2009年10月10日

「親鸞」の本とオヤジ!

 9月のある日、
新聞広告に作家の
五木寛之さんが
新たに出版した
「親鸞」という本の
売り出し広告があった。

五木寛之さんは、
直木賞作家で、
私も「他力」など、
読んだことがある。

敗戦時に満州で、
弟さんの死に直面して、
「死」というモノに対して、
とても興味を持たれたとか。

そして、それがきっかけで、
親鸞や蓮如などの浄土真宗に
ひかれ、いくつかの本も
かかれておられる。

その五木さんが、今度
「親鸞」という本を
書かれたみたいだ。

その広告を見た72才になる
うちの親父が私に
「おい、この本買うが
おまんも読んでみんか?」

と、言ってきた。

そのように、親父が
仏教に興味を持つことは、
私は大賛成である。

親父も72才。
最近、だいぶ耳も遠くなったし、
物事に対する理解力も、
落ちてきている。

そんな親父も近い将来、
避けては通れないのが、
あちらの世界へ旅立ち
である。

そして、その前に
自分の体がだんだんと衰えていく。

そしていつかは、ガンなどの病気に
なって、死んでいくことになる。

最近、そのような
死に直面している
末期患者などに対する
臨床カウンセリング」というのが
注目されている。

とても良いことだと思う。

むかしは、たとえ「癌」にかかっても、
本人には告げられず、
家族は本人に対しても
きっと直るから、がんばって
というようなことを
言い続けてきた。

この「がんばって」というのが、
実は本人にはとてもつらい
ことのようだ。

ほとんどの末期患者が、
だいたい自分の病気を自覚
してしまうという。

それなのに
「がんばって」「がんばって」
と、言われても、
体はドンドンと衰退いくは、
まわりはみんなで本当ことを
ひた隠しにしようとしるし、
多くの人が、実は「孤独」
感じていたらしい。

それより、じっくりと
「自分の死と向き合わせる」
ことの方が、大事なことの
ような気がしてならない。

そして、それに伴う
恐怖や不安を
臨床カウンセリングで
おぎなう。

過剰に「死」ということを、
タブー視しすぎると、
結局は、本人が周りの人に
対して、不信感を抱くことになる。

そして、そのような
カウンセリングに
一つ付け加えるのなら、
宗教的エッセンスを
とれ入れたら良いと思う。

うちの親父のような年配のひとは、
むかしから
「神様、仏様、ご先祖様」
の話が、日常的にされる
環境で育ってきた。

また、
「そんなことをしたら、バチがあたる」
とか、
「嘘をついたら、えんま様に舌を抜かれる」
とか、
特に年配の方や、
田舎の方などは、
小さいときから、
そのような話を
耳にタコができるくらい、
聞き慣れている。

これらのことは、
見えないモノに対する畏れという
意味では、宗教的な道徳観となる。

うちの親父ぐらいの年代の人など、
「死んだらどうなるのか?」
とか、
そういう話を昔からの
宗教的な表現でされるのが、
一番理解しやすいし、
受け入れやすい。

「死」にゆく自分を受け入れ、
もしかすると、
「死」に対する恐怖が
和らぐかもしれない。

「死」というものは、
ほとんどの人が不安や
恐怖を感じると思う。

死んだらどうなってしまうのかexclamation&question

何やら、真っ暗な世界に行ってしまう
のではないだろうかexclamation
とか、
不安を感じるであろう。

私の父は、毎朝欠かさず
仏壇にお参りする。

そんな父を見て
ご先祖さんや、おじいさん
おばあさんがきっとよろこんどるよ〜わーい(嬉しい顔)

と、声をかける。

そうすると、親父が
ニコニコして、何やら
うれしそうにしている。

そして、私が
おやじ、おやじが死ぬとき
きっと、おじいさんや
おばあさんが迎えに
きてくれるよ〜わーい(嬉しい顔)

というと、

ニコニコしながら
おまんが死ぬときも、
わしが迎えにきたるでな〜わーい(嬉しい顔)

と、言ってくれる。

なんか、目頭が熱くなるような
心温まる言葉である。

オヤジの中では、
だいぶ宗教的な世界観が
身についているようだ。

別に、特に新興宗教に
頼ることなどない。

日本にむかしからある
浄土宗、禅宗、浄土真宗など
の仏教の言葉でも、
日々の葛藤を和らげて
くれる言葉など、
いっぱいある。

また、多くの日本人が
神社に行くと、
なぜか気持ちがいい。

どこか、体が浄められた
感覚になる人が多い。

長〜い、長〜い間、
日本で育んできた
仏教、神道、それと先祖崇拝。

これらのモノをもう一度、
その価値を見直す時期
なのかも知れない。

おやじは、近い将来
「寝たきり」になるかも知れない。

そして、ただ死がおとずれるのを
待つだけの身になるのかも知れない。

そうなれば、家族もツライが
本人も相当辛いことである。

もし、そのような状況になって、
宗教的な世界観で、
心の葛藤を和らげることが
できるのなら、
こんなありがたいことはない。

あるお坊さんが言っていた。

檀家のある90歳を
越えるおばあさんが
こんなことを言って
いたそうな〜。

「この世におるうちはただ一生懸命
やるだけ。
お迎えがきたら、あの世に
いくだけのこと」。


いつも、ニコニコして
そのように答えてくれるそうな。

なにやら、この世の中の
悩みや苦悩から、
開放されたような
表情をしているらしい。

そんなおばあさんを見て、
そのお坊さんが
「いくら修行しても、
年配の田舎のおじいちゃん、
おばあちゃんにはかなわん」

と、、。

こういう世界観て、
今の殺伐とした社会の中で、
とても必要なことなのかも
知れない。

おやじには、さらに
「親鸞」の本を読んで、
さらにこのような世界観の
自分の中で、身につけて
いってもらいたい。



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2008年08月16日

宗教の仕事(6)

 昨日は、終戦記念日であった。
戦争で亡くなった方々、
心より哀悼の意を表します。

私は、終戦記念日になると、
いつも、ふと、絞首刑になった
東条英機元首相のことを、
思い出します。 

彼は、絞首刑の前日に、
彼の妻の為に、次のような歌を
作ったらしいです。左斜め下

さらばなり 有為の奥山 けふ超えて
 阿弥陀のみもとに いくぞうれしき


明日よりは だれにはばかる ところなく
 阿弥陀のみもとで のびのびと寝る


東条さんは、A級戦犯として逮捕されてから、
浄土真宗に、帰依するように
なっていたという。

また、彼はこうも言ってそうです左斜め下

死ぬには、いい時期です。
 もし、終身刑にでもなったら、
 一生、煩悩にとりつかれて、
 たまったものではない。」


東条さんは、刑の執行当日も、
周りの人に、感謝の気持ちを伝え、
ニコニコしながら、心穏やかだった
そうです。

そして、刑場に向かう2分間、
「南無阿弥陀仏」
と唱えながら、
向かったとのこと。

実は、死刑囚の多くが、
刑場に向かう時は、
取り乱し、暴れて、
鼻水や、尿をもらして
しまう人が多いそうです。

人間とは、弱いもの。
私も、もしそのような立場に
なってしまったら、
そのようになってしまうかも、
しれません。

東条さんが、やったことに対して、
良いか悪いかは、専門家に
まかせるとして、
終戦の日から、刑が執行される
約三年間、一人の人間として、
彼の立場になってみれば、
とても過酷な、時期だったと思います。

終戦の日を境に、
極悪人としてののしられ、
家族共々、非難の的にされるように、
なりました。

そして、死刑は確実であり、
死との恐怖や、
また、どのように
見せしめにされて、死んでいくのか、
内心は、毎日不安との戦いだったのでは、
ないかと、想像します。

後に残す家族には、
「言い訳は、一切するな」
と、言い伝えていたそうです。
今後、家族がどのようになっていくのか、
非常に不安であったろうと、
察します。

自分が総理大臣で、陸軍大臣、
そして参謀総長を兼任していたときに、
多くの国民を失ってしまった。
その最高責任者として、
国民に対して、
「自分が八つ裂きにされても、足らない」
と、語っていたようです。

日本の行く末に対する心配、
また、国民に対しての罪の意識、
東条さんの心に、大きくのしかかって、
いたと思います。
この時期、彼は一人の人間として、
非常に過酷な時期を過ごしたと思います。

気の弱い私などは、
気が狂ってしまうかもしれません。
実際、同じA級戦犯の人で、
そのような人が、いたそうです。

このような過酷な時期の東条さんを、
少しでも救ったのは、仏教だったと
思います。

仏教の教えを信じ、
仏教の世界観」をイメージしながら、
心の静けさ」を保っていたと、
想像します。

私は、ご批判もあるでしょうが、
東京裁判の時の東条さんは、
とてもご立派だったと思います。

多くの先輩方の犠牲のもと、
今の日本があるのだと、
思います。
とても、ありがたいことです。

そのようなことを、いつも心に
トドメながら、しっかりと
生きていきたいと、
いつも思っております。













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2008年07月27日

宗教の仕事(5)

 一年半前、
瀬戸商工会議所の
あるイベントに、参加した。

その内容は、あるお坊さんのグループが、
法話と音楽を融合させ、
ピアノ、フルート、ギターの音色に
のせて、「親子の絆」をテーマに、
やさしく、語りかける公演であったexclamation

そのお坊さんのグループは、
迦陵頻伽」といい、
全国的にも、注目されている、法話楽団らしいexclamation

とても、感動して心暖まる、
公演であった。
老若男女問わず、
会場に来られた方々の、
心に染み通るような、
感じを受けた。

童話などを演奏しながら、
その童話の意味を語るモノで
あった。

例えば、「シャボン玉」exclamation
その「シャボン玉」の作者は、
幼い子供を亡くされたらしい。

「シャボン玉」が、生まれたての子供。バッド(下向き矢印)
そして、歌に出てくる「風」が、
世間の荒波exclamation
「世間の荒波に負けずにexclamation」という
親の、子供の成長を願う
歌らしい。

それから、法話として、
ある90歳を超えた、田舎のお婆さんの
話をされたexclamation

ある日、そのお坊さんがお婆さんに
「お婆さん、体の調子はどう?」と、
話しかけたらしい。左斜め下
そしたら、そのお婆さんが
お迎えがくるまで、この世におるうちは
 一生懸命やらしてもらうだけ。
お迎えがこれば、あちらに行くだけのことさ

といっていたらしい。

なんだか、そのお婆さんは「死」というモノが、
怖くないように思えたとのこと。
「死」というモノを、しっかりと自覚し、
「生きる」ということを、
しっかりと極めた人なのかもしれない。
それらのことを極めると、「煩悩」からも、
解放され、仏教用語で「悟り」の
境地なのかもしれないexclamation

そのお坊さんも、
「いくらもがいても、田舎の
お爺さん、お婆さんらにはかなわないexclamation
と、いっていた。

その年代の人々は、激動の昭和史を経験なされた。
何度も、移りゆく、世の中を
体験なされた。

周りの多くの人々を、戦争で亡くされ、
自分自身も、生きるか死ぬかの「死線」を、
くぐってこられた方々だ。

なので、しっかりと「生きる」事の、
ありがたさを自覚なさっているようだ。
また、その時代の人々なら、
日本の伝統的な、宗教心が、
心の中で、生きているように思う。

 お坊さんとは、
人々の「煩悩」を和らげ、
「生きる」意味を悟すのが、
本来の姿でなからおうかexclamation&question

その法話楽団は、まったく新しいスタイルで、
人々の心を満たす。

そのような需要が、潜在的に
すごくあると思うexclamation

われと思われるお坊さんは、
本来の姿に立ち返り、
人々の心のあり方を、
説いてもらえば、きっと
世の中が、だいぶ良くなるような
気がする。








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宗教の仕事(4)

 自転車で、いろいろな街を走っていると、
やはりお寺というのは、
ありとあらゆる所にある。

江戸時代からの、檀家制度によりに、
お寺というのは、葬式、法事等を請け負う
だけでなく、ある意味、市役所であり、
学校であり、公民館でもあった。

それだけ、各地域に根ざしていた。

しかし、現在はどうであろうかexclamation&question
だいぶ、「お寺離れ」が、
進んでいるような気がするダッシュ(走り出すさま)

また、お寺も、いろんな諸条件により、
存続していくのが、難しい状態にあるダッシュ(走り出すさま)

しかし、社会全体からみれば、
お寺なり、お坊さんの本来の存続する
意味に、立ち返れば、
今こそ、彼らが必要な時代はないexclamation
ように思う。

お坊さんというのは、本来は、
けっして葬式等の、請負業ではないはずだ。
人の生き方、もしくは人が抱える
煩悩」を和らげる、存在であると思う。

 今は、多くの人が「生きる意味」もしくは、
生き甲斐」を無くし、さまよっている
ような状態ではないだろうかexclamation&question

毎日のように、ビックリするような事件が
起きているexclamation

また、うちの会社の85歳になられる会長が、
豊になったぶんだけ、心が貧しくなった
と、なげいておられた。

うちの会長は、毎朝3kmほど、
ゴミを拾ってまわられる。
そして、毎日同じ場所に、毎日同じ空き缶が
捨ててあるらしい。
明らかに、同じ人が、同じ場所に、
毎日、捨てているようだexclamation&question

また、高速道路を走行中でも、
前の車の窓から、平気で
空き缶が捨てられるちっ(怒った顔)

人々の心は、貧しくなってきた。
それは、自己中心的で、
心のあり方としては、
幼稚になってきたのでは、
ないだろうかexclamation&question

このような世相の中、
心のあり方を説く、お坊さんの
存在が、非常に必要では、
なかろうかexclamation&question

ちょっと、長くなってしまった。

次回に、一風変わったお坊さんの
紹介をしたいと思います。

懲りずに、みてちょーよわーい(嬉しい顔)




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宗教の仕事(3)

 
 うちのおじいさん、おばあさんが
いつも、何かあるたびに、言っていました。
ご先祖さんや、氏神さんが守っとってくれとるexclamation

何か霊的なモノに、常に守られている
という感覚exclamation
それが、仏教からくるモノなのか、バッド(下向き矢印)
それとも神道的からくるモノなのか、
よくわからない。

守護霊」というような、
感覚なのかもしれないexclamation&question

私自身も、気恥ずかしいが
亡くなった祖父母と氏神さんが、
いつも、見守ってくれている

のではないかと、いつも思っている。

もちろん、見たことなどない。
なので、妄想なのかもしれないexclamation

しかし、「嘘」か「本当」かは、別にして、
そのように思う感覚が、
私自身に、プラスに作用していると思う。

だれかが、「見守ってくれている」と思えば、
孤独感」が無くなる。

それに、いつも誰かが見ていると思えば、
「それほど悪いことは、出来ないな〜」というような
自分を律する心が、出てくるexclamation

それから、もう一つ大きく作用しているのが、
私自身を、ポジティブにさせてくるexclamation

人生って、楽しいことばかりではないダッシュ(走り出すさま)
むしろ、自分の思い通りにならないことの方が多いexclamation

そんな時に、どのように自分の心の中を、
スッキリさせるか、ということである。
いつまでも、「なんて私は運が悪いんだexclamation」と、
悲劇の主人公」でいても、
前には進まない。

それよりも、「これも何か意味があるんだexclamation」と
思い込み、その「何かの意味」を
自分の心の中で、探すように、
心がけている。
つまり「自分をみつめる」内省である。

たとえば、この事実を乗り越える事により、
また、新しい「何か」がつかめるのでは、
ないだろうかexclamation
とか、、、。

わたしには、氏神さんや祖父母が、
私に、その「何か」を気づかして、
くれるために、その自分にとって、
学び」となる出来事を、
用意してくれたんだと、
思うようにしている。

その根本は
「氏神さんや、祖父母が守ってくれいる」
というような、「妄想」から来る。

それが、ホントだろうと、ウソだろうと
関係ない。

「孤独感」を無くし、自律する心をやしない、
自分をポジティブにさせてくれるのではありば、
それはもう、人生を生きていく上での、
一つの、思考方法であるexclamation

少し、古くさいが、私の中では、
本屋にならんでいる、自己啓発系の本より、
上手く作用するexclamation

これも、一つの伝統的な、宗教的思考方法であり、
現代社会にとても必要な事では、ないかと思う。

こないだの「秋葉原の事件
を思い出してもらいたい。

犯人の自分本位の考え方には、
憤りを感じるが、
もし、「孤独ではない」と感じ、
犯人に自分を、律する心があれば、
防げたかもしれない。









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2008年07月25日

宗教の仕事(2)

 今日は、義理の父と、その父である
義理のおじいさんとの関係について、
語りたい。

私と、義理の父は、お互い歴史マニアであり、
同じよな思考感覚を持つので、
けっこう、気が合う。

その父が、おじいさんの7回忌のスピーチの
中で、なかなか感動させる、
父らしいな〜と思える一言があった。

父の出身は、山口県で、ある旧家の長男。
今もそこで、義理の祖母が一人で暮らしている。
父も、大学を出て、大阪の会社に就職し、
もう、40年以上、関西圏に住んでいる。

経理畑で、定年後も重宝され、
なかなか、仕事が父を解放してくれない
状態が、今も続いている。

父も、60歳になった時、
一度山口に帰ろうとしたが、
義理の祖父が、父のことを思い、
「山口なんかに、仕事なんかない。
もう少し、関西におれ」と、
いうようなことを、言われたらしい。

それから、3年ほどして、
祖父が亡くなってしまった。
そして、昨年、その祖父の七回忌。
そこで、父が来られたお客さんの前で、
こんなスピーチをして、
なかなか感動的であった。

「亡くなったオヤジ(義理の祖父)に、
何回も山口に帰ると、言っても、
「帰ってくるな」と、言い続けた。
しかし、どうも、私が帰ってくるのを
楽しみにしていたふしがある。
それを、果たすことができずに、
非常に心残りです。
しかし、私は来世を信じます
今度、生まれ変わって来るときは、
父の側で、暮らし、一生親孝行したいと
思います」


父の心の中には、「来世」とか、
生まれ変わるとか」とか、
しっかいと、仏教の世界観
染みついているようだ。
父くらいの年代になると、
平均的にそういうモノがあると思う。

本当に、「来世」があるのかというと、
私も、実際見たことがないので、分からない。

しかし、一つ言える事は、
そのような感覚を持つことによって、
父の心の中で、祖父との「別れ」という
悲しみを、少しでも和らげる効果があるのでは
ないだろうかexclamation&question

「前世」、「今世」、「来世」、
そのような感覚を持つだけで、
心を豊かにする。

「存在するモノは、存在する。しないモノはしない。」
という、唯物論だけでは、
心のすきまを埋めることは、
けっしてできないと思う。

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2008年07月23日

宗教の仕事

 最近、オヤジがふと、左斜め下
「神、仏のように生きる」と、
語っていたexclamation

オヤジも、もう71歳バッド(下向き矢印)
最近、一緒にいて、ヨボヨボしてきたなーと、
少し寂しいような気持ちになるダッシュ(走り出すさま)

そう遠くない将来、確実に
オヤジとの、別れが訪れるであろう。

おじいさんが、亡くなった年であれば、
あと7年あせあせ(飛び散る汗)
平均年齢でいけば、あと10年ほどあせあせ(飛び散る汗)

けっこう、ヤンチャしていた私を、
ここまで育ててくれたexclamation
また、私の悪行のおかげで、
いろんな所に、謝りに行ってくれたオヤジexclamation
私も、年を重ねるたびに、ありがたい
気持ちでいっぱいになる。

オヤジも、確実に「老い」ていき、「病気」になり、
」を迎える事になる。
そして、家族など、親しい人々と、「別れ」を迎えるであろうexclamation

人は、だれでも「老い」や「病気」は、つらいexclamation
人は、だれでも「死」は恐いexclamation
人は、だれでも親しい人との、「別れ」は悲しいexclamation

しかし、人間と生まれてきた以上、
確実にそれらは、起こりうる宿命であるexclamation

これらの苦しみを、少しでも和らげるには、
仏教の世界観」が、適していると思うexclamation
「老」、「病」、「死」、「別」の4つの
苦しみを、和らげるために、仏教は始まったとも聞くexclamation&question

「死んだらどうなるのか?」とか、
その逆に
「生きるとは、どういうことか?」を
説いているexclamation

確かに、宗教団体による事件は絶えないexclamation
だからといって、宗教を全否定するのは、
いささか、もったいないような気がするexclamation

 禅宗、浄土宗、浄土真宗など
日本に根ざした仏教は、すばらしい教えが
いっぱいあるexclamation
 本来の大陸の仏教よりは、、日本の風土によって
だいぶ日本ナイズされていると思う。
しかし、我々日本人にとっては、とても適した
モノに変化した、と思うexclamation

特に、年配方々には,
伝統的な日本の仏教が,
必要だと思うexclamation

「老」,「病」,「死」,「別」を、迎えるにあたり、
心の静けさを、保ってもらいたい。
そして、ゆっくりとご自分の人生をふりかえって
もらいたい。
それが、「死への旅立ち」の、
準備になるのかもしれない。

私は、最近おやじが
「線香くさい話」が好きになってきたことを、
非常に良いことだと思うexclamation

そして、出来る限り、そんなオヤジを
家族で、見守って生きたいと思う。








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