

しかし、亡くなってみて振り返ってみると、
私や家族に対して、老いるということ、死というモノを
あれほど鮮明に身近でみささせてもらったということ、
これってとても大事なことのように思う。

あのベットの中で、もがいて死んでいくその姿、、、。

永遠の命など、存在しない。

誰もが、いずれ行く道である。

そういう老後、そして死への認識って、
必要ではなかろうか、、、。

また、亡くなってからであるが、祖母が私に書いてくれた
手紙を発見した。

それは、私が高校の時に、同級生と喧嘩して、
学校に救急車が来るほどの大けがをさせしまうような
事件を起こした時に書いてくれたものだ。

ホントに、有難い。

亡くなってから、よりしみじみに思う。

温かく見守られていたんだな〜と。

そして、亡くなられてからも、どこか
私の身近にいて、守り続けていてくれているような
気がしてならない。

亡くなった人を振り返る、それって
我々の心の中に、大きく刻み込むものが
あるのではなかろうか、、、。

良いことも悪いことも含め、人生の手本となり、
それだけ、自分のキャパが拡がるような気がする。

身近な人の死とは、そういう意味があり、
そして「自分もいずれ死ぬ」ということを
悟らせると、おるお坊さんが言っていた。

そして、そのような影響を与えてくれた人が、
私の中で生き続けることになる。

それこそが、永遠の命ではなかろうか、、、。
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2018年12月26日

ちょっと感動した話。「千の風」と書かれた墓石、、、。残された子供たちへのメッセージ。

約三カ月ほど前、近所のおじいさんで、
私がとても親しくしている人が亡くなった。

その人は、通称M先生。

知識も豊富で、特にこの地域の歴史にも詳しい人だ。

私も、その郷土史には、大変興味があり、
よく二人で、講演会や古城の見学会などに
出かけた。

なかなかマニアックな趣味なので、誰かを誘おうにも
のってこない。

マニアック同士、よくケンカもしたけど、
言わば、その道の「相棒」的存在。

M先生も、歳が30も違う私に、いろんなことを教えたいようで、
楽しんでいたようにも思えた。

そんなM先生がなくなり、三カ月。

その娘さんとは、私の幼馴染で、三日ほど前の土曜日に
中学校の同窓会で会うことができた。

M先生の葬式は、家族葬で行われ、なかなかお別れを
告げる機会がなかったので、一度墓参りにでも
いきたいと思っていた。

M先生の家の墓と、うちの墓は同じ墓地にあるので、
その幼馴染娘さんに
墓の場所を聞き、さっそく次の日にお参りに行った。

そこで驚いたことがある。

それはM先生のお墓の墓石に
「千の風」と書いてある。

墓石は、普通戒名などが書いてあるが、よく他の墓地に行っても、
いろんな墓石を見るようになった。

「千の風」、、、、。

「千の風」言えば、

私のお墓の前で泣かないでください♪♪。そこに私はいません・・・・♪

とか、そんなような内容のはずだ。

やはりいろんな変わった墓石があるが、
その人が主張したいこと、また、残してきた家族への
メッセージなど、思いが込められているともう。

「千の風」の意味、、、、。

さっそく、もう一度「千の風になって」の歌詞を調べてみた。


私のお墓の前で 泣かないでください
そこに私はいません 眠ってなんかいません
千の風に
千の風になって
あの大きな空を
吹きわたっています
秋には光になって 畑にふりそそぐ
冬はダイヤのように きらめく雪になる
朝は鳥になって あなたを目覚めさせる
夜は星になって あなたを見守る
私のお墓の前で 泣かないでください
そこに私はいません 死んでなんかいません
千の風に
千の風になって
あの大きな空を
吹きわたっています
千の風に
千の風になって
あの大きな空を
吹きわたっています
あの大きな空を
吹きわたっています
・・・・・・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・

なんか、改めて振り返るといい詞だな〜と思う。

この墓石は、M先生の奥さんが10年ほど前に
亡くなられたときに建てたらしい。

ではそのご夫婦が、どのようなメッセージを
残したかったのか、、、。

やはり、残していく、子供たち、
お孫さんらへのメッセージのような気がする。

朝は鳥になって あなたを目覚めさせる・・・・

夜は星になって あなたを見守る・・・・・

もし、私が亡くなっても、あなたを見守り続けますよ〜
というようなメッセージではなかろうか。

死後、悲しむ子供たちのことを思ってのメッセージでは
なかろうか、、。

最近、宗教的なことは、否定される傾向にあるが、
有史以来、人間は神と共に生きてきた。

最近つくづく思うのだが、「宗教」って、我々人間に
とって、やはり必要なモノではなかろうか。

例えば、見えない何かが、自分を見守ってくれている、
と思えば、とても心強く思えるし、勇気も湧いてくる。

私は、自他共に認めるおじいさん、おばあさん子だ。

恥ずかしい話、そんな祖父母と二十歳くらいまで、
寝起きを共にしていた。

祖父母が毎日のようにいう言葉は、

「ご先祖さんが見守ってくれている。氏神さんが見守ってくれている」

と、、、。

散々、科学を学んできた私にとって、
そのような考え方にとても嫌悪感を感じた時期もあったが、
歳をとればとるほど、祖父母の言葉がボディーブローのように効いてくる。

ご先祖様が守ってくれていると、いつも言っていた祖父母が、
亡くなって、私の「ご先祖様」になった。

人生の中で、勇気をもって何かに立ち向かわなくてはならない時、
意見の対立などから起きる孤独感を感じるとき、そんなことって
ちょくちょくあると思う。

そんな時に、生前、大変お世話になった人、祖父母であり、
両親であり、そういう人が見守ってくれていると思えるようになれば、
勇気や忍耐力が湧いてくるのではなかろうか、、、。

宗教とは、そういう面もあると思う。

墓石による残された子供たちへのメッセージ、
こういうやり方もあるんだと、ちょっと感動した週末だった。



posted by hide at 07:29| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする