2013年11月17日

グッとくる一言!「ありがとう」の威力!

 私達夫婦は、うちの両親と同居しているが、
同居と言っても、別棟で離れに住んでいる。

母屋の方から、よく母から携帯で呼び出される。

その内容というのが、例えば
「あんた、テレビが見れんくなった。何とかしてちっ(怒った顔)
とか、、、。

そして行ってみると、アンテナからくるコードが外れているだけとか、

また
「時計が動かへんわ。何とかしてちっ(怒った顔)
とか、、、。

これまた行ってみると、ただ電池がはずれかかっているだけ。

なんだかんだいって、呼び出され、横柄に
あれやれこれやれと、用事を言いつけられる。

こないだも、仕事から帰ってきて、ゆったりしていると、
あんた、買い物行くで、乗してけ〜
というので、近くのスーパーまで、車で連れて行った。

車の中で、母親から思わぬ一言が出た
「あ〜私は幸せだ〜。ありがとな〜」

私にとっては、思いもよらぬ一言。
グッと来る、言葉であった。

思えば、うちの母の人生を振り返れば、過酷な人生だった。

農家の長男坊の家に嫁ぎ、うちのおやじの姉妹は
女ばかり。

まだ、母が嫁いだときには、妹が何人も残っていて、その面倒も見ていた。

うちのおばあさん、母の姑も、私ら孫には優しかったが
嫁である母には厳しかったらしい。

例えば、私が生まれた月というのは、ちょうど田植えの時期。

その時に、生まれて里帰りしていると、
2~3日すると、姑から電話がかかってきたらしい。
「あんた、こんな忙しいときにいつまで、のんびりしとるのちっ(怒った顔)
と、、、。

母もおばあさんには逆らえなかった。

盆、正月には、父の姉妹が子供を連れて、大挙してうちに
泊まりに来る。

その総勢が約30人。私ら子供にとって、いとこが来るので
とても楽しかったが、母にとっては、食事、風呂、布団などなど
いろいろと大変であった。

そして、母にとって、最大の苦労の種は私であった。

うちの親子のことをよく知っている幼馴染などは、
その時代を振り返って
「お前の親なら、ノイローゼになっていてもおかしくないぞ〜わーい(嬉しい顔)
と、言われる。

その通りだ。

私の行いにより、よくいろんなところに謝りに行ってくれたもんだ。

高校のときは、無期停学三回。中学のときも、学校中の有名人。
高校を出てからも、ゴーゴーと音のするような改造車がたくさんうちに集まってくる。

今思うと、針のムシロだったろうな〜。

特に強烈なイメージを持っているのは、高校入学して間もない頃の出来事。

私は、クラスメートのヤンキーをフルボッコにしてしまい、
相手は血だらけで倒れている。

そして、先生に見つかりその場で私は正座。
5時間目が始まっていたが、学校中の生徒が出てきてその様子を見ている。

そして、血みどろになった相手は、救急車で運ばれ、私も全校生徒が
廊下で注目する中、その真ん中を先生に引きずられ、救急車に乗せられる。

その後、医者から
「現在、脳内出血が5cc。20ccまで出れば、もうだめです。
とにかく今夜が山場です」

と、、、。

今思い出しても、身震いするような出来事だ。

あの時は、「あ〜俺で少年院だろうな〜」とも考えた。

何で、私が怒ったかというと、たかだか自分の友達の弁当を
彼が取ったから、程度のこと。

その友達が、泣きながら悔しがり、私のところに来た。

何がそんなに私を怒らしたのか分からないが、
とにかく、やられる前に「徹底的にやっちゃる」とでも
思ったのであろう。

その後、何とかその彼も山場を越えることが出来た。

親も、高校の職員会議で、先生方の前で平謝り。
相手の親にも、今思えば気の毒なくらい、気を使い
謝り続けてくれた。

そして、2週間ほどで彼が退院した。

そして、私の親が彼の親に、賠償のような話をしかけた時に
相手の親が、
「それはけっこうです。私の子供が悪いんです。
たかが子供のけんかです」

と、おっしゃってくれた。

今、思えば、身震いするぐらい、ありがたいことであった。

いろんなところで誤って、相手にもちゃんと誠意を見せてくれたうちの両親。

そして、「たかが子供のけんかです」とまで、言い切ってくれた相手の親。

今、思えば、私は多くの大人たちの情けで、ここまでこれた。

ありがたい限りだ。

中学のときもそうだった。

ある日、学校で爆発事件が起きた。

それを真っ先に私の友達が疑われた。

そのときも、なぜか無性に怒りがこみ上げてきた。

そして、先生を殴った。

中学に入ってから、グレはじめ、多くの親たちが
「あいつとは付き合うな」といわれる中、
何人かの幼馴染が、変わらず付き合ってくれた。

その一人が、疑われた為、怒りがこみ上げてきたのかもしれない。

今思えば、どこか、心に大きな不安を抱えてきたのかもしれない。

そんな不安定な自分が、起こしてきた数々の事件。

この年になってみて、自分の子供があ〜では、自殺も考えるかもしれない。

実際、当時、母が夜になっても帰ってこなかったときもある。

夜遅く帰ってきたとも思えば、顔は青く、沈んでいた。

最近に母から聞いたのであるが、あの時は自殺をも考え
山をさまよったという。

そんなさんざん苦労をかけてきた母が、今では
立場が逆転したつもりなのか、私をこき使う。

私は母には頭が上がらず、「分かった、分かった」と、
母の言うことは、ほとんどなんでもきく。

今日は草刈だ、今日はあそこまで送っていけ、
アレ買って来いだの、これ重たいから持て、とか
まあ〜遠慮なく、次から次へと、、、。

でも、けっこう喜んでやっている自分がいる。

そんな母が「ありがとう」、そして「幸せだ」
言ってくれた。

とても嬉しかった。

母も、70歳を超えた。

あと、平均寿命からすれば、十数年だ。

私達夫婦には、子供がいない。

その分、親が大事に思える。

もし、母がなくなれば、私にとって、かなりショックだろうな〜と、
つくづく思う。

それなら今を大事にしたいと思う。

うちの両親、嫁の両親、いずれは私達より、
先に旅立つことになる。

今というのは、永遠ではない。

諸行無常、世の中は常に移り変わる。

存在するのが当たり前と思っている親でも、
必ず死ぬ。

両親を亡くした私の幼馴染が、
「hide君、親孝行するなら今のうちだよ〜」
と、言っていた。

私は、母に日本一幸せな老後を過ごして欲しいと思う。

大げさに「日本一、、」と言っても、それを感じるのも母なのだ。

幸せを感じることが出来るというのも、それは人間力次第だ。

たとえ、人並みで小さなことにも、幸せを意感じることが出来る人も
いれば、出来ない人も要る。

多く苦悩してきた人間には、その能力が十分あると思う。

苦悩の多い人生だが、もしかしたら、すればするほど、
幸せを感じる能力が付いてくるのかもしれない。
また、人に幸せを与える力が付いてくるのかもしれない。

そう思えば、すべてのことが無駄ではないのかもしれないね〜。

posted by hide at 20:33| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:


この記事へのトラックバック
×

この広告は90日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。