2018年07月16日

あるホテルのロビーで自分の人生を振り返れば、、、。

先日の金曜日、連休前だが、会社からセラミックスの勉強会に
名古屋駅前まで行ってきた。

午後から始まり、懇親会まで終わったのが、
夜の7時過ぎ、、、。

外は、蒸し暑かったが、明るく、ふと
一つ向こうの伏見駅まで、歩くことにした。

昔は、よく、この辺りで飲み歩いたが、
今では、かなり様子が違っている。

いつも、ほとんど、会社と田畑と家の往復のような
毎日だが、久しぶりの都会の夜で、どこか
心が踊る。

ふと15分ほど歩いていると、少し興奮状態からなのか、
それとも冷房の部屋から、蒸し暑い屋外に出たからなのか、
腹の調子がおかしくなった。

近くの大きなホテルがあったので、
そこで用を足すことにした。

トイレから出て周りを見渡すと、薄暗い豪華なつくりのロビー。

香水の臭いがただよい、ピアノの伴奏が聞こえる。

そう、ここは外資系の有名な高級ホテル、、、。

実は、私はこのホテルで、20代の頃、働いていた。

なんとなく、懐かしくなったことと、このまま
うだるように暑い外に出るより、一時間ほど
ここでくつろいでいこうと思った。

ロビーのカフェでアイスコーヒーを注文する。

アイスコーヒーといっても、近所の喫茶店より
三倍ほどの値段だ。

今では、ほとんどコーヒーと言えば、
コンビニでも十分上手いので、休みに
モーニングを食べる以外は、ほとんどコンビニで済ます。

しかし、偶然が重なり、この高級ホテルのロビーで
しかも一人でアイスコーヒーを飲むことにした。

なんだか、とても懐かしい気分だ。

あれから、23年、
20代の頃、四年間このホテルで、働いていたが
もし、ここでの経験がなかったら、今の自分は
あったのだろうか、ふと、思う。

その昼間は、セラミックス関係の同業者と
専門的な会話をしながら、情報交換をする。

今では、私もどっぷりとセラミックス屋である。

しかし、29歳のときにホテルマンをやめて、
セラミックス業界に飛び込んだときは、
多くの人は
「こいつ、頭おかしいんじゃないの?」
と、言われた。

かなり、遅れたスタートであり、同時に結婚もした。

タダでさえ、遅いスタート、、、。
そして養うべき家族ができ、それらが私の原動力なり、
人一倍、勉強もしてきたし、いろんなことを積極的に
体験してきた。

多くの人を見ると、自分が自分を型に
はめ込んでいるように思う。

たとえば、よく、「自分は、理系だから」とか「文系だから」とか、
逆に言えば、
やる気になれば、いくらでも学ぶことはできるし、
理系だからって、文系的な知識や視野の広さって
必要だと思う。

例えば、文系的な仕事でも、理系的な知識を持っていれば、
お客さんや周りの人に一目おかれるのではなかろうか。

「学ぶ」、もしくは「学び続ける」という意識があれば、
何処でも、誰からでも吸収することができ、
10年、20年とやり続ければ、かなり成長した自分に
出会うことができるのではなかろうか、、、。

ここでの毎日は、まるで戦争のようだった。

宴会部に所属し、大きな宴会を一人が二人の社員が、
何人かをアルバイトを使って、切り盛りしていかなくてはならない。

宴会事務所、営業、キッチン、ペストリー、ハウスマン、
ハウスキーパーなどなど、他の部署とも、
しっかりと連携しながら、やらなくてはならないし、
言葉一つ間違えれば、大きくこけることになる。

都会の真ん中の高級ホテルであり、
そこに来るお客さんはやはりかなりの金額を支払うことになり、
その要求も、厳しいものの連続だ。

入社して、例えば、一週間もして言われることは、
「一週間も経ったのに、まだ、そんなことも知らないのか!!」
と、怒鳴られる。

誰も、教えてはくれないし、実力を身に付けていかなくては、
ケチョンケチョンにやられてしまう。

田舎の気のいい兄ちゃんではやっていけない。

どうでもいいようなプライドなど捨て去り、
毎日、一皮も二皮もむくような思い出やっていくしかない。

でも、振り返れば、ホント、20代でその経験が出来て、よかった思う。

Eテレのスーパープレゼンテェーションで、
アメリカ人女性のある心理学者が、
「20代の大切さ」について、語っていた。

20代をどう過ごすかによって、人生、決まるといっても
過言ではない、と語っておられた。

学生から、社会人になるというのは、人生においても
かなり大きな変化であり、大変なことだ。

その時に、どのようなことを学ぶのか、
どのようなことを経験するかで、大きく
その人の社会人として、大人としての
基礎というものが変わってくる。

今回、たまたま腹の調子がおかしくなり、
このホテルに立ち寄った。

そこで、涼しいロビーのカフェで、物思いにふけていた。

偶然ではなるが、自分のことを振り返る
いい機会でもあった。






posted by hide at 19:57| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

悩みの源泉は対人関係、、、。しかし、幸せも対人関係からしか得られない、、、。深いね〜。

 先週の先人たちの底力 知恵泉
「嫌われ者の極意 蒲生氏郷 秀吉に“恐れられた男”」
がおもしろかった。

その中で、あの「嫌われる勇気」の岸見一郎の言葉が
とても印象的だった。

司会者から、共演者でタレントの岡田 圭右さんに
こんな質問が投げかけられた。

「上司に嫌われているなって思う経験ってないですか?」

そこで、岡田さんは

「嫌われないように、嫌われないように、
してしまうわね〜。先生、先生〜」

と、岩見さんに助けを求める。

そして、

「そういう風に言って、対人関係の中に
入らない人が多い。嫌われたらイヤだってね〜。

悩みの源泉は、対人関係。
対人関係の中に入って行ったら、絶対に
摩擦は起きる。

でも、やっぱり幸せもまた、
対人関係の中でしか得られない。

ただ、嫌われるのがイヤとか、つらいとか、
苦しいとか、言っていたら、人間は生きられない」

と、、、。

深いね〜。

ただ、ありきたりのことだけを話す、友達、知人関係って
けっこう多い。

しかし、一歩踏み込む勇気って、大事なのかもしれない。

地縁、社縁、血縁、今後益々無縁社会になっていく中で、
どのように自分と言う存在理由を見出していくのか、、、。

大きく問われているようにも思う。

posted by hide at 18:14| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

「老い」とどう向き合うか、、、。

さあ〜、最近はまっているテレビ番組
高田純次のNHKの「世界の哲学者に人生相談」も面白かった。

今週のテーマは、「老い」であった。

44歳女性の悩み

「老いることが嫌でたまりません。
若い頃は女性として見られていました。
近頃、中年女として見られ、恋やときめきが
なくなりました。体力もなくなり顔も老け
鏡を見るのが恐ろしいです。どうしたら老いが
怖くなくなるのでしょうか?}
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
なるほど、なるほど。

それに対して、共演者、カンニングの
竹山氏回答がよかった。

「まあ〜、怖いのは怖いですけどね。大昔から
みんなそうですけど、突き詰めれば結局、何が怖いのか
というと、『死』が怖いということになるんじゃないかな〜」
と、、、。

萬田久子さん

「分かる。40代の方でしょ〜。その辺が一番怖いんだと思う。
もう、ここまでくると、度外視ですよね〜」

と、、、。

そして、今回の哲学者は、あのユング。

ユングは、こんな例を出してきた。

教会の45歳のある世話人の話。
まじめで、信仰深い男性だが、ある日突然、
妻に対して「俺は悪いヤツなんだ」とつげ、
その日を境に酒、ギャンブルにおぼれ
財産を使い果たす。

ユングの考えを、年齢が心に影響する変化について、
人生を太陽の一日の動きになぞられて説明した。

少年期、成人前期を午前、

中年期、老後を午後とし、
正午(40歳ごろ)を境に危機の時期とした。

たしか、男性の自殺も、40代、50代が
多いとも、聞いたことがある。

この時期に、心の変化として、何が起こるのか?

ユングは、次のようなことを語っていた。

「午後の法則を、人生の午後に引きずり込む人は、
心の損害という代価を支払わなければならない」

と、、、。

竹山さん」

「ユングが言うのは、40歳ぐらいまでの人生の価値って
ことですかね〜。その考えのままいくとだめに
なるということですかね。」

、、、。

さらにユングがこんなことを語っていた。

「午後から午後へ移行するとは、以前からの
値踏みの仕直すである」

と、、、。

そのユングの言葉の解説として、

午前の目的 仕事、地位、子育て。
午後の目的 自分の内面を見つめる。

というような事を言われていた。

この一連の内容を見て、どう考えられるか?

ただ地位やお金、美貌を求めているだけでは、
どこか行き詰ってくるのでは、、、。

上手くは、説明できないが、
午後からの一つの大きなキーワードは、
自身の自我と向き合うこと。

そして、自我を薄めていくこと。

これが大事なように思う。

まあ〜、各々の課題があると思うので、
年齢と共に、自分がどう生きるのか、
大きな課題かもしれない。

posted by hide at 07:15| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年07月10日

地形から見た、長篠の戦い、、、。あの時、勝頼に『撤退』という選択脈はあったのだろうか、、、。

先日、長篠の戦いについて、ブログを書いたが、
どうしても書き足りない。

そのもやもやを晴らすためにも、もう一度、書いてみようと思う。

歴史を見る場合、どうしてもその地形というモノが、
非常に関係してくる。

グーグルアースなんかで、長篠辺りの地形を見ると、
大きなヒントに気が付くのではないだろうか?

長篠城は、今の愛知県新城市。

新城というところは、豊橋から平野が続き、
その平野が山側に深く浸食したところにある。

前面は、平野だが、後ろも両サイトも山であり、
その侵食した平野の一番奥に、長篠城がある。

そして、その長篠城に、1万5千もの大軍を率いて、
わざわざ甲府から、出てきた武田勝頼。

この時代、山を越えての遠征というのは、
どれほど危険なことか、、、。

平坦は伸びきり、山を越えての撤退など、
歴史を振り返れば、その危険性はよく理解できると思う。

そして、その出てきた場所というのは、

両サイドと背後を山に囲まれた、平野の袋小路、
長篠だった。

信長から、見たらどうだったか?

遠州の三方ヶ原でもない、高天神所でもない、
領国尾張から近い、三河の地だ。

遠州であれば、甲府から武田領である駿河は出やすい。

その駿河のすぐ隣が、高天神城があり、三方ヶ原のある
遠州だ。

駿河からなら、甲府に帰りやすいし、兵站も充実するであろう。

「家康の要請で、しぶしぶ長篠まできた」
というご意見もあるが、私は、信長は武田との決戦に対して、
明らかに、時間と場所を選んでいる。

武田と決戦する前に、義昭を追放し、浅井・朝倉を滅ぼし、
長島の一向宗も完膚なきまでに叩いている。

信長にとっては、武田との決戦をするのに、
条件が整った。

そして、今、決戦を先延ばしにすれば、
まだ石山本願寺は健在であり、毛利氏、上杉氏、
そして義昭がいろんな策略を張り巡らしている。

その後の歴史の展開を見れば、武田との決戦を
避けては、通りれないし、もし、長篠の戦いでの勝利がなかったら、
その後の展開が、かなり違ってくるであろう。

まんまと、三河くんだりまで、出てきて、それも袋小路の
長篠の城を攻めている武田軍。

長年、武田軍の恐怖と戦いながら、その恐怖と戦いながら、
耐え忍んできた信長にとって、最大のチャンスだと思ったのでは、、、。

とにかく、できるだけスピーディーに、そして、できるだけ
武田軍の近くまで進み、野戦城を築く。

そうすれば、武田軍を引き込む、大掛かりな仕掛けを造る。

これで、大きく勝敗が左右する。

土を盛り、何重にも柵を巡らせ、鉄砲で待ち構える。

そして、勝頼の逃げ道は、背後の険しい山道しかない。

もし、退けば、猛烈に襲い掛かれば、
武田軍に大きなダメージを与えれる。


私は、当時、武田軍にとっては「撤退」という
選択脈は、なかったように思う。

突っ込んで、織田・徳川連合軍にダメージを
与えてからの撤退でないと、危険極まりない。

そうさせたのは、機動力のある武田軍の
すぐ近くに、野戦城が築けたこと。

それも、短時間でやれたことは、
かなりの準備と、しっかりと調査がされていないと
できやしない。

まるで、墨俣の一夜城のように、敏速にやるしかない。

勝頼にしろ、当時、信長本人が出てくるとは、
思っていなかったともう。

三方ヶ原の戦いの時も、雀の涙ほどの援軍しか出さなかった。

高天神城の戦いの時も、のらりくらり行進し、
結局間に合わなかった。

織田領である東美濃を出ても、出てこない。

織田軍の今までの行動から見て、勝頼は
「織田や武田との決戦を避けている」
と、思うのは、それほど妄想でもないことのように思う。

それより、「奥平め、裏切りやがって懲らしめてやる」というような
ただ信長との決戦というよりも、奥三河衆でいち早く
裏切った奥平親子を、見せしめのため、
攻撃してやろうという意図の長篠遠征であったのであろう。

そして、信長が3万を超える大軍を率いて出てきた。

そして、気が付けば、こんな近くに陣取っている。

長篠城は、長篠城は、落ちていないし、逃げるにも
前面に大軍を控えて、険しい山道を逃げ帰らなくては
ならない。

それに、勝頼の立場に立ってみれば、
引いた後、この三河の地は、明らかに徳川のモノに
なるであろう。

引き継いだばかりの武田の総領としての地位を
考えれば、大変な危険をおかしてまでの遠征で
結局、目的を果たせずに帰ることになる。

それに、勝頼は、負けると思っていなかった思う。

大軍といっても、相手は弱い、尾張兵であり、
少し強硬に突っ込めば、すぐに逃げる。

それに、武田軍団に、ビビって何度の
決戦を避けているではないか。

そこにも、勝頼の油断があっただろうし、
信長にとって、その勝頼の油断のチャンスをつくのは、
一回きりだ。

歴史を知っている後世の我々から見れば、
「あんなたくさんの鉄砲で待ち構えているところに、
重臣の制止も聞かずに、突っ込んだ勝頼は
バカ殿だ」
とはいうが、

本当に、重臣も負けると思っていたのだろうか?

結果から見れば、あれだけ準備をしていても、
数時間に及ぶ死闘の結果、織田側にも、大量の戦死者を出している。

戦死者というのは、負けるということが濃厚になり、
撤退の時に、大量に討ち死にするものだが、
勝った連合軍側にも、たくさんの被害が出ている。


その結果から見ても、勝頼も武田の重臣たちも、
敗けるとは、思っていなかったのではないだろうか。

今日は、こんなところにしておきます。




posted by hide at 07:53| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年07月08日

長篠の戦いの謎、、、。戦国時代・織豊時代史が専門の駿河台大学黒田基樹教授に挑戦!!

昨年、NHKの歴史番組を見ていて驚いた。

信長のことが取り上げられていてのだが、
あの有名な鉄砲を大量に使って、武田氏に大勝利した
長篠の戦について、語られていた。

ある著名な歴史の専門家が次のようなことを
語っておられた。

信長は、本当は同盟者の家康の要請で、
「信長は決戦する気はなかった。しぶしぶ出て行った」
と、、、。

「信長にとって、大坂の本願寺との戦いの方が、はるかに
優先度が高かったので、鉄砲と柵を用意して対陣し、
武田軍に引いてもらう作戦だった」

と、、、。

「ところが、武田勝頼何を勘違いしたのか、『攻めよう』と
いうことになっちゃたんですね〜」
と、、、。

「決戦するつもりがなかったのに、向うが
勝手に突っ込んできて、バババ−ンと打ったら、
勝っちゃって、大勝利を収めた。
だから、非常にラッキー、運のいい男、それが
現在の研究状況です」
と、、、。

「戦後70年の信長に対するイケイケドンドン史観を見直して、
地に足がついた視線で、戦国時代を見直そうという動きが
出てきている」
と、、、。

「う〜ん、私の意見とは、いささか違うような気がいたします。」

これでも、すっきりしない。

「ちょっと、違うんじゃないかな〜」

う〜ん、めんどくさい
「こら〜、このたわけが〜(怒)!何処をどう見たら
そうなるんじゃ〜!!」


あ〜、すっきりした。

私の意見であるが、どうしても、かなり外れていると思う。

このブログでは、なるべく批判的なことは、書かないようにしているが、
相手は、歴史の専門家であり、一つ思い切って挑戦してみようと
思う。

相手は、駿河台大学黒田基樹教授で、専門は日本の戦国時代・織豊時代史で
あり、調べると、多くの著書を書いている新星の第一の専門家だ。

私のように、一素人が、大先生に対して意見を述べるのは、
大変おこがましいことだが、どうしても、
先生の言っていることは、違うと思う。

「歴史のへ〜、ほ〜 あなたの常識が変わります!」という 2017年8月に
放送された番組の中で、上のような発言があった。

まあ〜、とにかく延び延びになっていたが、
先月、長篠の古戦場辺りをじっくりと
見てまわった。

行ってみて、思ったことは、
「果たして、武田軍に撤退という選択脈があったのか?」
ということ。

それと、
「果たして、負けると思って、つっこんだのだろうか?」
ということだ。

まず第一に現場に行ってみて、武田軍と織田・徳川連合軍との
距離である。

連合軍が陣取った場所から、武田軍が取り囲んで
長篠城までの距離が、たかだか3〜4km程度であるという事実。

もし、撤退するしろ、多くの人は、
高速道路のような広くて整備された道を
思い浮かべるであろうが、昔の道というのは、
かなり狭い。
私は、昔の山陽道をみたことがあるが、
それでも、かなり狭い。

やっと、軽トラックが通れるぐらいの
砂利道であり、もし、これが梅雨の時期であれば、
当然、ぬかるんでいる。

地図をよく見ていただきたい。

長篠城がある愛知県新城市から、
南信州の飯田の辺りまで、撤退しようとすれば、
かなり山道であり、決戦の前日まで、
かなりの雨で、道はぬかるんでいたであろう。

今のように、道がしっかりと整備されていない中、
土砂崩れ等も、当然あったろうし、
そんな険しい道を織田・徳川連合軍の
激しい追撃を受けながら、退かなければならない。

その時、果たして、武田方についていた奥三河衆は、
逃げ帰る武田勢をみて、どう思うのだろうか?

同じ奥三河衆の武田を見限って、
武田との最前線、長篠城で懸命に戦っている奥平親子。

その奥平親子を懲らしめるのが、
今回の遠征の目的である。

武田方が、本当に織田の本隊と戦うと思い、
その準備をしての大遠征とは、とても思えない。

それに、奥三河に攻めるのに、果たして
信州・甲州勢か、尾張・三河勢が攻めやすいのか?

甲州からはかなり遠いし、超えなければならない
山々があり、冬には雪が道をふさぐ。

武田勢が去った後のことを考えれば、
武田勢が逃げ帰る姿を見ながら、
奥三河勢が武田方にとどまるということは、
可能性が低いように思う。

むしろ、武田の撤退を襲って、
徳川方に寝返る方のが、最善の生き残る
道のような気がする。

飯田まで、非常に危険な撤退となるであろう。

長篠の戦で負けた後、何とか信州の高遠城まで下がり、
さらに上杉の抑えであった1万の武田軍が迎えに来て、
やっと甲州まで帰っている。

今回の東三河遠征というのは、
あくまでも裏切った奥平親子を他の奥三河勢の
見せしめとして、懲らしめるためのものであったはず。

それを、惨めな撤退となると、果たして奥三河衆のその後行動はいかに、、、。

また、引き継いだばかりの武田をまとめることはできるのだろうか、、、。

さらに、なぜ織田・徳川連合軍というのは、
あんな近くで、しかもかなりの短時間で、
小川・連吾川を堀に見立てて防御陣の構築に努める
ことが、出来たのか?

川を挟む台地の両方の斜面を削って
人工的な急斜面とし、さらに三重の土塁に馬防柵を設ける
という当時の日本としては異例の野戦築城だ。

これにも、相当な準備が必要だ。

機動力のある武田軍がすぐ近くにいる状態での
大々的な土木工事だ。

これは、まさに「第二の一夜城」ではなかろうか?

織田軍は、すでに美濃攻略のときの一夜城で
経験している。

その時も、相当な準備であり、さらに現場を
徹底的に調べてなくては、出来やしない。

信長にとっては、人生をかけた戦いである。

高価な、相当な数の鉄砲を準備し、
兵にしても、三万もの軍を出撃させるにしても、
かなりの出費になる。

それに、跡継ぎの信忠をはじめ、
織田軍のオールキャストがそろっている。

これが、ただ武田軍を撤退させ、家康に義理を
果たすだけの戦いなのか?

さらに、武田側の立場にたってみれば、
果たして本当に負けると思っていただろうか。

結果から言えば、織田・徳川方も相当な被害を受けている。
戦死者が、圧倒的に出るのは、敗戦が濃厚になったときの
撤退時である。

連合軍側は、勝ったのにも関わらず、5000人ほどの
戦死者を出している。

それも、数時間に及ぶ激戦が続いた。

それに、三方が原の戦い、高天神城の戦いのときの
織田軍の行動を見ていただきたい。

明らかに、武田との正面から戦うことを避けている。

それに、長いこと信長は、武田にゴマをすってきている。

武田は、明らかに信長をなめていたのではなかろうか。

柵を張り巡らせた砦など、ビビリのあわられであり、
ちょっと本気で突っ込めば、すぐに崩せるぐらいに
思っていたのではなかろうか。

勝てるという自信がないと、あれほど、本気で突っ込めしないし、
ここまで近づいている以上、織田をしっかりと叩いての
撤退でないと、とんでもないことになる。

鉄砲が正面にあるのであれば、迂回する方法もある。

竹のような塊を弾除けにして、突っ込む方法もある。

それより、果たして、武田方は、野戦場のことも、
信長の兵力のことも、鉄砲の数のことを、
しっかりと把握していたのだろうか??

私の意見はというと、信長が、武田軍がひっかるような
しっかりと仕掛けをして、
それに武田軍が突っ込んでくるように、
ありとあらゆる手を尽くしたということ。

それには、相当な準備が要るし、決戦にのぞむという
しっかりとした決断が必要であった。

もう一つ言いたい。

果たして、信長にとって、武田軍と言うのは、
無視できる相手であるのだろうか。

確かに、信長の最大の敵は、本願寺である。

その本能寺の拠点、大坂石山が5年もかけて
なかなか落ちない。

そういう時は、どうするのか、、、。

それは、援軍となる勢力を、一つ一つ潰していくということ。

その最大の勢力が、当時活発に動く、
勝頼率いる武田軍だ。

そして、その前年、織田領である東美濃に侵攻し、
明智城をはじめ、いくつかの拠点を落としている。

武田領である駿河寄りの高天神城とは違い、
そこは三河であり、今の東海道辺りを通って、
三河や尾張から、進軍しやすい場所だし、
武田側にとっては、かなり兵站が伸びきっている場所だ。

信長にとっても、武田を叩く絶好のチャンスだ。

さらに、2年ほど前の、信玄が西上作戦を思い出してもらいたい。

そのおかげで、足利義昭、本願寺、浅井、朝倉などなど、
どれほど勇気付けられたことか、、、。

三方ヶ原の戦いで、最大の同盟者である家康が
完膚なきまでに叩かれている。

その後、信玄はどうだったか?

ただ、遠州を手に入れる目的なら、浜松城を落とし、
家康の息の根を止めるであろう。

信玄がとった行動と言うのは、西上である。

もし、信玄が生きていれば、
その後、信長領であり、その信長と共に、
多くの重臣たちの出身地である尾張が
脅かされていたであろう。

そうなれば、本願寺、足利義昭などもそうだが、
急激に膨れ上がった織田家中もかなりの
動揺が走るであろう。

石山本願寺がなかなか落とせない以上、
信長がやることは、一つ一つ敵を潰していくこと。

義昭を攻め、追放し、浅井、朝倉を攻め滅ぼした。

それも、当時としては、電光石火のごとくである。

これは、どれだけ、信玄の西上が恐怖であったことを
物語るのではなかろうか、、、。

そして、高天神城を救援するという大義名分で出兵し、
のらりくらい進軍する中で、城が落ちた報告を聞き、
直ちに取って返して、本願寺の長島を攻め滅ぼしている。

長篠の戦いの少し前に、織田領まで、侵攻している勝頼、、、。

石山本願寺、足利義昭は健在であり、越前でも
本願寺が活発に復活している。

そして、長篠の戦い後、あの木津川の海戦を思い出してもらいたい。

たとえ、浅井、朝倉が滅んでも、
毛利がいるし、上杉も、その後大変な脅威となる。

そして、その動揺の中で、荒木村重や松永久秀は、
信長を見限り、裏切っている。

最大の敵である石山本願寺が落ちない以上、
当時に信長がやるべきことは、武田氏との対決だ。

その勝敗により、本願寺をはじめとする全国の武将の行動に、
大きく左右し、さらに織田家中にも、大きな影響を
与えることになる。

歴史をあとから見れば、その後の信長が
順調に伸びていくと思われがちだが、当時の信長が
果たしてそのように見ていただろうか、、、。

ここで、しっかりと叩いておかないと、
最大の同盟者である家康の離反につながり、
多くの敵を抱える信長にとって、
その時最大にやるべきことは、
武田との決戦だったと、私は思う。

そして、油断しきっている武田軍をたたたく最大のチャンスは、
一回きり。そのための周到な準備と計画が練られていたのでは
なかろうか。

それに、武将として、数多くの戦いを経験している
信長は、勝頼が突っ込んでくる可能性も、
十分理解していたのではなかろうか。

兵にも、その軍団にも特徴があるということ。

突進に強い、武田軍からみれば、ちんけに見える
柵で囲われた陣地など、取るに足らないと
思えたのではなかろうか。

黒田教授、どうだろうか?

妄想といわれれば、それまでだが、
各々の当時の立場にたってみれば、
そういう見方もあるように思う。


posted by hide at 22:15| Comment(1) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

「噂話とは、世評に無関心の人よりも、噂を怖がっている人に対して暴虐である」と、、、。深い言葉だね〜。

今週のNHKの「世界の哲学者に人生相談」も面白かった。

今週のテーマは、「人の目が気になる」であった。


33歳 女性

「人から、どう思われるのか、気にしてしまう。
意見を我慢すると、結果的にストレスがたまり、
人間関係が築けないのかと、不安に感じます。
子どもの頃から、「母に他人に迷惑をかけるな」
といわれてきました。どうしたら、人の目を
気にせず、らくになれますか?」

と、、、。

各出演者から、いろんな意見が出された。

カンニングの竹山さん

「人の目を気にして生きているのだけど、
『お前そんなに見られてないぞ』というのが
分かると楽になる」

と、、、。

萬田 久子さん

「気にしていいと思いますよ〜。だって、それが
性分なんだから。ただ、それをいいように捉える、
転換していく、例えば、私のことうらやましがられて
んじゃないの〜とか、強い女になっていくことが
重要なんじゃないかな〜」

と、、、。

そして、今回登場した幸福論の著者、20世紀の
イギリスの知の巨人ラッセルだ。

ラッセルの言葉は、次のようなものであった。

「世評とは、世評に無関心の人よりも、
世評を怖がっている人に対して暴虐である」

と、、、。

続いて、

「突飛な意見を持つことを怖れるな。
今日、認められて意見は、皆、かつては
突飛だったんだ」

と、、、。

深いね〜、とても深い。

だいたい、人が複数集まれば、
噂話になるもの。

話しが盛り上がるし、よくよく聞いてみれば、
かなり各々の主観がはいり、事実とかなり
かけ離れている場合が、多い。

悪いうわさを言いふらしたり、
村八分にされたり、そんなこと人間社会では、
何処にでもある。

しかし、人間社会で生きていく以上、
そんな人たちとも、共に生きていかなくては
ならない。

どうするのか、、、。

噂話にただ黙って潰されるのか、
それとも噂話を跳ね返すような、
萬田さんいう「強い女」になるのか、、、。

「強い女」と言うのは、けっして
徹底的に言い返せるような口論の
強い人になるという意味ではない。

そんな言葉にもびくともしない、
黙々と自分のことがやれる人、
そういう人が本当に強い人だと思う。

それが、大人になるということであり、
その強さが自分を解放するのでは、、、。

そんな人でも、私は、噂話が
気になると思う。

しかし、ここでラッセルが言っていた言葉が、
とても的を得ていると思う。

「世評を怖がっている人に対して暴虐である・・・」

まさに、その通りだと思う。

相手のいいところと付き合いたいか、
悪いところと付き合いたいか、

それは自分次第だと思う。

だれでも、
「あいつ生意気だ」
とか、
「あいつがうらわやしい」
とか、
いろんなネガティブな感情が人間である以上、
生まれてくるものだ。

「比較が人を不幸にする」というが、
人の性分というものは、そういうもの。

そんな感情により、噂話を流したり、
いじめたり、そんな行動に出るものだ。

そして、相手が一番喜び、その行動を
増長させるのは、こっちが弱っている姿を見せること。

たとえ、苦悩していても、
まったく気にしてない、と態度を示す、
そういうのって大事なような気がする。

もちろん、自分の弱々しい姿をさらけ出す場所も
必要だ。

しかし、それはまったく違う場所に作るべきなのかもしれない。

弱々しい態度を示せば、増長させ、
結局は、相手もそのようなネガティブな感情で、
心を心を占領させてしまう。

相手を変えようなんてそんなことは出来ない。

しかし、人間同士、付き合っていく以上、
いい感情で付き合っていった方のが、楽しいと思う。

それと、よくあることだが、ただ
「人に迷惑をかける、人に迷惑をかける」
とか、
「ほんなことをしたら、○○ちゃんは、どう思うの〜?」
とか、
たしかに、まっとうな意見のように思う。

何か、新しいことをやれば、必ず摩擦は
起こるモノ、、、。

しかし、その「摩擦」がなくて、進歩があるのだろうか?
さらに、いつまでも「摩擦」を怖れて、現状維持を
通せば、生き残れるのだろうか?
もしかしたら、周りよりかなり置いてけぼりになるのでは、、、。

噂話の中で生きている人のいうのは、
かなり視野が狭く、偏りすぎているように思う。

そんなあやふやな世界観の中に、
自分の価値基準をゆだねていれば、
どうしても窮屈になる。

まずは、自由になるということは、強くなること。

そして、嘘でもいいから、そのようなそぶりで
見せること。

やってみる価値はあるのでは、、、。


posted by hide at 09:04| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年07月05日

「勇気は、伝播する」、「誠意をもって生きていれば、無駄なことなど何もない。すべてのことが必然必要となる」。最近、テレビで拾った気に入ったフレーズ。

 今週のNHKの「先人たちの底力 知恵泉」が面白かった。

家康の家臣、本多正信に関してだ。

その番組の中でこんなことを言っていた。

「勇気は伝播する」

と、、、。

ちょっと、グッとくるような一言だ。

何かをやろうとすれば、必ず摩擦が起きるモノ。

番組の中で
「嫌われる勇気」
ということも、語られていた。

「人に嫌われる」って、
だれでも、嫌なこと。

できれば、みんなと穏便にやりたいものだ。

しかし、どう考えても、そのやり方が間違っているとき、
自分の大事にしている考え方に反するとき、
たとえ、集団からきらわれても、貫く勇気があるかないか、、、。

番組の中で、カウンセラーの出演者が
「嫌われる勇気を持つということは、自由を手にすることになる」
と、、、。

これも、生きていくうえで、大切なことの
ような気がする。

しかし、ただ、その嫌われてもやろうとすることが、
トンチンカンなことであるならば、その勇気が台無しに
なってしまう。

例えば
「俺は勇気があるんだ、あの崖から飛び降りてやる」
と、言って実際にやったのなら、

「あいつ、アホちゃう」
と、いうことになるだけ。

例え孤立しても、やるだけの価値があること、
そのようなことを判断できる見識が必要だと思う。


その見識を養うのも、日常生活の中で、
日々いろんなことを経験しながら、学んでいくしかない。

「誠意をもって生きていれば、無駄なことなど何もない。
すべてのことが必然必要となる」
いう。

もし、仕事で失敗したとする。

でも、失敗の方が、いろいろと学べる。

自分のもっと若いころを振り返って、
恥ずかしくなるようなことって、誰にでもある。

しかし、そのようなことの一つ一つが肉となり
骨となって、今の自分の骨格となっているのではなかろうか、、、。

それには、どんなことからも学ぶという姿勢、
ここでいう誠意とは、自分に対しての誠意なのかもしれない。

そして、いろんなことから、学び続ければ、
視野が広くなり、より勇気が持てるようになる。

勇気を持って行動すれば、伝播していく、
そういうことにつながっていく。

もう一つ忘れてはならないことは、忍耐だ。

みじめな自分の姿を耐え忍ぶ、、、。

悔しさをかみしめる、、、。


その時々の状態をベストと思い、焦らず確実に
実力をつけていく。

それには忍耐が必要だ。

「勇気は父、忍耐とは、自分の母である」
と、誰かが言っていたが、その通りのような気がする。

その父と母に守られながら、学び続ける、つまり自分という人格(見識)を積んでいく。

それが、人生の一番の目的なのかもしれない。




posted by hide at 07:40| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年06月29日

「いやな記憶に向き合う」には、、、。

最近私がはまっているテレビ番組、
NHKの「世界の哲学者に人生相談」で、
先週は「いやな記憶に向き合う」であった。


40代 女性

「幼少時代からの嫌な記憶が、頭から離れません。
母からの冷たい態度、友達からのいじめ、
社会に出てからのパワハラ、何かの拍子によみがえってきます。
どうすれば、嫌な記憶からサヨナラできるのでしょうか?」
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


この悩みに対して、出演者の磯野貴理子さん

「忘れたいことって、本当に忘れられないですよね〜」
と、、、。

石井竜也さん

「いやな記憶って、話せ(離せ?)ないから嫌な記憶なんだよね〜」
と、、、。

そこで登場したのが、生命の哲学者と言われるベルクソン(1859〜1941)
のお考え

「あらゆる知覚はすでに記憶なんだ。過去の知覚に
 支配されている」


「記憶を呼び起こすこととは、想像することで
 回想することではない」


と、、、。

それに、番組の中で話されていたが、

「記憶とは、思い出すたびに、様々な知覚が上塗りされて、
 更新される。つまり、記憶とは時と共に肥大化する」


と、、、。

深いね〜。

今回も、40代の女性の悩み、もしかしたら、
このことがこの女性にとって、ものすごい財産に
なるように思う。

たとえば、あまりにも弁が立ち、いつまでたっても
見栄とはったりに頼って生きている人生、、、。

勉強が出来、優等生であったためなのか、
つまらんプライドを守ることに一生懸命な人生、、、。

たしか、神田うのさんだと思うが、若いころは
とても環境に恵まれ、何でも自分の思い通りになってきた。

そのことにより、できない人の心が分からず、
その後とても苦労したと聞く。

順風満帆すぎれば、ばかり味わって、逆に身を滅ぼした人って、
どれほどいることか、、、。

逆に言えば、40年間、この女性は、自分の過去の記憶に
悩まされ続けてこられた。

そして、今、そのことが自分をどれほど苦しめてきたかを
悟っておられる。

ある禅宗の言葉であるが
「苦悩し、その苦悩の原因が分かっているということは、
その問題は8割解決している」

と、、、。

いじめられたり、冷たくされたり、
そのことが、今でも、人間関係に障害になっているのでは、、、。

自分は、人と上手くやれないのでは、、、。

また、誰かに傷つけられるのでは、、、。

そんなことを思っていれば、やはり人との付き合いを
躊躇することになる。

しかし、もし、この自分の内面の問題をある程度、
緩和されれば、今まで苦しんできた分、どれほど、
自由や幸せを感じれることだろうか。

「快楽や幸福感というのは、落差である」
と、誰かが言っていたが、これだけ心を縛ってきた
何かから開放されれば、どれほど幸せを
感じることができるだろうか。

逆に言えば、この人は、これから自由や幸せを感じれるための
40年間かけて、しっかりと準備をされているということ。

はっきり言って、いやな記憶と言うのは、
消えるものではない。

むしろ、一生付き合っていく覚悟が必要なのかもしれない。

しかし、その一生付き合っていく上で、
やはりよくよくそのことを知ること、
正体を突き止める努力をすること。

そのことにより、だんだんと開放感を味わうことに
なるのでは、、、。

まず、番組の中で、言われていたが、

「記憶とは、思い出すたびに、様々な知覚が上塗りされて、
 更新される。つまり、記憶とは時と共に肥大化する」


肥大化されている可能性が十分ある。

さらに、そのいじめられたとき、とても不安であったはずだ。

そういう時って、果たして、冷静な判断が出来ただろうか。

そのこと肥大化して、今でも、記憶として、固定しているのは、
もしかしたら、世界中であなただけなのでは、、、。

人間とは、集団で生きるもの。

その集団の中で生きていく以上、どうしても摩擦というモノがある。

傷つけあったり、自分の我を通したり、、、。

時には、意地悪な感情もわいてくる。

あなたは、相手のいいところと付き合いたいのか、
そのような悪い感情と付き合いたいのか、

いじめる側からすれば、一番、その行為をエスカレートさせるのは、
相手がダメージを受けている姿を見ること。

もし、嘘でもいいから、あまり効いてないという態度で
出れば、もしかしたら、かなり効果があるかもしれない。

とにかく、思い癖を変えるというのは大変なことだ。

しかし、40年間も蓄積されたその経験があるのだから、
もし、変えられたらかなりの開放感であることは
間違いない。

「何処にも逃げ道などない。苦難の今を引き受け、
苦難の世俗を生き抜く覚悟がいる」


と、昨年NHKのEテレ100分にで名著で、紹介された
「維摩経」で語っていた。

今を生き抜く覚悟、、、。

そして、あなたには開放感を味わい、幸せになるために
蓄積された40年間の経験がある。



posted by hide at 06:20| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年06月20日

「我慢ができない人って薄くないですか」今田耕司さんの一言、深いね〜。

 先週放送された「another sky」の500回記念スペシャルの
中で、今田耕司さんの発言がとてもよかった。

「今田さんのモットー手なんですか?」
とたずねられ、少し考えてから咄嗟的に
「我慢かな〜」
と、、、、。

さらに、
「我慢のできない人って、薄くないですか。」
と、続く。

他の共演者から、
「だから、この賢慮さと魅力があるんだ」
とか、
「さすが、お寺の息子」
だとか、いろいろ冷やかされていた。

人間て、生きていくうえで、常にいろんな悩みを抱えているモノ。

ある人が言っていたが、そのほとんどが
人間関係によるとことが大きいとのこと。

人間とは、社会性のある動物であり、集団の中で、
生きていれば、どうしても摩擦がある。

そんな中で、自分が傷つきたくないとか、みじめな
思いをしたくないとか、生存本能が働く。

江戸時代の禅僧、鈴木正三さんがこんなことを言っていた。

「我が身を思う念(自己保身)」が分別(煩悩)の本質である」

と、、、。

怒り、不安、恐怖、ねたみなどなど、それら煩悩の根本は、
生存本能にあるという。

常に、攻撃的で、誰かを見つけては、当たり散らす人。
果たして、その内面というのは、心の奥底にある恐怖からではなかろうか。

常に、自分を大きく見せよう、大きく見せようと生き続ける人。
大きく見せないと、襲い掛かる不安があるのではなかろうか。

常に誰かを攻撃していないと、自分がやられる。

常に、実物よりも大きく見せていないと、馬鹿にされる。

そのような不安があるから、その現象として、
表に現れてくると何かの本に書いてあった。

深い人というのは、そのような心の中で、荒れ狂う煩悩を
制御できる人。

それには「忍耐力」が伴わないと、できないであろう。

忍耐といえば、徳川家康だ。

家康のエピソードとして、一つ、どうしても紹介したいことがある。

それは、秀吉による小田原攻めの時だ。

小田原城を完全に包囲し、そして秀吉は小田原城が丸見えの
高台に城を築く。

その城に登城するのには、流れの急な川を渡ってこなければならない。

各大名が川を渡る姿は、城から丸見えで、
その城には、先に登城した大名たちが見ている。

戦国大名の唯一の価値観は、武勇だ。

いかに自分が強いかということで、その価値が決まる。

馬にまたがり、急流を渡る姿などは、まさに武勇の見せ所。

各大名、いかにも勇敢に川を渡ろうとしている。

しかし、家康だけは、違った。

多くの戦国大名たちが見守る中、馬を降り、若い衆に抱えられながら、
慎重に、慎重に川を渡ろうとする。

「この腰抜けが、、、」
とか、馬鹿にされる家康。

しかし、そんな中でも、その家康のみじめな姿を見て
「家康、恐るべし」
と、感じた大名もいたとのこと。

戦国大名って、常に命の危険にさらされている。

30年、生きれればいい方だという説もある。

では、なるべく、生き残るには、どうしたらいいか。

どうでもいいようなリスクは、極力避けること。

多くの大名が見ている中で、ただ自分を大きく見せるためだけに、
そんなリスクをとるべきなのか、、、。

それに、家康の当時の立場を考えてもらいたい。

当時の家康が、秀吉軍団の中で、勇ましい姿を見せるべきなのかということ。

家康は、秀吉家臣団の中で、最大の大名である。

その最大の大名である家康は、ついこないだまで、
秀吉と戦っており、小牧・長久手の戦いでは、
秀吉に勝っている。

毛利、上杉、小早川、前田などなど、多くのライバルたちが
見守る中、自分を強く見せたいのが、人間としての性であろう。

しかし、弱々しい姿を見せる家康、、、。


妹を嫁として与え、実母を人質として差し出しながら、
家康を説得した秀吉、、。

そんな秀吉軍団の中で
「わしは強いんだ。」
というような態度をとっていたら、
その後、家康は改易されるか、暗殺されるか、
秀吉に従うことを決めたということは、
もう「俎板の鯉」と同じこと。

では、その俎板の上で、家康はどう生きるか?

それは、「律儀な内府」であった。

本当に、家康がただ律儀なだけの男かといえば、
秀吉死後の関ヶ原、大坂夏の陣、冬の陣を見ればわかる。

今やるべきことは何か、それに向かって全力でやれる家康、、、。

その積み重ねが、大きくな実力となっていうような気がしてならない。

例えば、多くの大名の前で、ただ自分の武勇を見せつけるのが、
本当に強い人なのか、、、。

それより、冷静になり、あざけられ、馬鹿にされても
リスクは避け、豊臣軍団の一員として、自分の立場を
確立していくのか。

忍耐力がないとできない。

自分をしっかり見つめる力がないとできやしない。

私は、家康のことを「内省の鉄人」
と呼んでいる。

信長のあの発想力と行動力。
秀吉の天才的な人たらし的才能。

確かに家康は、そんな彼らと比べて地味に見えるが、
その時々に、やるべきことを全力でやり、その積み重ねに
より、天下人として、徳川300年の世界的に見てもミラクルピースと
呼ばれる時代の基礎を築いた。


そして、同時に、信長、秀吉、武田、今川、北条などなど、
当時家康にとって、ライバルたちからも、いろんなことを
学び吸収してきた。

これには、やはり徹底して、自分自身を見つめる力がないとできやしない。

人源誰でも、煩悩は一生付きまとうモノ。

そんな中でも、どれだけ、理性により、自分の中で、
それらの煩悩をコントロールできるのか。

そういう人の方が、私は人間として深みを感じる。







posted by hide at 07:55| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年06月18日

「偶然を楽しむ。人は人に種をまくために生まれてきたんだ〜」深い言葉だね〜。

先週放送された「another sky」の500回記念スペシャルが
とても面白かった。

各出演者の名言特集のようなことをやっていた。

その中で、俳優の長谷川 博己さんが出演していた。

十数年前、ほどスペインバルセロナを旅行中に、たまたま、知り合った
あるおじさんの話にとても感銘を受けたとのこと。

番組の中で、そのおじさんに、スペインまで会いに行き、
再び話をされた。

そして、そのおじさんの言葉がとても深かった。

「重要なことは、人生に計画を立てないこと。
心が人生を示してくれるんだ。」

「偶然を楽しむことだ」と、、、。

「17年前、突然、私が現れた。
ヒロキは、私の存在も知らなかった。

そして、君に何をしたか?

ただ、種を蒔いたんだ、

そして、芽を出したんだ。 

すべての人生において、人は、人に種を蒔くために
うまれてきたんだよ」


と、、、。

とても、深いね〜。

長谷川さんは、この時俳優になる前だったのかな〜。

この出会いを「必然必要」だったと語っておられた。

果たして、これが偶然だったのか?

オジサンが言うように、「心が人生を示してくれる」
というのは、どういうことなのか?

私なりに解釈させてもらうと、次のことが言えるのでは
なかろうか。

世の中、テレビ、ラジオ、ネットなどなど、
いろんないい言葉や格言が満ち溢れている。

例えば、今のこのおじさんの言葉を聞いて、
果たしてどれだけの人が、胸に響くのだろうか?

むしろ、受ける側が、感銘を受ける態勢が整っているのかということ。

例えば、何かに挑戦しながら、前向きに一生懸命生きている人がいる。

新しいことに挑戦するということは、経験もないし、
分からないことだらけだ。

だから思い悩むもの。

その苦悩の中で、何を求めるかというと、
このようないい言葉や格言ではなかろうか。

それも、これだけ世の中、情報にあふれている中、
自分の求めている言葉が、テレビなのか、ラジオなのか、
それとも偶然の出会いなのか分からないが、
どこかで出会うチャンスは、高いように思う。

禅宗の言葉であるが、
「すでに苦悩しているという状態は、もう8割は
その問題を解決していることになる」
と、、、。

思い悩んでいれば、何らかの悟りのような言葉を求めるモノだ。

人生には、限りがある。

一生懸命に生きていれば、そのような言葉を求め続け、
それが蓄積されれていけば、より成長した自分と出会えることになるし、
深い人生になる。

逆に、限りのある人生を常に不平不満で頭をいっぱいにしていたら
どうなるか?

そういう人が、どのような言葉にヒットするのか?

知らず、知らずのうちに不平不満の言葉を集め、
そのような仲間が集まってきてしまう。

心がけ一つで、人生大きく変わる。

そして、自分も種を蒔いていく。

逆に、どのような人が、種を蒔きやすいのか?

つまり、種を蒔いて、成長させやすいのか?

それは、思いっきり生きている人だ。

腹をくくっていきている人、そんな人に
多くの人が影響を受けるのではなかろうか。

うちの95才になる会社の会長さん。

昨年の年末から、入院されて、今は退院されたが、
果たして今年の夏が超えれるかどうか、、、、。

中小企業の経営者とは、とても過酷なモノ。

毎日、毎日いろんなことが起きる。

不良品が出たとか、高価な機械が壊れたとか、
私なら、ノイローゼにでもなりそうなところだが、
常に会長は平然としている。

腹のくくり方が違う。

そんな会長に、多くの人が影響を受けたような気がする。

私もその一人であるが、もし会長が亡くなられても、
会長的な生き方、考え方というのが
私の中で、生き続けていくような気がする。

そのように、人格とは、再生産を繰り返す。

私も51年の人生の中で、いろんな人の影響を受けてきた。

そして、それを次の世代になるべく
伝えていきたい。

それが、いろんな人に対する唯一の恩返しの
ような気がしてならない。

posted by hide at 19:39| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする