2017年07月04日

「煩悩なくして悟りもない」、Eテレ100分で名著「維摩経」の中で。

NHKのEテレ100分で名著「維摩経」のテキストブックの
中で、金子みすゞの「蓮と鶏」という詩が載ってたので、
紹介したい。

泥の中から 蓮が咲く。

それをするのは蓮じゃない。

卵の中から鶏がでる。

それをするのは鶏じゃない。

それに私は気がついた。

それも私のせいじゃない。


熱心な仏教徒の家に生まれた金子みすゞは、仏教的な
感性溢れる詩をたくさん残しているとのこと。

続いて文殊菩薩の言葉

「すでに悟りを得た人は、それ以上悟りを求めることはしません。
その人は、煩悩の泥の中へとまみれることが仏道の実践になるのです。
空中に種があっても芽は出ませんが、泥土の中にあれば芽をふくのと
同じです。大海の底に潜らなければ海の底の宝が手に入らないように、
煩悩の中を生き抜かなければ知恵を確保して実践することはできません」

「煩悩即菩提」
(煩悩と悟りは別々のものではない)


二項対立を解体していくと、いわば煩悩こそが悟りの
だと説くとのこと。

維摩は、
「仏道を本気で求める者は、何があっても、どんな環境におかれても、
心身は常に清浄で穏やかなはずだから、世俗の中で生きても煩悩に
支配されることはない」

と語る。

常日頃生活していると、毎日毎日、いろんなことが起こる。

そんな中で、怒り、悩み苦しみ、心が奪われがちである。

しかし、それがあるから、悟りが得られるのではなかろうか、、、。

私は、二十数年、日記を書き続けているが、むかしの日記を
読み返してみると、こんな小さなことで悩んでいたのか!?と
あらためて、自分の未熟さを痛感する。

それって、自分が成長しているということ。

そう思えば、悩み苦しむことも大事、、、。

泥まみれの世俗の中で生きていれば、
周りからいろんなストレスを受けることも
しょっちゅうある。

怒りに取りつかれている人、
見栄やハッタリの世界観で生きている人、
勇気が持てず、常にぐるぐると同じところをまわっている人、
すべて、その人なりの修行をしているのかもしれない。

いつ気付くのか、と、こちらから焦ってもしょうがない。

ただ、じっくり待つことも大事、、、。

それに自分にも、そういうところがあるということ。

だからそれがストレスに感じる。

瞬間、瞬間を大事に生きていれば、その延長線上に、
心の成長があるように思う。

どこにも逃げ道などない。世俗の世を生き抜いく覚悟こそ、
新しい道を開くのかもしれない。


posted by hide at 07:55| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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