2016年03月31日

ロシアから見た世界状況!ソチでのプーチン演説!!

日本に住んでいると、まったく電波ジャックされたような
状態で、一方的な情報が垂れ流されている。

これは、日本だけではないようだ。

アメリカと関係の深い、西側諸国では、
いつの時代からか、気骨のある記者がいなくなり、
みんなヒツジのように順応になってしまった。

これはある意味当然のことである。

テレビにしろ新聞にしろ、オーナーが存在し、
スポンサーにより成り立っている。

そうならば、それならば、そのスポンサー、もしくは、
新聞、テレビなどの株主の言うことを聞かなくては
成り立たない。

それは誰なのか?

世界の富を牛耳っているほんの一握りの人々、、、。

規制が撤廃され、グローバル化が進めば進むほど、
彼らの力は強くなる。

そして、それらに辛うじて、抵抗できるのが、
ロシアであり中国だ。

では、そのロシアが、近年、さんざん米国などの
謀略に苦しめられ、それでも健全と国家を運営し、
世界に影響力を強めている。

そんなロシアから、今の世界をどう見ているか?

非常に興味深い演説を先日、ロシアのプーチンさんが
ソチで行ったようだ。

その内容が、下の記事に掲載されている。

一度じっくりと、お読み下さい。


http://ryuubufan-78.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7040601

Dmitry Orlov
The, Mar 17, 2016
オリジナル記事:リンク(上)
オリジナルの長い記事はClubOrlov blogです。

英語圏に住む人のほとんどが、二、三日前にソチのValdai会議で
行われたプーチン大統領のスピーチを見逃したのではないでしょうか。
たとえ聞くことができたとしてもその内容を読むことまではできなかっ
たのではないでしょうか。そしてスピーチの重要性を見逃したのでは
ないでしょうか。

西側メディアは全力でそれを無視するか、意義を捻じ曲げました。
皆さんがプーチンについて思ったり思わなかったりすることのいかんに
かかわらず(ちょうど太陽と月のようなものです。彼はあなたが意見を
持つことができるようにするために存在しているのではないのです)
この演説はおそらく1946年3月5日のチャーチルの「鉄のカーテン」
演説以来の重要な政治的演説でしょうね。

演説でプーチンは突如、ゲームのルールを変えてしまいました。
かつては国際政治のゲームは以下のようにプレイされていました。
@政治家が国家主権という聞こえのいいフィクションを保つために
公の場で声明を出す。だがそれは徹底して見世物(ショー)のためで
あり国際政治の本質とは関係のないものであった。同時に彼らは控室で
の交渉に従事し、そこで実際的な取り決めが打ち出された。

かつて、プーチンはこのゲームを演じていました。ロシアが平等に
扱われるものとだけ期待して。だがこの希望は露と消え、今回の会議で
彼はゲームが終わったと宣言したのでした。それはエリート一族や
政治的リーダーたちの頭上を通り越えて人々に直接語りかけるという
手段で、あからさまに西側のタブーを冒すことだったのです。

1.ロシアは今後ゲームはしない。小競り合いについて控え室で交渉する
こともしない。ロシアはしかし真剣な会話と合意には準備ができている。
それらがもし集合的な安全保障に役立つのであれば、また公正に根ざして
いてお互いの立場の利害を考慮に入れているのであれば。

2.グローバルな集団的安全保障が今、瓦解しようとしている。もはや
国際的安全保障の保証はどこにもない。それを破壊した存在には名前が
ある。アメリカ合衆国である。

3.新世界秩序の建設者たちは失敗した。彼らが建設したのは砂上の楼閣である。
どのような形の新世界秩序が建設されるかいなかは単にロシアが決めること
ではない。だがそれはロシアなしでは作り得ないものとなるだろう。

4.社会秩序にイノベーションをもたらす建設的なアプローチをロシアは好む。
だがそうしたイノベーションを探求したり議論することに反対はしない。
そうしたもののどれでも、もし導入するなら正当化できるものかどうかを
検討する。

5.アメリカの止むことなく拡大する「カオスの帝国」によって作り出された
濁った水の中で釣りをするような意図はロシアには全くない。またロシア自身
の帝国を築く意図も全くない(これは不必要なのだから。自国の広大な領土の
発展にロシアが抱えるチャレンジがあるわけなので)。かつてそうだった
ような世界の救世主役をロシアはかって出る意思はない。

6.自分の姿に似せて世界を作り変えるという意図はロシアにはない。だが
ロシアを自身の姿に似せて作り変えようとする何者をもロシアは許さないだろ
うし、ロシアは自身を世界から遮断することもない。だがロシアを世界から
遮断しようとする何者も、結果何倍も酷い目に会うことになるだろう。

7.カオスが蔓延することをロシアは望まない。戦争も欲しいとも思わない。
戦争を始めようという意図もない。だが、今日、世界戦争の勃発がほぼ
不可避であるとロシアは見ている。そのための準備はできている。継続して
準備を万全にしている。ロシアは戦争を仕掛けないが同時に戦争を恐れ
てもいない。

8.未だに新世界秩序を建設しようとする人々を頓挫させるための積極的な
役割をロシアは採ろうとはしない。彼らの努力がロシアの鍵となる利害に
抵触するようになるまでは。ロシアは待機して彼らがその貧弱な頭で取れる
だけの一かたまりを取るのを観察するということを選好する。だがロシアを
このプロセスに引きずり込もうとする人々 - ロシアの利害を軽視するという
ことを通じて - は痛みの本当の意味を教えられることになるだろう。

9.外交政治や今ではそれに増して内政においてロシアの力はエリートや
控え室の取引には依らない。そうではなくて人民の意志に依るだろう。

これら9のポイントの他に10番目を付け加えたいです:

10. 世界戦争を回避するような新世界秩序を建設するチャンスはまだある。
この新しい世界秩序は、必要性からアメリカを含めることになる。だが皆と
同じ条件でのみそれはなし得る。つまり、国際法や国際協定に従い、単独行動
を控え、他国の主権に対する全面的な敬意を持つ、という条件だ。

以上を要約すると:お遊びの時間は終わった。子供らよ、おもちゃを片付け
なさい。大人が意思決定を下していく時間だ。ロシアはその準備ができている。
世界は?

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2016年03月29日

民進党を思い切って、応援してみませんか!!「生活者、納税者、消費者、働く者の立場に立つ。国民と共に進む改革政党である」とのこと。

昨日の中日新聞朝刊に、
「民進党綱領の要旨」が載っていた。

民進党綱領の要旨


「自由、共生、未来への責任」を理念とする。

私たちの立場
「生活者」 「納税者」 「消費者」 「働く者」の
立場に立つ。国民と共に進む改革政党である。

目指すもの
1.立憲主義を守る。
  自由民主主義に立脚した立憲主義を守る。象徴天皇制の下、
 新しい人権、統治機構改革など時代の変改に対応した
 憲法を構想する。

2.共生社会を作る全ての人に居場所と出番がある社会を造る。

3.改革先送りしない行財政改革、政治家が身を切る政治改革、
 地域主権改革を断行する。原発に頼らない社会を目指し
 震災復興を実現する。

4.経済成長を実現  
  人への投資によって持続可能な成長と、能力発揮を阻む
 格差是正を実現する。

5.平和と繁栄に貢献
 専守防衛で外交安全保障の実現主義を貫く。日米同盟を進化させる。



このような内容であった。

本当にやれるのか?

と問われると、前の民主党のことがあるので、どこまでの議員が
腹をくくれるのか、半信半疑だ。

しかし、もうそんなことは言ってられない。

何とか、今の政権を止めなくてはならない。

それには、もう一つの政治勢力を造るしかない。

特にこの要旨の中で気に入ったことは、

「生活者」「納税者」「消費者」「働く者」の立場に立つ

とうたっていることだ。

これは、現政権と根本的に違うことだ。

本当に、お金の必要な人にこそ、お金が回らなければ、
経済などよくはならない。

子育て世代、中小企業などなど、喉から手が出るほど、
お金が欲しい人にいきわたってこそ、お金が循環するというモノ。

大企業、米国などにお金を吸い取られ続けていれば、
結局は、格差など広がる一方である。

米国でも、格差是正を訴えている大統領候補者が、
健闘している。

この流れを、どうにか日本でも起こしたい。

さらに、米国の要請により、若者を大義のない戦争に
送るわけには、どうしてもいかない。

さらなる野党の結集を期待しながら、
どうです、みなさん、清水の舞台から飛び降りたつもりで、
民進党を応援してみませんか?


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2016年03月28日

トランプ氏、「アサドとダーイシュと同時に戦うのは狂気の沙汰だ」、、、。

http://jp.sputniknews.com/politics/20160327/1853370.html#ixzz447Igp6BN

上の記事によると、米国共和党の大統領候補のトランプ氏が
シリアの米国の政策について、次のように語っている。

「私はアサド氏ならびに『ダーイシュ』と戦うというアイデアは狂気の
沙汰であり、愚かなことだと考えている。彼らは互いに闘っており、
私たちは彼らの両方と戦っている」


「ダーイシュは米国にとってアサド大統領よりもはるかに大きな問題だ」

「私は、彼らから石油を奪えと何年も言ってきた。
しかし彼らはまだ石油にアクセスすることができる」


このようなことを語っておられる。

非常に、的を得た見識だ。

よく、米国は、ロシアのことを、
「ロシアは穏健な反政府勢力を、ダーイシュを攻撃するふりをして、
壊滅させている」

と、非難している。

しかし、「反政府勢力」というのは、本当に存在するのだろうか?

ダーイシュの数々の残忍さ、、、。

男は処刑、女は強姦・売春、あまりにも過激すぎるほど残忍性、、、。

そして、石油を盗み、販売している。

それも、その大半はシリア人から見れば、同じ同胞ではなく、
外国人である。

よくよく考えてもらいたい。

例えば、ダーイシュが日本にきて、日本の大切な水源地帯である
長野や岐阜などを占領し、ここは我々の国だといって、
大切な水を海外に売りさばいたとする。

そして、現地に住む人々は、男は公開処刑、
女は強姦され、売春を強制され、お寺や神社は
ことごとく破壊しているとする。

たとえ、今、あなたが、原発、TPP、消費財など
現政権に反対の立場だとし、デモにも率先して
参加しているとする。

そして、ダーイシュと日本政府が戦ったとする。

さあ〜、もしあなたが穏健な反政府勢力なら、
あなたはダーイシュ側につくのか?
日本政府側につくのか?

答えはおのずと明らかになると思う。

まったく、次元の違う問題である。

それに、ダーイシュの存在を許すということは、
今の「国」という存在、世界秩序を根本から
否定することになる。

例えば、過激なキリスト教の勢力が、アメリカの多くの油田を
乗っ取って、資金的に豊かになり、俺たちはこれから
「キリスト国」を名乗る、ということになったら、
アメリカ政府は、それを許すのだろうか?

アサドなどよりも、はるかに人道的に許されないことを
やっているのに、自身の都合により、ダーイシュを支援してきた米国、、、。

むしろ、アサドに任せていた方のが、
はるかにシリアが安定するだろう。
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2016年03月20日

よっしゃ!!森ゆう子、新潟選挙区野党統一候補へ!!絶対に当選させる!!!!!

いや〜、いいニュースだね〜。

なんと、元参議院議員森ゆう子氏が、新潟選挙区において、
野党統一候補になったという。

少し前まで、民主党の現職衆議院議員が、辞職してまで、
今度の参議院議員選挙に出馬するとされていた。

それを聞いて、この国の闇の深さに、うんざりしていた。

しかし、ここに来て、本当に、いいニュースが聞けて、
希望がわいてきた。

まだまだ、諦めるわけにはいかない。

どんなことがあっても、諦めるわけにはいかない。

森ゆう子は、我々の希望。

あの度胸、行動力、何が一番の問題なのか、
多くの議員は、目を背けるが、どんなにその闇が深かろうが、
勇敢に突き進もうとする森ゆう子氏。

日本に今一番必要なのは、このように突破口を
開こうとする勇敢さだ。

日和見的な真実に目を向けようとしない人が、政治家になる時期ではない。

時代は、森ゆう子、山本太郎、中村てつじなど、命をかけれる人々こそ、
この国に今、一番必要なのである。

あの小沢事件での森ゆう子氏の検察との戦い、、、。

多くの仲間であるはずの政権与党の民主党議員が
しり込みする中、ゆう子さんは猛然と権力の闇に挑む。

彼女は、勇敢だけではない。

認識力、見識、さらに忍耐力も十分に備わっている。

みなさん、どうか日本に希望を、、、。

それには、突破口を開く人がどうしても必要。

森ゆう子しかいない。

どうか、彼女を支援してやってください。
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2016年03月15日

「幸せ」に耐え切れない人々、、、。

「幸せに耐え切れない人々」、、、。

先日、テレビを見ていたら、こんな言葉が
耳に入ってきた。

真っ先に目に浮かんだのは、清原さんだ。

もったいない、ほんと、もったいない。

あれだけ才能に恵まれ、家族もいて(離婚してしまったが)
お金にも、周りの人々にも恵まれていた人が、
何でシャブなんかに手を出すのか。

世の中見渡せば、このように手が動くだけで幸せではないだろうか。

息ができ、足が動き、水が飲め、食糧にありつける、
よくよく周りを見渡せば、しあわせなことっていっぱいあるのでは、、、。

何億という人々が、水不足に苦しんでいる。
何億という人が、飢餓に苦しんでいる。

今の生活、今の環境、世界的に見ても、はたまた過去と比較しても
これだけ恵まれた国、時代はないと思う。

清原さんを見ていると、逆に言えば「幸せ」が怖いのか、
そのようにすら思えてならない。

どんなに才能があっても、どんなに人間的に純粋でも、
「こんな自分は受け入れられない」というような
劣等感のようなものがあるのかもしれない。

自分は、愛されていると感じれる人、、、。

こんな自分では、周りから受け入れられないと、
思い続けてしまう人、、、。

どのように、自分の弱さを受け入れられるのか、、、。

自分の弱さを受け入れられれば、人のことが
受け入れられるようになるのでは、、、。

愛されてるって、別に今、生きている人でなくてもいい。

キリストでも、ブッタでもいいと思う。

たとえば、自分をかわいがってくれた、亡くなった
祖父とか、そんな亡くなった身近な人を有効活用すれば
いいのでは、、、。

私は、けっこうなヤンチャ坊で、昔からずいぶん危険な
目にもあってきている。

しかし、今、ここに生きている、何とか生活できている、
家族もいる、友人もいる。

誰かが、私を導いてくれているのでは、と、ふと思う時がある。

それが、亡くなった祖父母のような気がしてならない。

それも、たとえ思い過ごしでもいい。

大きな心の空白を埋めるのであれば、そのような宗教チックな
考えも有効に使えるのではなかろうか。

うちの92歳になる会社の会長さん
「信じられないくらい豊かになったが、人の心は
ずいぶんと貧しくなったもんだ」
と、よくつぶやいておられる。

もしかしたら、豊かさと心の空白というのは、
なんか関係があるのかもしれない。

そんな時に、その心の空白をどう埋めるのか、
人生の大きな課題である。
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2016年03月11日

「有限」、、。エレン・マッカーサー!!!

先日、NHKのEテレのスーパープレゼンテーションで、
2005年、ヨットによる単独無寄港世界一周航海で
最短記録達成したイギリス人女性
エレン・マッカーサーのことをやっていた。

彼女は、意志の強い信念の人、とそのように感じた。

荒れる海、強風にさらされ、油断をすれば、転覆の危険性もある。

それが、極寒の南極の海などで起こったら、
ひとたまりもない。

単独によるヨットの航海なので、頼れる人はだれもいない。

そして、少しでも、油断したら、ヨットがどこへ行ってしまうのか、
もしくは転覆の危険性だってある。

71日と数時間で世界一周を成し遂げたそうだが、
果たしてその間、どのように寝ていたのか?

とても、過酷な航海である。

それと、その過酷な航海で彼女が一番感じたことは、
モノは「有限」であるということ。

無寄港による航海なので、約三カ月ほどの食糧、水など、
その間に過ごす荷物をすべて計算して積み込んだという。

私も、彼女ほどのレベルではまったくないが、
ニュージーランドの山の中を四日間ほど、歩き回ったことがある。
その時に、山小屋で寝れるのであるが、食糧、水、燃料、
衣服、寝袋など、すべての物資を背中に担いでいかなくては
ならない。

私は、コーヒーが大好きであるが、
持っていける荷物というのは、限りがある。

泣く泣く、コーヒーはもっていかなかった。

しかし、いつも当たり前のように飲んでいるコーヒーでも、
その四日間のトレッキングの中で、3日目の山小屋で、
あるアメリカ人女性が、インスタントのコーヒーをくれた。

なんとうまかったことか!!

たぶん、私の人生の中で、これが最高のコーヒーであったことは、
間違いない。

そのような制限のある空間の中で、インスタントコーヒーですら、
拝みたくなるようなありがたいモノに変わる。

また、シャワーもだ。

四日間、山を歩き回り、その後宿舎に帰って、
浴びたシャワーも最高であった。

ニュージーランドは、風呂でなく、ほとんどシャワーだ。

それも、お湯の制限があり、5分ほどで入り終わらなければ
ならない。

それでも、その時のシャワーが私の人生の中で、最高のものであった。

モノには限りがある。
むしろ、今の豊かさが異常なほどである。

ここらで、話をエレンに戻すが、
その世界最速記録を出した後、エレンはまったく違った
道を選ぶ。

そのあたりが非常に詳しく載っているのがこの記事


http://www.jf6yje.com/~salaku/weblog/index.php?itemid=3307&catid=1


その中で

「世界記録をつくったということで時の人となり、スポンサー企業など
からたくさんのお金が入ったのでしょう。普通なら、それを元手にまた
新たなヨットによるチャレンジを始めたりすることが多いけど、
エレンの場合はまったく違う方向へ進むことにした。
それが、循環型経済を世界に広めていこうという、遠大とも
思える目標だった。このままの形で全世界の経済が突き進めば、
いずれは資源が枯渇し温暖化で気候も乱れ、人類の未来がなく
なってしまう。ここでアタシがなんとかしなければ、ということを
航海中から考え始めたという。」
と、、、。

航海中に一番強く思ったこと、、、。

それはモノは「有限」ということ、、。

いろんな物資だけではないはずだ。

航海中、命の危険に何度もさらされたエレンは、
その命でさえ「有限」と感じたはずだ。

その限りある命、どのように使い切るのか?

死線を潜り抜けた人の共通する視点であろう。

この200年ほどで、人間はその活動範囲を
莫大に拡大した。

その原動力は、地球が何億年とかけて、貯め込んだ
石油などの化石燃料によって、賄われている。

その化石燃料も有限だ。

銀は、あと61年、
スズ、亜鉛は 40年、
銀は、29年、 

と、スーパープレゼンテーションの番組のなかで、
語られていた。

人口が増え、生活空間の中にモノが増え、
このまま経済活動を活発にすれば、
地球がいくつあっても足りやしない。。

ドンドン資源を採掘して、ドンドン造り、
そしてドンドン消費する。

これでないと、経済がまわらない。

なんでこんな世界になってしまったのだろうか?

これは、世界に大きな影響力を持つ、アメリカの歴史を振り返ると
よく分かる。

二百数十年前のアメリカの建国の理念とは
「人間には、幸福を追求する権利が、神から与えられている」
というモノであった。

当時、宗教的な束縛、階級的な束縛から離れ、
多くの人がアメリカ大陸に渡った。

その理念とは、宗教的に制限されていた経済活動を
より自由に、そしてより豊かに人間は暮らしていいんだと
神が保証していると、解釈された。

アメリカとは、科学の最先端を走ってきたが、
同時に巨大な宗教国でもある。
数ヶ月ほど前に、
「NHKスペシャル新・映像の世紀
第2集 グレートファミリー 新たな支配者 」
が、これがとても面白かった。

アメリカが、なぜ急成長できたのか?

その一つの大きな要因は、石油である。

アメリカを作った男といわれるジョン・ロック・フェラー。

19世紀の半ばに、アメリカで大量の石油が見つかり、
時代は、石炭から石油に大きく転換するときであった。

ロック・フェラーは、その採掘された石油を、科学者を使って、
精製する技術を確立し、自らの会社をスタンダード石油と
名乗った。

アメリカの石油を90%を独占し、世界はロックフェラーの石油なしでは、
動くことができなかったほどだ。

彼は、次のようなことを語ったとさ入れる

「非難がどれほど激しかろうと、我々が全世界に伝道を行ったのだ。
これは間違いない事実だ。富を築く才能は、神からの贈り物だと思う。
こうした能力を最大限に伸ばし、人類の幸福の為に役立てようと
神が与えてくださったのだ」

と、、、。

「World peace through trade」

これがロック・フェラー家に伝わる信念のようだ。

人を豊かにすることで、平和をもたらす。

その跡を継ぐロック・フェラー・ジュニアは、
莫大な富を利用してロックフェラー財団の活動に全力を尽くした。

それが資本主義伝道の手段にも、なっていた。

労働環境を整え、生産性を上げる、現地を所得を向上させ、
市場を広げる。世界に資本主義を浸透させる、遠大な計画であった。

大規模な慈善活動を行って、自社のイメージアップをはかる、
ロックフェラーは世界で一番金を使うのが上手い、と言われた。

確かに、市場が拡大すれば、そこまで、多くのモノを運ばなくては
ならないし、大地を切り開くためにも、莫大な石油という燃料がいる。

資本主義の発展と、石油の需要というのは、
密接な関係がある。

資本主義の浸透というのは、自社の発展であり、
さらにそれが世界に平和をもたらすと、信じていたのかもしれない。

しかし、それにもどうも限界が見えてきた。

今、大きく我々の生き方を転換するときだ。

そんな時代に、一昔前の日本的な感性、思想がとても重要になってくる。

足るを知る、もったいない、リサイクル、リユース、
限られた島国の中で、長いこと鎖国のような状態の中で
生きてきた日本人は、そのような感覚が染み付いている。

さらに、人間中心的な世界観を持つ西洋人とは違い、
長いこと豊かな自然と共生してきた我々日本人、、、。

本来の我々の生き方というのは、それほど捨てたものではない。

今日は、これぐらいで、、、。
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2016年03月10日

共生の思想!!「アドラーの共同体感覚」と我々日本人、、、。

こないだまで、シリーズでやっていた
NHKのEテレ「100分で名著」のアドラーの心理学を
すべて見終えて、正直驚いた。

アドラーという人は、とても日本人的な考え方のように思えた。

当初は、フロイトらのグループと、共同研究していたが、
袂を分かち、その後、軍医として招集され、第一次世界大戦に従軍した。
戦争と大勢の負傷者、とりわけその中でも神経症の患者を大勢観察する中で、
アドラーは共同体感覚こそが何にもまして重要であることを発見したらしい。

その「共同体感覚」とは、
人は全体の一部である、、、、。
全体と共に生きている、、、、。


もしくは
「自分自身の幸福と人類の幸福の為に、もっとも
貢献するのは共同体感覚である」
と、、、。

他者を仲間と思い、自分の居場所がある、共同体感覚。

生きる喜びや幸福は、他者との関係からしか、
得ることができない。
その為、自己の執着から離れ、他者への関心へ、、、。


また、共同体感覚に必要なこととして、
@ 自己受容
A他者への貢献
B他者への信頼

この三つが必要で、これはセットである。

これらのことを、番組を身ながら、走り書きながら、
書き留めた。

自己の執着から離れ、他者への関心へ、、、。

まるで、禅宗の言葉のようではなかろうか。

禅宗的にいうならば、「自分を忘れる」という
ことなのかもしれない。

禅宗などの日本の仏教では、煩悩というが、
それに近い言葉として、アドラーは「劣等感」という言葉を
使っているように思える。

生きている以上、不安、怒り、嫉妬、恨みなどの
煩悩に一生付きまとわれる。

その煩悩のほとんどは、他者との関係から起こる。

その煩悩をよくよく観察すると、例えば「不安」に陥っている人の
大きな特徴は、まったく周りが見えていない。

逆に言えば、自意識過剰なくらい、自分というものに対して、
意識が集中し、被害妄想になりがちになるか、
自分を責めまくる。

そして、暗い壁に囲まれた狭い部屋で、震えながら
強い孤独感を感じている。

恐怖を超える何か、
不安を超える何か、
嫉妬や悲しみ、恨みをも忘れる何かとは、
アドラーのいう「共同体感覚」では、なかろうか。

たぶん、ほぼ同義語で、日本的に言うならば
「公共心」というのが、とても近い言葉のように思う。

煩悩に心を奪われがちな自意識過剰な自分に突破口を開くのは、
やはり他に関心を移すこと。

つまり「共同体感覚」、公共心ではなかろうか。

私は、歴史マニアであり、民俗などもけっこう興味を持っている。

亡くなられた山本七平さんがよくおっしゃっていたが、
日本というのは、稲作文化の北限であり、
日本人の気質とは、とてもその影響を受けている。

常に暖かい東南アジアなどでは、田植えなどはいつ植えてもいいだろうが、
日本では、決まった時期に、決まった作業をこなしていかないと、
収穫にひびいてくる。

収穫に響くということは、つまり「飢え死」である。

例えば、田植えを真夏に行えば、収穫が冬になる。

冬に差し掛かれば、収穫量が激減するだろし、
梅雨の時期の雨を利用できない。

そのような環境から、みんなで協力して、
決められた時期に労力を集約しなくてはならない。

そう、みんなで協力しなければ、待っているのは
「餓え」である。

そのような環境から、どうしても共同体というのが、
非常に重要になってくる。

そうなれば、日本の思想も、宗教も、哲学も、
そのような感覚に合ったものに、収斂されていく。

日本人というのは、むかしから、共同体感覚(公共心)を
強く持った民族で、自分のことよりも集団のことを
優先する性質がある。

アドラーの言う「自分を忘れ、他者に意識を移す」というのが、
自然と成り立ちやすい社会であった。

例えば、うちの辺りの愛知用水の話であるが、
慢性的な水不足に悩む、知多半島、濃尾平野東部に
なんとか、水で潤したいという強い思いで、
立ち上がった二人の男がいる。

その一人が、農民の久野庄太郎であるが、
彼が立ち上がったいきさつがこのようなことらしい。
 
「知多郡は雨が少ないのみでなく、地下水も少ないし、川
もない。また水持ちが悪い。我々知多郡の農民の夏の労働の
半分は、水汲みの仕事でした。お皿のような浅いため池が何
千箇所もあるが、深さと言えば平均1メートル位で、1年中の
雨を大切に溜めようとするが、池が満水になるのは、3年に1
度。またそのため池を境として、池下が上田、池上が下田。上
田は10年中8、9年は反当り6俵位とれるが、池上の下田で
は、10年中満作は2年、5年は半作、あとの3年は収穫皆無
という哀れな作況です。水さえ汲めば5、6俵はとれます。だ
から貧農は命がけで池の水を汲みます。焼けつく様な土用の
陽を受けて、草いきれのするぼた(畦畔)に張り付いては水を
汲みあげます。襦袢も褌も搾るような汗です。足にヒルが吸い
付いて、トウガラシの様に赤く膨れてぶら下がっています。そ
んなことを気にしていては、能率が上がりません。片方の足で
こすり落とすくらいです。池に水のある間に汲まぬと、その年
はダメです。これが末期の水です。水の切れ目が命の切れ目
です」
 「命がけで汲んだ水は数日にして無くなり、10日過ぎると
稲の葉が黒くなってよれる。万策尽きて神頼み、笛や太鼓で
氏神様に雨乞いの祭り。馬鹿げたことだが、その頃は他に何
の仕事もない。それから10日も拝んでいると稲はすべて枯れ
てしまう。昭和19年、22年の干ばつ、敗戦、食糧不足で遂
に用水建設運動に踏み切った」(久野庄太郎『躬行者』)

そして、久野氏は心血注いで、まさに人生をかけて、
愛知用水建設運動を展開した。

挙句の果てには、全財産を使い果たし、
破産してしまった。

それでも、彼を動かすのは何だったのか。

それは、共同体感覚であり、公共心であると思う。

全財産を使い切りまでやったということは、
まさに自分を完全に忘れ、公の利益のために、
身をささげた。

アドラーのいう
「自分を忘れ、他者に関心を移す」
ということであり、

他者への貢献、それをやり続けることにより、
自分の価値を見出し、自分を受け入れることが
できるのではなかろうか。

自分もいくつかの共同体に属している。

家族、夫婦、会社、地域社会、国、人類、
それだけではなく過去の人々、未来の人々ともつながっている。

今、水道をひねれば、水が出る。
スイッチを入れれば、明かりがつく。

これらを成し遂げるまで、どれだけ多くの人の苦労が
存在したことか、、、、。

先人たちが心血注いでくれたおかげで、今の我々の生活がある。

そして、今我々が住んでいる社会を、未来の子供たちが
引き継いでいく。

鹿や馬が生まれるシーンを見たことがあるだろうか。

産み落とされた瞬間に立ち上がり、歩こうとする。

人間が、歩けるまでにどれだけかかるか。

それだけではない。社会で生きていくために
いろんな知識や経験を積んで一人前になるまで、
周りの多くの人のサポートがいる。

それだけ、自分というのは、社会からいろんなことを
授かっていることになる。

オオカミに育てられた少年は、オオカミのような習慣を身に着けてしまう。

中国人は、中国人らしく、日本人は日本人らしく、
何が言いたいのかというと、それだけ人間というのは、
その社会が育てるということになる。

自分というモノは、何層にも何層にも、
いろんなひとの影響を受けている。

これだけ影響を受けている以上、
自分というモノは、本当に自分といえるのか。

本や文字がある以上、現代生きている人だけでなく、
例えば法然さん、親鸞さんなどの影響も
私達は受けていることになる。

そのような社会というモノ、人間の意識の共同体というのか、
そういうものを少しでもよくすることに自分の持てる力を
使ってみたら、もしかしたら自分を忘れることができるのでは、、、。

共同体感覚、公共心というのは、日本人にとって、
自分を忘れ、煩悩から離れれる最たる方法だったのかもしれない。

それが、日本人のある意味、精神安定剤だったような気がする。

posted by hide at 09:29| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年03月03日

「幸せになる勇気」、「嫌われる勇気」とは同じことらしい、、、。

「幸せになる勇気、嫌われる勇気とは、実は
おなじことなんだ。ダメなことばかり指摘する、
できないことばかり指摘する、理想の子供や
部下をイメージし、現実の相手から、
引き算でしか見ない」

・・・・・・・・。
また、
「自分を嫌う人がいるということは、
自由に生きている証し。
それぐらいの代償を払わなくてはならない。
それくらいの覚悟をもって生きなければならない
。」

・・・・・・・・。

これは、先週までシリーズでやっていた
NHKのEテレ「100分で名著」のアドラーの心理学で
言っていた言葉だ。

なんとなく、各々思い当たる節があるのでは、、、。

たとえば、人の陰口ばかりたたいて狭い世界でしか、
生きようとしない集団がいるとする。

そこから、離れれば、自分もたちまち陰口をたたかれ、
村八分にされるとする。

正直、それは怖い。

でも、いつまでも、そんな集団に依存していて、
いいのだろうか、、、。

その集団を変えるのもあなたの勇気では、、、。

飛び出してみないと、分からない世界がいっぱいある。

たとえ失敗しても、自分の考えで、自分の足で立つという
ことが、どれほど大事なことか。

いつまでも、噂話の世界だけで生きていては、
何も見えないし、何も感じない。

それに、「捨てる神ありゃ〜、拾う神〜」という
ことばもあるのでは、、、。


posted by hide at 07:50| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする