2017年05月06日

「己」を溶かす勇気、これって大事なのかもしれない、、、。

 なぜ、怒るのか、、、?

なぜ、悩むのか、、、?

なぜ、自分を大きく見せたがるのか、、、?

なぜ、妬むのか、、、、?

その根本を突き詰めれば、誰でも傷つきたくないと思う
我が身を思う念(自己保身)である。

では、その自己を忘れることは出来ないだろうか、、、。

人間社会の中で、自他を分別し、所有物をはっきりさせなくては
生きていけない。

しかし、その所有物って、本当にあなただけのものなのか、、、。

そして、その根本を問えば、あなたとは本当にあなたなのか、、、?

狼に生まれた人間の子どもが、狼のような風習を身に付けてしまうという。

中国人は、中国人らしく、、、。

日本人は、日本人らしく、周りに常に気を使おうとする。

最近ふと思う。

自分は無くなった祖父母の影響を受けているようだ、、、。

祖父母だけでなく、恩師、上司、先輩、友人などなど、
今まで人生の中で出会った人々の影響を何層にも何層にもうけて、
今自分という人格が形成されている。

今の時代の人だけではない。

その人たちも、親があり、先祖があり、周りの人々から、
いろんな影響を何層にも何層にも受けている。

人間には、文字と言葉が存在する。

何百年前に生きた道元さんや親鸞さんの影響を多くの人が受けて
いることになる。

「人間は著しく周りから影響を受けている」
と、ある精神科医が言っていたが、それだけ社会性のある動物であり、
けっして一人では生きて行けれない。

むしろ、「自分」というのは、昔から続く大きな大きな人間の集団意識により
作り出せれるものであり、そしてそれが次の世代にも引き継がれていく。

つまり、次の世代にも、私が生き続けることになるのでは、、、。

自分って自分であって自分でないのでは、、、。

そんなややこしいことを言っても誰も相手にされやしない。

しかし、もし日常生活の中で、少しでも自我を離れ、
煩悩が薄まれば、それはそれで人生が楽しくなる。

西洋的な「個」主張する文化では、自分は自分、他人は他人というような
心理学になってしまう。

しかし、「自分もみんな、みんなも自分」というような
村社会の中で生きてきた日本人的な考えの方が、もしかしたら
煩悩が薄まるような気がする。

朝の連ドラの「ひよっこ」、とても面白いと思うのだが、
どうだろうか?

主人公であるみね子が、蒸発してしまった父親の代わりに
高校を卒業して集団就職として、東京で働くことを決めた。

そんなみね子に、みねこの叔父が
「みね子、もっと自由に生きていいんだよ〜」
と、、、。

みね子が
「自由って、学校でも言うけど、いったい何?
私は目の前のことを精一杯やることが好きだし、
それを不自由とは思わない。自由ってよくわかんね〜」
と、、、。

私自身の経験であるが、もっと若い独身の頃、
お金も時間も今とは比べモノにならないくらい自由があった。

今では、結婚し、兼業農家である私は、
土日はほとんど野良仕事、、、。

タバコもやらない、競馬もしない、ゴルフも行かない、
飲みにもあまり行かない、しかし不自由かといわれれば、
むしろ昔より自由を感じる。

若いときは、もっと、いろんなことにとらわれていたような気がする。

つまり、自由とは心の開放ではなかろうか、、、。

その心を解放すのは、自分という意識を薄めること、、、。

人生生きていくうえで、いろんなことに遭遇する。

子どもを育てていく上で、お金の問題、人間関係などなど
いろんな試練が起こる。

しかし、それらは本当の自由を手にするためのプログラムなのかも
しれない。

だれもが、いづれあの世に旅立たなくてはならない。

その時に、怨みつらみ、悲しみ、心が占領されていれば、
本当に天国へ昇華していけるのだろうか、、、。

浮遊霊として、深い煩悩を抱えながら、永遠にこの世をさまようことに
なるのではなかろうか、、、。

江戸時代の鈴木正三は、「我が身を思う念(自己保身)」が分別の本質であると言った。

世の中は、すべてのモノがつながっている。

そして、本当の自分など何もない。

大きな大きな集団意識の中のほんの一部分であり、
そのような意識の芽生えこそ、煩悩が薄まるのでは
なかろうか、、、。

それには「己を溶かす勇気」が大事なのかもしれない。


posted by hide at 07:48| Comment(5) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする