2017年01月04日

長州・維新回天の謎!? 功山寺の坂を駆け上がってきた若者たちを動かした思想とは、、、。

今年も毎年の恒例であるが、この年末年始、
義両親の住む山口県へ大旅行、、、。

もう何年も続けているが、かなり山口県内も見て回った。

今回は、あの維新回天挙兵の功山寺へ行ってきた。

写真を取りまくってきたが、今、デジカメの操作を間違えて、
すべて消してしまった。ほんと、新年早々自分のアホさかげんには
あきれるばかりだ。

気を取り直し、文字だけで書き上げようと思う。

高杉が挙兵を決意し、この功山寺の坂を数十人の若者がその時に
駆け上がってきたという。

しかし、その若者たちがどういう思いだったのか?

ふと思いにふけながらその坂を見つめていた。

当時の長州といえば、まさに絶体絶命!!

禁門の変で敗れ、その後15万の大軍が長州に押し寄せて
来ていた。

その状況を見て、長州藩内の幕府への恭順派が実権を握り、
次々の改革派の重臣が死に追いやられていく。

そして、長州の窮地はまだある。

この時期、攘夷を実行し、その報復として
イギリス・フランス・オランダ・アメリカの列強四国の
連合艦隊によって攻め込まれ、完膚なきままにたたかれた。

そんな状況での高杉の功山寺での挙兵、、、。

功山寺に、数十名の若者が集まったが、みんな不安げな顔をしていたという。

そんな若者の前で、雷のごとき高杉の大演説、、、。

さらに攘夷派の三条卿に対して、

「長州男児の肝っ玉をお目にかけまする!あとのことよしなに
お願い奉りまする!ではごめん」


と、言い残して立ち去ったという。

のちに、総理大臣にまで登りつけた伊藤博文が高杉のことを
「動けば雷電の如く、発すれば風雨の如し。衆目駭然として
正視する者なし、これ我が東行高杉君に非ずや。」
とも評したという。

この意味は、
「動けば雷電のようで、(言葉を)発すれば風雨のようで
ある。多くの人はただ驚き、正視できる者はいない。
これが我らの高杉君なのである。」


とのこと。

さらに、伊藤公は
「私の人生において、唯一誇れることがあるとすれば、この時、
一番に高杉さんの元に駆け付けたことだろう」
とも言う。

人生において、何度か、自身の人生をかけて
大勝負する時ってあると思う。

そんな時、一番大事なのが、決断力であると思う。

いつまでも悩んでいてもしょうがない。

いつまでも迷っていてもしょうがない。

どこまで、腹がくくれるか、、、。

どこまで、開き直れるか、、、。

腹がくくれれば、行動するのみ。

槍でも矢でもかかってこんかい!全部引き受けたる!!
ぐらいに思うと、死中から活路が開けることがあるような気がする。

これは、大げさかもしれないけど、勇気を出して、
一歩進むこと、これって日常的な小さなことでも、
とても大事ではなかろうか。

一歩進めば、新しい視界が開ける。

小さな一歩による新しい視界の積み重ねが、とても大事なのかもしれない。

話しがそれてしまったが、ではこの時、高杉の心境はどうだったのか?
功山寺の坂を駆け上がってきた若者達の心境はどうだったのか?

その辺りが知りたくて、萩博物館まで足を伸ばした。

このような博物館に行くと、年配のボランティアで解説してくれる人と
話すのがとても面白い。

いつもでたっても、話が尽きない。

学芸員の人もいるにはいるのだが、立場上、好きなことが話せないのか、
話が硬く、視野の狭い話しになりがちだ。

その点、ボランティアの人と話すと、
「こんな可能性もあるのではないか?」
「こんな視点から、見ることもできるのでは、、、」

とか、色々話がふくらみ、いつまでも話がつきない。

萩博物館にも、そのような面白い人がいたので、さっそく
高杉の功山寺の挙兵のことについて聞いてみた。

「あれは、まさに高杉の特攻ですね〜。
もう絶体絶命の死ぬ気だったんでしょうね〜。
その後、長州のほぼ全農民が高杉に味方することになり、
その時高杉も『勝てる』と思ったらしい」

と、おっしゃっておられた。

『勝てる』と思ったといっても、長州内の幕府恭順派に勝てると
言う意味であろうし、まだこの段階では、幕府をも倒してしまう
回天につながるとは、思っていなかったと思う。

その後、奇跡のような幕府に対しての勝利が続いていく。

その時には、若杉の体もかなり病み、倒幕が成し遂げられるときには
この世にはいなかった。

もう一つ、なぜどう考えても勝てるとは思えない高杉に
数十名の若者がついていったのか?

これは、歴史を知る我々からすれば、当たり前のことであるが、
このような絶体絶命の境地に、あえて付き従う人が
数十名もいたということは、驚くことではなかろうか?

確かに迷いもあったのは、当たり前。

この時、伊藤ですら、死を覚悟したであろうし、のちに総理大臣にまで
上り詰めるような「運」が開けるとは、思っても見なかったと思う。

長州の毛利家を振り返れば、本来関が原での優柔不断な行動が
もとで、120万石からその4分の1ほどの石高に格下げになって
しまった。

いざというときに、トコトン行動しないと、とんでもない
冷や飯を喰うことになる、これは関が原以来の長州藩の教訓、、、。

それに、奇兵隊にしろ、力士隊にしろ、その大半が下級武士か、
農民である。

それらの隊というのは、自身の大志を抱き、その可能性が開ける
道だったのかもしれない。

もし、幕府が力を回復し、幕府恭順派が実権を握り続ければ、
その芽が摘まれることになる。

ある意味、この長州の内戦とは、

幕府に恭順か?、それても戦うのか?というモノと、
既存の武士と下級武士の価値を示す戦いだったのかもしれない。

ただでさえ、百姓の中には関が原で敗れる前は
「今は、こげな貧乏をしちょるが、我が家だって、昔はけっこうな大禄を
もらっとった武士の家だったんじゃ〜」
というような意識が強いような気がする。

それに、毛利家自身の始まりが、安芸の国の豪族集団組合のような存在だった。

だから、平等意識が強く、他の藩では考えられないような下克上が簡単に起こる。

さらに萩博物館で聞いた話だが、毛利家は江戸時代を通して、
同じ殿様であった。もし、他の人が殿様になれば、自分たちの
権利や身分が台無しになってしまうという恐れが農民の間で
強かったらしい。

そりゃ〜、そうだと思う。

「関が原の折には、徳川に恭順したために、だまされて
あのような目にあわされた。そんなの真っ平じゃ〜。
高杉のいうことの方が、お〜ちょる〜。」


こんなような感情になったのではなかろうか。

当時の武士というのは、かなり官僚化していて、
果たして戦いのときに役にたったのだろうか。

逆に武力が強ければ幕府に目を付けられ潰されてしまうし、
怪我でもすればそろばんが使えなくなる。

例えば、なぜ浪人や百姓の集まりである新撰組が
京の街を守る為に、臨時採用という形で雇われたのか?

本来、それは武芸を生業としている、武士の仕事である。

江戸時代、会津藩や薩摩藩など、一部を除いて「武芸」というものを
かなり弱体化されたようだ。

長州でも、実際に戦ってみれば百姓の方が強かったということになる。

それに、鉄砲を主体とする戦いにおいて、鎧兜に槍というような武士の
価値がかなり縮小されてしまったのでは、、、。

そのようないろんな事から、長州の百姓達は、
俺達でもやれる、腰抜けの武士ではだめだ。俺たちが何とかしなくては
ならない、、、というような意識があったのでは、、、。

さらにそのような意識に火をつけたのが、吉田松陰ではなかろうか、、、。

松蔭の思想を突き詰めれば、百姓も武士も関係なく、
大志を抱き、この国のために命を駆けろというような思想なら
平等思想につながっていく。

それがかなり多くの若者を引き付けた根本ではなかろうか。

百姓が武士と共に、塾で学ぶ、そんなことってそうはありえない。

明治維新には、いい面と悪い面があり、その時代によって、
その評価も大きく変わってくると思う。

一つよい面を取り上げるなら、身分制度の
大シャッフルという意味では、多くの優秀な人材を
いろんな部署に投与できたのではなかろうか。

それが、日本の躍進にとてつもない原動力になったことは、
間違いないと思う。

江戸時代なら百姓が将軍になることは絶対にない。

いろんなしきたりに縛られ、いくら優秀であっても、
かなり身分制度に阻害されていたというのが事実であろう。

それが実際に、勉強がよくできれば、官僚にもなれる、
大将にもなれる、会社を興すこともできる。

さらに、長州藩全体で、尊王の意識が強かったという。

それは毛利家が天皇家の流れだということのようだが、
私が思うにはこういうことではなかろうか。

江戸時代を通して、朱子学が奨励された。

主君に忠義を尽くす、このことにより秩序が保たれ、
世の中を安定させようと幕府の狙いであろうが、
その主君というのが、極めれば極めるほど、将軍ではなく、
天皇のほうに思想的に重心が移されていく。

それが幕末の全国的な風潮であった。

とくに、江戸時代を通じて、幕府に対して押さえつけられてきた
長州藩には、そのような思想が強かったのだと思う。

長州には、回天の下地があった。

そして、その回天に火をつけた男が高杉晋作であった。

もし、あのような過激な男が、その後生き残っていたら、
もしかしたら、その後の長州も、新政府もかなりもてあますことに
なるだろうが、そこから天性の大調整役、桂小五郎が後を引き継ぐことになる。



posted by hide at 12:07| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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