2017年01月08日

その「自意識」って、本当に必要なの??と、問いかけるもう一人の自分の存在が必要なのでは、、、。

昨日のNHK朝の連続ドラマ「べっぴさん」で
とても、いいシーンが合った。

ベビー商品の総合商社をめざすすキアリスが
海外と取引することになった。

そこで必要なのが、英語を話せる人、、、。

白羽の矢があたったのは、以前から英語を勉強し、
外国人のベビーシッターの経験があるあけみだった。

そして、取引先のアメリカ人といざ交渉しようと思ったが、
なかなか専門用語が分からず、大恥、、、。

その後、あけみはその通訳の仕事を頑なに拒否をする。

そこで、すみれは姉であり、英語ができるゆりに
あけみに英語を教えてくれるように頼む。

それでも、大恥をかいたのがかなりショックだったのか、
あけみはなかなか腰を上げようとしない。

ゆりがあけみに
「別に私は、あなたが英語を習っても習わなくてどちらでもいいんだ
けど、そやけど、一言だけ言わせてもらうと、あなたの自意識、
いらない自意識だと思うわ。
大方、人前で恥をかいて、もう
傷つきつきたくない、そんなところでしょ〜」
と、核心を突く。

「なんで?だれが?」
と、うろたえるあけみ、、、。

「誰に聞かなくても、あなたを見れば分かるわよ。
私もべんきょうしてきたから、、、。どれだけ恥をかいたか、
どれだけ笑われた、、、。でも、そこをのりこえなければ、一生
中途半端なままよ〜。せっかく、今までやってきたことが水の泡よ。
それで、本当にいいの?手に入れたいものがあるなら、絶対に手に
入れる気持ちでやらないと、なりふりかまわず、一生懸命に、、、。」

と、あけみにほのめかすゆり。

私もニュージーランドに一年間滞在した経験がある。

そこで知り合った英語を勉強する日本人、韓国人、台湾人、タイ人、
などなど、いろんな人を見てきた。

はっきりいって、たとえ20年英語圏に滞在したからと
いって、英語がみにつくわけではない。

日常生活から、積極的に周りの人に触れながら、英語の環境の中に
飛び込んでいかないと、英語などほとんど上達しない。

そういう人って、けっこういたりする。

逆に、猛烈に地元の人と交わりながら、自身で猛勉強して、
短時間に英語を見につける人もいる。

ニュージーランドで知り合った韓国人女性のSさん。

Sさんの齢は、当時三十代後半ぐらいで、
少しわけありのようだ、どうも韓国で地位の高い人と結婚していたようだが、
その人と分かれて、子どもをつれて逃げるようにニュージーランドへ
きた人だった。

最初に、英会話スクールであったときは、ほとんど英語が出来ない。

そんな状態であるが、とにかく積極的で、
みんなで映画に行くとなれば、私も行きたい、
ホームパーティをすると言えば、私も参加するというような
形で、ほとんど意思疎通が出来ないのだが、
すごいバイタリティーの持ち主だ。

意思疎通が出来ないので、そんなときでも、
トンチンカンな行動の連続ではあるが、
それでもめげない。

ある日、私のフラットに、みんな遊びにくることになった。

そこで、知り合ったのが私のフラットメイトのニュージーランド人の
デービットだ。

その後、デイビットが外泊が続く。

ある日、デイビットが朝方帰ってきたので、
齢も近く、男同士なので、
「さては、彼女でも出来たな〜」
と、デイビットに言うと、

両手をうれしそうに、その彼女のことをかたってくれた。

なんと、その相手は韓国人のSさん。

男同士であり、デイビットは話し好きなので、経緯から、
何から全部話してくれた。

その後、関係は長く続く。

関係は、思いもよらぬ展開になるのだが、Sさんはデイビットと
結婚したい。しかし、デイビットは、あまりその気ではないようだ。

積極的なSさんの結婚に対するモーションは、ものすごいものがあった。

とても、このブログでは書けれないこともあるが、
何度もビザを更新したが、とうとうビザが切れ、韓国に
帰らなければいけなくなった。

デイビットに猛烈にあたっくしながら、ビザが切れても
韓国に帰ろうとしない。

最終的には、強制送還となるのだが、、、。

結局、何が言いたいのかというと、Sさんというのは、
傍から見ればハチャメチャな人ではあったが、英語の上達は
ものすごかった。

ほとんどまったくしゃべれなかったが、それが信じられないほどの
進歩であった。

Sさんの行いが、いいのか悪いのかべうとして、
積極的かどうかで、明らかにその上達力は変わってくる。

恥をかくことを恐れ、躊躇している日本人をよく見たが、
一歩踏み出す勇気って、ものすごく大事だと思う。

ゆりが言う「その自意識って、本当に必要なの?」
と、私も常に自分に問いかけている。

誰でも、自分を大きく見せたい。

しかし、大きく見せれば見せるほど、
その自意識によって自分自身が縛られてしまうことって
ないだろうか?

分からないことを誰かに聞く、
「迷惑になる」とか何とか言うより、もっとシンプルに
分からないことは分からない、だから教えてもらう、
自分自身も、見につけた知識・知恵は惜しみなく
周りの人に伝える、そういう姿勢って大事なのではないか?

英語にしろ、せっかく英語圏にいるのなら、
その都度、その瞬間というのが、チャンスである。

例えばフラットメイトに、
「ちょっと、チャンネル変えたいんだけど、いいかな〜?」
と、場面があるとする。

ただ教科書で習っているよりも、実際の現場でそのような体験をした方のが、
はるかに心に残るのでは、、、。

「必要は習得の母」である言われるように、見栄で自分を固めるよりも、
大恥をかきながらでも、必死にかぶりついていく姿のが
私は美しいように思う。

なにごとも、一期一会、その場面・場面を躊躇する癖がついてしまった人と、
その場面が「学ぶチャンスだ」と思う人と、後々、まったく違ってきてしまう。

ある人が、
「だめな人というのは、すごい人と比べようとする。
すごい人は昨日の自分、過去の自分と比較する」

と、、、。

勇気を出して、知らないことを聞いたのなら、
ビビリの自分という比べれば、すごいんじゃないかな〜。

いつも、毎朝、通りすがる人に、思い切って挨拶してみた。
それて、昨日の自分よりも、進歩したとほめてやれるのでは
なかろうか。

噂話の世界に生き続けるのか、それとも確実に自分の人生、
自分自身が主人公に持っていくのか、
日々の小さな勇気の積み重ねではなかろうか、、、。


posted by hide at 09:40| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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