2018年10月16日

ある老人の「失敗学」、、、。

今から、一ヵ月前の9月16日、95才になられる
うちの会社の会長さんが亡くなられた。

あれから、一ヵ月たったが、ふと思うと、
やはり会長的な生き方、考え方は、
私の中にも、宿っているように思う。

ある精神科医が言っていたが、
「人間って著しく、周りから影響を受けている」
という。

特に、会長のように、自分の考えで、強烈に生きてこられた人と
いうのは、周りに影響を与えやすい。

たしかに、生きていれば、いろんな場面に遭遇する。

その時に、ふと思うのは、周りの人は、どうするか、
ということを思い浮かべる。

そんな時、ふとその参考にするのが、会長であったり
することがあるように思う。

中小企業の経営者とは、とても過酷である。

取引先がつぶれてしまったり、不良品を出したり、
高価な機械が壊れたり、そんなことばかりだ。

毎日、いろんなことが起きる。

そんな時、いつでも動じないのがうちの会長さんだった。

なぜ、そのように気丈夫でいられるのか?

ふと会長の生前の言葉を思い浮かべてみると、
その一つが「失敗」についての考え方だ。

「わしゃ〜、今まで、いろんな失敗をしてきた」

「そんなもん、やってみなわからん」


これらの言葉は、会長の口癖だった。

失敗やアクシデントをどのようにとらえるか?

ある人がいっていたが

「失敗は、一時の挫折感と、その後の向上心を与える。
成功は、一時の高揚感と、その後の慢心を与える」


と、、、。

その通りなのかもしれない。

成功した経営者のなどの言葉を聞くと、どの人も

「今まで、いろんな失敗をしてきた」

と、語る。

エジソンなどは、

「私は、失敗をしたことがない。うまくいかないことがあっても、
それが上手くいかないということが分かったという実験だからだ」


と、言うようなことを語っていた。

また、織田信長に関して、ある歴史学者が

「信長は、戦に弱い。いくつも負け戦を経験している」

と、、、。

しかし、尾張の小大名から、着実に勢力を拡大し、
天下取り寸前までいった。

それだけ、いろんなチャレンジをし、トライアンドエラーを繰り返してきた
と思う。

例えば、大坂に立てこもる本願寺に救援物資を送るため、
毛利水軍が大坂湾へ訪れた。

その時、織田水軍は、毛利水軍による焙烙火矢という手榴弾のようなモノに、
の壊滅的な敗北を受けたが、その数年後、鉄の船をつくり、毛利水軍に
勝利している。

私自身の人生を振り返っても、もしあの時、あの失敗がなければ、
今の自分はあったのだろうか?

というようなことばかりだ。

思いっきり、いろんなことにチャレンジすれば、
必ず失敗する。

そして、その失敗から、いろんなことを学べ、
今の自分がある。

逆に、つまらないプライドに固守し、何もやらなければ、
そのまま、流されるまま生きることもできる。

しかし、そのようなに流されてきた10年と、
いろんなことに挑戦してきた10年では、明らかに違ってくるのは
なかろうか?

会長の話に戻るが、なぜ、あのようにどんなことが
あっても、気丈夫で入られるのか?

その一つに、「失敗」に対する考え方を持っていたから
ではなかろうか。

人生なんて、思いもよらないことばかりだ。

そんな中でも、その経験から、いろいろ学ぶことができるし、
必ず将来の何かにつなっがっていくことを、体験的に
しっかりと理解していたように思う。

無駄なことなど何もない。

そのことが必要だから、神様が、今、あなたに
その失敗を与えてくれる。

そんなことを誰かが言っていたが、そのように思えば、
勇気もわいてくるのではなかろうか、、、。





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2018年10月15日

「自分を脱ぎ捨てる」という勇気、、、。

 最近、知ったのだが、羽毛布団ってすごいな〜と思う。

むかしから、重たいせんべい布団を何枚も重ね、
冬はセーターを着こむなど、厚着をして寝る習慣が
身についていた。

子供の頃、体の上に、何本かのタイヤが積み重なり、
体がつぶれそうな夢をよく見た。

しかし、20年前、結婚を機に、義理の両親が羽毛布団を
買ってくれた。

羽毛布団を買ってくれたのはもらったのはいいが
長年、その価値をしっかりと理解していなかった。

少し寒さを感じれば、その羽毛布団の上に、
分厚くて重い布団をかけて寝てしまう。

どうも、昔から重たい布団でなていた習慣があるので、
「軽い」イコール「寒い」というイメージが頭の中に
こびりついている。

しかし、三年前ほどに気が付いたのであるが、
逆に羽毛布団だけにして、薄着で寝た方のが、
寒さを感じなくなる。

それは、体から体温が、羽毛布団に蓄積され、
全体が暖かくなるからだ。

結婚当初から、隣で寝ているうちの嫁は、
そのようにやっているが、自分の方が寒がりだからと
思い込んでいたが、これをやり始めてから、寒さを
感じず、非常によく眠れるようになった。

ふと思ったのだが、これって、人生にも言えるのでは
なかろうか、、、。

馬鹿にされたくない、傷つきたくないと思うから、
人は、見栄を張り、威勢を張る。

必要以上に、頭がいいキャラを強調しすぎる、、、。

必要以上に、強さを前面に押し出す、、、。

しかし、そのような張り子の虎の中で、生きていて
本当に温かみを感じるのだろうか、、、。

人間は、生き方次第で、周りも変わってくる。

周りに誠意をもって生きていれば、自然と
周りからも温かみを感じるようになってくるのでは、、、。

もしかしたら、必要以上に威勢を張ることをやめてみたら、、、。

頭いいキャラを脱ぎ捨ててみたら、、、。

必要以上のマウンテイングなど、周りを逆に押さえつけて
しまうのでは、、、。

自分の殻を脱ぎ捨て、周りにも、自分にも誠意をもって生きる、
これがもしかしたら、良い人生になるのかもしれない。





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2018年10月10日

「人生有限 名無尽くす」、「我是不是我的我(私は私ではない私)」

私も50を超え、人生80年とするなら、
残り30年、、、。

ある人が言っていたが、
「30代より40代、
40代より50代、だんだんと時間というモノが、
加速度的に、ものすごいスピードで過ぎていく」
と、、、。

第二次世界大戦で亡くなられたある兵士が残した言葉

「人生有限、名無尽くす」

と、、、。

元台湾総督、李登輝さんの言葉

「我是不是我的我(私は私ではない私)」

と、、、。

残りの限られた人生をどのように過ごすのか?

この辺りに何か、ヒントがあるような気がしてならない。


あと、三十年のこの命、、、。

それも、加速度がついて、あっという間に、
60代、70代へと突き進むのであろう。

すべてをこの世に置いて、あの世に旅立たねばならない。

ある人が言っていたが、

「恨み、怒り、悲しみ、不安などなど、この世に強い
執着をもって、死ねば魂もしばられ、昇華することは
できず、その強い念と共に、この世をさまようことになる」


と、、、。

そのことが正しいのかどうかわからない。

しかし、それらの煩悩をいつまでも飼いならすことができず、
残りの限られた人生を過ごすのも、いささかもったいない。


江戸時代の禅僧、鈴木正三さんが、

「我が身を思う念(自己保身)」が分別(煩悩)の本質である」

では、「我が身」を忘れることができるのなら、
煩悩からも、かなり薄らぐのではなかろうか、、、。

怒り、不安、妬みなどに心を囚われる人の
大きな特徴というのは、自意識過剰なくらい、
周りが見えていない。

では、自分という意識を他者に移す訓練をしたら、、、。

それには、周りのために生きる、
また公共心を持つ、利他の心で生きるように努力し続ければ、
もしかしたら、「我が身を思う念」というモノが薄らぐのでは、、、。

残りの人生をそのようなことを大事に生きていきたい。

お金や地位にいつまでも、求め続けていても
果たして本当に幸せになれるのか、、、。

いつまでも他人の評価の中で、生きていても
結局、本当に大事なモノが、見えないのでは、、、。




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2018年09月21日

あるブラジルの日系人おばあちゃんが語る「日本精神」とは、、、。

 先日、あるテレビで、海外に住む日本人を
紹介する番組をやっていた。

世界各国、こんなところに日本人がいるのか?
というようなところまで、出かけって、その日本人の
生活を報道する番組だ。

今回は、ブラジルのある田舎町、、、。

そこに住む90才のおばあさんだった。

実は、このおばあさんが、サッカーの田中 マルクス闘莉王さんの
おばあさんだ。

そのおばあさんは、5才の時に、ブラジルへ渡り、
そこで同じ日系人と結婚して、現在まで、ブラジルに住んでいる。

そのおばあさんが、番組の中で、何度も口にすることは、

「日本精神、日本精神」

だった。

日本精神、なんて言葉は、今ではすっかり、この日本ですたれてしまったが、
もしかしたら、海外に移住した人たちのが、その精神をしっかりと
持ち続けているのかもしれない。

海外に行けば、他の民族も多いので、否応なしに、自分が日本人で
ある事を自覚しなくてはならない。

そして、日本人の、また日本社会の良いところ、悪いところが
自然に理解できるようになる。

私は、ニュージーランドに一年間滞在したことがあるが、
そこで日本の悪口を言っていると、あるニュージーランド人に

「おまえ、日本人だったのか、韓国人かと思った」

とか、

「ロシアなんかでは、少しでも他の外国人が、ロシアの悪口を言うようなら、
その場で喧嘩になるぞ」


とか、

たしかに、当時なのかな、多くの日本人が、
自国に対して、あまりいい印象というモノを
持っていなかったように感じる。

しかし、どうだろうか?

ニュージーランドで、タイ人、インドネシア人、マレーシア人、
台湾人、シンガポール人、もちろんニュージーランド人など、
いろんな民族の人にあったが、私のイメージからすると、
驚くほど、みんな日本が好きなようであった。

あるマレーシア人と、農場で一緒に作業したとき、その人は
岐阜で工場に研修に行ったことがあるそうだ。

その時のことを、よく話してくれ、日本人はみんな勤勉で、正直で、
親切だった、というようなことを言っていた。

何度も、家に食事にも誘われた。

また、何人かの日本に滞在経験があるニュージーランド人と交流があったが、
やはり日本がものすごく好きなようで、当時、私なんかよりも、
日本のことをよく知っている人が多かった。

例えば、「
「私は、日本の農家の長男であるが、
やたら親戚付き合いや、近所の付き合いも多く、
なかなか、互いに縛られているようで、窮屈だ」


と、言うようなことを話すと、

日本の秋田の田舎町に、二年間滞在したことのあるマークは、

「hide、それって、悪いことなのかな?
ここに、いると分かるだろうか、隣が誰だか、分からないし、
日本人に比べて、みんな自分勝手なことばかりやっている。
日本の社会って、安全だし、電気、ガス、水道も整っているし、
他の国に比べれば、素晴らしい国だよ」


と、、、。

ある若いニュージーランド人女性の話、

「私は、はるかに日本人や日本社会の方が、素敵だと思う。
みんな礼儀正しく、だれもが周りに気を使い、わがままを主張しない。
こんな民族、他にいないよ〜」


と、、、。

彼女も、日本に二年間滞在したことがあり、
私が彼女に日本語を教え、彼女が私に英語を
教えてくれたが、ほとんど英語の会話だったので、
フリーレッスンのようなモノだった。

ニュージーランド滞在中に、多くの人が私に親切にしてくれたが、
日本人に対する好印象も否定できなかった。

本来、陸続きの外国であるならば、奪われたり、奪ったりが
繰り返され、なかなか、その土地の文化を熟成させることはできない。

日本では、ミラクルピースと、呼ばれる260年があった。

平和が続く、秩序が保たれ、その中で、思想、文化を形成されてきた。

実は、その江戸時代以前の日本人と、以後の日本人は、
かなり違うようだ。

例えば、あの名君水戸光圀でも、若いころ、江戸の街で辻斬りを
したことがあるそうだ。

戦国時代、国内中で殺戮が繰り返され、人身売買のようなこともあり、
田畑は荒れ、定住もままならない時代だった。

そんな中で、人を信用しろだとか、親切とか、礼節とか
言っていられる場合ではない。

どのように、自分の身を守るか、どのように他から奪い取るか、
そのような社会で、周りとの協調して生きていくような思想など
生まれやしない。

本来、稲作文化なら、周りとできる限り強調していけば、
最大限収穫量が確保できる。

「和」こそ、我々日本人にとっては、最大の課題であった。

そのためには、集団に対して、誠実であらねばならない。

一人一人がそうでないと、社会に信用など生まれない。

ほぼ、国を閉ざす中で、黙々とその信用を大事にして、
稲作を続けてこれた我々日本人は、世界から見れば、
かなり特殊なケースである。

仏教でこんな教えがある。

地獄でも、極楽でも大きな釜出うどんをゆでている。

そのうどんを、1メートルの箸で食べなくてはならない。

極楽では、互いの口のうどんを運び、助け合って食べて、
みんなが満腹する。

地獄では、みんなが誰よりも先にうどんを食べようと
必死になるので、結局誰も食べることができず、
みんな餓死してしまう。

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相手を信用できるのか、周りの信用できるのか、

それは、自分次第だと思う。

95才で先日亡くなられてうちの会社の会長さんが

「確かに、モノは豊かになった。しかし、人間の心は
随分と貧しくなったな〜」

「みんな自由と、身勝手を勘違いしている」

と、言うようなことを語っていた。

一昔前までの日本って、けっこう参考になる面があるのでは
なかろうか、、、。

地縁、血縁、社縁と、今、日本はますます無縁社会へと
爆走している。

便利さと自由を手にしたはずなのに、本当に我々は、
幸せを感じているのだろうか、、、。

もしかしたら、自己の追求よりも、自我を薄める方のが、
幸せになれるのでは、、、。


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2018年09月18日

ある老人の生き様、、、。

一昨日、95才になるうちの会社の会長さんが
お亡くなりになり、昨日、お通夜に行ってきた。

会場につくと、花の量、人の数からして、
明らかに家族葬もしくは、それに準ずる
なるべく規模の小さな葬儀のようだ。

そんな中で、ご家族のご厚意で、会長の最後のお姿を
見ることができて、うれしく思う。

棺桶の中で、やせ細り、小さく眠っておられた会長。

そのお姿をしっかりと、目に焼き付けておきたいと
思っていた。

「身近な人の死というのは、いずれ自分も
死ぬということを悟らせるから起こる」

と、あるお坊さんが言っていた。

また、身近な人の死に対して、その人の人生を
振り返るいい機会でもある。

生前中に、小さな中小企業で、いろんなことが起きる。

高価な機械が壊れたり、不良品が出たり、
そのたびに経営者というのは、精神的にも
大変な気苦労であろう。

会長に、

「会社をやっていて、一番、つらいな〜と、
思ったことは何ですか?」

と、うかがったことがある。

会長は

「わしは、つらいなんて思ったことなんて、一度もないよ。
軍隊の経験に比べれば、そんなもんたいしたことない」



と、、、。


軍隊時代に

「上官が、鉄がカカトについたスリッパで、
三十発ほど、びんたされた。あんときは、顔がはれ上がり、
もう、死ぬかと思った。ほれで、上官が、最後に、
『親に言うなよ』と言って、立ち去った」



と、、、。

逆に、こんな質問をしてみた。

「会社を経営していて、楽しいって感じたことは
何ですか?」



と、、、。

会長は、
「そんなん、楽しいなんて思ったことはないよ」


と、、、。

また、いつもでも、頭がしっかりしていて、
この人は、本と不死身なのではないかと思っていたが、
そんな会長に、

「うちのオヤジなんて、会長よりはるかに若いのに、
もうボケて、体もあんまりよくない。
健康の秘訣って何ですか?」



と、うかがったことがある。

会長は、
「そうだな〜、緊張感だよ〜」


と、一言、語ってくれた。


どんな大変なことがあっても、
「大丈夫だ」

平気な顔をしている会長、、、。

その腹のくくり方には、凄みを感じる。

また、モノを作り出すという執念、、、。

たいていの人なら、あきらめてしまうところでも、
会長はやり続ける。

どうしたら、こんな風に腹がくくれるのか、、、。

やっぱり死生観、使命感というモノが
あったようにも思う。

だって、この会長の世代の人って、半分は戦争で
亡くなられた。

その戦争の敗因の一番大きなモノは、
それは物量の差だ。

相手の飛行機を打ち落としても、すぐに造って
その倍の数で、攻めてくる。

多くの戦友が死に、生き残って、日本に帰ってこられた。

そして、明らかに物量の差と、科学技術により、
相手に徹底的にやられてしまった。

そんな中で、この世代の生き残った人というのは、
何とか、日本を復興し、科学技術を発展させて、
豊かにするんだということを、強く心に感じ、
使命感のようなモノがあったようにも思う。


農地が整備され、ダム、水路、水道、ガス、電気、
空港、高速道路、港湾などなど、まったくの焼け野原から、
奇跡のような復興と、経済成長を成し遂げた日本、、、。

その背景には、この世代の人の頑張りが無くては
ならなかっただろうし、会長のような中小企業の経営者が、
非常に大きな力を発揮した。

休みの日に、会社にきても、黙々と
会長が仕事をしている。

休みに行くところと言えば、奥さんを連れて
近くのスーパーへぐらいだ。

朝早くに、機会のスイッチを入れてくださいと
頼んでも、朝の三時から始めてくれる。

自分が設計して、育ててきた会社に対しての
思い入れというモノは、まるで我が子のようだった。

そして、その会社のおかげで、我々社員も
今、こうして生活していける。

有難いことである。

私も、しっかりと棺桶の中でも、会長のお顔を
頭の中に焼き付け、ここぞという時に、
会長のことを思い出しながら、立ち向かっていこうと思う。

猛将という言葉が、ピッタリな人であったが、
「勇気は伝播する」と、誰かが言っていたが、
そんな生き様は、必ず受け継がれると思う。



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2018年09月17日

大正生まれの人たちのとは、、、。命の使い果たしたある老人の生き様とは、、、。

あの「不死身」と思われていた
95歳になるうちの会社の会長が、
昨日、お亡くなりになれた。

大正12年生まれ、終戦を韓国で22歳で
迎えられた。

多くのこの世代の人が、戦死され、
生き残った人たちが、どれほど死に物狂いで
頑張ってきて、今の豊かな日本が存在するか、、、。

会長への追悼という意味でも、
以前、私が書いたブログを紹介したい。

http://cpt-hide-cook.seesaa.net/article/454059542.html?1537154051

「大正生まれの男たちとは、、、。その偉業は計り知れない。」

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この世代というのは、非常に苦労した人たちであり、
また、今の豊かなこの日本を造り上げた人々だ。

日中戦争、第二次世界大戦と、大正生まれの人々の青春時代というのは、
まさに戦争そのものだ。

大正時代に生まれた男性というのは、約1300万人いるとのこと。

そのうち、200万人を超える人が戦死されたという。

だいたい、6人に一人の割合だ。

さらに、それが大正時代後期に生まれた人で計算してみると、
もっと比率が高くなる。

さらに、もっと年代を選別してみると、
例えば、うちの会社の会長は、大正12年生まれ。

終戦を22歳で迎えた。

会長の同級生の約半数が、戦死しているとのこと。

確かにそうだろうと思う。

知覧の特攻会館に行っても、戦死者の歳を見ると、
だいたい20前後、、、。

兵卒として、最前線で戦争に参加した世代だ。

さらに、百田氏は語るが、永遠のゼロで描いた特攻隊員と
戦争から帰ってきて、奇跡のように日本を復興させた
海賊と呼ばれた男に描かれている若者たちは、同世代であり、
この大正生まれの人たちが主軸だ。

例えば、海賊と呼ばれた男の中で、元海軍の石油貯蔵地下タンクに
入り、バケツで石油をくみ上げた若者たちは、まさに
戦争の生き残り、、、。

この人たちの頑張りがあったからこそ、今の日本の豊かな生活がある。

公演の中で百田氏が語っていたが、例えば今の若い人が
こんなことを言うという。

「我々は、就職してから、高度経済成長もなく、
バブルも味わっていない。まさに不幸の世代だ」
と、、、。

しかし、どうだろうか?

バルブをひねれば、きれいな水道の水が飲める。

ガソリンスタンドが各地にあり、たいていの人が車に乗れる。

農地も整備され、高速道路、ダム、発電所などなど、
世界を見渡しても、これほどきめ細かに社会インフラが整備された
国というのは、それほどない。

これって決して当たり前のことでない。

戦争で生き残り、必死に日本を再生させた
大正時代の人たちの造り上げた基盤の上で私たちはこのような豊かな
生活を送っている。

例えば、うちの会社でも、韓国で終戦を迎え、帰国した
うちの会社の会長が立ち上げた。

ロボットやいろんな機械等、確かに古くなってきているが、
どれもこれも、もしこれらの設備がなければ、今の会社は成り立たない。

会長が死に物狂いでやってきた土台の上で、
今、我々が飯が食えている。

会長の世代の人に、
「同級生の多くの人が戦死し、戦争から帰ってきて、
どのような思いが強かったのですか?」

と聞いても、なかなか照れてなのか、答えてくれない。

もし、会長のように、自分が運よく生き残り、多くの同級生たちが
戦地で亡くなられたとしたら、どのように生きようとするのだろうか?

「彼らは、洗脳されていたんだ」という言葉で片付けるには、
あまりにも思慮が狭すぎる。

そして、戦争から帰ってこれば、価値観も大きく変わってしまい、
戦争に行った人は、軍国主義者のように非難される時代となった。

そんな中で、必死に日本再建に取り組んだ大正時代の人々、、、。

本当に、頭が下がる。

戦争体験者に、私が必ず聞くことは
「自分の死についてどう思いましたか?
死ぬのが怖くなかったですか?」
と聞くと、

ある老人は、こんなことを語ってくださった。
「自分の死とか、そんなこと言っている場合ではなかった。
それよりも自分の世代で何とかしなくては、、、という思いが
強かった。みんなそうじゃったよ」
と、、、。

自分の世代で、、、、。

確かに、一番体力的に体が動き、最前線で戦える世代だ。

自分のことなど、かまっていられない。

自分の祖国を、故郷の難局を何とかしなくてはならないと、、、。

うちの会長が言うには、
「みんな天皇陛下ばんざ〜いなんて言って、死んでいったわけではない。
ほとんど人が、『おっかさ〜ん』と、叫んで死んでいったよ」
と、、、。

日本というより、故郷、そしてイメージとしてその故郷の中心的な
存在である自分の母親、、、。

これって、多くの人が持てる感情のような気がする。

私たちは、多くの先人たちの血のにじむような努力のおかげで、
今の生活があるということ。

そして、今我々が次の世代に何を残すのか?
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昨年の10月に、この記事を書いたが、それから一年近くたった。

そして、一番、身近なその大正生まれの会長が亡くなられた。

電気もガスも水道も使える、果たしてこれが当たり前のことなのか、、、。

何一つ、当たり前のことなどなく、多くの先人たちの
おかげで、今の私たちがある。

そのことを、十分に理解するべきでは、なかろうか、、、。

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巨星、逝く、、、。

昨日は、休みであったが、夜に会社の後輩から
電話があり、95歳になるうちの会社の会長さんが
お亡くなりになられた。

3日ほどまえ、朝食事をしていたら、
体が固まってしまい、そのまま救急車で運ばれ、
その後、意識を取り戻したようだが、
昨日亡くなられた。

ふと、今、思うのがあるお坊さんの言葉

「身近な人の死というのは、自分もいずれ
亡くなるということを、教える為に
起こることなんだ」

と、、、。

たしかに、私の中で、昨日の夜から、
会長との思い出が、色々頭の中を
めぐり、そしていつまでも不死身のように
思っていた会長が、亡くなってしまった。

ある精神科医が

「人間って、著しく、周りから影響を受けている」

と、、、。

そして、その影響を与える度合いというのは、
人それぞれ違う。

会長のように、自分の考えで行動する人というのは、
多くの人に、影響を与えることになる。

自分の人生を振り返れば、多くの人から影響を受けてきたが、
その中でも、会長の存在というものは、大きいように思う。

何が、すごいのかというと、
その腹のくくり方というのか、
生き様だ。

終戦を22歳で迎えられ、同級生の半分が戦死した
世代だ。

大正、昭和、平成と激動の時代をすごされ、
年老いても、気丈夫に生き続ける会長、、、。

会長に比べたら、はるかに小さなことで、
物怖じしたり悩んだりする小市民である私、、、。

しかし、人生において、腹をくくって、
トコトンチャレンジしなくてはならない時って、
何度もある。

そこで、いつも逃げるのか、それとも
勇気を振り絞って、立ち向かうのか、
その積み重ねで、大きく人生変わってくると思う。

そんな時に、誰を心の中で、イメージするのか、
一番に頭の中に浮かんでくるのは、会長だ。

中小企業の経営という嵐の中でも、毅然と
立ち続けた会長、、、。

とても、いいお手本になり、そんな会長に
私の中で生き続けることになる。

会長的な生き方、生き様というのが、
時として私のお手本となる以上、
会長が亡くなられても、会長と共に
私は、生き続けることになる。

死後の世界はあるのかどうか、それはないと思う。

しかし、このように、人と人が強く影響しながら
社会の中で、人間の集団意識の中に、強くきざまれる
生き様というモノがあるように思う。

そういうのが、永遠の命のような気がしてならない。



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2018年09月12日

石田秀輝さんのブログを見て。「集合的無意識」と「自己」の考え方について、深く共鳴を受けた。

最近、ある人のブログを見て、とても感銘を受けたので
紹介したい。

そのある人というのは、石田秀輝さん。

石田さんは、セラミックス業界では、スーパースターだった人で、
当時、昔のINAXに勤めていて、私も何度も石田さんの講演を
聞きに行ったことがある。

石田さんは、もう十数年前に、INAXを退社され、
その後、東北大の教授をやられていた。

そして、4年ほどまえだったか、奄美群島沖永良部島に移住し、
そこで自然と温かい島民と共に暮らしている。

とにかく、ものすごく頭が切れ、モノを読み解く感性が鋭い。

そんな石田さんが、今、何を思い、何を感じているのか、
私も興味があり、ちょくちょくネット上で、拝見させてもらっている。

その石田さんの2018年4月のブログで、素晴らしい記事があったので紹介したい。


https://ameblo.jp/emileishida/entry-12368839407.html

「ご先祖様!!」 Emileのコラム 169

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小学校での子供たちの授業でも強く感じるし、送って頂いた沢山の手紙を
読んでいても感じるが、子供たちの自然に対する思いやそれにかかわる
情報の吸収力には驚かされる。教科書にも載っている「自然と暮らす」と
いう、たった1−2時間ほどの授業なのに、乾いた砂が水をいくらでも吸収
するように、前のめりに、きらきらと目を輝かせ、こちらが圧倒されるほど
のことも多い。恐らく自然というものを理解する受容体のようなものがあって、
ゼロベースではなく、それにスイッチが入るのではという気がしている。
ユングの精神分析学では、「すべての人間には自分で自覚している精神があるが、
それは人間の精神の表層部分でしかなく、その下に膨大な無意識の精神を持っている」
と考えている。無意識は太古からの生物の意識の積み重ね(集合的無意識)で、
普段は気づいていないけれど、何かの拍子でスイッチが入り出てくるものだそうだ。
子供たちの自然に対する意識は、きっと集合的無意識に埋もれていたものなのでは
ないのかと思っている。
この感覚は、世界共通で日本だけでなく海外で子供たちに話をしていても同じなのだが、
聊かの違和感も感じる。日本の子供たちの方が熱いのだ。上手くその感覚を表現でき
ないが、単に知識ということではなく、自然というものをより深く感じているのでは
ないかと思う。何故だろうか、恐らく社会構造の違いが集合的無意識の中に織り込まれ
ているのではないかと最近思っている。欧米の社会が生きた人間で構成されてるのに
対して、日本の社会は自然と人間で構成され、さらに人間が生者と死者で構成され
ている。柳田国男は『死者の魂の行き場は人々が生まれて生きて死を迎えた場所』だ
と言ったが、まさに人は生まれてから死を迎えるまで魂が穢れて行く、何故なら自己を
持つからであり、自己があると自己主張し、自己目的を持ってしまうからである。
死によって魂は森に戻り、自然の力を借りて穢れを取り払い、徐々にきれいになる。
自己の無くなった魂は自然と一体化し、自然そのものとなり、それが子孫を守り神や
仏になるという。それに必要な時間が例えば33年(三十三回忌、弔い上げ)であった
りするのだ。日本人にとっての自然はご先祖様の宿る場でもあるのだ。そんなことが、
集合的無意識の中に織り込まれているのだろう。
一方では、自己の経験によってつくられた自覚された意識と深層にある集合的無意識の
バランスをとることが現実に生きる上では求められる。とりわけ都会に住めば、集合的
無意識に蓋をしなければならないことも多いだろう。ただ、あまりにしっかり蓋をして
しまえば、集合的無意識の圧力が高くなり、そのうちその圧力に耐えられなくなり爆発
して「精神的な病」になる。ワーク・ライフバランス(仕事と暮らしの質と量のバランス)
という概念もここから生まれたのだろう。島暮らしはどうか、ワークとライフが
オーバーラップしており集合的無意識に蓋をする必要はほとんどない。お年寄りに
笑顔が絶えないのはそのせいではないのか、100年先の子供たちを思える御老人がいらっ
しゃるのもそのせいではないのだろうか。
島暮らしを始めてもうすぐ4年が終わる、島に居ると集合的無意識のスイッチを押されっぱ
なしである、有難いことである(笑)。
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私が、この文章の中で、特に気になったのが、
「集合的無意識」と「自己を持つ」という二つの言葉だ。

むかしに比べ、はるかに便利になった。

しかし、本当にみんな幸福感というモノを
味わっているのだろうか???

何か、激しい競争と生活に追われ、疲れ切っているようにも思う。

それよりも、もっと違う道があるんじゃないか?

違う生き方があるんじゃないか?

そんな風に思う人が、けっこう多くなってきているのでは、、、。

石田さんがいう「スイッチ」がオンになった人、そして
多くの人がスイッチ・オンのすぐ手前のような気がする。

それが今、人間の集合的無意識の中で、大きく噴き出そうとしている
のではなかろうか、、、。

それと、自己について。

確かに、生きていれば、自己というモノに縛られることになる。

しかし、一昔前までは、どうだったのか?

もっと、自己というモノが薄らいでいて、家族であったり、
村などの共同体であったり、国であったり、自己よりも
そちらの方に重点が高かったようにもおもう。

果たして、人間の幸福感という面で、
自己の願望なり、自己防衛なりを追求しすぎて、
本当に幸せになれるのだろうか、、、。

江戸時代の禅僧鈴木正三さんが、

「我が身を思う念(自己保身)」が分別(煩悩)の本質である」

と言った。

もしかしたら、自己を溶かすということの方が、
幸福感を味わえるのではなかろうか、、、。

ある仏教の教えを紹介したい。


地獄でも極楽でも、大きな釜でうどんをゆでている。

そのうどんを1メートルほどの箸を使って、食べなくてはならない。

地獄では、誰もが競ってうどんを食べようとするので、
誰も食べることができず、みんな飢え死にしてしまった。

極楽では、各々の口にうどんを運び、助け合いながら
みんなが食べることができ、みんな満腹になった。




ここで一番大事なのは、互いの「信頼関係」だ。

各々が自己を追求し続ければ、信頼関係は、
崩壊するであろう。

それが証拠に、今では、地縁、社縁、血縁などが薄れ、
無縁社会へと突き進んでいる。

もしかしたら、信頼関係を構築することを第一とした
社会構造の方が、多くの人が幸せを感じることができるのでは、、、。

そんなことできるのか?

というような声も聞こえてきそうだが、
一昔前までの日本というのは、そういう社会だったように思う。

むしろ、人々の集合的無意識の中で、そのことが
今、強く思い起こさせられようとしているように思う。

石田さんのブログを見て、そんなことをふと思った。



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2018年09月11日

神という概念、、、。

「神仏をおろそかにしては行けない」

と、いう言葉、、、。

これは、94才になられる私の近所のおじいさんの言葉だ。

地元の歴史を語る会で、昔の村芝居についてのお話しの中で、
一番最後に、語られた。

近所の次の世代の人々に、一番伝えたかったことだった
ように思えた。

自他共に認めるおじいさん、おばあさん子である私は、
お恥ずかしい話、20才くらいまで、祖父母と寝起きを共にしていた。

その布団の中で、信仰深いうちの祖父母の話というのは、
だいたい神様、仏様、ご先祖様の話、、、。

少し前の世代であるなら、その神仏というものが、
身近にあり、何か見えないモノに対する畏敬の念というものが、
染み付いていたような気がする。

例えば、家をリフォームなり、建て替えるなり、
その道の人にうかがって、いい年、悪い年など
聞きに行っていた。

私が中学生の頃、いきなり高熱にかかったとき、
おじいさんが、うちのオヤジに

「おまんが、あの庭の石を動かすから、
こんな高熱にかかってしまったやないか!」

と、いうようなことも言っていた。

一時期、そんな祖父母的な考えが、とてもいやで抵抗を
感じたが、歳を重ねれば重ねるほど、ボディブローのように、
効いてきている。

実際に、「神様はいるのか?」と聞かれれば、
科学を散々学んできた私にとって、いないであろうと思う。

しかし、心の中に、見えない何かを持つというのは、
私は、悪いことではないと思う。

太古の昔から、人間は神を持ち続けてきた。

その神を利用して、幾度となく、戦争もあり、
オウムのような事件もあった。

しかし、心の安定という意味で、神という概念は、
有効なのではなかろうか、、、。

ある戦争体験者の話、、、。

沖縄戦に従軍に、何度も何度も死にかけた聞く。

伝令として、走らされているときに、目の前に
爆弾が落ちた。

もう駄目だと思ったが、それが不発弾であった。

仲間が、弾が飛んでくるので、場所をかわってくれと、
危険な場所に移ったが、その元いた場所に、その後、
いきなり爆弾が落ち、その仲間は死んでしまった。

そのように、何度も、何度も死にかけて
多くの戦友が亡くなっていく体験をしてきて
こんな心境になったという。

「私は、何者かに、導かれれいる」

と、、、。

そのような死線を潜り抜けたり、多くの修羅場を乗り越えて
来た人というのは、もしかしたら、そういう心境になりやすいのでは
なかろうか。

しかし、もし、「何者かに導かれている」と、感じれるのであれば、
そのことにより、不安感、孤独感というモノが、やわらぐのでは
なかろうか、、、。

「何者かが心の中にいる」ということは、
別の人格が、常に私を客観的に見ているということでもある。

そのようなもう一人の自分というを持つことにより、
煩悩から離れ、客観的に自分を見れるようになるのでは、、、。

神なり、仏なりが見ていると感じれば、
果たして悪いことはできるのだろうか、、、。

自身を制御するにも、神仏の力というモノは、
必要になってくる。

では、その心の中に宿る、何かが、何であるか?

要するに、自分を導いてくれているというような
気持ちにさせてくれる見えない何かの存在の方が、
信じやすいのではなかろうか、、、。

私の頭の中に、浮かぶのは、まず間違えなく、
私を育ててくれた亡くなった祖父母だ。

そして、たいへん親しかった叔父や叔母、、、。

ヤンチャもんだった私に正面から、向き合ってくれた
ある上司や恩師、、、。

これらの人は、みんな亡くなった人であるが、
やっぱりそういう人が、私を守り、導いてくれるという風に
思い込みやすい。

そして、自分の人生、思いっきり生きて、
死んだときには、彼らが
「よく頑張った」
と、言って迎えてくれるような感覚が生まれる。

そうなると、死に対する恐怖も、やわらぐような気がする。

また、けっこう意識の力というモノを、私は信じている。

例えば、何でキリンがあのように首が長いのか?

長いこと、「あの木の上の果実を食べたい」
と、思い続けたのではなかろうか、、、。

今の例がいい例なのか、悪い例なのかは別にして、
例えば、苦しいことなどが続けば、誰でも神頼みしたくなる。

その神というモノを、自身の意識が作り出しているのでは、、、。

ちょっと、なかなかその辺の説明が難しいので、
今日はこの辺にしておきます。

心の中に、神を持つこと、これって古いようだけど、
けっこう役に立つのでは、、、。

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2018年08月28日

「人生とは、魂を昇華させるためのプログラム」、、、。あるお坊さんの話。深いね〜。

「人生とは、魂を昇華させるためのプログラムなんだ」

確か、あるお坊さんの話であったと思ったが、
何年か前、ラジオだったか、何かの本だったか忘れたが
こんなような言葉が、とても印象的だった。

「我々の命は、限りがあり、有限の時間の中で生きている。
多くの人が、自身の夢を語るが、もし何かを成し遂げたとしても、
それらをこの世に置いて、たった一人で旅立たなく
てはならない。有限ということを自覚すれば、その「夢」も
変わってくるのでは、、、。」

と、、、。

さらに

「もしあなたが、死ぬ瞬間、恨みなり、悲しみなり、
怒りなり、何らかの心を強く縛りつけるモノがあるならば、
魂を昇華させることは、できないであろう。そのような強い念と
共に、この世をさまようことになる」


と、、、。

さらに

「人には、それぞれ「思い癖」というモノがある。その思い癖に
より、何度もその人の人生の中で、躓くことになる。
躓くたびに、人のせいにばかりしていては、その思い癖と
うまく付き合うことなどできやしない。問題は、他人ではない、
自分の内面にあるということ。躓きから学べば、心の昇華に
近づくだろうし、学べなければ、その思い癖にいつまでも
囚われることになる」

と、、、。

深い言葉だね。

その時は、何を言っているのか、分からなかったが、
何年かたって、なんだか、心の中に深くしみ込む。

「思い癖」というのは、私にもあるし、誰にでもある。

意識を外に向けるのか、それとも自身の内面に向けるのか、
それにより、自身を解放することになり、魂の昇華に
近づくのでは、、、。

今日は、少し宗教チック話であったが、
自分にとって、効果があるのであるならば、
拒む理由など何もない。

それより、心のあり方を長年かけて、研究してきた
宗教から、いろんないい言葉を掘り起こせることが
できるように感じる。


posted by hide at 07:56| Comment(1) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする