私自身の事を、語ろうと思う。
私の高校時代は、無期停学3回
三年生の時は、ただ遅刻しただけでも、
「即、退学」の身であった。
だから、首の皮一枚で、
何とか卒業出来たようなバカタレで、
卒業後、大学に行くなどということは、
まったく、考えられない
身の上だった。
社会に出て、好奇心に身をまかせ、
転職し、今の会社で3社目。
29歳から、今の仕事についた。
それも、以前のホテル業から、
まったく、畑違いの
セラミック業界にである。
世間からみれば、
「頭おかしいんじゃないか
と、思うような転職であるが、
本人は、大真面目
そして、大真面目に、
仕事に取り組んでいった。
真面目にやればやるほど、
自分の基礎知識の無さを痛感する。
それと同時に、その基礎知識が
ノドから手が出るほど、
ほしくなる。
そして、働きながら、
放送大学で、化学、地学など
コツコツ基礎知識を勉強していった。
そして、5年間やり続け、
学位までとってしまった。
「必要は、習得の母である
言われるように、
必要な知識が、自分が一番必要と
している時に得ることが出来るのが、
一番である。
そう、「ノドが乾ききったときの
水のおいしさは、いつまでも忘れない
であろう。
それらの知識は、自分の心の中で、
結晶となって、いつまでも、
心に残る。
それが、一番の習得のコツであると、
私は、確信している。
また、何かを学びたい時は、
あえて、そのような環境に飛び込むのも、
一つの、習得方法なのかも知れない。
勉強の大切さにしろ、
それに対するモチベーションにしろ、
すべて、社会に出てから、
身に付いたモノである。
また、色々な知恵がついたのも、
社会に出てからである。
今振り返ると、高校の時の自分自身は、
お粗末なモノである。
その延長線上で、
もし大学に行けたとしても、
勉強する意味が、
見い出せなかった
かもしれない。、
一番、感受性の高い青春時代を、
のらりくらりと、
生きていたのかも知れない。
そう思うと、社会に出てから、
学問に目覚めたということは、
よかったのかもしれない。
今でも、何らかの勉強癖がついている。
読書も大好きである。
私にとって、「勉強」とは、
その目的意識が、優先でないと
決して、はかどるモノではない。

