2018年02月14日

トルコ大統領語る、、、。「アメリカはダーイシュ(IS)との芝居をやめよ」と、、、。

https://jp.sputniknews.com/politics/201802134574215/

「エルドアン氏 米は「ダーイシュ(IS)との芝居」を止めよ」

今、中東で米国により、何が行われているのか?

なぜ、いつまでたっても、シリアで紛争が治まらないのか、、、。

上の記事は、トルコ大統領エンドアン氏の発言である、、。

米国との軍事関係の強化とは、いったいどういうモノに、
なるのだろうか、、、。

もしかしたら、強化すればするほど、世界から信用を
なくすのでは、、、。

よくよく考える必要があるのでは、、、。



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2018年02月13日

「我是不是我的我(私は私ではない私)」李登輝の言葉、、、。

 先週、たまたま立ち寄った図書館で、
雑誌「SAPIO」を読んでいると、元台湾総督李登輝氏の
言葉が、頭の中に残る。

それは、
「我是不是我的我(私は私ではない私)」
、、、、、。

なんか、ややこしい言葉だがどうも心に響く。

鈴木正三さんが、このようなことを言っていた。

「我が身を思う念(自己保身)」が分別(煩悩)の本質である」

怒り狂っている人、思い悩んでいる人、
見栄やはったりだけで生きている人、
その人たちってどう見ても周りが見えていない。

ただ、自分のコンプレックスというのか、
自意識過剰で、自分への意識が強すぎて、
自分のことしか見えていない。

もし、もっと自分を客観的に見ることが出来れば、、、。
もし、自分を忘れることが出来れば、、、。

心の鎧を脱ぎ捨てれば、
煩悩が薄まるのではなかろうか、、、。

仏教では、煩悩とは心の「過剰さ」とも説く。

その「過剰さ」とは、自分を守ろうとする意識が
強くなりすぎている。

では、その対象となる自分って、いったい何なのか、、、。

ある人が言っていたが
「実は、自分なんて何もない」
と、、、。

ただの水と二酸化炭素の集まりであり、
それも常に出たり入ったりしている。

私の体を構成してる水というのは、もとは海水だったのだろう。

また、二酸化炭素にしろ、空気中に存在していたものであった。

それが、植物になったり、動物に吸収されたり、そして今
私の体に入っている。

大きな水と二酸化炭素の循環の中に、人間はただ存在する。

それから、私の体を構成する60兆の細胞というのも、常に新陳代謝を繰り返し、
二年で総入れ替えされるという。

二年後には、実は全く別人ということになる。

さらに、60兆の細胞に対して、
自立した生命体である100兆もの微生物がも私の体には
住みつき、その微生物がいないと、生きていけない。

それらのモノをたまたま、何かの縁で、かき集められ、
私というモノが、今、存在する。

そう思うと、自分っていったい何なんだろうね〜。

ただ、大きな大きな循環の中での、ほんのひと時の一現象に過ぎない。

いずれ私を構成している水にしろ、二酸化炭素にしろ、
海や大気中に戻っていく。

「私」と言う人格から見ても、

狼に生まれた人間の子どもが、狼のような風習を身に付けてしまうという。

中国人は、中国人らしく、、、。

日本人は、日本人らしく、周りに常に気を使おうとする。

最近ふと思う。

自分は無くなった祖父母の影響を受けているようだ、、、。

祖父母だけでなく、恩師、上司、先輩、友人などなど、
今まで人生の中で出会った人々の影響を何層にも何層にもうけて、
今自分という人格が形成されている。

今の時代の人だけではない。

その人たちも、親があり、先祖があり、周りの人々から、
いろんな影響を何層にも何層にも受けている。

人間には、文字と言葉が存在する。

何百年前に生きた道元さんや親鸞さんの影響を多くの人が受けて
いることになる。

「人間は著しく周りから影響を受けている」
と、ある精神科医が言っていたが、それだけ社会性のある動物であり、
けっして一人では生きて行けれない。

むしろ、「私」という人格は、昔から続く大きな大きな人間の集団意識により
作り出せれるものであり、そしてそれが次の世代にも引き継がれていく。

実際のところ、自分って何もないのでは、、、。

自分の中に、代々続くいろんな人の思想で構成されている。

もし、人間社会から離れ、オオカミに育てられれば、
オオカミのような習性となるのだ。

では、大きな集団意識の中から、作られた「私「」という人格の中で、
そのどの部分を大事にして生きていくべきなのか、、、。

どのような考えを大事に生きていくかということ、、、。

そんな中で、李登輝さんのように、「神」という概念を
持つの一つの方法だと思う。

肯定的な人生観とは、
果てしない自我の肯定ではありません。

キリスト教に「自己の中に神を宿す」という概念がありますが、
深い愛で他者を許す神を自己に宿すことで、
自己中心的な自我が消え、
他者を思う心が生まれる。

これを「我是不是我的我(私は私ではない私)」と表現しているんです。

〜李登輝

とのこと。

SAPIOの中でも、後藤新平と自分の共通点について、

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 私と後藤に共通するのは「信念」であった
といえる。私はクリスチャンで、信仰を通じて
最終的に見出した私自身のあり方が
「我是不是我的我」、つまり「私は私で
ない私」であった。
 この言葉は、新約聖書のなかになる
「ガラテヤの信徒への手紙」の「生きているのは、
もはや、私ではない。キリストが、私のうちに
生きておられるのである(後略)」という一節から
きている。つまり私、李登輝のなかに神が息づいて
いて、自分のためだけでなく公のために生きなくては
ならい、ということである。
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もしかしたら、自分を忘れるには、
「公」という概念を自分の中に取り入れるといいのでは、、、。

それには、自分の中に、キリストさんでも、阿弥陀さんでも、
氏神さんでも、ご先祖さんでもいい、別の人格を
イメージするのも、一つの方法のような気がする。

生きていくうえで、楽しく、明るく生きた方のが
いいに決まっている。

しかし、各々いろんな思考パターンがある。

その思考パターンとして、昔ながらのもう一つの人格ともいえる
「神」という概念を自分の中に構築する。

その神なのか、仏さんなのか、ご先祖さんなのかわからないが、
他の人格が自分の中にいるということは、その人を通じて、
自分を見ることができるのでは、、、。

つまり、客観的に自分を見続けることができやすくなる。

どの世界でも、有史以来、人間の歴史の中で、何らかの神は
存在してきた。

それが、過激派につながり、オウムのような集団も発生させた
ということは、否定できない。

しかしすべてを否定し、捨て去るのも、もったいない。

心に何らかの神を住まわせる、住まわせるというよりも
自分でイメージし、造り上げる、それが宗教教育であったのだろう。

そうなれば、客観的に自分を見つけるようにもなり、
孤独感がやわらぎ、勇気も与えてくれる。

また、神でなくてもいいが、「公「」という心が
宿れば、意識が外に向き、煩悩がやわらぐような気がする。

まあ〜、あんまりまとまらない話だったが、
今日は、この辺りにしておきます。


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2018年02月09日

「最後は自分との戦いですから、、、」と語る貴乃花親方の信念。

一昨日、テレビを付けたら、なんと
あの貴乃花親方が、語っているではないか!!

それも、驚くようなことばかり、、、。

まったくテレビ報道とは、違っている内容だ。

なぜ、貴乃花が相撲協会の理事を解任になったのか?

それは、協会に対する報告の義務を行ったということ。

しかし、何度も、何度も、文章で報告しているというし、
その文章も実際に存在している。

貴ノ岩のケガがたいしたことがないという報道だったはずだが、
真相はしっかりと診断書があり、そのCT画像も今回の
番組で公開されていた。

いったい、今までの一連のテレビ、新聞報道ってなんだったの?

池坊さんら、日本相撲協会評議員会のメンバーはいったいなんだったのか???

しっかりとした証拠があるのと、それから私が
貴乃花は本物だと思えるのは、次の一言だった。

「最後は自分との戦いですから、、、」

と、、、、。

彼は、ものすごくストイックな人間なのであろう。

これがどういう意味なのか?

私なりに解釈させていただくと、
貴乃花は、一貫して相撲協会にも礼を尽くしてきているという。

今回の一連の騒動に対して、勝手に貴乃花側から発言すれば、
それこそ泥仕合だ。

マスコミは放っておかず、盛りまくって、両者の対立をあおるであろう。

それよりも、相撲協会を通じて、その中で議論をして
いくのが筋だ。

何度も、意見書や報告書を提出し、あれだけたたかれながら、
沈黙を守ってこられた。

そして、テレビ新聞など、まったく事実と違う報道を
垂れ流される。

相撲協会でも、ドンドン孤立していき、こないだの選挙でも
二票で落選、、、。

相撲部屋を抱え、多くのファンを持つ貴乃花にとって、
そんな状況というのは、かなりの不安や恐怖がつきまとうモノ。

相撲協会からも、警察に対して被害届を引き下げろというような
打診があった。

そんな状況の中で、あなたなら妥協せずに、
沈黙を守り続けることができますか?

普通なら、弱い立場の貴ノ岩に
「今回は、我慢しとけ」
ぐらいで妥協するであろう。

しかし、それをしてしまえば、今まで自分が弟子たちに
指導してきたことが、まったく無になってしまう。

あれだけ、八百長疑惑でたたかれた相撲協会だ。

対戦する力士同士が、常日頃から食事に行ったりしては、
一体どうなるのか、、、。

自然に、情のようなモノがわくこともあるだろう。

プロレスならまだしも、国からお金をもらい、
神事として、相撲という相撲道がある。

その道を選んだ若い者たちを
どのように育てるのか、、、。

そこまで、真剣に取り組んでいなければ、
妥協の道を選ぶであろう。

貴ノ岩は、はるばる海を渡って、日本で
相撲をやりに来ている。

そんな人生をかけてきた青年に対して、
どう接するのか、、、。

また、両親がいない貴ノ岩、、、。

どこまで、親身になれるのか、、、。

このままいけば、貴ノ岩も世間から抹殺されるだろうし、
モンゴルでも日馬富士引退に追い込んだ、悪者の
ように扱われるだろう。

その貴ノ岩を救うためにも、今回のインタビューに
応じたのではなかろうか、、、。

そうであるのならば、極めて弟子たちにも、
相撲協会にも誠意を尽くしていると言えるのでは、、、。

世間にどう映るのか分からないが、このような妥協しない人って、
けっこう自分自身と闘っている人だと思う。

協調性と信念を貫くというのは、相反するときがあるが、
その信念に公共心を持つこと、そこが一番大事だ。

自我による主張であれば、そのまま孤立して、葬り去られる。

また、自分の考えを持たず、ただ流されるだけの人生でも
心の成長は、あまりないと思う。

人生、孤立しても前へ出るときって、何度もあると思う。

そういう時というのは、一番いい経験にもなるし、
そういうことから、逃げ続けた人というのは、どうなっていくのか、、、。

歳をとればとるほど、その差というモノが顕著に現れて
くるような気がしてならない、、、。

そういう場面で、勇気を振り絞れるか、、、。

それとも、いつまでも、いつまでも周りの空気ばかり
神経をとがらせながら生きるのか、、、。

人生の主役とは、自分自身、、、。

その主役になるにも、いろんなことを体験しながら、
学び続け、自分らしい生き方をする方のが、
深い人生になるのでは、、、。

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2018年02月02日

ある高校生の夢!!再生可能エネルギーで福島を復活させる!!

ふと、通勤時にラジオを聴いていると、
福島のある高校生が話している。

彼の夢というのは、原発事故の福島から、
再生可能エネルギーの福島というイメージに変える
こと。

震災、原発事故以降、人口がかなり減少した地元を
再生可能エネルギー先端地にして、世界中から
人を呼び込み、福島を再生させること。

そのために、大学では、エネルギー分野を学ぶとのこと。

素晴らしい!!

とても、素直でまっすぐな高校生の考えを聞いて、
とても心が洗われるようだ。

大人になっていけば、心のどこかに垢がたまっていく。

生きていくためには、しょうがない。

確かにその通りだ。

しかし、ただ生きるためだけの人生ってのも
どうなんだろうか?

昨年、会社からあの「永遠のゼロ」や「海賊と呼ばれた男」の著者、
百田尚樹氏の講演会に参加する機会があった。

この世代というのは、非常に苦労した人たちであり、
また、今の豊かなこの日本を造り上げた人々だ。

日中戦争、第二次世界大戦と、大正生まれの人々の青春時代というのは、
まさに戦争そのものだ。

大正時代に生まれた男性というのは、約1300万人いるとのこと。

そのうち、200万人を超える人が戦死されたという。

だいたい、6人に一人の割合だ。

さらに、それが大正時代後期に生まれた人で計算してみると、
もっと比率が高くなる。

例うちの会社の会長は、大正12年生まれ。

終戦を22歳で迎えた。

会長の同級生の半分が戦争で亡くなられた。

この戦争で生き残られた人たちが、
死に物狂いで働いて、今の日本の豊かさがある。

公演の中で百田氏が語っていたが、例えば今の若い人が
こんなことを言うという。

「我々は、就職してから、高度経済成長もなく、
バブルも味わっていない。まさに不幸の世代だ」
と、、、。

しかし、どうだろうか?

バルブをひねれば、きれいな水道の水が飲める。

ガソリンスタンドが各地にあり、たいていの人が車に乗れる。

農地も整備され、高速道路、ダム、発電所などなど、
世界を見渡しても、これほどきめ細かに社会インフラが整備された
このような豊かで、安全な国はない。

これって決して当たり前のことでない。

戦争で生き残り、必死に日本を再生させた
大正時代の人たちの造り上げた基盤の上で私たちはこのような豊かな
生活を送っている。

例えば、うちの会社でも、韓国で終戦を迎え、帰国した
うちの会社の会長が立ち上げた。

ロボットやいろんな機械等、確かに古くなってきているが、
どれもこれも、もしこれらの設備がなければ、今の会社は成り立たない。

会長が死に物狂いでやってきた土台の上で、
今、我々が飯が食えている。

会長の世代の人に、
「同級生の多くの人が戦死し、戦争から帰ってきて、
どのような思いが強かったのですか?」

と聞いても、なかなか照れてなのか、答えてくれない。

もし、会長のように、自分が運よく生き残り、多くの同級生たちが
戦地で亡くなられたとしたら、どのように生きようとするのだろうか?

「彼らは、洗脳されていたんだ」という言葉で片付けるには、
あまりにも思慮が狭すぎる。

そして、戦争から帰ってこれば、価値観も大きく変わってしまい、
戦争に行った人は、軍国主義者のように非難される時代となった。

そんな中で、必死に日本再建に取り組んだ大正時代の人々、、、。

本当に、頭が下がる。

そんな人たちの血のにじむような土台の上で、
我々は豊かな生活をしている。

そして、我々は、次の世代に何を残すのか、、、。

よくよく考える必要があるのでは、、、。






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2018年01月11日

目の前の大きな壁に立ち向かうには、、、。

先日、さんまさんのテレビを見ていたら、
女優の中谷美紀さんが出ていた。

中谷さんが、悩みを打ち明け、いろんな専門家が回答を
するという番組だ。

中谷さんは、
「テレビの収録ですと、もし失敗してもカットすることが
できるけど、舞台などはそれができないので、ものすごく
緊張する。もう、前日から、震えが止まらないくらいです」

と、言うようなことを話していた。

そして、各専門家が相談にのっていたが、
なんていうのか、専門知識でその悩みをこねくりまわし、
なんとなくしっくりこない。

もちろん、テレビ番組なので、視聴率を上げるためなので、
仕方ないのかもしれないが、一番大事なのは、
中谷さん本人の身になって考えること。

果たして、全国に有名女優になりたい人が、どれだけいるのだろうか?

その中で、トップのグループに居続けるということが
どれだけ大変なのか。

また、舞台では、目の前に、自分の演技を見るために
安くないお金を支払われたお客さんがたくさんいる。

そして、自分がトチれば、いっしょにやっている先輩、後輩、
スタッフの方にも多大な迷惑をかけることになる。

そんな中で、緊張しない人っているのだろうか、、、。

むしろ、緊張するのは、当たり前、、、。

そんな環境から、逃げ出せれれば、いいのだが、
そんな簡単に逃げられないのが現実であろう。

そんな逃げ出したくなるような環境に、どのように対処するべきか、、、。

そうなれば、「なるようにしかならない」と、
もう開き直るしかない。

もし、失敗しても、命まで取られるわけでもない。

また、女優として、あまり売れなくなったとしても、
また生き方、考え方を変えていけばいい。

しかし、よくよく考えてみれば、失敗と成功って
どっちが長い目で見て、自身のためになるのであろうか。

たしか、神田うのさんだと思うが、若いころは
とても環境に恵まれ、何でも自分の思い通りになってきた。

そのことにより、できない人の心が分からず、
その後とても苦労したと聞く。

成功ばかり味わって、逆に身を滅ぼした人って、
どれほどいることか、、、。

むかしから「勝って兜の緒を締めろ」という言葉があるが、
人間、どうしても成功体験を続けていれば、必ず傲慢になって
高転びするのは、目に見えている。

むしろ、失敗ほど、いろんなことを学び、それが肉となり
骨となり、あなた自身の人間性としての骨格を形成していくのでは
なかろうか。

目の前に直面した壁から逃げ続け、ただ上っ面だけの
人生を送ってきた人と、チャレンジし続けた人と、
果たして10年後、20年後、どのように違ってくるのであろうか。

「以前のあの失敗がなければ、今の自分はない」とかいう場面って、
いくらでもあるのではなかろうか。

有名女優にしても、著名な実業家なんかの話を聞いても、
成功した人というのは、
「わたしなんか、ほんとうに失敗の連続、、、」
というようなことをよく聞く。

それだけ、チャレンジしてきたということ。

それだけ、目の前にある壁から、逃げずに立ち向かったということ。

エジソンの名言集から、次のような言葉を紹介したい。

わたしは決して、
失望などしない。
どんな失敗も、
新たな一歩となるからだ。

できる限り考えて、
努力して仕事にかかれば、
失敗からでも
多くのことを学ぶことが
できるのである。

失敗すればするほど、
我々は成功に近づいている。



もし、たくさんのお客さんの前で、立ち続ける以上、
もう、それに慣れるしかない。

それには、経験を積んでいくしかない。

失敗や苦悩の中から、真理を見つけていくしかない。

今、震えているのは、逆言えば、いい経験を積んでいる
ことになる。

大女優になってくうえで、どんな場面でも平常心がなければ、
勤まらないと思う。

今、その経験を積んでいるのであり、
それには苦悩、失敗は必要不可欠なモノ。

そんな考えで、取り組んだ方のが、腹がくくれるのではなかろうか。



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2018年01月06日

「門松は 冥土の旅の 一里塚 めでたくもあり めでたくもなし」、、。諸行無常の人生をどう生きるのか、、、。

この正月も、毎年恒例の義両親が住む山口県まで、
向かった。

正月料理を食べたり、近くの温泉に行ったり、
ゲームをしたり、今年もとても楽しい正月の日々を過ごした。

しかし、ふとこんな歌が頭の中をよぎる。

門松は 冥土の旅の 一里塚
めでたくもあり めでたくもなし


これは、一休さんの歌だ。

めでたい正月も、ふと思えば、自分も一つ歳を
重ねたということ。

人生が死へと向かう旅なら、また一年近づいたことになる。

私も50を超えた。

平均年齢でいけば、後30年の人生だ。

周りを見れば、家族と共に、今、楽しい正月を過ごして
いるが、果たして10年後は、どうなのか?

うちのオヤジは、すでに80だ。
オフクロも70代中盤、、、。

義両親も同じぐらいの年齢だ。

愛犬パンチは、12才だ。

あと10年後、このように一緒に楽しい正月を
過ごせるだろうか、、、。

そんなことを言うと暗くなるが、
私が言いたいのは、今、当たり前のことが、
10年後は、当たり前ではなくなる。

諸行無常であり、誰でも限りある命であるし、
限りがあるこの一時の連続を、我々は生きている。

限りがあると思えば、今がとても大事に思うのでは
なかろうか。

98才になる義理の祖母の施設に、今年も訪れた。

その介護施設の食堂に、この施設で暮らすお年寄りの方々の
「今年の目標」が、書いてあった。

ある92才になるおばあさんが、こんなことを書いていた。

「今年こそは、畑で百姓をやりたい」
と、、、。

ふと、思ったのは、うちの母のことだ。

昨年のある夏の夜中、私の携帯が鳴った。

取ってみると、母屋に住む母からだ。

「今、トイレに行こうと思って、ベットから降りたが、
歩けんくなっちゃった。すぐ来てくれ」

と、、、。

私は、布団から飛び降り、母のもとへ、、、。

床に情けなそうに、うずくまっている母、、、。

「ほんと、この足、どうなっちゃっただや〜」
というようなことを繰り返す。

実は、それから、四カ月ほど前の昨年の四月にも
同じようなことがあった。

さらに、4年前も、シルバーの仕事をしているときに、
私のもとに電話があり、
「いきなり、歩けんくなっちゃった」
と、電話もとでつぶやく。

母の一生を振り返れば、まさに働き詰め。

そのおかげで、膝の軟骨がすり減り、
神経に触れるのか、痛くて歩けない。

四年前になったときは、リハビリとプールに通いながら、
何とか、回復したが、それでも完全に治ったわけではない。

今年になってぶり返し、杖を突く生活、、、。

それでも、畑に行こうとする母に、私はよく怒って
「いい加減にしとけ〜。畑なんて行くな(怒)」
といっても、私にかくれて行っているようだった。

それを見つけた私が、
「寝たきりになったらどうすんだ、アホ」
と、怒ると
母が逆切れして
「そんなもん、生き甲斐だでしょうがないやろが〜(怒)」
と、、、。

その『生き甲斐』という言葉が、どこか心に
深く刺さった。

たしかに、ただ生きているだけで、本当に人生なのか。

私も、常日頃から、自分の命を使い切りたい、と思っている。

もし、母が最期の最後まで、畑にいたいのであれば、
それをなるべく助けてやった方のが、いいのではなかろうか
と、思い始めた。

生き甲斐を無くし、ぼけられても困る。

父もすでに認知症、、、、。

そして、母までもがそうなってしまっては、
我が家は崩壊だ。

畑に行けば、すぐ隣が、母の昔からの友人が
柿を作っているので、よく二人で座って話している。

草刈りや畑を耕したりの力仕事は、私がやればいいし、
作った野菜をみんなにあげたり、
売ったりするのが、一番の生きがいになるのであろう。

「人に役に立っている」と思えるのが、
母にとって生きがいなのかもしれない。

それに、母とそのように過ごすのも今しかない。

いずれは、私より先に旅立たれる。

母の「「生きがい」という言葉に、ハッと気づいたことは、
多少無理をしても、母の生きがいに協力するべき
なのかもしれない。

あるコメンテイターが、自分の母の人生の最終版、
母に会うたびに、母に対して怒っていたことを
深く後悔していると語っていた。

その人も、とても忙しい人で、それでも年老いた母とくらして
いたという。

そして、母が亡くなってから、気が付くことがたくさんあり、
また、歳を重ねるたびに、母の気持ちが理解できると語っていた。

この一瞬は、今しかない。

また、一期一会であり、父母も、決して永遠のものではない。

ただ、あれもダメ、これもダメというようなことを言っているだけでは、
いけないのかもしれない。

老、病という今の父母の姿とは、いずれ私の行く道であり、
死、そして別れというのも避けられない。

何人たりとも、これは避けられない。

あるお坊さんが言っていたが、
「身近な人の死とは、いずれあなたもこうなるのですよと、
知らしめるために起こるんです」

と、、、。

確かにその通りだと思う。

生きていれば、いろんな執着まみれになる。

しかし、どんな偉人でも、英雄でも、このように
やせ細って死んでいく。

そう思えば、いろんな執着が薄まるのでは、、、。

そのことを、人生の最終版をむかえているうちの
父母は、そのことを私の目に焼き付けようとしている
のかもしれない。

年老いた両親になるべく付き添うのも、
いい経験のような気がする。

死んでからでは、もう遅い。

遠くに住んでいれば、電話を入れてみるとか、
里帰りの頻度を増やしてみるとか、もしかしたら
何か気が付くことがあるようにも思う。


ラベル:一休
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2017年12月27日

小野田寛郎の名言

たまたま、あの小野田寛郎さんの名言集というモノを
見る機会があったので、読ませてもらった。

終戦後、29年間もフィリピンのジャングルの中で、
たった一人で戦い続けた小野田さん。

戦争がいいか、悪いかは別にして、もし自分が同じような
境遇だったら、果たしてそこまでやれたのであろうか、、、。

私は、人それぞれいろんな宿命を持って生まれてくると
思っている。

各々が与えられた宿命の中で、どこまで学べるのか、
それが人生のような気がしてならない、、、。

深いジャングルの中でたった一人、、、。

生きるか死ぬか、死と隣り合わせの世界が、
29年間も続いたという。

生きるとは何なのか、死とは何なのか
トコトン自分と向き合いながら、突き詰められたのでは
なかろうか、、、。

そうでないと、このような境遇を耐えれるだけの精神力は、
なかなか心に宿らないと思う。

そんな小野田さんの名言集を読んでみた。

まさに、実体験から来る実学であるように思えた。

その中でいくつか紹介したい。


http://www.earth-words.net/human/onoda-hiroo.html

「小野田寛郎の名言」


生まれた時は自我ばかり、
生きるためには自制と自律がなければ。


自制や自律は筋肉と同じ。
鍛練すれば強くなり放っておくと、
生まれた時の自我に戻ってしまう。


やってしまったことは「しかたがない」。
これからどうするかだ。
くよくよ負け犬になってしまう。
負け犬は遠くから吠えるだけで向かってこない。



計画どおりにいかないことは沢山あるが、
思い通りにはいくものだ。
不満などどうってことはない。
自分の満足度を少し変えればよいのだから。



過去は捨てることはできない。
現在は止めることができない。
しかし、未来は決めることができる。

・・・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・


などなど、いろいろ参考になるモノがたくさんある。

一度、読んでみられることをお勧めしたい。


ラベル:小野田寛郎
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2017年12月01日

真の教育とは、、、。 新渡戸稲造の教育者としての在り方。

先日のNHK「知恵泉」は、よかった。

「不寛容社会を生きる道しるべ 新渡戸稲造 真の武士道」
だったが、こんなシーンがあった。

新渡戸稲造が当時、旧制第一高等学校(現在の東大教養学部)の校長を
していた頃の話だ。

新渡戸は、教養とは、決して一部の人だけのものではない。

世間に広めて、なおかつ生かしてなんぼのモノであるという考えだ。

しかし、当時の一高の生徒というのは、全国から選りすぐりの
エリート集団。

東大の籠城主義と当時言われていたが、やたら敷居が高く、
一般の人とのまじわりが少ない。

いろいろ外国を見てきた新渡戸にとって、彼らに重要なことは
社交性を身に着けることだという考えを持っていた。

そこで、その一高に転校生を受け入れたり、女性を体育祭に
参加させたり、いわば一高の敷居を低くするようなことをした。

それに反発した生徒たち、、、。

新渡戸はつるし上げられる。

そして、生徒たちの意見をじっくりと聞いた後、
辞表を机の上に置き、自分の持論を展開する。

「新渡戸は自分も武士の子として生まれた以上、
腹を切れと言われれば、腹も切る」

と、語り自分の覚悟を示す。

そして私が一番ジーンときた言葉が、
三十年後、この中の誰か一人でも、この新渡戸という人間を
思い出してくれればいい。

つまり、新渡戸が言ったことを、今ではなく、
生徒たちが社会に出てから、誰か一人でも、
思い出してくれて、役立てててくれればいい、
そのようなことを新渡戸は言いたかったと思う。

実際に、例えば、教師が生徒に何か教えようとしても、
その当時まったく気が付かなくて、後々になって
「あの先生の教え、今ほんとありがたく生きている」
とか、そういうのって、ほんと教える立場にとって、
醍醐味というのか、一番やりがいがあるのではなかろうか。

今、気付かない以上、そのようなことを伝えようとしても、
反発されるのは、当たり前、、、。

だれだって、いい顔したい、、、。

だれだって、摩擦はいやだ、、、。

しかし、もし何十年後、その人のことを思って、
何か心に刻み込むというのはとても大事なことであり、
それこそ、教育そのものだと思う。

私も恥ずかしい話、こんな例がある。

高校を卒業し、すぐ近くの会社に就職した。

そこの実質的に取り仕切っていたのがM常務であった。

とにかく、M常務は「少数精鋭」「を掲げ、
社員教育に熱心であった。

社員全員に通信教育をさせ、資格、免許を多くとらせ、
会社に図書室を置くなど、会社の成長と個人の成長を
リンクさせるような会社経営であった。

特に若者には、なおさらであった。

例えば、高校三年の10月ごろ、その会社にに就職が内定すると、
卒業までの半年間、毎月、会社に行って、本を渡される。

一ヵ月以内にその本の感想文を書いて来いという。

私は、本を読むことも嫌いだし、感想文など
最も苦手であった。

そして、会社にも、図書室を作り、
M常務は、社員に本を読む習慣を身につけさせたかったようだ。

また、会社に入社し、三年間、毎日、毎日
日報を書かされる。

今日の仕事内容、また仕事上で疑問、私生活での疑問、
私が書いたモノを常務から、工場長、課長、係長、班長と
多くの上司が、一人一人閲覧し、その感想を書いてくれた。

当時は、それが嫌で嫌で、常務の家まで行って、
私は、こんなことを怒鳴りつけた

「わしは、勉強が嫌で就職したんだ。
何で働いてまで、勉強しなけりゃーいかんのだ」

と、、、。

ほんと、今思えば、馬鹿も馬鹿、大馬鹿野郎である。

そんなとても子供の私に常務は、コンコンとその必要性を
語ってくれた。

しかし、当時、そのことがあまり理解できないし、
いやいやながら、通信教育をやり、免許にも挑戦し、
日報も書き続けた。

それから、何年か過ぎて、当時のその会社も辞めてしまい、
ホテルに勤めることになった。

会社が変われば、まったくその社風も変わる。

それも、人の出入りの少ない、田舎の40人程度の中小企業と、何百人働き、
人の出入りが激しいホテルという職場では、まったく
人を教育するということに関して、違ってくる。

田舎の中小企業でじっくりと、一人の若者の将来を
考え、多くの大人たちが大事に育ててくれた。

ほんと、そんな大人たちに反発ばかりして、情けない限りだ。

その後、私は勉強の大切さを知り、三十代で働きながら、
放送大学に入学し、けっこう大変だったが、5年間で卒業するほど、
勉強好きとなった。

もし、あの時、社会に出てからの勉強の大切さ、
また一生勉強し続けるということを教わらなかったら、
その後、いろんな知識を身に着けるという発想に
なれたかどうか、、、。

また、日記も二十代後半から、もう二十数年つけている。

その日記の中で、毎日毎日、自分自身を振り返る。

これも、日報ということを教えてくれた大人たちの
おかげだと思う。

本に関しても、あれほど読書が嫌いだったのに、
今では年間数十冊ほど読むような読書家だ。

これらも高校を卒業後、最初に入った会社での出会いが、
とても貴重であったように思う。

話は、自分というモノが体と人格だとすると、
人格とはどのように形成されるのだろうか?

例えば、日本人に生まれらば、日本人らしく常に周りの
空気を気にしるようになる。

中国人に生まれれば、中国人らしく、自己主張が強くなる。

オオカミに育てらえた少年は、オオカミのような習性を身に着けて
しまう。

人間とは、圧倒的にその社会から影響を受けて、その人の人格が
形成されていく。

馬や鹿が、生まれてすぐ起き上がろうとする。

そして、そうこうしている間に、餌を得る方法を身に着け、
自立していく。

人間が立てるまでに、二年ほど、歩けるまでまた時間を有し、
一人前の社会人として自立するまで、20年ほどかかる。

それまで、いろんな知識や社会性を身に着けさせるために、
周りの大人たちの援助を必要とする。

何か、誰かからいい影響を受けたとする。

それを実行し続けるということは、その恩になった人と
共に生きているということになるのでは、、、。

そして、それがまた誰かに影響を与えることになれば、
まさに永遠の命ではないが、ある人としての人格が、
引き継がれて、お世話になった人と、その後も
生き続けることになる。

死んだらどうなる??これは、太古の昔からの大きな人間の
テーマである。

体は、水と二酸化炭素になったまたどこかで再生されるであろう。

人格も、一生懸命生きれば、誰かに影響を与え、
生き続けることになるのでは、、、。

極楽浄土があるのかないのか?

それは、見たことがないから分からない。

しかし、私という人格、また私という人格を作ってくれた
多くの人たちと共に、生き続けることになる。

影響を与える人というのは、どういう人か?

それは、自分の考えで生きる人。
勇気のある人。
辛抱強い人。

不老長寿の薬なんかに頼るよりも、限られた人生を
思いっきり生きることこそ、永遠の命になるのでは、、、。


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2017年11月25日

「知らなかったはあらゆる愚行への言い訳となり、人から罪悪感を奪う。無知は人間悪の温存であり、凶暴性の隠れ家なのだ」、、、。かわぐちかいじのイーグル、よかった。

 先日、親戚の家に行った帰りにたまたま
漫画喫茶に寄った。

特に読みたい漫画もなく、雑誌でも読もうと思っていたが、
席に座って、頭上にある棚を見ると、なんと私が
探し求めていたかわぐちかいじ「イーグル」があるではないか。

いくつかのマンガ喫茶を探したが、見つからない。

ブックオフに行っても、置いていない。

近くのマンガ喫茶で見たマンガだったが、その店もつぶれてしまい、
それ以来、十数年見てなかった。

それが、私の目の前の棚に並んでいた。

ちょっとした感動であり、これも何かの縁なのかもしれない。

そんなことで、今日は、そのイーグルに書いてあった
ある部分を紹介したい。

「知らなかったはあらゆる愚行への言い訳となり、人から
罪悪感を奪う。無知は人間悪の温存であり、凶暴性の
隠れ家なのだ」

と、、、。

なんとなく、多くのひとの心に引っかかるような言葉でないだろうか。

特に、我々は今、日本の歴史上、また世界的に見ても、
大変豊かな時代に生きている。

その豊かな生活を支えるうえで、非常に多くの犠牲が
存在するということ。

そして、原発の問題など、次の世代にその豊かさの
ツケを残すことになる。

「だって、私、しらなかったもん」
と、言いながら、豊かな生活を満喫し、刹那的に生きる。

しかし、その裏に何があるのか、関心もなく、
大きなツケを次の世代に残していく。

また、ポーズだけ、カッコだけで本当にいいのかな〜。

多くの先人たちの血のにじむような積み上げられてきた
労力により、今の豊かな生活がある。

知覧の特攻平和会館なんかに行くと、ふとそんなことを
思ったりする。

まあ〜、焦らず、自分のやれることをやっていこうと思う。


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2017年11月21日

今をどう生きるのか、、、。意志伝達体としての人間の価値、、、。

 私のこのブログを振り返ると、「死」について
よく書いている。

決して自殺をほのめかしているわけでもない。

ただ、 「自分もやがて死ぬ」ということをよく
認識すれば、 「生きている」ということが、
くっきりと浮かび上がってくる。

自分の命にも、限りがある、、、。

自分の残された時間にも限りがある、、、。

限らてた時間であることを認識できれば、
今、この瞬間を大事に思えるのではなかろうか。

この一瞬が、次の一瞬につながる。

その一瞬の連続こと人生である。

限られた時間を、有意義に使う、それには、
自分もいずれ死ぬんだということを自覚することが
重要になってくるのではなかろうか。

日ごろの煩わしい煩悩にも、いずれすべてを置いて
あの世へ旅立つ身であることを自覚すれば、
執着が弱まるように思う。

今月で、うちのオヤジが80才、オフクロが75才になった。

愛犬パンチは、12才と4カ月、、、、。

果たして、10年後、彼らはこの世に存在するのだろうか、、、。

そう思うと、両親や家族と過ごせる今が、とても大事な時間に思える。

うちの会社の94才になられる会長さんが、先週、風呂場で倒れられた。

私がたまたま、すぐ近くの会社の事務所にいたので、
様子を見に行くと、下着一枚で、うずくまっている会長がいた。

あれほど、気丈に見える会長も、服の中をのぞけば、
これほどやせ細っていたんだと、少し寂しい気分になった。

私の人生の中で、何人か影響を受けた人がいるが、
この会長さんも大きな影響を受けた一人だと思う。

それは、生き方において、腹のくくり方が違う。

覚悟が違うというのか、そこから生まれる勇気、忍耐力、
すべて常人とは思えない。

それも、かなり高齢でありながら、頭はしっかりしているし、
会長にうかがったら、
 「それは、緊張感だよ」
というようなことを話していた。

経営者として、毎日、毎日、会社では、いろんなことが起きる。

その大半は、いいニュースではない。

もし、私ならとうに投げ出しているだろうが、
高齢の会長は、立ち向かい続けている。

話は、変わるが私の愛読漫画「サラリーマン金太郎」で、
このようなことを語っていた。

 「人という存在は、犬や猫と同じ生命体ではない。得た知識を
次の世代に送りさらに掘り進める意識を持った意志伝達体と
言える」

と、、、。

確かにそうだと思う。

わたしは、自他ともに認めるおじいさん、おばあさん子だ。

お恥ずかしい話、20ぐらいまで、祖父母と寝起きを共にしていた。

 「最近、あんた言うことがおじいさんに似てきたね〜」
と、言われることがある。

祖父母と過ごす時間が長かったのか、祖父母の考えが
自分の心ベースになっているのであろう。

祖父母は、すでに他界した。

しかし、祖父母の人格は、私の中で生きている。

日本人に生まれれば、周りの空気を意識するような
日本人らしくなる。

中国人に生まれれば、中国人らしくなる。

オオカミに育てられた少年は、オオカミのような習性を身に着けてしまう。

馬や鹿が生まれて、すぐに立ち上がり、歩き出そうとし、
そうこうしているうちに餌を得るトレーニングを始める。

人間が、生まれて歩くまでに、どれだけ時間がかかることか、、。
さらに、いろいろと知識を身に着け、社会人として一人前に
なるまでに、20年ほどかかる。

それだけ、どれだけ、周りに助けられ、周りの影響を受けていることになる。

ある精神科医が
 「人間は著しく、周りから影響を受けている」
と、、、。

先ほど、人間の命には限りがあり、やがてすべてを捨てて、
あの世に旅立たねばならないといったが、現におじいさんおばあさんの
人格が私の中で生きている。

そして、会長的な考え方も、私の中に深く刻まれている。

家族、恩師、上司、先輩、友人、兄弟姉妹、後輩、甥っ子姪っ子などなど、
周りのいろんな人から、影響を受け、今私という人格が形成されている。

今、生きている人だけではない。

遠く、親鸞さん、道元さんのような何百年前に生きていた人の
影響も受けていることになる。

まさに、意志伝達体であり、有史以来、長い年月をかけて継続してきた
大きな大きな人間社会の集団的意識の中で、私たちの「人格」というのは、
再生産され続けてきた。

さあ〜、今をどう生きるのか、、、。

私たち一人一人の生き様が、大きな人間社会の集団意識の中に、
刻まれていくことになるのでは、、、。




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2017年11月04日

Before I die I want〜(死ぬ前にやりたいこと)キャンディー・チャン NHKスーパープレゼンテーションを見て。

こないだのNHKのEテレ、スーパープレゼンテーションが
とてもよかった。

ある人が言っていたが、「日本人って死者の国」と、、、

つまり、西洋とは違い、その思想・宗教観に、人生の無常観、
そして死を認識するようなモノがかなり内在されていると思う。

今回のスーパープレゼンテーションは、ニューオリンズに住む
アメリカ人女性で、親代わりのような身近な人の死により、
死について考えるようになったいう。

その女性は、30代か、40代ほどに見えるので、
まだ死が差し迫っているようには見えない。

しかし、ある法事でお坊さんが言っていたが、
「身近な人の死というのは、自分もやがて死ぬんだよ〜
ということを教えるためにおこること」

と、、、。

確かに、自分の死について考えるには、いい機会だと思う。

養老孟司が
「現代人は、死も、老も、病も、身近な生活空間から
排除している」

と、言うようなことを語っていた。

老後、介護施設で過ごすことが一般化しつつある。

今では、なかなか家で死ぬ人というのは、少なく
逆に家で誰かが死ぬと、何か事件性があるのではないかと、
警察に疑われるケースがあるぐらいだ。

うちのおばあさんは、おじいさんがなくなった後、
病気になって歩けなくなり、その後家で寝たきりの状態で
七年間過ごした後、家で亡くなった。

宗教心が厚く、優しかった祖母が、鬼のような顔をして
家族に怒鳴る、、、。

働き者の祖母にとって、寝たきりの状態で、
おむつを穿いたまま、ウンコ、おシッコと
共存して、何年も過ごすというのは、精神的にも
かなりつらかったのであろう。

逆に言えば、死んでいく哀れな姿を、身をもって
我々に教えてくれたような気がする。

話を戻すが、スーパープレゼンテーション講演したキャンディー・チャンは、
身近な人の死で、ある事に気が付いたとのこと。

人の死というモノは、言葉にするのは、タブー視されて入らうが、
死と向き合うこと、死を意識することにより、
人生がくっきりと見えてくる。


時間に限りがある。

その限りある時間を生きていると感じれば、
今の時間がとても大切に思えるのではなかろうか。

その限ら時間の中で、家族や友人たちと過ごす、、、。

その家族や友人たちも、死があり、いつまでも永遠に
私の身の周りに存在するわけではない。

諸行無常、、、。

これも、仏教用語であり、アメリカ人女性の言葉の数々から、
言葉を思い浮かべた。

自分がいずれ死ぬと認識すれば、心の皮下脂肪がかなりそぎ落とせるのでは、、、。

事業を成功させなくてはならない、、、。

みんなからうらやましがれる人生を送らなくてはならない、、、。

どこか、他人の目を気にし、自分を追いやっている人って
多いように思う。

天下人豊臣秀吉の辞世の句

「露とおち 露と消えにし わが身かな 難波のことも 夢のまた夢」

と、詠ってたった一人で、旅立っていかれた。

巨大な大阪城、金銀財宝に、たくさんの家臣、
栄華を極めた秀吉でも、晩年はボケて病気になり、
やせ細る体で死んでいく。

さすがの天下人でも、死は免れない。

残された時間を、この身体を、どう使い切るのか、、、。

その残された時間の中で、本当に素になってみて、やりたいこととは、
一体何なのか、、、。

よくよく考えてみる必要があるのでは、、、。

キャンディーが言うように、自分がいずれすべてを残して死ぬんだと認識すれば、
かなり自分の人生が見えてくるのではなかろうか、、、。

人生は有限であり、命には限りがある、、、。

自分が見え、周りが見えてくることにより、
新しい何かが生まれてくるのではなかろうか、、、。





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2017年10月21日

自分の「死」について、考えてみると、、、。

 先日のブログで、私の終活と余生について書いた。

まだ、50になったばかりの私が、終活なんて、
アホちゃうかと、思うかもしれない。

しかし、人生80年とするならば、すでに三分の二は終わっているのだし、
例えば小学校の一ヵ月と今の一ヵ月では、明らかに
体感時間が違う。

そのように思えば、50代などあっという間、、、。

60代などそれより、加速度がついて過ぎていく。

人生50年と言われた時代が続いたが、そう思えば
今後の30年間など、余生であり、その残された時間を
大事にしながら、目的をもって生きていきたい。

その目的について、誰であろうと死に向かって生きていくことになる。

死への恐怖だけでも大変なのに、老いて体が動かなくなり、
病気になって、多くの親しい人たちと別れ、
一人で死んでいかなくてはならない。

「死」、「老」、「病」、「別れ」、、、。

これら一つだけでも大変なのに、人生の最終盤に、それらが
一気に津波のように自分の身に襲い掛かる。

働き者であったうちの祖母、、、。

最後は、七年間寝たきりとなり、亡くなった。

歩けない現実、、、。

体が動かない、、、、。

そして、おむつをはかされ、ウンコ、おシッコと
共存する生活が続く。

あれだけ、温厚だった祖母が、鬼のような顔をして、
怒鳴り狂う。

それでも、うちの母は、そんな姑を
しっかりと看護した。

よくやったと、私も誇りに思う。

うちの伯父が、80代で梯子から落ち、足の骨を折った。

そして、入院中、ベットのサイドについている枠を
不意に落としてしまった。

その様子を見て、看護婦さんの態度が明らかに変わったという。

しばらく、この人は、ぼけたと思ったのか、
接し方が無表情になったという。

私も、むかしホテルの宴会部で働いていたが、
いくつもの結婚式に立ち会い、最初は感動し、できる限りの
ことをしてあげようと思った。

しかし、それが100回、200回と経験してくると、
日常化し、とにかく早く終わらせたいというような
我々スタッフの都合を優先するように、心が移っていく。

職業病なのかもしれないが、現実そうしないとやっていけない。

何年か前、うちのオヤジが腸の手術で入院した。

その手術がなんと失敗、、、。

切った腸がしっかりとつないでなくて、再手術、、、。

しばらく絶対安静の日々が続いた。

「完全看護なので、家族の方はお帰りになって
けっこうですよ」


と、病院側は言うが、それでも一人の看護婦さんが
何室もの病室を受け持つ。

そしてオヤジかなり認知症もすすんでいるし、絶対安静なので、
看護婦さんが言う完全看護というのは、手足をベットに縛りつけ、
身動きが取れない状態だ。

手術後二日ぐらいはよく寝れたが、その後、どうにも寝れないようだった。

オフクロが介護しようとしたが、オヤジはおふくろには
とても強く当たるので、やらせれない。

そこで、私が四日ほど徹夜して、介護した。

手足を縛られ、夜眠れないオヤジ、、、。

風呂も入っておらず、背中がかゆいらしく、
何度も何度も、大きな声で、縛ってある手足をほどけと
大きな声で怒鳴ってくる。

「真面目にコツコツやってきたのに、何でわしが
こんな目に合わなならんのじゃ〜」

というようなことを、大きな声で夜中叫ぶ。

「オヤジ、もう少しだ。絶対安静だもんで
しょうがない、もう少し我慢してくれ」

というようなことを繰り返すしかない。

実際、四日ほどで、その状態から解放された。

しかし、もしかしたら、認知症で、動き回ってしまったりする
患者さんもいるだろうし、このように手足を何日も
縛るケースがあるのではなかろうか、、、。

病院にしろ、介護施設にしろ、責任問題という現実がある。

あまりにも苦しむオヤジを見て、夜中看護婦さんに
「私が責任を持ちますので、どうか手だけでもほどいてやってください」
と、頼んだ。

私も徹夜四日目である。

こんなことが続けれるわけではない。

死に際して、おいて病気になるというのは、
何らかのこのような辛い現実が待っているということ。

我々の時代は、かなり老人の方が増えるし、
その扱いはどう考えても、雑になるのは、目に見えている。

話は、長くなってしまったが、人生の最終盤に
「老」、「病」、「死」、「別れ」というとても困難なことが、
一気に襲ってくるということ。

その時のための心構えというモノをしっかりと持たなくては
ならないし、それらをどのように自分が受け入れるのか、
よくよく考えなくてはならない。

死について、いろんなイメージがあると思う。

ある人が言っていたが
「死んだら、なんだか軽くなり、上空にある
大きな大きな光の中に溶け込んでいく」

と、、、。

これは、もちろん夢物語だろうが、しかし、
どんなイメージをもつか、そしてそれがもし
それで心が軽くなるのであれば、宗教的な
考えもありがたいように思える。

もし、死んだ後も、強い悲しみや、怒りをいだいていたら、
果たして体は軽くなるのだろうか、、、。

その念に縛られ、昇華することができず、
この世をさまようことになる。

これも夢物語であるが、そのようなイメージをいだくのは、
自由である。

つまり何が言いたいのかというと、死ぬまでに
心を軽くしとけということ。

それは煩悩をなるべく薄めること。

煩悩を薄めるといっても、そう簡単にできることではないので、
日々の日常生活の中で、訓練しておくこと。

そのことが、老後の老いて、病気になって、死んでいく身の上に
老いて、必ず大きな支えになるということ。

自分は、子供もいないし、誰も面倒を見てくれる人がいない。

希望としては、しっかりと両親を見送った後、妻も見送ってから
逝きたい。

特に孤独死でもいいと思う。

どこかで野垂れ死ぬというようなことでもいいと思う。

果たして、家族に囲まれて死んでいくというのは、
けっこういろんなしがらみの中で、亡くなるケースが多い。

病院や介護施設の都合もあるし、どのような死に方にしろ、
やはりかなり不自由で、不安や恐怖が伴うであろう。

それでは、今から、「終活」として、どのようなことをしておいた方が
よいのだろうか?

一言で言うなら、心を軽くする訓練を積むこと。

どのようなことが襲い掛かろうとも、その苦しみの
七割、八割が精神的な苦しみだと、誰かが言っていた。

心を軽くするというのは、自我を薄めること。

自分を忘れること。

その自我について、書くと長くなるので省略させていただくが、
自分という意識が強すぎれば、不安や恐怖で心が占領される。

それよりも、少しでも周りに意識を移すこと。

むしろ、自分のことより、家族のこと、周りのこと、社会のこと
など、そのようなことに意識を移す。

鈴木正三さんが、このようなことを言っていた。

「我が身を思う念(自己保身)」が分別(煩悩)の本質である」


私も働き盛りの50才なので、いろんなものを抱えながらしばらく生きなくては
ならない。

そんな中で、自我を薄める訓練を積んでおくと、
今後の人生において、必ず大きな財産になるし、
それが最大の終活になることは、間違いないように思う。


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2017年10月19日

私の「終活」、、、。

こないだテレビを見ていたら、タレントの長嶋一茂さんが
こんなことを言っていた

「私はもう残りの人生『余生』だと思ってますよ。
だって、むかしは人生50年だったでしょう。私も
もうすでに50を過ぎているので、後の残りの人生は
余生のようなもんですよ〜」

と、、。

最近のテレビ番組で、一茂さんは、数十億と言われる
父親の財産を放棄しているといっている。

「そういうので、もめたくないので。兄弟姉妹4人いるのですが、
すでに3等分だと言っています」

とのこと。

たしかに、残りの人生を余生と考えるのなら、
そのような遺産で自分自身が縛られることを放棄するというのは、
かなり心のぜい肉を落としているのではなかろうか。

私も一茂さんと同世代の50才だ。

人生の三分の二が終わってしまった。

しかし、本当に「三分の二」なのだろうか??

小学生の時に一ヵ月と、50代での一ヵ月を比べてみれば、
はるかに50代の方が短く感じる。

50代になったばかりとは言え、60になるまでの後10年なんて
あっという間だということは、目に見えている。

そうおもえば、体感時間で言えば、私の人生など
もう80%ぐらい過ぎていることになる。

あまり周りには、言えないが、私はすでに「終活」に入っている。

「終活」といっても、自分の葬式をどうのとか、
財産をどうのとか、そんな話ではなく、
一言で言うなら「死」に対しる心構えの問題だ。

お釈迦様でも、キリスト様でも、誰でも「死」というモノは、
訪れる。

「死」だけでなく、老いが伴い、病気になって、多くの親しい人と別れ、
一人で旅立たなくてはならない。

「死」だけでも、大変なのに、「老」、「病」、「別れ」と、
人生最大の困難が、一度に襲ってくる。

死んだら、どうなるのか?

それだけでも、恐怖であり、不安である。

病気になり、七年間の寝たきりの状態後、旅立ったうちの祖母、、、。

働き者であった祖母が、ある日突然、寝たきりとなり、
おむつの中で、ウンコ、おシッコと共存する生活が、
とても耐えられない様子だった。

あれだけ、穏健であった祖母が、鬼のような顔で、
怒鳴る姿を見て、やはり相当な心構えが必要だと
つくづく思った。

死の恐怖とどう向き合うか?

老いという情けなさをどう受け入れるか?

病気への不安?

親しかった家族や友人と別れなければならない悲しさ、、、。

こういうモノが、人生の最終盤で一気に襲ってくる。

それこそ、その人が人生をどのように過ごしてきたのか、
試されるようなことだと思う。

肉体的な辛さと、精神的な辛さとあるが、
どんなことでも、そのつらさの大半が精神的な辛さだと
誰かが言っていた。

例えば、明日嫌なお客さんに会わなければならないとする。

もう一週間も前から、そのことが頭から離れない。

そのお客さんと会うのは、ほんの1時間ほどだとすれば、
心の負担を抱え込んでいるのは、はるかにそのことに対する不安である。

恐怖、不安、寂しさ、悲しさ、そのような煩悩とどのように向き合うか?

どのように向き合う訓練を積んできたか?

それが、人生の最終盤に試されることになる。

そして、あまりにも強い例えば悲しみだとか、怒りだとかの
煩悩をもって亡くなったとするならば、魂が昇華できずに
その念がこの世をさまようことになるのでは、、、。

そのような「念」がこの世をさまよっているような気がする。

自分をどう忘れるか?

自我をどう薄めるか?

これには日ごろの訓練が必要であり、
日々の生活の中で、いろんなことを経験しながら、
積み上げていくしかない。

いつまでも、つまらない維持やプライドで、
自分を縛りつけるのか?

いつまで、世間の噂話の中だけで、生きようとするのか?

自分の人生の主人公は、自分自身であり、
心のぜい肉を落とせば、かなり視野が広がるような気がする。

人生の最終目標が「死への備え」というとかなり後ろ向きに
思われがちだが、しかし心のぜい肉が落ちてくると、
だんだんと自分を解放することになる。

そうなれば、かなり軽くなり、愉快な人生になるのでは、、、。

ラベル:終活
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2017年10月18日

「ダメな人は、すぐにすごい人と自分を比較したがある」と、、、。この言葉って、的を射ているのでは、、、。

 最近、仕事から家に帰ると、必ず愛犬パンチが
玄関で出迎えてくれる。

玄関から家に入り、所定の場所に、バック、メガネ、
財布、弁当箱など置くため、
家の中をまわるが、その時もパンチがついてくる。

そして、その日常の行事が終わり、振り返るとパンチがいるので
「コラ〜待てぇ〜パンチ」というとパンチが逃げていく.

そこから追っかけっこが始まる。
そして最終的にソファーの上で、パンチがつかまり、
体中をなぜくりまわして、遊んでやる。

そして、食事をした後、パンチとソファーの上で、
横になってテレビを見ている。

本来の犬というモノは、危険と隣り合わせなので、
すぐに行動できるように、うつぶせになって寝るものだが、
うちのパンチは、よくあお向けになって寝ている。

その姿を見ると、なんだかとても幸せな気分になる。

なんか、こんな日常のことであるが、
パンチといるととても幸せだな〜と感じる。

ふと思うが、以前は、私にはこのような幸せを
感じる「力」があっただろうか、とふと思う。

常に何らかの不安をかかえ、それがまた原動力となり、
人一倍、がんばってきたように思う。

しかし、最近、強く思うが幸せを感じれるのも「能力」だと思うし、
多くの人がたとえ恵まれている環境でも、幸福感を味わえていない
ような気がする。

確かに、若いころは不安などを原動力にして、
がむしゃらに頑張り続けることも必要だ。

しかし、いつまでもそのようにしているのもうまく言えないが、
逆にその人の人生をいろいろと阻害する場合があるように思う。

幸せを感じるということは、心にゆとりが持てる。

心にゆとりが持てれば、客観的に自分自身を見つめることができ、
周りがしっかりと見えてくる。

「『ゆとり』なんて、生活にいっぱいいっぱいで、
そんなんもてるのは、セレブぐらいじゃないの〜」
というような声が返ってきそうだが、モノの見方、考え方で
かなり変わってくるのではなかろうか。

「私は、みんなに尊敬されなければいけないんだ」
とか、

「こんな弱くてどうするんだ」
とか、

そのように強く思いすぎれば、自分を責め続けることになり、
恵まれているにも関わらず、狭い檻の中に閉じ込められている
状態になってしまう。

しかし、等身大の自分と向き合うって大事なことだ。

例えば、いつも切羽詰まっているような人に
人は集まるだろうか、、、。

それより、どこか心に余裕があり、人を和ます人にこそ
みんなが集まってくるように思う。

運も違ってくる。

切羽詰まっている人に、その目の前のチャンスが見えやしない。

切羽詰まっている人に、自分というモノが見えていない。

心にどこか余裕がなければ、見栄を張りたがる。

その張り子の虎の自分を自分だと思い込んでいる人って
けっこういるように思うが、そんなんで何かやろうとしても
なかなかうまくいくことは少ないように思う。

本当に強い人というのは、目の前のことを一生懸命やれる人。

小さな努力を積み上げれる人、、、。

そのようなことをある有名な登山家が言っていたが
その通りだと思う。

常に心がてんぱっている人には、自分自身のことなど
分からない。

どこか、心にゆとりがなくてはならないような気がする。

そうすれば客観的に自分が見え、今この一瞬が何をするべきか、
より正確に理解できるのではなかろうか、、、。

斎藤一人さんが
「ダメな人は、すごい人と比べようとする」
と、、、。

今日、このように手が動く、足が動く、息ができ、
食事も喉に通り、トイレで踏ん張ればしっかりと大きな
一本が出る。

多くの人が自身の健康に苦しんでいるし、
いずれはこの身体も病気になって老いていく。

そう思えば、ありがたいよな〜。

うちの両親、義理の両親、確かに体に悪いところはあるが
まだ健在である。

盆正月には、みんな集まり、ワイワイやれる。

これってありがたいことだよな〜。

オヤジの昔の話を聞けば、そのほとんどが
食べものの話、、、。

スーパーに行けば、溢れかえる食糧、、、。

外食ができ、少しお金を払えば、食べ放題も可能だ。

果たして、これって多くの人が飢餓に苦しんでいる中で、
本当に当たり前なのか、、、。

また、時代的に言ってもこれほど飽食の時代はないし、
今目の前に、何か食べものがあるというのは、
ありがたいことではないのだろうか、、、。

不安探しに明け暮れているよりも、
自分の幸せ探しに一生懸命になっている方が、
明らかに見えるものが違ってくる。

安全で、電気、ガス、水道が完備され、電車に高速道路もあり、
これだけ社会インフラが整備された国って、そうそうないように思う。

女性が一人で夜歩ける、自動販売機が壊されずに設置できる。
これも幸せなことだ。

そう思えば、この日本に生まれたことだけで
かなり幸運なような気がする。

常に、幸福探しをした方のが、必ず運も開けてくるような気がしてならない。

上を見ればきりがないし、着実に言えることは、
上へ行けば行くほど、競争が激しくなり、修羅の心を待たなくては
生きていけなくなる。

それでも、そのような世界で生きていかなくてはならない人も
いるだろうが、生存競争に明け暮れ、なぜここにいるのかという
目的意識をしっかりと持っていないと、自分を見失ってしまう。

常に、自分を点検しなおす、それぐらいの余裕を持てるように
なると、さらに人生がより良いモノになるのでは、、、。







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2017年10月14日

「思考力」を鍛えるには、、、。好奇心と自主性について。

先日、うちの会社である試作で、セラミックスのボールを
手作りで作ることになった。

こういうの一番得意なのが、94歳になるうちの会社の会長さん。

会長が言うには、
「わしはそうだな〜、10代のころが一番器用だったかな〜」
と、、、。

会長は、もう少し年の若い小学校の頃か、1メートルもの蒸気船をつくり、
蒸気機関は、どこかから手に入れて乗せ、石炭の変わりに
アルコールで走らせたという。

とにかく、昔は飛行機の設計をしていたらしく、
やたら機械類には詳しい。

そんな会長がポツンと言ったことは、
「やっぱり小さいときに、思考力を鍛えることだな〜」
と、、、。

思考力を鍛えるには、やはりいろんなことをやってみるということだ。

いろんな事と言っても、ただ与えられることだけをこなしていてはだめだ。

一番大事なのは、自主的にやってみること。

小学校の六年生のときに、
理科の授業を、当時教頭のI先生が受け持った。

今では、とても信じられないのだが、
I先生が一番最初の授業のときに、
「それでは教科書を閉じてください。
私の授業では一切教科書を使いません」
と、言われた。

何のことかさっぱり分からなかったが、I先生は
「身の回りのことで、何か疑問に思っていることは
ありませんか??それを一つ一つ解決していきましょう〜」

というようなことをおっしゃった。

いろんな意見が生徒側から出され、それを一つ一つ解決することを
一年間の授業でやることになった。

私もよくつりに行く近所の池のことについて、話した。

「近所の池に、フナぐらいの魚の集団が、いくつもかあり、
その集団の中に必ず一匹だけ、赤い魚がいる。なぜでしょうか?」
と、、、。

そのことも授業でやり、それを見にみんなで調査しに行くことになった。

「それまで、あなたはその池の魚を観察し続けてください」
と言われ、よく見に行った。

その後、I先生に合うたびに
「魚の様子は、どうだ」と、聞かれる。

それも、なんだか励みになり、熱心に魚の観察を続けた。

しかし、観察を続けるにしたがって、
赤い魚がけっして、集団の中に一匹だけではないことが分かった。

あるときは、ひとつの集団に三匹かたまっていたり、
まったくない集団もいる。

つまり、だいたい集団の数ぐらい、赤い魚がいて
それが全体として一匹だけ集団にいるように見えたようだ。

結局、みんなでその池を見に行く前に、問題が解決してしまい、
その行事は中止になった。

I先生は、「よく観察を続けてくれたね〜」とほめてくれた。

教科書を使わない授業と言っても、結局、あとで教科書を除いてみると、
その七割ほどは、魚の解剖など、教科書でやる内容であった。

つまり、上手く先生に乗せられたのかもしれないし、
それでも、なるべく子どもの好奇心を大事に自主性を
引き出すことが、やはり思考力を鍛えることにつながる
ような気がする。

また、小学校の低学年のときの音楽会で、こんなことがあった。

その音楽会は、全校の生徒、先生、そして父兄の前で、
各クラス単位で、発表する。

そして、小学校の低学年なので、どうしてもハーモニカが
上手くふけない子が二、三人いた。

そのふけない子のハーモニカの音が出るところに、
当時の担任の先生がセロハンテープを張り、その子たちの
ハーモニカの音が出ないようにしてしまった。

未だに、なぜ先生があのようなことをしたのだろうか?

みんなでいい成績をとって、達成感を味あわせたかたのか?
それとも、父兄のまで、上手く出来ないことに対して
体裁が悪かったのか、、、。

わたしなら、小学校の低学年であり、下手で当たり前。

そのような子にも思いっきりふかせる。

達成感と言っても、果たして、その子たちの気持ちは、、、。

周りにその様子を見ていた子どもたちは、どのように思うのか、、、。

そのことを考えると、あまりいい感じはしない。

それに、果たして、成功した経験と、悔しかった経験、
もしくは失敗した経験とどちらが後々考えれば、
人生にとっていいのか、、、。

もし、あの時、あの悔しい思いがなければ、、、。

そんなことって、いくらでもある。

大人の体裁のために、子ども型にはめ込むというのは、
思考力を鍛えるという意味で、どうなのかとも思う。

それに、仕事上のことで、会社が潰れるか、どうかのことではない。

たかだかって言ったら失礼かもしれないが、
小学校の音楽会の話しだ。

成功して、みんなで達成感を味わうのもいい経験かもしれないし、
あまり上手くいかなくて、悔しい思いをするのも、
それ以上にいい経験になるのでは、、、。

成功の経験も、失敗の経験も、神様がその人にベストのときに、
必要なモノを与えてくださる。

そんなことをある人が言っていた、、、。

子どもって、私ら大人よりも、はるかに感受性が強いと思う。

小学校のときの関西出身の少年野球の監督さんに、
監督さんの実家に泊めさせてもらい甲子園の高校野球を
身につれてってもらったことがある。

私は小学校六年生で、同級生三人と行ったのだが、
とにかく新幹線に乗るのも初めて、大阪、神戸の都会に
いくのも初めて、農村以外のところで泊まるも初めて、
何から何まで、初めて尽くしで、小学生にとっては
とてもいい刺激になった。

例えば、今の齢になって、初めて大阪に行ったとする。

果たして、感動はあるだろうかといえば、いろんな街を
見た経験があるので、それほど驚かないのでは、、、。

小学生のときに経験したこと、そしてその後、今の自分まで
40年という時間があること、これらをことから
やはり感受性の強いその時期に、そのことを経験したことは、
よいことだったと思う。

私も自分の身の回りの子供たちに、なるべくそのような
ガツーンとくるような経験をさせたいと、機会をうかがっているが、
そのことで何らかの変化を起こすとは限らない。

むしろ、何かいい刺激になることの方がはるかに少ないのかもしれない。

しかし、だめでもともと。

できる限りのチャンスをものにできるようにすればいいような気がする。

私も、いろんな大人にお世話になって今がある。

それに、具体的に言えば、年金制度を通じて
われわれは若い世代にお世話にならなくてはならない。

エネルギーもない、食糧自給率も乏しい日本が、
ある意味マンパワーだけで、ここまでこれた。

周りを見ていると、与えられることに慣れすぎて
しまった人が多いように思う。

もう少し、こんなこんな考えができるのでは、、、。
もう少し、思考力が働ければ、、、。

それには、やはり訓練が必要であろうし、
やはり会長が言うように、なるべく若い頃に
思考力を鍛える必要があるように思う。

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2017年10月11日

北海道11区が面白い!! あの陸山会事件、石川知裕氏の奥さん石川香織さん立候補!!

今日、新聞の朝刊に全国の各政党の候補者が載っていた。

注目は、北海道11区!!

あの陸山会事件の石川知裕さんの奥さんがである
石川香織さんが立候補することになった!!

うれしいね〜!!

ホント、うれしい限りだ!!

あの陸山会事件で、石川さんは本当に国家権力に対して
立派に戦われた。

当時の石川さんは、陸山会事件により、衆議院議員をやめ、
裁判では敗北、、、。

マスコミにも散々たたかれてきた人だった。

そんな当時の石川さんと結婚なさった香織さん、、、。

本当に、ありがたい限りだ。

石川さんの勇気、私の胸に強く刻まれているし、
多くの司法、検察の在り方、そして日本を支配している人たちの
存在などなど、いろんなことが多くの国民に知らしめられた
事件だったと思う。

民主党政権交代のリスク、、、。

石川さんは、小沢さんの住み込み秘書であり、
ベビーフェイスで、落ちやすいと思われてねらわれたの
かもしれない。

しかし、根はしっかりとした信念の持ち主で、
あの著書である「悪党小沢一郎に仕えて」なんてとても面白かった。

まだ、石川さんは立候補できないのかもしれないが、
奥さんも芯の強い人のようだし、是非とも石川夫婦に
幸せが訪れることを願ってやまない。




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2017年10月10日

大正生まれの男たちとは、、、。その偉業は計り知れない。

先日、あの「永遠のゼロ」や「海賊と呼ばれた男」の著者、
百田尚樹氏の講演会に参加した。

百田直樹氏というと、なかなか過激な発言をすることで有名だが、
「永遠のゼロ」や「海賊と呼ばれた男」は、とても名作だと思う。

そのあたりの話をじっくり聞きたいと思い、講演会に参加した。

最初は、安保や改憲の話。

私も安保も重要なことであるし、改憲も決して反対ではない。

しかし、その方法論が、若干、百田氏とは違う。

百田氏も言っていたが、右も左も、結局は目指す目的は同じ。

日本をより良くしようという気持ちは、変わらない。

まあその話をすれば長くなるので、今日は、その公演の中で、
一番心に響いた話を紹介したい。

それは、大正生まれの世代についてだ。

この世代というのは、非常に苦労した人たちであり、
また、今の豊かなこの日本を造り上げた人々だ。

日中戦争、第二次世界大戦と、大正生まれの人々の青春時代というのは、
まさに戦争そのものだ。

大正時代に生まれた男性というのは、約1300万人いるとのこと。

そのうち、200万人を超える人が戦死されたという。

だいたい、6人に一人の割合だ。

さらに、それが大正時代後期に生まれた人で計算してみると、
もっと比率が高くなる。

さらに、もっと年代を選別してみると、
例えば、うちの会社の会長は、大正12年生まれ。

終戦を22歳で迎えた。

会長の同級生の約半数が、戦死しているとのこと。

確かにそうだろうと思う。

知覧の特攻会館に行っても、戦死者の歳を見ると、
だいたい20前後、、、。

兵卒として、最前線で戦争に参加した世代だ。

さらに、百田氏は語るが、永遠のゼロで描いた特攻隊員と
戦争から帰ってきて、奇跡のように日本を復興させた
海賊と呼ばれた男に描かれている若者たちは、同世代であり、
この大正生まれの人たちが主軸だ。

例えば、海賊と呼ばれた男の中で、元海軍の石油貯蔵地下タンクに
入り、バケツで石油をくみ上げた若者たちは、まさに
戦争の生き残り、、、。

この人たちの頑張りがあったからこそ、今の日本の豊かな生活がある。

公演の中で百田氏が語っていたが、例えば今の若い人が
こんなことを言うという。

「我々は、就職してから、高度経済成長もなく、
バブルも味わっていない。まさに不幸の世代だ」
と、、、。

しかし、どうだろうか?

バルブをひねれば、きれいな水道の水が飲める。

ガソリンスタンドが各地にあり、たいていの人が車に乗れる。

農地も整備され、高速道路、ダム、発電所などなど、
世界を見渡しても、これほどきめ細かに社会インフラが整備された
国というのは、それほどない。

これって決して当たり前のことでない。

戦争で生き残り、必死に日本を再生させた
大正時代の人たちの造り上げた基盤の上で私たちはこのような豊かな
生活を送っている。

例えば、うちの会社でも、韓国で終戦を迎え、帰国した
うちの会社の会長が立ち上げた。

ロボットやいろんな機械等、確かに古くなってきているが、
どれもこれも、もしこれらの設備がなければ、今の会社は成り立たない。

会長が死に物狂いでやってきた土台の上で、
今、我々が飯が食えている。

会長の世代の人に、
「同級生の多くの人が戦死し、戦争から帰ってきて、
どのような思いが強かったのですか?」

と聞いても、なかなか照れてなのか、答えてくれない。

もし、会長のように、自分が運よく生き残り、多くの同級生たちが
戦地で亡くなられたとしたら、どのように生きようとするのだろうか?

「彼らは、洗脳されていたんだ」という言葉で片付けるには、
あまりにも思慮が狭すぎる。

そして、戦争から帰ってこれば、価値観も大きく変わってしまい、
戦争に行った人は、軍国主義者のように非難される時代となった。

そんな中で、必死に日本再建に取り組んだ大正時代の人々、、、。

本当に、頭が下がる。

戦争体験者に、私が必ず聞くことは
「自分の死についてどう思いましたか?
死ぬのが怖くなかったですか?」
と聞くと、

ある老人は、こんなことを語ってくださった。
「自分の死とか、そんなこと言っている場合ではなかった。
それよりも自分の世代で何とかしなくては、、、という思いが
強かった。みんなそうじゃったよ」
と、、、。

自分の世代で、、、、。

確かに、一番体力的に体が動き、最前線で戦える世代だ。

自分のことなど、かまっていられない。

自分の祖国を、故郷の難局を何とかしなくてはならないと、、、。

うちの会長が言うには、
「みんな天皇陛下ばんざ〜いなんて言って、死んでいったわけではない。
ほとんど人が、『おっかさ〜ん』と、叫んで死んでいったよ」
と、、、。

日本というより、故郷、そしてイメージとしてその故郷の中心的な
存在である自分の母親、、、。

これって、多くの人が持てる感情のような気がする。

私たちは、多くの先人たちの血のにじむような努力のおかげで、
今の生活があるということ。

そして、今我々が次の世代に何を残すのか?

一人一人が、よくよく考える必要があるのでは、、、。

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2017年10月02日

いったいこの総選挙はどうなるのか???小沢一郎さん、森ゆうこさん、中村てつじさん、あんた方に私の一票を託したい。

「安倍政権をとすために、名を捨ててい実を取る。
もう一度政権を奪取しよう〜」

と、高らかにうたって、民進党を事実上回答した前原氏、、、。

しかし、
「すべての民進党議員を受け入れるわけではない。
安保と改憲で、ワンボイスで戦える人に来てもらう
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」


う〜ん、、、。

「大阪維新の松井氏、愛知県知事の大村氏と連携して戦う
、、、、、、、、、、、、、、、、。」


維新の会って、ほとんど与党側じゃないの、、、。

なんか、かなり雲行きが怪しくなってきた。

リベラルを排除したことで、かなり票が逃げ、
政権奪取にはほど遠くなる。

次の次って、そこまで、希望の党が存在するかわからないし、
人気にもかなり陰りが出てくるであろう。

むしろ、「脱原発」でまとまったらどうなのか。

私は、改憲には反対ではない。

しかし、TPPの要素をふんだんに入れた、新自由主義的な
憲法に変色するのであれば、断固反対である。

2012年の総選挙、橋下氏が突然、東京の勢力である
石原氏らと手を組んだ。

その頃、たまたま喫茶店でコーヒーを飲んでいたら、
隣に坐る地元のおじさんが、
「今回、維新に入れたよ〜」
というようなことを話していた。

しかし、その後の結果を見れば、橋下氏の維新は、
ただその総選挙を攪乱しただけ、、、。

このままいけば、そうなってしまう。

しかし、野党がまとまらなくては選挙に勝てない。

一体、どうしたらいいのか?

その辺は、もう政治の世界の技術であり、
その中で、どう読むかということになる。

私のような素人があれこれ考えてもしょうがない。

それなら、信頼できる政治家の意見に託そうと思う。

小沢一郎さん、あんさんはどのように考えているのか??

森ゆうこさん、どうしよか??

佐賀でがんばっとる中村てつじさん、この辺りの
今後の政治の流動性を、どうかブログでも語ってもらいたい。

私の大事な一票を、彼らの意見を十分に参考にしたいと思う。


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「関ヶ原」三成の正義とは、、、。「厭離穢土欣求浄土」の家康が世をどのように見ていたのか??

先日は、念願だった映画「関ヶ原」を見に行ってきた。

岡田君、すごい迫力、、。

また、島左近訳の平岳大もよかったね〜。

全体として、とてもいい作品だと思う。

だいたい、映画に行くとつまらない映画だと、眠ってしまうことが
多いのだが、食い入るように最後まで見た。

また、この映画をDVDでもいいから、見てみたいとも思った。

果たして、三成が何度も主張する「正義」とは、何だったのか?

正義なんて、人によってはかなり違ってくるし、
「正しい」とされてきたことが、時代が変わることによって、
大きく変色することもある。

家康でも、他の大名でも、多くの家臣や一族郎党を抱える中、
家の存続というのも、各々の「正義」であろう。

また、現在の大河ドラマで放映されている直虎の井伊谷、、。

徳川が強くなれば、徳川に、、、。
武田が強くなれば武田へ、、、。

彼らにとって、村の存続こそ、かけがえのない「正義」である。

あくまでも映画の中での話だが、本心を隠し、
天下を狙う家康に対し、いずれ豊臣家が危うい。

そのことに一番、敏感に感じ取っていたのは、三成であり、
その豊臣家の存続こそ、三成が語る「正義」であった。

もちろん、豊臣家の大番頭として、秀吉の権威を高めるためにも、
三成は嫌なことを他の大名に言わなくてはならない。

たしか、どこかの映画での家康の言葉であるが、
「三成のような家臣が欲しかった」というようなことを語っていたが、
その通りだと思う。

自ら汚れ役を買ってくれ、自身の権威を高めてくれるような家臣がいれば、
こんなありがたいことはない。

その豊臣政権内での嫌われ役的な立場に立たされていた
三成の焦りも、関ヶ原の原因だったような気がする。

三成が語る豊臣家存続という「正義」、、、。・

それが果たして日本全体から見たら、正義だったのか?

もし、あの時、関ヶ原で西軍が勝っていたらどうなっていたか?

毛利・上杉は、200万石級の大名へ、、、。

島津、宇喜多あたりも150万石級の大名だ。

なぜ、あのような戦国の世になったのかと言えば、
室町幕府の統治機能が著しく低下していったこと。

その大きな原因は、細川、畠山など、守護大名の強大化だ。

上杉、毛利、島津など、まったく豊臣家にとっては、
外様大名であり、果たして、大阪の幼帝秀頼や淀君の命に従うのだろうか?

みんな実力で這い上がってきた武士である。

実力がなければ、滅ぼされるということをいやというほど
見てきた人々だ。

そんな実力が伴わない大坂城住人たちは、あの巨大な城と、
権威、そして金銀財宝、これらが「いつか自分も、、、」
と思う多くの武士たちに、どのように映るのか??

大坂冬の陣、夏の陣を参考にすれば分かる。

全国から、浪人衆が集まり、その時は秀頼・淀気味も
コントロール不全であった。

「このままでは終わらない、いつか自分も大名に」
というような思いが、彼らにもあったのでは、、、。

福島にしても、加藤にしても、山内にしろ、黒田にしろ、
細川にしろ、当時の大大名というのは、
元はといえば、桶屋か、身分の低い侍、、、。

それらが、戦国の世という乱世によって、
大きな城を構え、たくさんの家臣を抱え、ふんぞり返っている姿、、、。

浪人衆には、どう映るのだろうか?

大陸進出が失敗した以上、増える領地はない。

なら、その浪人衆のその野心を何とかしないと、
いつまでたっても太平の世などは、訪れない。

これこそ、一番、世が乱れる原因、、、。

それに、よくよく考えてもらいたい。

二度にわたる唐入りの失敗により、
日本は厭戦ムードだ。

秀吉軍団とは、日本の歴史上、一番の上昇志向集団だ。

果たして、そんな豊臣政権が、拡げる領土もなく、
果たしてどのように維持できるのだろうか?

一番の問題は、有り余る兵士だ。

全国を統一するまでは、兵士はとても必要な存在であった。

「もう、天下取ったで、おまんらいらんわ〜」
なんて、豊臣政権が言えるわけがない。

「日本にもう奪う領土がない、なに言っとりゃ〜すか、
ほんなん海の向こうには、朝鮮もあるし、唐もあるやろが。
おまんは、北京辺りで100万石あげるでよ〜、きばってちょ〜」

というようなのりで、大陸進出を実行した。

どの時代にも、どの世界でも統一後の「兵士の雇用」という問題は、
その政権を揺るがしかねない。

ひとことでいうなら、兵士をどのように「帰農」させるか、
安定した世を造るには、非常に重要になってくる。

「厭離穢土 欣求浄土」、、、。

家康の旗印であるが、これはもう桶狭間直後ぐらいから使われていると聞く。

秀吉が死に、朝鮮出兵が散々な結果になった現実、
そんな世の中を、家康にはどのように映っていたのだろうか?

また、秀吉末期、秀吉をどのように見ていたのだろうか?

家康は、年老いた狂人のように映っていたのではなかろうか、、、。

もちろん、世の中を安定させるという理想をもって、
家康が戦っていたとは、言い切れない。

しかし、そのような思想の持ち主である家康は、
徳川家の安定と、日本全体の安定というのは、
ほぼ同義語であったように思う。

当時大大名であった家康は、もしどこかで戦があれば、
必ず巻き込まれる。

そして、家康は、今川、武田、北条、織田と、
家康が恐れをなしてきた大大名たちが、次々に没落して
行くのを目の前で見ている。

今の250万石という大大名の地位が、
果たして家康にとっては、永遠のモノではないということを
十分すぎるほど認識していたはずだ。

家康は、秀吉により関東に移封されていた。

その関東平野で、江戸城の修繕も後回しにして、
大々的な新田開発を手掛けていた最中だ。

先ほどの「兵士の雇用問題」という大きな政治課題に対して、
どのような考えを持っていたか、なんとなく想像がつくのでは、、、。

それに、戦続きで世が乱れていれば、収穫間際の他の村に対する
乱取り、人さらい、殺人、村や用水路の破壊など、
頻繁に多発する。

世が治まるだけで、それらがなくなれば、日本全体として、
かなりの収入が増えることになる。

そして、兵士をなるべく帰農させるためにも、
その後、日本全国で展開される新田開発がどうしても必要だった。

そのことにより、その時期日本の人口がかなり増えたことも
事実である。

外にフロンティアを求めず、内側にまだまだ開発の余地がある。

その中心が関東平野であり、各大名も競って自身の領土の
新田開発に取り組んだのが、江戸時代である。

もし、関東平野の莫大な水田がなかったら、
幕末時にのらりくらり、列強の進出をかわすことができたという人もいる。

イギリスやフランスらも、確かに軍艦で海からの攻撃には強い。

しかし、田んぼという沼地や森林、あぜ道という日本の環境で、
それらの国の陸戦隊が内陸地で勝てただろうか?

食糧生産が豊富で、自給自足率の高く、国が一つにまとまって
闘うという意識があれば、ゲリラ戦でも展開すれば、かなりやれたと思う。

イギリスなどの侵略の手口は、その国を分断する。

そして、そのどちらかを手先にし、その土地を分捕る。

当時、関東平野に見渡す限りの田んぼ、、、。

そして、当時の支配階級も、うまく戦乱を必要最小限に
抑え、日本を明治へと導いた。

いろんな評価もあるが、多くの国々が植民地になる中で、
すごいことだと思う。


「厭離穢土欣求浄土、、、。

競争、競争と、世の中、喰うか喰われるかの死闘を、
必死になって行っている。

一体、誰が幸せなのか、、、。

あまりにも競争が激しくなれば、「欲」というより、
自分が没落するのではないかという「恐怖」の方が、
心の中を占領してしまう。

最後にある仏教の教えを紹介して、この記事を終了したい。

地獄でも極楽でも、大きな釜でうどんをゆでている。

そのうどんを1メートルの箸を使って、食べなくてはならない。

地獄では、誰もが、競って食べようとするので、
みんながうどんを食べることができず、餓死してしまう。

極楽では、互いに助け合い、長い箸を使って、
相手に食べさせあい、みんな満腹となった。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・



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2017年08月27日

信長が「天下不武」とは、室町幕府を立て直すスローガンって???ホンマでっか???

信長について、NHKのある歴史番組で、
次のようなことが語られていた。

「信長自身、戦後にもてはやされるんですよね〜。
戦後のイケイケドンドンの時代に、地方の小大名から
天下人に上りつめる。その過程で、規制の体制を打ち破って、
新しい時代を作っていく。そうして時代背景が、
信長のイメージを押し上げたんだ」

と、、、。

では、どのような方向で見直されつつあるのかというと、
次のようなことが語られていた。

「当時、室町幕府が動揺しているので、信長としては
幕府を立て直すという発想があって、『天下不武』とは
そのスローガンであった」
と、、、。

「上杉、武田などの大大名との外交関係の中で、
信長は当時の社会秩序の中に身を置いていた。
大名としては、セオリー通りの行動」
と、、、。

う〜ん、う〜ん、正直なところ、
いったいどう見れば、このような発想になるのだろうか?

この番組で語っていたように、確かに私も戦後生まれであり、
イケイケドンドンの信長像に染まりきっているのか???

それとも、『信長公記』などを超える一級資料が見つかったのか?

もし、見つかっていないのなら、今まである既存の資料の中で、
どのように解釈するか、解釈変更ということになる。

「天下不武というのが、信長が室町幕府を
て立て直すためのスローガン、、、」
となるのなら、その室町幕府を最終的に葬り去ったのは、
いったい誰なのか、、、。

足利義昭を奉じて、上洛後、副将軍という義昭の要請を
断ったのはいったい誰なのか、、、。

さらにその時期に、義昭の行動を規制するための
「殿中御掟」九か条と「追加」突きつけた信長、、、。

こうなれば、明らかに将軍義昭のロボット化である。

謙信や信玄に贈り物をし、こまめに気を使いながら、
ご機嫌うかがいをしていたから、当時の社会秩序の
中に身を置いたセオリー通りの行動だというような
ことを言っていた。

しかしそれが、果たしてそれがその社会秩序を
大事に思っての行動だったのかどうか、、、。

大改革であればあるほど、多くの敵を作ることになる。

組織として、急成長すれば、これまた多くの摩擦が起こる。

身近な敵と戦いながら、遠くの信玄や謙信となるべく
良好な関係を築く。

これって当たり前のことにように思えるのだが、、、。

ではその後、信長が武田氏や上杉氏をどうしたか?

信長は、最大の敵である石山本願寺を下した後、武田氏を滅ぼしている。

その後、上杉も信長に攻められ、風前の灯、、、。

もし本能寺の変がなければ、確実に滅ぼされていた。

私も歴史が好きであるが、歴史を見る上で、一番大事なことは、
当時のその人の立場にたって、歴史を見ることだと思う。

周りを敵に囲まれているときに、遠くの上杉や武田を敵として、
対立したいのか?

尾張の小大名が、なんの権威もないのに、いきなり京へ出て
「俺に従え」といっても、誰も従うはずがない。

例えば、サラリーマンでも、生きていくためには、
嫌いな上司にも、おべっかを使う場面もあるだろうし、
派閥もあれば、時としては大嫌いな相手に
頭を下げなくてはならない。

むしろ、そういうことに、どれだけ耐えれるか、
忍耐力の強さというものが、信念の強さ、
もしくはその人の器の大きさを感じる。

信長のように、強い自己主張を持てば持つほど、
周りに多くの敵を作ることになる。

例えば、本願寺と妥協すれば、どれだけ楽なことか?

領土を持っても、本願寺などが存在すれば、
虫食い状態、、、。

室町幕府がどうして、あのように乱れていたのか?

守護大名などが巨大化しすぎ、宗教勢力に対する
制御が利かなかったからでは、、、。。

逆に言えば、強力な統治体制が存在せず、
各々が自らの利益に走った結果、あの混乱が続いたのでは、、、。

中国などでは、その混乱の時代がどれほど続いたことか、、、。

そこから、強力な統治体制をつくることが
どれほど大変か、、、。

私には、「天下不武」というスローガンは、
そのような巨大化した戦国大名、宗教勢力を
武力を持って押さえ、統一国家を造るという
大きな目標を明確に示したもののように
感じる。

信玄や謙信のように、豊かな金山を持つわけでもなく、
信長の資金源とは、流通を活発にすること、貿易により利益、
工業製品など、どれもこれも、既得権益を持つ勢力が
邪魔をすれば、成り立たない。

あっちにいけば、信長と対立関係にある
浅井・朝倉がいる、こっちには本願寺がいる、
そんな中で、作ったものを流通させることは、
無理であるし、領土内でそのような活動を保障する
強力な政権が必要となる。

そのためにも、常に戦える軍隊が必要であり、
今まで守り中心の城も、便利な商業地に
立てる必要が出てきた。

一つ一つ検証すれば、明らかに信玄や謙信とは、
違う組織体制であり、その向かう方向もまったく
違って見える。

そうなれば、室町幕府という古い体制の中で、
信長という新しい勢力が生きていけるのだろうか、、、。

その性質というモノが、根本から違う。

今、私が述べてきたことも、戦後の信長イケイケドンドン史観と
言われれば、それまでであるが、今回、番組で戦国史の
専門家として登場された駿河台大学の黒田基樹教授の本を
じっくり読んでみようと思う。


posted by hide at 08:03| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする