私は、小学校6年生の時、ひょうんなことから
わが町、三好町主催の三好子供町議会に
参加することになった。
そして、三好町長の前で子供の目線から
「何か」意見を言わなならんとの先生からの
おたっしであった
うーん、困った
私は当時児童会長。
副会長は活発で頭が良く、
私が大好きだった○○さん
彼女も、一緒に子供議会に行くことに
なっていた。
男というものは悲しいもの
どうしても、好きな女の子の前では、
いいカッコしたがる
何か町長に対して、よい意見はないかと
迷いに迷った
○○さんの方は、
「電灯が足らないので、夜道が恐く、電灯を増やして欲しい。」と。
へ〜、さすがだな〜
そういう視点があったのか
と、感心した。
私の方は、全く思い当たらない
大人になった、今では笑い話であるが、
当時子供の私にとっては、重大な出来事
「え、えかっこした〜い
考え抜いた。
そして、困ったあげく、
我が家のおじいさんに聞いてみた。
「おじいさん、三好町になんかしてもらいたいことある
そしておじいさんが
「そうだな、境川の上流の方が山を切り開いてしまやがったんで
もっと上流の方に木を植えてもらったらどうだ。」
「ふ〜ん」
と私は答えたが、それが何になるのか
さっぱりわからない
○○さんの意見は、とてもダイレクトな要望で
分かりやすい
しかし「木を植える
当時、正直、「な〜んじゃそりゃ
というような感覚だった。
しかし、田んぼをやり始めてやっと理解できた。
上流に山が、はだかであると、大雨の時に雨水が
一気に川に流れ込んでしまい、その下流では
氾濫しやすい。
50年ほど前に、境川が氾濫したこと
があったらしい。それも、私らの田んぼのすぐ
近くで
それとむかしは、この辺の田んぼ(三好町莇生)は、
境川から水を引いていた。
上流に木がしっかり植えてあれば
その落ち葉などから、養分が溶け出して来る。
そして、栄養のある水が田んぼに引ける事になる。
そのような発想があったのかもしれない。
そう、田んぼと山の保持というのは
川を通して、密接な関係がある。
神社も森の中に立てられるし、日本人の信仰的な
感覚の中には、森林というものは尊いものという
感覚があるのかもしれない。
われらが氏神様の莇生神社も、森の中に建てられてある。
また、小学校6年生の時に、近くの藤岡町で
昭和天皇が「しょくじゅさい」に、
お越しになるということで、私も参加するように
と先生に言われた。
え〜
「しょくじ」ということはイコール「食事」
へ〜、どんなもん食べれるの
「ナイフ・ホークなんか使ったことないし
と、今になっては笑えるような大いなる勘違いを当時はしていた
要するに「食事祭」でなくて、
「植樹祭」であった。
そんな事で、天皇陛下が行事として「植樹祭」を
行われることが、強く印象に残った
ほんと、あほさ加減にもあきれるような
思い出である
そう、天皇自らが伝統行事として「植樹祭」を
行うということは、日本は植林にむかしから
とても、力を入れているということだ。
また、いたるところで「植樹祭」の式典が
行われている。
それから、もう一つ
実は9か10世紀頃、日本では世界初の
「環境保護法」のようなものがあったらしい。
それは、京都の都付近は当時建設ラッシュで、
山から木を切り出してしまい、
その周辺はよく川が氾濫したらしい。
そこで、木を切ったら、必ず植林をするというのを
法律を決めたらしい
そう、このように日本は昔から
自然を大切にする民族であったようだ。
それは、なぜか
もちろん、山岳信仰のようなものもあったであろう。
またそうすることが、長い間日本のメイン産業であった
稲作に、必要なことだったからかもしれない。
「田んぼ」と森林というのは、密接な関係があった
そのようなところから、
森を大切にする文化が生まれたのでは
ないだろうか

