2016年12月31日

家康の江戸への遷都の謎!?森林・エネルギーと武士の大量リストラから見た歴史、、、。

家康の江戸への遷都、、、。
歴史を知っている後世のものから見れば、
そんなもん当たり前のように思う。

しかし、当時の人から見たらどうだったのか?

関ヶ原の戦いの前哨戦、多くの大名が上杉征伐のため
東に向かった。

そして、江戸周辺のみすぼらしさを見て、愕然としたという。

それほど、関東エリアというのは、まだまだ未開の地、、、。

便利で華やかな関西圏を捨て、江戸に居続け、関東圏の開発を
続けた家康の考えはいったいどういうものだったのか?

私も歴史マニアであるが、武村公太郎氏の著書
「日本史の謎は地形で解ける」を読んで、
目からうろこが出る思いであった。

関西を嫌った家康

 なぜ、家康はあの江戸へ戻ってしまったのか?」
この問いのエネルギーからの回答が
ページの図2である。


IMG_2055.JPG


 この図は、巨木の伐採圏の遷移を示している。図のタイトルの
「記念構造物のため」でわかるように、宮廷、寺院、城などを建造する
巨木の伐採の時代変遷である。
 巨木の伐採場所や伐採時期は、寺社に保存されている縁起で特定できる。
それらを丹念に調査して作成した図である。
 これによると、」平安遷都したころの巨木の伐採圏が、淀川流域と
みごとに重なっている。
 さらに安土桃山時代の頃には、伐採圏が近畿から中部、北陸、中国、四国と
急速に拡大していった様子がはっきりとわかる。
 東京大学名誉教授の太田猛彦氏によれば「最初に建築材の巨木の伐採が入る。
それに続き燃料材の採取。その後に農民による焼き畑利用などが進む」という。
 この図2によって、単に巨木伐採の広がりだけが分かるのではない。人口の
増加と文明の発展、それに伴う森林消滅と山地荒廃の広がりを透かして見る
ことができる。
 家康が関ヶ原で戦っていた頃、木材の需要は関西圏の森林再生能力を
超えていたことが図2からわかる。当時、大阪で約40万人、京都でも
40万人の人口であったといわれている。少なく見積もっても、関西圏で
年間800万本の立木が必要であった。これは関西の産地は荒廃せざるを得ない。
すでに室町時代の後半、京都の東山や比叡山は荒廃していたと伝えられている。
 山地の荒廃が進展すると、雨のたびに養分を含む表層土壌が流出し、森林再生は
困難となっていく。兵庫県の六甲山、滋賀県の田上山がその代表である。
昭和年代までこれらの山々は、荒れるにまかせ放置されていた。
 1938年7月、梅雨前線豪雨と六甲山各所で崩壊が発生し、大規模な
土石竜が発生した。この災害は谷崎潤一郎の小説『細雪』でもとりあげられて
いる。神戸、芦屋市に土石に埋まり700人の人々が死亡した。この災害は、
400年前の秀吉の大阪城築城に伴う森林伐採のツケであった。
 徳川家康は関西の産地荒廃を目の当たりにしていた。家康はこの関西を嫌った。
1590年に家康は秀吉によって江戸へ移封されたが、そこで見たものは
日本一の利根川流域の手つ数の森林であった。目にしみいるような緑は
利根川流域の未来の発展を告げていた。家康は利根川の江戸を選択した。
 これが「なぜ、家康が江戸に戻ったのか?」の問いに対するエネルギーの
観点からの答えである。
 強力な権力を確立した江戸幕府は、木材供給基地を利根川・荒川流域だけに
とどめなかった。幕府直轄の木材基地を日田、木曽、飛騨、秋田、蝦夷と
全国に広げた。江戸幕府は、文明のエネルギー負荷を日本列島全体へ広く
薄く分担させることに成功した。全国各地から江戸に向かう大型船の船底には
大量の木材が積み込まれた。
 こうして日本全土から江戸へエネルギーが注入されたことにより、100万人と
いう当時の世界最大の都市・江戸の出現が可能となり、徳川幕府260年の
長期政権が保たれた。
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なるほどね〜。

世界の歴史上でも、エネルギー源である森林がなくなってしまって、
滅びた文明がいくつもあるという。

関ケ原あたりの日本の最大の政治課題は、有り余った兵士のリストラを
どうするのか?

秀吉の大陸進出も、現実問題、そのあたりが非常に強く絡み合ったいる。

秀吉軍団を見てみれば、日本一の上昇志向集団だ。

例えば、自分の部下に自身の領地を半分与えても
「秀吉様が、必ず新しい領地を与えてくれるはずだ」
という感覚が当たり前のようにあった。

では、その新しい領地とは、どこにあるのか?

外国しかない。

そんな上昇志向集団が、大きく方向を転換して、
大リストラしたのであるならば、たちまちに混乱して
しまったであろう。

しかし、大陸進出も失敗した。

そして、大衆の間も厭戦ムードになってきた。

そこで起こったのが、秀吉の跡目騒動である
関ヶ原の戦いだ。

戦争に明け暮れ、上昇志向の政治体制からの大きな
政治体制の大転換、、、。

その大転換を、当時日本一、また歴史上でも日本一の
上昇志向集団の秀吉軍団の遺伝子を受け継ぐ人たちでは、
どう考えてもできやしない。

社会全体として、それらの有り余った人材の雇用先として、
国内での新天地の開発しかない。

江戸初期では、日本の歴史上、飛躍的に新田開発が進んだ。

その最大の場所が、関東であったとも聞く。

そういう意味でも、エネルギー的に限界のある関西圏では、
ダメだったのかもしれない。

もし、家康が大阪に生き続けたら、西日本の森林は
荒れ放題、、、。

それが政治不信となり、大きな混乱が起こったのかもしれない。

大坂の陣とは、ある意味、「オレもいつかは大名になる」という
日本全国の浪人たちの野心を捨てさせる戦いであったともいえる。

もし、家康が大阪に居続け、秀吉のように豪華な生活を続けながら
より一層森林が荒れ放題になれば、大阪の陣はあれだけの規模で
収まっただろうか。

今回の真田丸の感想を多くの人に聞いても、
大半の人が幸村の生きざまに共感を受けていたようだが、
全体から見れば、家康のすごさというのは
計り知れない。

今の日本人の基礎を作った江戸時代、、、。

この江戸時代につちかったことが、これからの世界に
どれほど必要か、そう思えば、その基礎を作った家康が
もう少し評価されてもいいような気がする。




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2016年12月27日

「3.9+5.1」は「9.0」では減点で「9」でないといけないってホントなの!?

 先日、テレビを見ていたらあの「今でしょ」の
林修さんの番組がやっていた。

その中で、林さんが今年一番問題だったこととして、
いろんなことがある中で、どこかの学校の数学のテストで、
「3.9+5.1」の回答が、「9.0」では減点で「9」でないと
完全な正解にならないとのこと。

さらに、立方体の体積を出す時に、
「縦 ✖ 横 ✖ 高さ」であるが(順番が違うかもしれないが)
これが、例えば「高さ ✖ 縦 ✖ 横」などと書くと、
これも完全な正解にならないとのこと。

このことについて、多くの生徒に聞いてみると、
「答えがそのようだというのなら、それが答えになる」
という人が、多かった。

う〜ん、私もそれには引っかかるものがある。

例えば、体を横向きしある方向から見れば、「高さ ✖ 縦 ✖ 横」だったものが
「縦 ✖ 横 ✖高さ」にもなるはずだ。

ただそう教えるから、
それが答えだというやり方って、子供の学習能力を上げるのに
よくないような気がする。

大事なのは「何でこうなるのか?」ということ。

物事を根本から覚えるように癖をつけないで、ただ暗記だけに
頼る勉強方法で、本当に面白いのだろうか。

本当の力が付くのだろうか。

特に数学、理科なんてそうじゃないのかな。

歴史だって、歴史に興味を持てば、歴史に深い関係がある
例えば科学技術とか、宗教とか、政治、地理、地形学、などなど
いろんなことを知らないと、トータルで広い視野で歴史など
見れやしない。

ただ、「1192年に源頼朝が鎌倉に幕府を開いた」ということを暗記する
だけでは、本当の真実は見えてこない。

頼朝を押し上げる社会の大きな流れは何だったのか?

関東とは、どういう土地柄だったのか?

武士が出来上がった背景は、、?

などなど、いろんなことを総合して、頼朝の幕府創設というモノが
見えてくる。

確かに、受験勉強など、莫大な暗記量が必要とされる。

それを少しでも楽にするにも、
小さいころから、「何でこうなるのか?」というような
好奇心が大事なような気がする。

それを、小学生のころから
「3.9 + 5.1」は「9」じゃないといけないという風では、
なんとなく幅の狭い子供になってしまうような気がしてならない。


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2016年12月21日

自尊心の在り方、、、。

 先日、テレビで煩悩についてやっていた。

間もなく、大晦日、今年も義両親の住む山口で
除夜の鐘を突くことになるが、その除夜の鐘とは、
人間の持つ108の煩悩をあらわすという。

そのテレビの内容は、その煩悩の中の「嫉妬心」について
やっていた。

江戸時代初期のある旗本の話。

その旗本は、大砲の技術にたけていて、大阪城攻撃の時も
その大砲で活躍したという。

その大砲の技術を買われ、1000石の旗本になれたらしい。

しかし、その後、若い技術者が現れる。

その技術者に対する嫉妬心が抑えきれず、ある日、
その人と刺し殺してしまうという話だった。

「嫉妬心」とは、誰でも持つもの、、、。

その嫉妬心とどう付き合うのか、というよりも自尊心というモノを
どのように持つのかが、とても重要になってくるような気がする。

すごい技術、すごい知識を持ち、みんなにちやほやされる。

しかし、ちやほやされることだけで、自分の評価をしていたのでは、
いずれ崩壊することになると思う。

私が一番評価するのは、すごい技術よりも、すごい知識よりも
「常に学ぶ」という姿勢の人。

私は、戦国の三英傑の中で、信長も秀吉も好きだが、
紙一重で家康を評価している。

私なりに家康のことを表現するならば、
「内省の鉄人」とでも、言っておこう。

家康という人は、武田からも、北条からも、信長、秀吉、
天皇家からも、いろんなことを学んで取り入れている。

それには、常に自分を鑑みる、冷静さが必要。

こんな例がある。

小牧・長久手の戦いで秀吉軍に打ち勝ち、その後、
秀吉の傘下に入ることになる。

その直後の小田原攻めの時に、秀吉は小田原城をしっかりと囲み、
小田原城が見える高台に、自分の城を建てた。

そこに、全国から集まった大名たちが登城してくる。

その城の手前に急な川が流れ、そこを渡ってくる様子を
城から丸見えであった。

戦国の荒々しい時代を生き抜いてきた多くの戦国武将たちは、
その川を馬に乗り、勇敢に渡り切ろうとする。

ある意味、自分の武勇を見せつける見せ場であった。

そんな中で、家康がとった行動は、馬を降り、
数人の若い家臣に抱えられながら、石橋を渡るように
その川を渡った。

城から見ていた多くの大名たちは、そんな家康の臆病さを
あざけ笑った。

その中でも、数人の武将は「家康恐るべし」と
感じたという。

さあ〜、家康の立場になってみれば、
ほんの少し前まで、敵であった秀吉や秀吉配下の武将たちに
普通なら、自分を大きく見せようとするのでは
なかろうか。

こないだまで敵だった人たちに囲まれ、その中には家族や仲間を
家康に打ち取られた人もいるであろう。

そういう環境なら、通常、心を支配するのは、「恐怖」では
なかろうか。

恐怖心が心を支配すれば、自分を大きく見せようとするであろう。

しかし、家康は違った。

むしろ、自分の小さく見せようとし、その後の豊臣政権下では
徹底的に「律儀な内府」を演じきった。

「恐怖心」や「劣等感」のようなものが、心を支配していれば、
そのような行動はできないと思う。

それを抑える冷静さ、そして忍耐力、豊臣政権下の家康には、
そのことが一番重要だったと思う。

噂話の世界ではなく、自分の自尊心をどのように保つのか、
それは「常に学ぶ」という姿勢をやり続けること。

もし、常に学ぶという姿勢で、10年、20年やり続ければ、
相当な知識や知恵がつく。

目先の周りの評価よりも、本当の実力の方が、
結局は土台がしっかりした自分の自尊心につながるであろう。

それには、忍耐力、勇気、見識が必要なのかもしれないが、
同時に、心のあり方も、しっかりと研究していかないと、
身に付かないのかもしれない。

斎藤一人さんが、こんなようなことを言っていた。

「ダメな人は、すぐ、すごい人と自分を比べようとする、
有能な人は、昨日の自分、過去の自分と今の自分を比べることができる人」

もし、ライバルがいるなら、しっかりとその人から学ぶべし。

敵愾心を持っている暇などないし、それにとらわれていては、
周りが見えなくなる。

例えば、同窓会や昔の同僚になったりすると、
以前はもっと仲が悪かった相手でも、その憎しみのようなものが消え、
なつかしさが増してくることってないだろうか。

敵愾心や嫉妬心など、時間には勝てないということ。

環境が変わり、他のことで忙殺されるようになれば、
すっかり忘れてしまう。

人生の中で、その一瞬、一瞬を活かしきるには、
学ぶということに重点を置くべきではなかろうか。


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2016年12月18日

日米地位協定と北方領土問題、、、。

 ロシアのプーチンさん、日程をこなされ、
何とか帰国されたこと、ほっとした。

内心、米軍基地がいくつもあるこの日本は、
プーチンさんにとって、アメリカ以上に危険なところでは
ないかと、少し心配していた。

北方領土の問題に関して、確かプーチンさんは、訪日前の
日本人記者のインタビューに対して、
「日本の独立性にかかっている」
というようなことを話されていた。

もしロシアから見れば、北方領土の問題とは、
どういうものなのだろうか?

多くの日本人が、
「アメリカも沖縄を返したのだから、ロシアも北方領土を
帰すべき」
と、思っているのでは、、、。

しかし、ロシアから見れば、もし北方領土を返還しても、
そこに米軍基地がおかれてしまうのではなかろうか?
という強い懸念が存在する。

https://jp.sputniknews.com/japan/201612143129104/

2島に米軍基地建設の可能性、日本は否定せず


この記事をじっくり読めば、実際に、11月初旬、
谷内正太郎・国家安全保障局長はモスクワ訪問で、
ロシアのパトルシェフ安全保障会議書記と会談した際に、
パトルシェフ氏の日ソ共同宣言を履行して2島を引き渡した場合、
島に米軍基地は置かれるのか」との問いかけに対し、
「可能性はある」と答えた。
とのこと、、、。

この問題は、実は、日米地位協定に深く関係している。

沖縄国際大学大学院教授の前泊博盛氏の著書、
「本当は憲法より大切な『日米地位協定入門』
P.155〜159ページにQ&A方式で、次のようなことが
書かれている。


米軍が希望すれば、日本全国どこでも基地にできる
というのは本当ですか?


これは悲しいことですが、本当で。Q&A@でふれたように、
通常の安全保障条約や協定なら、駐兵する基地の名称や場所を条約や
付属文書に書き込むのが常識です。
 フィリピンがアメリカと1947年に結んだ「米比軍事基地協定」の
付属文書でも、有名なクラーク空軍基地やスビック海軍基地のほか、
23の拠点がフィリピン国内で米軍が使用できる基地として
明記されています。
 フィリピンはその前年まで、本当のアメリカの植民地でした。
それでもきちんと限定した形で基地の名前を書いています。ところが
日米安保条約にも日米地位協定にも、そうした記述がまったくないのです。
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すべて書き起こそうと思ったが、時間がなくなってきたので、
次の記事を紹介したい。

http://martin310.exblog.jp/17561176/

「日米地位協定入門」からの注目のトピック -2- 」

もし、北方領土をロシアが返してくれ日本の領土になったとしても、
アメリカとの日米地位協定により、アメリカが基地を置く権利を
有しているということ。

ここでも、日本の自立が大きな課題になってきている。


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2016年12月16日

「未来の人類社会への日本人の役割は、日本人自身が思っている以上に大きい。」武村公太郎氏の著書「日本史の謎は地形で解ける(環境・民族篇)」を読んで!

最近、武村公太郎氏の著書「日本史の謎は地形で解ける(環境・民族篇)」
を読んでいるが、今後、大転換が起こるであろう新しい文明について、
そしてその時の日本人の役割について、非常に的を得たことが書いてあるので、
是非とも紹介したい。

 文明を変換する「新しい物語」を


20世紀の日本が歩んできたのは「大量生産、大量消費」の拡大解放系の
文明であった。
 21世紀の人類には、資源の枯渇と、地球環境の激変が待ち受けている。
そのため、人類は拡大解放系の文明から脱却せざるをえない。
 この拡大解放系の文明からの脱却とは、その反語の縮小循環系への変換である。
 この縮小循環系の文明は、日本人が得意な分野なのだ。
 日本は、循環文明を鎖国下の江戸時代で体験済みである。モノを循環させる
社会システムのDNAは、すでに持っている。
 未来の人類社会への日本人の役割は、日本人自身が思っている以上に大きい。
 日本人は拡大解放系の文明を享受しつくして、世界トップクラスの豊かな
国になった。この日本人が、実は「縮小と循環」の性向をも持っている。
この日本人が未来文明の先頭に立たなければ、いったい誰に立ってくれと言うのか。
 ただし、日本が世界全体を新しい文明へ導くなどとは考えない方がよい。
日本人ほど世界のリーダーに不向きな民族もいない。
 ただただ心行くまでモノを見つめ、モノを縮小する性向を発揮していけばよい。
日本が「「縮小と循環文明」のモデルを創り、それを世界に見せることができれば、
それで十分責任を果たす。
 とはいっても、「縮小」とか「循環」という言葉は、人々の心を奮い立たせない。
 特に、荒々しい欲望を抱いて生きていく若者にとって、これらの言葉には魅力がない。
文明の変換という難関を乗り越え、新しい文明を築いていくのは若者である。
若者にとって魅力がなければ、文明の変換など絵に描いた餅で、単に年寄りの
つぶやきで終わってしまう。
「縮小と循環」という文明の変換には、何か強い熱情のようなものが必要である。
欲望あふれる若者の心をつかみ、若者の気概を引き出し、若者を文明の変換へと
奮い立たせる「新しい物語」が必要となる。
 その新しい言葉と新しい物語を考え続けいるが、まだ見出せない。
目の前に薄い霧がかかっているように、ぼんやりと見えるが、はっきりとは
見えない。  (P328〜330)


なるほど、なるほど。

私もまったく同意見だ。

私は、若いころ、一年間ニュージーランドに住んでいた経験があるが
その時知り合ったある女性の話。

その人はニュージーランド人で、日本にも2年ほど住んだことが
かなりの日本通、、、。

「日本人って、不思議なことにかなり優れた民族なのに、
なぜか自分たちのことを、悪く思っているところがある。
我々西洋人の方がはるかに残忍なことをしてきているのに、
もっと日本人は、自信を持つべきでは、、、」
と、、、。

愛知万博で知り合ったトルコ人の女性は、
「何でそこまで、卑屈になるの?経済だって一流、
民族性だって素晴らしいのに、たかだか一回くらい
戦争に負けたくらいで、そこまで自信を無くすこともない」
というようなことを言っていた。

せかいのひとって、日本人について、我々が思っている以上に
好印象を持っている人が多いように思う。

世界から見て、我々日本人っていうのは、かなり特異的、、、。

それに、私自身、なぜわざわあざ「日本人の研究!」などという
ブログを始めたのかというと、日本人にほんとの日本の姿を知ってもらいたい。

そして、その日本人が、これからの大きな文明の大転換の時代に、
非常に大きな役割を果たす可能性があるということ、、、。

これらのことを強く主張したい。

昨年だったと思うが、NHKで日本の三の丸遺跡のことをやっていた。

転々と住む場所を変え、とても貧しい生活をしていたと思われていた
狩猟採集民が、日本では定住し、大きな集落を形成し、かなり高度な文明を
発展させていたという。

一万年ほど前、他の国々では、農耕に変わる中、日本の縄文人たちは、
森と共に生きることを選んだらしい。

森に栗を植え、山の幸、海の幸を取り入れながら、自然と共に
生きていくことを選んだ我々の祖先、、、。

それに、日本の天災についてよくよく考えてもらいたい。

科学的な知識のない古代の人が、もし、海から大きな壁のごとき
津波が押し寄せたら、古代人たちは、
「海が怒った」と、感じるのではなかろうか?

いきなり真っ黒い煙を吐いて、山が噴火したら
日本の古代人たちは「山が怒った」と感じるのでは、、、。

稲妻が走り、激しく揺れる日本大地
「地が怒った」と感じるのではなかろうか?

川も氾濫し、毎年のように何度も、台風が押し寄せる。

こんな土地柄で住み続けてきた我々日本人は、
自然のことを無視することができず、恐ろしいモノであり、
そして豊かな幸を与えてくれるような大自然に対して
畏敬の念を持ち続けていたように思う。

何もない砂漠の宗教であり、絶対的な神が我々のために
すべてのモノを作り上げてくれた一神教的な世界観では、
どこか人間中心のモノになってしまう。

石油という莫大なエネルギーを手にし、自然やありとあらゆる
資源を喰いつくし時代ならその世界観が適していたのかも
しれない。

しかし、これからはどう考えても広げすぎた人間の活動を
どうにか縮小循環型社会に戻さなくてはならない。

日本の江戸時代を考えれば、そのような時代であったように思う。

その前の戦国時代とは、拡大型上昇志向社会ともいえる。

しかし、江戸時代はそれを大きく転換し、限られた国土、
限られた資源の中で、多くの人が生きていけるような社会であった。

リサイクル、リユースの江戸時代のテクノロジーというのは、
すごいものがある。

さらにと時から、限れた国土の中に、とても人口密度が高かった。

今、世界も益々人口が増え、人間の活動が活発になり、
狭い空間の中で、多くの人が住んでいることになる。

その中で、どのように殺戮し合うことなく、協力し合って生きていくのか、
その一番重要なのは「社会に信用を作ること」だ。

かなり高低差のある日本の地形、、、、。

その大地に梅雨の時期に雨が集中し、平野では水があふれかえる。

その水を上手く利用して、多くの収穫を得るには、一番稲作が
適していたのかもしれない。

梅雨の時期に、田んぼでは一番水を必要とする。

また、しっかりと川上の森林を維持しないと、
たちまちに水害の被害が拡大してしまう。

みんなで協力して、森林を維持し、川の堤防を築き、そこから水路を引っ張って
水があふれかえっていた平野の湿地帯を田んぼに変えてきた我々の祖先、、、。

その日本の田んぼというのは、牧畜や畑作に比べて、単位面積当たりの収穫量が多い。

つまり、村を密集して住めるということ。

また、稲作の北限である日本では、例えば田植えの時期に、しっかりと
労働力を集中し、田植えを終えないと、えらいことになってしまう。

常に暖かい、フィリピンなどの稲作では、いつ田植えをしても、
それほど影響がないが、日本では時期が増えれば、冬になり、
大きく収穫が減ることになる。

つまり、協力し、うまく労働力を田んぼに集中して、行わないと
たちまちに飢えが待っている。

だから、村社会といわれ、人目を気にし、協調的で自我を主張しない
思想が発展してきた。

その村では、納税から、冠婚葬祭、教育、介護、下の世話まで、
すべてのことをこなすほど、強い共同体を形成してきたといえる。

自己主張を優先する西洋的な思想とは、真逆であるが、
これからの時代、自分を捨てる思想でないと、共生社会は築けないように思う。

共生の時代に象徴的なある仏教の教え、、、。

地獄でも極楽でも、大きな釜でうどんをゆでている。

そのうどんを1メートルほどの箸を使って、食べなくてはならない。

地獄では、誰もが競ってうどんを食べようとするので、
誰も食べることができず、みんな飢え死にしてしまった。

極楽では、各々の口にうどんを運び、助け合いながら
みんなが食べることができ、みんな満腹になった。

各々との信頼関係がいかに築けるのか?

欲と恐怖に各々の心が占領されていたのでは、
結局はみんな倒れてしまう。

どこか今の世界に似ていないだろうか。

では、新し文明に大きく変換させる原動力となる
特に若い人たちへの強い情熱を引き立てる
「新しい物語」とは、何があるのか?

例えば、高度経済成長の時に、バリバリ働いて、
洗濯機を買った、車を買った、冷蔵庫、テレビなどなど、
ドンドン豊かになる実感があり、それが情熱へと
つながっていった。

しかし、今の若者たちは、車離れが進んでいるという。

果たして、そのような「豊かさ」だけで、強い情熱が
湧くとも思わない。

それよりも、いったい自分は何になるのか、何を目標に
生きていくのか、そのような漠然と大きな心の空洞が
存在するのでは、、、、。

それは、特に社会を引っ張っていく感受性の強い人ほど
そのように思うモノ。

世の中とは、一割ほどの人の意識が変われば、大きく変わる。

特に、空気に敏感な日本人は、大きな流れができば、
多くの人がそれに乗ってくるであろう。

その感受性の強い、若者たちの心に何が響くのか?

近畿大学の井田教授が、植物系廃棄物から、石炭に近い燃料
「バイオコークス」を開発した。

井田教授は、
「これで、世界の戦争を無くす」
と、語っておられた。

なぜ、中東であのように戦争が止まらないのか?

なぜ、日本があのような無謀な戦争に突っ込まなければならなかったのか?

世界の戦争を100年ほど振り返れば、そのほとんどが
エネルギー利権の奪い合い。

限りがある石油などのエネルギー資源が、限られた場所に
存在するから、その利権を争って、いつまでも戦争が続く。

それよりも、限られた場所に、限られたエネルギー資源ではなく、
誰でもどこでもとれるエネルギー資源に変わったらどうなるのだろうか?

太陽光、風力、水力、バイオマスなどなどの自然エネルギーは、
どこでも誰でも行える。

それも、すぐ近くのあの丘の上の風力発電とか、
うちの屋根の上とか、農業用水、ゴミ焼却場の排熱とか、
身近なエネルギー資源で、我々が生活できれば、明らかに
社会が変わる。

さらに、自然エネルギー資源の開発だけでなく、省エネ、エネルギー利用の効率化
蓄電システムなどなど、いろんな人が、角度から参加できる。

人間に莫大なエネルギーをもたらした石油、、、。

その石油により、資本主義が発展したといっても過言ではない。

しかし、資本主義が行き過ぎてしまった。

これだけ格差が世界中で広がり、このままでは世界が成り立たない。

自然エネルギーの普及、スローライフ、自前のエネルギーが
もしかしてマネーが暴走し、荒れ狂う成果経済の中で、
一番、身を守り、故郷を守ることになるのでは、、、、。

自然エネルギーで戦争を無くす、社会を大きく変換する。

そして、我々日本人という民族は、どのようなものかと考えれば、
これほど、そのことに適した人々もそうはいないと思う。

私がなぜ、「日本人の研究!」などというブログをやり続けているのか、
それはこれから新しい時代に向けて、日本人の役割というのは、
非常に大きいということ、そのことをよくよく訴えたい。


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2016年12月09日

自意識と煩悩、「自分など何もない」というような世界観、、、。

先日、あるテレビ番組の中で、あるお坊さんが
「自分という意識が煩悩につながっていく」
というようなことを言っていた。

よく、不安で不安で落ち込んでいる人や、
何かに怒り狂っている人、その人たちの大きな
特徴というのは、周りが見えない。

自意識過剰なくらい、自分という大きな殻の中で
もがき苦しんでいる。

なぜ、不安を感じるのか、なぜ恐怖で怒り狂うのか、
ある意味それは、生きている以上、自己防衛本能が
働くからだ。

自分が馬鹿にされた、裏切られた、だまされた
それらにより自分が傷つく。

その傷つけられることを恐れ不安になり、 
馬鹿にした相手に対して、怒り狂う。

また誰でも、多かれ少なかれ、コンプレックスというモノはもっている。

たとえば、頭が薄くなった人。

みんなが自分の頭を見ているのではないかと、常に神経を
とがらせている。

「ハゲ」という言葉に、内心、敏感に反応してしまい、
常に頭が気になっている。

しかし、果たして、その自分のハゲのことで、誰がそれほど、
関心を持っているのだろうか?

各々、自分の問題を抱え、自分のコンプレックスに思い悩んでいる。

そんな中で、世界中で一番、その自分のハゲに関心があり、
そのハゲのことで思い悩んでいるのは、自分自身ではなかろうか、、、。

コンプレックスで不安に取りつかれた人というのは、
自意識過剰に陥り、周りが見えない。

それに、最近つくづく思うのであるが
自分って、本当に存在するのだろうか?

体は、やがて燃やされて二酸化炭素と水になっていく。

また、二年ほどで、人間の体内にある60兆ほどの細胞は、すべて
入れ替わるという。

その二酸化炭素と水が、もしかしたら、そこの植物のモノであったのかも
しれないし、他の動物の中にあったのかもしれない。

つまり、大きなそれらの循環の中に、ある一定の時期に私の中で、
構成されているにすぎないし、いずれは、私の体から離れ、
大きな循環の中に戻っていく。

体とは別に、人間の「心」に関しても同じことが言える。

オオカミに育てられた子が、四つ足で歩き、
オオカミのような習性を身に着けて生活するという。

中国人に生まれた人は、その環境の中で育てば、
中国人らしく生き行く。

日本人は、日本人らしい思想を身に着けていく。

私は、自他共に認めるおじいさん、おばあさん子であるが、
最近、「あんた言うことが、おじいさんに似てきたね〜」
と、親戚のおばさんに言われることがある。

いつの間にか、おじいさんの影響を受けているようで、
歳を重ねれば重ねるほど、その傾向が出てくるようだ。

毎日寝起きを共にし、夜になるといろんな話をしてくれた
おじいさん、おばあさん、、、。

そのおじいさんが、亡くなって三十年にもなるのに、
私の中で、生き続けていることになる。

そのおじいさん、おばあさんにしろ、親があり、
周りの人から、いろんな影響を受けている。

ということは、おじいさん、おばあさんに影響を与えた人たちも
私の中で生きていることになる。

おじいさん、おばあさんだけではない。

父も母も、恩師も、先輩、友人、いろんな人の影響を何層も何層も受けて、
今の自分の人格がある。

また、人間社会には文字があり、言葉がある以上、
遠い昔の親鸞さんや道元さんのことばも、生きていて、
多くの人がその影響を受けている。

こんなことが、言えるのではなかろうか?

我々というものは、自分であって自分でない
むしろ、自分など何もない
そこには長い、長い歴史の中で作られた、大きな人間の集団意識が存在し、
それにより、私たちの人格というモノが作り出されていく。

オオカミの社会に育てば、オオカミのような習性になってしまう。

その大きな集団意識というのは、自分そのもの。

とくに社会性の非常に強い動物である人間というのは、
その集団意識により、大きく左右されてしまう。

我々は、一人一人が明らかにつながっている。

そして、未来と過去とつながっている。

先ほどの話であるが、不安や恐怖に取りつかれた人というのは、
自意識過剰になり、周りが見えなくなってしまう。

では、逆説的に言えば、そうなりやすい人は、日ごろからの訓練として、
周りに意識をなるべく持っていくようにしたらどうだろうか。

例えば、常に周りの人を活かそう、活かそうと努力しること。

いつも、すれちがう体の弱そうなおじいさんに、
「おはようございます」
と、声をかけてみる。

いつも、周りの人の良いところを探すようにして、
そのことを指摘し、ほめてみる。

誰かが言っていたが、一年間に10万回、「ありがとう」
いうと、幸せになれるという。

そのように意識すると、常に「ありがとう」というタイミングを
探すようになる。

それと同じで、周りを活かす言葉、行動、このようなことを
日々実行する。

自分など何もない、、、。

何かとてつもない大きなモノの、ほんの一部分である。

個を強調する西洋的な思想とは、真逆なのかもしれない。

しかし、これからはどう考えても共生の時代になっていく。

そうなると、昔から狭い土地で、みんなで協力して稲作をしてきた
我々に日本人が培った思想というのは、とても必要になってくる
のではなかろうか、、、。

労働、冠婚葬祭、教育、納税、介護、下の世話まで、
村の中でこなしてきた日本人、、、。

自分の存在を薄め、全体に貢献するという思想が
長い年月の中で培われてきた。

もしかしたら、そのような生き方の方が、運がついてくる
ような気がしてならない。

posted by hide at 07:43| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年12月07日

「海賊と呼ばれた男」間もなく上映!!これは、見る価値が十分ある!!

間もなく、あの「海賊と呼ばれた男」とうとう上映される!

本の方は、義理のオヤジが持っていたので借りて読んだが、
結局、三回も読んでしまった。

幼馴染が出光のスタンドに働いていたので、
昔から燃料は出光に入れていた。

よかった、ほんと、このように体を張ってくれた
会社にお金を使うことができて、うれしい限りだ。

人間の歴史を振り返れば、今は石油文明といえる。

石油により、どれだけ私たちの生活が一変したか。

我々の生活だけではない。

社会も、そして思想も、宗教も、大きな影響を与えている。

百数十年前、アメリカで「燃える水」が発見された。

それよりも100年ほど前に、イギリスとの独立戦争に勝利したアメリカは、
「人間は幸福を追求する権利を神から与えられている」
という建国の理念をもとに、生まれたての国であった。

当時、宗教的束縛、階級的束縛から、自由を求めて、アメリカ大陸に渡った
移民たち、、、。

そこには、人間は自由だ、やりたいことをやっていいんだ、というような
思想があったと思う。

そして、それを大幅に前進させる原動力となったのが、
たまたまアメリカで発見された石油である。

石油により、いろんな産業を生み出し、より人間が活発に活動できるようになった。

これも、そして第一次、第二次世界大戦、さらに冷戦にも勝利した
アメリカは世界唯一の超大国にのし上がった。

たまたま、自由を主体とする思想で出来上がったばかりの国に、
幸運にも、それを可能にする石油というエネルギーが発見され、
その国が世界に莫大な影響力を与えることになる。

私の言いたいことは、時代時代に、いろんな思想、宗教がある中で、
その時代にあったモノが選択され、生き残っていく。

その時代にあったモノというのは、社会に莫大な影響を与える
エネルギーであるといっても過言ではない。

しかし、その石油文明もどう考えても、続くことは不可能だ。

石油にしろ、地球が何億年と地下に貯め込んだ。

それは、今、地球の歴史からすれば、一瞬で使い切ろうとしている。

石油が現れて、我々人間が莫大なエネルギーを手にしたことになる。

我々は、そのエネルギーを使い、これも地球がとてつもなく長い時間かけて、
貯め込んだありとあらゆる資源を掘り起こし、そのほとんどの原料が
後数十年で、枯渇という現実に直面するであろう。

地下水にしろそうだ。

今の近代農業や、工業を支えているのは、これも地球が長い、長い時間
地下に貯め込んだ水を一瞬にして、使い切ろうとしている。

やがて、深刻な水不足、それに伴う、食糧不足、工業にも大きな
影響を与えることになる。

石油により、人間の活動が飛躍的に拡大した。

また、その強力なエネルギーにより、爆発的に人口も増えたことになる。

このままでは、地球がいくつあっても足りやしない。

我々は、真剣に自分らが使うエネルギーに関して向き合う必要が
あうのでは、、、。




posted by hide at 07:20| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする