2017年02月26日

日本とは、日本人とは、、、。この共同体は「先人」、「英霊」の方々とも強くつながっている、、、。

 今週も、香里奈が出ているドラマ「嫌われる勇気」が
やっていたので、録画を見た。

アドラーの心理学の中で、
「嫌われる勇気」と「共同体意識」って、実は人生において、大事なことだと思う。

しかし、パッと聞いて、この両者って、矛盾しないだろうか?

実際に、ドラマの中で香里奈が演じる女刑事は、
まったく協調性がなく、とげとげしいような人物であろう。

その女刑事に、「共同体意識」と言っても、だれもが
信じないであろう。

「嫌われる勇気」というモノに、重点をおくのなら、
ただ自分勝手にやっていれば、ただのわがままな人であり、
結局は誰も相手にされなくなる。

それよりも、「公共心」を持て、ということではなかろうか。

「共同体意識」とは、私なりに解釈すれば、イコール「公共心」
ということになると思う。

人間って、どんなときに自分の存在感、もしくは
自身の人生の意義を感じるだろうか?

例えば、ドラマの中で、学校を卒業してから、
42年間警察官として働いた男性が、警察署に立てこもり、
事件を起こした。

彼の主張は、42年間警察に奉仕してきたが、
退職してみたら、まったく感謝されることもなく、
久しぶりに行ってみても、自分がいなくて、さぞ困っていると
思いきや、自分の仕事場も、大きく変えられているし、
久しぶりに合った元同僚達も、忙しくてあまり相手にされなかった。

それに、現役時代は毎年300枚ほど、年賀状が来ていたのに、
やめたらたったの7枚だけ、、、。

自分は、警察官としてしか、存在価値がないんだ、
自分の存在するスペースは警察しかないんだ、というような
そんな感覚に陥り、なんだか無性に自身の存在理由が
分からなくなり、事件を起こしてしまったとのこと。

自分の存在理由、、、。

確かに、自分の存在理由が一番分かりやすく感じれるときというのは、
誰かのために役に立っているときではなかろうか。

実は、何か自分よりも大事に思えるもののために
一生懸命になっているときというのは、自身の煩悩も
かなり薄まるような気がする。

例えば、独身時代、あれだけ着飾っていた若いお母さん。

子どもが出来れば、子どものことで一生懸命になり、
自身のことなど忘れがち、、、。

悩み、怒り、恐怖など、煩悩に心が占領されたときとの
大きな特徴としては、まったく周りが見えなくなり、
極端な自意識過剰となる。

つまり、自意識が自分に集中してしまう。

その逆で、自分のことはそっちのけで、他のことに
意識が集中していると、視野が広くなり、
心が穏やかになる。

人に役に立つ、人にあてにされる、もしくは自分よりも
大事なモノ、その「他者」というモノを、何処におくのか?

それともう一つ大事なことは、例えば他者のために何かを
やっても、「なんか、なんも感謝されへんし、馬鹿馬鹿しい」
と、感じることも事実である。

ドラマの中では、見返りを求めないというが、
それも人間である以上、なかなか難しいのではなかろうか。

また、「共同体意識」、、、とは言うが、その共同体に
どれほどシンパシーを感じることができるのか?

それは、イコール何処まで「仲間意識」をもてるのか?
ということにつながってくる。

常に仲間が、各々自分のことしか考えずに、わがままな主張ばっかり
されていたのでは、「もう勝手にしろ」ということになる。

実際に自分から共同体意識を持とうと思って、
ひたすら頑張っても、ぶち当たるのは、
仲間の理不尽な態度、自分勝手な主張、何も見えてない理解力のなさ
などなど、いやになることばかりになる。



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これは、鹿児島の開聞岳山頂から、南の海を撮った写真である。

この開聞岳のふもとに、特攻隊の知覧基地があった。


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そして、その特攻隊の人たちが、南の沖縄方面に旅立つときに、
この開聞岳を富士山に見立てて、翼をふって、
日本に対して、別れの挨拶をしたとのこと。

その跡地には、「知覧特攻平和会館」があり、数多くの特攻で
なくれた方々の遺書がある。

その人たちは、たかだか二十歳前後で書かれた遺書の数々、、、。

それを読むと、正直な話、自分が恥ずかしくなる思いだ。

死が目の前にあり、自分の死、そして自身の限られた命、
何のために死ぬのかという自分の自我に対して、
トコトン向き合った人たちの文章のように思う。

確かに、「彼らは洗脳されていたから、
その洗脳をした軍部が悪い」
というような意見をよく耳にするが、
ただそれだけみるには、あまりにも了見が狭いように思う。

歴史とは、[his-story」であり、勝った方のものである。

日本の歴史、地形、風土、文化、思想、気候
あらゆる観点から見て、「強固な共同体」存在し、
そこから生まれる「仲間意識」というのは、かなり強いものが
あったはずだ。

「仲間を信じられるか」どうかで、自分よりも大事に
思える共同体が生まれると、私は思える。

山口県のあの人間魚雷回天の記念館に行ったとき、
戦争で生き残った人の話を聞く機会が合った。

そんな時、必ず私がする質問というのは
「死ぬのが怖くなかったんですか?」
と聞く。

その時、その記念館の老人は
「自分が生きる死ぬというようなことを言っている場合ではなかった。
多くの兵隊達は、若い自分の世代で何とかしなくては
という気持ちが強かった」
と、、、。

一昔前の、例えば地域の農業用水、土地改良、それに
成功した会社や組織の雰囲気をみれば、何が彼らの
心の支えになったのか?

ただ、自分のよくだけでは、もっと大きな格差を生み、
犯罪や衛生などなど、劣悪な社会になっていたはずだ。

海外に住んだ経験のある人が、真っ先に感じることは、
自分が日本人であるということ、、、。

そして、日本のすばらしさを実感するのではないだろうか、、、。

それは、きれいさ、礼儀正さ、勤勉さ、協調性、犯罪のなさ
などなど、明らかにすぐれているところが一杯ある。

日本に2年ほど滞在したことのあるニュージーランド人の友人が
言っていたが、「多くの日本人は自分の国のすばらしさ知らなさ過ぎる」
というようなことをいっていた。

私が知り合ったニュージーランド人、台湾人、マレーシア人、
シンガポール人、オーストラリア人、韓国人、中国人などなど、
日本人のよくよく知っていた。

日本って、とても特異ではあるがすばらしい国だ。

それには、外国ではまれば、
仲間意識を持てる日本という共同体が長いことかけて、
出来上がってきたからだと思う。

そして、そんな日本で培ってきた仲間意識、
それをささせる思想、宗教、自然との接し方、物をトコトン大事にする考え方
などなどこれから世界で非常に重要になってくる。

むしろ、あの戦争で負けたことさえ、
これもこれからの世界貢献にもつながる大きな意味を
持つような気がしてならない。

特攻隊の英霊をどのように見るのか?

ただの「洗脳された犬死」扱いでは、
あまりにももったいない。

見返りを期待せず、ただひたすら自身の考えを持って
共同体に貢献していくというのは、非常に難しいことだ。

どうしても、現代社会の中では、
理不尽な要求、わがまま、思慮の狭さ、などなど
人間のいやなことに接しなければ、ならなくなる。

そんな時に、「勝手にしろ」という気持ちを乗り越えて、
共同体意識を持ち続けるというのは、非常に難しい
ことであるが、しかし、この日本を造ってくれた人、
多くの先人、英霊の方々は、それは強い奉仕の心が
あったと、歴史を見れば分かる。

共同体意識、仲間意識の対象とは、ただ現在生きている人たちだけでは
ないように思う。

我々は、英霊、先人の方々から、この日本を引き継いだ。

そして、次の世代に引き継がれていく。

例えば、原発の問題でも、その原発の一番恩恵を受けているのは、
我々の世代であり、その後の核のゴミというのは、
次の世代、またその次の世代と、とてつもなく長い時間、
引き継がれていくことになる。

ある人が言っていたが、
「我々は未来の子供たちにこの土地を借りて生きている」
と、、、。

深い言葉だね〜。



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2017年02月19日

世の中をどのように見るのか?自身のモノサシ(主観)が変われば、人生、大きく変わる、、、。

先日、ダウンタウンの浜ちゃんが司会をしている
俳句のテレビを見ていた。

その俳句の題材は、河原の土手につくしが生え、
そのバック雄大な富士山がそびえたつ。

そんな中で、うちの嫁が、即興でこんな俳句を作ったが、
なかなかいいできばえだ。。

寝ころべば 富士とつくしの 背くらべ

ちょっとびっくしたが、うちの嫁にそんな才能があるとは、、、。

私は、けっこう写真を撮るのが好きだ。


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この写真は、海側から名古屋の街を手前に、御岳山にピントを
合わして撮ると、御岳山が実際よりも大きく写せる。

名古屋のような巨大な都市も、このような御岳山のような山々に
水源を依存している。

そういう意味でも、このような山々はとても偉大であり、
それを表現するうえでも、いい写真が撮れたと思う。

つくしと富士山の写真でも、寝ころんで、視点を下げてみれば、
富士山とつくしの高さが同じくらいに見える。

何が言いたいのかというと、人間って、ピントを変えてみれば、
世の中がまったく違って見えてくる。

例えば、背が低いことにコンプレックスを感じている人がいるとする。

こんな感じに見れば、まったく違って見えるではなかろうか。

逆に、世の中を見るうえで、公平に客観的に見ることができず、
いつも自分に都合よく世の中を捻じ曲げてみる人もいる。

結局、人間というのは、自分のモノサシ(主観)により、
まったく違って見えてくるし、そのことにより、大きく人生が
変わってくる。

他の人と比べて、自分が劣っているとか、不幸だとか思っている人でも、
果たして本当にそうなのか?

体の不自由な人に比べれば、手が動く、足が動く、目が見える、耳が聞こえる、
ウンチが出る、シッコでる、これらのことって本当ならば、
ものすごくありがたいことではなかろうか。

今は、スーパーに行けば、食べ物にあふれている。

外食産業もかなり普及し、飽食の時代だ。

これって、昔からそうだったの?

世界的に、どこでもそうなの?

と思えば、これがどれほどありがたいことか。

幸せを感じることができるというのも、その人の人間力だと思う。

人間だれでも、コンプレックスがあり、煩悩に苦しめられている。

しかし、なるべくそれらを薄め、なるべく心をフリーにできる人と、
そうでない人では大きく出せる力が変わってくるように思う。

また、自分のことを中心にしすぎれば、周りが見えず、
自身の成長は鈍くなる。

自分の見方を変える、モノサシ(主観)を変える、
これにより大きく人生変わる。

簡単なようで、そんなことなかなかできるものでもない。

一番大事なことは、日々いろんな経験すること、
日々よく学ぶこと、それしか方法がないし、そのような気持ちで
10年もやれば、かなり変わってくるような気がする。

神様は、常に必要なモノをあなたに与え続けている。

「神」という概念も、上手に自分の中で使い切れば、
より考え方がすっきりするのでは、、、。


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2017年02月08日

石油文明の終焉とその後の世界とは、、、。

福島第一原発2号機の格納容器内で530シーベルトの線量を
計測されたとのこと。ヒトは7シーベルトを浴びると即死とされているが、
果たしてこれをどのように取り出すのか。

費用の方も、今後どれほどかかるのか?

この現実からしても、地震、津波、噴火、台風、洪水などなど
天災大国日本で、原発が行えるのか。

地図をよくよく見ていただきたい。

40年を超える原発が立ち並ぶ日本一の「原発銀座」と呼ばれる若狭湾、、、。

その若狭湾から、若狭、琵琶湖、関ヶ原、この濃尾平野と[伊吹おろし]という
強風にさらされている。

日本列島は、その中央部に背骨のような高い山脈が連なっているが、
一カ所だけそれが途切れているところがある。

それがこのラインである。

そして、冷たい大陸からの寒気団が、暖かい太平洋側へ
と、強風となって、通り抜けていく。

若狭湾と琵琶湖間の距離をじっくりと見ていただきたい。

数十キロメートルである。

高い山もなく、強風が原発のある若狭より、琵琶湖に強く吹き付けている。

もし、その山の南斜面に雨が降れば、琵琶湖に流れる構図だ。


ということは、水源から見れば、数十キロメートルの原発銀座と琵琶湖の距離も、
そう考えると約半分となる。

盆地状の琵琶湖の水源とは、周りの山々であり、その周辺の山々に降り注いだ
放射性物質が琵琶湖に集まることになる。

そして、その琵琶湖とは、京阪神1450万人の大事な大事な水源である。

今後のエネルギーをどうするのか?

歴史を見れば、エネルギーが変われば、社会も思想も共同体も
文明そのものが、大きく変わる。

今の人類の繁栄というのは、石油文明と言える。

石油ももとをただせば、太陽光エネルギーであり、何億年とかけて、
藻類の光合成により溜め込んだ
太陽光エネルギーを、今、一気に使い切ろうとしている。

石油という缶詰をあけたことにより、莫大なエネルギーを得た。

しかし、それは近い将来、必ず使い切ってしまう。

今は、人類にとって、バブルだという。

莫大なエネルギーを得たことにより、ありとあらゆる資源を
掘り起こし、ほとんどの資源が枯渇が近づいている。

莫大なエネルギーのために、人間の活動がドンドンと活発になり、
「自由」という概念が強調される思想が強くなった。

アメリカの建国の理念
「人間は、神から幸福を追求する権利を与えられている」
とされ、そのアメリカで石油が見つかり、一気に石油文明が
広がっていく。

しかし、どう考えても、今、このような文明は保てない。

温暖化、異常気象、それに確実に化石燃料は枯渇する。

何億年前の太陽光ではなく、今の太陽エネルギーをどう集めるか使うのか?

地球上に降り注ぐ、莫大なエネルギーであるが、薄く広く分布する
太陽光エネルギーを、どのように集中させるか?

明治の頃、あの電話を発明したアメリカのグラハム・ベルが
「日本は豊かなエネルギーを保有している」
と、語ったらしい。

実は、彼は地質学者であり、一流の科学雑誌である「ナショナルジオグラフィック」の
編集責任者だった。この雑誌は、現在でも、地質学、地理学および
環境分野の第一級の専門誌である。当時、彼は地理学に関して
世界的にも有数な権威だった。

それは、雨が多いこと、そしてその雨が国土の70%の山岳地帯に降り注げば、
それは位置エネルギーを得たことになる。

水力というのも、元をただせば太陽エネルギーである。

太陽光により海水などが温められ、それが水蒸気となり雨が降る。

その水蒸気が雨となり、山々に降り注ぎ、湧き水となり、無数の渓流から谷に存在する川に
集められてくる。

その川の上流である谷にダムを造って、水を貯めればということは、
大量の位置エネルギーを得たことになる。

三十年ほど前、御岳山に登ったときに、その山頂付近に、
コカ・コーラの自動販売機があった。

そのコーラをどのように運ぶのかというと、男の人が背中に背負って、
運んでいたのを見たことがある。

重たい自動販売機の飲料水を山の頂上に運ぶというのは、大変な労力である。

もし、その仕事をヘリコプターなどで行っても、
大変なエネルギーを使うことになる。

水を下から上にあげるというのは、重力に逆らうことになり、
大変なエネルギーを使うが、逆に上から下に流れていくには、
エネルギーを得ることができる。

その大量の水を山の上にあげるということを、、日本を取り巻く水の自然環境が毎年、
毎年当たり前のようにやってくれている。

山に積もった雪もそうである。

まさに、ダムに溜められた水というのは、石油と同じである。

その水力が、まったく有効に使われてないという。


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元国土交通官僚、元国土交通省河川局長でダムの専門家である竹村公太郎氏の
著書、「水力発電が日本を救う・今あるダムで年間2兆円超の電力を増やせる」
という本であるが、一気に読み切った。

竹村氏は、ダムの専門家であり、水力発電のスペシャリスト、自身もダムを
3つもつくってきた人が、いったい何を語るのか、非常に興味深く読んでいるが、
今あるダムというのは、法律に縛られ、まだまだその能力からして、
半分も使われていないという。

さらに少し手をくわえるだけで、さらに多くの電力が得ることができるという。

竹村氏自身も、もう新しいダムができる時代ではないという。

財政的にも、もし新しいダムをつくろうとすれば、莫大なお金がかかる。

しかし、そのかかるお金の大部分が、立ち退く人たちの保証や
周辺の道路などであり、実際の建設費用というのは、全体のほんの一部だという。

例えば、武村氏は、現在あるダムの嵩上げを提案している。

その嵩上げの方法も本の中にかかれてあるが、たかが10%嵩上げしただけで、
水力発電により、倍の電力を得ることができるという。

水力発電の原理として、その溜められている水の量、落差がとても関係してくる。

ダムというのは、山と山の谷間をせき止めて造られたもの。

ということは、底へいけばいくほど、狭くなり、溜めてある水量が少なくなる。

上部の嵩上げというのは、はるかに効率的に水量を増やすことができる。

落差も稼げるし、水量が増えれば発電効率が向上する。

それを、新たなダムを作ると莫大なお金がいるが、
今あるダムを嵩上げすれば、ダムをもう一つ造ったくらいの効果があるという。

そう考えると、今のダムは高度経済成長期に、急増する水需要にともない
次々に建設された。

いわば、既存のダムというのは、高度成長期の「遺産」とも言える。

その先人たちが残してくれた大事な大事な遺産を、もっともっと有効に使える方法が
あると水力発電の専門家が語っている。

また、大部分の国というのは、大きな川によってつながり、そのような
ダムを建設したり、水力発電をよろうと思うと、国境を越えて、
国と国との抗争になりかねないし、現在も水利権等の問題で
いくつも国が終わることがない争いの最中だ。

戦後、水力中心だったのが、60年代より中東より、
安い石油が入り始めた。その後、原子力へとつながっていくが、
その大きな流れの中で、水力発電が埋没していったように思う。

水力は、まだまだ掘り起こせる余地が十分ありそうだ。

「人類のバブル」ともいえる石油文明の中で、人間の活動がどんどんと活発になる
膨張社会の中で、自由、人権というような価値観が強調されてきた。

しかし、これからは明らかに限られた資源の中で、
生き方を見いだしていかなくてはならない。

そんな中で、どのような生きがい見つけていくのか?
どのような、価値観を見出していくか?

限りない我欲を追求していっても、満足感が得られないのは、
なんとなく多くの人にわかってきているのではなかろうか?

それよりも、自分を忘れること、自我を薄めること、
その方が、自身の煩悩を薄めることにつながるような気がする。

その自分を忘れるには、どうしたらよいのか?

それは、周りのために生きること。

自分より大事なモノがあれば、自分を忘れることができる。

ほんの一昔前の日本人は、とても公共心が強かったように思う。

もしかしたら、自分自分という生き方よりも、
社会のためとか、家族のために生きた方のが、心がすっきりするのでは
なかろうか。

石油文明は、必ず終わる。

そして、自然エネルギーを中心にした共生社会に変わるしかないほど、
人類は追い込まれている。

その共生社会にどうしても必要なのは、信用の構築である。

ある仏教の教え、
地獄でも極楽での、大きな釜でうどんをゆでている。

そのうどんを1メートル箸で食べなければならない。

極楽では、互いに助け合い、互いの口にうどんを運んで、
みんな満腹になれる。

しかし、地獄では、先にと競って食べようとするので、
結局、だれもうどんを食べることができず、みんな餓死してしまう。

この違いは何なのか、その共同体に、互いに信用があるのか、ないのかでは
なかろうか。

信用がなければ、各々が猜疑心のかたまりとなり、
地獄のうどんのようになってしまう。

一歩、周りのためにアクションを起こしてみては、、、。

それが一人一人ができる小さな一歩であるが、
必ずそういう時代が来る。

なぜそのようになったのか?

ある人の言葉であるが
「我々は、未来の子どもたちに土地を借りて生きている」
と、、、。
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2017年01月29日

幕末ラスト10年、長州の大躍進!もしかしたら「石炭」というカードが大きく作用したのでは、、、。

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この水力発電が日本を救う 今あるダムで年間2兆円超の電力を増やせる 
   元クコ度交通省河川局長 竹村公太郎

の中に、歌川広重の「東海道五十三次」の日坂宿(現在の静岡県掛川市)と
二川宿(現在の愛知県豊川市)の絵である。(P.109)

背後の背景に、木がポツンポツンとしか描かれていない。

さらに、江戸時代の当時天領であった天竜川流域の木材伐採量の表があった。

広重ほどの絵描きが、あからさまに手抜きをしたとも思えないし、
しっかりと管理された天領である天竜川流域でも、木を伐採しつくし、
江戸時代後期からは、著しくその伐採量が減少している。

江戸末期には、かなり森林が消滅していた。

黒船が来たとか、尊王攘夷とか、明治維新について、
色々な解釈があるが、エネルギー面から言っても、行き詰って
いたことが分かる。

話しは、変わるが、私の義両親は現在、山口県宇部市の昔ながらの
山陽道の宿場街に住んでいる。

そこの風景を見ると、いつも不思議に思うのは、古い家など
外壁がレンガで出来ている。

レンガなんて当時は、かなり高級品だっただろうに、
なぜ、一般庶民がこのようなレンガを使えたのだろうか。

それは、ここら一帯が、昔石炭の産地であり、
燃料があるのでそのようにレンガを使えたのではないかと、
推測していいた。

山口と言えば、長州、、、。

なぜあの幕末にあのように大暴れできたのか、
いろんな説がある。

関が原で破れて、その260年間の恨みが爆発したとか、
吉田松陰の革命思想が開花したとか、いろんな説があるが、
エネルギーの面から見ると、非常に面白い。

これから話すことは、あくまでも私の妄想である。

黒船が来た。

その黒船は、石炭で動く。

さらに、その後、外国との交易が盛んになり、国内でも蒸気船を
持つ藩が増えてくる。

さらに反射炉など、複数の藩で実験や稼動し始めている。

ということは、さらに石炭の需要は上がる。

これは、あくまでも幕末、江戸時代の最末期の10年ほどに
限っての話しである。

開港など、外国との交渉がその時代活発に行われてた。

外交交渉の延長線上には、戦争がある。

軍事力が外交交渉の一番の決め手になるであろう。

そんな時に、外国から来た軍艦の兵站線とは、いったいどうなるのか?

たとえ、軍艦が物資や石炭を積んだ貨物船を遠くから運んできたとしても
それを狙われれば、一発でやられてしまう。

馬関戦争のとき、関門海峡で長州藩がコテンパンにやられた。

しかし、その後、上陸した外国部隊が陸上で果たして勝てたのだろうか?

当時、九州などの大名が行き来した天下の公道「山陽道」を見たことがあるが、
今でいう片側一車線ほどの幅で、舗装もしてない土の道であり、雨になれば
ぬかるむであろう。

その両脇には、ぬかるんだ田んぼが拡がり、ところどころに川で切断されている。

当時の川とは、帆掛け船が通るため、橋がかけられていないところが多く、
工兵を引き連れないと、陸戦は難しい。

薩英戦争でもそうだが、確かに鹿児島の街は打撃が大きかった。

その後、陸戦になり、ゲリラ戦ともなれば、起伏の激しい日本の大地では
外国勢力に勝ち目はないように思う。

それも、戦う側の士気次第になるが、薩摩も長州も士気の上では、
清のアヘン戦争とは、まったく違っていたであろう。、、。

しかし、老獪なイギリスは、そんな時、必ず内乱を引き起こす為に、
反対勢力に加担する。

なんであそこまでやられたとされる馬関戦争、薩英戦争で、
領土もとられることもなく、ことが収まったのか?

イギリスは、幕府に立ち向かう内部の勢力が欲しかった。

ここまでは、多くの歴史学者がかたられることであろうが、
さらに言うならば、長州の「石炭」、これが大きかったのでは
なかろうか。

私がその石炭のことを語るのは、明治維新後ではなく、
活発に外国との争い・交渉が行われた最幕末のラスト10年間ほどの
時期の話である。

北海道や九州などで、日本で本格的に、石炭鉱山が開かれるのは、
維新後であり、その当時石炭を掘っていたのは、限られてくると思う。

イギリスにしてみれば、石炭を当時持っていた藩がいたとしても、その藩が幕府寄りならば、
いざ国交が断絶したときに、石炭の供給が途絶えることにもなる。

もし水戸藩が石炭を持っていたとしても、
あまりにも幕府に近く、すぐに見つかってしまうであろうし、
近畿、東海、北陸、関東、東北では無理であろう。

そうなると、やはり限られてくる。

長州藩では、塩を作る燃料として、細々と江戸の中期から
石炭が掘られていたとのこと。

うちの義理のオヤジなどは、石炭で風呂をたき、飯も炊き、
比較的この地方では、昔から石炭が日常的に使われていたようだ。

イギリスにとって、もし長州藩を味方につけるということは、
石炭の補給基地にもなる。

そうなると、幕府との長期戦もできるようになり、「石炭」という
カードが開港などの交渉の過程で、大きなカードになるのでは、、、。

なんで絶対絶命の長州に対して、薩摩が同盟を結んだのか?

薩摩も当時、蒸気船を持っていた。

では、その石炭をどうしたのか?

黒船が来て以来、江戸最末期、かなり石炭の需要が高まったはずだ。

その時に、その「石炭」は各藩どうしていたのだろうか?

日本に来ていたイギリスなどの外国勢力は、いったいどうしていたのか?

その辺りを調べると、もしかしたら、新しい歴史の見方ができるかもしれない。

これは、あくまでも私の妄想であり、最幕末のラスト10年に限定した
話しである。

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「嫌われる勇気」もしかして、そのことがあなたを自由にするのでは、、、。

 最近、香里奈が出ているドラマ「嫌われる勇気」が
やっている。

ドラマの中で主人公の香里奈演じる女刑事が
「その推理、明確に否定します」
とか、はっきりとものを言う。

たしかに、日本社会では、そのような物言いは、
カドがたち、たちまちに浮いてしまう存在になるであろう。

私は、けっして人と対立することを望ましいとは思わない。

むしろ、人間とは、これほど互いに依存しながら、共同社会の中でしか
生きられない生物もいないと思う。

私は、今、暖かいダウンジャケットを着ている。

果たして、これが自分で作られるかというと、できないし、
だけかが作りそれを販売する人から買っている。

ということは、生活していくうえで、暖かいそのジャケットが必要ない上、
私はそのジャケットを作って販売している人に依存していることになる。

そのようなモノでも深く互いに依存しながら人間は生きている。

また、こんなことも言える。

狼に育てられた少年が、狼のような習性を身につけ、四足で歩くという。

中国人は、中国人らしく、我々日本人は、周りの空気に気を使いながら生きていく。

ある精神科医が
「人間とは、周りから著しく影響を受けている」
と、言っていた。

まさに、その通りであり、周りと協調していかなくては、
生きていけない。

しかし、思い切って勇気を振り絞り「NO」といわなければ、ならない時って、
人生においてあるように思う。

例えばこないだマンガ「課長 島耕作」を読んでいた。

その中に、初芝電器始まって以来の出世街道まっしぐらの平井室長が登場していた。

平井さんは、井上副社長の紹介で結婚し、高校生の女の子、
中学生の男の子がいる。

出世街道まっしぐらの平井さんでも、家庭の中はグチャグチャ、、、。

高校生の女の子は、誰の子かわからない子を妊娠中、、、。

中学生の男の子は、登校拒否で、家の中で暴れ放題、、、。

奥さんは、ヤクザの愛人、、、。

そして、そのヤクザに奥さんの卑猥な写真を公表されたくなかったら、
「5000万円用意しろ」と、脅されている。

平井さんは、はっきりと言って奥さんにはもう愛はない。

しかし、井上副社長の紹介であり、その副社長グループのホープである
平井さんは、離婚することが出来ず、5000万円用意した。

そこで、奥さんと話し合うことになった。

奥さんの卑猥な写真で、ヤクザに脅されていることを話し、
ヤクザと別れるように説得する。

しかし、その奥さんは下半身裸になり
「こんな私でも抱くことはできる。あの人は、こんな体でも
いとおしく愛してくれるわ」と、酒の飲みながら、自分の下半身を
さらけ出す。

そこで、平井室長も、とうとう奥さんと別れることを決意し、
ヤクザに5000万円払うことを拒否した。

そしたら、その奥さんの卑猥な写真が、会社の正面玄関に
大きく貼り付けられてしまった。

怒った井上副社長が平井部長を呼び出し、平井さんは副社長の
紹介の奥さんと別れたことを告げる。

そして、平井さんに、自分のグループから去ることを告げる。

しかし、その後、子供たちと三人でアパート暮らしが始まる。

奥さんと分かれた経緯、今後のことについて、真正面から
子供たちと話し合い、親子関係が上手くいくようになった。

さらに、仕事の面でも、気の合う島さんや中沢部長らと親しくなった。

出世一筋、そのために犠牲にしてきたことって、計り知れないのかもしれない。

奥さんと分かれたことというは、平井さんにとって、井上副社長へ
「NO」と同じことになる。

しかし、家族と向き合えることが出来た。

さらに、今まで見えなかったものが見えてくる。

群れか離れるのって、我々日本人にとって、非常に恐ろしいこと。

しかし、その群れに属していると、果たして本来の自分というモノを
見失ってしまうのでは、、、。

上手くいえないが、リスクをとらないと緊張感は生まれないし、
視野がまったく変わってくる。

まさに、「群れから離れる勇気」も必要なときってあると思う。

もう一度言うが、けっして人間関係をぶち壊せというのではない。

ぶち壊さないためにも、最善の努力が必要であるが、
人生において、ぶち壊すぐらいの勇気が必要なときがある。

人間関係をぶち壊さずに、自分の主張を言うのは、やはり日頃の行いが
大事なような気がする。

譲れるところは、徹底的に譲る。

夫婦でも家族でも仲間でも、その中で「こだわり」と「協調」というのは、
反作用する。

本当にその「こだわり」って価値があるのだろうか、
そこでその「こだわり」を協調する必要があるのか、
そのことを常に問いかける。

こだわりもよくよく洗練する必要があるし、他に預けるのも、
大事なことであり、それにも人間力が必要だ。

「協調」と「こだわり」、バランスよく生きていくために、いろんな知恵が
必要になってくる。

斉藤ひとりさんが人生ってなんのためにあるのかというと、
「知恵と忍耐を学ぶ」ためとのこと。

そのためにも、勇気がどうしても必要になってくる。

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2017年01月24日

ドナルド・トランプ新大統領「我々は、マスメディアと戦争をしている」と、、、!

 連日のように、新大統領であるトランプたたきの報道が
繰り広げられる。

しかしどうだろうか?

私なんか、このようにたたかれる政治家ほど、頼もしいというのか、
「本気で戦おうとしているんだ」と思えてならない。

こういう見方をする人って、すでにかなりの数いるんじゃないのかな〜。

小沢一郎さんの冤罪事件の時など、マスコミ報道というのは、ひどいモノだった。

まったくのでたらめであり、ああも嘘八百を並べられるもんだな〜と、
あきれ返った。

トランプ氏に近い人が、
「マスコミは、最も不誠実な人たち」
と言っていたが、まさにその通り!!

日本人って、基本的に「新聞で取り上げられるぐらいだから〜」
くらいに、新聞、テレビなど徹底した取材のもと、報道されるものだと
信じ込んでいる。

私もそうだったが、それは全く違った。

マスコミ各社にも、スポンサーはいるし、株式会社である以上、株主の意向に
逆らうことなどできない。

そんな中、もしあなたが、ドナルド・トランプであったなら、
あれだけマスコミにたたかれ、耐えれることができるだろうか?

連日のように、テレビに映り、ファシストだの、女性蔑視者だの
家族だっているのに、そんなこと耐えられるだろうか?

彼本人の立場に立ってみれば、ものすごくプレッシャーであり、
相当腹をくくってやらなければ、地獄の底に引きずり込まれる。

この先、どうなるかわからない。

裏を返せば、1%と99%の戦いが壮絶に繰り広げられているということだ。

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2017年01月20日

吉宗か?、宗春か?森林消滅の危機という面から見れば、その評価はさらに反転するのかも、、、。

多分多くの人に、このような質問をするとする
 
「現在と江戸時代の日本の森林は、どちらが豊かだっただろうか?」

と、、、。

多くの人は、「そりゃ〜、江戸時代に決まってるじゃん」
というと思う。

しかし、驚きの事実が発覚した。


IMG_2181.JPG


この「水力発電が日本を救う 今あるダムで年間2兆円超の電力を増やせる 
   元クコ度交通省河川局長 竹村公太郎」
の中に、歌川広重の「東海道五十三次」の日坂宿(現在の静岡県掛川市)と
二川宿(現在の愛知県豊川市)の絵である。(P.109)

背後の背景に、木がポツンポツンとしか描かれていない。

さらに、江戸時代の当時天領であった天竜川流域の木材伐採量の表があった。

広重ほどの絵描きが、あからさまに手抜きをしたとも思えないし、
しっかりと管理された天領である天竜川流域でも、木を伐採しつくし、
江戸時代後期からは、著しくその伐採量が減少している。


IMG_2184.JPG


この養老孟司氏と竹村公太郎氏の
「本質を見抜く力 環境・食糧・エネルギー」の写真の数々を
紹介されている。

江戸のすぐ後の明治の写真であるが、その当時も森林が回復して
おらず、急な斜面で、涙ぐましい砂防と植林事業を行ってる様子が
うかがえる。

森林(薪)から石炭、石油へと日本のエネルギーが変わってきた。

今の日本の森林は、外からエネルギーがあるからたもたれていると
いえるのかもしれない。

現在でも日本の森林の約4割ほどが、スギなどの人工林である。

そう思うと、エネルギー源が薪の時代に、ドンドン使い切ってしまい、
その対策として、生長の速いスギなどを植えたのであろうと推測できる。

むしろ、山奥の取り出しが困難なところは別にして
川などが存在し、運び出せるところの樹木は、ほとんど伐採されて
しまったと考えるのが、妥当なのかもしれない。

幕末に日本に訪れた外国人が、森林が消滅仕掛けているのには、
驚いたと語っていたとのこと。

森林の消滅の問題は、もっともっと古い時代からあったらしい。

古代近畿地方で、建設ラッシュが起こったときに、木を切り倒したら
必ず植えるという世界初の環境保護法ができたとのこと。

飛鳥京、藤原京、平城京など遷都が続いた奈良盆地では、
やはり森林が枯渇し、遠く紀州の先から、琵琶湖の奥まで、樹木を
求めたとのこと。

戦国期にも、西日本ではすでに森林が枯渇し、関ヶ原で勝利し、天下を取った
家康がなぜ便利で、豊臣、島津、毛利などのライバルたちに目が行き届く、
京都・大坂あたりを立ち去り、江戸に移っていったのか?

開発途中の関東平野には、当時莫大な森林が残されていたらしい。

エネルギーの限界が成長の限界である。

さらに、エネルギー源の量により、人口も決まる。

奈良の時代で、一人当たり10本、江戸時代には20本、
人間一人当たり、一年間にそれほど樹木を消費していたとのこと。

そう考えると、江戸時代の前半に、日本の人口も1200万人から
3000万人に増えたとのこと。その後、頭打ち、、、。

幕末の頃には、エネルギー資源である森林が枯渇していたという説が
正しいのかもしれない。

その後、エネルギーが森林から、石炭に変わる。

北海道、九州地方など、日本の地下には、石炭が埋まっていた。

それに、急速な工業化と人口増加が可能になったのかもしれない。

エネルギー面からしても、明治維新というのは、必要だったのかもしれない。

歴史を見るうえで、エネルギーなどのインフラ枠組みから
どうしても抜け出ることはできない。

限られた資源であるならば、社会全体から、思想・宗教なども変わらざるおうえない。

むしろ、ざっくり言えば、エネルギーが何なのか、量はいかほどなのかで、
その地域の思想、宗教というモノが決まっていくといえる。

今は、世界のほとんどの国でアメリカの自由主義というのか、
石油文明というモノがいきわたっている。

二百数十年前、ヨーロッパ大陸から、宗教的束縛、階級的束縛から
逃れ、新天地アメリカに理想をもって、移り住んだ人々。

アメリカの建国の理念とは、
「人間は、神から幸福を追求する権利を与えられている」
とされた。

それを可能にしたのが、石油である。

石油がまさに人間に大きな力を与え、彼らが追求する
豊かさ(幸福)というモノが、手に入ったかに見える。

もし、石油がアメリカで見つからなけれれば、もう少し
細々とした国家であっただろうし
それほど自由主義というモノが、絶賛されなかったように思う。

これも、莫大なエネルギーのより、膨張する人類に適した
思想・宗教が人類に反映したといえる。

しかし、世界はもうそれほど、成長・膨張できない。

莫大なエネルギーのおかげで、ありとあらゆる資源が枯渇に近づいている。

顕著なモノで、地下水、、、。

現代農業を支えるリン鉱石、、、。

石油も石炭も天然ガスも、あと百年存在すると思えないし、
温暖化やあらゆる環境問題が顕著にあらわれてきた。

そんな中で、どうしても新たな価値観というモノが、必要になってくる。

では、エネルギーが減少する環境の中で、育んできた
思想とは、、、。


「足るを知る」って、禅宗の言葉だよね〜。

「あるがままを受け入れる」、「各々の道を極める」
これも禅宗の思想であるが、アメリカ主義の幸福を追求する思想よりも、
かなりもっと自我から離れ、心の内側を開発する思想体系等いうのだろうか、
とても、次の時代に適しているような気がする。

日本人の思想というのは、禅宗にしても、浄土でも浄土真宗でも、
自分を忘れ、全体に溶け込むような思想体系だ。

その中で培われた強い共同体意識、その共同体にどうしても必要なのが、
社会、もしくは共同体に対する「信用」である。

エネルギーの限界がある以上、個人を主張し、我の幸福とばかりに、
豊かさ、華やかさ、便利さを求める
ことは、全体として、江戸後期には、もうできなかった。

質実剛健の八代将軍、徳川吉宗の政策に反対し、領内では
規制緩和により、経済が活発になったと評価される
尾張藩主徳川宗春、、、。

吉宗がむしろ、経済音痴とされ、宗春が賛美されるようになってきた。

愛知県民である私も、地元の殿様が褒められるのは、
大変うれしいことであるが、もし、歴史をエネルギーという視点から
見ると、果たしてそれが正しかったのかどうか、、、。

私もつい最近まで、徳川幕府の官僚たちは、朱子学におかされ、
経済音痴で技術の進歩というモノに鈍感だったように思っていたが、
もしかしたら、減りつつある森林対策のために、制御していたのでは
なかろうか、、、。

経済がよくなればよくなるほど、エネルギーを消費する。

当時のエネルギーとは、森林であり、高低差のある大地で、
大量の雨が降るこの日本においては、森林の消滅とは、
著しく水害の被害にも、見舞われることになる。

真相がどうなのかわからないが、エネルギーなどの環境、その土地の気候、地形など
それらを無視して、歴史を見ることはできないであろう。



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2017年01月08日

その「自意識」って、本当に必要なの??と、問いかけるもう一人の自分の存在が必要なのでは、、、。

昨日のNHK朝の連続ドラマ「べっぴさん」で
とても、いいシーンが合った。

ベビー商品の総合商社をめざすすキアリスが
海外と取引することになった。

そこで必要なのが、英語を話せる人、、、。

白羽の矢があたったのは、以前から英語を勉強し、
外国人のベビーシッターの経験があるあけみだった。

そして、取引先のアメリカ人といざ交渉しようと思ったが、
なかなか専門用語が分からず、大恥、、、。

その後、あけみはその通訳の仕事を頑なに拒否をする。

そこで、すみれは姉であり、英語ができるゆりに
あけみに英語を教えてくれるように頼む。

それでも、大恥をかいたのがかなりショックだったのか、
あけみはなかなか腰を上げようとしない。

ゆりがあけみに
「別に私は、あなたが英語を習っても習わなくてどちらでもいいんだ
けど、そやけど、一言だけ言わせてもらうと、あなたの自意識、
いらない自意識だと思うわ。
大方、人前で恥をかいて、もう
傷つきつきたくない、そんなところでしょ〜」
と、核心を突く。

「なんで?だれが?」
と、うろたえるあけみ、、、。

「誰に聞かなくても、あなたを見れば分かるわよ。
私もべんきょうしてきたから、、、。どれだけ恥をかいたか、
どれだけ笑われた、、、。でも、そこをのりこえなければ、一生
中途半端なままよ〜。せっかく、今までやってきたことが水の泡よ。
それで、本当にいいの?手に入れたいものがあるなら、絶対に手に
入れる気持ちでやらないと、なりふりかまわず、一生懸命に、、、。」

と、あけみにほのめかすゆり。

私もニュージーランドに一年間滞在した経験がある。

そこで知り合った英語を勉強する日本人、韓国人、台湾人、タイ人、
などなど、いろんな人を見てきた。

はっきりいって、たとえ20年英語圏に滞在したからと
いって、英語がみにつくわけではない。

日常生活から、積極的に周りの人に触れながら、英語の環境の中に
飛び込んでいかないと、英語などほとんど上達しない。

そういう人って、けっこういたりする。

逆に、猛烈に地元の人と交わりながら、自身で猛勉強して、
短時間に英語を見につける人もいる。

ニュージーランドで知り合った韓国人女性のSさん。

Sさんの齢は、当時三十代後半ぐらいで、
少しわけありのようだ、どうも韓国で地位の高い人と結婚していたようだが、
その人と分かれて、子どもをつれて逃げるようにニュージーランドへ
きた人だった。

最初に、英会話スクールであったときは、ほとんど英語が出来ない。

そんな状態であるが、とにかく積極的で、
みんなで映画に行くとなれば、私も行きたい、
ホームパーティをすると言えば、私も参加するというような
形で、ほとんど意思疎通が出来ないのだが、
すごいバイタリティーの持ち主だ。

意思疎通が出来ないので、そんなときでも、
トンチンカンな行動の連続ではあるが、
それでもめげない。

ある日、私のフラットに、みんな遊びにくることになった。

そこで、知り合ったのが私のフラットメイトのニュージーランド人の
デービットだ。

その後、デイビットが外泊が続く。

ある日、デイビットが朝方帰ってきたので、
齢も近く、男同士なので、
「さては、彼女でも出来たな〜」
と、デイビットに言うと、

両手をうれしそうに、その彼女のことをかたってくれた。

なんと、その相手は韓国人のSさん。

男同士であり、デイビットは話し好きなので、経緯から、
何から全部話してくれた。

その後、関係は長く続く。

関係は、思いもよらぬ展開になるのだが、Sさんはデイビットと
結婚したい。しかし、デイビットは、あまりその気ではないようだ。

積極的なSさんの結婚に対するモーションは、ものすごいものがあった。

とても、このブログでは書けれないこともあるが、
何度もビザを更新したが、とうとうビザが切れ、韓国に
帰らなければいけなくなった。

デイビットに猛烈にあたっくしながら、ビザが切れても
韓国に帰ろうとしない。

最終的には、強制送還となるのだが、、、。

結局、何が言いたいのかというと、Sさんというのは、
傍から見ればハチャメチャな人ではあったが、英語の上達は
ものすごかった。

ほとんどまったくしゃべれなかったが、それが信じられないほどの
進歩であった。

Sさんの行いが、いいのか悪いのかべうとして、
積極的かどうかで、明らかにその上達力は変わってくる。

恥をかくことを恐れ、躊躇している日本人をよく見たが、
一歩踏み出す勇気って、ものすごく大事だと思う。

ゆりが言う「その自意識って、本当に必要なの?」
と、私も常に自分に問いかけている。

誰でも、自分を大きく見せたい。

しかし、大きく見せれば見せるほど、
その自意識によって自分自身が縛られてしまうことって
ないだろうか?

分からないことを誰かに聞く、
「迷惑になる」とか何とか言うより、もっとシンプルに
分からないことは分からない、だから教えてもらう、
自分自身も、見につけた知識・知恵は惜しみなく
周りの人に伝える、そういう姿勢って大事なのではないか?

英語にしろ、せっかく英語圏にいるのなら、
その都度、その瞬間というのが、チャンスである。

例えばフラットメイトに、
「ちょっと、チャンネル変えたいんだけど、いいかな〜?」
と、場面があるとする。

ただ教科書で習っているよりも、実際の現場でそのような体験をした方のが、
はるかに心に残るのでは、、、。

「必要は習得の母」である言われるように、見栄で自分を固めるよりも、
大恥をかきながらでも、必死にかぶりついていく姿のが
私は美しいように思う。

なにごとも、一期一会、その場面・場面を躊躇する癖がついてしまった人と、
その場面が「学ぶチャンスだ」と思う人と、後々、まったく違ってきてしまう。

ある人が、
「だめな人というのは、すごい人と比べようとする。
すごい人は昨日の自分、過去の自分と比較する」

と、、、。

勇気を出して、知らないことを聞いたのなら、
ビビリの自分という比べれば、すごいんじゃないかな〜。

いつも、毎朝、通りすがる人に、思い切って挨拶してみた。
それて、昨日の自分よりも、進歩したとほめてやれるのでは
なかろうか。

噂話の世界に生き続けるのか、それとも確実に自分の人生、
自分自身が主人公に持っていくのか、
日々の小さな勇気の積み重ねではなかろうか、、、。


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2017年01月06日

日本の「縮小と循環の文明」、、。その日本人が未来文明の先頭に立たなければ、いったい誰に立ってくれと言うの か、、、。

今日の中日新聞一面に

炭素繊維材 車向け量産

 航空機用などリサイクル

 東レ・豊田通商 年内にも 


このような記事が載っていた。

かいつまんで言えば、東レが航空機などに使われる炭素繊維複合素材
(CFRP)のリサイクル事業に参入し、自動車向けの再利用炭素繊維を量産
する方針とのこと。

そのCFRPとは、樹脂と炭素繊維で構成されており、熱分解により処理し、
その際にガス化した樹脂を燃料として活用すると、通常に比べ、10分の1の
エネルギーですむとのこと。

炭素繊維は、鉄よりも強さは10倍。重さは4分の1なので、かなり車の軽量化に
つながり、燃費向上を飛躍的に伸ばすであろう。

今日は、そのことを語りたいのではない。

このように、モノをトコトン使い切ろうとする日本人の発想って、
世界から見れば、とても特異的なことらしい。

最近、「日本史の謎は「地形」で解ける」など、竹村公太郎氏の著書に
はまっている。

その中で、竹村氏がエジプトへ行った時の話。

エジプトの首都カイロの中央駅で、ボロボロの列車が放置されていたとのこと。
その列車は、ホコリをかぶり、ドアは空きっぱなしで、窓ガラスは割れている。
明らかにもう何年もそこに放置されているようだったという。それも、カイロの
中心駅だ。

電車だけではなかったという。空港でも大型飛行機が胴体を傾け、ホコリをかぶり
放置されっぱなし。

これは、エジプトだけではないようだ。

米国のアリゾナ州にも、いわゆる「飛行機の墓場」に、
古くなった4000機の飛行機が、砂漠に放置されているとのこと。

エジプト人と米国人は、言葉も宗教も違うが、モノを捨てるという感覚において、
根っこは一緒のようだと、、、。

それは、「移動する民族」と「移動しない民族」とで、竹村氏は説明していた。

狩猟や遊牧など移動する民族は、最小限のモノしか携帯しない。軽やかな身支度で、
素早く移動し、新しい土地を征服していく。そして、そこで必要なモノを手に入れる。
彼らにとって、大切なことは、敏速に移動し、瞬時に新しい土地を制圧すること。
その為、不要なモノは捨て、放棄したものは人々の意識から去り、ホコリをかぶり
砂に埋もれて姿を消す。それが、移動する民の行動様式らしい。
その思想的な遺伝子が、21世紀になっても、引き継がれているとのこと。

それとは、真逆にユーラシア大陸から200組にと出された日本。
、激しい海流が流れる海峡に隔離され、独自の文明を育んできた日本人は、
かなり世界から見れば特異的だ。

さらにその内部を見ても、中央には、背骨のような山脈が走り、激しく流れる無数の川が
存在し、平野には湿地帯が広がる日本では、その土地土地の文化が形成されやすい。

その湿地帯で、我々日本人は3000年前から、稲作を開始した。

米は富であった。さらに保存がきき、お金の代わりにもなった。
しかし、その労働は、過酷であった。川から水を引き、硬い土を起こし、
苗を植え、水の管理、雑草を除く、洪水を防ぎ、稲刈りと、
むしろ狭い土地にへばりつきながら、過酷な労働のもと、集団で生きてきた。

そんな各々の隔離された土地で、外部から資源が投入されることはなかった。

だから、すべてのモノを徹底的に有用な資源とした。

例えば、「着物」である。

植物の綿から作られ、何十年使われた後、布団の布に再利用され、さらにその何年か後、
座布団の布へ。さらに何年か後、下駄の鼻緒や雑巾となり、何度もその姿を
変えて再利用されていく。そして最終的には、燃やされて田畑の肥料として、
栄養分となっていく。

輪廻転生の日本人の思想とは、そのような実生活と結びついていたのであろう。

付け加えるなら、日本には、エジプトや米国のように、不毛の砂漠のような
広大な土地がない。そのため、飛行機などを放置する場所などない。

むしろ、狭い土地をトコトン有効活用してきた。

また、日本の大地は、土壌が豊かで、余った土地でも、
田畑に変えられる。森林も貴重なダムであり、森林が損失すれば、
たちまちに水害が発生してしまう。

無駄なモノを放置できないし、捨てる場所が限られている以上、
それをトコトン再利用を考えるしかない。

そんな条件で、暮らしてきた我々日本人。

元米国務長官のキッシンジャー氏が次のようなことを語っていた。

「その国を知りたければ、その国の気象と地理を学ばなければならない」

と、、、。

国土の70%森林で、大変高低差のある大地。そして、梅雨の時期には
集中して降り注ぐ雨水は、狭い平野に押し寄せる。

その雨水を治めながら狭い平野に張り付き、過酷な労働を
共同作業で数千年もの間こなしてきた。

さらに、外国とはほとんど閉ざされ、侵略することもされることもなく、
国内においても、河川・山脈・湿地等で他の地域に移動がしづらかった。

そんな環境・風土の中で、独自の内向きの文化を我々日本人は、
長いことかけて、育んできた。

他の地域とは、大きな違いがあり、むしろ特異的な文化ともいえる。

今は、明らかに石油などの化石燃料をベースにした
石油文明といわれている。

人間は、莫大なをエネルギーを手にして、たいへん豊かになった。

それ以前は、採掘が不可能であった世界中の資源を
その莫大なエネルギーのおかげで、掘り起こせるようになった。

それから、すでに百数十年が過ぎようとしている。

今、急激に、いろんな資源が枯渇しようとしている。

2005年愛知万博が開催された。

焼き物の産地、愛知県瀬戸市では、各家庭から排出される
廃陶磁器を回収し、それをパウダーにして、50%と原料として
再利用する「Re瀬ッ戸運動」が展開された。

その時、回収された廃陶磁器を見て驚いた。


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なんと、まだまだ、使えるものがいっぱいある。

明らかに新品のお皿が何枚も捨ててあったり、新品のノリタケの
高級マグカップまで捨ててあった。

そして、千年以上続いた焼き物の産地の愛知県瀬戸市が
今、大変な危機に直面している。

それは、粘土原料の枯渇である。

白さといい、可塑性といい、当たり前のように存在した
世界最高峰と言われた瀬戸の粘土が、あと数年で
枯渇してしまう。


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これは、昔の焼き物を作るまでの工程だ。

手掘り原料を掘り、籠に担いで運び、足で捏ね上げ、
手引で成型し、薪で焼成していた。

しかし、今では大型シャベルで掘り起こし、
掘り起こしたついでに、ダンプカーが待機し、
その荷台に積んで運び出す。

各工程が機械化され、焼成もプロパンガスや重油だ。

シャベルもダンプもうすべて、石油で動く。

機械化された機械の原料も、化石燃料がなければ、
掘り起こせられない。

そして、薪ではなく天然ガスや重油などで焼成。

大量に資源を掘り起こし、大量生産し、その果てには
資源の枯渇、、、。

今、枯渇がささやかれている掘り起こされた粘土鉱山跡地に、
焼き物などの大量の産業廃棄物が捨てられている。

その中には、まだまだ使えるようなモノも多く含まれている。

ダンプもシャベルも、機械への設備投資も、お金がかかる。

モノがどんどん売れていかないと、そのお金が返せない。

私も数年前、自宅の倉庫の整理をしたが、そこから出てきたものは、
大量の冠婚葬祭でいただいた焼き物の引き物であった。

その時は、心を鬼にして断捨離をしたが、大量生産・大量消費で
経済が回るということは、結局は、ドンドンと捨てていかないと
経済がダメになる。

そのおかげで、ありとあらゆる資源の枯渇、、、。
温暖化、大気汚染、水質汚染などなどの環境破壊だ。

鳥の糞がとてつもなく長い時間かけて堆積してできたリン鉱石が
あと数十年で枯渇するという。

化学肥料としてリン鉱石が枯渇してしまえば、現在80億人を支える
現代農業は、崩壊することになる。

この200年の間に莫大に拡大した農業も工業も、水資源がなければまわらない。

その水資源の中で、一番使われているのは地下水であるが、
その地下水も、地下にとてつもない長い時間かけて貯め込んだ水が、
それを今、一気に使い切ろうとしている。

石油文明のおかげで、人口が爆発的に増え、人間の活動が飛躍的に
活発になった。

逆に言えば、世界が狭くなった。

狭くなったところでひしめき合って生きているのが、
今の人類であり、資源にも限りが見えてきた。

大航海時代のように、だだっ広い世界を開拓・開発していくというのら
征服民である一神教的な世界観が必要であるが、
今は明らかに大きく変わった。

狭い平野でひしめき合い、限られた資源をトコトン有効活用してきた
我々日本人、、、。

集団でひしめき合いながら生きるには、どうしても他人を思いやる
共生の思想が必要になってくる。

竹村氏もこんなことをおっしゃっていた↙

未来の人類社会への日本人の役割は、日本人自身が思っている以上に大きい。
 日本人は拡大解放系の文明を享受しつくして、世界トップクラスの豊かな
国になった。この日本人が、実は「縮小と循環」の性向をも持っている。
この日本人が未来文明の先頭に立たなければ、いったい誰に立ってくれと言うのか。
 ただし、日本が世界全体を新しい文明へ導くなどとは考えない方がよい。
日本人ほど世界のリーダーに不向きな民族もいない。
 ただただ心行くまでモノを見つめ、モノを縮小する性向を発揮していけばよい。
日本が「「縮小と循環文明」のモデルを創り、それを世界に見せることができれば、
それで十分責任を果たす。


と、、、。

我々が、この狭い国土の中で、生きてきた意味が、
今はっきり見えてきたような気がしてならない。


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2017年01月04日

他人と自分との「違い」、、、。それを認識できるれば、自分を解放することにつながる、、、。

年末の紅白はよかった!!

とくに中継であったが福山君、なかなかすばらしい
パフォーマンスだったように思う。

私は、男ながらに福山君のファンだ。

ファンと言っても、コンサートに行ったり、CDやグッツを買ったり
というファンではなく、とくに福山君のラジオが好きで、
毎回爆笑している。

ラジオを通してのファンであり、お金を使わず、
福山君にとってはあまりありがたいファンではないだろうが、
なんていうのか、あんな歌も出来て、芝居も出来て、
あんだけ人気のあるのに、ラジオではエロ話の連覇、、、
ふざけた口調で、笑いの渦に誘い込む福山君の能力、、。

彼は、多分、売れなくなっても、その道では、名古屋で言えば、つボイノリオや
北野まことのようなラジオをふざけたおじさん的なパーソナリティでも
十分やっていけるような気がする。

それほど、面白い。

通常、イケメンであれだけ人気があれば、どうしても
「イケメン」キャラに自分が自分で知らず知らずうちに
押し込んでいってしまいがちだ。

無口で不器用、そんな感じのしぐさなり、そぶりにはまって
しまいがちであるが、福山君というのは、むしろ、そんな自分と
懸命に戦っているのではなかろうか。

天然なのかどうか分からないが、その方のが自然体でいられ、
自由でいられる、そのことをよくよく理解しているのでは
なかろうか、、、。

そんな福山君と同世代として、もし同じクラスなら
友達になっているだろうとさえ思った。

とにかく、毎週、楽しみに福山君のラジオを聴いている。

ある日、ネット上で福山君に対してこんな中傷記事が載っていた。

「福山は、あれだけのルックスで、あれだけの演技力・歌唱力で、
それが独身であったから、エロ話が許されていた。結婚した
福山君がエロ話なんかすることを、世間は許さないであろう」
と、、、。

その記事を見て、なんだか腹がたったというのか、
ほんと、分かっとらんやっちゃな〜と感じた。

なんだか、無性に腹がたったので、福山君のファンである
ある女性にそのことを話した。

話したというより、腹が立っていたので、その苛立ちを
解消するために、その女性に対して、共感を求めたというのが
実際のところだった。

「ネットでさ〜、福山君、結婚したんだから、あんなエロ話
しちゃいかんわ〜なんていうやつがいるけど、福山君から
エロ話をとってみ〜。話が制限されてつまらなくなるわな〜。
ほんと、分かっとらんやつがいるもんだ」


というようなことをいったら、その女性が

「ほんなもん、あたりまえだわさ〜。あんなきれいな顔をして
お父さんになる福山君が、いつまでもエロ話なんか、しとっちゃ〜
いかんわさ〜。ほれに、あんな几帳面な福山君が、まさか
結婚するとは思わなかった」

と、、、。

私は、かなり福山君に対する意見というのは、自信を持っていた。

しかし、まさか、こんな身近に違う意見の人がいたとは、、、。

その福山君に対する中傷記事の腹立たしたは、吹っ飛んでしまい、
人って、こんだけモノの見方が違うんだということに
圧倒された。

冷静に感じれば、男友達なら、ちょとカッコいいけど、気さくでエロ話が得意な
同級生なら、自然に友達になりたいと思う。

あれ言っちゃいけない、これ言っちゃあいけないといえば、
たちまちに話がつまらなくなり、その人の魅力も影を落とす。

しかし、女性はまったく見る目が違うということ。

確かに、イケメンのスターで、社会的に影響力のあり、今後
パパになる男性のエロ話は、少し違和感を感じるというところ
なのかもしれない。

結局、長々と書いてしまったが、何が言いたいのかというと、
自分がいくら自信を持って主張していることでも、
人によって、立場が違い、主観が違えば、まったくモノの見方が
違ってくるということ。

人と自分とは違う、違いが分かるようになれば、もしかしたら、
自分を自由にすることになるのかもしれない。


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長州・維新回天の謎!? 功山寺の坂を駆け上がってきた若者たちを動かした思想とは、、、。

今年も毎年の恒例であるが、この年末年始、
義両親の住む山口県へ大旅行、、、。

もう何年も続けているが、かなり山口県内も見て回った。

今回は、あの維新回天挙兵の功山寺へ行ってきた。

写真を取りまくってきたが、今、デジカメの操作を間違えて、
すべて消してしまった。ほんと、新年早々自分のアホさかげんには
あきれるばかりだ。

気を取り直し、文字だけで書き上げようと思う。

高杉が挙兵を決意し、この功山寺の坂を数十人の若者がその時に
駆け上がってきたという。

しかし、その若者たちがどういう思いだったのか?

ふと思いにふけながらその坂を見つめていた。

当時の長州といえば、まさに絶体絶命!!

禁門の変で敗れ、その後15万の大軍が長州に押し寄せて
来ていた。

その状況を見て、長州藩内の幕府への恭順派が実権を握り、
次々の改革派の重臣が死に追いやられていく。

そして、長州の窮地はまだある。

この時期、攘夷を実行し、その報復として
イギリス・フランス・オランダ・アメリカの列強四国の
連合艦隊によって攻め込まれ、完膚なきままにたたかれた。

そんな状況での高杉の功山寺での挙兵、、、。

功山寺に、数十名の若者が集まったが、みんな不安げな顔をしていたという。

そんな若者の前で、雷のごとき高杉の大演説、、、。

さらに攘夷派の三条卿に対して、

「長州男児の肝っ玉をお目にかけまする!あとのことよしなに
お願い奉りまする!ではごめん」


と、言い残して立ち去ったという。

のちに、総理大臣にまで登りつけた伊藤博文が高杉のことを
「動けば雷電の如く、発すれば風雨の如し。衆目駭然として
正視する者なし、これ我が東行高杉君に非ずや。」
とも評したという。

この意味は、
「動けば雷電のようで、(言葉を)発すれば風雨のようで
ある。多くの人はただ驚き、正視できる者はいない。
これが我らの高杉君なのである。」


とのこと。

さらに、伊藤公は
「私の人生において、唯一誇れることがあるとすれば、この時、
一番に高杉さんの元に駆け付けたことだろう」
とも言う。

人生において、何度か、自身の人生をかけて
大勝負する時ってあると思う。

そんな時、一番大事なのが、決断力であると思う。

いつまでも悩んでいてもしょうがない。

いつまでも迷っていてもしょうがない。

どこまで、腹がくくれるか、、、。

どこまで、開き直れるか、、、。

腹がくくれれば、行動するのみ。

槍でも矢でもかかってこんかい!全部引き受けたる!!
ぐらいに思うと、死中から活路が開けることがあるような気がする。

これは、大げさかもしれないけど、勇気を出して、
一歩進むこと、これって日常的な小さなことでも、
とても大事ではなかろうか。

一歩進めば、新しい視界が開ける。

小さな一歩による新しい視界の積み重ねが、とても大事なのかもしれない。

話しがそれてしまったが、ではこの時、高杉の心境はどうだったのか?
功山寺の坂を駆け上がってきた若者達の心境はどうだったのか?

その辺りが知りたくて、萩博物館まで足を伸ばした。

このような博物館に行くと、年配のボランティアで解説してくれる人と
話すのがとても面白い。

いつもでたっても、話が尽きない。

学芸員の人もいるにはいるのだが、立場上、好きなことが話せないのか、
話が硬く、視野の狭い話しになりがちだ。

その点、ボランティアの人と話すと、
「こんな可能性もあるのではないか?」
「こんな視点から、見ることもできるのでは、、、」

とか、色々話がふくらみ、いつまでも話がつきない。

萩博物館にも、そのような面白い人がいたので、さっそく
高杉の功山寺の挙兵のことについて聞いてみた。

「あれは、まさに高杉の特攻ですね〜。
もう絶体絶命の死ぬ気だったんでしょうね〜。
その後、長州のほぼ全農民が高杉に味方することになり、
その時高杉も『勝てる』と思ったらしい」

と、おっしゃっておられた。

『勝てる』と思ったといっても、長州内の幕府恭順派に勝てると
言う意味であろうし、まだこの段階では、幕府をも倒してしまう
回天につながるとは、思っていなかったと思う。

その後、奇跡のような幕府に対しての勝利が続いていく。

その時には、若杉の体もかなり病み、倒幕が成し遂げられるときには
この世にはいなかった。

もう一つ、なぜどう考えても勝てるとは思えない高杉に
数十名の若者がついていったのか?

これは、歴史を知る我々からすれば、当たり前のことであるが、
このような絶体絶命の境地に、あえて付き従う人が
数十名もいたということは、驚くことではなかろうか?

確かに迷いもあったのは、当たり前。

この時、伊藤ですら、死を覚悟したであろうし、のちに総理大臣にまで
上り詰めるような「運」が開けるとは、思っても見なかったと思う。

長州の毛利家を振り返れば、本来関が原での優柔不断な行動が
もとで、120万石からその4分の1ほどの石高に格下げになって
しまった。

いざというときに、トコトン行動しないと、とんでもない
冷や飯を喰うことになる、これは関が原以来の長州藩の教訓、、、。

それに、奇兵隊にしろ、力士隊にしろ、その大半が下級武士か、
農民である。

それらの隊というのは、自身の大志を抱き、その可能性が開ける
道だったのかもしれない。

もし、幕府が力を回復し、幕府恭順派が実権を握り続ければ、
その芽が摘まれることになる。

ある意味、この長州の内戦とは、

幕府に恭順か?、それても戦うのか?というモノと、
既存の武士と下級武士の価値を示す戦いだったのかもしれない。

ただでさえ、百姓の中には関が原で敗れる前は
「今は、こげな貧乏をしちょるが、我が家だって、昔はけっこうな大禄を
もらっとった武士の家だったんじゃ〜」
というような意識が強いような気がする。

それに、毛利家自身の始まりが、安芸の国の豪族集団組合のような存在だった。

だから、平等意識が強く、他の藩では考えられないような下克上が簡単に起こる。

さらに萩博物館で聞いた話だが、毛利家は江戸時代を通して、
同じ殿様であった。もし、他の人が殿様になれば、自分たちの
権利や身分が台無しになってしまうという恐れが農民の間で
強かったらしい。

そりゃ〜、そうだと思う。

「関が原の折には、徳川に恭順したために、だまされて
あのような目にあわされた。そんなの真っ平じゃ〜。
高杉のいうことの方が、お〜ちょる〜。」


こんなような感情になったのではなかろうか。

当時の武士というのは、かなり官僚化していて、
果たして戦いのときに役にたったのだろうか。

逆に武力が強ければ幕府に目を付けられ潰されてしまうし、
怪我でもすればそろばんが使えなくなる。

例えば、なぜ浪人や百姓の集まりである新撰組が
京の街を守る為に、臨時採用という形で雇われたのか?

本来、それは武芸を生業としている、武士の仕事である。

江戸時代、会津藩や薩摩藩など、一部を除いて「武芸」というものを
かなり弱体化されたようだ。

長州でも、実際に戦ってみれば百姓の方が強かったということになる。

それに、鉄砲を主体とする戦いにおいて、鎧兜に槍というような武士の
価値がかなり縮小されてしまったのでは、、、。

そのようないろんな事から、長州の百姓達は、
俺達でもやれる、腰抜けの武士ではだめだ。俺たちが何とかしなくては
ならない、、、というような意識があったのでは、、、。

さらにそのような意識に火をつけたのが、吉田松陰ではなかろうか、、、。

松蔭の思想を突き詰めれば、百姓も武士も関係なく、
大志を抱き、この国のために命を駆けろというような思想なら
平等思想につながっていく。

それがかなり多くの若者を引き付けた根本ではなかろうか。

百姓が武士と共に、塾で学ぶ、そんなことってそうはありえない。

明治維新には、いい面と悪い面があり、その時代によって、
その評価も大きく変わってくると思う。

一つよい面を取り上げるなら、身分制度の
大シャッフルという意味では、多くの優秀な人材を
いろんな部署に投与できたのではなかろうか。

それが、日本の躍進にとてつもない原動力になったことは、
間違いないと思う。

江戸時代なら百姓が将軍になることは絶対にない。

いろんなしきたりに縛られ、いくら優秀であっても、
かなり身分制度に阻害されていたというのが事実であろう。

それが実際に、勉強がよくできれば、官僚にもなれる、
大将にもなれる、会社を興すこともできる。

さらに、長州藩全体で、尊王の意識が強かったという。

それは毛利家が天皇家の流れだということのようだが、
私が思うにはこういうことではなかろうか。

江戸時代を通して、朱子学が奨励された。

主君に忠義を尽くす、このことにより秩序が保たれ、
世の中を安定させようと幕府の狙いであろうが、
その主君というのが、極めれば極めるほど、将軍ではなく、
天皇のほうに思想的に重心が移されていく。

それが幕末の全国的な風潮であった。

とくに、江戸時代を通じて、幕府に対して押さえつけられてきた
長州藩には、そのような思想が強かったのだと思う。

長州には、回天の下地があった。

そして、その回天に火をつけた男が高杉晋作であった。

もし、あのような過激な男が、その後生き残っていたら、
もしかしたら、その後の長州も、新政府もかなりもてあますことに
なるだろうが、そこから天性の大調整役、桂小五郎が後を引き継ぐことになる。



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2017年01月01日

共生の思想の探求、、、。2017年の課題。

 新年あけましておめでとうございます。

今年もよろしくお願いします。

今回の年末年始も、毎年恒例の義両親が住む
山口県に来ている。

年末は、紅白を見て、それが終わるころに
すぐ隣にあるお寺の除夜の鐘が鳴り始める。

そして、鐘を突きに行き、その後近くの八幡さんに
初詣。

灯籠で参道が飾られ、新春らしい音楽が流れ
たき火のの火を横目に見ながら、お屠蘇を飲み
その後神社に参拝。

今年は、空を見上げれば、美しい星空、、、。

毎年、毎年の行事であるが、いつも思うことは
あ〜日本人に生まれてきてよかったな〜とつくづく思う。

私のブログ名は「日本人の研究!」である。

なんで日本人にそれほどこだわるのか?

それは、我々日本人って、それほど捨てたものではないということ。

また、今後必ず進むであろう、共生社会への大転回、、、。

その時にどうしても必要とされるのが、我々日本人が
自然とともに、限られた国土の中で、ひしめき合いながら暮らして
きた我々日本人、、、。

そんな中で培ってきた思想、精神、
技術が今後どうしても必要となってくる。

むしろ、そのために、今まで何千年の間、このような隔離された
島で独自の文化、文明をはぐくんできたのではなかろうか、
とすら思う。

今、若者は豊かさをそれほど求めないとも聞く。

新しい生きがい、新しい価値観、それを生み出すには
温故知新というのが、大きなキーワードになってくるのでは、、、。

そのような観点から、今年も、これから役に立つであろう共生の思想を
掘り起こしていきたい。

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2016年12月31日

家康の江戸への遷都の謎!?森林・エネルギーと武士の大量リストラから見た歴史、、、。

家康の江戸への遷都、、、。
歴史を知っている後世のものから見れば、
そんなもん当たり前のように思う。

しかし、当時の人から見たらどうだったのか?

関ヶ原の戦いの前哨戦、多くの大名が上杉征伐のため
東に向かった。

そして、江戸周辺のみすぼらしさを見て、愕然としたという。

それほど、関東エリアというのは、まだまだ未開の地、、、。

便利で華やかな関西圏を捨て、江戸に居続け、関東圏の開発を
続けた家康の考えはいったいどういうものだったのか?

私も歴史マニアであるが、武村公太郎氏の著書
「日本史の謎は地形で解ける」を読んで、
目からうろこが出る思いであった。

関西を嫌った家康

 なぜ、家康はあの江戸へ戻ってしまったのか?」
この問いのエネルギーからの回答が
ページの図2である。


IMG_2055.JPG


 この図は、巨木の伐採圏の遷移を示している。図のタイトルの
「記念構造物のため」でわかるように、宮廷、寺院、城などを建造する
巨木の伐採の時代変遷である。
 巨木の伐採場所や伐採時期は、寺社に保存されている縁起で特定できる。
それらを丹念に調査して作成した図である。
 これによると、」平安遷都したころの巨木の伐採圏が、淀川流域と
みごとに重なっている。
 さらに安土桃山時代の頃には、伐採圏が近畿から中部、北陸、中国、四国と
急速に拡大していった様子がはっきりとわかる。
 東京大学名誉教授の太田猛彦氏によれば「最初に建築材の巨木の伐採が入る。
それに続き燃料材の採取。その後に農民による焼き畑利用などが進む」という。
 この図2によって、単に巨木伐採の広がりだけが分かるのではない。人口の
増加と文明の発展、それに伴う森林消滅と山地荒廃の広がりを透かして見る
ことができる。
 家康が関ヶ原で戦っていた頃、木材の需要は関西圏の森林再生能力を
超えていたことが図2からわかる。当時、大阪で約40万人、京都でも
40万人の人口であったといわれている。少なく見積もっても、関西圏で
年間800万本の立木が必要であった。これは関西の産地は荒廃せざるを得ない。
すでに室町時代の後半、京都の東山や比叡山は荒廃していたと伝えられている。
 山地の荒廃が進展すると、雨のたびに養分を含む表層土壌が流出し、森林再生は
困難となっていく。兵庫県の六甲山、滋賀県の田上山がその代表である。
昭和年代までこれらの山々は、荒れるにまかせ放置されていた。
 1938年7月、梅雨前線豪雨と六甲山各所で崩壊が発生し、大規模な
土石竜が発生した。この災害は谷崎潤一郎の小説『細雪』でもとりあげられて
いる。神戸、芦屋市に土石に埋まり700人の人々が死亡した。この災害は、
400年前の秀吉の大阪城築城に伴う森林伐採のツケであった。
 徳川家康は関西の産地荒廃を目の当たりにしていた。家康はこの関西を嫌った。
1590年に家康は秀吉によって江戸へ移封されたが、そこで見たものは
日本一の利根川流域の手つ数の森林であった。目にしみいるような緑は
利根川流域の未来の発展を告げていた。家康は利根川の江戸を選択した。
 これが「なぜ、家康が江戸に戻ったのか?」の問いに対するエネルギーの
観点からの答えである。
 強力な権力を確立した江戸幕府は、木材供給基地を利根川・荒川流域だけに
とどめなかった。幕府直轄の木材基地を日田、木曽、飛騨、秋田、蝦夷と
全国に広げた。江戸幕府は、文明のエネルギー負荷を日本列島全体へ広く
薄く分担させることに成功した。全国各地から江戸に向かう大型船の船底には
大量の木材が積み込まれた。
 こうして日本全土から江戸へエネルギーが注入されたことにより、100万人と
いう当時の世界最大の都市・江戸の出現が可能となり、徳川幕府260年の
長期政権が保たれた。
・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・

なるほどね〜。

世界の歴史上でも、エネルギー源である森林がなくなってしまって、
滅びた文明がいくつもあるという。

関ケ原あたりの日本の最大の政治課題は、有り余った兵士のリストラを
どうするのか?

秀吉の大陸進出も、現実問題、そのあたりが非常に強く絡み合ったいる。

秀吉軍団を見てみれば、日本一の上昇志向集団だ。

例えば、自分の部下に自身の領地を半分与えても
「秀吉様が、必ず新しい領地を与えてくれるはずだ」
という感覚が当たり前のようにあった。

では、その新しい領地とは、どこにあるのか?

外国しかない。

そんな上昇志向集団が、大きく方向を転換して、
大リストラしたのであるならば、たちまちに混乱して
しまったであろう。

しかし、大陸進出も失敗した。

そして、大衆の間も厭戦ムードになってきた。

そこで起こったのが、秀吉の跡目騒動である
関ヶ原の戦いだ。

戦争に明け暮れ、上昇志向の政治体制からの大きな
政治体制の大転換、、、。

その大転換を、当時日本一、また歴史上でも日本一の
上昇志向集団の秀吉軍団の遺伝子を受け継ぐ人たちでは、
どう考えてもできやしない。

社会全体として、それらの有り余った人材の雇用先として、
国内での新天地の開発しかない。

江戸初期では、日本の歴史上、飛躍的に新田開発が進んだ。

その最大の場所が、関東であったとも聞く。

そういう意味でも、エネルギー的に限界のある関西圏では、
ダメだったのかもしれない。

もし、家康が大阪に生き続けたら、西日本の森林は
荒れ放題、、、。

それが政治不信となり、大きな混乱が起こったのかもしれない。

大坂の陣とは、ある意味、「オレもいつかは大名になる」という
日本全国の浪人たちの野心を捨てさせる戦いであったともいえる。

もし、家康が大阪に居続け、秀吉のように豪華な生活を続けながら
より一層森林が荒れ放題になれば、大阪の陣はあれだけの規模で
収まっただろうか。

今回の真田丸の感想を多くの人に聞いても、
大半の人が幸村の生きざまに共感を受けていたようだが、
全体から見れば、家康のすごさというのは
計り知れない。

今の日本人の基礎を作った江戸時代、、、。

この江戸時代につちかったことが、これからの世界に
どれほど必要か、そう思えば、その基礎を作った家康が
もう少し評価されてもいいような気がする。




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2016年12月27日

「3.9+5.1」は「9.0」では減点で「9」でないといけないってホントなの!?

 先日、テレビを見ていたらあの「今でしょ」の
林修さんの番組がやっていた。

その中で、林さんが今年一番問題だったこととして、
いろんなことがある中で、どこかの学校の数学のテストで、
「3.9+5.1」の回答が、「9.0」では減点で「9」でないと
完全な正解にならないとのこと。

さらに、立方体の体積を出す時に、
「縦 ✖ 横 ✖ 高さ」であるが(順番が違うかもしれないが)
これが、例えば「高さ ✖ 縦 ✖ 横」などと書くと、
これも完全な正解にならないとのこと。

このことについて、多くの生徒に聞いてみると、
「答えがそのようだというのなら、それが答えになる」
という人が、多かった。

う〜ん、私もそれには引っかかるものがある。

例えば、体を横向きしある方向から見れば、「高さ ✖ 縦 ✖ 横」だったものが
「縦 ✖ 横 ✖高さ」にもなるはずだ。

ただそう教えるから、
それが答えだというやり方って、子供の学習能力を上げるのに
よくないような気がする。

大事なのは「何でこうなるのか?」ということ。

物事を根本から覚えるように癖をつけないで、ただ暗記だけに
頼る勉強方法で、本当に面白いのだろうか。

本当の力が付くのだろうか。

特に数学、理科なんてそうじゃないのかな。

歴史だって、歴史に興味を持てば、歴史に深い関係がある
例えば科学技術とか、宗教とか、政治、地理、地形学、などなど
いろんなことを知らないと、トータルで広い視野で歴史など
見れやしない。

ただ、「1192年に源頼朝が鎌倉に幕府を開いた」ということを暗記する
だけでは、本当の真実は見えてこない。

頼朝を押し上げる社会の大きな流れは何だったのか?

関東とは、どういう土地柄だったのか?

武士が出来上がった背景は、、?

などなど、いろんなことを総合して、頼朝の幕府創設というモノが
見えてくる。

確かに、受験勉強など、莫大な暗記量が必要とされる。

それを少しでも楽にするにも、
小さいころから、「何でこうなるのか?」というような
好奇心が大事なような気がする。

それを、小学生のころから
「3.9 + 5.1」は「9」じゃないといけないという風では、
なんとなく幅の狭い子供になってしまうような気がしてならない。


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2016年12月21日

自尊心の在り方、、、。

 先日、テレビで煩悩についてやっていた。

間もなく、大晦日、今年も義両親の住む山口で
除夜の鐘を突くことになるが、その除夜の鐘とは、
人間の持つ108の煩悩をあらわすという。

そのテレビの内容は、その煩悩の中の「嫉妬心」について
やっていた。

江戸時代初期のある旗本の話。

その旗本は、大砲の技術にたけていて、大阪城攻撃の時も
その大砲で活躍したという。

その大砲の技術を買われ、1000石の旗本になれたらしい。

しかし、その後、若い技術者が現れる。

その技術者に対する嫉妬心が抑えきれず、ある日、
その人と刺し殺してしまうという話だった。

「嫉妬心」とは、誰でも持つもの、、、。

その嫉妬心とどう付き合うのか、というよりも自尊心というモノを
どのように持つのかが、とても重要になってくるような気がする。

すごい技術、すごい知識を持ち、みんなにちやほやされる。

しかし、ちやほやされることだけで、自分の評価をしていたのでは、
いずれ崩壊することになると思う。

私が一番評価するのは、すごい技術よりも、すごい知識よりも
「常に学ぶ」という姿勢の人。

私は、戦国の三英傑の中で、信長も秀吉も好きだが、
紙一重で家康を評価している。

私なりに家康のことを表現するならば、
「内省の鉄人」とでも、言っておこう。

家康という人は、武田からも、北条からも、信長、秀吉、
天皇家からも、いろんなことを学んで取り入れている。

それには、常に自分を鑑みる、冷静さが必要。

こんな例がある。

小牧・長久手の戦いで秀吉軍に打ち勝ち、その後、
秀吉の傘下に入ることになる。

その直後の小田原攻めの時に、秀吉は小田原城をしっかりと囲み、
小田原城が見える高台に、自分の城を建てた。

そこに、全国から集まった大名たちが登城してくる。

その城の手前に急な川が流れ、そこを渡ってくる様子を
城から丸見えであった。

戦国の荒々しい時代を生き抜いてきた多くの戦国武将たちは、
その川を馬に乗り、勇敢に渡り切ろうとする。

ある意味、自分の武勇を見せつける見せ場であった。

そんな中で、家康がとった行動は、馬を降り、
数人の若い家臣に抱えられながら、石橋を渡るように
その川を渡った。

城から見ていた多くの大名たちは、そんな家康の臆病さを
あざけ笑った。

その中でも、数人の武将は「家康恐るべし」と
感じたという。

さあ〜、家康の立場になってみれば、
ほんの少し前まで、敵であった秀吉や秀吉配下の武将たちに
普通なら、自分を大きく見せようとするのでは
なかろうか。

こないだまで敵だった人たちに囲まれ、その中には家族や仲間を
家康に打ち取られた人もいるであろう。

そういう環境なら、通常、心を支配するのは、「恐怖」では
なかろうか。

恐怖心が心を支配すれば、自分を大きく見せようとするであろう。

しかし、家康は違った。

むしろ、自分の小さく見せようとし、その後の豊臣政権下では
徹底的に「律儀な内府」を演じきった。

「恐怖心」や「劣等感」のようなものが、心を支配していれば、
そのような行動はできないと思う。

それを抑える冷静さ、そして忍耐力、豊臣政権下の家康には、
そのことが一番重要だったと思う。

噂話の世界ではなく、自分の自尊心をどのように保つのか、
それは「常に学ぶ」という姿勢をやり続けること。

もし、常に学ぶという姿勢で、10年、20年やり続ければ、
相当な知識や知恵がつく。

目先の周りの評価よりも、本当の実力の方が、
結局は土台がしっかりした自分の自尊心につながるであろう。

それには、忍耐力、勇気、見識が必要なのかもしれないが、
同時に、心のあり方も、しっかりと研究していかないと、
身に付かないのかもしれない。

斎藤一人さんが、こんなようなことを言っていた。

「ダメな人は、すぐ、すごい人と自分を比べようとする、
有能な人は、昨日の自分、過去の自分と今の自分を比べることができる人」

もし、ライバルがいるなら、しっかりとその人から学ぶべし。

敵愾心を持っている暇などないし、それにとらわれていては、
周りが見えなくなる。

例えば、同窓会や昔の同僚になったりすると、
以前はもっと仲が悪かった相手でも、その憎しみのようなものが消え、
なつかしさが増してくることってないだろうか。

敵愾心や嫉妬心など、時間には勝てないということ。

環境が変わり、他のことで忙殺されるようになれば、
すっかり忘れてしまう。

人生の中で、その一瞬、一瞬を活かしきるには、
学ぶということに重点を置くべきではなかろうか。


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2016年12月16日

「未来の人類社会への日本人の役割は、日本人自身が思っている以上に大きい。」武村公太郎氏の著書「日本史の謎は地形で解ける(環境・民族篇)」を読んで!

最近、武村公太郎氏の著書「日本史の謎は地形で解ける(環境・民族篇)」
を読んでいるが、今後、大転換が起こるであろう新しい文明について、
そしてその時の日本人の役割について、非常に的を得たことが書いてあるので、
是非とも紹介したい。

 文明を変換する「新しい物語」を


20世紀の日本が歩んできたのは「大量生産、大量消費」の拡大解放系の
文明であった。
 21世紀の人類には、資源の枯渇と、地球環境の激変が待ち受けている。
そのため、人類は拡大解放系の文明から脱却せざるをえない。
 この拡大解放系の文明からの脱却とは、その反語の縮小循環系への変換である。
 この縮小循環系の文明は、日本人が得意な分野なのだ。
 日本は、循環文明を鎖国下の江戸時代で体験済みである。モノを循環させる
社会システムのDNAは、すでに持っている。
 未来の人類社会への日本人の役割は、日本人自身が思っている以上に大きい。
 日本人は拡大解放系の文明を享受しつくして、世界トップクラスの豊かな
国になった。この日本人が、実は「縮小と循環」の性向をも持っている。
この日本人が未来文明の先頭に立たなければ、いったい誰に立ってくれと言うのか。
 ただし、日本が世界全体を新しい文明へ導くなどとは考えない方がよい。
日本人ほど世界のリーダーに不向きな民族もいない。
 ただただ心行くまでモノを見つめ、モノを縮小する性向を発揮していけばよい。
日本が「「縮小と循環文明」のモデルを創り、それを世界に見せることができれば、
それで十分責任を果たす。
 とはいっても、「縮小」とか「循環」という言葉は、人々の心を奮い立たせない。
 特に、荒々しい欲望を抱いて生きていく若者にとって、これらの言葉には魅力がない。
文明の変換という難関を乗り越え、新しい文明を築いていくのは若者である。
若者にとって魅力がなければ、文明の変換など絵に描いた餅で、単に年寄りの
つぶやきで終わってしまう。
「縮小と循環」という文明の変換には、何か強い熱情のようなものが必要である。
欲望あふれる若者の心をつかみ、若者の気概を引き出し、若者を文明の変換へと
奮い立たせる「新しい物語」が必要となる。
 その新しい言葉と新しい物語を考え続けいるが、まだ見出せない。
目の前に薄い霧がかかっているように、ぼんやりと見えるが、はっきりとは
見えない。  (P328〜330)


なるほど、なるほど。

私もまったく同意見だ。

私は、若いころ、一年間ニュージーランドに住んでいた経験があるが
その時知り合ったある女性の話。

その人はニュージーランド人で、日本にも2年ほど住んだことが
かなりの日本通、、、。

「日本人って、不思議なことにかなり優れた民族なのに、
なぜか自分たちのことを、悪く思っているところがある。
我々西洋人の方がはるかに残忍なことをしてきているのに、
もっと日本人は、自信を持つべきでは、、、」
と、、、。

愛知万博で知り合ったトルコ人の女性は、
「何でそこまで、卑屈になるの?経済だって一流、
民族性だって素晴らしいのに、たかだか一回くらい
戦争に負けたくらいで、そこまで自信を無くすこともない」
というようなことを言っていた。

せかいのひとって、日本人について、我々が思っている以上に
好印象を持っている人が多いように思う。

世界から見て、我々日本人っていうのは、かなり特異的、、、。

それに、私自身、なぜわざわあざ「日本人の研究!」などという
ブログを始めたのかというと、日本人にほんとの日本の姿を知ってもらいたい。

そして、その日本人が、これからの大きな文明の大転換の時代に、
非常に大きな役割を果たす可能性があるということ、、、。

これらのことを強く主張したい。

昨年だったと思うが、NHKで日本の三の丸遺跡のことをやっていた。

転々と住む場所を変え、とても貧しい生活をしていたと思われていた
狩猟採集民が、日本では定住し、大きな集落を形成し、かなり高度な文明を
発展させていたという。

一万年ほど前、他の国々では、農耕に変わる中、日本の縄文人たちは、
森と共に生きることを選んだらしい。

森に栗を植え、山の幸、海の幸を取り入れながら、自然と共に
生きていくことを選んだ我々の祖先、、、。

それに、日本の天災についてよくよく考えてもらいたい。

科学的な知識のない古代の人が、もし、海から大きな壁のごとき
津波が押し寄せたら、古代人たちは、
「海が怒った」と、感じるのではなかろうか?

いきなり真っ黒い煙を吐いて、山が噴火したら
日本の古代人たちは「山が怒った」と感じるのでは、、、。

稲妻が走り、激しく揺れる日本大地
「地が怒った」と感じるのではなかろうか?

川も氾濫し、毎年のように何度も、台風が押し寄せる。

こんな土地柄で住み続けてきた我々日本人は、
自然のことを無視することができず、恐ろしいモノであり、
そして豊かな幸を与えてくれるような大自然に対して
畏敬の念を持ち続けていたように思う。

何もない砂漠の宗教であり、絶対的な神が我々のために
すべてのモノを作り上げてくれた一神教的な世界観では、
どこか人間中心のモノになってしまう。

石油という莫大なエネルギーを手にし、自然やありとあらゆる
資源を喰いつくし時代ならその世界観が適していたのかも
しれない。

しかし、これからはどう考えても広げすぎた人間の活動を
どうにか縮小循環型社会に戻さなくてはならない。

日本の江戸時代を考えれば、そのような時代であったように思う。

その前の戦国時代とは、拡大型上昇志向社会ともいえる。

しかし、江戸時代はそれを大きく転換し、限られた国土、
限られた資源の中で、多くの人が生きていけるような社会であった。

リサイクル、リユースの江戸時代のテクノロジーというのは、
すごいものがある。

さらにと時から、限れた国土の中に、とても人口密度が高かった。

今、世界も益々人口が増え、人間の活動が活発になり、
狭い空間の中で、多くの人が住んでいることになる。

その中で、どのように殺戮し合うことなく、協力し合って生きていくのか、
その一番重要なのは「社会に信用を作ること」だ。

かなり高低差のある日本の地形、、、、。

その大地に梅雨の時期に雨が集中し、平野では水があふれかえる。

その水を上手く利用して、多くの収穫を得るには、一番稲作が
適していたのかもしれない。

梅雨の時期に、田んぼでは一番水を必要とする。

また、しっかりと川上の森林を維持しないと、
たちまちに水害の被害が拡大してしまう。

みんなで協力して、森林を維持し、川の堤防を築き、そこから水路を引っ張って
水があふれかえっていた平野の湿地帯を田んぼに変えてきた我々の祖先、、、。

その日本の田んぼというのは、牧畜や畑作に比べて、単位面積当たりの収穫量が多い。

つまり、村を密集して住めるということ。

また、稲作の北限である日本では、例えば田植えの時期に、しっかりと
労働力を集中し、田植えを終えないと、えらいことになってしまう。

常に暖かい、フィリピンなどの稲作では、いつ田植えをしても、
それほど影響がないが、日本では時期が増えれば、冬になり、
大きく収穫が減ることになる。

つまり、協力し、うまく労働力を田んぼに集中して、行わないと
たちまちに飢えが待っている。

だから、村社会といわれ、人目を気にし、協調的で自我を主張しない
思想が発展してきた。

その村では、納税から、冠婚葬祭、教育、介護、下の世話まで、
すべてのことをこなすほど、強い共同体を形成してきたといえる。

自己主張を優先する西洋的な思想とは、真逆であるが、
これからの時代、自分を捨てる思想でないと、共生社会は築けないように思う。

共生の時代に象徴的なある仏教の教え、、、。

地獄でも極楽でも、大きな釜でうどんをゆでている。

そのうどんを1メートルほどの箸を使って、食べなくてはならない。

地獄では、誰もが競ってうどんを食べようとするので、
誰も食べることができず、みんな飢え死にしてしまった。

極楽では、各々の口にうどんを運び、助け合いながら
みんなが食べることができ、みんな満腹になった。

各々との信頼関係がいかに築けるのか?

欲と恐怖に各々の心が占領されていたのでは、
結局はみんな倒れてしまう。

どこか今の世界に似ていないだろうか。

では、新し文明に大きく変換させる原動力となる
特に若い人たちへの強い情熱を引き立てる
「新しい物語」とは、何があるのか?

例えば、高度経済成長の時に、バリバリ働いて、
洗濯機を買った、車を買った、冷蔵庫、テレビなどなど、
ドンドン豊かになる実感があり、それが情熱へと
つながっていった。

しかし、今の若者たちは、車離れが進んでいるという。

果たして、そのような「豊かさ」だけで、強い情熱が
湧くとも思わない。

それよりも、いったい自分は何になるのか、何を目標に
生きていくのか、そのような漠然と大きな心の空洞が
存在するのでは、、、、。

それは、特に社会を引っ張っていく感受性の強い人ほど
そのように思うモノ。

世の中とは、一割ほどの人の意識が変われば、大きく変わる。

特に、空気に敏感な日本人は、大きな流れができば、
多くの人がそれに乗ってくるであろう。

その感受性の強い、若者たちの心に何が響くのか?

近畿大学の井田教授が、植物系廃棄物から、石炭に近い燃料
「バイオコークス」を開発した。

井田教授は、
「これで、世界の戦争を無くす」
と、語っておられた。

なぜ、中東であのように戦争が止まらないのか?

なぜ、日本があのような無謀な戦争に突っ込まなければならなかったのか?

世界の戦争を100年ほど振り返れば、そのほとんどが
エネルギー利権の奪い合い。

限りがある石油などのエネルギー資源が、限られた場所に
存在するから、その利権を争って、いつまでも戦争が続く。

それよりも、限られた場所に、限られたエネルギー資源ではなく、
誰でもどこでもとれるエネルギー資源に変わったらどうなるのだろうか?

太陽光、風力、水力、バイオマスなどなどの自然エネルギーは、
どこでも誰でも行える。

それも、すぐ近くのあの丘の上の風力発電とか、
うちの屋根の上とか、農業用水、ゴミ焼却場の排熱とか、
身近なエネルギー資源で、我々が生活できれば、明らかに
社会が変わる。

さらに、自然エネルギー資源の開発だけでなく、省エネ、エネルギー利用の効率化
蓄電システムなどなど、いろんな人が、角度から参加できる。

人間に莫大なエネルギーをもたらした石油、、、。

その石油により、資本主義が発展したといっても過言ではない。

しかし、資本主義が行き過ぎてしまった。

これだけ格差が世界中で広がり、このままでは世界が成り立たない。

自然エネルギーの普及、スローライフ、自前のエネルギーが
もしかしてマネーが暴走し、荒れ狂う成果経済の中で、
一番、身を守り、故郷を守ることになるのでは、、、、。

自然エネルギーで戦争を無くす、社会を大きく変換する。

そして、我々日本人という民族は、どのようなものかと考えれば、
これほど、そのことに適した人々もそうはいないと思う。

私がなぜ、「日本人の研究!」などというブログをやり続けているのか、
それはこれから新しい時代に向けて、日本人の役割というのは、
非常に大きいということ、そのことをよくよく訴えたい。


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2016年12月09日

自意識と煩悩、「自分など何もない」というような世界観、、、。

先日、あるテレビ番組の中で、あるお坊さんが
「自分という意識が煩悩につながっていく」
というようなことを言っていた。

よく、不安で不安で落ち込んでいる人や、
何かに怒り狂っている人、その人たちの大きな
特徴というのは、周りが見えない。

自意識過剰なくらい、自分という大きな殻の中で
もがき苦しんでいる。

なぜ、不安を感じるのか、なぜ恐怖で怒り狂うのか、
ある意味それは、生きている以上、自己防衛本能が
働くからだ。

自分が馬鹿にされた、裏切られた、だまされた
それらにより自分が傷つく。

その傷つけられることを恐れ不安になり、 
馬鹿にした相手に対して、怒り狂う。

また誰でも、多かれ少なかれ、コンプレックスというモノはもっている。

たとえば、頭が薄くなった人。

みんなが自分の頭を見ているのではないかと、常に神経を
とがらせている。

「ハゲ」という言葉に、内心、敏感に反応してしまい、
常に頭が気になっている。

しかし、果たして、その自分のハゲのことで、誰がそれほど、
関心を持っているのだろうか?

各々、自分の問題を抱え、自分のコンプレックスに思い悩んでいる。

そんな中で、世界中で一番、その自分のハゲに関心があり、
そのハゲのことで思い悩んでいるのは、自分自身ではなかろうか、、、。

コンプレックスで不安に取りつかれた人というのは、
自意識過剰に陥り、周りが見えない。

それに、最近つくづく思うのであるが
自分って、本当に存在するのだろうか?

体は、やがて燃やされて二酸化炭素と水になっていく。

また、二年ほどで、人間の体内にある60兆ほどの細胞は、すべて
入れ替わるという。

その二酸化炭素と水が、もしかしたら、そこの植物のモノであったのかも
しれないし、他の動物の中にあったのかもしれない。

つまり、大きなそれらの循環の中に、ある一定の時期に私の中で、
構成されているにすぎないし、いずれは、私の体から離れ、
大きな循環の中に戻っていく。

体とは別に、人間の「心」に関しても同じことが言える。

オオカミに育てられた子が、四つ足で歩き、
オオカミのような習性を身に着けて生活するという。

中国人に生まれた人は、その環境の中で育てば、
中国人らしく生き行く。

日本人は、日本人らしい思想を身に着けていく。

私は、自他共に認めるおじいさん、おばあさん子であるが、
最近、「あんた言うことが、おじいさんに似てきたね〜」
と、親戚のおばさんに言われることがある。

いつの間にか、おじいさんの影響を受けているようで、
歳を重ねれば重ねるほど、その傾向が出てくるようだ。

毎日寝起きを共にし、夜になるといろんな話をしてくれた
おじいさん、おばあさん、、、。

そのおじいさんが、亡くなって三十年にもなるのに、
私の中で、生き続けていることになる。

そのおじいさん、おばあさんにしろ、親があり、
周りの人から、いろんな影響を受けている。

ということは、おじいさん、おばあさんに影響を与えた人たちも
私の中で生きていることになる。

おじいさん、おばあさんだけではない。

父も母も、恩師も、先輩、友人、いろんな人の影響を何層も何層も受けて、
今の自分の人格がある。

また、人間社会には文字があり、言葉がある以上、
遠い昔の親鸞さんや道元さんのことばも、生きていて、
多くの人がその影響を受けている。

こんなことが、言えるのではなかろうか?

我々というものは、自分であって自分でない
むしろ、自分など何もない
そこには長い、長い歴史の中で作られた、大きな人間の集団意識が存在し、
それにより、私たちの人格というモノが作り出されていく。

オオカミの社会に育てば、オオカミのような習性になってしまう。

その大きな集団意識というのは、自分そのもの。

とくに社会性の非常に強い動物である人間というのは、
その集団意識により、大きく左右されてしまう。

我々は、一人一人が明らかにつながっている。

そして、未来と過去とつながっている。

先ほどの話であるが、不安や恐怖に取りつかれた人というのは、
自意識過剰になり、周りが見えなくなってしまう。

では、逆説的に言えば、そうなりやすい人は、日ごろからの訓練として、
周りに意識をなるべく持っていくようにしたらどうだろうか。

例えば、常に周りの人を活かそう、活かそうと努力しること。

いつも、すれちがう体の弱そうなおじいさんに、
「おはようございます」
と、声をかけてみる。

いつも、周りの人の良いところを探すようにして、
そのことを指摘し、ほめてみる。

誰かが言っていたが、一年間に10万回、「ありがとう」
いうと、幸せになれるという。

そのように意識すると、常に「ありがとう」というタイミングを
探すようになる。

それと同じで、周りを活かす言葉、行動、このようなことを
日々実行する。

自分など何もない、、、。

何かとてつもない大きなモノの、ほんの一部分である。

個を強調する西洋的な思想とは、真逆なのかもしれない。

しかし、これからはどう考えても共生の時代になっていく。

そうなると、昔から狭い土地で、みんなで協力して稲作をしてきた
我々に日本人が培った思想というのは、とても必要になってくる
のではなかろうか、、、。

労働、冠婚葬祭、教育、納税、介護、下の世話まで、
村の中でこなしてきた日本人、、、。

自分の存在を薄め、全体に貢献するという思想が
長い年月の中で培われてきた。

もしかしたら、そのような生き方の方が、運がついてくる
ような気がしてならない。

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2016年12月07日

「海賊と呼ばれた男」間もなく上映!!これは、見る価値が十分ある!!

間もなく、あの「海賊と呼ばれた男」とうとう上映される!

本の方は、義理のオヤジが持っていたので借りて読んだが、
結局、三回も読んでしまった。

幼馴染が出光のスタンドに働いていたので、
昔から燃料は出光に入れていた。

よかった、ほんと、このように体を張ってくれた
会社にお金を使うことができて、うれしい限りだ。

人間の歴史を振り返れば、今は石油文明といえる。

石油により、どれだけ私たちの生活が一変したか。

我々の生活だけではない。

社会も、そして思想も、宗教も、大きな影響を与えている。

百数十年前、アメリカで「燃える水」が発見された。

それよりも100年ほど前に、イギリスとの独立戦争に勝利したアメリカは、
「人間は幸福を追求する権利を神から与えられている」
という建国の理念をもとに、生まれたての国であった。

当時、宗教的束縛、階級的束縛から、自由を求めて、アメリカ大陸に渡った
移民たち、、、。

そこには、人間は自由だ、やりたいことをやっていいんだ、というような
思想があったと思う。

そして、それを大幅に前進させる原動力となったのが、
たまたまアメリカで発見された石油である。

石油により、いろんな産業を生み出し、より人間が活発に活動できるようになった。

これも、そして第一次、第二次世界大戦、さらに冷戦にも勝利した
アメリカは世界唯一の超大国にのし上がった。

たまたま、自由を主体とする思想で出来上がったばかりの国に、
幸運にも、それを可能にする石油というエネルギーが発見され、
その国が世界に莫大な影響力を与えることになる。

私の言いたいことは、時代時代に、いろんな思想、宗教がある中で、
その時代にあったモノが選択され、生き残っていく。

その時代にあったモノというのは、社会に莫大な影響を与える
エネルギーであるといっても過言ではない。

しかし、その石油文明もどう考えても、続くことは不可能だ。

石油にしろ、地球が何億年と地下に貯め込んだ。

それは、今、地球の歴史からすれば、一瞬で使い切ろうとしている。

石油が現れて、我々人間が莫大なエネルギーを手にしたことになる。

我々は、そのエネルギーを使い、これも地球がとてつもなく長い時間かけて、
貯め込んだありとあらゆる資源を掘り起こし、そのほとんどの原料が
後数十年で、枯渇という現実に直面するであろう。

地下水にしろそうだ。

今の近代農業や、工業を支えているのは、これも地球が長い、長い時間
地下に貯め込んだ水を一瞬にして、使い切ろうとしている。

やがて、深刻な水不足、それに伴う、食糧不足、工業にも大きな
影響を与えることになる。

石油により、人間の活動が飛躍的に拡大した。

また、その強力なエネルギーにより、爆発的に人口も増えたことになる。

このままでは、地球がいくつあっても足りやしない。

我々は、真剣に自分らが使うエネルギーに関して向き合う必要が
あうのでは、、、。




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2016年10月27日

自分の弱さ、情けなさを知る、そこから見えてくるものがたくさんある、、、。

数年ほど前、変な夢を見た。

なぜかその夢が脳裏に焼き付ている。

それは、会社でみんなが定時帰り、私一人
取り残され、山のような仕事をこなさなくてはならない。

そして、なぜか場面が変わり、自分の家にいる。

それも、その家の中が、戦争か、天災の直後なのか、
廃墟のように荒れ放題で、誰もいない。

そんな中で、何もできずに、ただ茫然と立ちすくんでいる。

そして、震えが起こり、猛烈なさみしさが湧いてきた。

そんな時、カタカタというような誰かが入ってくる音がした。

男の人のようで、背後に回り、柱の陰から、
羽交い絞めでその人を捕まえた。

歯が抜け、頭が剥げた弱々しい、年配の男の人。

申し訳なさそうに、何か、金目のものがないかと探しに来たという。

なんとなく、自分と境遇が似ているようで、
放してあげた。

この夢、全体としては、とても寂しい思いをした夢であった。

家族もいなく、自分の家が荒れ放題、、、。

そして、自分が人にポツンと取り残されている。

そんな時に、自分と同じ境遇のような人が、
何かを盗みに入って来る。

人間って、一人になってみるとわかることってあると思う。

また、すべてを失うと見えてくるものがある。

その時こそ、本当の自分と向き合う最大のチャンスだ。

自分の弱さを知る、自分の情けなさを知る、
これって、とても重要なこと、、、。

自分の弱さを知って、初めて相手のことが受け入れられるように
なるのでは、、、。

また、相手の嫌なところを許せるようになるのでは、、、。

相手を受け入れられるということは、それだけ相手の気持ちが
理解できるということ。

それだけ、視野が広がったということ。

心にゆとりができたということ。

もう、見栄を張る必要もない。
虚勢を張る必要もない。

素の自分を取り戻せるのでは、、、。

それほど、みんなに認められなくても、
ありのままの自分のいい、、、。

それほど、地位やお金を求めなくても、
ほどほどでも幸せに暮らせる、、、。

分厚く、重い、心をヨロイを脱ぎ捨てるには、
自分の中に存在する「不安」とは、「恐怖」とは何なのか、
しっかりと自分と向き合うこと。

自分自身には、嘘はつけない、、、。
相手は自分の鏡であり、自分の主観次第で、
世の中などいかようにも違って見えてくる。

自身の評価を、世間の噂話の中で見出すことなど、
それほど意味があるようには思えない。

それよりも、自分の人生、その主人公は、
自分自身、、、。

自分の価値観で生きる人、また、その価値観が
つまらん煩悩から離れ、我欲が薄れている人、こういう人って
真に強い人のような気がする。

相手を受け入れる、相手を理解できる、これって
共生の時代にとても重要なことだと思う。

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2016年10月01日

「守られている」、「導かれている」という感覚、これって大事なように思う。

朝の連続ドラマ、「とと姉ちゃん」、今日が最終回だった。

とても、面白かった。

昨日の放送で、名物編集長の花山さんが亡くなり、
その後、「あなたの暮らし」が戦後の人々の生活を
向上させるのに貢献したということで、賞をいただくことになった。

そのいただいたときに、とと姉チャンであり、
あなたの暮らし出版の社長である常子が
テレビに出演し、インタービューを受けるシーンがあった。

出演前、緊張する常子、、、。

自身の右肩をなぜながら、
「花山さん、どうしたもんじゃろの〜」
と、語りかける。

その一日前の放送のときに、花山さんの体が
悪化したときに、常子が病院に見舞いに行った。

その時、常子が
「花山さん、もし、花山さんがいなくなったら、
私達はどうなるんでしょう?」
と、不安そうに花山に語りかける。

花山が
「大丈夫、僕がいつもついているから。
私が常子さんの右肩について、君が、『どうしたもんじぇろの〜』
語りかけたときに、必ず支えるから、、、」
こんな内容のことを、語っていた。

誰かが、自分を守ってくれている、導いてくれている、
そんな感覚って、私は大事だと思う。

人間って、その人生において、何度も何度も
このような場面ってあると思う。

緊張し、不安になり、それでも、一人で向かっていかなくては
ならない。

そんな時に、常子のように
すでに亡くなった常子の恩人である花山が
「私が亡くなった後も、君を守り続ける」
というようなことを語ってくれたもしかしたら、
大きな心の支えになるのでは、、、。

これは、ある意味宗教教育のようなものであるが、
宗教でも、もし現代社会において、使えるのであれば、
それを利用する価値は十分にあると思う。

私も有名なおじいさんおばあさん子であった。

おじいさんが、病気になる、私が20歳ぐらいまで、
おじいさん、おばあさんと一緒に寝起きを共にしていた。

そんな祖父母が毎晩、私に対して言うことは
「ご先祖さんが守っとってくれる、氏神さんが守っとってくれる」
というような宗教チックなことを語っていた。

そんな祖父母が、今では亡くなって、私の「ご先祖さん」に
なられた。

そして、そのおじいさん、おばあさんと寝起きを共にした
我が家の離れで、今、私が暮らしている。

ここは、おじいさん、おばあさんがとても苦労して建てた
離れだ。

「牛坊かってね〜、それを毎日、豊田の街まで運んで、
それでこの座敷が建ったんだよ〜」
というようなことを何度も、何度も語っていた。

そんなこの離れで住んでいると、どこかに祖父母と共に
生きているような気持ちなる。

おじいさん、おばあさんが自分にいつもついていてくれる、
そんな気がしてならないが、しかし、そのような感覚が
幾度も私を助けてくれたような気がする。

あるラジオで語っていた話、、、。

二人のおばあさんが、一緒に働いているようであるが、
働き者のHおばあさん、要領がよく、上の人がいるときしか
働かないKおばあさん、、、。

働き者のHおばあさんが
「あんた、神さんが見てるよ〜」
と、いってもそんなことは、おかまいなし、、、。

しかし、お金にはエネルギーがあると思う。

しっかり働いて、稼いだお金というのは、
それなりにパワーがあり、その価値が分かり、
大事に使うであろう。

要領よく手にしたお金というのは、そのお金に対して
そのような意識しかなく、それなりの使い方になってしまう。

また、そのような生き方というのは、
周りの人にも影響を与える。

そのKさんのお子さん達が、いい年なのに、働こうとしないらしい。
そのお孫さんもそのような感じとのこと。

そして、そのおばあさんであるKさんの稼いだお金に
依存して生活しているとのこと。

ある精神科医が言っていたが
「人間とは、著しく、周りの人から影響を受けるもの」
とのこと。

それが、とくに影響を受けるのは、親であり、上司であり、
先生であり、先輩であり、自分よりも強い立場に
ある人の影響を受けるように思う。

親の生き方というのは、その人にとって、
それが標準的な生き方になり、知らず知らずに、
その影響は大きいと思う。

その時に、「神様が、見ている、ご先祖さんが見ている」
という感覚があると、自分を律する気持ちが生まれる
のではなかろうか。

科学が発展すると同時に、宗教というモノが
どうしても胡散臭いような感覚を持つようになった。

確かに、いろんな事件があったし、宗教的な対立が
大きな戦争を引き起こしてきた。

しかし、個人として、誰かに守られている、
誰かに導かれているという感覚、これって十分使えるのでは、、、。

また、亡くなった人は、大抵の場合が、
みんないい人として扱われやすい。

自分の大事なお子さんやお孫さんに
「私が死んでも、あんたを守っているからね」
なんて、語っておくと、その人たちの
窮地を救うことになる可能性が生まれるのでは、、、。

新興宗教などの月謝が馬鹿高い神様に頼らずとも、
身近な亡くなった祖父母、父母などの身近なご先祖さんでいい、
また近くの氏神さん、いつも見かけるお地蔵さん、
そんな身近な存在の方が、自分を守ってくれている
というように感じることができるのでは、、、。

困難をどのように乗り越えていくのか?

それが、何度も何度も訪れるのが人生であり、
そこで知恵と忍耐を学ぶのが人生であると
斉藤一人さんがいっていた。

そんな時に、自分に優しかった人たちが、自分を
守ってくれていると思えるようになれたら、
勇気が沸いてくるのでは、、、。

とと姉ちゃんの最終回、亡くなったとと(父)が
常子の前に現れた。

そして、常子に対して
「ここまでくるのに、よく頑張ったね〜」
と、ほめてくれた。

イメージとして、もし亡くなったときに
多くのお世話になった人たちが、自分を出迎えてくれて、
「よく頑張った、よく頑張った」
と、言ってくれるような人生にしたいとふと思う。

とと姉ちゃんもいい、作品であったように思う。



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