2017年01月06日

日本の「縮小と循環の文明」、、。その日本人が未来文明の先頭に立たなければ、いったい誰に立ってくれと言うの か、、、。

今日の中日新聞一面に

炭素繊維材 車向け量産

 航空機用などリサイクル

 東レ・豊田通商 年内にも 


このような記事が載っていた。

かいつまんで言えば、東レが航空機などに使われる炭素繊維複合素材
(CFRP)のリサイクル事業に参入し、自動車向けの再利用炭素繊維を量産
する方針とのこと。

そのCFRPとは、樹脂と炭素繊維で構成されており、熱分解により処理し、
その際にガス化した樹脂を燃料として活用すると、通常に比べ、10分の1の
エネルギーですむとのこと。

炭素繊維は、鉄よりも強さは10倍。重さは4分の1なので、かなり車の軽量化に
つながり、燃費向上を飛躍的に伸ばすであろう。

今日は、そのことを語りたいのではない。

このように、モノをトコトン使い切ろうとする日本人の発想って、
世界から見れば、とても特異的なことらしい。

最近、「日本史の謎は「地形」で解ける」など、竹村公太郎氏の著書に
はまっている。

その中で、竹村氏がエジプトへ行った時の話。

エジプトの首都カイロの中央駅で、ボロボロの列車が放置されていたとのこと。
その列車は、ホコリをかぶり、ドアは空きっぱなしで、窓ガラスは割れている。
明らかにもう何年もそこに放置されているようだったという。それも、カイロの
中心駅だ。

電車だけではなかったという。空港でも大型飛行機が胴体を傾け、ホコリをかぶり
放置されっぱなし。

これは、エジプトだけではないようだ。

米国のアリゾナ州にも、いわゆる「飛行機の墓場」に、
古くなった4000機の飛行機が、砂漠に放置されているとのこと。

エジプト人と米国人は、言葉も宗教も違うが、モノを捨てるという感覚において、
根っこは一緒のようだと、、、。

それは、「移動する民族」と「移動しない民族」とで、竹村氏は説明していた。

狩猟や遊牧など移動する民族は、最小限のモノしか携帯しない。軽やかな身支度で、
素早く移動し、新しい土地を征服していく。そして、そこで必要なモノを手に入れる。
彼らにとって、大切なことは、敏速に移動し、瞬時に新しい土地を制圧すること。
その為、不要なモノは捨て、放棄したものは人々の意識から去り、ホコリをかぶり
砂に埋もれて姿を消す。それが、移動する民の行動様式らしい。
その思想的な遺伝子が、21世紀になっても、引き継がれているとのこと。

それとは、真逆にユーラシア大陸から200組にと出された日本。
、激しい海流が流れる海峡に隔離され、独自の文明を育んできた日本人は、
かなり世界から見れば特異的だ。

さらにその内部を見ても、中央には、背骨のような山脈が走り、激しく流れる無数の川が
存在し、平野には湿地帯が広がる日本では、その土地土地の文化が形成されやすい。

その湿地帯で、我々日本人は3000年前から、稲作を開始した。

米は富であった。さらに保存がきき、お金の代わりにもなった。
しかし、その労働は、過酷であった。川から水を引き、硬い土を起こし、
苗を植え、水の管理、雑草を除く、洪水を防ぎ、稲刈りと、
むしろ狭い土地にへばりつきながら、過酷な労働のもと、集団で生きてきた。

そんな各々の隔離された土地で、外部から資源が投入されることはなかった。

だから、すべてのモノを徹底的に有用な資源とした。

例えば、「着物」である。

植物の綿から作られ、何十年使われた後、布団の布に再利用され、さらにその何年か後、
座布団の布へ。さらに何年か後、下駄の鼻緒や雑巾となり、何度もその姿を
変えて再利用されていく。そして最終的には、燃やされて田畑の肥料として、
栄養分となっていく。

輪廻転生の日本人の思想とは、そのような実生活と結びついていたのであろう。

付け加えるなら、日本には、エジプトや米国のように、不毛の砂漠のような
広大な土地がない。そのため、飛行機などを放置する場所などない。

むしろ、狭い土地をトコトン有効活用してきた。

また、日本の大地は、土壌が豊かで、余った土地でも、
田畑に変えられる。森林も貴重なダムであり、森林が損失すれば、
たちまちに水害が発生してしまう。

無駄なモノを放置できないし、捨てる場所が限られている以上、
それをトコトン再利用を考えるしかない。

そんな条件で、暮らしてきた我々日本人。

元米国務長官のキッシンジャー氏が次のようなことを語っていた。

「その国を知りたければ、その国の気象と地理を学ばなければならない」

と、、、。

国土の70%森林で、大変高低差のある大地。そして、梅雨の時期には
集中して降り注ぐ雨水は、狭い平野に押し寄せる。

その雨水を治めながら狭い平野に張り付き、過酷な労働を
共同作業で数千年もの間こなしてきた。

さらに、外国とはほとんど閉ざされ、侵略することもされることもなく、
国内においても、河川・山脈・湿地等で他の地域に移動がしづらかった。

そんな環境・風土の中で、独自の内向きの文化を我々日本人は、
長いことかけて、育んできた。

他の地域とは、大きな違いがあり、むしろ特異的な文化ともいえる。

今は、明らかに石油などの化石燃料をベースにした
石油文明といわれている。

人間は、莫大なをエネルギーを手にして、たいへん豊かになった。

それ以前は、採掘が不可能であった世界中の資源を
その莫大なエネルギーのおかげで、掘り起こせるようになった。

それから、すでに百数十年が過ぎようとしている。

今、急激に、いろんな資源が枯渇しようとしている。

2005年愛知万博が開催された。

焼き物の産地、愛知県瀬戸市では、各家庭から排出される
廃陶磁器を回収し、それをパウダーにして、50%と原料として
再利用する「Re瀬ッ戸運動」が展開された。

その時、回収された廃陶磁器を見て驚いた。


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なんと、まだまだ、使えるものがいっぱいある。

明らかに新品のお皿が何枚も捨ててあったり、新品のノリタケの
高級マグカップまで捨ててあった。

そして、千年以上続いた焼き物の産地の愛知県瀬戸市が
今、大変な危機に直面している。

それは、粘土原料の枯渇である。

白さといい、可塑性といい、当たり前のように存在した
世界最高峰と言われた瀬戸の粘土が、あと数年で
枯渇してしまう。


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これは、昔の焼き物を作るまでの工程だ。

手掘り原料を掘り、籠に担いで運び、足で捏ね上げ、
手引で成型し、薪で焼成していた。

しかし、今では大型シャベルで掘り起こし、
掘り起こしたついでに、ダンプカーが待機し、
その荷台に積んで運び出す。

各工程が機械化され、焼成もプロパンガスや重油だ。

シャベルもダンプもうすべて、石油で動く。

機械化された機械の原料も、化石燃料がなければ、
掘り起こせられない。

そして、薪ではなく天然ガスや重油などで焼成。

大量に資源を掘り起こし、大量生産し、その果てには
資源の枯渇、、、。

今、枯渇がささやかれている掘り起こされた粘土鉱山跡地に、
焼き物などの大量の産業廃棄物が捨てられている。

その中には、まだまだ使えるようなモノも多く含まれている。

ダンプもシャベルも、機械への設備投資も、お金がかかる。

モノがどんどん売れていかないと、そのお金が返せない。

私も数年前、自宅の倉庫の整理をしたが、そこから出てきたものは、
大量の冠婚葬祭でいただいた焼き物の引き物であった。

その時は、心を鬼にして断捨離をしたが、大量生産・大量消費で
経済が回るということは、結局は、ドンドンと捨てていかないと
経済がダメになる。

そのおかげで、ありとあらゆる資源の枯渇、、、。
温暖化、大気汚染、水質汚染などなどの環境破壊だ。

鳥の糞がとてつもなく長い時間かけて堆積してできたリン鉱石が
あと数十年で枯渇するという。

化学肥料としてリン鉱石が枯渇してしまえば、現在80億人を支える
現代農業は、崩壊することになる。

この200年の間に莫大に拡大した農業も工業も、水資源がなければまわらない。

その水資源の中で、一番使われているのは地下水であるが、
その地下水も、地下にとてつもない長い時間かけて貯め込んだ水が、
それを今、一気に使い切ろうとしている。

石油文明のおかげで、人口が爆発的に増え、人間の活動が飛躍的に
活発になった。

逆に言えば、世界が狭くなった。

狭くなったところでひしめき合って生きているのが、
今の人類であり、資源にも限りが見えてきた。

大航海時代のように、だだっ広い世界を開拓・開発していくというのら
征服民である一神教的な世界観が必要であるが、
今は明らかに大きく変わった。

狭い平野でひしめき合い、限られた資源をトコトン有効活用してきた
我々日本人、、、。

集団でひしめき合いながら生きるには、どうしても他人を思いやる
共生の思想が必要になってくる。

竹村氏もこんなことをおっしゃっていた↙

未来の人類社会への日本人の役割は、日本人自身が思っている以上に大きい。
 日本人は拡大解放系の文明を享受しつくして、世界トップクラスの豊かな
国になった。この日本人が、実は「縮小と循環」の性向をも持っている。
この日本人が未来文明の先頭に立たなければ、いったい誰に立ってくれと言うのか。
 ただし、日本が世界全体を新しい文明へ導くなどとは考えない方がよい。
日本人ほど世界のリーダーに不向きな民族もいない。
 ただただ心行くまでモノを見つめ、モノを縮小する性向を発揮していけばよい。
日本が「「縮小と循環文明」のモデルを創り、それを世界に見せることができれば、
それで十分責任を果たす。


と、、、。

我々が、この狭い国土の中で、生きてきた意味が、
今はっきり見えてきたような気がしてならない。


posted by hide at 20:16| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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