2016年08月28日

死後、「やがて地球の一部になる!?」、、、。週刊ポストの記事、おもしろかった!!

今回も「死」とか「あの世」とかの考え方についての
記事を紹介しようともうが、なんとなくこんなことを
書くと「こいつ宗教くさいな〜」とか、思われるかもしれない。

しかし、私もあなたもいずれ死ぬ。

父や母、かわいがっている我が家の犬もいづれ死が訪れる。

諸行無常であり、今、当たり前のことも、いずれは当たり前で
なくなる。

我々は限られた命、限られた時間の中で、過ごしている。

そう思うと、今、この時が大事に思うのではなかろうか。

あの栄華を極めた豊臣秀吉も辞世として、
「露と落ち 露と消えにし 我が身かな
浪速のことは 夢のまた夢」
と、詠んでいる。

あの巨大な大阪城も、金銀財宝も、多くの家臣団も、
すべてこの世に置いて、たった一人であの世に旅立っていった。

あれがほしい、これがほしい、こうなりたい、ああなりたい
人間いろんな願望があると思う。

しかし、どうあがいても、いずれはあの世に行く身の上、、、。

そう思えば、世の中の見方がまた違ってくるのではなかろうか。

求めるものが、変わってくるのではなかろうか。

少しでも、心の贅肉を落とし、限られた時間、
限られた命をめいいっぱい使い切りたい。

自分の死を認識するということは、
その「死」と真逆の「生きている」ということが
浮き彫りにされる。

ちょっと、前置きが長くなってしまったが、週刊ポストで
とてもいい記事が載っていたので、是非とも紹介したい。


死後の世界がわかれば生きるのも辛くなくなる
本気で考えてみた
「あの世」の大研究

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 臨済宗の僧侶で作家の玄侑宗久氏によれば、日本人が
「死」の概念を持つようになったのは、仏教伝来以降のことだという。
 「『万葉集』や『古事記』などには『死ぬ』という言葉はなく
『避(さ)る』という言葉を使っています。”どこかに行く”という
イメージで、『死』とはちょっと違うでしょう。6世紀半ばに
仏教が火葬の風習とともに入ってきて初めて、”体が灰になる=死”と
いう概念に触れたように思います。ポイントは、当初日本に伝来した
仏教は、中国の『輪廻』の概念を外されたものだったことです」
「輪廻」は、死んでもこの世のどこかで次の生が始まるという概念だ。
だから体を取っておく必要がなく、火葬しても構わないことになる。
後に輪廻の考え方も日本に伝わることになるが、当初は伝来の過程で
輪廻という概念が外され、火葬という形だけが残っていたという。
つまり「次の生に対する保証が何もないのに、体は燃やされてしまう」
(玄侑氏)ことになったのだ。
「このため、平安初期の説話集『日本霊異記』などを読むと、
『頼むから9日間は燃やさないでくれ』とか『腐敗が進んで諦めが
つくまでそのまま置いておいてくれ』という貴族がいっぱいいたんです。
そういう状況下に、救世主のように現れたのが浄土教でした」(玄侑氏)
 浄土教では死ぬことは「往生」、すなわち「浄土に往って生きる」
ことを意味する。
 この考えは『万葉集』や『古事記』の『逝る』という表現にピッタリと
合う。『ああ、死んでも大丈夫なんだ』と人々が思ったことで、浄土教は
燎原(りょうげん)の火の勢いで広がっていったんです」(同前)
 死後どうなるかという”ビジョン”が人々を救ったという解説だ。
 さらに玄侑氏は「あの世」という表現が定着していることにも
注目する。
「『あの世』という言葉は仏教ようごではなりません。日本人にとって
の死後の世界は、どうも”昔いた懐かしい場所”という感覚のようなんです。
『あの世』といった時に、誰も『どの世?』とは聞かないでしょう?
『あ〜、あれね』という暗黙の了解が前提にある気がします。浄土教に
置ける浄土は、”十万億土の彼方”といわれますが、日本人にとっては、
”身近な自然の奥のほう”というようなイメージが形づくられてきたの
ではないでしょうか」

「やがて地球の一部になる」!?

だが、こうした日本人の「あの世観」は、他の国とは違っているようだ。
中央大学大学院教授で宗教学者の保坂俊司氏がいう。
「日本人は古くから、奇岩に神が宿ると考えたり、コブだらけの樹に
霊的なモノを感じたりしてきましたが、そこに宿る神は世界を創造した
神ではなく、死者の霊などです。しかし、樹木に神が宿るといわれても、
砂漠地帯の人にはわからない。このように、ある地域に住む人なら理解し
共感できるものを民族宗教、世界中のどこにいていも受けれれられる
ものを普遍宗教です」
 その普遍宗教では「あの世」をどうとらえているのだろうか。
「2つの普遍宗教(キリスト教、イスラム教)のもととなった
ユダヤ教では、人間には神を裏切った”原罪”があり、この世は罪滅ぼし
の世界だと捉えています。ここで神の教え通りの良いことをすれば
許してもらえて、天国に行ける。この考えは、派生したキリスト教にも
イスラム教にも継承されています。ただ、この世の位置づけは
少しずつ違っていて、キリスト教では『悔い改めよ』というストイックな
面が強調され、イスラム教では礼拝やランダンなど罪の償い方が全部
決められている。しかしいずれも『一回起生』といって、生きるチャンスは
一回しか与えられていません。だから厳しいのです」(保坂氏)
 これに対して仏教では、人間は「輪廻転生」し、生前の行いで次に
生まれる世界が(来世)が決まると考える。しかし、転生はあくまでも
極楽浄土などの理想の世界に行くための通過点だ。ここが
ユダヤ教系の宗教と大きく異なる。ただし、そうした普遍宗教の底流には
共通するものがあるという。
「天国とは来世がないと、この世での倫理が成り立たないという考えです。
簡単に言えば悪いことをしても、死んでしまえばそれまでということに
なってしまう。生きている世界は不安定さを乗り越えたい。その意味で、
人類にとって宗教は不可欠なモノです」(保坂氏)
 "死後どうなるか”が示されることで、”どう生きるか”が見えてくるわけだ。
 キリスト教やイスラム教の「天国」のあり方は少しずつ違っている。
「キリスト教の場合、『光の世界』といった抽象的な表現しかありません。
一方、イスラム教では、いくら飲んでも酔わない酒だとか、縁があふれて
川が流れているなど、砂漠の中のオアシスに住む貴族の世界のイメージが
『コーラン』に書かれています。中には、”いくら抱いても処女の女がいる”
といった記述もありますよ」(保坂氏)
 宗教と切り離せたところでも、「あの世」に関しては様々な考察がある。
元京都大学帷幕部付属病院救急部・集中治療部部長で東大名誉教授の
矢作直樹氏は、「死とは何か」について次のように語る。
「我々の目に見える肉体はあくまでも三次元の存在で、人間の意識は
目に見えるものとは別の高い振動数の粒子の集まりと考えられます。
ただし、生きている間は意識は肉体とつながっている。人が死ぬことは、
肉体と意識のつながりが切れ、意識が肉体を出ていくことを意味します。
意識は肉体を離れれば自由になる。痛みも苦しみも感じることは
なくなります。ですから、死ぬことは決して怖いことではありません」
 他にも多様ない見方がある。(あの世ではまず、自らの人生を
振り返る映像を見る)(あの世はすべて自己管理の世界。タラタラ
過ごしても起こられない) そんな広告宣伝文が全国紙に掲載されて
話題の『聞いてビックリ「あの世」の仕組み』(東宝出版)の著者で
ライフアドバイザーの松原照子氏は、「不思議な世界から来た方々」に、
「死後の世界」のことを教えてもらっていたという。
 「人は死を迎えてもすべてが消滅してしまうわけではありません。
意識が体とお別れするということだそうです。体とお別れする
ときには痛みを伴いますが、天寿を全うして老衰で亡くなる場合は
『十分生きました』ということで心地よい痛みを覚えるそうです。
自己の場合は痛みは感じますが、体と別れたことを理解すると
痛みは治まるそうです。
 意識が肉体から離れると光の衣が現れ、それを纏うと次の場所に
導かれます。それが『あの世』です。あの世ではまず、自分の生前の
道のりを繰り返し映像で見せられるので、過ちを反省し、後悔する
そうです。そうして様々な欲から開放され、やがて自分は地球の
一部なのだというこに気づかされるそうです」
松原氏の"独自の説”をまとめた本に注目が集まるのは、人々が
それだけ「あの世」に興味があるということの証左だろう。

魂の重さは[21グラム」なのか

一方、化学の視点で言えば、そもそも「生」と「死」の境目は、
はっきり断定できないところもある。前出・大津医師がいう。
「便宜的に心停止、呼吸停止、瞳孔散大を一つの区切りとしていますが、
生物が心停止した後でも脳波の変化はありますし、すべての細胞が
死んでいるわけではなく、生きている部分もある。どう捉えるかは
実は非常に難しいところなんです」
 その上で大津氏は臨死体験者が見た「あの世」についてこう考える。
「最近ではラットの実験で、亡くなった後の数十秒間は脳波の活動が
活発になるといわれていて、臨死体験に関係している可能性があると
話題になっています。最後にぬくもりを見せてくれる脳の働きが
観測されているのかもしれません」
『霊はあるか』(講談社)の筆者で、自らも臨死体験がある立命館大学
橋上の安斎育郎しは「科学者の立場」という前提でこう話す。
「死んでだら無に帰す。例えば体重の18%を占める炭素原子は、
死んで焼き場で焼かれれば二酸化炭素となって飛び散っていく。
科学的にはそれだけです。残念ながら、死後の世界はない。でも、
それを思い描くのは人間の自由です」
 100年以上も前に遡るが、アメリカ・マサチューセッツ州の医師・
ダンカン・マクドゥーガル博士は人が死ぬ瞬間の体重を計測し
続け、死ぬと体重を測定し続け、死ぬと体重が21グラム減ることを
発見した。そしてそれが「魂の重さ」だと結論づけたのだ。この説は
現代科学では否定されているが、『21グラム』は03年公開の
心臓移植をめぐる映画のタイトルにもなった。
 それはつまり人間の魂や「あの世」への関心は科学的な知見の
発展とは別のところで存在し続けていることを意味する。
「あの世」がどんなものかを考えることが一人ひとりの「この世」
に与える影響は決して小さくないのだ。

非常に面白い記事だ。

「我々の目に見える肉体はあくまでも三次元の存在で、人間の意識は
目に見えるものとは別の高い振動数の粒子の集まりと考えられます。
ただし、生きている間は意識は肉体とつながっている。人が死ぬことは、
肉体と意識のつながりが切れ、意識が肉体を出ていくことを意味します。
意識は肉体を離れれば自由になる。痛みも苦しみも感じることは
なくなります。ですから、死ぬことは決して怖いことではありません」
と、、、。

この考えって、いいと思う。

そして、その肉体から離れた「意識」が大きな地球と合体していく。

体は、おもに二酸化炭素と水でできている以上、
その炭素はそこにある雑草だったのかもしれない。

私の中にある水は、もしかしたら、あなたの体の中に
あったのかもしれない。

人間の体内には、60兆もの細胞があるという。

その細胞は、崩壊と再生産を繰り返し、二年ほどで、
総入れ替えされるという。

生きているうちも、私たちの体は、
水と二酸化炭素の地球規模の循環の中にある。


では、「意識」はどうなのか?

オオカミに育てられた子供は、オオカミの習性を身に着けてしまう。

中国人なら中国人らしくなる。

日本人なら日本人らしく、周りの目を気にする性質になる。

我々の人格とは、実はそこに住む大きな社会の文化、風習により
作られていく。

最近ある法事に行ったら、親戚のおばさんが、
「あんた、死んだおじいさんと言うことが似てきたね〜」
と、言われた。

おじいさん、おばあさん、父、母、兄弟姉妹、叔父や伯母、
先生、上司、友人などなど、多くの人から影響を受け、
何層にも重なって、今、私という人格が形成されている。

また、人間社会には「文字」がある以上、
何百年前に生きていた道元さんや親鸞など、そういう人たちの
影響を受けていることになる。


人間とは、非常に社会性のある動物で、
ある精神科医は
「人間は、著しく周りから影響を受けている」
と語っておられた。

馬や鹿は、産み落とされてすぐに立ち上がり、歩き始める。

人間が歩き始めるまでには、それよりかなり時間がかかるのであり、
一人前になるまでには、20年もかかる。

その期間、多くの人から教育を受けることになり、
社会に出てからも、社会人として、いろんなことを周りから
学ぶことになる。

狼に育てられれば、狼のような習性を見につけてしまう人間の人格とは、
結局は、長いこと築き上げられた人間社会の集団意識により、
作られることになる。

この肉体も、細かく見れば、地球規模も規模の大きな二酸化炭素と水の
循環の中になる。

意識(人格)も、長い間築きあがられた人間社会の集団意識により、
作られる。

自分って、いったい何なのか?

もしかしたら、「自分など何も無い」のではなかろうか?

又吉さんがある番組の中で
「みんなが自分、自分がみんな」
と言っていた。

自分自身も、人間社会の中で、生きていく以上、
多くの人と摩擦を起こしながら、周りの人に影響を
与えることになる。

そうなると、わずかではあるだろうが、
人間社会の集団意識に影響を与えていくことになる。

「個」を強調する西洋的な思想と、「個を薄める」
日本的な思想と、今後どちらが主流になっていくのか?

共生の社会に移っていく以上、思想というのも、
大変重要になってくる。

むしろ「個を薄める」思想でないと、共生社会は
成り立たない。

今だけ、自分だけ、お金だけの考えから、
社会に「信用」を再構築し、共に生きる社会・思想を
築きあげなければならない。

そうなるためにも、自分はやがて死ぬということ、
死んだ後、どうなるのか、
また、我々は、体も心も、大きな循環・再生産の中にあるということを
よくよく認識する必要があるのでは、、、。


posted by hide at 10:13| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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