日本人の思想構造は、非常に深い、と思う
なかなか、他の民族には、理解できない。
特に、「宗教的な感覚」、もしくは、「霊的な感覚」と
いうのは、分かりずらい
なぜ、
日本人は、いろんなモノに「霊的な何かが宿る」
と、いう感覚になるのか
あまり日常生活で、意識されないが、
自然と、そのような感覚に陥っている
それは、意識してそのような、感覚を持つのではない
「日本人」として生まれて、日本の文化の中で育つと、
自然とそのような感覚が、身に付いてしまう
例えば、道端に、ネコが車にひかれて
死んでいるとする。
そうすると、我々は、自然と目をそらしてしまう
無意識にと、「気持ちが悪い」と思ってしまう。
なぜ、そう思うのか
それは、我々日本人は、[穢れ(けがれ)」の思想を
もっているからである。
「死体に、悪い霊的なモノが宿って、死にいたらしめた
いう感覚だからである。それは、無意識の中での感覚である。
どんなに親しい人の葬式でも、
その人が、入っている棺桶に近づく時は、
あまりいい気持ちではない
自然に、同じような感覚を持つからである。
それも、無意識のうちに
そのような、感覚にさせる
「何」かが、日本文化の中にはあると思う
外国では、どうも、そのような感覚と、
違うようである
たとえば、私がニュージーランドにいた時の事である。
ある日、フォストファミリーと、ある羊牧場に行った。
そこには、けっこう羊の死骸があって、羊の「ドクロ」が、
落ちている
そして、8歳になるフォストファミリーの子供が
「hide、hide、このドクロ見て
私のところに持ってくる
日本人であるわたしは、
「へ〜、気持ちわるくないのかな〜?」
と、自然に思ってしまった
まだ、ある
あるニュージーランド人の女性と、
話していたときの事
その女性は、小さな農家の生まれで、
小さいときブタを飼っていたらしい。
そして、その農家では、屠殺(とさつ)というのは、
子供の仕事で、ピストルで行ったらしい。
彼女がいうには、兄弟で順番を競いながら、
けっこう、楽しんで行っていたみたいだ。
そのことが、良いとか悪いとかでは、けっしてない
キリスト教的な文化と、日本的な文化とは、
深いところで、だいぶ違うようだ
他にもある
日本人の、「言霊」という感覚
同じである
「言葉に霊的なモノが宿る」と、
いう感覚に、自然となってしまっている
あることを、「言葉」として、発すると
そのように、なってしまうという感覚である
例えば、会社などの会議で
「もし、この事業が失敗したあら、、、」
と、話そうものなら、たちまちにして
「不吉なことを言うな
という風な、反応がかえって来るであろう
たとえ、そうなった場合のことを
しっかりと、話し合う必要性があろうと
日本人は、言葉に発してしまうと
その言葉に「霊的な何かが宿り」、
そのようになってしまう
感覚に
自然と陥ってしまう
これらは、すべてあまり意識されていない。
日本文化の中で、自然と育むものらしい
このシリーズは、まだ続きます
また、ホントに書きたかったことと、脱線気味だすが、
まあ、こんなもんかな〜
また、長なっちゃったけど、
懲りずに、見てちょーね

