とよく言われる。
私も
「何で言い返さねえんだ
とよく思うし、
「反小沢」以外では、何のとりえも無い
偽黄門のようなやつを、いつまでも
のさばらせてよいのかと、
つくづく思う。
一度、偽黄門なんかに
本気で怒れば、かなりインパクトが
あるはずだ。
実は、東北の人ってこういう人が
多いんだよね〜。
私の恩師も、秋田県出身。
その恩師も
「けっして言い訳はしない」
と言うようなタイプだ。
小沢さんと同じ岩手県出身の
東條英樹も、終戦後家族に向かって
「けっして言い訳などするな」
と、厳命していたらしい。
橋下市長のように、
もう少しディベートが上手いといいのだが、
個人攻撃はいっさいしない。
それが相手を付け上がらせ、
偽黄門のように、何度も
利用されて、何度も裏切られるハメになる。
しかし、こないだの4月20日の
「STOP!権力の暴走」国民大集会は
驚いた。
すごい熱気であり、みんな手弁当で集まってくる。
これほど、多くの国民を熱くさせる政治家が
いるのだろうか。
さらに、昨日森裕子議員らを中心に、
140名の国会議員が
小沢さんのために署名を集め、
検察のデタラメを暴く為に
立ち上がった。
昔のような中選挙区時代ではなく、
ポストもお金も小沢さんにお世話に
なっているわけでもない。
それに、検察・マスコミにやられた
同僚議員の姿を見れば、
小沢派であり続けることが、
国会議員としてどれほど、
危険なことか。
普通のいい子ちゃんの国会議員からすれば、
森ゆう子さんなど、「頭がおかしい
思えないのではなかろうか。
国会議員であれだれであれ、
自分の身はかわいいものだ。
さらに郷原さんや江川さんのような
有識者19名も、立ち上がった。
私は長年の小沢ファンであるが、
小沢さんがたたかれれば、たたかれるほど、
支持者が増えていく。
それも、「自分が何とかしなくては、、」と
思うのか、多くの人が大変な熱意だ。
普通に考えて、あんな不細工で
不器用で、しゃべりの下手なおっさんのために、
今となっては、国民的なうねりに
なりつつある。
なんでだろうか?
なぜ、みんなあんなおっさんのために必死に
なるのだろうか。
相手をけっして、非難しない。
ただじっと耐えている。
権力とは一切妥協しない。
そして真正面から、巨大な権力に挑んでいく。
ほんとう普通の人から見れば、
「頭がおかしいんではないか」と
思うのではなかろうか。
国家権力に逆らうということが
どういうことなのか、
田中角栄、金丸信など
大変身近な人がどのように
末路だったのか、
ブルドック顔のおっさんは、
骨の髄まで、よくよく分かっているはずだ。
真正面から、玉砕覚悟で挑んでいく。
いつもそうだ。
いつも小沢さんは「捨て身」だ。
こんな生き方というのは、
功利主義がはびこっている現代において
「不器用」というか「どんくさい」というか、
「空気が読めない」というのか、
けっしてなじめるものではない。
しかし、結果的に
こんな生き方を何十年と続けてきた結果なのか、
多くの熱心な仲間に囲まれている。
例えば、石原慎太郎なんかに比べても、
これほど多くの熱い仲間が彼の周りには
いるのだろうか。
もっと上手に、妥協しながら、
やる方法もあったのではなかろうか。
しかし、小沢のおっさんは一切妥協しない。
そして、自分が身を捨ててまで、
「生き様」として、多くの人に見せ付けている
ような気がしてならない。
恐れない、妥協しない、信念を貫く、
逆に言えば、不器用、どんくさい、KYとでも
いうのだろうか、
それが小沢一郎の「生き様」なのだ。
こんな生き方が、多くの人に「何か」を
気付かせるのではなかろうか。
こんな生き方が、多くのひとにマスコミの洗脳から開放し、
自分で考える力を与えるのではなかろうか。
結局は、今回の大改革というのは、
上から与えるものではけっして上手くいかない。
それよりも、自分自身で考え、
自立した精神のもとで、一人一人が社会のために
何ができるのか、真剣に考えるようにならなくては、
けっして成功するものではない。
今回の大改革の本質は
国民の意識革命だ。
権力を待たない小沢一郎にとって、
身を捨てて、戦う姿を見せ付ける。
それがどんなに無謀でも、
どんなに不利でも、サウンドバックのように
される姿を見せ付ける。
それでも、信念を曲げない。
高校のとき、ある先輩が
リンチにあっている姿を見た。
気を失いかけても、
立ち上がろうとするその先輩に
大変感銘を受けたことがある。
それと同じなのではなかろうか。
自分が身を捨てて戦わなければ、
多くの国民の心に届かない。
権力が既得権益側にある以上、
小沢一郎はいつも「まな板の鯉」。
そんな状態でも戦い続ける。
死ぬも生きるも、お天道さんが決めること。
与えられた「お役目」をただ全力でこなすのみ。
小沢さんがよく「天命に遊ぶ」とは、
このような思想なのではなかろうか。
不器用でも、自身の信念に従って行動し続ける
ことというのは、もしかしたら
ディベートの強さよりも上まわる現象が
起こるのではなかろうか。
それを、長年かけてやり続ければ、
もしかしたら、ほんとうに理解しあえる
多くの仲間にかこまれるのではなかろうか。
長年、小沢一郎という男を見てきた私は
はっきりと明言できる
「私は、小沢一郎は信用できる」。
これは心のそこからこみ上げる
ゆるぎない気持ちだ。
そのような気持ちが
例え「信者」と呼ばれても、
それほどいとわない。
それより、他人のすごさを
素直に認めれる力のほうが
はるかに尊いと思う。

