2015年11月26日

「ツキまくっている」と思える人間力!

今日も、朝5時ごろ目覚める。

今日も朝を迎えることが出来た。

そして、呼吸ができる。
手が動く、足が動く。

起きてみて、水道の蛇口をひねれば、
飲めるほど,きれいな水があふれ出る。

炊飯器の蓋を開ければ、ご飯が炊けている。

ご飯に納豆、朝飯はこれにかぎる。

トイレに行き、便座に腰を下ろす。

グッと踏ん張れば、今日も快便だ。

この瞬間、いつも亡くなった伯母のことを思い出す。

5年ほど前、すい臓ガンでなくなった。

闘病生活中に、うちの家に電話がかかってきて
「便が出た、便が出た」
と、大喜びであった。

すい臓が衰退すれば、便も出なくなる。

そこで、薬を投与し、一時的に便が出たのだが、
普通に考えれば、汚らしい大便のことでも、
大喜びの伯母、、、。

便が出るのも、胃や大腸など、内臓系がしっかりと
機能しているということだ。

内臓を患って、苦しんでいる人がどれだけいることか、、、。

喘息のうちのオヤジ。
夜中目覚めると、息が出来ない時があったとのこと。

あまりにも苦しくて、もうだめだと思い、
仏壇の前で、しばらく「南無阿弥陀仏」と唱え
ながら、もがいていたことがあるという。

息ができること、手が動くこと、足が動くこと、
健康でいられることが、それだけでも、いかにありがたいことか。

世界には、多くの人が水不足で苦しんでいる。

水道の水が飲め、そのきれいな水で風呂水、
そして便所の水洗の水にまで使っている我々日本人。

オヤジの昔話を聞けば、そのほとんどが、食べ物の話だ。

それだけ、昔はみんな飢えていた。

時代的に見ても、これだけ食べ物が豊富にある時代は
今までない。

世界を見渡しても、何億という人々が、餓えに苦しんでいる。

これらのこと、もう一度よくよく考えてみれば、
これだけのことでも、我々って、つくづく幸せだよな〜。

この時代に生まれてきたこと、そしてこの日本に生まれてきたこと、
つくづく、ついている。

しかし、ほとんどの人が、何らかの悩みを抱え、
そのことで、心を占領されている。

幸せかどうかなんていうのは、その時々の解釈で、
いかようにも変わってくる。

では、神様の立場に立ってみて、どう思うだろうか?

いろんなものを与えて、その価値が分かり、感謝できる人。

その価値が分からず、いつまでも経っても、何らかの悩みから
解放されない人。

どちらを好むのであろうか?

自分は、ツイている、ツキまくっている、そう思える人こそ、
神様がくれたチャンスを最大限に生かすことができる。

うちの会社の92歳になられる会長さん。

中小企業の経営者であり、毎日、いろんなことが起こる。

不良品が出たり、機械が壊れたり、いきなり取引が停止になったり、
経営判断を一つ間違えれば、会社が吹き飛ぶようなことの
連続だ。

私が「経営者は大変だ」
と、言っても
「わしゃ〜、つらいと思ったことなど、いっぺんも
ありゅせん。わしは、軍隊経験をしているから、あれほど
つらかったことはない。それに比べれば、たいしたことないさ〜」
と、、、。

つらいことを乗り越えた人ほど、現実のありがたみが分かる
モノだ。

また、沖縄で知り合ったある年配の民宿の大将、
その人は、先の大戦で、沖縄戦に従軍し、
何度も命拾いをした人だ。

ある集団でかたまっていると、鉄砲玉が飛んでくる。

その人は、その集団の真ん中にいたのだが、
危険にさらされていた外側の人と場所をかわってやった。

その直後、その集団の真ん中に、爆弾が落ちた。

その人は、生き残ったが、真ん中あたりの人は全滅、、、。

さらに、伝令として走らされているときに、目の前に
爆弾が落ちてきた。
運よく、それが不発弾、、、。

そのようなことを幾度と体験してきたその人は、
つくづく思ったことは
「私は、何者かに、導かれている。
何者かに、守られている。でないと、今ここに
おれなかった」
と、、、。

とてもつらいことでも、つらいと感じない、不幸と感じない。

また、何者かに守られている、と感じることができれば、
たとえつらい人生でも、その中でささやかな幸せを
感じることができるのでは、、、。

人間なんて、その人の捉え方で、幸福感というモノが
大きく左右される。

つらいことでも、あとあと考えれば、その時の体験が
活きてくることもある。

神様は、あなたにいつも必要な時に、必要なモノ(出来事)を
与え続けている。

あなたは、ツイている、ツキまくっている、
そう思える人ほど、運を引き寄せ、運を活かすことができる。

そして、何者かに導かれている、守られているというような
感覚が持てるようになれば、きっとより豊かな人生になる
であろう。

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2015年11月25日

「感謝」の力!

 毎週土曜日早朝、ラジオで放送されている
「なぜ生きる2」、その時間、いつも車の中なので、
よく聞いている。

こないだ、こんなことを言っていた。

「快楽とは、苦悩と苦悩の間、ほんの一瞬味わえるもの」
と、、、。

深い言葉だね〜。

人間とは、「もっと、もっと」の生き物。

何か手に入れれば、それだけでは満足できなくなり、
新たなるそれ以上のモノを求めるようになる。

「もっと、もっと」とは、「欲望」だ。

しかし、「欲望」とは「恐怖」と表裏一体だ。

「もっと、もっと」を、「恐怖」という観点からみれば
「足らない、足らない」になる。

自分が劣っている、自分は満たされていない、
自分は取り残されるのでは、、。

足らないという感情から生まれるのは、このような
「恐怖」である。

では「足らない」の逆は、
「足りている」、もしくは「満たされている」だ。

「満たされている」という気持ちになれば、
出てくる言葉は、「ありがとう」だ。

つまり、「感謝」だ。

ある仏教の教えであるが、
地獄でかまゆでの刑に処されている人がいる。

その人が、火の番をしている鬼に対して
「熱い、熱い」と叫ぶ。

鬼は
「この火は消すことができる、しかし、お前の
心の中の炎は、消すことができるのか?」

と、、、。

「自分が満たされている」と、感じれるのも
その人の能力である。

すべての人が、世界チャンピョンになれるわけではない。
そして、たとえ世界チャンピョンになれても、
その地位を維持し続けることは、不可能にだ。

上ばかり見ていれば、周りが見えなくなる。

足りない、足りないの恐怖心で心を占領されれば、
上手くいくものも行かなくなる。

長いこと、何億の人々の言い続けられてきた
感謝の言葉、「ありがとう」、、、。

この言葉には、相当な言霊が宿り、
パワーがあるのかもしれない。

恐怖をやわらげるのは、「満たされている」という
感謝の気持ち、、、。

では、その感謝の気持ちを表わすには、
「ありがとう」という言葉を、周りに発すること。

ある人が言っていた
「『ありがとう』を一年間で、10万回言えば
幸せになれる」

と、、、。

もしかして、理にかなっているのかもしれない。

それを実行しようと思えば、「ありがとう」という
機会を常に探していることになる。

例えば、いつも無表情で行うコンビニの会計、、、。

お金を払い、袋を手渡された時、
これも一つの「ありがとう」という機会である。

そのように、自然と「ありがとう」といういうことを
心がけるようになり、習慣化してくるのでは、、、。

そうなると、周りが変わる、そして自分も変わる。

感謝の言葉をいつも口に出来れば、口から発し、
その言葉が耳から入ってくる。

そして、相手の表情により、目から入ってくる。

悪口を言い続けるよりも、この方が効果的に
ハッピーになれるのでは、、、。

恐怖で心を占領されていては、冷静な判断など出来やしない。

時には、「満たされている」という心の余裕を持たなくては、
身がもたないし、運をつかむことは出来ない。

神様はいつもあなたに働きかけているのは、
「まあ、ええんじゃない、そろそろ自分を許したれや〜」
ということなのかもしれない。

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2015年11月20日

シリアは、アサドに任せろ!!加速する米国離れ、、、。

プーチン大統領は、
「ロシアが野蛮なテロ攻撃を受けるのはこれが初めてではない。
彼ら(テロリスト)がどこに隠れていても必ず捕まえる。世界の隅から
隅まで捜索し、罰を受けさせる」
と述べた。

そのことについて、あるテレビで、
ロシアの専門家といわれる人が、こんな発言をしていた。
「プーチンは、世界の人々を、まるで自国民とでも
思っているような発言だ」
と、、、。

ロシアの専門家というが、情けない限りだ。

プーチンが、今までどれほど、テロに対しての危険性を
うったえてきたことか。

まったく地域性を無視した己の利益丸出しの中東での米国の政策、、、。

その結果が、大量の難民、そして、世界中に広がる
テロの脅威、、、。

アメリカのお題目である「自由」と「民主主義」というのが、
本当に、どの地域にも当てはまるのか。

市民革命を仕立て、その真相は、結局は自分の
都合のよい政権を作り上げること。

そして、その国の利権を思うままにし、グローバル企業が
押し寄せ、また戦争にでもなれば、軍事産業が潤う。

その繰り返しが、今の難民とテロという大問題だ。

フランスの高官は、
「もう、我々には時間がない」
と、語る。

ヨーロッパに
押し寄せる難民、、、。
そして、テロへの脅威、、、。

シリアでも、少し前までは、アサドの政府軍が
断然有利だったはずだ。

それが、アメリカが空爆を始めてから、
逆転し、イスラム国が有利になった。

そして、驚いたことに、そのイスラム国の主な
収入源である石油の密売、、、。

その施設が、そっくりそのまま残っており、
映像で見る限り、タンクローリーの数でも莫大だ。

こんな簡単な標的でさえ、米国は見過ごしてきたのか。

もし、密売により、石油が安く世界に出回れば、
困るのは、どこの国か。

ロシアでけではない。
自国の中小の石油業者にも、多大な損害を与えるというのに、、、。

実際にシリアにおける「反政府穏健派」??というのは、存在するのか。

反政府軍というには、アサド政権に対する不満があり、
国内で言えば野党ということになる。

でもよくよく、考えてもらいたい。

もし、あなたがその反政府穏健派なら、
今のISの残忍な行いを見て、
アサドにつくかISにつくか。

街を破壊しつくし、女性を殺し、
子供を殺し、石油施設まで分捕って、
自分らの収入源としている。

それも、そのほとんどが、外国から来た輩だ。

もし、自分がシリア人で穏健派であるならば、アサドと組んで
徹底的にISと戦うであろう。

凶暴なイスラム国が大暴れする中、シリア人の穏健派など、存在しない。

イスラム国内部にしても、通常、過激な思想を持ち人たちというのは、
必ず内部分裂をするものだ。

もし、金で雇われたつながりなら、話は別なのだが、、、。

米国は、その反政府穏健派に肩入れをしているという。

まったく、反省の色がまったく見えない。

シリアは、良し悪しにかかわらず、アサドに任せるべきである。

それしか道はない。

EUも、押し寄せる難民、テロの脅威、ウクライナでは、
ネオナチが台頭している。
さらにロシアへの経済制裁による、経済的損害、、、。
アメリカばりの新自由主義のおかげで、格差社会が広がる。

もう、米国は取り返しのつかないところまで来ている。

それでも、日本は対米従属を続けるのだろうか。

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2015年11月08日

「すべての人に、好かれたい!!」って、そりゃ無理でっせ!

  ある女性から聞いた話、、、。

その女性はSさんといい、Sさんが若いころ、
会社で事務の仕事をしていて、
同期のWさんと一緒に働いていた。

入社して、2年ほどした時から、そのWさんの態度がなんかおかしい。

話しかけても無視をしたり、メールをしても
返事が返ってこない。

そんなことが、数カ月続いた。

同期であるし、同じ職場で毎日顔を合わせるので、
思い切って、
「私、あなたに何か悪いことした?もしそうであるなら、
謝りたい」

と、切り出したが
Wさんの返事は、「別に〜」ということだった。

いったい、何が悪いのか、見当がつかない。

それからというのも、会社に行くのが苦痛で仕方がない。

一時は、何も食べれない、よく眠れない、
Wさん以外の人も、私を嫌うのではないか、
というような妄想に取り付かれる始末。

その後、数カ月して、他の部署に配属されたので、
Wさんとは、疎遠のまま、2年ほどで、結婚退社して
その後も連絡が取れないままだった。

そして、さらに7年ほどたったある日、ある店先で
Wさんとばったりあったとのこと。

お互い結婚して、子連れで、Wさんの方から話しかけてきたとのこと。

その後、喫茶店で2時間ほどいろいろじっくり話をしたらしい。

その中で、何でWさんがSさんのことを無視するようになったかというと、
Wさん本人から自らの言葉で、「嫉妬」だと語り、その時に
素直に謝ってくれた。

同期で入社し、てきぱき仕事をし、男性社員からも、
ちやほやされるSさん、、、。

なんだか、取り残されたような感じがして、
頭の中では、分かっていても、どうしても抑えきれない
イライラが噴出しそうな毎日であった。

しかし、それから時間が経ち、子育てという現実に没頭している二人。

どこか、昔のことなど、吹っ切れ素直な気持ちで再会できたようだ。

何か問題が起きても、たいがいのことは、時間が解決してくれる。
もしくは、その時間が、問題を和らげてくれる。

また、他のことに集中していれば、意識がそちらの方に向き、
昔のことなど、どうでもよくなる。

今日、言いたいことというのは、集団の中で生きていくうえで、
どうしても、人に嫌われたり、仲間外れにされたりということは、
あると思う。

人と人とが集まれば、互いに自分のエゴというのか、
防衛本能というのか、周りとの摩擦が起こるというのは、
当たり前のこと。

たとえば、老人ホームなどでも、ある男性の取り合いで、
おばあさん同士がケンカすることがあるとのこと。

恨みをかったり、嫌われたり、日常的にあることだ。

逆に言えば、全員から好かれるということが、あり得るのだろうか?
また、その好かれた状態をいつまでも維持できるのだろうか?

もう開き直って、
ある人に嫌われているからといって悩み苦しむよりも、
「生きていく以上、一定の人に嫌われるのは、当たり前」
というような感覚でいた方のが、心への負担が軽くなるのでは、、、。

人気のドラマ、「下町ロケット」の中で、
ある中小企業の会社が、独自の特許を、大手の大企業が
数十億円で買いたいと言ってきている。

数十億円で、その特許を売却するのか、
それとも、特許使用を許可し、そのライセンス使用料をもらうか、
もしくは、その特許の製品を自社で製造し、それをその大手企業に
納めるのか、その中小企業の社長さんは、悩みに悩んでいる。

そして、その会社の社員全員に相談する。

各々の立場があり、そして、そのことにより大きく生活にも
影響しているので、みんな真剣に意見を言い合う。

「決断」の重み、、、。

社長の決断一つで、大きく会社が傾くこともあるし、
社員の生活をも破壊しかねない。

経営者の一番の仕事というのは、「決断」である。

そして、その決断一つで、多くの人に嫌われ、罵倒される、
長年付き合ってきた人を裏切ることになることもある。

「決断」とは、そういうモノ。

普通の人でもそう。

人生において、何度も大きな決断をしなければ
ならないことってあると思う。

私の親しい友人が、二十代の時に自ら命を断った。

その数カ月前に、長年付き合った彼女と別れることになってしまった。

そのことが原因なのかどうか分からないが、
彼女に新しい恋人ができ、別れを告げられたらしい。。

しかし、その彼女の立場に立ってみれば、
20代というのは、女性にとっては結婚適齢期(当時)。

その一生のパートナーを決めるというのは、これも
彼女にとっては、人生最大の決断といってもいい。

その適齢期に、新しく好きな人ができ、正面から
私の友人に別れを告げたこと、これって冷静になれば、
だれも責められることではない。

それに、二股をかけることなく、決められずに
キープ君のようにズルズル私の友人と付き合うのでもなく、
正面から別れを告げた、誠意のある対応では
なかっただろうか。

彼が亡くなり、お通夜にも、彼女は来てくれた。
彼女にとっては、さぞかし来づらかったであろう。

そして、お焼香の順番が私のすぐ後ろで、彼女がお焼香をする
瞬間、そのすぐ前にいた私の友人のお母さんが、大泣きした。

それは修羅場だった。

お母さんにとっても、息子が死ぬなんて、耐え切れないことであろうが、
彼女のとって、心にのしかかるものは、それ相当のものであろう。

分かれて数カ月経つのだが、わざわざお通夜にきてくれて、
そしてお焼香までしてくれた彼女、、、、。

このまま、心に大きな傷を負って、人生過ごすのだろうか、、、。

とても気の毒になる。決断というのは、時には
このような大きなリスクも背負うことになる。

ある人が言っていたが、若いときにフラれた経験も大事だが、
ふる経験も貴重な経験になるという。

別れを告げるということは、その本人とも別れなければならないし、
さらに、我々のようにそ彼の友人、関係者とも
縁が切れることになる。

また、どこかであるのかもしれないし、大体の場合が
恨みをかうことになる。

それでも、決断しなくてはならない。

そんな決断の連続が、人生というモノである。

浄土真宗の開祖、親鸞聖人とそお弟子の唯円さんとの会話の
名での教え。

(親鸞聖人)「唯円、お前は私の言う事を信じるか?」
(唯円)「はい、もちろんでございます。」

(親鸞聖人)「では、今から町に行って、人を〔一千人〕殺して来ておくれ。
 そうすれば、お前は必ず極楽浄土へ行ける。 さあ〜、殺って来い!」
 と、、。
 
(唯円)「・・いっいかに〔お聖人〕の仰せとはいえ、私のような人間は一千人は
    おろか、一人だって殺すことはできません!」と、さけぶ。

(親鸞聖人)「では、どうして先に『ワシに背かぬ』と言ったのか?」
 
(親鸞聖人)「これで解ったであろう・・。
 すべての事が自分の思い通りになと思うなら、往生の為と云って、
 人を何千人でも殺す事ができよう。 しかし、たった一人を殺すだけの
 因縁も、備わっていないからこそ、お前には無理なのだ!
 又、『殺すまい!』と思っていても、百人、千人と殺してしまう
 事もあるのじゃよ。 我々の心が良ければ《善》、悪ければ《悪》、
 と思って、阿弥陀仏の『願い』の不思議さに、助けられている事に気づか
 ずにいる。・・それが良くないというのじゃ。」
 と、おっしゃられました。

これは、浄土真宗の教えで有名なお話であるが、
ここに注目するのは、「因縁」(縮業)である。

よく宗教的な教えによると、「因縁」とは、

物事を生ぜしめる内的原因である「因」と外的原因である「縁」。
事物・現象を生滅させる諸原因とされている。

仏教では、その内的な原因を、前世から決まっていたもの(宿命)とか、
前世からの浅からぬ関係になると、教えることが多い。

例えば、先ほど紹介した同じ会社で働く、SさんとWさんの例であるが、
仏教の教えの解釈としては、この二人は前世の関係で、二人の間で、
このような出来事が起こることが、定められているという。

なぜ、定められているのか、それには、前世に原因があり、
それを解消するために、またそのことを解消することにより、
何らかの「学び」を得るために起こるとされている。

仏教では、このように教える。

そう解釈されれば、心が少し軽くなる。

亡くなられた船井幸雄さんは、
このようなことを、『何事も、必然・必要・ベスト』いい、
次のように解説する。

一見、嫌なこと・不幸なことがおきたとしても、
それは自分にとって、必要なことであり、
必然のことであり、結局はおきてよかった最良のことなのだ。

今起こっていることは、すべて自分が引き寄せたことであり、
良くも悪くも、おこるべくして起こることであって、
そこから学ぶことができる。

仏教は、「因縁」、船井さんは、「何事も必然・必要・ベスト」と
教える。

これって、とても理にかなっている。

例えば、先ほどのSさんの話。

人に嫌われたり、憎まれたりって、どんな人間社会でもあたりまえの
ように、あること。

各々、自分の立場があり、感情があり、そんな人たちが集まれば、
摩擦が起こって当然。

Sさんは、若いときに、同僚に嫉妬により、嫌われ、苦しんだ。

そんなこと、Sさんの人生において、今後も何度も、何度も
起こることであろう。

そのために、もがき苦しむのか。

そして、そのようなネガティブな嫉妬のような感情というのは、
相手が弱々しく、苦しんでいれば、その感情が増幅する。

もし、その嫉妬という感情から解放し、自分を救うのであるなら、
強くなること。

逆に言うならば、そんなことに、まったく動じない人もいるし、
気付かない人もいる。

人間の集団の中で、いろんな感情があり、
日々日常的に摩擦を起こす。

そのような多数の出来事に対して、Sさんだけが、そのことを
引き付けてしまう、そのようにいえるのではなかろうか。

もし、Sさんが、今回のWさんとの出来事で、

「問題は時間が解決してくれる」
「何かに熱中していれば、その問題も解決する」
「すべての人に好かれることなど、ありえない」
そのようなことを、学んだのであれば、
同じようなことが起こっても、素通りできる、
もしくは軽傷で済む。

そして、弱々しくしなければ、相手のその嫉妬という感情も
増幅しないので、Wさんにも、よい効果となりうる。

競争心が強く、「嫉妬」持ちっている人は、何処にでもいる。

そのような人と、どのように付き合っていくのか、
それには、そのようなことを体験し、学ばなくてはならい。

そこで学べば、それだけ自分の心を、束縛から一つ解放することになる。
自由になるということだ。

いつまでも、弱々しくしていれば、嫉妬とか、
いじめの感情を持った人たちを、引き寄せているようなモノ。

嫉妬、傲慢、いじめなど、ネガティブな感情は、誰にでもあるモノ。

ネガティブな感情には、ネガティブな感情が、激しく反応し、
互いの心を消耗する。

人のいい面と付き合いたいか、悪い面と付き合いたいのか、
答えは、おのずと見えてくる。

宗教では、より分かりやすいように、阿弥陀様とか、前世とか、
今世とかの言葉を使うが、よくよく解説すれば、理にかなったことも
多い。

船井さんのように、「すべてのことが必然・必要・ベストなこと」
と、訳せば、多くの困難に立ち向かっている人たちに、勇気を
与えることになる。

自分の心次第で、大きく自分の周りが変わる。
自分の考え方一つで、より自分を解放することになる。

心の研磨こそ、本当の自由への道ではなかろうか、、、。
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