2016年04月23日

5/15「IWJ代表 岩上安身 講演会」奈良に!!中村てつじを囲む会にて!

 さあ〜、奈良で必死に日本再生のために頑張っている男がいる。

何度も落選しながら、まだ踏ん張っている男がいる。

元参議員議員 中村てつじ氏、、、。

この男は、熱いでっせ〜!!

そんなてっチャンを囲む会で、あのIWJの岩上さんが
講演会をやるとのこと。

行きたい〜、是非とも行きたい〜。

是非とも、岩上さんに直接会ってみたい〜!

しかし、我が家では田植えシーズン真っ只中〜。

近畿方面の方々、どうかフルってご参加下さい!!



5月15日(日)岩上安身講演会

【第141回話す会】

日時:2016年5月15日(日) 15時~17時
岩上安身講演会

場所:生駒市コミュニティセンター(セイセイビル)1階ホール
(生駒市元町1丁目6-12(近鉄生駒駅から南へ徒歩3分))

http://www.city.ikoma.lg.jp/map/map1/map19.html?target=0-0&cacd=20&mapno=94




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2016年04月22日

「神」も「仏」も、、、。その曖昧さこそ、共に生きる道なのかも、、、。

 上田正昭氏の著書、
「歴史の中の人権 アジアの世紀をめざして」
の中で、本来の我々日本人は、どのように生きてきたのかが、
書いてあったので、是非とも紹介したい。

鎮守の森の再発見

 21世紀をむかえて早くも2年と5カ月ばかりの歳月が過ぎ去った。
20世紀は、第一次・第二次世界大戦が象徴するように、世界全体が
2度にわたって戦争の渦をまき起こされた戦争の世紀であった。
その反省にもとづいて、新世紀は平和の世紀として始まるのでは
ないかと、多くの人々が期待していた。しかし、現実はその願いに
逆行し、アフガン・イラク戦争が21世紀の初頭をいろどった。
 そればかりではない。20世紀には自然の破壊・地球の汚染が
いちじるしく進行して、自然と人間のあるべき姿が、21世紀の
大きな課題としてあらためて問われている。1935(昭和10年)
の暮れにこの世を去った、優れた物理学者・寺田寅彦の遺言とも
いうべき論文「日本人の自然観」はいう。
西洋の科学は自然を克服しようとする努力のなかで発達したが、
日本の科学は事前に順応するための経験的な知恵を蓄積する
ことで形成されたと。

その指摘は見事である。
 自然との対決するのではない。自然と調和して暮らしを営む知恵が、
縄文時代の昔から今に至るまでの日本文化の前提を形づくってきた
といっても過言ではない。
 周りを海で囲まれている文字通りの島国日本は、島国だからこそ
古くから海上の道を媒体として、アジアに連動してきた。そして、
海外から数多くの文物や人間集団が渡来した。島国であったから
閉鎖的であったと思うのは錯覚に過ぎない。
 その島国日本列島の国土の約4分の3は山地であり、その3分の2を
森林が占める。わが日本列島の人々の多くは、昔から森林との
共生の中で、歴史と文化をおりなしてきた。しばしば、日本の文明は
「森の文明」であったといわれるが、森そのものが文明なのではなく、
森に生きる文明であり、森を生かしてきた文明であった。
 それを代表するのが、森の中に神を見いだし、森の中に社を
造営して、カミとヒトとがまじわる接点として森を活かしてきた
鎮守の森である。したがって、鎮守の森は神の水を共に味わって
盟約する「一味神水」「一味同心」の寄り合いの場となり、自治や
芸能の場ともなった。(P.157〜158)・・・・・・・・・・・
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この写真は、うちの近所のある竹が侵食してしまった林である。

この中をよく見ると、「社」が祀られているが、
見るも悲惨な状態になっている。

今は、誰も管理されてなく、竹が侵食し、このような
状態になってしまった。


09.9立山竹藪 002.jpg


CIMG6993.JPG


このように、日本全国の竹林は、荒れ放題、、、。

なぜこのようになったのかというと、竹の需要がなくなって
しまったからだ。


変換 〜 09.9水野家竹製品 005.jpg


変換 〜 09.9水野家竹製品 008.jpg


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あれだけ重宝された竹かごやタケミも、プラスティック製品に
置き換わってしまった。

1960年代より、中東より安価な石油が入るようになり、
それにより我々の生活を一変した。

この荒れ狂う竹藪が象徴的であるが、竹も、里山の薪も、
落ち葉も必要なくなり、このような竹藪、里山も
今では誰も見向きもしなくなってしまった。

今は、何でもスイッチ一つで動いてくれる
便利な世の中になってしまったが、それと同時に、
このように身近な自然から、どこか遠ざかった暮らしに
なったと言わざるをえない。

この豊かな生活を支えているのは、石油などの化石燃料であり、
石油文明といえる。

しかし、それがいつまで続くのか、自然環境破壊は
著しいし、気温もどんどんと上がっているようだ。
また、いつまでたってもエネルギー資源の奪い合いに
よる戦争・謀略は止まらない。

自然の中に「神」を見いだして生きてきた我々日本人は、
大きくその本来の特性から逸脱してしまいつつあるのでは、、、。

それから、上田氏の著書から、もう一つ紹介したい。

「日本人らしさ」とは何か

・・・・・「日本人らしさ」を掘り下げてみると、次のような
史実がうかぶ。日本列島の歴史と文化は、内なる人々のみによって
形づくられてきたのではなく、縄文時代・弥生時代のむかしから、
海外とのつながりやかかわりのなか、あまたの海外からの
渡来した人々とのまじわりによって展開したことがわかる。
 たとえば日本はしばしば葦原の瑞穂の国と称されてきたが、
その稲作じたいが渡来の文化であり、青銅器や鉄もまた、
そのはじめは中国大陸や朝鮮半島から日本列島へと伝播した
金属器であった。
内なる文化に外なる渡来の文化をたくみに結合し、変容して、固有で
独自な文化を形成してきたのである。われらの祖先がすぐれて
いるのは、外来のものをすべて受容したのではない。たとえば
儒教は積極的に受け入れたが、革命思想は排除した。都城制は
中国長安城や洛陽城に倣ったが、藤原京や平城京でも、長岡京や
平安京でも、ついに羅城は構築しなかった。したがって日本の都には、
宮都はあっても、都城はなかったといわなければならない。
菅吏登用の試験ともいうべき華僑や去勢された男子の小吏すなわち宦官
の制はついに受容しなかった。
日本の宗教史をひもとけば、神と仏は対抗するよりも習合の道を
たどって、神宮寺や社僧が誕生し、平然と神前読経が行われた。
 かつて長崎県五島列島の一つ福江島の「かくれ切支丹」の調査に
おもむいて感銘したことがある。聖母マリアの像が氏神である
神社の本殿の中にまつられ、17世紀の古文書に、オラショ(祈祷の言葉)
がかきとどめられていて、そこには「パライソ(天国)にまします
イカヅチノカミ」とかきとどめられていた。イカヅチノカミとは
神道のかみである。神仏習合ならぬ神基習合の歩みがあった。
(P.160〜162)
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何年か前、英会話の飲み会で、イギリス人の先生が
こんな質問をぶつけてきた。

「こないだ、高尾山に登ったのだが、そこには神社もあり、
お寺もある。なんでだ???」

と、、、。

お〜、いいね〜。

日本文化を知るいい機会だ。

しかし、どう「神仏習合」を、どう英語で説明するか?

彼は、20年日本に住んでいるし、奥さんも日本人だ。

とにかく、ありったけの英語を使って、説明してみた。

「習合」をミクシング、とかユナイテッドとか、行ってみたが、
伝わらなかったが、身振り手振りを使い、紙に書きながら、
理解させたが、どうも彼は受け付けられないみたいだ。

「You are completely wrong.
   (あなたは完全に間違っている)」


周りにいる日本人は、誰もその説明にトライしようとしないので、
もうひと踏ん張りして、「神仏習合」という字を紙に書いて、
「奥さんに聞いてみてくれ。これは、日本の文化を知る上で、
非常に大事なことだ」
と、伝えておいた。

とにかく、多くの外国人に日本のことをよく理解してもらいたい。

また、海外にでも行けば、一人一人が、日本代表、、、。

互いの文化、国の理解が深まり、
勘違いによる争いが起こりにくくなるはずだ。

一神教の世界観では、「神も仏も、、、」というような感覚など
あり得ないのかもしれない。

また、長いこと「我々の神こそが本物だ」という主張のもと、
何千年も戦い続けた彼らには、極めてあいまいに映るのでは、、、。

さらに上田氏の著書の中で、もう一つ紹介したい。

神も仏も

 外国の日本文化研究者が不思議そうな顔をして質問する。
毎年12月になるとクリスチャンでもないのに、クリスマスツリーを
飾ってお祝いする。そして年末には、お寺の除夜の鐘をきいて、
正月には神社へ初詣する。日本人の多くがどこかの神社の氏子であり、
どこかの寺院の檀家である。日本人の過程を訪問すると、神棚があり
仏壇をまつる家が多い。いったいこれはなぜなのかと。
 一人一宗の海外の人々にとっては、たいがいの日本の人生における
通過儀礼そのものも理解できないらしい。子供が生まれるとお宮参りをし、
七・五・三のおりには神社や寺院に参詣し、結婚式は神前・仏前ばかり
でなく、教会であげる人々が年々増加している。亡くなるとその多くが
仏式で葬儀をする。
 氏子であり檀家であって、さらにどこかの宗教の信者になっている人も
かなりある。日本人の信仰は神道なのか仏教なのか。神棚と仏壇の
平和的共存そのものが不可解らしい。日本人の宗教そのものが
一人一宗でなく、一人多宗であるといってよい。
 こうした現象は古くから存在した。六世紀のなかばの頃に、百済から
仏教が「公伝」するが、『日本書紀』はその仏を「蕃神」とか「仏神」とか
故と表現し、747(天平19)年にまとめられた『元興寺縁起』は、
仏を「他国神」、現代最古の仏教説話集である『日本霊異記』は
「隣国の来神」、平安時代末期の史書『扶桑略記』は「大唐の神」などと
記すが、神仏の習合は仏教伝来の初めのころからすでにはじまていた。
質を異にする二つ以上の宗教がふれあうことによって生じる
意識的・無意識的な融合現象をシンクレティズムとよぶ。この言葉は、
ギリシアのプルタルコスの造語というが、シンクレティズムは、
世界の各地にみいだされる。しかし日本の宗教史のように、その基本的な
流れが「神か仏か」ではなく、「神も仏も」の融合・重層・習合で
あったような例は極めてまれである。
 八世紀になると神宮寺が具体化し、平然と神前読経が行われる
ようになる。そして神社に得度層が常住した。山岳信仰と道教・密教が
融合した修験道、真言密教と神道が結びついた両部神道など、
新分厚習合の展開は日本宗教史のあちこちに見いだされる。
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世のさかしらびとは、こうした日本人の宗教感覚をあいまいであり、
自己矛盾であるという。だがはたしてそうなのだろうか。
そのあいまいさを自覚したとき、そのあいまいさは万物にカミをあおいだ
「万物生命信仰」としてよみがえり、自然と人間の「共生」の
思想・信仰として輝いてるのではなかろうか。
(P181〜183)・・・・・・・・・・・・・・・・


なるほど、なるほど、、、。

ある家のリフォームの時に行う地鎮祭に参加したとき、
明らかに神様系の人が、白いヒダヒダの紙が付いた棒を振りながら、
祝詞かと思ったら、明らかに仏教の「お経」であった。

「ね〜、今の人、神さんなのに、明らかにお経だったよね〜」
と、いろんな人に聞いてみても、その答えははっきりしなかった。

ある建築屋の大将に聞いたところ、
「わしも何度も、こんな地鎮祭に参加しているけど、
けっこうこういうの多いよ」
とのこと。

ここでも神仏習合の例が今でも生きている。

外国でも、二つ以上の宗教が意識的、もしくは無意識の
うちに融合しているというのはある。

例えば、南米・中南米なんかで、スペイン、ポルトガルの侵略により
ほとんどの人がキリスト教に改宗させられた。

しかし、隠れてというか、在来の宗教的なところを目立たないように
取り入れたりということがいくつもあるらしい。

しかし、日本のように、クリスマスはキリスト、
大晦日はお寺、新年明ければ神社、こんなあけっぴろげに
やるのって、外国人から見れば、おかしくてたまらないのでは、、、。

しかし、今後、自然との共生、他民族との共生を考えれば、
日本人的な「あいまいさ」って必要なのではなかろうか。
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2016年04月13日

人生の総仕上げ、「終活」について、、、。

先日、数人の近所の人と話していた。

80を超えるおじいさんが、
「柳田邦男の本を処分したい。図書館で引き取って
くれるだろうか。うちの娘が、そういうモノをしっかり
処分しといてね,と言われているんでね〜」

と、語った。

そして、ある人が
「終活だね〜」
と、、、。

「終活」か。

そこで、ふいに私も
「わしも、終活やっとるで〜」
と、言いそうになった。

その中では、私が一番若いので、その私が
「終活」などという言葉を口にすれば、
少し場がおかしくなるので、やめといた。

自分の身に置き換えれば、もう私もすぐに50歳。

人生80年とすれば、、もうすでに6割は過ぎている。

それにこれからの30年なんて、どう考えても
あっという間だ。健康年齢から考えれば、
あと20年だ。

40代のこの10年間というのも、瞬く間に過ぎてしまった。

さらに加速がついて、50代が過ぎていくのであろう。

小学校の時の一ヵ月と、今の一ヵ月では、明らかに
体感時間が違う。

死に向かって一直線の自分の人生。

これは、もちろん誰でも同じこと。

では、その残された時間をしっかりと使い切りたい。
有意義な人生にしたい。

どのように総仕上げをするのか。

もうこの歳から、しっかりと考え行動することって、
大事じゃないのかな〜。

話は、変わるがあるテレビ番組で、又吉さんが
「自分はみんな、みんなは自分」
というようなことを言っていた。

その続きを聞きたかったが、出演していた
ある心理学者がチャチャを入れたので聞けなかった。

あらゆる本を読んでいる又吉ならでは、人生観を
持っているような気がする。

それは、「自分というのが本当に存在するのだろうか?」
というような感覚ではなかろうか。

人間って、他の動物と比べて、非常に社会性のある動物。

互いに依存し合って生きている。

例えば、このようにパソコンをの前で、キーボードをたたいているが
このパソコンを自前で作れるのかと問えば、誰かに依存しなくてはならない。

パソコンもそう、鉛筆、シャーペンがあるが、どれもこれも
自分以外の人が作ってくれたものあり、多くのそれらのモノに囲まれて、
今、生きることができる。

鹿や馬が生まれるシーンを見たことがあるだろうか。

産み落とされるとすぐに、起き上がり、歩き始める。

では、人間はどうだろうか?

立ち上がれるまでに二年近くかかり、言葉を覚え、
字を覚え、いろんな知識を覚え、社会性を身に着けて、
成人になるまでに20年はかかる。

それらは、みんな周りの人たちから、学び吸収していく
ことになる。

オオカミに育てられた少年が、オオカミのような習性を
持つようになる。

中国で育てば、中国語を話し、中国人の習慣、価値観を
身に着けていく。

日本で生まれれば、日本人的な「空気」を重視する人間性に
育っていく。

あるニュージーランドに移住した家族の話。

1歳の女の子、5歳の男の子、9歳の男の子が
それぞれ、新しいニュージーランドの社会に入っていくことになった。

それぞれ大人になり、
9歳の子は、とても英語を覚えるのに苦労したという。

5歳だった子は、両方とも、話して聞き取れるが、
やはり英語のが得意だという。

1歳だった女の子は、日本語が何とか聞き取れることはできるが、
話せないとのこと。そして、英語を普通に話す。

そのため、その女の子は、一緒に住んでいる祖父母とうまく、
話ができない。

何が言いたいのかというと、言葉というのは、両親から覚えるのではない。
周りから教わるものなんだということ。

それだけ、家族だけでなく、社会から大きな影響を受けて、
人間は成長していく。

ある精神科医が言っていたが
「人間というのは、著しく周りから影響を受けている」
とのこと。

影響を受けた人というと、上司や先輩、友人、恩師、両親、祖父母と
いろいろと思い浮かぶが、それだけではない。

人間社会には、文字というモノがある。

つまり、何百年も前の昔の人の考えを、その文字を通して、学ぶことができる。

例えば、中国の孔子とか、ギリシャ時代のアリストテレスとか、プラトンとか、
哲学、宗教などなど、人間の在り方について、有史以来、研究されてきた。

その影響も多く受けている。

私は、おじいさん、おばあさん子であるが、20歳ぐらいまで、
祖父母と寝起きを共にしてきた。

毎日、毎日、祖父母の言うことは、同じようなことではあったが、
歳を重ねれば重ねるほど、祖父母の影響を強く受けていると感じるときがある。

その祖父母に教わったことが、私の中で生きているということは、
祖父母が私と共に、生き続けているということ。

その私の祖父母も親がおり、恩師がおり、
周りの人から多大な影響を受けていることになる。

その、その親だって、周りから影響を受けている。

人間とは、体なのか、人格なのか。

人格であるならば、何層にも何層にも、いろんな人の影響を
受けながら、今、自分というモノが存在する。

これだけ、周りから影響を受けて、人格が成り立っていく以上、
本当に自分のことを「自分」といえるのだろうか。

周りの人から、影響を受けずに、オオカミに育てれられれば、
オオカミのような習性を身に着けていただろうに、、、。

自分というのは、過去、現在と未来も含めた大きな大きな意識の集合体の
ほんの一部なのである。見えない、無数の糸でつながりあっている。

そして、自分も知らず知らずのうちに、誰かに影響を与えることになる。

我々一人一人が、未来の人の心の中で、自分の影響を受けてきた人たちと
共に、生き続けることになる。

例えば、うちの92歳になる会社の会長、、、。

強烈なまでに、自分の考えで生きる人。

そういう人の方が、周りに影響を与えやすい。

そんな会長から、教わったことはいくつがあるが、
やはりその生きざまだ。

あの腹のくくり方、そしてそこから来る決断力。

凄みさえ、感じる。

さらに、このブログでもそうだが、なるべく日常で体験したこと、
そこから学んだことなどを、このブログで書き続けている。

もしそれが、このブログを通じて、誰かに
影響を与えているのなら、それらの人の中で、
私は生き続けることになるのではないか。

毎週楽しみにしているラジオ放送の「なぜ生きる2」。

浄土真宗系のラジオ番組であるが、
その内容をこのブログでもよく紹介している。

そして、それらの教えが私の中で取り入れられ、
活かされれば、私は親鸞さんが私の中でいき続けることになる。

何百年も前の人である、親鸞さんと共に、生きているということだ。

そして、私はよいと思ったことは、ドンドンと周りに伝えたいという
性格なので、たとえばこのブログを通じて、もし誰かに
伝わるのであれば、そんな嬉しいことはない。

そうなれば、親鸞さん、私、そしてその方と共に、生きている
といえるのではなかろうか。

私にとって、このブログというのは、一つの「終活」とも言える。

何かを、次の世代に伝えていくということが、
「終活」そのモノである。

大きな大きな、そして過去・未来とつながる人間の意識の集合体。

それに自分の身を溶かす、それが私の終活である。

これはあくまでも私の妄想であるが、
もし、亡くなるときに、強い怒りや不安、憎しみなどに心を
占領されていたのでは、心を昇華させることが、できるのだろうか。

そのような煩悩にがんじがらめで縛られていれば、
昇華できずにこの世を永遠にさまよい続けることに
なるのでは、、、。

また、「死」というのは、人生最大の苦難である。

死への恐怖、病気の苦しみ、別れのつらさ、年老いていく惨めさ、
これらのことが、人生の最終盤に怒涛のごとく押し寄せてくる。

どんな状況で死ぬにせよ、それに耐えれるためにも、
精神的にも強くなくてはならない。

体の苦しみももちろんだが、それと同等以上に、
心の苦しみも伴う。

その心の苦しみだけでも、しっかりと耐えられるだけの
心構えが必要であり、怒りや恨みなど、しっかりと脱ぎ捨てて
あの世に旅立てるように、心構えが必要のような
気がする。

それには、上手くいえないが、何か大きなモノに
身を溶かすような感覚が必要なのではないか。

それから、どうしても次の世代には、すべてのことが
つながっているという感覚、そのような感覚こそ
共生の時代に必要のような気がしてならない。







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2016年04月10日

生きる目的にとは、、、。「なぜ生きる2」の中で、、、。

昨日も、毎週土曜日恒例の仕事で北陸へ向かう。

その中で、一つ楽しみがある。

それは、早朝、6時半よりラジオで放送される
「なぜ生きる2」を聞くこと。

6時にに、会社を出て、ちょうどそのころは、
高速道路に乗り始めるころ。

清々しい、朝焼けの中、車の中でその放送を聞くのも、
なかなかいいものである。

今日の内容は、だいたい次のようなモノであった。

買い物に行くにも、「目的」がある。

受験勉強をするにも、「目的」がある。

では、生きる「目的」とは、、、。

受験戦争をくぐり抜け、大学にいき、そして就職。
その後、30手前で結婚し、次の年には子どもができる。
60まで働いて、ソコソコ部長まで出世し、
その後はリタイヤという人生、、、。

何万枚とうれた「泳げたたい焼き君」のなかで、
「毎日、毎日、僕らは鉄板の、上で焼かれていやになっちゃうよ〜」
と、あるように、毎日毎日同じことの繰り返し。
そして、時間は駆け足のように過ぎていく。

地下鉄の「広尾(ひろお」駅というのがあるが、
電車の中で、「次は広尾(ひろ〜お)、広尾(ひろ〜お)」
と、聞くと自分のことのように思える。

しかし、そんなクタクタな人生が、今の世の中では、
一番安定である。

今日のテーマは、「何のために生きるのか」という
問いかけであった。

「生きる目的とは」、、。

例えば、ボクシングで世界チャンピオンになった鬼塚選手、、、。

 少年の頃、世界チャンピオンはスーパーマンみたいな存在やと思ってきた。
俺にとっては神様に近い存在ですよね。凡人の俺が、そんな凄い場所に
辿りつくことができたら、いったいどんな凄い人間になれるんだろう。
そのことだけを励みにここまで頑張ってきました。
しかし、試合に勝ってはみたものの、あるはずのものが何もないんです。
「エッ、何なのこれ?なんで、何もないんや?」
「いや、次勝てばきっと何かが得られる」
そう信じて、次から次へと試合を積み重ねていきました。だけど何も残らない。
試合が終わった夜は、生き残れた実感と自分が探し求めたものが何もなかったと
いう寂しさで発狂しそうになりました。俺は常に素直に飛び跳ねる自分で
おりたいのに、充足感がないから、「何でや?」という思いばかりが
虚しく深まっていく。最後の試合までずっとその繰り返しでした。
  (『週刊文春』平成6年11月)


世界の頂点を極めても「充足感」がない。

人間とは、いつになったら「満たされる」というような
感覚になるのであろうか。

到達した時点で一時の達成感、、、。
そして、そのあとの猛烈な恐怖と不安、、、。

「世界チャンピオンは、スーパーマン」、、、、。
「世界チャンピオンは、神さまに近い状態」、、、、。

そのような自分が抱いてたイメージとはかけはなれ、
充実感などなく、次なる恐怖と不安を抱えなくてはならい。

あれだけ、名声を極めた清原選手も、
シャブに頼らなくては、自身の心を不安を抑えることが
出来なかったのだろうか。

たとえば、一億円得たとする。

しばらくすれば、その喜びも当たり前となり、
次は、その一億円が減っていく恐怖に、取り付かれることになる。

世界一貧乏な大統領と呼ばれる南米の小国ウルグアイのホセ・ムヒカ氏
の言葉、、、。

「貧乏なひととは、少ししかものを持っていない人ではなく、
無限の欲があり、いくらあっても満足しない人のことだ」


一昨日、70歳を越えるある技術屋さんと話していたが
「昔の方が、みんな幸せだったようなきがする。
今では、隣に誰が住んでいるのか分からないし、
自由というものが、もしかしたら人と人との絆を
切り刻んでいるのではないのかな〜」

というようなことを語っておられた。

物質的な豊かさというのと、幸福感というのは
違うのかもしれない。

地位や名声があっても、無限の欲から開放されない限り、
本当の自由を得ることは出来ないのではないか。

それよりも、少しずつでも心の皮下脂肪を取り除いていけば、、、。

地位を得ても、お金を得ても、けっして煩悩から逃れられる
わけでもない。

さらなる恐怖と不安に心が占領される。

その不安と向き合うこと。

その恐怖と上手く付き合うこと。

どんな立場や、どんな環境によっても、いろんな体験から、
心の開放に取り組むことはできる。

毎日、毎日いろんなことが起きる。

津波のように、自分に襲い掛かってくる。

しかし、神様はいつも自分の味方。

必要なときに必要な出来事を与えてくれる。

では、今立ち止まっている目の前のことから、
自身は何を学ぶのか、、、。

ここを逃げれば、また同じようなことで、
悩み、苦しまなくてはならない。

自分には、そのことが欠けているから、
今、躓いているのでは、、、。

というようなことを誰かが言っていたが、
本当の幸せとは、心の開放なのではなかろうか。



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