新聞広告に作家の
五木寛之さんが
新たに出版した
「親鸞」という本の
売り出し広告があった。
五木寛之さんは、
直木賞作家で、
私も「他力」など、
読んだことがある。
敗戦時に満州で、
弟さんの死に直面して、
「死」というモノに対して、
とても興味を持たれたとか。
そして、それがきっかけで、
親鸞や蓮如などの浄土真宗に
ひかれ、いくつかの本も
かかれておられる。
その五木さんが、今度
「親鸞」という本を
書かれたみたいだ。
その広告を見た72才になる
うちの親父が私に
「おい、この本買うが
おまんも読んでみんか?」
と、言ってきた。
そのように、親父が
仏教に興味を持つことは、
私は大賛成である。
親父も72才。
最近、だいぶ耳も遠くなったし、
物事に対する理解力も、
落ちてきている。
そんな親父も近い将来、
避けては通れないのが、
「あちらの世界へ旅立ち」
である。
そして、その前に
自分の体がだんだんと衰えていく。
そしていつかは、ガンなどの病気に
なって、死んでいくことになる。
最近、そのような
死に直面している
末期患者などに対する
「臨床カウンセリング」というのが
注目されている。
とても良いことだと思う。
むかしは、たとえ「癌」にかかっても、
本人には告げられず、
家族は本人に対しても
「きっと直るから、がんばって」
というようなことを
言い続けてきた。
この「がんばって」というのが、
実は本人にはとてもつらい
ことのようだ。
ほとんどの末期患者が、
だいたい自分の病気を自覚
してしまうという。
それなのに
「がんばって」「がんばって」
と、言われても、
体はドンドンと衰退いくは、
まわりはみんなで本当ことを
ひた隠しにしようとしるし、
多くの人が、実は「孤独」を
感じていたらしい。
それより、じっくりと
「自分の死と向き合わせる」
ことの方が、大事なことの
ような気がしてならない。
そして、それに伴う
恐怖や不安を
臨床カウンセリングで
おぎなう。
過剰に「死」ということを、
タブー視しすぎると、
結局は、本人が周りの人に
対して、不信感を抱くことになる。
そして、そのような
カウンセリングに
一つ付け加えるのなら、
宗教的エッセンスを
とれ入れたら良いと思う。
うちの親父のような年配のひとは、
むかしから
「神様、仏様、ご先祖様」
の話が、日常的にされる
環境で育ってきた。
また、
「そんなことをしたら、バチがあたる」
とか、
「嘘をついたら、えんま様に舌を抜かれる」
とか、
特に年配の方や、
田舎の方などは、
小さいときから、
そのような話を
耳にタコができるくらい、
聞き慣れている。
これらのことは、
見えないモノに対する畏れという
意味では、宗教的な道徳観となる。
うちの親父ぐらいの年代の人など、
「死んだらどうなるのか?」
とか、
そういう話を昔からの
宗教的な表現でされるのが、
一番理解しやすいし、
受け入れやすい。
「死」にゆく自分を受け入れ、
もしかすると、
「死」に対する恐怖が
和らぐかもしれない。
「死」というものは、
ほとんどの人が不安や
恐怖を感じると思う。
「死んだらどうなってしまうのか
「何やら、真っ暗な世界に行ってしまう
のではないだろうか
不安を感じるであろう。
私の父は、毎朝欠かさず
仏壇にお参りする。
そんな父を見て
「ご先祖さんや、おじいさん
おばあさんがきっとよろこんどるよ〜
と、声をかける。
そうすると、親父が
ニコニコして、何やら
うれしそうにしている。
そして、私が
「おやじ、おやじが死ぬとき
きっと、おじいさんや
おばあさんが迎えに
きてくれるよ〜
というと、
ニコニコしながら
「おまんが死ぬときも、
わしが迎えにきたるでな〜
と、言ってくれる。
なんか、目頭が熱くなるような
心温まる言葉である。
オヤジの中では、
だいぶ宗教的な世界観が
身についているようだ。
別に、特に新興宗教に
頼ることなどない。
日本にむかしからある
浄土宗、禅宗、浄土真宗など
の仏教の言葉でも、
日々の葛藤を和らげて
くれる言葉など、
いっぱいある。
また、多くの日本人が
神社に行くと、
なぜか気持ちがいい。
どこか、体が浄められた
感覚になる人が多い。
長〜い、長〜い間、
日本で育んできた
仏教、神道、それと先祖崇拝。
これらのモノをもう一度、
その価値を見直す時期
なのかも知れない。
おやじは、近い将来
「寝たきり」になるかも知れない。
そして、ただ死がおとずれるのを
待つだけの身になるのかも知れない。
そうなれば、家族もツライが
本人も相当辛いことである。
もし、そのような状況になって、
宗教的な世界観で、
心の葛藤を和らげることが
できるのなら、
こんなありがたいことはない。
あるお坊さんが言っていた。
檀家のある90歳を
越えるおばあさんが
こんなことを言って
いたそうな〜。
「この世におるうちはただ一生懸命
やるだけ。
お迎えがきたら、あの世に
いくだけのこと」。
いつも、ニコニコして
そのように答えてくれるそうな。
なにやら、この世の中の
悩みや苦悩から、
開放されたような
表情をしているらしい。
そんなおばあさんを見て、
そのお坊さんが
「いくら修行しても、
年配の田舎のおじいちゃん、
おばあちゃんにはかなわん」
と、、。
こういう世界観て、
今の殺伐とした社会の中で、
とても必要なことなのかも
知れない。
おやじには、さらに
「親鸞」の本を読んで、
さらにこのような世界観の
自分の中で、身につけて
いってもらいたい。

