2008年06月09日

方言

 薩摩半島の最南端を旅行中、ある喫茶店で本物の
薩摩弁に遭遇した。
 正直、驚いた目
なにやら、他の国の言葉にきこえたグッド(上向き矢印)

 日本は、なぜそのように方言が発達して
いるのだろうかグッド(上向き矢印)
日本の各方言は、英語のアメリカ弁、オーストラリア
弁よりはるかに、違っている。

それには、いくつか理由があるだろうと思う。
 まず、日本人は定住主義exclamation
その土地に永住し、村という共同体の中で、
福祉、教育、納税、労働など、ほとんどすべての
事を、何百年とまかなってきた。
つまり、全体的に他との交流がそれほどなくても、
生きていけた。

 第二に、言葉を変えられてしまうほどの、
侵略された歴史が、ほとんどない。
それが、あったという説の人もおられるが、
以前いた人たちが、逆に地方に追いやられて
その土地の方言の源流になったのかもしれない。

例えば、縄文から弥生時代に切り替わるとき、
弥生文化を持った人々が、地方の隅々まで
攻めきれず、例えば九州の南端、東北、四国の南部
など、縄文文化の人々がそのまま住み着き、
方言の源流になったのかもしれない。
それほど、薩摩弁には衝撃をうけた右斜め上

20年ほどの前の統計によると、その頃でも
県内で結婚相手を見つける確率が、全体の
90%以上だそうな。
ということは、日本人というのは、
あまり文化的に混ざりにくいのかも
しれん。



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2008年06月07日

薩摩旅行記2 (薩摩弁編)

105-0515_IMG.JPG105-0510_IMG.JPG

薩摩に行ったとき、
運良くスクーターをかりる事が出来た。
それにウキウキしながら、薩摩半島の南側の海岸線を走っていた。
そこで、のどが乾いたので、ある喫茶店に入った。
普通の喫茶店で、店の人と、また60代の夫婦らしい人らが
3人で話をしていた。私は、いやな性格で、人の話を立ち聞き
するのが好きみたいだ。
 
 「○△×#□、、、おぼん。、、○□#×、、おぼん」
しばらく立ち聞きしていたが、まったくわからない。
中国語か韓国語のように聞こえた。しかし、丁度お盆シーズンで
会話の節々に「おぼん、お盆exclamation&question」という言葉が混じっていた。

私は、恐る恐る
「すいません、日本人の方ですよねグッド(上向き矢印)
そのような質問を投げかけてしまった。
もちろん、日本国内なのにであるふらふら
三人は
「わは、は、は、はわーい(嬉しい顔)
と笑い始めた。
そして、その中のおじさんが
「にいちゃん、どっからきたの?」
と、日本語exclamationで応えてくれた。
「愛知県からです。」と私は答えた。

「なら、わからんわな!わしらは、幕府の「おんみつ」が
くるよって、あいつらに言葉をわからんように変えたんじゃあ〜」

「へ〜グッド(上向き矢印)
ほんと、まったくわからなかった。
英語というのは、それほど方言が無いと聞く。
確かに、アメリカ弁、オーストラリア弁とかあるだろうが、
日本ほどひどくない。
幕末の頃、各藩同士連絡を取ろうとしても、そのお国なまり
方言同士では、まったく通じなかったらしい。
日本語という標準語が、今の英語のように共通語だったらしい!
それほど、地方ごとに方言が発達していた。

英語の発祥は、イギリスであり、多くの国を植民地に
した歴史があり、多くの民族に、覚えやすく、
またよりシンプルな言葉でならなくては、ならなかった。

しかし、日本語は長いこと国を閉ざしていた。その為、
その国の言葉も文化も熟成し、日本人にしか
分かりづらい部分が多いと思う。
だから、日本語というのは基本的に外国人からみて、
分かりづらい言葉であるのは、なんとなく理解できる。

 しかし、方言がこれほど発達したのはなぜだろうか?
ある作家こう言っているバッド(下向き矢印)
「日本は、単一民族ではない。その年代ごとに何度も
 大陸から、もしくは、黒潮にのって多くの外国人が移り
 住んだ歴史がある。そして、彼らが民族ごとに
 各地方に集落をつくった」
と言うようなことをいっていた。

方言の面からすると、これってもしかすると、
案外あたっているのかもしれない。
う〜ん、歴史はミステリアスだグッド(上向き矢印)





ラベル:方言 薩摩半島
posted by hide at 23:20| Comment(4) | TrackBack(0) | 薩摩旅行記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

薩摩旅行記1

< 最近、考えられないような事件が毎日のように
起きている。何年か前では、一年に一回あるか、
無いかのような事件が続出している今日この頃!
 
日本人の心も相当病んでるな〜と思えるが、
しかし、田舎に行けばそんな気持ちが吹き飛んでしまう。
まだまだ情緒があり、美しい自然がいっぱい残っている。
そう、特に薩摩(鹿児島県)はすばらしい。

私は、旅行が好きなのでけっこういろんな所に
行く。そして、旅先でよく人に道を尋ねたりする。
私の経験上、一番親切なのは薩摩人。
地図を持って立ち止まっていると、けっこう地元の人が
声を掛けてくれたりする。

一番、人情がなかったのは東京、それも新宿。
新宿駅でアルタに行こうと思い、何人かの人に
道を尋ねた。誰一人相手にしてくれない。
大きなリュックサックを背負って、こちらは
誰が見ても旅行者なのに、みんな素通りしてしまう。
よし、「スマイルが足らないんだ」と思い立ち、気持ち悪い
ぐらいつくり笑いをしてたずねたが、全く逆効果だったもうやだ〜(悲しい顔)

それから、開聞岳の麓の開門荘で宿泊中に
地元の人がスクーターを一日貸してくれた。
その時の会話がこんな感じだった。

地元のおじさん、「にいちゃん、明日はどこいくんだ!」

私、  「いや〜、車も無いし、明日は鹿児島市内に戻ろうと
     思ってますよ。」

地元のおじさん、 「ほんなら、スクーター貸したるで、
         明日は池田湖や枕崎の辺にいっといで」
と、このような感じでただでスクーターを貸してくれた。
それも、見ず知らずの旅行者にexclamation
105-0506_IMG.JPGそのスクーター晴れ

そして機動力ができた私は、一日中色々なところを行きまくった。
めちゃ楽しかった!!
105-0517_IMG.JPG

a href="http://cpt-hide-cook.up.seesaa.net/image/105-0513_IMG.JPG" target="_blank">105-0513_IMG.JPG

そして、ガソリンを満タンにし、またビールを半ダース
添えて、スクーターをお返しした。
また、旅行から帰ってからもお礼の手紙を書いた。
とても心暖まる思い出だ。

田舎の人の方が、日本人が忘れかけた人情味がある。
美しい自然もまだまだ健在であるし、日本もまだまだ
捨てたものではないと思った。


ラベル:薩摩 池田湖
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2008年06月05日

開門岳

 昨日は、生まれて初めてブログに写真を載せた。
適当にやっていたら、できた。

 写真は、開聞岳!
「薩摩富士」とも呼ばれ、とても美しい。
海に突き出す形でそびえ立ち、独立峰で標高が900m
を超えるぐらいの高さである。

104-0474_IMG.JPG山頂から、西側の写真。きれいな海岸線。

104-0477_IMG.JPG山頂から、北側の写真。池田湖である。
         よく見れば、イッシーという恐竜がおるらしい

105-0514_IMG.JPG南側の写真。屋久島がかすかに見える。

開聞岳の近くに戦争中、陸軍の知覧特攻隊基地があった。そこから、
多くの若者がこの景色をみながら、沖縄を目指して出撃していった。
そして、開聞岳を横目に、翼を降って最後の別れをしたという。

私の会社の会長は85歳。戦争の生き残り。
戦争で同級生の半分がなくなられた。
その辺りの年代が一段と戦死者が多い。
その会長が、日本人なら一度は、
「知覧の特攻会館に行くべきだ」といっていたので、
6年前に行って来た。
そして、多くの二十歳そこそこの若者の遺書を
みた。戦争の良し悪しは別にして、みんなまったく、
腹のくくり方が違う。やっぱり、「死」が身近にあると、
「生きる」ということを意識しるのではないか。
 私らは、十分過ぎるほど幸せなのに、小さなことで怒ったり、悲しんだりしている。会長がよく言われる
「物は豊になったが、心はどんどん貧しくなってきている」。

今日は、長くなってしまった。

posted by hide at 21:01| Comment(0) | TrackBack(0) | 薩摩旅行記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする