2017年06月09日

「空」の思想とは、、、。よくよく考えれば、何もない空っぽの自分の本質、、、。

先月は、自分の誕生月。

私も、とうとう50代。

実感があるのか、ないのかと言われれば、
あるような、ないような、、、。

一つ言えることは、残りの人生、あと30年ほど、、、。

これがどれほど短く感じることか、、、。

ある人が言っていたが、
「30代より、40代、
40代より、50代、時間というモノが
ものすごいスピードで過ぎ去っていく」
と、、、。

確かにその通りだと思う。

自分の40代を振り返ると、あっという間であった。

たとえば、小学校の時の一ヵ月と、50代の一ヵ月というのは、
その体感時間というモノが、明らかに違う。

人生80年として、今50なら6割の人生が終わったということになるが、
実際、体感時間で言えば、どう考えてもそれ以上であろう。

ついこないだ、一ヵ月程度前ぐらいの感覚の正月から、
もう半年以上過ぎているという。

2017年というのが、もう半分終わったということ。

明らかに歳を重ねれば、重ねるほど、時間が過ぎる速度というモノが、
加速度がついて速くなる。

これが現実である。

そう思うと、今のところ時間からして、約6割の人生が終わったことになるが、
すでに8割以上終わったことになるのでは、、、。

そして、待ち受けているのは、「死」である。

これは何人たりとも避けることはできない。

では、現在50才ではあるが、残り少ない人生、
「終活」に入ってもいいんじゃないかな〜、とすら思う。

終活といっても、葬儀や墓のことを決めておくとか、
そういうのではなくて、人生の総仕上げだ。

ある人が言っていたが、
「人生って知恵と忍耐力をつけるためにある」
と、、、。

私は、人一倍いろんな体験もしたし、苦悩もした。

その中で、いろんな知恵もついてきたし、
昔にくらべれば、はるかに忍耐力もついてきた。

別に、特別地位やお金があるわけでもないが、
自分で言うのも何だが、なかなかいい感じに、
50代を迎えることができた。

その培った知恵や忍耐力をどのように使うのか?

あの栄華を極めた太閤殿下豊臣秀吉のの辞世
 
「「露とおち 露と消えにし わが身かな 難波のことも 夢のまた夢」

と、、、。

どんなに勲章をつけても、どんなに金銀財宝を貯め込んでも、
どんなに幸せな家族でも、最後には自分一人で死んでいかなくては
ならない。

50にもなると、いろんな人の葬儀に立ち会うことになる。

そして、最後に火葬場で焼かれ、骨だけの姿になってしまう。

大部分の人間の体というのは、そのほとんどは、
水であり空気中の二酸化炭素であり、
焼かれればその水と二酸化炭素に戻っていく。

生きているうちも、人間を構成している70%が水であり、その水が
汗や尿として、絶えず出たり、入ったりを繰り返す。

そして、人間の細胞とは、絶えず新陳代謝を繰り返し、
2年もすれば、すべての細胞が入れ替わっているという。

私の今、体の中にある水のほとんどが、もとは海の水であり、
絶えず、海と私の体を行ったり来たりしていることになる。

私の体の細胞を構成する炭素も、絶えず死んだり再生したりしているので、
空気中と私の体を行ったり来たりしている。

体ではなく、その個人の人格にしてもそうだ。

ある精神科医が言っていたが
「人間とは、とても社会性がある動物で
著しく周りから影響を受けている」
と、、、。

確かに、オオカミに育てられた少年が、オオカミのような
習性を身に着けてしまう。

中国人は、中国人らしく、日本人は日本人らしく
育っていく。

私は、二十歳ぐらいまで、祖父母と寝起きを共にしていた
おじいさんおばあさん子だ。

歳を重ねるにつれ、その祖父母の影響を受けているような
気がする。

祖父母だけではない、父母、上司、恩師、友人、
さらにすでに亡くなっている道元さん、親鸞さんなどの
影響も受けている。

もし、それらの人らに巡り合わせずにオオカミに育てられれば、
オオカミのようになっていたのであろう。

また、私に影響を受けた人も、そのまた両親がおられるし、
その人たちにも、両親がおられる。

つまり、長年続いてきた人間の意識の集合体により、
私という人格が作られていることになる。

これって、本当に「私」、、、?

ただ、有史以来、存続する人間の意識の集合体のほんの
一現象に過ぎない。

体も、本当に「私」なの、、、?

ただ、大きな水と二酸化炭素の循環の中に、体が存在するだけ
なのでは、、、。

そう思えば、「私」なんて何もないのでは、、、。

逆に言えば、海も、空気も私自身、、、。

つまり、自分というモノがあってないようなものだ。

自分なんて、すべて空っぽ、、、。

江戸時代の鈴木正三は、
「我が身を思う念(自己保身)」が分別(煩悩)の本質である」
と言ったとか、、、。

残りの人生、自身にこだわり続けるのか、
そうすればそうするほど、煩悩に縛られることになる。

あやふやな自身の評価を、他人の噂話にゆだねていては、
いつまでたっても、本当の幸福感というモノを得ることは
できやしない。

自分など何もない、空っぽ、そして世の中すべてが
つながっているということ、、、。

上手く言えないが、そのように思えた方のが、
幸せに生きれるような気がする。


posted by hide at 07:29| Comment(3) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする