2016年10月01日

「守られている」、「導かれている」という感覚、これって大事なように思う。

朝の連続ドラマ、「とと姉ちゃん」、今日が最終回だった。

とても、面白かった。

昨日の放送で、名物編集長の花山さんが亡くなり、
その後、「あなたの暮らし」が戦後の人々の生活を
向上させるのに貢献したということで、賞をいただくことになった。

そのいただいたときに、とと姉チャンであり、
あなたの暮らし出版の社長である常子が
テレビに出演し、インタービューを受けるシーンがあった。

出演前、緊張する常子、、、。

自身の右肩をなぜながら、
「花山さん、どうしたもんじゃろの〜」
と、語りかける。

その一日前の放送のときに、花山さんの体が
悪化したときに、常子が病院に見舞いに行った。

その時、常子が
「花山さん、もし、花山さんがいなくなったら、
私達はどうなるんでしょう?」
と、不安そうに花山に語りかける。

花山が
「大丈夫、僕がいつもついているから。
私が常子さんの右肩について、君が、『どうしたもんじぇろの〜』
語りかけたときに、必ず支えるから、、、」
こんな内容のことを、語っていた。

誰かが、自分を守ってくれている、導いてくれている、
そんな感覚って、私は大事だと思う。

人間って、その人生において、何度も何度も
このような場面ってあると思う。

緊張し、不安になり、それでも、一人で向かっていかなくては
ならない。

そんな時に、常子のように
すでに亡くなった常子の恩人である花山が
「私が亡くなった後も、君を守り続ける」
というようなことを語ってくれたもしかしたら、
大きな心の支えになるのでは、、、。

これは、ある意味宗教教育のようなものであるが、
宗教でも、もし現代社会において、使えるのであれば、
それを利用する価値は十分にあると思う。

私も有名なおじいさんおばあさん子であった。

おじいさんが、病気になる、私が20歳ぐらいまで、
おじいさん、おばあさんと一緒に寝起きを共にしていた。

そんな祖父母が毎晩、私に対して言うことは
「ご先祖さんが守っとってくれる、氏神さんが守っとってくれる」
というような宗教チックなことを語っていた。

そんな祖父母が、今では亡くなって、私の「ご先祖さん」に
なられた。

そして、そのおじいさん、おばあさんと寝起きを共にした
我が家の離れで、今、私が暮らしている。

ここは、おじいさん、おばあさんがとても苦労して建てた
離れだ。

「牛坊かってね〜、それを毎日、豊田の街まで運んで、
それでこの座敷が建ったんだよ〜」
というようなことを何度も、何度も語っていた。

そんなこの離れで住んでいると、どこかに祖父母と共に
生きているような気持ちなる。

おじいさん、おばあさんが自分にいつもついていてくれる、
そんな気がしてならないが、しかし、そのような感覚が
幾度も私を助けてくれたような気がする。

あるラジオで語っていた話、、、。

二人のおばあさんが、一緒に働いているようであるが、
働き者のHおばあさん、要領がよく、上の人がいるときしか
働かないKおばあさん、、、。

働き者のHおばあさんが
「あんた、神さんが見てるよ〜」
と、いってもそんなことは、おかまいなし、、、。

しかし、お金にはエネルギーがあると思う。

しっかり働いて、稼いだお金というのは、
それなりにパワーがあり、その価値が分かり、
大事に使うであろう。

要領よく手にしたお金というのは、そのお金に対して
そのような意識しかなく、それなりの使い方になってしまう。

また、そのような生き方というのは、
周りの人にも影響を与える。

そのKさんのお子さん達が、いい年なのに、働こうとしないらしい。
そのお孫さんもそのような感じとのこと。

そして、そのおばあさんであるKさんの稼いだお金に
依存して生活しているとのこと。

ある精神科医が言っていたが
「人間とは、著しく、周りの人から影響を受けるもの」
とのこと。

それが、とくに影響を受けるのは、親であり、上司であり、
先生であり、先輩であり、自分よりも強い立場に
ある人の影響を受けるように思う。

親の生き方というのは、その人にとって、
それが標準的な生き方になり、知らず知らずに、
その影響は大きいと思う。

その時に、「神様が、見ている、ご先祖さんが見ている」
という感覚があると、自分を律する気持ちが生まれる
のではなかろうか。

科学が発展すると同時に、宗教というモノが
どうしても胡散臭いような感覚を持つようになった。

確かに、いろんな事件があったし、宗教的な対立が
大きな戦争を引き起こしてきた。

しかし、個人として、誰かに守られている、
誰かに導かれているという感覚、これって十分使えるのでは、、、。

また、亡くなった人は、大抵の場合が、
みんないい人として扱われやすい。

自分の大事なお子さんやお孫さんに
「私が死んでも、あんたを守っているからね」
なんて、語っておくと、その人たちの
窮地を救うことになる可能性が生まれるのでは、、、。

新興宗教などの月謝が馬鹿高い神様に頼らずとも、
身近な亡くなった祖父母、父母などの身近なご先祖さんでいい、
また近くの氏神さん、いつも見かけるお地蔵さん、
そんな身近な存在の方が、自分を守ってくれている
というように感じることができるのでは、、、。

困難をどのように乗り越えていくのか?

それが、何度も何度も訪れるのが人生であり、
そこで知恵と忍耐を学ぶのが人生であると
斉藤一人さんがいっていた。

そんな時に、自分に優しかった人たちが、自分を
守ってくれていると思えるようになれたら、
勇気が沸いてくるのでは、、、。

とと姉ちゃんの最終回、亡くなったとと(父)が
常子の前に現れた。

そして、常子に対して
「ここまでくるのに、よく頑張ったね〜」
と、ほめてくれた。

イメージとして、もし亡くなったときに
多くのお世話になった人たちが、自分を出迎えてくれて、
「よく頑張った、よく頑張った」
と、言ってくれるような人生にしたいとふと思う。

とと姉ちゃんもいい、作品であったように思う。



posted by hide at 10:21| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:


この記事へのトラックバック