2008年06月21日

瀬戸の人々2

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 瀬戸は、千年以上続いている焼き物産業の街exclamation
日本のほとんどが、農民であったのに対して、
瀬戸は長いこと「工業国」であった。

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また、焼き物とは長い間、最先端テクノロジーであった。
なので、それぞれ個人の技術を磨き、それを競うところ
がある。そして多くの瀬戸焼き物産業に携わる人は、
「自分が知識も技術も一番だexclamation」と、思っている
人が多いように思う。(瀬戸の皆さんごめんなさいバッド(下向き矢印)
 その辺が、個人主義につながるのではなかろうかexclamation&question

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 そして、働くところはいくらでもある。
働いてお金を得たら、使い切るまで使い
またお金がほしけてれば、働けばいい。

このような環境だったのではなかろうかexclamation&question
なので陽気で、開放的、そしてチャキチャキしているexclamation×2

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 では、私が住んでいる「農業国」三好はどうであったか?
昔の生活とは、水は井戸、風呂も炊飯も薪もしくはワラexclamation
食べ物は、ほど100%自給自足。
むかし、うちのお袋が嫁にきたころ、その姑にあたるうちの
おばあさんに
「今日、何食べる」
と、聞くと
「なす、くっときゃええ〜」
次の日も、
「今日、何たべる」
そして、また
「なす、くっときゃええ〜」
次の日も、次の日も
「なす、くっときゃええ〜」
と答えられたそうな。

基本的にある食べ物を食えばいい、という考え方で
夏はナスとキュウリばっか、冬は大根と白菜ばっか
食べていたらしい。

自給自足に近い生活とは、ほぼ身の回りで
生活が完結してしまうexclamation×2
そういう生活の中で育てば、どうしても性格が
大人しく、我慢強くなると思う。

 それから、うちのおじいさんがよく言っていたが
「名古屋(都会)には、恐ろしい人がいっぱいるから
気をつけろexclamation&question」と、
少し過剰なくらい、都会に対する恐れのようなものがあった。
反面、同じ集落の人々とはつながりが強く、
団結力があり、和気あいあいと生活してきた。
ほとんどの日本人は、こんな感じであったのでは
なかろうかexclamation&question


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このような感じで瀬戸は、特徴のある街、人々であると思う。






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2008年06月20日

瀬戸の人々1

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 瀬戸で働き始めて12年。
根っからの三河者(愛知県三好町在住)で、
ドン百姓の小せがれの私にとって、
瀬戸の人々というのは、時々「あれ、違うなexclamation&question
というような感覚になる。

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三河者の私からみて、瀬戸の人々は、
陽気で、せっかちで、どちらかというと個人主義exclamation
わりかし、人目を気にせず自由に生きているように
感じる。

 瀬戸は、もう千年以上続く、焼き物産業の街。
いわば、「工業国exclamation」である。
絵付け、窯焼き、ロクロひきなど、街中、至る所に
仕事するところが、いっぱいあった。
むかしの話を聞くと、例えばよそからふと瀬戸に来ても、
その日から住む所が与えられ、「肉屋はあそこのつけexclamation
「魚屋はあそこのつけexclamation」という具合に、
よそ者でも、その日から働くことが出来て、生活も出来る
開放的な街だったようだ。
 それだけ、慢性的に人手が足りず、街に活気があった。

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 「瀬戸ッ子は、夜ど越しの金は持たん」
といわれるように、毎月、1日と15日が給料日で、
給料をもらうと、金が無くなるまで使い切る。
そして、金が無くなると、また仕事に来る、という
人が多かったらしい。

 それだけ、仕事場が至る所にあったということである。
お金が欲しければ、働く場がいくらでもあり、貯金など
しなくてもそれほど、気にならない。
また、もう一つ大きな違いは「現金で収入が入ってきていた」
ということである。

先祖代々みよしのどん百姓の我が屋では、百姓をやりながら
自給自足率の高い生活を、昭和40年代頃までしていた。
食べ物は、ほぼ自給自足であり、例えば家を建てるにも
近くの山から、木を切り出し、土壁用に土を山からとって
来たり、そして建てるのでさえ、親戚とか、近所の人らが
手伝いに来たり、なるべくお金の掛からない生活を
していたようだ。

 中学を出てから、家の手伝いをしていたオヤジが
昭和30年代、うちのおじいさんに
「わし、外に働きに出たい」といったら、
おじいさんが
 「外に働きにいって、現金を手にしたら不良になるちっ(怒った顔)
と反対された。
 それだけ、その頃までは農村では現金のそれほど
いらない生活が出来たようだ。
夏は毎日のようにナスばかり、冬は毎日のように大根ばかり食べ
藁や薪で風呂や炊事をし、現金がなるべくいらない生活をしていた。
 農村では、近所の人々と助け合いながら、そのつながりを
とても大事にしながら、生きてきた歴史がある。

 瀬戸の「工業国」の人と、三好のような「農業国」の人とでは
相当、そのバックグラウンドが違うようだ。

カミナリがなってきたので、今日はこの辺にしときますexclamation×2

つづきは、また明日、、、。
また、見てちょーねわーい(嬉しい顔)

 
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2008年06月12日

瀬戸弁3

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  私は、大の温泉好きexclamation暇さえあれば、温泉に行っている。
 最近は、岐阜県土岐市の曽木温泉にはまっている。ロケーションと
 いい、露天風呂といい、特に夏の夜の露天風呂は、最高だexclamation
 曽木温泉は、岐阜県の東部、いわゆる東濃地区であり、瀬戸と同じく
 焼き物文化のエリアである。

 実は、その曽木温泉で、非常に瀬戸弁に類似した言葉が飛び
 かわっている。地元の人がけっこう回数券を買って、憩いの場
 になってるようだ。

 瀬戸から東濃である曽木温泉は、峠を越えて、車で約30分。
同じく、瀬戸から三河エリアに属する、豊田市藤岡町は、これまた 
峠を超えて、車で約30分。また、曽木温泉と藤岡町も、同じく
峠を越えて車で30分である。

 しかし、東濃と瀬戸は言葉が似ているが、藤岡になると、明らかに
三河弁だ。また、よく藤岡に仕事で行くことがあるが、瀬戸と藤岡では
言葉だけでなく、人の気質もだいぶ違うような気がする。

 瀬戸と東濃は、同じ焼き物文化圏なので、昔からつながりが強かったのかもしれない。藤岡は、明らかに我が三好町と同じ、稲作文化圏だ。
その土地、その土地にやはり歴史ありということだ。

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瀬戸弁2

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瀬戸は、千年以上続く、焼き物の街である。
長〜い年月の焼き物文化の中で、生まれた瀬戸弁の
言葉もある。「せどる」と「すやくる」は、そのものである。

「ちょ、ちょ、その荷物せどってちょーす!」
そう、「せどる」とは、荷物などを「運ぶ」ということのようだ。
瀬戸では、生活の隅々に、焼き物文化がいきわたている。
その生活の中で、「運ぶ」とは、焼き物に使う土を
背中に背負って運ぶ
のが、瀬戸の人にとっては、「運ぶ」の代表的な
イメージであったのだろう。
なので、「せどる」=「運ぶ」となったらしい。

それと、もう一つ!「すやくる」exclamation&question
「雑に仕上げる」とか、「手を抜く」とかの意味らしい。
よく私も、うちの会社の85歳の会長に、焼き物の試験品を
作るとき、「またすやくりゃがってふらふら」としかられる。
我々の会社では、日常的に使われる言葉であり、
その語源がまたおもしろい。
焼き物の焼成状態には、「本焼き」の「仮焼き」がある。
仮焼きが、通常「素焼き」とよばれ、だいたい900℃焼成
である。なので「素焼き」とは、まだ完成してない状態を
いう。それで、雑に仕上げたことを「すやくる」と
いうらしい。

このように、その地域に根ざした文化の中から、言葉が生まれてくる。
瀬戸弁は深みがあって、おもしろいグッド(上向き矢印)


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2008年06月10日

瀬戸弁

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「ちょ、ちょ、hideさん、その荷物、倉庫までせどって ちょーす!

え〜「せどるexclamation&question」「ちょーすexclamation&question

これが、私の瀬戸弁との初めての出会いであった。そう、今から12年前、現在勤務している会社に初出勤した日であった。

私は、尾張と圏境の三河、愛知県三好町に住む。母国語は、三河弁である。そこから、車で30分の愛知県瀬戸市(尾張エリア)にある会社に12年前勤め始めた。

そこで、働いていた我が瀬戸弁の師匠M子おばさん。
巧みに瀬戸弁を使いこなす、仕事を切り盛りして
いたキャリアウーマン。

それから数ヶ月、我瀬戸弁の師匠と一緒に仕事をしていたら、知らない間に「ちょーす」とか、「○×○×ちょ」と瀬戸弁がうつりはじめた。
そしたら、なんだか急に、職場の人々やお客さんらと、コミニケーションがとてもしやすくなった。瀬戸弁、恐るべしexclamation×2

 また、東京である展示会でうちの会社の商品をM子おばさんと、
東京の人らに売ることになった。最初はM子おばさんもお客さんに
「この商品いかがですか?」みたいに標準語で接客した。
しかし、さっぱりであった。

そして次の日、作戦変更exclamation×2
いつものトーンで瀬戸弁丸出し
「ちょ、ちょ、そこの人、ちょっとみてってちょ〜」
そしたら、本人もノリノリexclamation
商品も瞬く間に売れ始めた。
恐るべし、瀬戸弁exclamation×2
東京でもまったく通用するexclamation×2けっこう、多くの人が「そのしゃべり方おもしろい」って感じでよってきた。

方言は、人の心をまろやかにする。
「○×□#をやって下さい」というより
「○×□#やってちょ〜」と言った方が、ふしぎと親しみがわく。

あれから、12年。私もだいぶ瀬戸弁が上達した。今は瀬戸弁初段ぐらいじゃ無いかと思う。

まだまだ、続く、、、わーい(嬉しい顔)
タグ:瀬戸弁
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