2017年10月21日

自分の「死」について、考えてみると、、、。

 先日のブログで、私の終活と余生について書いた。

まだ、50になったばかりの私が、終活なんて、
アホちゃうかと、思うかもしれない。

しかし、人生80年とするならば、すでに三分の二は終わっているのだし、
例えば小学校の一ヵ月と今の一ヵ月では、明らかに
体感時間が違う。

そのように思えば、50代などあっという間、、、。

60代などそれより、加速度がついて過ぎていく。

人生50年と言われた時代が続いたが、そう思えば
今後の30年間など、余生であり、その残された時間を
大事にしながら、目的をもって生きていきたい。

その目的について、誰であろうと死に向かって生きていくことになる。

死への恐怖だけでも大変なのに、老いて体が動かなくなり、
病気になって、多くの親しい人たちと別れ、
一人で死んでいかなくてはならない。

「死」、「老」、「病」、「別れ」、、、。

これら一つだけでも大変なのに、人生の最終盤に、それらが
一気に津波のように自分の身に襲い掛かる。

働き者であったうちの祖母、、、。

最後は、七年間寝たきりとなり、亡くなった。

歩けない現実、、、。

体が動かない、、、、。

そして、おむつをはかされ、ウンコ、おシッコと
共存する生活が続く。

あれだけ、温厚だった祖母が、鬼のような顔をして、
怒鳴り狂う。

それでも、うちの母は、そんな姑を
しっかりと看護した。

よくやったと、私も誇りに思う。

うちの伯父が、80代で梯子から落ち、足の骨を折った。

そして、入院中、ベットのサイドについている枠を
不意に落としてしまった。

その様子を見て、看護婦さんの態度が明らかに変わったという。

しばらく、この人は、ぼけたと思ったのか、
接し方が無表情になったという。

私も、むかしホテルの宴会部で働いていたが、
いくつもの結婚式に立ち会い、最初は感動し、できる限りの
ことをしてあげようと思った。

しかし、それが100回、200回と経験してくると、
日常化し、とにかく早く終わらせたいというような
我々スタッフの都合を優先するように、心が移っていく。

職業病なのかもしれないが、現実そうしないとやっていけない。

何年か前、うちのオヤジが腸の手術で入院した。

その手術がなんと失敗、、、。

切った腸がしっかりとつないでなくて、再手術、、、。

しばらく絶対安静の日々が続いた。

「完全看護なので、家族の方はお帰りになって
けっこうですよ」


と、病院側は言うが、それでも一人の看護婦さんが
何室もの病室を受け持つ。

そしてオヤジかなり認知症もすすんでいるし、絶対安静なので、
看護婦さんが言う完全看護というのは、手足をベットに縛りつけ、
身動きが取れない状態だ。

手術後二日ぐらいはよく寝れたが、その後、どうにも寝れないようだった。

オフクロが介護しようとしたが、オヤジはおふくろには
とても強く当たるので、やらせれない。

そこで、私が四日ほど徹夜して、介護した。

手足を縛られ、夜眠れないオヤジ、、、。

風呂も入っておらず、背中がかゆいらしく、
何度も何度も、大きな声で、縛ってある手足をほどけと
大きな声で怒鳴ってくる。

「真面目にコツコツやってきたのに、何でわしが
こんな目に合わなならんのじゃ〜」

というようなことを、大きな声で夜中叫ぶ。

「オヤジ、もう少しだ。絶対安静だもんで
しょうがない、もう少し我慢してくれ」

というようなことを繰り返すしかない。

実際、四日ほどで、その状態から解放された。

しかし、もしかしたら、認知症で、動き回ってしまったりする
患者さんもいるだろうし、このように手足を何日も
縛るケースがあるのではなかろうか、、、。

病院にしろ、介護施設にしろ、責任問題という現実がある。

あまりにも苦しむオヤジを見て、夜中看護婦さんに
「私が責任を持ちますので、どうか手だけでもほどいてやってください」
と、頼んだ。

私も徹夜四日目である。

こんなことが続けれるわけではない。

死に際して、おいて病気になるというのは、
何らかのこのような辛い現実が待っているということ。

我々の時代は、かなり老人の方が増えるし、
その扱いはどう考えても、雑になるのは、目に見えている。

話は、長くなってしまったが、人生の最終盤に
「老」、「病」、「死」、「別れ」というとても困難なことが、
一気に襲ってくるということ。

その時のための心構えというモノをしっかりと持たなくては
ならないし、それらをどのように自分が受け入れるのか、
よくよく考えなくてはならない。

死について、いろんなイメージがあると思う。

ある人が言っていたが
「死んだら、なんだか軽くなり、上空にある
大きな大きな光の中に溶け込んでいく」

と、、、。

これは、もちろん夢物語だろうが、しかし、
どんなイメージをもつか、そしてそれがもし
それで心が軽くなるのであれば、宗教的な
考えもありがたいように思える。

もし、死んだ後も、強い悲しみや、怒りをいだいていたら、
果たして体は軽くなるのだろうか、、、。

その念に縛られ、昇華することができず、
この世をさまようことになる。

これも夢物語であるが、そのようなイメージをいだくのは、
自由である。

つまり何が言いたいのかというと、死ぬまでに
心を軽くしとけということ。

それは煩悩をなるべく薄めること。

煩悩を薄めるといっても、そう簡単にできることではないので、
日々の日常生活の中で、訓練しておくこと。

そのことが、老後の老いて、病気になって、死んでいく身の上に
老いて、必ず大きな支えになるということ。

自分は、子供もいないし、誰も面倒を見てくれる人がいない。

希望としては、しっかりと両親を見送った後、妻も見送ってから
逝きたい。

特に孤独死でもいいと思う。

どこかで野垂れ死ぬというようなことでもいいと思う。

果たして、家族に囲まれて死んでいくというのは、
けっこういろんなしがらみの中で、亡くなるケースが多い。

病院や介護施設の都合もあるし、どのような死に方にしろ、
やはりかなり不自由で、不安や恐怖が伴うであろう。

それでは、今から、「終活」として、どのようなことをしておいた方が
よいのだろうか?

一言で言うなら、心を軽くする訓練を積むこと。

どのようなことが襲い掛かろうとも、その苦しみの
七割、八割が精神的な苦しみだと、誰かが言っていた。

心を軽くするというのは、自我を薄めること。

自分を忘れること。

その自我について、書くと長くなるので省略させていただくが、
自分という意識が強すぎれば、不安や恐怖で心が占領される。

それよりも、少しでも周りに意識を移すこと。

むしろ、自分のことより、家族のこと、周りのこと、社会のこと
など、そのようなことに意識を移す。

鈴木正三さんが、このようなことを言っていた。

「我が身を思う念(自己保身)」が分別(煩悩)の本質である」


私も働き盛りの50才なので、いろんなものを抱えながらしばらく生きなくては
ならない。

そんな中で、自我を薄める訓練を積んでおくと、
今後の人生において、必ず大きな財産になるし、
それが最大の終活になることは、間違いないように思う。


posted by hide at 07:40| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年10月19日

私の「終活」、、、。

こないだテレビを見ていたら、タレントの長嶋一茂さんが
こんなことを言っていた

「私はもう残りの人生『余生』だと思ってますよ。
だって、むかしは人生50年だったでしょう。私も
もうすでに50を過ぎているので、後の残りの人生は
余生のようなもんですよ〜」

と、、。

最近のテレビ番組で、一茂さんは、数十億と言われる
父親の財産を放棄しているといっている。

「そういうので、もめたくないので。兄弟姉妹4人いるのですが、
すでに3等分だと言っています」

とのこと。

たしかに、残りの人生を余生と考えるのなら、
そのような遺産で自分自身が縛られることを放棄するというのは、
かなり心のぜい肉を落としているのではなかろうか。

私も一茂さんと同世代の50才だ。

人生の三分の二が終わってしまった。

しかし、本当に「三分の二」なのだろうか??

小学生の時に一ヵ月と、50代での一ヵ月を比べてみれば、
はるかに50代の方が短く感じる。

50代になったばかりとは言え、60になるまでの後10年なんて
あっという間だということは、目に見えている。

そうおもえば、体感時間で言えば、私の人生など
もう80%ぐらい過ぎていることになる。

あまり周りには、言えないが、私はすでに「終活」に入っている。

「終活」といっても、自分の葬式をどうのとか、
財産をどうのとか、そんな話ではなく、
一言で言うなら「死」に対しる心構えの問題だ。

お釈迦様でも、キリスト様でも、誰でも「死」というモノは、
訪れる。

「死」だけでなく、老いが伴い、病気になって、多くの親しい人と別れ、
一人で旅立たなくてはならない。

「死」だけでも、大変なのに、「老」、「病」、「別れ」と、
人生最大の困難が、一度に襲ってくる。

死んだら、どうなるのか?

それだけでも、恐怖であり、不安である。

病気になり、七年間の寝たきりの状態後、旅立ったうちの祖母、、、。

働き者であった祖母が、ある日突然、寝たきりとなり、
おむつの中で、ウンコ、おシッコと共存する生活が、
とても耐えられない様子だった。

あれだけ、穏健であった祖母が、鬼のような顔で、
怒鳴る姿を見て、やはり相当な心構えが必要だと
つくづく思った。

死の恐怖とどう向き合うか?

老いという情けなさをどう受け入れるか?

病気への不安?

親しかった家族や友人と別れなければならない悲しさ、、、。

こういうモノが、人生の最終盤で一気に襲ってくる。

それこそ、その人が人生をどのように過ごしてきたのか、
試されるようなことだと思う。

肉体的な辛さと、精神的な辛さとあるが、
どんなことでも、そのつらさの大半が精神的な辛さだと
誰かが言っていた。

例えば、明日嫌なお客さんに会わなければならないとする。

もう一週間も前から、そのことが頭から離れない。

そのお客さんと会うのは、ほんの1時間ほどだとすれば、
心の負担を抱え込んでいるのは、はるかにそのことに対する不安である。

恐怖、不安、寂しさ、悲しさ、そのような煩悩とどのように向き合うか?

どのように向き合う訓練を積んできたか?

それが、人生の最終盤に試されることになる。

そして、あまりにも強い例えば悲しみだとか、怒りだとかの
煩悩をもって亡くなったとするならば、魂が昇華できずに
その念がこの世をさまようことになるのでは、、、。

そのような「念」がこの世をさまよっているような気がする。

自分をどう忘れるか?

自我をどう薄めるか?

これには日ごろの訓練が必要であり、
日々の生活の中で、いろんなことを経験しながら、
積み上げていくしかない。

いつまでも、つまらない維持やプライドで、
自分を縛りつけるのか?

いつまで、世間の噂話の中だけで、生きようとするのか?

自分の人生の主人公は、自分自身であり、
心のぜい肉を落とせば、かなり視野が広がるような気がする。

人生の最終目標が「死への備え」というとかなり後ろ向きに
思われがちだが、しかし心のぜい肉が落ちてくると、
だんだんと自分を解放することになる。

そうなれば、かなり軽くなり、愉快な人生になるのでは、、、。

ラベル:終活
posted by hide at 07:56| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年10月18日

「ダメな人は、すぐにすごい人と自分を比較したがある」と、、、。この言葉って、的を射ているのでは、、、。

 最近、仕事から家に帰ると、必ず愛犬パンチが
玄関で出迎えてくれる。

玄関から家に入り、所定の場所に、バック、メガネ、
財布、弁当箱など置くため、
家の中をまわるが、その時もパンチがついてくる。

そして、その日常の行事が終わり、振り返るとパンチがいるので
「コラ〜待てぇ〜パンチ」というとパンチが逃げていく.

そこから追っかけっこが始まる。
そして最終的にソファーの上で、パンチがつかまり、
体中をなぜくりまわして、遊んでやる。

そして、食事をした後、パンチとソファーの上で、
横になってテレビを見ている。

本来の犬というモノは、危険と隣り合わせなので、
すぐに行動できるように、うつぶせになって寝るものだが、
うちのパンチは、よくあお向けになって寝ている。

その姿を見ると、なんだかとても幸せな気分になる。

なんか、こんな日常のことであるが、
パンチといるととても幸せだな〜と感じる。

ふと思うが、以前は、私にはこのような幸せを
感じる「力」があっただろうか、とふと思う。

常に何らかの不安をかかえ、それがまた原動力となり、
人一倍、がんばってきたように思う。

しかし、最近、強く思うが幸せを感じれるのも「能力」だと思うし、
多くの人がたとえ恵まれている環境でも、幸福感を味わえていない
ような気がする。

確かに、若いころは不安などを原動力にして、
がむしゃらに頑張り続けることも必要だ。

しかし、いつまでもそのようにしているのもうまく言えないが、
逆にその人の人生をいろいろと阻害する場合があるように思う。

幸せを感じるということは、心にゆとりが持てる。

心にゆとりが持てれば、客観的に自分自身を見つめることができ、
周りがしっかりと見えてくる。

「『ゆとり』なんて、生活にいっぱいいっぱいで、
そんなんもてるのは、セレブぐらいじゃないの〜」
というような声が返ってきそうだが、モノの見方、考え方で
かなり変わってくるのではなかろうか。

「私は、みんなに尊敬されなければいけないんだ」
とか、

「こんな弱くてどうするんだ」
とか、

そのように強く思いすぎれば、自分を責め続けることになり、
恵まれているにも関わらず、狭い檻の中に閉じ込められている
状態になってしまう。

しかし、等身大の自分と向き合うって大事なことだ。

例えば、いつも切羽詰まっているような人に
人は集まるだろうか、、、。

それより、どこか心に余裕があり、人を和ます人にこそ
みんなが集まってくるように思う。

運も違ってくる。

切羽詰まっている人に、その目の前のチャンスが見えやしない。

切羽詰まっている人に、自分というモノが見えていない。

心にどこか余裕がなければ、見栄を張りたがる。

その張り子の虎の自分を自分だと思い込んでいる人って
けっこういるように思うが、そんなんで何かやろうとしても
なかなかうまくいくことは少ないように思う。

本当に強い人というのは、目の前のことを一生懸命やれる人。

小さな努力を積み上げれる人、、、。

そのようなことをある有名な登山家が言っていたが
その通りだと思う。

常に心がてんぱっている人には、自分自身のことなど
分からない。

どこか、心にゆとりがなくてはならないような気がする。

そうすれば客観的に自分が見え、今この一瞬が何をするべきか、
より正確に理解できるのではなかろうか、、、。

斎藤一人さんが
「ダメな人は、すごい人と比べようとする」
と、、、。

今日、このように手が動く、足が動く、息ができ、
食事も喉に通り、トイレで踏ん張ればしっかりと大きな
一本が出る。

多くの人が自身の健康に苦しんでいるし、
いずれはこの身体も病気になって老いていく。

そう思えば、ありがたいよな〜。

うちの両親、義理の両親、確かに体に悪いところはあるが
まだ健在である。

盆正月には、みんな集まり、ワイワイやれる。

これってありがたいことだよな〜。

オヤジの昔の話を聞けば、そのほとんどが
食べものの話、、、。

スーパーに行けば、溢れかえる食糧、、、。

外食ができ、少しお金を払えば、食べ放題も可能だ。

果たして、これって多くの人が飢餓に苦しんでいる中で、
本当に当たり前なのか、、、。

また、時代的に言ってもこれほど飽食の時代はないし、
今目の前に、何か食べものがあるというのは、
ありがたいことではないのだろうか、、、。

不安探しに明け暮れているよりも、
自分の幸せ探しに一生懸命になっている方が、
明らかに見えるものが違ってくる。

安全で、電気、ガス、水道が完備され、電車に高速道路もあり、
これだけ社会インフラが整備された国って、そうそうないように思う。

女性が一人で夜歩ける、自動販売機が壊されずに設置できる。
これも幸せなことだ。

そう思えば、この日本に生まれたことだけで
かなり幸運なような気がする。

常に、幸福探しをした方のが、必ず運も開けてくるような気がしてならない。

上を見ればきりがないし、着実に言えることは、
上へ行けば行くほど、競争が激しくなり、修羅の心を待たなくては
生きていけなくなる。

それでも、そのような世界で生きていかなくてはならない人も
いるだろうが、生存競争に明け暮れ、なぜここにいるのかという
目的意識をしっかりと持っていないと、自分を見失ってしまう。

常に、自分を点検しなおす、それぐらいの余裕を持てるように
なると、さらに人生がより良いモノになるのでは、、、。







posted by hide at 07:50| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年10月14日

「思考力」を鍛えるには、、、。好奇心と自主性について。

先日、うちの会社である試作で、セラミックスのボールを
手作りで作ることになった。

こういうの一番得意なのが、94歳になるうちの会社の会長さん。

会長が言うには、
「わしはそうだな〜、10代のころが一番器用だったかな〜」
と、、、。

会長は、もう少し年の若い小学校の頃か、1メートルもの蒸気船をつくり、
蒸気機関は、どこかから手に入れて乗せ、石炭の変わりに
アルコールで走らせたという。

とにかく、昔は飛行機の設計をしていたらしく、
やたら機械類には詳しい。

そんな会長がポツンと言ったことは、
「やっぱり小さいときに、思考力を鍛えることだな〜」
と、、、。

思考力を鍛えるには、やはりいろんなことをやってみるということだ。

いろんな事と言っても、ただ与えられることだけをこなしていてはだめだ。

一番大事なのは、自主的にやってみること。

小学校の六年生のときに、
理科の授業を、当時教頭のI先生が受け持った。

今では、とても信じられないのだが、
I先生が一番最初の授業のときに、
「それでは教科書を閉じてください。
私の授業では一切教科書を使いません」
と、言われた。

何のことかさっぱり分からなかったが、I先生は
「身の回りのことで、何か疑問に思っていることは
ありませんか??それを一つ一つ解決していきましょう〜」

というようなことをおっしゃった。

いろんな意見が生徒側から出され、それを一つ一つ解決することを
一年間の授業でやることになった。

私もよくつりに行く近所の池のことについて、話した。

「近所の池に、フナぐらいの魚の集団が、いくつもかあり、
その集団の中に必ず一匹だけ、赤い魚がいる。なぜでしょうか?」
と、、、。

そのことも授業でやり、それを見にみんなで調査しに行くことになった。

「それまで、あなたはその池の魚を観察し続けてください」
と言われ、よく見に行った。

その後、I先生に合うたびに
「魚の様子は、どうだ」と、聞かれる。

それも、なんだか励みになり、熱心に魚の観察を続けた。

しかし、観察を続けるにしたがって、
赤い魚がけっして、集団の中に一匹だけではないことが分かった。

あるときは、ひとつの集団に三匹かたまっていたり、
まったくない集団もいる。

つまり、だいたい集団の数ぐらい、赤い魚がいて
それが全体として一匹だけ集団にいるように見えたようだ。

結局、みんなでその池を見に行く前に、問題が解決してしまい、
その行事は中止になった。

I先生は、「よく観察を続けてくれたね〜」とほめてくれた。

教科書を使わない授業と言っても、結局、あとで教科書を除いてみると、
その七割ほどは、魚の解剖など、教科書でやる内容であった。

つまり、上手く先生に乗せられたのかもしれないし、
それでも、なるべく子どもの好奇心を大事に自主性を
引き出すことが、やはり思考力を鍛えることにつながる
ような気がする。

また、小学校の低学年のときの音楽会で、こんなことがあった。

その音楽会は、全校の生徒、先生、そして父兄の前で、
各クラス単位で、発表する。

そして、小学校の低学年なので、どうしてもハーモニカが
上手くふけない子が二、三人いた。

そのふけない子のハーモニカの音が出るところに、
当時の担任の先生がセロハンテープを張り、その子たちの
ハーモニカの音が出ないようにしてしまった。

未だに、なぜ先生があのようなことをしたのだろうか?

みんなでいい成績をとって、達成感を味あわせたかたのか?
それとも、父兄のまで、上手く出来ないことに対して
体裁が悪かったのか、、、。

わたしなら、小学校の低学年であり、下手で当たり前。

そのような子にも思いっきりふかせる。

達成感と言っても、果たして、その子たちの気持ちは、、、。

周りにその様子を見ていた子どもたちは、どのように思うのか、、、。

そのことを考えると、あまりいい感じはしない。

それに、果たして、成功した経験と、悔しかった経験、
もしくは失敗した経験とどちらが後々考えれば、
人生にとっていいのか、、、。

もし、あの時、あの悔しい思いがなければ、、、。

そんなことって、いくらでもある。

大人の体裁のために、子ども型にはめ込むというのは、
思考力を鍛えるという意味で、どうなのかとも思う。

それに、仕事上のことで、会社が潰れるか、どうかのことではない。

たかだかって言ったら失礼かもしれないが、
小学校の音楽会の話しだ。

成功して、みんなで達成感を味わうのもいい経験かもしれないし、
あまり上手くいかなくて、悔しい思いをするのも、
それ以上にいい経験になるのでは、、、。

成功の経験も、失敗の経験も、神様がその人にベストのときに、
必要なモノを与えてくださる。

そんなことをある人が言っていた、、、。

子どもって、私ら大人よりも、はるかに感受性が強いと思う。

小学校のときの関西出身の少年野球の監督さんに、
監督さんの実家に泊めさせてもらい甲子園の高校野球を
身につれてってもらったことがある。

私は小学校六年生で、同級生三人と行ったのだが、
とにかく新幹線に乗るのも初めて、大阪、神戸の都会に
いくのも初めて、農村以外のところで泊まるも初めて、
何から何まで、初めて尽くしで、小学生にとっては
とてもいい刺激になった。

例えば、今の齢になって、初めて大阪に行ったとする。

果たして、感動はあるだろうかといえば、いろんな街を
見た経験があるので、それほど驚かないのでは、、、。

小学生のときに経験したこと、そしてその後、今の自分まで
40年という時間があること、これらをことから
やはり感受性の強いその時期に、そのことを経験したことは、
よいことだったと思う。

私も自分の身の回りの子供たちに、なるべくそのような
ガツーンとくるような経験をさせたいと、機会をうかがっているが、
そのことで何らかの変化を起こすとは限らない。

むしろ、何かいい刺激になることの方がはるかに少ないのかもしれない。

しかし、だめでもともと。

できる限りのチャンスをものにできるようにすればいいような気がする。

私も、いろんな大人にお世話になって今がある。

それに、具体的に言えば、年金制度を通じて
われわれは若い世代にお世話にならなくてはならない。

エネルギーもない、食糧自給率も乏しい日本が、
ある意味マンパワーだけで、ここまでこれた。

周りを見ていると、与えられることに慣れすぎて
しまった人が多いように思う。

もう少し、こんなこんな考えができるのでは、、、。
もう少し、思考力が働ければ、、、。

それには、やはり訓練が必要であろうし、
やはり会長が言うように、なるべく若い頃に
思考力を鍛える必要があるように思う。

posted by hide at 16:42| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年10月11日

北海道11区が面白い!! あの陸山会事件、石川知裕氏の奥さん石川香織さん立候補!!

今日、新聞の朝刊に全国の各政党の候補者が載っていた。

注目は、北海道11区!!

あの陸山会事件の石川知裕さんの奥さんがである
石川香織さんが立候補することになった!!

うれしいね〜!!

ホント、うれしい限りだ!!

あの陸山会事件で、石川さんは本当に国家権力に対して
立派に戦われた。

当時の石川さんは、陸山会事件により、衆議院議員をやめ、
裁判では敗北、、、。

マスコミにも散々たたかれてきた人だった。

そんな当時の石川さんと結婚なさった香織さん、、、。

本当に、ありがたい限りだ。

石川さんの勇気、私の胸に強く刻まれているし、
多くの司法、検察の在り方、そして日本を支配している人たちの
存在などなど、いろんなことが多くの国民に知らしめられた
事件だったと思う。

民主党政権交代のリスク、、、。

石川さんは、小沢さんの住み込み秘書であり、
ベビーフェイスで、落ちやすいと思われてねらわれたの
かもしれない。

しかし、根はしっかりとした信念の持ち主で、
あの著書である「悪党小沢一郎に仕えて」なんてとても面白かった。

まだ、石川さんは立候補できないのかもしれないが、
奥さんも芯の強い人のようだし、是非とも石川夫婦に
幸せが訪れることを願ってやまない。




posted by hide at 07:56| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年10月10日

大正生まれの男たちとは、、、。その偉業は計り知れない。

先日、あの「永遠のゼロ」や「海賊と呼ばれた男」の著者、
百田尚樹氏の講演会に参加した。

百田直樹氏というと、なかなか過激な発言をすることで有名だが、
「永遠のゼロ」や「海賊と呼ばれた男」は、とても名作だと思う。

そのあたりの話をじっくり聞きたいと思い、講演会に参加した。

最初は、安保や改憲の話。

私も安保も重要なことであるし、改憲も決して反対ではない。

しかし、その方法論が、若干、百田氏とは違う。

百田氏も言っていたが、右も左も、結局は目指す目的は同じ。

日本をより良くしようという気持ちは、変わらない。

まあその話をすれば長くなるので、今日は、その公演の中で、
一番心に響いた話を紹介したい。

それは、大正生まれの世代についてだ。

この世代というのは、非常に苦労した人たちであり、
また、今の豊かなこの日本を造り上げた人々だ。

日中戦争、第二次世界大戦と、大正生まれの人々の青春時代というのは、
まさに戦争そのものだ。

大正時代に生まれた男性というのは、約1300万人いるとのこと。

そのうち、200万人を超える人が戦死されたという。

だいたい、6人に一人の割合だ。

さらに、それが大正時代後期に生まれた人で計算してみると、
もっと比率が高くなる。

さらに、もっと年代を選別してみると、
例えば、うちの会社の会長は、大正12年生まれ。

終戦を22歳で迎えた。

会長の同級生の約半数が、戦死しているとのこと。

確かにそうだろうと思う。

知覧の特攻会館に行っても、戦死者の歳を見ると、
だいたい20前後、、、。

兵卒として、最前線で戦争に参加した世代だ。

さらに、百田氏は語るが、永遠のゼロで描いた特攻隊員と
戦争から帰ってきて、奇跡のように日本を復興させた
海賊と呼ばれた男に描かれている若者たちは、同世代であり、
この大正生まれの人たちが主軸だ。

例えば、海賊と呼ばれた男の中で、元海軍の石油貯蔵地下タンクに
入り、バケツで石油をくみ上げた若者たちは、まさに
戦争の生き残り、、、。

この人たちの頑張りがあったからこそ、今の日本の豊かな生活がある。

公演の中で百田氏が語っていたが、例えば今の若い人が
こんなことを言うという。

「我々は、就職してから、高度経済成長もなく、
バブルも味わっていない。まさに不幸の世代だ」
と、、、。

しかし、どうだろうか?

バルブをひねれば、きれいな水道の水が飲める。

ガソリンスタンドが各地にあり、たいていの人が車に乗れる。

農地も整備され、高速道路、ダム、発電所などなど、
世界を見渡しても、これほどきめ細かに社会インフラが整備された
国というのは、それほどない。

これって決して当たり前のことでない。

戦争で生き残り、必死に日本を再生させた
大正時代の人たちの造り上げた基盤の上で私たちはこのような豊かな
生活を送っている。

例えば、うちの会社でも、韓国で終戦を迎え、帰国した
うちの会社の会長が立ち上げた。

ロボットやいろんな機械等、確かに古くなってきているが、
どれもこれも、もしこれらの設備がなければ、今の会社は成り立たない。

会長が死に物狂いでやってきた土台の上で、
今、我々が飯が食えている。

会長の世代の人に、
「同級生の多くの人が戦死し、戦争から帰ってきて、
どのような思いが強かったのですか?」

と聞いても、なかなか照れてなのか、答えてくれない。

もし、会長のように、自分が運よく生き残り、多くの同級生たちが
戦地で亡くなられたとしたら、どのように生きようとするのだろうか?

「彼らは、洗脳されていたんだ」という言葉で片付けるには、
あまりにも思慮が狭すぎる。

そして、戦争から帰ってこれば、価値観も大きく変わってしまい、
戦争に行った人は、軍国主義者のように非難される時代となった。

そんな中で、必死に日本再建に取り組んだ大正時代の人々、、、。

本当に、頭が下がる。

戦争体験者に、私が必ず聞くことは
「自分の死についてどう思いましたか?
死ぬのが怖くなかったですか?」
と聞くと、

ある老人は、こんなことを語ってくださった。
「自分の死とか、そんなこと言っている場合ではなかった。
それよりも自分の世代で何とかしなくては、、、という思いが
強かった。みんなそうじゃったよ」
と、、、。

自分の世代で、、、、。

確かに、一番体力的に体が動き、最前線で戦える世代だ。

自分のことなど、かまっていられない。

自分の祖国を、故郷の難局を何とかしなくてはならないと、、、。

うちの会長が言うには、
「みんな天皇陛下ばんざ〜いなんて言って、死んでいったわけではない。
ほとんど人が、『おっかさ〜ん』と、叫んで死んでいったよ」
と、、、。

日本というより、故郷、そしてイメージとしてその故郷の中心的な
存在である自分の母親、、、。

これって、多くの人が持てる感情のような気がする。

私たちは、多くの先人たちの血のにじむような努力のおかげで、
今の生活があるということ。

そして、今我々が次の世代に何を残すのか?

一人一人が、よくよく考える必要があるのでは、、、。

posted by hide at 07:06| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年10月02日

いったいこの総選挙はどうなるのか???小沢一郎さん、森ゆうこさん、中村てつじさん、あんた方に私の一票を託したい。

「安倍政権をとすために、名を捨ててい実を取る。
もう一度政権を奪取しよう〜」

と、高らかにうたって、民進党を事実上回答した前原氏、、、。

しかし、
「すべての民進党議員を受け入れるわけではない。
安保と改憲で、ワンボイスで戦える人に来てもらう
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」


う〜ん、、、。

「大阪維新の松井氏、愛知県知事の大村氏と連携して戦う
、、、、、、、、、、、、、、、、。」


維新の会って、ほとんど与党側じゃないの、、、。

なんか、かなり雲行きが怪しくなってきた。

リベラルを排除したことで、かなり票が逃げ、
政権奪取にはほど遠くなる。

次の次って、そこまで、希望の党が存在するかわからないし、
人気にもかなり陰りが出てくるであろう。

むしろ、「脱原発」でまとまったらどうなのか。

私は、改憲には反対ではない。

しかし、TPPの要素をふんだんに入れた、新自由主義的な
憲法に変色するのであれば、断固反対である。

2012年の総選挙、橋下氏が突然、東京の勢力である
石原氏らと手を組んだ。

その頃、たまたま喫茶店でコーヒーを飲んでいたら、
隣に坐る地元のおじさんが、
「今回、維新に入れたよ〜」
というようなことを話していた。

しかし、その後の結果を見れば、橋下氏の維新は、
ただその総選挙を攪乱しただけ、、、。

このままいけば、そうなってしまう。

しかし、野党がまとまらなくては選挙に勝てない。

一体、どうしたらいいのか?

その辺は、もう政治の世界の技術であり、
その中で、どう読むかということになる。

私のような素人があれこれ考えてもしょうがない。

それなら、信頼できる政治家の意見に託そうと思う。

小沢一郎さん、あんさんはどのように考えているのか??

森ゆうこさん、どうしよか??

佐賀でがんばっとる中村てつじさん、この辺りの
今後の政治の流動性を、どうかブログでも語ってもらいたい。

私の大事な一票を、彼らの意見を十分に参考にしたいと思う。


posted by hide at 21:42| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

「関ヶ原」三成の正義とは、、、。「厭離穢土欣求浄土」の家康が世をどのように見ていたのか??

先日は、念願だった映画「関ヶ原」を見に行ってきた。

岡田君、すごい迫力、、。

また、島左近訳の平岳大もよかったね〜。

全体として、とてもいい作品だと思う。

だいたい、映画に行くとつまらない映画だと、眠ってしまうことが
多いのだが、食い入るように最後まで見た。

また、この映画をDVDでもいいから、見てみたいとも思った。

果たして、三成が何度も主張する「正義」とは、何だったのか?

正義なんて、人によってはかなり違ってくるし、
「正しい」とされてきたことが、時代が変わることによって、
大きく変色することもある。

家康でも、他の大名でも、多くの家臣や一族郎党を抱える中、
家の存続というのも、各々の「正義」であろう。

また、現在の大河ドラマで放映されている直虎の井伊谷、、。

徳川が強くなれば、徳川に、、、。
武田が強くなれば武田へ、、、。

彼らにとって、村の存続こそ、かけがえのない「正義」である。

あくまでも映画の中での話だが、本心を隠し、
天下を狙う家康に対し、いずれ豊臣家が危うい。

そのことに一番、敏感に感じ取っていたのは、三成であり、
その豊臣家の存続こそ、三成が語る「正義」であった。

もちろん、豊臣家の大番頭として、秀吉の権威を高めるためにも、
三成は嫌なことを他の大名に言わなくてはならない。

たしか、どこかの映画での家康の言葉であるが、
「三成のような家臣が欲しかった」というようなことを語っていたが、
その通りだと思う。

自ら汚れ役を買ってくれ、自身の権威を高めてくれるような家臣がいれば、
こんなありがたいことはない。

その豊臣政権内での嫌われ役的な立場に立たされていた
三成の焦りも、関ヶ原の原因だったような気がする。

三成が語る豊臣家存続という「正義」、、、。・

それが果たして日本全体から見たら、正義だったのか?

もし、あの時、関ヶ原で西軍が勝っていたらどうなっていたか?

毛利・上杉は、200万石級の大名へ、、、。

島津、宇喜多あたりも150万石級の大名だ。

なぜ、あのような戦国の世になったのかと言えば、
室町幕府の統治機能が著しく低下していったこと。

その大きな原因は、細川、畠山など、守護大名の強大化だ。

上杉、毛利、島津など、まったく豊臣家にとっては、
外様大名であり、果たして、大阪の幼帝秀頼や淀君の命に従うのだろうか?

みんな実力で這い上がってきた武士である。

実力がなければ、滅ぼされるということをいやというほど
見てきた人々だ。

そんな実力が伴わない大坂城住人たちは、あの巨大な城と、
権威、そして金銀財宝、これらが「いつか自分も、、、」
と思う多くの武士たちに、どのように映るのか??

大坂冬の陣、夏の陣を参考にすれば分かる。

全国から、浪人衆が集まり、その時は秀頼・淀気味も
コントロール不全であった。

「このままでは終わらない、いつか自分も大名に」
というような思いが、彼らにもあったのでは、、、。

福島にしても、加藤にしても、山内にしろ、黒田にしろ、
細川にしろ、当時の大大名というのは、
元はといえば、桶屋か、身分の低い侍、、、。

それらが、戦国の世という乱世によって、
大きな城を構え、たくさんの家臣を抱え、ふんぞり返っている姿、、、。

浪人衆には、どう映るのだろうか?

大陸進出が失敗した以上、増える領地はない。

なら、その浪人衆のその野心を何とかしないと、
いつまでたっても太平の世などは、訪れない。

これこそ、一番、世が乱れる原因、、、。

それに、よくよく考えてもらいたい。

二度にわたる唐入りの失敗により、
日本は厭戦ムードだ。

秀吉軍団とは、日本の歴史上、一番の上昇志向集団だ。

果たして、そんな豊臣政権が、拡げる領土もなく、
果たしてどのように維持できるのだろうか?

一番の問題は、有り余る兵士だ。

全国を統一するまでは、兵士はとても必要な存在であった。

「もう、天下取ったで、おまんらいらんわ〜」
なんて、豊臣政権が言えるわけがない。

「日本にもう奪う領土がない、なに言っとりゃ〜すか、
ほんなん海の向こうには、朝鮮もあるし、唐もあるやろが。
おまんは、北京辺りで100万石あげるでよ〜、きばってちょ〜」

というようなのりで、大陸進出を実行した。

どの時代にも、どの世界でも統一後の「兵士の雇用」という問題は、
その政権を揺るがしかねない。

ひとことでいうなら、兵士をどのように「帰農」させるか、
安定した世を造るには、非常に重要になってくる。

「厭離穢土 欣求浄土」、、、。

家康の旗印であるが、これはもう桶狭間直後ぐらいから使われていると聞く。

秀吉が死に、朝鮮出兵が散々な結果になった現実、
そんな世の中を、家康にはどのように映っていたのだろうか?

また、秀吉末期、秀吉をどのように見ていたのだろうか?

家康は、年老いた狂人のように映っていたのではなかろうか、、、。

もちろん、世の中を安定させるという理想をもって、
家康が戦っていたとは、言い切れない。

しかし、そのような思想の持ち主である家康は、
徳川家の安定と、日本全体の安定というのは、
ほぼ同義語であったように思う。

当時大大名であった家康は、もしどこかで戦があれば、
必ず巻き込まれる。

そして、家康は、今川、武田、北条、織田と、
家康が恐れをなしてきた大大名たちが、次々に没落して
行くのを目の前で見ている。

今の250万石という大大名の地位が、
果たして家康にとっては、永遠のモノではないということを
十分すぎるほど認識していたはずだ。

家康は、秀吉により関東に移封されていた。

その関東平野で、江戸城の修繕も後回しにして、
大々的な新田開発を手掛けていた最中だ。

先ほどの「兵士の雇用問題」という大きな政治課題に対して、
どのような考えを持っていたか、なんとなく想像がつくのでは、、、。

それに、戦続きで世が乱れていれば、収穫間際の他の村に対する
乱取り、人さらい、殺人、村や用水路の破壊など、
頻繁に多発する。

世が治まるだけで、それらがなくなれば、日本全体として、
かなりの収入が増えることになる。

そして、兵士をなるべく帰農させるためにも、
その後、日本全国で展開される新田開発がどうしても必要だった。

そのことにより、その時期日本の人口がかなり増えたことも
事実である。

外にフロンティアを求めず、内側にまだまだ開発の余地がある。

その中心が関東平野であり、各大名も競って自身の領土の
新田開発に取り組んだのが、江戸時代である。

もし、関東平野の莫大な水田がなかったら、
幕末時にのらりくらり、列強の進出をかわすことができたという人もいる。

イギリスやフランスらも、確かに軍艦で海からの攻撃には強い。

しかし、田んぼという沼地や森林、あぜ道という日本の環境で、
それらの国の陸戦隊が内陸地で勝てただろうか?

食糧生産が豊富で、自給自足率の高く、国が一つにまとまって
闘うという意識があれば、ゲリラ戦でも展開すれば、かなりやれたと思う。

イギリスなどの侵略の手口は、その国を分断する。

そして、そのどちらかを手先にし、その土地を分捕る。

当時、関東平野に見渡す限りの田んぼ、、、。

そして、当時の支配階級も、うまく戦乱を必要最小限に
抑え、日本を明治へと導いた。

いろんな評価もあるが、多くの国々が植民地になる中で、
すごいことだと思う。


「厭離穢土欣求浄土、、、。

競争、競争と、世の中、喰うか喰われるかの死闘を、
必死になって行っている。

一体、誰が幸せなのか、、、。

あまりにも競争が激しくなれば、「欲」というより、
自分が没落するのではないかという「恐怖」の方が、
心の中を占領してしまう。

最後にある仏教の教えを紹介して、この記事を終了したい。

地獄でも極楽でも、大きな釜でうどんをゆでている。

そのうどんを1メートルの箸を使って、食べなくてはならない。

地獄では、誰もが、競って食べようとするので、
みんながうどんを食べることができず、餓死してしまう。

極楽では、互いに助け合い、長い箸を使って、
相手に食べさせあい、みんな満腹となった。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・



posted by hide at 07:38| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年08月27日

信長が「天下不武」とは、室町幕府を立て直すスローガンって???ホンマでっか???

信長について、NHKのある歴史番組で、
次のようなことが語られていた。

「信長自身、戦後にもてはやされるんですよね〜。
戦後のイケイケドンドンの時代に、地方の小大名から
天下人に上りつめる。その過程で、規制の体制を打ち破って、
新しい時代を作っていく。そうして時代背景が、
信長のイメージを押し上げたんだ」

と、、、。

では、どのような方向で見直されつつあるのかというと、
次のようなことが語られていた。

「当時、室町幕府が動揺しているので、信長としては
幕府を立て直すという発想があって、『天下不武』とは
そのスローガンであった」
と、、、。

「上杉、武田などの大大名との外交関係の中で、
信長は当時の社会秩序の中に身を置いていた。
大名としては、セオリー通りの行動」
と、、、。

う〜ん、う〜ん、正直なところ、
いったいどう見れば、このような発想になるのだろうか?

この番組で語っていたように、確かに私も戦後生まれであり、
イケイケドンドンの信長像に染まりきっているのか???

それとも、『信長公記』などを超える一級資料が見つかったのか?

もし、見つかっていないのなら、今まである既存の資料の中で、
どのように解釈するか、解釈変更ということになる。

「天下不武というのが、信長が室町幕府を
て立て直すためのスローガン、、、」
となるのなら、その室町幕府を最終的に葬り去ったのは、
いったい誰なのか、、、。

足利義昭を奉じて、上洛後、副将軍という義昭の要請を
断ったのはいったい誰なのか、、、。

さらにその時期に、義昭の行動を規制するための
「殿中御掟」九か条と「追加」突きつけた信長、、、。

こうなれば、明らかに将軍義昭のロボット化である。

謙信や信玄に贈り物をし、こまめに気を使いながら、
ご機嫌うかがいをしていたから、当時の社会秩序の
中に身を置いたセオリー通りの行動だというような
ことを言っていた。

しかしそれが、果たしてそれがその社会秩序を
大事に思っての行動だったのかどうか、、、。

大改革であればあるほど、多くの敵を作ることになる。

組織として、急成長すれば、これまた多くの摩擦が起こる。

身近な敵と戦いながら、遠くの信玄や謙信となるべく
良好な関係を築く。

これって当たり前のことにように思えるのだが、、、。

ではその後、信長が武田氏や上杉氏をどうしたか?

信長は、最大の敵である石山本願寺を下した後、武田氏を滅ぼしている。

その後、上杉も信長に攻められ、風前の灯、、、。

もし本能寺の変がなければ、確実に滅ぼされていた。

私も歴史が好きであるが、歴史を見る上で、一番大事なことは、
当時のその人の立場にたって、歴史を見ることだと思う。

周りを敵に囲まれているときに、遠くの上杉や武田を敵として、
対立したいのか?

尾張の小大名が、なんの権威もないのに、いきなり京へ出て
「俺に従え」といっても、誰も従うはずがない。

例えば、サラリーマンでも、生きていくためには、
嫌いな上司にも、おべっかを使う場面もあるだろうし、
派閥もあれば、時としては大嫌いな相手に
頭を下げなくてはならない。

むしろ、そういうことに、どれだけ耐えれるか、
忍耐力の強さというものが、信念の強さ、
もしくはその人の器の大きさを感じる。

信長のように、強い自己主張を持てば持つほど、
周りに多くの敵を作ることになる。

例えば、本願寺と妥協すれば、どれだけ楽なことか?

領土を持っても、本願寺などが存在すれば、
虫食い状態、、、。

室町幕府がどうして、あのように乱れていたのか?

守護大名などが巨大化しすぎ、宗教勢力に対する
制御が利かなかったからでは、、、。。

逆に言えば、強力な統治体制が存在せず、
各々が自らの利益に走った結果、あの混乱が続いたのでは、、、。

中国などでは、その混乱の時代がどれほど続いたことか、、、。

そこから、強力な統治体制をつくることが
どれほど大変か、、、。

私には、「天下不武」というスローガンは、
そのような巨大化した戦国大名、宗教勢力を
武力を持って押さえ、統一国家を造るという
大きな目標を明確に示したもののように
感じる。

信玄や謙信のように、豊かな金山を持つわけでもなく、
信長の資金源とは、流通を活発にすること、貿易により利益、
工業製品など、どれもこれも、既得権益を持つ勢力が
邪魔をすれば、成り立たない。

あっちにいけば、信長と対立関係にある
浅井・朝倉がいる、こっちには本願寺がいる、
そんな中で、作ったものを流通させることは、
無理であるし、領土内でそのような活動を保障する
強力な政権が必要となる。

そのためにも、常に戦える軍隊が必要であり、
今まで守り中心の城も、便利な商業地に
立てる必要が出てきた。

一つ一つ検証すれば、明らかに信玄や謙信とは、
違う組織体制であり、その向かう方向もまったく
違って見える。

そうなれば、室町幕府という古い体制の中で、
信長という新しい勢力が生きていけるのだろうか、、、。

その性質というモノが、根本から違う。

今、私が述べてきたことも、戦後の信長イケイケドンドン史観と
言われれば、それまでであるが、今回、番組で戦国史の
専門家として登場された駿河台大学の黒田基樹教授の本を
じっくり読んでみようと思う。


posted by hide at 08:03| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年08月20日

信長による日本の大変革、、、。その城造りから見た斬新さが大きく時代を変えた!!

「信長は意外と新しくない」として、
信長を見直す動きがあるという。

NHKのテレビ番組を見て、

信長の城造りに対して、
天守閣を造るのは、信長が初めてではなく、
コーディネートしただけ。
多聞山四階ヤグラ、安土城より15年前に、
松永久秀の城に存在したとのこと。

天守の前例があり、信長が最初ではない。

しかし、
「その後、秀吉なり、家康など信長の関係者が
天守閣のある城を造っていくので、信長の安土城が
最初のように思われがちだが、それは違う」
というようなことを語っておられた。

う〜ん、どうもしっくりこない。

というのも、信長の城政策をみて、何が斬新であったかを
見た場合、天守閣というのは、それほど重要性がないように思う。

その後、例えば江戸時代、江戸が大火に襲われ、
城下の復旧を優先され、江戸城の天守閣が再現されなかった。

つまり、お城としての天守閣というのは、それほど重要ではなく、
物置のように使われていた大名もいたとのこと。

それよりも、当時戦国時代の城というのは、「守り重視」であった。

山の上であったり、川に囲まれた場所であったり、
便利ではあるが、それだけ攻められやすい平野に作ることは、
まずなかった。

なぜそのようなことが出来たのか?

その一つの理由は、「鉄砲」である。

堀をほり、城壁を造って、攻めてきた敵を
鉄砲で狙い撃ちする。

日本一便利のいい大阪に存在した大坂城、、、。

家康による大阪冬の陣で、20万もの大軍で大坂城を攻めたが、
攻めあぐんだ。

巨大な城壁、深い堀、そして鉄砲が守りにを鉄壁にした。

鉄砲の出現ともう一つは、
それは信長の兵農分離政策である。

つまり、家臣団を城下に住まわせたことである。

当時の大名の家臣団とは、各々の領地と密接につながっており、
常にその領地に住んで、領地内を治めていた。

むしろ、各々が独立経営者のような存在で、その組合長のような
地位に戦国大名であった。

それが、家臣の家を焼いてまで、信長は強引にも、家臣も、その家族も城下に住まわせ、
いわば武士のサラリーマン化と言うのか、自身の領地との関係性を
薄めた。

当時の豪族とは、密接なその土地との関係が強く、
農業生産を基盤に、その組織が成り立っていた。

そうなれば、その領地の都合により、時には離反することもよくあること。

例えば今の大河ドラマでやっている
井伊直虎だが、今川に服従していたが、井伊谷という領地全体が、
むしろ運命共同体のような存在であり、その共同体に不都合なら
今川から徳川に寝返ろうとしている。

今川ファーストではなく、徳川ファーストでもなく、その共同体ある
「井伊谷ファースト」である。

そうなれば、状況次第では、家臣の反乱も絶えない。

それでは、その家臣と領地を離してしまおう、
もしくは関係性を薄めてしまおう、
つまり、武士のサラリーマン化である。

信長以降、お城にばかりいて、代官をおいて
ほとんど顔を見せないという領主が多く出現する。

また、命令一つで、領地替えも頻繁に行われる。

まさに、信長による家臣団の兵農分離であり、
それにより、家臣の反乱が少なくなり、命令一つで領地替え
可能となり、戦争にも敏速に行きやすくなる。

信長軍団の性質上、それは仕方がないことだ。

ドンドンと急成長していく。

「今度、越前を手に入れたので、
今、おまんの領地がある中村から、もっと領地を
たんとやるで越前へ移ってくれ」

なんていう命令は、しょっちゅうあるであろう。

そんな中で、俺は先祖代々、この土地にすんでいたんだ。

この土地から離れるのは、いやだ、
というような武士が信長についていくことは
不可能だ。
(たしか、前田利家の兄さんがそういう人だったんじゃ
なかったかな〜)

城下に家臣団を住まわせるということは、守りに対しても
効果があるということだ。

さらに、内乱を防ぐ為に、家臣を管理しやすい。

そして、出陣にも、それほど手間がかからない。

これらの兵農分離、武士のサラリーマン化というのが、
まったく斬新なことで、農業を基盤とする他の戦国大名とは、
大きく違うこと。

信長の強みというのは、いつまでも戦えるということ。

つまり、戦争の長期化が可能だということ。

農業中心の集団なら、
田植えのときに帰らなくてはならない。
稲刈りのときに帰らなくてはならない。

信長は、信玄や謙信より、戦闘では弱かったのかもかもしれない。

しかし、軍団の傭兵化、家臣団の兵農分離、サラリーマン化、
商業、工業重視などなど、トータルで見れば、その信長の
城のあり方が浮き彫りになってくる。

ヤグラの城が、安土城より、15年前にあったとというより藻、
信長の城の本質とは、当時の常識の根底から覆されるような組織の
性質から見たみれば、まったく斬新なものであったと思うが
いかがだろうか〜。

posted by hide at 17:15| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

「信長」、、、。長篠の戦の真相に迫る、、、。

信長について、どう思うか?

最近、「不器用な信長」というような本が出たとのこと。

私にとって、信長とは、そういう人だと思う。

あまりにも、感性がするどく、そして行動力もある。

そんな人が、まともに型にはまって、組織の中で
生きていけなかったのではなかろうか、、、。

例えば、10倍もの軍勢を率いて、今川義元が攻めてきた。

果たして、信長が今川の家臣として、
今川の一つの駒となることが出来ただろうか?

どう考えても、無理である。

するどすぎる感性、、、。

あまりにも率直で、あまりにも合理的で、
あまりにも本質が見抜けてしまう。

矛盾だらけの中で生きていくには、
自身の「我」というモノが許さない。

そのような観点から見れば、信長はただ
愚直に自分の道を突き進むしかない。

その生き方が、多くの敵をつくり、
大変な苦難の道を行かなくてはならない。

まさに「不器用」な人である。

しかし、その信長が日本に与えた影響というのは、
計り知れないと思う。

信長以前と以後ではどれほど違うか?

よくよく検証してみる必要がある。

本題に入るが、先日、NHKの歴史番組を見ていて驚いた。

信長のことが取り上げられていてのだが、
あの有名な鉄砲を大量に使って、武田氏に大勝利した
長篠の戦について、語られていた。

歴史の専門家の人が出ていて、
信長は、本当は同盟者の家康の要請で、
「信長は決戦する気はなかった。しぶしぶ出て行った」
と、、、。

「信長にとって、大坂の本願寺との戦いの方が、はるかに
優先度が高かったので、鉄砲と柵を用意して対陣し、
武田軍に引いてもらう作戦だった」

と、、、。

「ところが、武田勝頼何を勘違いしたのか、『攻めよう』と
いうことになっちゃたんですね〜」
と、、、。

「決戦するつもりがなかったのに、向うが
勝手に突っ込んできて、バババ−ンと打ったら、
勝っちゃって、大勝利を収めた。
だから、非常にラッキー、運のいい男、それが
現在の研究状況です」
と、、、。

「戦後70年の信長に対するイケイケドンドン史観を見直して、
地に足がついた視線で、戦国時代を見直そうという動きが
出てきている」
と、、、。

う〜ん、とうなりたくなる。

まずは、長篠の戦から、改めて検証してみようと思う。

戦いって、とても重要なのは、まずは
「何処」でやるのか?、「いつ」やるのか?
ということが非常に重要になってくる。

まずは、「いつ」という視点で見れば、武田氏に攻められた
家康からの信長に対する要請は、大きく分けて四回あった。

一つ目は、1573年の信玄自身が家康を攻め、さらに信長の領地をも
うかがおうとした三方が原の戦いのときだ。

その時は、信長は大軍を率いて、決戦に挑んだのか?

お涙ほどの家臣を派遣した程度に終わり、ご存知のように、
家康は大敗、、、。

その時の状況を考えてみれば、まさに信玄を盟主に、本願寺、浅井、朝倉、
足利義満などなど、まさに信長大包囲網が形成された。

近畿を離れ、遠州まで、家康を助けに行けるのかと言えば、
はっきりいって「NO」である。

それこそ、信玄の西上に対して、勢いづく、近畿内の
反信長勢力が大暴れするであろう。

この時、三方が原後、信玄がモタモタしている時間を利用して、
近畿内の敵である浅井、朝倉攻めをかなり強行して、滅ぼしている。

兵をあげてから、数日程度で、打ち滅亡に追い込んだそのスピードは、
まさに神速である。

信長というのは、時間という感覚をとても大事にしていた。

信玄が西上してきたのとしても、農民兵主体の武田軍は、
田植えの時期には帰らなくてはならない。

では、その期間だけ何とか、持ちこたえれば、しのげる。

では、しのぐ為に、少しでも近畿内の敵である浅井、朝倉を
信玄西上前に、打ち滅ぼしておく。

結果から言えば、家康の要請にこたえることなく、
全体から見て、自分のやるべきことを全力でやっていた。

同盟者の家康には、申し訳ないが、全体から見れば、
信長の勢力圏から見れば、優先順位からすれば、落ちてしまう。

まだ、この時は、武田氏との決戦には、機が熟していない。

そして、信玄が亡くなる。

信玄の後を継いだ勝頼は、血気盛んに家康に侵食する。

そして、遠州の高天神の戦いだ。

家康は、三方が原の戦いでも大敗もあり、
どう考えても単独では戦えない。

信長に援軍を要請する。

しかし、信長には、自分の領内、それも尾張と目と鼻の先の
長島で一向宗にかなりてこずっていた。

自分の弟や家臣を数名戦死させ、長島の一向宗に背後を突かれれば、
どの戦場でも、すぐに引き返してこなくてはならない。

このときも、家康の要請にこたえるフリをして、出陣はするが、
その速度はノラリクラリ、、、。

そして、高天神城が落城したと聞くと、神速とも思えるスピードで、
長島を徹底的に叩き潰した。

信長の最大の敵である本願寺は、大阪、越前、この長島と
大きく分けて三大拠点を有していた。

その長島が、完膚なきまで叩かれ、2万人もの
宗徒が焼き殺された。

これが長篠の戦の一年前の1574年の話しであり、
それにより、近年のピンチ続きの信長にとって、
比較的余裕が出来た時期というのが、長篠の戦が
行われた1575年である。

もう一つ、家康からの要請で言えば、1580年、
武田氏滅亡のときであり、このときは完膚なきまでに
武田氏を滅ぼした。

こう見れば、信長が「時」を自ら選んび、
たとえ日本最強の武田軍団と言っても、
決戦するときは、徹底的にやったことがうかがえる。

戦国大名にとって、負け戦というのは、すなわち滅亡に
つながる。

負けるけんかは、けっしてしてはならない。

そうなるためにも、時と場所を選ぶということは、
非常に重要なこと。

では、なぜ、武田の騎馬隊にとって、とても不利と思われる
長篠、もしくは設楽が原で戦で決戦をすることになったのか。

番組みでの歴史の専門家が、
「何を勘違いしたのか、勝頼が突っ込んできたから、
勝っちゃった」
と、、、。

突っ込むには、突っ込むだけの理由があるのではなかろうか?

前日の軍議のときに、酒井忠次が別働隊による
鳶ヶ巣山砦での夜襲を提案したが、信長によって
けんもほろほろ退けられたとのこと。

まるで、毛利元就ばりの長篠へ武田軍を引きずりだすための
内通に対する策略であり、その後しっかりと酒井忠次は、
夜襲を行っている。

結果、この砦が落ち、武田軍は背路をたたれる結果となった。

武田軍にとっては、もう突っ込むしかない。

もしくは、正面軍にある程度打撃を与え、引く。

これは、まさに武田軍と戦った川中島の戦いでの
上杉軍である。

この時、武田軍に退路をたたれ、正面の信玄に対して、
猛攻を繰り広げた上杉謙信、、、。

確かに、川中島という占領地を武田側の支配下であり続けた
以上、武田の勝利といえるが、多くの重臣を亡くした。

引き分けとの見方もあるし、その戦いの後、上杉の名声が落ち、
勢力が衰退したということもない。

むしろ、鳶ヶ巣山砦を落とされ、背後を断たれた勝頼は、
この引き分けを目指したのではなかろうか、、、。

しかし、突っ込んでいった信長・家康連合軍の本隊には、
大量の鉄砲と柵がまっていた。

そして、番組の中で地元の人が
「この辺りは、下田の田といわれるほど、田んぼが深かった。
腰まで浸かるほどだった。そのため、武田軍は、細いあぜ道を
突き進むしかない。そのあぜ道の先に、大量の信長軍の鉄砲部隊が
待ち構えていた」
と、、、。

武田軍にとっては、これがとても不利な場所であり、
不利な戦の展開だ。

これが果たして運なのか?

私は、運というのは、けっして否定しない。

どんなことでも、運というモノが、
勝敗に大きく関わってくる。

でも、運をつかめる人とつかめない人って
いるのでは、、、。

どんなに恵まれていても、そのチャンスをつかめる人、
そうでない人って大きく分かれると思う。

なぜ、武田の騎馬隊を大量虐殺できたのか?

鉄砲があったからではなかろうか、、、?

柵があったからではなかろうか、、、?

大変な沼地である長篠・設楽が原という「場所」を選んだからでは
なかろうか、、、?

大量の兵力を動員できる「時」を選んだからではなかろうか、、、?

確かに、信長が出陣したとき、この戦がどうなるのかということを
想像した場合、いろんなパターンがあると思う。

どんなパターンになろうとも、大軍であり、大量の鉄砲、大量の柵、できる限りの
準備をしていったということは事実だ。

さらに、武田軍の性質、自軍の長所、短所を考えた場合、
運がよければ、大勝利ということも、けっして不可能では
なかったように思う。

それだけ、今回は時を選び、場所を選び、最高の準備をしていった。

爆音に慣れていない日本馬は、鉄砲の音に立ちつくんでしまい、
そうなれば、鉄砲の餌食だ。

鉄砲を知り尽くしている信長なら、そのことも深く理解していただろう。

それらのことをすべて考えれば、状況(運)次第だが、
けっして大勝利の可能性もあり、歴史専門家の言うように、
対陣して武田軍に引いてもらうということも、状況によっては、
起こりうる。

しかし、信長は自分ができるだけの準備をしていたということ。

我慢に我慢を重ね、時を選び、さらに、三方が原ではく、高天神城ではなく、
長篠という場所を選んだ。

これが、ただ「しぶしぶ出て行った、、、。」とか、
ただ「運がよかった」だけという見方では、
どうもしっくりこない。

幾度の経験のもと、運の流れさえ、
ある程度読めるようになるのでは、、、。

ある人が言っていたが、プロになるというのは、
「ある程度、第六感が働くようになり、先が読めること」
と言っていた。

本能寺のときのように、傲慢になっていなければ、
自分の状況、相手の状況、そのことを考慮して、
この戦いが何処までいけるのか、いやというほど
戦をしてきた信長にとっては、直感的に
ある程度見抜けたのではなかろうか。

信玄を盟主とする信長包囲網は、その二年ほど前のことである。

信長にとって、武田氏というのは、いずれは、決戦をしてまで
戦わなければならない相手であり、その武田氏の勢いにより、
近畿の反信長勢力が勢いづくのも、2年ほど前に見ている。

しぶしぶ放置するほど、武田氏を避けては通れないし、
ある程度余力のあった1575年という時期に、決戦を
挑んだという見方ができるのではなかろうか。

番組の歴史家がおっしゃられるように、
私の信長の最大の敵は、大阪の石山本願寺だと思う。

では、その難攻不落の石山に立てこもる一向宗を孤立化させるには、
武田氏をたたくこと、越前の一向宗をたたくこと、そして
どちらを優先するかというと、動きの活発な武田氏であったと思う。

武田氏をたたかなければ、石山の本願寺の降伏には、たどり着けない。

武田氏を長篠で破った後、次にやったことは、越前の一向宗との
戦いであった。

石山本願寺を本気で降伏させるには、どうしても武田氏と
戦わなければならなかったのが、現実ではなかろうか。

「信長自身、戦後にもてはやされるんですよね〜。
戦後のイケイケドンドンの時代に、地方の小大名から
天下人に上りつめる。その過程で、規制の体制を打ち破って、
新しい時代を作っていく。そうして時代背景が、
信長のイメージを押し上げたんだ」

と、、、。

そんな中でも信長像が、突き進んできたので、
今、歴史学会で、信長を見直そうという動きが
出てきているとのこと。

私も、戦後生まれの戦後育ちであり、その環境の中で、
信長を学んできたので、その影響下にあると言える。

しかし、どうもこの歴史の専門家の言うことが、
間違いだらけのような気がしてならない。

そう思うから、このようにブログを書いているのだが、
もし、新しい新事実が出てきたのなら、
必ず今まで言ってきたことに対して、間違いを認め、
従ってみせる覚悟はある。


posted by hide at 14:25| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年08月19日

信長の「天下布武」とは、、、。その「天下」というのは「近畿一円」という話を聞いたのだが、、、。

 先日、NHKの歴史番組で、織田信長のことがやっていた。

大学教授のような歴史の専門家がおみえになられて、、

「信長の「天下布武」について、それは全国を指していることではなく、
近畿一円のこと」

だといっていた。

う〜ん、、、?????

つまり、信長が目指していたのは、全国的な統一ではなく、
古い体制を打破し、武力により近畿一円を治めるということだ
と、、、。

「近畿」、、、「全国」って、当時にとっては、
ほぼ同義語じゃ〜ないのかな〜。

例えば、家康がなぜ、関ヶ原の時、対峙していた東北の上杉の戦いをさけ、
関ヶ原まで戻ってまで、中央にいる石田三成らを優先的に
たたいたのか、、、。

その後を見れば、分かるのでは、、、。

関ヶ原で勝ち、大阪、京都を支配下に治めた家康に対して、
上杉は、大阪まで来て、降伏した。

豊かで発展していて、さらに地形を見ればわかるが、
水運が発達している近畿をとることが、すなわち全国支配につながる
ということ。

信長のその後を見ればわかるのではないか、、、。

中央の大勢力である本願寺を降伏させ、近畿を抑えた信長が次にやったことは、
上杉攻めであり、毛利攻めだ。

その後、本能寺があり、毛利攻めをしていた秀吉が
まず行ったことは、中国大返しであり、近畿を抑えに行った。

そして、明智光秀、柴田勝家に打ち勝ち、近畿を手中に収めた秀吉が、
その後、九州攻め、小田原攻め、四国攻めなどの地方への軍事行動であり、
最後には、まだ攻められてもおらずに、恭順を渋っていた、
東北の伊達政宗も、小田原攻めの最中に秀吉の軍門に下った。

代々の政権がなぜ、近畿地方にあったのか?

確かに鎌倉幕府は、地方であるが、しかし、その中央の勢力であった
平氏を倒し、さらに承久の乱では、朝廷側と闘い、
その後六波羅探題を置いて、中央をしっかりと管理しながら、
鎌倉政権を維持してきた。

このように見ると、「近畿」と「全国」というのは、
ほぼ同義語であり、信長の「天下布武」が、よりこじんまりした
近畿地方の制圧であり、より規模の大きな全国では
なかったというのは、いささかまと外れではなかろうか、、、。




posted by hide at 22:53| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年08月17日

「健康」か?「生き甲斐」か?人生の最終盤、何を思うべきか?

お盆前のある夜中、四時ごろ、
突然携帯が鳴った。

何かと思い電話に出ると母である。

「トイレに行こうと思って、立ち上がったら
あるけんくなったで、すぐに来てくれ」


ということであった。

私の住む離れから、母屋におとずれると
うずくまっている母を見つけた。

「三時ごろに、トイレに行こうと思ったけど、
あるけんくなっちゃった。這っていこうおもったけど、
うまくいかんわ」
と、、、。

今年75才になるうちの母は、むかしからよく働いてきたせいか、
膝の軟骨がすり減り、膝に激痛が走る。

膝だけでなく、腰も、肩も傷む。

五月にも、同じように歩けなくなった。

その三年ほど前も、同じようなことがあった。

しかし、少し良くなると、すぐに畑に行こうとする。

「そんな足で、何では畑なんか行くんだ!!
え〜かげんにしとけ💢」

と、私が怒ると、逆切れして

「ほんなもん、生き甲斐かだもんでしょうがないだろうが💢」
と、、、。

「健康」か?「生き甲斐」か?

むつかしいね〜。

母にとっては、畑は楽しみ。

しかし、畑の農作物とは、生き物であり、
必要な時に、必要な世話をやらなくてはならないので、
母の体のことなど、お構いなしにその時期が来る。

たとえ、歩けんほど膝が痛くても、トマトを
今、収穫しないと、すべてダメになってしまう。

私もなるべく手伝うようにしているのだが、
私も仕事に田んぼにと、飛び回っているので、
なかなかその時期に体があかない。

そうなると、私が会社に行っている間、
こそっと畑に行っているようだ。

ほとんど、お金になるわけでもないし、
そこまでして、畑に行きたいのか?

ある意味、母が言う「生き甲斐」のすごさを感じる。

確かに、もし私が母の立場だったらどうだろうか?

もしかしたら、この老いた体をトコトン使い切りたい
と思うのかもしれない。

さらに、あれやってはいかん、これやってはいかんと
言われるのもなにか不自由を感じるのかもしれない。

しかし、私は母に、いずれ体が老いて、病気になり、
死んでいくということをよくよく認識してもらいたい。

あるお坊さんが
「身近な人の死というのは、いずれ自分も死んでいくということを
分からせるためにあるんだ」
と、、、。

畑も何もかも、老いて一人きりで旅立たなければ
ならない日がそう遠くない時期に来る。

いずれ死ぬわが身ということを、母にも認識してもらいたい。

そうなれば、いろんな執着が薄まる。

また、充実した余生が送れるような気がする。

母には四つ上の姉がいた。

その姉は、いわば母の母代わりのような存在であったが、
七年前なくなった。

その時は、母も大泣きであった。

その姉、私から言えば伯母だが、
伯母の四十九日に、毎週母と二人で、お参りに行った。

その後、毎回、二人で喫茶店によって帰った。

その時、
「おばさんが、おまんもいずれ死ぬということを
悟らせるために、先に行ったんだぞ」
というようなことを母に言ったが、
そん時は、
「そうだな〜、そうだな〜」
と、言っていたが、その後あまり効果がないようだ。

自分がいずれ死ぬということを認識知れば、
周りが客観的に見れる。

あらゆる煩悩が、だんだんと薄まってくる。

ただ、カラオケだ、体操だ、旅行だ、畑だと飛び回っているだけでは、
一時的な解放感を得るだけで、果たして本当の満足感が
得られるのだろうか、、、。

それらも、いずれ飽きてくるし、仲間もだんだんと
出られなくなるであろう。

誰でもそうであるが、人生の最終盤で、大変なことが待っている。

得体のしれない「死」だけでも恐怖なのに、年老いていく悲しさ、
病気になる苦しみ、そして身近な人との「別れ」、、、。

それら一つだけでも、大変なことなのに、四つも
津波のように襲ってくることになる。

そんな中で、いかに冷静でいることができるか、
それによってその苦しみを緩和できると思う。

人生の最終版、どのように過ごすか、よくよく考える必要があるの
ではなかろうか。


posted by hide at 07:54| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年08月16日

あらゆる枠組みを超えよ!仏教の教えは、深いね〜。

世の中生きていくうえで、どうしても
いろんな摩擦に出くわす。

とても傲慢な人、、、。

自慢話ばかりする人、、、。

悲劇の主人公から抜け出すことができない人、、。

いろいろだ。

はっきり言ってそんな人たちは、なるべく避けたい。

しかし、どこかの無人島でも行くのか、、、。
それとも、世間と壁を作って、生き続けるのか、、、。

金子みすゞは

「泥があるからこそ、蓮が咲く」

と、唱えていた。

 NHKのEテレで、先日、放送された100分で名著の「維摩経」が
とてもよかった。

その放送の中で、

「何処にも逃げ道などない。苦難の今を引き受け、
苦難の世俗を生き抜く覚悟がいる」

というようなことを言っていた。

その通りだと思う。

では、どうするか?

相手など、なかなか変えれるものではない。

むしろ、受ける側の自分のとらえ方を変えること。

また、自分の態度次第で、相手の悪いところを
引き出してしまうことってよくあると思う。

維摩経の放送の中で、こんなことが紹介されていた。

愛する人が髪をとかしている姿を見ると「なんて美しい
髪なんだろう」と思うのに、その人の髪の毛が抜け落ちて
お風呂の排水溝にたまっているのを見ると「汚いな」と感じる。
髪の毛事態の物質性はまったく同じなのですが、意味づけが
大きく異なる。同じものを見ても、自分のとらえ方次第で
まったく別のモノに見えてくるのです。
 私たちは普段の生活の中で「きれい」「汚い」を当たり前の
ように対立的にとらえていますが、よくよく考えると、それは
自分の都合が作り出したものに過ぎないのではないでしょうか。
自分というフィルターを通してものごとを見ているからこそ、
そこに差異が生まれるのです。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 

「自分というフィルター」、、、。

これにより、大きく世の中が違って見えてくる。

特に、怒りや不安など、煩悩に心が占領されてしまえば、
その「自分というフィルター」も、かなり偏ったモノになってしまう。

いかに、冷静に、心を落ち着かせて、周りを見るか、
そのことによって、世の中など、まったく違って見えてくる。

あっちを向いてガオー、こっちを向いてガオーと、
心が戦国時代の人ってどこにでもいる。

その人なりのこだわりを主張して、
攻撃してくるが、その主張にもかなり矛盾が多い。

できる限り、そういう人からは避けたい。

しかし、どうしても避けれないことなど、
ちょくちょくある。

そんなとき、どうするか?

どのように、自分を変化させるか?


「正しい道と間違った道があると人は考えがちですが、
間違った道に足を踏み込んだことのない者は、何が正道で
何が邪道なのかはわかりません。正道と邪道を分けて
考えることをやめれば、その先には不二の法門が待っているのです」
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

と、、、。

ほかにも、「対象と主観」「善と不善」「徳と悪」
「聖と世俗」「悟りの世界と迷いの世界」「智慧と愚痴」
「色と空」「刺激と感覚器官」「身体と精神」「自分と他者」
「光と闇」「真実と虚像」などなど、人間ってすべて自分という
フィルターを通じて、区別する。

しかし、煩悩が無くして、悟りがあるのだろうか?

先ほどの心が戦国時代の人も、心の中では、
何かにおびえているということ。

だから、自分を大きく見せようとする。

だから、強面でい続けようとする。

しかし、もう少し、肩の力を抜けば、
まったく違った世界が見えてくるように思うのだが、、、。

でも、このような心の恐怖を持ち続けるからこそ、
何かのきっかけで悟りが開けるようにも思う。

ということは、その人の心が戦国期の時期というのは、
必要なのかもしれない。

もしかすると、自分は人間のいいところだけと
付き合っていこうという気持ちがあるのかもしれない。

例えば、心のあり方を学ぶ上で、
そのような人からも、いろいろ学ぶことができる。

きれいなモノだけに接していて、本当に心の学びがあるんだろうか。

むしろ、泥の中にこそ、本当の真理があるのでは、、、。

煩悩と悟りとは、一心同体。

心が穏やかな人も、そうでない人も、すべてつながっており、
すべてが必要だから、私の前に現れる。

というよりも、自分が引き寄せている。

ストレスを感じる人がいるとする。

そのストレスを、10人いれば、10人とも
感じるのかというとそうではない。

何年か前、こんなテレビ番組をやっていた。

20代の少しぽっちゃり気味の大学生女子が、
自分のぽっちゃり体形で、いかに人生苦しんできたかを
泣きながら語り、整形の必要性を訴えている。

しかし、けっこう見た目もかわいいし、
大学生という一番、自由にやれる時期を
そのようなことで、悩み苦しんでいるのは、
非常にもったいない。

もう一人の出演者がいて、その人は、その大学生よりも
はるかに太っていて、三十代。

まるで太っていることを気にしていなく、彼氏もいるという。

この違いは、いったい何なのか?

例えば、何気なく友人が言った「デブ」という言葉に
敏感に反応してしまう。

そうなれば、その友人も、面白がって、
「デブ」を連発する。

そういう人って、10人いれば、何人かは
いると思う。

そのような人を避けて生きていれば、
自分がより狭い世界で生きていかなくてはならない。

むしろ、動じない自分、、、。

そういう自分が、意地悪な相手の部分を引き出させないのでは
なかろうか、、、。

そのようなより成長した心を作るのも、
決して清らかな心の人ばかりの世界では、
できるものではない。

いろんな人がおり、いろんな人を受け入れてこそ、
心の成長があるのではなかろうか。

とらえ方を変える、心のフィルターを変える、
自分が作り上げたすべての枠組みを変える、
世の中諸行無常であり、常に集合と、離散を繰り返している。

柔軟な心を持つにも、いろんな体験をし、
いろんな人と接してこそ、はじめてえられるもの。

自分を解放するにも、あらゆる枠組みを超えて、
ものごとを見る訓練ができているか、いないかで
えらい違ってくるような気がする。



posted by hide at 07:56| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年07月10日

過去も未来もない、ただ存在するのは、この瞬間だけ、、、。この瞬間が「因」となり、次の瞬間の「果」となる。その連続が人生そのもの、、、。

CIMG8060.JPG

うちの愛犬パンチくん。

我が家では、大活躍だ。

認知症がかなり進んでいるオヤジが話すことというと、
まず、このパンチのこと。

また、犬嫌いのうちの母が、
「パンチが死んだら、私も死ぬ」
というぐらい、犬が好きになってしまった。

このパンチの魅力とは、いったい何なんだろうか。

とにかく、人懐っこい。

誰でもじゃなくて、特に家族にものすごく甘えてて来る。

誰もいなくて一人で留守番しているときなんか、
私が帰ってくると、体中でその喜びを表し、すり寄ってくる。

そうかと思えば、うちの嫁が帰ってくれば、
もう嫁にべったり。

トイレに行こうが、今に居間に行こうがべったりとくっつき、
まるで家庭内ストーカーのようだ。

さっきまで、私にべったりだったのに、
もうそのことも忘れて、嫁にすり寄るパンチ。

また、その何にも考えずに、気の向くまま、本能で
生きている愛犬パンチくん。

散歩に連れてってほしいときは、私の目の前に現れ、
玄関に連れて行こうとする。

腹が減れば、わんわん吠えるし、眠くなれば、眠たそうな顔をして
いびきをかきながら寝ている。

そんなパンチを見ていると、ふと思ったことがある。

それは、パンチは、今を生きているということ。

例えば、明日病院で注射を打たなければならなくても、
本人は分からない。

過去のことをくよくよ悩むわけでもない。

今、あるこの瞬間が、パンチにとってすべてなんだ。

その瞬間を受け入れ、全力で生きている。

さみしいから、一人にしないでと思えば、
懸命に吠える。

散歩に連れていけば、思いっきり遊ぶ。

過去も未来もない、ただこの瞬間、それがパンチのすべてだ。

人間だってそうだ。

過去のことって、もうすでに終わってしまったこと。

未来のことって、
あれこれ考えてもしょうがない。

例えば、明日、お客さん所に謝り行かなくてはならないとしても、
それは明日のことであって、今日のことでもなく、
そのことで「いやだ、いやだ」と思っていても、
心に負担をかけるだけ。

それより、パンチのように、例えば謝る時も、
その場で全力で謝ればいいし、やれることを
めいいっぱいやるだけのこと。

シンプルるに、今日、この習慣をベストを尽くすのみ。

そして、この瞬間が、「因」となり、次の瞬間の「果」となる
ということを仏教で言っていた。

確かにその通りだと思う。

人生とは、その「因」と「果」の連続。

すべてつながっている。

例えば、今日、車の中が汚い。

毎日、車に乗るとき、あ〜、汚いな〜と
少し不快感を感じる。

では、それに気が付いたときやっていれば、
その後の不快感は、存在しない。

今日も、見過ごしてしまった自分が「因」となり、
その後の不快感が「果」となる。

例えば、うちの会社のM君を見ていると、
とにかく不器用で、呑み込みが悪く、世渡り下手だ。

しかし、いいところもある。

それは、素直であり、愚直であること。

分からないことを、しっかりと飲み込めないと、
動けない。

そして、分からないと素直に聞いてくし、
常に学ぼうという姿勢が、体からあふれている。

もし、どちらかというと、見栄っ張りな人がいるとする。

そういう人って、十年経ってみると、かなり損をしている。

「時は金なり」というように、
ただ頭がいいキャラで、そのキャラに縛られてしまえば、
素直に聞くことなどできやしない。
また、周りの目が気になって、チャレンジすることなど
出来なくなってしまう。

分からないことを素直に聞くということはできないし、
そのことから逃げようとするであろう。

毎日がチャンスである。

そのチャンスに、素直に向き合ってきた人と、
そうでない人の十年とかなり違ってきてしまう。

最近、仏教の維摩経にはまっているが
維摩がある人に、
「維摩さんは、今日はどこに行かれていたのですか?」

「道場に行っていて、道場に帰ります」
と、、、。

維摩の道場とは、出家ではなく、日常の生活の中に、
いろんな悟りがあるという立場だ。

泥の中でしか、蓮が咲かないように、いろんな人間の醜い部分を
見ながらでないと、けっして悟りなど得られなりという立場だ。

文殊菩薩は、

「煩悩も、仏教以外の教えも、仏陀となる素質です。すでに悟りを
得た人は、それ以上悟りを求めることはしません。その人は、煩悩の
泥の中へとまみれることが仏道の実践になるのです。空中に種があっても
芽は出ませんが、泥土の中にあれば芽をふくのと同じです。大海の底に
潜らなければ海の底の宝が手に入らないように、煩悩の中を生きぬかなければ
智慧を獲得して実践することはできません」

と、、、。

その世俗の中で、瞬間、瞬間を大事に生きていく。

過去のことを悔いても、その過去は、すでに存在しない。
あなたの心にあるだけ、、、。

未来のことを不安に思っても、それは今ではない。

すべて、自分の心が作り出すモノ、、、。

あるのは、今、この瞬間のみ、、、。

その瞬間、瞬間をべストを尽くしている、
そうすることにより、未来が開けていくのではなかろうか。

どんな未来になるかわからないが、自分のやれることというのは、
ただその瞬間、瞬間、ベストを尽くすだけしかやれない。

後は、もうお天道さんでも、仏さんでも、ご先祖さんにでも
任せておけばいい。

維摩経というのは、どちらかというと禅宗的。

そして、念仏系の
「阿弥陀様は、すべてを私に任せろ」
と言っているというスタイルを取り入れる。

維摩経であろうと、禅宗だろうが、真宗だろうが、
キリスト教だろうが、イスラム教だろうが、
自分にしっくりくるものは、どんどん取り入れていけばいい。

「仏教とは、科学だ」と言っていた人がいるが、
生きていくためのいろんな智慧が内在されている。



posted by hide at 07:52| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年07月08日

日欧EPA大枠合意の裏にある、ISDS条項は、協議継続とのこと。

 昨日の中日新聞一面、
「日欧EPA大枠合意」というような見出しが、
飾られていた。

そして、だんだんとページを進めて読んでいくと、
小さくこんな記事があった。

「日欧EPA大枠合意の要旨」
と書いてあるところの、一番下に小さく
【ルール分野】
<投資>
企業や投資家が進出石の現地政府を訴えることができる
紛争解決手続き(ISDS)は、協議を継続。


書いてある。

気になって、
このようなTPPなEPAなどのスペシャリストの
アジア太平洋資料センター(PARC)事務局長、
内田聖子さんのついったをのぞいてみると、
こんなことが書いてあった。

7月6日  

なぜ日本政府は、TPP型(EU側の言葉を借りれば「旧式」)のISDSに
固執するのだろうか。ISDSを「改良」したEUの投資裁判制度(ICS)は
決して欧州市民から評価されていない。まだまだ投資家にとって有利な
メカニズムだ。変な話、これを受け容れたところで大勢に影響はないだろうに。

7月6日 

「EUは日本との交渉で、改革された投資裁判制度(ICS)を提案してきた。
EUは旧式のISDSに戻ることはできないことを主張し続けている。いかなる
条件の下でも、合意の中に旧式のISDSを含めることはできない。この点に
ついての結論に達するためには、今後数か月間でさらなる議論が必要だ」


なぜ、あの悪名高きISDSに、日本政府がこだわるのか?

まったく、わけが分からない。

引き続き、しっかりと監視が必要!!







posted by hide at 07:34| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年07月05日

「手放す」勇気、、、。

江戸時代の禅僧、鈴木正三さんがこんなことを言っていた。

「我が身を思う念(自己保身)」が分別(煩悩)の本質である」

と、、、。

我が身を思う念(自己保身)である以上、
自分というモノに意識が集中する。

周りをよく見てください。

何かに悩み苦しんでいる人の大きな特徴は、
周りがまったく見えてみない。

怒り狂っている人の大きな特徴は、
その怒りで周りがまったく見えていない。

自分のことを大きく見せよう、大きく見せようとする人の
大きな特徴は、人の話を聞かない。

つまり、人にあまり関心がないということ。

煩悩に取りつかれれば、自分という意識(自我)が強くなる。

でも、逆から言えば、人間というのは、もしかしたら、煩悩を手放すことができない。

煩悩にしがみついて生きているのでは、、、。

たとえば、以前の上司であるが、
あっち向いてガオ〜、こっちむいてガオ〜というような
パワハラ上司、、、。

内面は、震えてにもかかわらず、強く見せよう、
大きく見せようと、いきり立っているようだ。

見方によっては、かなり無駄なエネルギーを使っているようにも見える。

そうしていると、心がさびてくるというのか、
もう少し、肩の力を落とせば、等身大で生きれば、
もっと幸せになれるし、周りにもいい影響を与えられる。

勇気をもって、自身を手放す、、、。

そんなにヨロイで身を固めすぎていれば、動きが鈍くなる。
視野が狭くなる。

自分というモノに意識が集中している以上、
周りなど見えやしない。

そのプライド、本当に必要なのか。

ただ、その強面の表情、心の中では、
いったい何があるのか、、。

そんなの思い切って、捨てちまえば、、、。

それには、トレーニングも必要であろうし、
生きる智慧も必要なのかもしれない。

仏教では、煩悩とは心の「過剰さ」とも説く。

その「過剰さ」とは、自分を守ろうとする意識が
強くなりすぎている。

でも、自分の実態とは、何もない。

ただの水と二酸化炭素の集まりであり、
それも常に出たり入ったりしている。

それに、60兆の細胞というのは、常に新陳代謝を繰り返し、
二年で総入れ替えされるという。

二年後には、実は全く別人ということになる。

さらに、60兆の細胞に対して、影響し合ったいるが
自立した生命体である100兆もの微生物が人間の体には
住みつき、その微生物がいないと、生きていけない。

それらのモノをたまたま、何かの縁で、かき集められ、
私というモノが、今、存在する。

そう思うと、自分なんてなんもない、まさに空っぽでは、、、。

私は、20数年、日記を書いているが、むかしの日記を読み返して
見ると、まあ〜、なんと小さなことで悩んでいことか、、、

と、思うようなモノだらけだ。

その悩んでいたことさえ、今ではすっかり忘れている。

そう、悩みというモノのほとんどは、時が経てば解決して
くれる。

その悩みに、冷静に向き合ってみれば、もしかしたら、
かなり楽になるのでは、、、、。

現実にあるのは、「今」しかない。

過去のことを悔やんでいてもしょうがない。

未来のことで、恐れおののいていても、心に負担になるため。

その瞬間を全力で生きる。

その瞬間が「因」となり、次の瞬間の「果」となる。

そのように、因と果の連続が、人生であり、すべて
つながっているということ。

なるべく良い「因」を作るために、自分がどのようなことを
心がけて生きるかで、10年も経てば、大きく変わってくる。

トレーニングとして、自身を守ろうとする過剰さが、煩悩であり、
その過剰する自分に対する意識を外に、外に、持っていくようにする。

家族のために、社会のために、次の世代のためにと、
煩悩まみれの中でも、なるべくそのようなことを口にし、
行動すれば、だんだんと意識が、外に向いてくるのは、、、。

自分という意識から離れ、他社に奉仕するということを
それが仏教でいう「慈悲」ということになり、
生きる智慧と共に、この二つが仏教では、
「This is the 仏教」とのこと。

生きていくうえでの「智慧」。

煩悩を薄める「慈悲」、

これらをなるべく身に着ければ、かなり自分の主観が
変わってくるのでは、、、。

宿命というモノがあるのら、その宿命をどうとらえ、
どのように付き合っていくかで、自分の主観次第で、
人生大きく違ってくるような気がする。





posted by hide at 20:19| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年07月04日

「煩悩なくして悟りもない」、Eテレ100分で名著「維摩経」の中で。

NHKのEテレ100分で名著「維摩経」のテキストブックの
中で、金子みすゞの「蓮と鶏」という詩が載ってたので、
紹介したい。

泥の中から 蓮が咲く。

それをするのは蓮じゃない。

卵の中から鶏がでる。

それをするのは鶏じゃない。

それに私は気がついた。

それも私のせいじゃない。


熱心な仏教徒の家に生まれた金子みすゞは、仏教的な
感性溢れる詩をたくさん残しているとのこと。

続いて文殊菩薩の言葉

「すでに悟りを得た人は、それ以上悟りを求めることはしません。
その人は、煩悩の泥の中へとまみれることが仏道の実践になるのです。
空中に種があっても芽は出ませんが、泥土の中にあれば芽をふくのと
同じです。大海の底に潜らなければ海の底の宝が手に入らないように、
煩悩の中を生き抜かなければ知恵を確保して実践することはできません」

「煩悩即菩提」
(煩悩と悟りは別々のものではない)


二項対立を解体していくと、いわば煩悩こそが悟りの
だと説くとのこと。

維摩は、
「仏道を本気で求める者は、何があっても、どんな環境におかれても、
心身は常に清浄で穏やかなはずだから、世俗の中で生きても煩悩に
支配されることはない」

と語る。

常日頃生活していると、毎日毎日、いろんなことが起こる。

そんな中で、怒り、悩み苦しみ、心が奪われがちである。

しかし、それがあるから、悟りが得られるのではなかろうか、、、。

私は、二十数年、日記を書き続けているが、むかしの日記を
読み返してみると、こんな小さなことで悩んでいたのか!?と
あらためて、自分の未熟さを痛感する。

それって、自分が成長しているということ。

そう思えば、悩み苦しむことも大事、、、。

泥まみれの世俗の中で生きていれば、
周りからいろんなストレスを受けることも
しょっちゅうある。

怒りに取りつかれている人、
見栄やハッタリの世界観で生きている人、
勇気が持てず、常にぐるぐると同じところをまわっている人、
すべて、その人なりの修行をしているのかもしれない。

いつ気付くのか、と、こちらから焦ってもしょうがない。

ただ、じっくり待つことも大事、、、。

それに自分にも、そういうところがあるということ。

だからそれがストレスに感じる。

瞬間、瞬間を大事に生きていれば、その延長線上に、
心の成長があるように思う。

どこにも逃げ道などない。世俗の世を生き抜いく覚悟こそ、
新しい道を開くのかもしれない。


posted by hide at 07:55| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年07月03日

Eテレ100分で名著「維摩経」の最終版!!お世話され上手の正体とは、、、。

 NHKのEテレ「100分de名著」で
やっていた「維摩経」、ゲストのあるお坊さんが
こんなことを言っていた。

「高齢者の介護にかかわっていると、ある世代から
急速にお世話されるのが苦手な世代があることに気が付いた。
だんだんと都市化するにつれて、人に迷惑をかけなければ、
「自由」である、という考え方が美徳とされるが、
ある意味、傲慢でもある」

なるほど、なるほど。

私が住む辺り、周りはかなり住宅地に
なっているが、その流れに取り残されたような集落だ。

昔ながらの風習がまだ残っているような場所だが、
たとえば、うちのオヤジが年老いて、認知症になったとき、
近所の60代のおばさんが
「順番だでね〜。しょうがないわ」
と、、、。

うちの70代半ばになる母も、そのようなことを言っていた。

この「順番」という感覚、、、。

解剖学者の養老孟司がこんなことを言っていた。

「日本全国、都市化が進むにつれて、死とか、
老いというモノを、家庭から排除するようになった」
と、、、。

確かに、そうだと思う。

ほとんどの人が、病院で死に、老後は施設で過ごすのが
あたり前になった。

18年ほど前に亡くなったうちのおばあさん、、、。

働き者であったが、寝たきりの状態が7年間も続いた後、
家で老衰で亡くなった。

そのことって、今思えば、我々家族にとって、
いい体験になったのではなかろうか。

あるお坊さんが
「身近な人の死というのは、いずれ自分も亡くなるというということを
教えるためにある」

というようなことを言っていた。

人間だれでも、「老いる」ということ、「死ぬ」ということ。

あの信仰深くて優しかったおばあさんが、鬼のような顔をして、
とてもきついことを何度も言っていた。

特に排便に関して、おむつの中でするのが、とてもいやみたいで、
はいつくばってでも、トイレに行こうとしていた。

そんなおばあさんを、うちの母は、ほんとよく介護してくれた。

我が母ながら、とても感心する。

今ではすっかりアウトソーイングになってしまったが、
むかしの人は、人が順番に老いて、病気になり、亡くなっていく姿を
他人任せでなく、すぐ近くで、寄り添いながら見ている。

そうなれば、永遠の命など存在しない、
自分もいずれ亡くなるということを、しっかりと認識できるような
気がする。

「露とおち 露と消えにし わが身かな 難波のことも 夢のまた夢」

これは、秀吉の辞世の句であるが、あれだけ栄華を極めた秀吉も、
最後はすべてを残しで、死んでいく。

誰でも、老いて病気になり、そして一人で死んでいく。

「順番」という感覚も、身近な人のそのような場面になるべく、
接することで、身についていくのではなかろうか、、、。

話は変わるが、私はけっこう好奇心が強く、
博物館などによく行く。

そこで、学芸員の人やボランティアの人に、良く質問をする。

そんな時、うちの嫁は、決まって
「恥ずかしいからやめなさい」とか、
「迷惑になるでしょ〜」とか、

そんなことを言って、私が質問しているのを遮る。

いつも、いいところなのに、不完全燃焼のような状態で、
引きずられるようにその場を立ち去らないけない時も、
何度もあった。

しかし、「迷惑って」ほんとなのだろうか?

仕事でもそうだが、自分が知らないのに、質問もせずにそのまま過ごして、
知らないままで本当にいいのだろうか?
と思ってしまう。

それに、質問された方にしても、その質問をされることによって、
いろんなことを学ぶことができるのでは、、、。

私は、若いころ、ホテルマンであったが、お客さんに
いろんなことを尋ねられた。

このワインは、どんな味とか?
この料理は、どんな味付け?

とか、おいしい居酒屋はどこにある?
から、どこかで、チケットてにはいらないかな?
とか、その都度、調べていたら、ゆくゆくは
かなり知識が付くことになる。

「必要は習得の母である」

質問する方だけでなく、質問される方も、確実に
成長するように思う。

ある人が言っていたが
「知識・知恵などというのは、人類共通の財産だ。
だから溜め込んじゃ〜いけないんだよ。教わったことは
ドンドンといろんな人に伝えることが自分の為にもなる」

と、、、。

大変深い言葉である。

例えば、エジソンがもし原始時代に生まれていたら、
あのような数々の発明は出来ただろうか。

鉛筆も、紙も、工具も服もおぼつかない、
そんな環境では発明など出来るわけがなく、
むしろ食うものを必死に探す
毎日ではないだろうか。

人生の中で得た知恵や知識、
そんなモン自分固有のモノでない以上、
いいことはドンドンと周りに伝える。

私は、おせっかいなくらい、いいと思ったことは、
ドンドンと人に薦めたり、教えたりする。

他人は自分の鏡である。

自分がいつもそのような姿勢であれば、
「周りの人もにいつも自分に何か教えたがっている」
と、思えるようになってくる。

もちろんそういう人もいれば、そうでない人もいるであろう。

例えば、どこかの工場に見学に行ったとする。

そこに自分の好奇心を刺激するような、
変わった形のした面白そうな機械があった。

しかし、その機械の前にしかめっ面した気むずかしそうな
年配のおじさんが、説明係としてたっている。

果たして、あなたなら興味を持ったその機械について
その不機嫌そうなおじさんに質問するであろうか?

うちの嫁なら、「迷惑だから質問するのはやめなさい」
というであろう。
ここが私たち夫婦の大きな見識の違いである。

私ならその気むずかしいそうなおじさんが、
質問したとたんに表情が変わり、ニコニコしながら
教えてくれるような気がしてならない。

人間というのは、所詮は自分が持つ主観で動くモノ。

自分が迷惑だと思えば、相手に対しても迷惑に思えるモノだ。

逆に言えば、「同じように思う人を捜している」とも言える。

私のように人に「教えたい、教えたい」と思うような人なら、
相手もそのように見えてくるし、そういう人と波長が合い、
会話を楽しむことができる。

逆に、迷惑と思う人とは、会話してても、それほど面白くなく、
自然とその場を立ち去るであろう。

どちらのモノの見方がいいのか分からないが、
どちらの方が自分にとってプラスになるのだろうか。

自然と自分と同じなモノの見方を捜している以上、
「迷惑」と思っている人は、そういう人を引きつけてしまう。

また、人の心というのは千差万別。
自分が、過剰に迷惑と思ってそのようなチャンネルを持っていれば、
相手からもそのような感情を引き寄せてしまう。

「人の役に立つ」ということに対して、
喜びを感じる人って、けっこういると思う。

そういう感覚で、瞬間、瞬間を生き続ければ、
人生どのように変わってくるだろうか。

今、この瞬間が、「因」となり、次の瞬間の「果」となる。

人生とは、その「因」と「果」のつながりの連続である。

自分がどのようなことを心がけて生きるかで、
10年経てば、大きく変わってくる。

鈴木正三さんが
「我が身を思う念(自己保身)」が分別(煩悩)の本質である」
と語っておられたとか、、、。

では、我が身への意識を外に外にもっていけば、
煩悩も薄まるはずだ。

それには、家族に、社会に、そして次の世代へと
自分自身を奉仕するような感覚で生きるということは、
もしかしたら、自身の意識を外へ持っていくことになるのでは、、、。

仏教でいう「慈悲」というモノだと思う。

人生を乗り切る智慧、そして煩悩を薄める慈悲

この智慧と慈悲こそが、「This is the 仏教」
と言われるほど、仏教の根本原理とのこと。

それを見につけるのも、ただ出家して現場を離れるより、
世俗の中で、苦悩にまみれながらの方が、真の悟りを得ることが
できるような気がする。

今回のEテレ、100分で名著の「維摩経」、とてもよかった。

「維摩経」に、こだわる必要もないが、
とにかく、学ぶという気持ちがあれば、どのような教えから、
どのような場面でも、学べると思う。


posted by hide at 21:55| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年07月02日

「維摩経」から見た日本思想、、、。

今週まで、NHKのEテレ「100分de名著」で
やっていた「維摩経」、これが非常によかった。

通常、仏教のお経の多くは
「あるとき私は、こんなふうにお釈迦様から聞きました、、」
と、言ったスタイルで仏教の教えを語るのが定番だ。

しかし、維摩経では、維摩自身が、仏教徒ではあるが、
出家者ではなく、在家者であり、その教えをお釈迦様の高弟との
やり取りの中で、伝えら得ているようだ。

それは、かなり相手をやり込めたやり方であるが、
とくに在家者の立場として、この世俗の世で、仏の教えを活かして生きる
ことこそ、真の道であるという立場だ。

その高弟とのやり取りをいくつか紹介したい。

釈迦の高弟ナンバーワンといわれる舎利弗が
林の中で静かに瞑想していると維摩が現れ、

「舎利弗さま。必ずしも坐ることだけが座禅ではありません。
座禅というものは俗世間の中にあって、身と意(こころ)を
現さないことなのです。何もせず、心の動きを止め、しかも
諸々の俗世間の行いをするのです。修行を捨てず、俗事を
する。これが座禅です。心は自らに向くものでも、外に
向くものでもありません。これが座禅です。世間の種々の
見方、考え方を知りながら仏道を修行する。これが座禅です。
煩悩は起こるにまかせ、しかも心が平静である。これが座禅です。
もしこのような座禅ができたならば、仏も喜びになるはずです」
と、、、。

例えば、英語を勉強するのであれば、
やはり実際に英語圏で生活するのが一番いい。

もちろん、英語を勉強するの大事だが、いくら英単語や
文法を覚えても、実際に使えなくては何にもならない。

英語圏の生活の中で、一人っきりになり、
例えば自身のバイクが壊れたとしたら
「このバイクの部品を交換できないだろうか、
出来れば、どこか中古のバイクがあれば、それを
取り外して使えないだろうか?」
とか、そのような生きた生活の中で、得た英語の
フレーズというのは、いつまでも心の中で
結晶化して、忘れないものだ。

日本人にとって、それはかなりのストレスを伴うことだ。

しかし、「必要は習得の母である」と、、、。

生きるための智慧にしろ、現場で実体験の中で、
それも苦悩の中で思いついた小さな悟りの積み重ねにより、
その人を大きくしていくような気がする。

放送の中で

「何処にも逃げ道などない。苦難の今を引き受け、
苦難の世俗を生き抜く覚悟がいる」

とも語られていた。

次に行きたいと思う。

清貧生活にトコトンこだわる大迦葉(だいかしょう)が
すべての執着を捨て去るために行うの乞食行だと説いている。
その大迦葉に対して維摩は、

「あなたはもしかしてら自分が立派な聖者になるために
乞食行を行っているのではないでしょうか。それは本当の
乞食行ではありません。すべては関係性の中で成立している
のだから、乞食行というのは施す側のものでもあるのです。
そのことに気づかなければ、すべては無駄になってしまいます」
と、、、。

「これは自分のものだ」という思いが強くなれば強いほど、
人の苦悩は大きくなる。
しかし、「施す」という行為を通じて
「握った手を離すトレーニング」を積んでいけば、執着が低減したり
調えたりできるという。
なるほどね〜。

さらに、人は専門分野などを学んで、専門家になったときに
見えなくなるものがあるという。

自分が秀でていると感じている領域にこそ落とし穴があり、
それを高く評価されると、人はどうしても
「自分の考え方、やり方こそ正しいのだ」と思い込み、
自分の作った枠組みを堅固にしてしまう。
維摩は、釈迦の高弟達を揺さぶり、自らの仏道を
再構築するように導いていると、、、。

なるほどね〜。

これって、あると思う。

例えば、どこかの大学教授や、何かの地位についてしまうと、
そのイメージにはまってしまうことってよくあると思う。

先生、先生と持ち上げれば、分からないことを
分からないといえなくなり、
物知りを装ってしまう。

たとえ専門分野でも、もし学ぶということを忘れてしまい、
自ら作り上げた虚像に自分の心が占領されてしまったら、
その後5年、10年でどうなるか。

いつしか、その人にもかげりが見えてくる。

かげりが見えてくれば、本人も焦りが出てきて、
その自ら作り上げた虚像に執着し、心の葛藤がうまれるであろう。

そうなれば、本来の自分を失ってしまうことに
つながり、身を滅ぼす源となる。

例えば、頭いいキャラに縛られて、学ぶ力を失ってしまった人。

学歴や地位に縛られ、チャレンジ精神を忘れてしまった人と
常にこの世を修行の場ととらえ、学ぶことを中心に
コツコツ生き抜いてきた人と、10年でかなり差がついてしまう。

常に自分を見つめ直し、他者を観察し続ける、
そして世間の噂話の世界だけで生きていくことの
もどかしさをしっかりと認識する。

次に戒律を守ることの大切さを説いている優波離に対して維摩は、

「優波離さま。ただ戒律を守れと人に説くだけでは意味がありません。
”自分というもの”を必死に守ろうとするから、人は誤った
考えや行動に走ってしまうのです。もともと守るべき
"自分というもの”など存在しないということがわかれば、
それほど必死にならなくてすむはずなのです。水面や鏡に
月が写っているのを見ると、あたかも水や鏡の中に
月が存在しているかのように感じるでしょう。しかし、実際には
水の中に月があるわけではなく、鏡の中に何かがあるわけでも
ないのです。この理を知る人こそ、仏法を会通した人なのです」
と、、、。

悩みの原因は、心の中の「過剰さ(煩悩)」という。

そして、過剰になればなるほど、自分という意識が強くなる。

それより、自分の存在というモノをトコトン突き詰めれば、
なんもない、空っぽだということを自覚すれば、
その過剰さというものが、和らぐのでは、、、。

釈迦が亡くなって56億7千万年後、
次のブッタとしてこの世に現れることを約束されている
弥勒菩薩に対して
「弥勒さま。あなたはお釈迦さまから、完全なる悟りを
開いてやがては仏になると約束されているそうですが、
それはおかしくありませんか。なぜなら、仏教では、
すべてのものはこの瞬間にしか実存しないと説いて
いるからです。すべてのモノが瞬間、瞬間で消え去って
いくとすれば、過去は何処にも存在しないことに
なるし、未来はいつまでも未来であって、現在には
ならないことになります。すべては瞬間、瞬間、
変化し続けていて、この一瞬の連鎖によって次の
一瞬が成立します。だから仏教では有(存在)と
時(時間)は不離であって、別々に成立することは
成り立たないのです。それを考えると、あなたが
お釈迦様と交わした約束は成り立たないということ
になってしまいますよね」

と、、、。

過去のことを悔やんでも、それはもう過去のことであり、
この世に存在しない。

未来のことに対して不安になっていても、それは
瞬間という「今」しかない現実において、
何の意味もない。

その瞬間をどう生きるか、それにより次の瞬間が決まる。

その連続が人生そのモノだ。

そしてその連続には、「因」があり、「果」がある。

すべてが、この瞬間をどう生きるかにかかっており、
その瞬間が次の瞬間に大きく関わってくる。

例えば、私の会社の入社5年目になるM君など、
入社当時、例えば「Aという原料を30%入れて、
Bを70%入れる。計算してみろ」と言っても、
なかなか出来なかった。

そして、私も仕事のあとに、彼と居残り、
何度も何度も説明したが、なかなか出来なかった。

頭から煙が出るほど、考え抜いた答えを見せられたが、
明らかに理解できていない。

しかし、幸い、彼には、「素直さ」と「愚直さ」を持ちあわしている。

まじめにコツコツ取り組み、今ではすっかりできるようになった。

もし彼があの時、逃げていたら、一生、簡単な計算も出来ない。

そうなれば、仕事にもかなり制限されることになる。

計算が出来ないということを素直にさらけ出し、
一生懸命取り組もうとするM君、そしてみんなに馬鹿にされ
責められても愚直に取り組もうとする姿には、
なかなか感動するところがある。

見た目のすごさというよりも、私は人間のすごさというのは、
学ぶ力のある人、、、。

それには、素直さがいるし、勇気と忍耐力がいる。

そして、その瞬間、瞬間を大事にし、コツコツやれる人。

そういう人というのは、「化ける」と思う。

毎日、毎日、なるべく前向きな言葉を発し、
それに沿って行動する。

その瞬間の積み重ねにより、どれほど自身が変われることか。

次に、心の共振現象についてだ。

例えば、あの本を読んで感動したとか、
あの演説には、心を打たれたとか、
何か感動ができるというものやはり人間力では
なかろうか。

何をいっても、上っ面だけで、心に響かない人っていると思う。

そういう人ってどういう人かというと、
維摩経のテキストブックにこんなことが、
書いてあった。

「このような共振現象は、心に「自分の都合」という
バリアを張っていると起こりません。もちろん、私たちは
普段「自分というモノ」を守るため、バリアを張って
暮らしています。でも、ずっとバリアを貼りっぱなしに
していると、次第に心身は錆びついてしまい、なかなか
共振現象が起こりにくくなるのではないでしょうか。
このバリアを解除する次空間こそが道場なんですね。
 維摩は慈悲とは言わずに、ここでは大悲という言葉を
使っています。慈悲も、身近な人々や関係者に向けて
起こす小慈悲や中慈悲もあれば、すべての衆生に向けて
起こす大慈悲があります。維摩が感じた痛みは。まことに
大きな慈悲に基いたものですね」
と、、、。

こういうことがいえると思う。

バリアばかり張っていれば、視野が狭まるし、自分という意識が
強くなりすぎる。勇気がもてずに守ってばかりでは、
狭い視野でただ同じところをグルグルまわっているだけ。

それより、勇気を持って、バリアを外してみたら、、、。

それはとてつもなく、その人にとっては勇気がいることである。

しかし、自ら自分をぐるぐる巻きにしていた何かを
解きほぐせば、案外、すがすがしい気持ちになり、周りに視界が
拡がる。

それには、怖れながらも、なるべく自分より、相手を、
周りを、共同体を、そして次の世代をとか、自分よりも
なるべく周りを優先して考えるように訓練する。

慈悲の心とは、実は自意識過剰な意識を他者に移す、
訓練でもあるのでは、なかろうか、、、。

私は、日本の思想体系とは、まさにそのことが
中心あると思う。

いろんな歴史を調べれば、この日本という国の
先人たちは、どれだけ身をささげて、社会に
貢献してきたことか。

その辺りを色々調べていると、自分の心のなかに、
とても共振現象が起こるというか、熱いものを感じる。

今年94歳になるうちの会社の会長さん。

終戦を22歳で迎え、会長の同級生の半分が、戦死した世代だ。

会長は、あくまでも、どんなことがあっても戦争反対の立場だが、
その会長が「日本人なら、一度、知覧に行って来い」
と言っていた。

特攻隊をどう見るか、人それぞれだが、その遺書、手紙を見ると、
胸が熱くなる。

あいつらは、洗脳されたとか、犬死だったという人もいるが、
そのようなとらえ方というのは、あまりにも熟慮にかける。

日本の歴史、民族性、社会のあり方、気候、風土、地理的条件などなど、
あらゆる角度から見て、自分より大事なモノがあるというの考えは、
自然にわいてくるだろうし、その先輩達もそうしてきた。

次の世代に何を残すか、この思想的なことも
非常に大事なように思う。

さらに維摩経について、もう少し続く、、、。



posted by hide at 19:47| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする