2017年03月02日

入社20周年に思うこと。

昨日で、今の会社に勤めて勤続20年となる。

会社の入り口に、いつものように足を踏み入れる瞬間、
20年前はどんな気分だったのだろうか、とふと思った。

不安もあったが、それ以上に、かなり気負っていたような気がする。

振り返れば、人一倍、いろんな体験をさせてもらい、
自分で言うのも何だが、人一倍よく学んできたと思う。

それまでは、ホテルマンから、まったく畑違いのセラミックスの会社への入社。

それも、うちの社長の講演を聞いて、押しかけてきた
薄紫色のスーツを着た元ホテルマンの青年、、、。

会社もよく私のようなどこの馬の骨かわからないような男を、
いれてくれたものだと、大変ありがたく思う。

私にとっては人生の大転換であり、飛び込み入社、そして一年後に結婚と
それらの理由から、かなり私を気負わせた。

とにかく、いろんなことを体験しよう、いろんなことを学ぼうという
気持ちが強かった。

入社以来、ひたすら突っ走ってきたが、まったく畑違いの仕事なので、
自分の知識不足を痛感する。

仕事にのめり込めばのめり込むほど、科学的な知識が
喉から手が出るようにほしくなる。

そして、入社三年目から、放送大学に入り、そこで科学を徹底的に
学ぶことにした。

もちろん、仕事をしながらなので、かなりハードであったが、
何とか5年で卒業することができた。

会社としても、突然、飛び込んで入ってきたと思ったら、
大学にも行き始め、かなり生意気なこといい、協調性のない若者に、
かなり手を焼いていただろうと思う。

また、いろんな体験から、周りの人から、とても多くのことを学んだ。

特に、今93歳になられるうちの会長さん、、、。

かなり個性的な人であるが、その生きざまというモノも、
すごい味を感じる。

いろんなことを学び、いろんなことを体験し、20年がたった。

あと数カ月で50歳になるが、いい感じで50を迎えれるのではないかと思う。

まだまだ気力もあり、体力もあり、それなりの知識、知恵も身についてきた。

ある人が言っていたが、
「よく学び、よく体験すること、それらが自身の血となり骨となる」
と、、、。」

日々、その場その場で逃げるのか、立ち向かうのか、
その積み重ねで、大きく人生変わってくると思う。

立ち向かうということは、自身を追い込むことであり、
それだけ身につくことも多いように思う。

その自身で身につけたモノをどう使うか、

それは世間様に還元すること。

私がここまでこれたのも、いろんな人からいろんなことを教わってきたからだ。

だから、次の世代になるべく伝えるていきたい。

知識なんて、一人で抱えていては腐ってしまう。

それより、いいと思ったことは、周りに惜しみなく伝える、
それは知識でも知恵でもそうだ。

知識や知恵なんて、一人だけのものではない。

例えば、目の前に納豆があるとする。

この納豆を最初に食べた人は、ものすごい勇気だと思う。

多分、ありとやらゆる、このような見た目に、腐っているようなものに
いろんな人が食べれるかどうかと、トライしてきたのであろう。

そんな人類の歴史の中で、それを食べて亡くなった人もたくさんいるはずだ。

そんな中で、「納豆が食べれる」ということが、
人類の共通する知識の中で、固定されていく。

つまり、それは我々人類のの財産である。

そんな多くの犠牲や、多くの血のにじむような努力によって、
培われた知識や知恵を土台にして、今の私は生きている。

そう思えば、今自分が、習ったこと、次の時代に伝えていかなくては
いけない。

一番、働き盛りの50代に間もなく突入する。

どのように生きるのか?

どのように、より自由に幸せに生きれるのだろうか?

それよりも、自我を溶かし、自分を溶かす、
そんな生き方の方が、しあわせになれるのではなかろうか。

自分の身を溶かし、一歩踏み込んで、周りに尽くす。

それには、かなりの忍耐が必要であり、
自身の煩悩との戦いになる。

簡単なことではない。

しかし、それを積み重ねることにより、
より強い信頼関係ができるのではなかろうか。

これからは、明らかに共生の時代となる。

今までの価値観では、何もかもが上手くいかなくなってくるであろう。

地縁、血縁、社縁が崩壊し、無縁社会に突き進む中、
時代とは逆行するであろうが、周りに尽くし、
周りとの信頼関係を築くことがどれほど大事なことか。

欲望と恐怖は紙一重、、、。

本当の自身を縛るものとは、何んなのか?

すべてがつながっている。


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2017年02月26日

日本とは、日本人とは、、、。この共同体は「先人」、「英霊」の方々とも強くつながっている、、、。

 今週も、香里奈が出ているドラマ「嫌われる勇気」が
やっていたので、録画を見た。

アドラーの心理学の中で、
「嫌われる勇気」と「共同体意識」って、実は人生において、大事なことだと思う。

しかし、パッと聞いて、この両者って、矛盾しないだろうか?

実際に、ドラマの中で香里奈が演じる女刑事は、
まったく協調性がなく、とげとげしいような人物であろう。

その女刑事に、「共同体意識」と言っても、だれもが
信じないであろう。

「嫌われる勇気」というモノに、重点をおくのなら、
ただ自分勝手にやっていれば、ただのわがままな人であり、
結局は誰も相手にされなくなる。

それよりも、「公共心」を持て、ということではなかろうか。

「共同体意識」とは、私なりに解釈すれば、イコール「公共心」
ということになると思う。

人間って、どんなときに自分の存在感、もしくは
自身の人生の意義を感じるだろうか?

例えば、ドラマの中で、学校を卒業してから、
42年間警察官として働いた男性が、警察署に立てこもり、
事件を起こした。

彼の主張は、42年間警察に奉仕してきたが、
退職してみたら、まったく感謝されることもなく、
久しぶりに行ってみても、自分がいなくて、さぞ困っていると
思いきや、自分の仕事場も、大きく変えられているし、
久しぶりに合った元同僚達も、忙しくてあまり相手にされなかった。

それに、現役時代は毎年300枚ほど、年賀状が来ていたのに、
やめたらたったの7枚だけ、、、。

自分は、警察官としてしか、存在価値がないんだ、
自分の存在するスペースは警察しかないんだ、というような
そんな感覚に陥り、なんだか無性に自身の存在理由が
分からなくなり、事件を起こしてしまったとのこと。

自分の存在理由、、、。

確かに、自分の存在理由が一番分かりやすく感じれるときというのは、
誰かのために役に立っているときではなかろうか。

実は、何か自分よりも大事に思えるもののために
一生懸命になっているときというのは、自身の煩悩も
かなり薄まるような気がする。

例えば、独身時代、あれだけ着飾っていた若いお母さん。

子どもが出来れば、子どものことで一生懸命になり、
自身のことなど忘れがち、、、。

悩み、怒り、恐怖など、煩悩に心が占領されたときとの
大きな特徴としては、まったく周りが見えなくなり、
極端な自意識過剰となる。

つまり、自意識が自分に集中してしまう。

その逆で、自分のことはそっちのけで、他のことに
意識が集中していると、視野が広くなり、
心が穏やかになる。

人に役に立つ、人にあてにされる、もしくは自分よりも
大事なモノ、その「他者」というモノを、何処におくのか?

それともう一つ大事なことは、例えば他者のために何かを
やっても、「なんか、なんも感謝されへんし、馬鹿馬鹿しい」
と、感じることも事実である。

ドラマの中では、見返りを求めないというが、
それも人間である以上、なかなか難しいのではなかろうか。

また、「共同体意識」、、、とは言うが、その共同体に
どれほどシンパシーを感じることができるのか?

それは、イコール何処まで「仲間意識」をもてるのか?
ということにつながってくる。

常に仲間が、各々自分のことしか考えずに、わがままな主張ばっかり
されていたのでは、「もう勝手にしろ」ということになる。

実際に自分から共同体意識を持とうと思って、
ひたすら頑張っても、ぶち当たるのは、
仲間の理不尽な態度、自分勝手な主張、何も見えてない理解力のなさ
などなど、いやになることばかりになる。



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これは、鹿児島の開聞岳山頂から、南の海を撮った写真である。

この開聞岳のふもとに、特攻隊の知覧基地があった。


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そして、その特攻隊の人たちが、南の沖縄方面に旅立つときに、
この開聞岳を富士山に見立てて、翼をふって、
日本に対して、別れの挨拶をしたとのこと。

その跡地には、「知覧特攻平和会館」があり、数多くの特攻で
なくれた方々の遺書がある。

その人たちは、たかだか二十歳前後で書かれた遺書の数々、、、。

それを読むと、正直な話、自分が恥ずかしくなる思いだ。

死が目の前にあり、自分の死、そして自身の限られた命、
何のために死ぬのかという自分の自我に対して、
トコトン向き合った人たちの文章のように思う。

確かに、「彼らは洗脳されていたから、
その洗脳をした軍部が悪い」
というような意見をよく耳にするが、
ただそれだけみるには、あまりにも了見が狭いように思う。

歴史とは、[his-story」であり、勝った方のものである。

日本の歴史、地形、風土、文化、思想、気候
あらゆる観点から見て、「強固な共同体」存在し、
そこから生まれる「仲間意識」というのは、かなり強いものが
あったはずだ。

「仲間を信じられるか」どうかで、自分よりも大事に
思える共同体が生まれると、私は思える。

山口県のあの人間魚雷回天の記念館に行ったとき、
戦争で生き残った人の話を聞く機会が合った。

そんな時、必ず私がする質問というのは
「死ぬのが怖くなかったんですか?」
と聞く。

その時、その記念館の老人は
「自分が生きる死ぬというようなことを言っている場合ではなかった。
多くの兵隊達は、若い自分の世代で何とかしなくては
という気持ちが強かった」
と、、、。

一昔前の、例えば地域の農業用水、土地改良、それに
成功した会社や組織の雰囲気をみれば、何が彼らの
心の支えになったのか?

ただ、自分のよくだけでは、もっと大きな格差を生み、
犯罪や衛生などなど、劣悪な社会になっていたはずだ。

海外に住んだ経験のある人が、真っ先に感じることは、
自分が日本人であるということ、、、。

そして、日本のすばらしさを実感するのではないだろうか、、、。

それは、きれいさ、礼儀正さ、勤勉さ、協調性、犯罪のなさ
などなど、明らかにすぐれているところが一杯ある。

日本に2年ほど滞在したことのあるニュージーランド人の友人が
言っていたが、「多くの日本人は自分の国のすばらしさ知らなさ過ぎる」
というようなことをいっていた。

私が知り合ったニュージーランド人、台湾人、マレーシア人、
シンガポール人、オーストラリア人、韓国人、中国人などなど、
日本人のよくよく知っていた。

日本って、とても特異ではあるがすばらしい国だ。

それには、外国ではまれば、
仲間意識を持てる日本という共同体が長いことかけて、
出来上がってきたからだと思う。

そして、そんな日本で培ってきた仲間意識、
それをささせる思想、宗教、自然との接し方、物をトコトン大事にする考え方
などなどこれから世界で非常に重要になってくる。

むしろ、あの戦争で負けたことさえ、
これもこれからの世界貢献にもつながる大きな意味を
持つような気がしてならない。

特攻隊の英霊をどのように見るのか?

ただの「洗脳された犬死」扱いでは、
あまりにももったいない。

見返りを期待せず、ただひたすら自身の考えを持って
共同体に貢献していくというのは、非常に難しいことだ。

どうしても、現代社会の中では、
理不尽な要求、わがまま、思慮の狭さ、などなど
人間のいやなことに接しなければ、ならなくなる。

そんな時に、「勝手にしろ」という気持ちを乗り越えて、
共同体意識を持ち続けるというのは、非常に難しい
ことであるが、しかし、この日本を造ってくれた人、
多くの先人、英霊の方々は、それは強い奉仕の心が
あったと、歴史を見れば分かる。

共同体意識、仲間意識の対象とは、ただ現在生きている人たちだけでは
ないように思う。

我々は、英霊、先人の方々から、この日本を引き継いだ。

そして、次の世代に引き継がれていく。

例えば、原発の問題でも、その原発の一番恩恵を受けているのは、
我々の世代であり、その後の核のゴミというのは、
次の世代、またその次の世代と、とてつもなく長い時間、
引き継がれていくことになる。

ある人が言っていたが、
「我々は未来の子供たちにこの土地を借りて生きている」
と、、、。

深い言葉だね〜。



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2017年02月19日

世の中をどのように見るのか?自身のモノサシ(主観)が変われば、人生、大きく変わる、、、。

先日、ダウンタウンの浜ちゃんが司会をしている
俳句のテレビを見ていた。

その俳句の題材は、河原の土手につくしが生え、
そのバック雄大な富士山がそびえたつ。

そんな中で、うちの嫁が、即興でこんな俳句を作ったが、
なかなかいいできばえだ。。

寝ころべば 富士とつくしの 背くらべ

ちょっとびっくしたが、うちの嫁にそんな才能があるとは、、、。

私は、けっこう写真を撮るのが好きだ。


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この写真は、海側から名古屋の街を手前に、御岳山にピントを
合わして撮ると、御岳山が実際よりも大きく写せる。

名古屋のような巨大な都市も、このような御岳山のような山々に
水源を依存している。

そういう意味でも、このような山々はとても偉大であり、
それを表現するうえでも、いい写真が撮れたと思う。

つくしと富士山の写真でも、寝ころんで、視点を下げてみれば、
富士山とつくしの高さが同じくらいに見える。

何が言いたいのかというと、人間って、ピントを変えてみれば、
世の中がまったく違って見えてくる。

例えば、背が低いことにコンプレックスを感じている人がいるとする。

こんな感じに見れば、まったく違って見えるではなかろうか。

逆に、世の中を見るうえで、公平に客観的に見ることができず、
いつも自分に都合よく世の中を捻じ曲げてみる人もいる。

結局、人間というのは、自分のモノサシ(主観)により、
まったく違って見えてくるし、そのことにより、大きく人生が
変わってくる。

他の人と比べて、自分が劣っているとか、不幸だとか思っている人でも、
果たして本当にそうなのか?

体の不自由な人に比べれば、手が動く、足が動く、目が見える、耳が聞こえる、
ウンチが出る、シッコでる、これらのことって本当ならば、
ものすごくありがたいことではなかろうか。

今は、スーパーに行けば、食べ物にあふれている。

外食産業もかなり普及し、飽食の時代だ。

これって、昔からそうだったの?

世界的に、どこでもそうなの?

と思えば、これがどれほどありがたいことか。

幸せを感じることができるというのも、その人の人間力だと思う。

人間だれでも、コンプレックスがあり、煩悩に苦しめられている。

しかし、なるべくそれらを薄め、なるべく心をフリーにできる人と、
そうでない人では大きく出せる力が変わってくるように思う。

また、自分のことを中心にしすぎれば、周りが見えず、
自身の成長は鈍くなる。

自分の見方を変える、モノサシ(主観)を変える、
これにより大きく人生変わる。

簡単なようで、そんなことなかなかできるものでもない。

一番大事なことは、日々いろんな経験すること、
日々よく学ぶこと、それしか方法がないし、そのような気持ちで
10年もやれば、かなり変わってくるような気がする。

神様は、常に必要なモノをあなたに与え続けている。

「神」という概念も、上手に自分の中で使い切れば、
より考え方がすっきりするのでは、、、。


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2017年02月08日

石油文明の終焉とその後の世界とは、、、。

福島第一原発2号機の格納容器内で530シーベルトの線量を
計測されたとのこと。ヒトは7シーベルトを浴びると即死とされているが、
果たしてこれをどのように取り出すのか。

費用の方も、今後どれほどかかるのか?

この現実からしても、地震、津波、噴火、台風、洪水などなど
天災大国日本で、原発が行えるのか。

地図をよくよく見ていただきたい。

40年を超える原発が立ち並ぶ日本一の「原発銀座」と呼ばれる若狭湾、、、。

その若狭湾から、若狭、琵琶湖、関ヶ原、この濃尾平野と[伊吹おろし]という
強風にさらされている。

日本列島は、その中央部に背骨のような高い山脈が連なっているが、
一カ所だけそれが途切れているところがある。

それがこのラインである。

そして、冷たい大陸からの寒気団が、暖かい太平洋側へ
と、強風となって、通り抜けていく。

若狭湾と琵琶湖間の距離をじっくりと見ていただきたい。

数十キロメートルである。

高い山もなく、強風が原発のある若狭より、琵琶湖に強く吹き付けている。

もし、その山の南斜面に雨が降れば、琵琶湖に流れる構図だ。


ということは、水源から見れば、数十キロメートルの原発銀座と琵琶湖の距離も、
そう考えると約半分となる。

盆地状の琵琶湖の水源とは、周りの山々であり、その周辺の山々に降り注いだ
放射性物質が琵琶湖に集まることになる。

そして、その琵琶湖とは、京阪神1450万人の大事な大事な水源である。

今後のエネルギーをどうするのか?

歴史を見れば、エネルギーが変われば、社会も思想も共同体も
文明そのものが、大きく変わる。

今の人類の繁栄というのは、石油文明と言える。

石油ももとをただせば、太陽光エネルギーであり、何億年とかけて、
藻類の光合成により溜め込んだ
太陽光エネルギーを、今、一気に使い切ろうとしている。

石油という缶詰をあけたことにより、莫大なエネルギーを得た。

しかし、それは近い将来、必ず使い切ってしまう。

今は、人類にとって、バブルだという。

莫大なエネルギーを得たことにより、ありとあらゆる資源を
掘り起こし、ほとんどの資源が枯渇が近づいている。

莫大なエネルギーのために、人間の活動がドンドンと活発になり、
「自由」という概念が強調される思想が強くなった。

アメリカの建国の理念
「人間は、神から幸福を追求する権利を与えられている」
とされ、そのアメリカで石油が見つかり、一気に石油文明が
広がっていく。

しかし、どう考えても、今、このような文明は保てない。

温暖化、異常気象、それに確実に化石燃料は枯渇する。

何億年前の太陽光ではなく、今の太陽エネルギーをどう集めるか使うのか?

地球上に降り注ぐ、莫大なエネルギーであるが、薄く広く分布する
太陽光エネルギーを、どのように集中させるか?

明治の頃、あの電話を発明したアメリカのグラハム・ベルが
「日本は豊かなエネルギーを保有している」
と、語ったらしい。

実は、彼は地質学者であり、一流の科学雑誌である「ナショナルジオグラフィック」の
編集責任者だった。この雑誌は、現在でも、地質学、地理学および
環境分野の第一級の専門誌である。当時、彼は地理学に関して
世界的にも有数な権威だった。

それは、雨が多いこと、そしてその雨が国土の70%の山岳地帯に降り注げば、
それは位置エネルギーを得たことになる。

水力というのも、元をただせば太陽エネルギーである。

太陽光により海水などが温められ、それが水蒸気となり雨が降る。

その水蒸気が雨となり、山々に降り注ぎ、湧き水となり、無数の渓流から谷に存在する川に
集められてくる。

その川の上流である谷にダムを造って、水を貯めればということは、
大量の位置エネルギーを得たことになる。

三十年ほど前、御岳山に登ったときに、その山頂付近に、
コカ・コーラの自動販売機があった。

そのコーラをどのように運ぶのかというと、男の人が背中に背負って、
運んでいたのを見たことがある。

重たい自動販売機の飲料水を山の頂上に運ぶというのは、大変な労力である。

もし、その仕事をヘリコプターなどで行っても、
大変なエネルギーを使うことになる。

水を下から上にあげるというのは、重力に逆らうことになり、
大変なエネルギーを使うが、逆に上から下に流れていくには、
エネルギーを得ることができる。

その大量の水を山の上にあげるということを、、日本を取り巻く水の自然環境が毎年、
毎年当たり前のようにやってくれている。

山に積もった雪もそうである。

まさに、ダムに溜められた水というのは、石油と同じである。

その水力が、まったく有効に使われてないという。


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元国土交通官僚、元国土交通省河川局長でダムの専門家である竹村公太郎氏の
著書、「水力発電が日本を救う・今あるダムで年間2兆円超の電力を増やせる」
という本であるが、一気に読み切った。

竹村氏は、ダムの専門家であり、水力発電のスペシャリスト、自身もダムを
3つもつくってきた人が、いったい何を語るのか、非常に興味深く読んでいるが、
今あるダムというのは、法律に縛られ、まだまだその能力からして、
半分も使われていないという。

さらに少し手をくわえるだけで、さらに多くの電力が得ることができるという。

竹村氏自身も、もう新しいダムができる時代ではないという。

財政的にも、もし新しいダムをつくろうとすれば、莫大なお金がかかる。

しかし、そのかかるお金の大部分が、立ち退く人たちの保証や
周辺の道路などであり、実際の建設費用というのは、全体のほんの一部だという。

例えば、武村氏は、現在あるダムの嵩上げを提案している。

その嵩上げの方法も本の中にかかれてあるが、たかが10%嵩上げしただけで、
水力発電により、倍の電力を得ることができるという。

水力発電の原理として、その溜められている水の量、落差がとても関係してくる。

ダムというのは、山と山の谷間をせき止めて造られたもの。

ということは、底へいけばいくほど、狭くなり、溜めてある水量が少なくなる。

上部の嵩上げというのは、はるかに効率的に水量を増やすことができる。

落差も稼げるし、水量が増えれば発電効率が向上する。

それを、新たなダムを作ると莫大なお金がいるが、
今あるダムを嵩上げすれば、ダムをもう一つ造ったくらいの効果があるという。

そう考えると、今のダムは高度経済成長期に、急増する水需要にともない
次々に建設された。

いわば、既存のダムというのは、高度成長期の「遺産」とも言える。

その先人たちが残してくれた大事な大事な遺産を、もっともっと有効に使える方法が
あると水力発電の専門家が語っている。

また、大部分の国というのは、大きな川によってつながり、そのような
ダムを建設したり、水力発電をよろうと思うと、国境を越えて、
国と国との抗争になりかねないし、現在も水利権等の問題で
いくつも国が終わることがない争いの最中だ。

戦後、水力中心だったのが、60年代より中東より、
安い石油が入り始めた。その後、原子力へとつながっていくが、
その大きな流れの中で、水力発電が埋没していったように思う。

水力は、まだまだ掘り起こせる余地が十分ありそうだ。

「人類のバブル」ともいえる石油文明の中で、人間の活動がどんどんと活発になる
膨張社会の中で、自由、人権というような価値観が強調されてきた。

しかし、これからは明らかに限られた資源の中で、
生き方を見いだしていかなくてはならない。

そんな中で、どのような生きがい見つけていくのか?
どのような、価値観を見出していくか?

限りない我欲を追求していっても、満足感が得られないのは、
なんとなく多くの人にわかってきているのではなかろうか?

それよりも、自分を忘れること、自我を薄めること、
その方が、自身の煩悩を薄めることにつながるような気がする。

その自分を忘れるには、どうしたらよいのか?

それは、周りのために生きること。

自分より大事なモノがあれば、自分を忘れることができる。

ほんの一昔前の日本人は、とても公共心が強かったように思う。

もしかしたら、自分自分という生き方よりも、
社会のためとか、家族のために生きた方のが、心がすっきりするのでは
なかろうか。

石油文明は、必ず終わる。

そして、自然エネルギーを中心にした共生社会に変わるしかないほど、
人類は追い込まれている。

その共生社会にどうしても必要なのは、信用の構築である。

ある仏教の教え、
地獄でも極楽での、大きな釜でうどんをゆでている。

そのうどんを1メートル箸で食べなければならない。

極楽では、互いに助け合い、互いの口にうどんを運んで、
みんな満腹になれる。

しかし、地獄では、先にと競って食べようとするので、
結局、だれもうどんを食べることができず、みんな餓死してしまう。

この違いは何なのか、その共同体に、互いに信用があるのか、ないのかでは
なかろうか。

信用がなければ、各々が猜疑心のかたまりとなり、
地獄のうどんのようになってしまう。

一歩、周りのためにアクションを起こしてみては、、、。

それが一人一人ができる小さな一歩であるが、
必ずそういう時代が来る。

なぜそのようになったのか?

ある人の言葉であるが
「我々は、未来の子どもたちに土地を借りて生きている」
と、、、。
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2017年01月29日

幕末ラスト10年、長州の大躍進!もしかしたら「石炭」というカードが大きく作用したのでは、、、。

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この水力発電が日本を救う 今あるダムで年間2兆円超の電力を増やせる 
   元クコ度交通省河川局長 竹村公太郎

の中に、歌川広重の「東海道五十三次」の日坂宿(現在の静岡県掛川市)と
二川宿(現在の愛知県豊川市)の絵である。(P.109)

背後の背景に、木がポツンポツンとしか描かれていない。

さらに、江戸時代の当時天領であった天竜川流域の木材伐採量の表があった。

広重ほどの絵描きが、あからさまに手抜きをしたとも思えないし、
しっかりと管理された天領である天竜川流域でも、木を伐採しつくし、
江戸時代後期からは、著しくその伐採量が減少している。

江戸末期には、かなり森林が消滅していた。

黒船が来たとか、尊王攘夷とか、明治維新について、
色々な解釈があるが、エネルギー面から言っても、行き詰って
いたことが分かる。

話しは、変わるが、私の義両親は現在、山口県宇部市の昔ながらの
山陽道の宿場街に住んでいる。

そこの風景を見ると、いつも不思議に思うのは、古い家など
外壁がレンガで出来ている。

レンガなんて当時は、かなり高級品だっただろうに、
なぜ、一般庶民がこのようなレンガを使えたのだろうか。

それは、ここら一帯が、昔石炭の産地であり、
燃料があるのでそのようにレンガを使えたのではないかと、
推測していいた。

山口と言えば、長州、、、。

なぜあの幕末にあのように大暴れできたのか、
いろんな説がある。

関が原で破れて、その260年間の恨みが爆発したとか、
吉田松陰の革命思想が開花したとか、いろんな説があるが、
エネルギーの面から見ると、非常に面白い。

これから話すことは、あくまでも私の妄想である。

黒船が来た。

その黒船は、石炭で動く。

さらに、その後、外国との交易が盛んになり、国内でも蒸気船を
持つ藩が増えてくる。

さらに反射炉など、複数の藩で実験や稼動し始めている。

ということは、さらに石炭の需要は上がる。

これは、あくまでも幕末、江戸時代の最末期の10年ほどに
限っての話しである。

開港など、外国との交渉がその時代活発に行われてた。

外交交渉の延長線上には、戦争がある。

軍事力が外交交渉の一番の決め手になるであろう。

そんな時に、外国から来た軍艦の兵站線とは、いったいどうなるのか?

たとえ、軍艦が物資や石炭を積んだ貨物船を遠くから運んできたとしても
それを狙われれば、一発でやられてしまう。

馬関戦争のとき、関門海峡で長州藩がコテンパンにやられた。

しかし、その後、上陸した外国部隊が陸上で果たして勝てたのだろうか?

当時、九州などの大名が行き来した天下の公道「山陽道」を見たことがあるが、
今でいう片側一車線ほどの幅で、舗装もしてない土の道であり、雨になれば
ぬかるむであろう。

その両脇には、ぬかるんだ田んぼが拡がり、ところどころに川で切断されている。

当時の川とは、帆掛け船が通るため、橋がかけられていないところが多く、
工兵を引き連れないと、陸戦は難しい。

薩英戦争でもそうだが、確かに鹿児島の街は打撃が大きかった。

その後、陸戦になり、ゲリラ戦ともなれば、起伏の激しい日本の大地では
外国勢力に勝ち目はないように思う。

それも、戦う側の士気次第になるが、薩摩も長州も士気の上では、
清のアヘン戦争とは、まったく違っていたであろう。、、。

しかし、老獪なイギリスは、そんな時、必ず内乱を引き起こす為に、
反対勢力に加担する。

なんであそこまでやられたとされる馬関戦争、薩英戦争で、
領土もとられることもなく、ことが収まったのか?

イギリスは、幕府に立ち向かう内部の勢力が欲しかった。

ここまでは、多くの歴史学者がかたられることであろうが、
さらに言うならば、長州の「石炭」、これが大きかったのでは
なかろうか。

私がその石炭のことを語るのは、明治維新後ではなく、
活発に外国との争い・交渉が行われた最幕末のラスト10年間ほどの
時期の話である。

北海道や九州などで、日本で本格的に、石炭鉱山が開かれるのは、
維新後であり、その当時石炭を掘っていたのは、限られてくると思う。

イギリスにしてみれば、石炭を当時持っていた藩がいたとしても、その藩が幕府寄りならば、
いざ国交が断絶したときに、石炭の供給が途絶えることにもなる。

もし水戸藩が石炭を持っていたとしても、
あまりにも幕府に近く、すぐに見つかってしまうであろうし、
近畿、東海、北陸、関東、東北では無理であろう。

そうなると、やはり限られてくる。

長州藩では、塩を作る燃料として、細々と江戸の中期から
石炭が掘られていたとのこと。

うちの義理のオヤジなどは、石炭で風呂をたき、飯も炊き、
比較的この地方では、昔から石炭が日常的に使われていたようだ。

イギリスにとって、もし長州藩を味方につけるということは、
石炭の補給基地にもなる。

そうなると、幕府との長期戦もできるようになり、「石炭」という
カードが開港などの交渉の過程で、大きなカードになるのでは、、、。

なんで絶対絶命の長州に対して、薩摩が同盟を結んだのか?

薩摩も当時、蒸気船を持っていた。

では、その石炭をどうしたのか?

黒船が来て以来、江戸最末期、かなり石炭の需要が高まったはずだ。

その時に、その「石炭」は各藩どうしていたのだろうか?

日本に来ていたイギリスなどの外国勢力は、いったいどうしていたのか?

その辺りを調べると、もしかしたら、新しい歴史の見方ができるかもしれない。

これは、あくまでも私の妄想であり、最幕末のラスト10年に限定した
話しである。

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「嫌われる勇気」もしかして、そのことがあなたを自由にするのでは、、、。

 最近、香里奈が出ているドラマ「嫌われる勇気」が
やっている。

ドラマの中で主人公の香里奈演じる女刑事が
「その推理、明確に否定します」
とか、はっきりとものを言う。

たしかに、日本社会では、そのような物言いは、
カドがたち、たちまちに浮いてしまう存在になるであろう。

私は、けっして人と対立することを望ましいとは思わない。

むしろ、人間とは、これほど互いに依存しながら、共同社会の中でしか
生きられない生物もいないと思う。

私は、今、暖かいダウンジャケットを着ている。

果たして、これが自分で作られるかというと、できないし、
だけかが作りそれを販売する人から買っている。

ということは、生活していくうえで、暖かいそのジャケットが必要ない上、
私はそのジャケットを作って販売している人に依存していることになる。

そのようなモノでも深く互いに依存しながら人間は生きている。

また、こんなことも言える。

狼に育てられた少年が、狼のような習性を身につけ、四足で歩くという。

中国人は、中国人らしく、我々日本人は、周りの空気に気を使いながら生きていく。

ある精神科医が
「人間とは、周りから著しく影響を受けている」
と、言っていた。

まさに、その通りであり、周りと協調していかなくては、
生きていけない。

しかし、思い切って勇気を振り絞り「NO」といわなければ、ならない時って、
人生においてあるように思う。

例えばこないだマンガ「課長 島耕作」を読んでいた。

その中に、初芝電器始まって以来の出世街道まっしぐらの平井室長が登場していた。

平井さんは、井上副社長の紹介で結婚し、高校生の女の子、
中学生の男の子がいる。

出世街道まっしぐらの平井さんでも、家庭の中はグチャグチャ、、、。

高校生の女の子は、誰の子かわからない子を妊娠中、、、。

中学生の男の子は、登校拒否で、家の中で暴れ放題、、、。

奥さんは、ヤクザの愛人、、、。

そして、そのヤクザに奥さんの卑猥な写真を公表されたくなかったら、
「5000万円用意しろ」と、脅されている。

平井さんは、はっきりと言って奥さんにはもう愛はない。

しかし、井上副社長の紹介であり、その副社長グループのホープである
平井さんは、離婚することが出来ず、5000万円用意した。

そこで、奥さんと話し合うことになった。

奥さんの卑猥な写真で、ヤクザに脅されていることを話し、
ヤクザと別れるように説得する。

しかし、その奥さんは下半身裸になり
「こんな私でも抱くことはできる。あの人は、こんな体でも
いとおしく愛してくれるわ」と、酒の飲みながら、自分の下半身を
さらけ出す。

そこで、平井室長も、とうとう奥さんと別れることを決意し、
ヤクザに5000万円払うことを拒否した。

そしたら、その奥さんの卑猥な写真が、会社の正面玄関に
大きく貼り付けられてしまった。

怒った井上副社長が平井部長を呼び出し、平井さんは副社長の
紹介の奥さんと別れたことを告げる。

そして、平井さんに、自分のグループから去ることを告げる。

しかし、その後、子供たちと三人でアパート暮らしが始まる。

奥さんと分かれた経緯、今後のことについて、真正面から
子供たちと話し合い、親子関係が上手くいくようになった。

さらに、仕事の面でも、気の合う島さんや中沢部長らと親しくなった。

出世一筋、そのために犠牲にしてきたことって、計り知れないのかもしれない。

奥さんと分かれたことというは、平井さんにとって、井上副社長へ
「NO」と同じことになる。

しかし、家族と向き合えることが出来た。

さらに、今まで見えなかったものが見えてくる。

群れか離れるのって、我々日本人にとって、非常に恐ろしいこと。

しかし、その群れに属していると、果たして本来の自分というモノを
見失ってしまうのでは、、、。

上手くいえないが、リスクをとらないと緊張感は生まれないし、
視野がまったく変わってくる。

まさに、「群れから離れる勇気」も必要なときってあると思う。

もう一度言うが、けっして人間関係をぶち壊せというのではない。

ぶち壊さないためにも、最善の努力が必要であるが、
人生において、ぶち壊すぐらいの勇気が必要なときがある。

人間関係をぶち壊さずに、自分の主張を言うのは、やはり日頃の行いが
大事なような気がする。

譲れるところは、徹底的に譲る。

夫婦でも家族でも仲間でも、その中で「こだわり」と「協調」というのは、
反作用する。

本当にその「こだわり」って価値があるのだろうか、
そこでその「こだわり」を協調する必要があるのか、
そのことを常に問いかける。

こだわりもよくよく洗練する必要があるし、他に預けるのも、
大事なことであり、それにも人間力が必要だ。

「協調」と「こだわり」、バランスよく生きていくために、いろんな知恵が
必要になってくる。

斉藤ひとりさんが人生ってなんのためにあるのかというと、
「知恵と忍耐を学ぶ」ためとのこと。

そのためにも、勇気がどうしても必要になってくる。

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2017年01月24日

ドナルド・トランプ新大統領「我々は、マスメディアと戦争をしている」と、、、!

 連日のように、新大統領であるトランプたたきの報道が
繰り広げられる。

しかしどうだろうか?

私なんか、このようにたたかれる政治家ほど、頼もしいというのか、
「本気で戦おうとしているんだ」と思えてならない。

こういう見方をする人って、すでにかなりの数いるんじゃないのかな〜。

小沢一郎さんの冤罪事件の時など、マスコミ報道というのは、ひどいモノだった。

まったくのでたらめであり、ああも嘘八百を並べられるもんだな〜と、
あきれ返った。

トランプ氏に近い人が、
「マスコミは、最も不誠実な人たち」
と言っていたが、まさにその通り!!

日本人って、基本的に「新聞で取り上げられるぐらいだから〜」
くらいに、新聞、テレビなど徹底した取材のもと、報道されるものだと
信じ込んでいる。

私もそうだったが、それは全く違った。

マスコミ各社にも、スポンサーはいるし、株式会社である以上、株主の意向に
逆らうことなどできない。

そんな中、もしあなたが、ドナルド・トランプであったなら、
あれだけマスコミにたたかれ、耐えれることができるだろうか?

連日のように、テレビに映り、ファシストだの、女性蔑視者だの
家族だっているのに、そんなこと耐えられるだろうか?

彼本人の立場に立ってみれば、ものすごくプレッシャーであり、
相当腹をくくってやらなければ、地獄の底に引きずり込まれる。

この先、どうなるかわからない。

裏を返せば、1%と99%の戦いが壮絶に繰り広げられているということだ。

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2017年01月20日

吉宗か?、宗春か?森林消滅の危機という面から見れば、その評価はさらに反転するのかも、、、。

多分多くの人に、このような質問をするとする
 
「現在と江戸時代の日本の森林は、どちらが豊かだっただろうか?」

と、、、。

多くの人は、「そりゃ〜、江戸時代に決まってるじゃん」
というと思う。

しかし、驚きの事実が発覚した。


IMG_2181.JPG


この「水力発電が日本を救う 今あるダムで年間2兆円超の電力を増やせる 
   元クコ度交通省河川局長 竹村公太郎」
の中に、歌川広重の「東海道五十三次」の日坂宿(現在の静岡県掛川市)と
二川宿(現在の愛知県豊川市)の絵である。(P.109)

背後の背景に、木がポツンポツンとしか描かれていない。

さらに、江戸時代の当時天領であった天竜川流域の木材伐採量の表があった。

広重ほどの絵描きが、あからさまに手抜きをしたとも思えないし、
しっかりと管理された天領である天竜川流域でも、木を伐採しつくし、
江戸時代後期からは、著しくその伐採量が減少している。


IMG_2184.JPG


この養老孟司氏と竹村公太郎氏の
「本質を見抜く力 環境・食糧・エネルギー」の写真の数々を
紹介されている。

江戸のすぐ後の明治の写真であるが、その当時も森林が回復して
おらず、急な斜面で、涙ぐましい砂防と植林事業を行ってる様子が
うかがえる。

森林(薪)から石炭、石油へと日本のエネルギーが変わってきた。

今の日本の森林は、外からエネルギーがあるからたもたれていると
いえるのかもしれない。

現在でも日本の森林の約4割ほどが、スギなどの人工林である。

そう思うと、エネルギー源が薪の時代に、ドンドン使い切ってしまい、
その対策として、生長の速いスギなどを植えたのであろうと推測できる。

むしろ、山奥の取り出しが困難なところは別にして
川などが存在し、運び出せるところの樹木は、ほとんど伐採されて
しまったと考えるのが、妥当なのかもしれない。

幕末に日本に訪れた外国人が、森林が消滅仕掛けているのには、
驚いたと語っていたとのこと。

森林の消滅の問題は、もっともっと古い時代からあったらしい。

古代近畿地方で、建設ラッシュが起こったときに、木を切り倒したら
必ず植えるという世界初の環境保護法ができたとのこと。

飛鳥京、藤原京、平城京など遷都が続いた奈良盆地では、
やはり森林が枯渇し、遠く紀州の先から、琵琶湖の奥まで、樹木を
求めたとのこと。

戦国期にも、西日本ではすでに森林が枯渇し、関ヶ原で勝利し、天下を取った
家康がなぜ便利で、豊臣、島津、毛利などのライバルたちに目が行き届く、
京都・大坂あたりを立ち去り、江戸に移っていったのか?

開発途中の関東平野には、当時莫大な森林が残されていたらしい。

エネルギーの限界が成長の限界である。

さらに、エネルギー源の量により、人口も決まる。

奈良の時代で、一人当たり10本、江戸時代には20本、
人間一人当たり、一年間にそれほど樹木を消費していたとのこと。

そう考えると、江戸時代の前半に、日本の人口も1200万人から
3000万人に増えたとのこと。その後、頭打ち、、、。

幕末の頃には、エネルギー資源である森林が枯渇していたという説が
正しいのかもしれない。

その後、エネルギーが森林から、石炭に変わる。

北海道、九州地方など、日本の地下には、石炭が埋まっていた。

それに、急速な工業化と人口増加が可能になったのかもしれない。

エネルギー面からしても、明治維新というのは、必要だったのかもしれない。

歴史を見るうえで、エネルギーなどのインフラ枠組みから
どうしても抜け出ることはできない。

限られた資源であるならば、社会全体から、思想・宗教なども変わらざるおうえない。

むしろ、ざっくり言えば、エネルギーが何なのか、量はいかほどなのかで、
その地域の思想、宗教というモノが決まっていくといえる。

今は、世界のほとんどの国でアメリカの自由主義というのか、
石油文明というモノがいきわたっている。

二百数十年前、ヨーロッパ大陸から、宗教的束縛、階級的束縛から
逃れ、新天地アメリカに理想をもって、移り住んだ人々。

アメリカの建国の理念とは、
「人間は、神から幸福を追求する権利を与えられている」
とされた。

それを可能にしたのが、石油である。

石油がまさに人間に大きな力を与え、彼らが追求する
豊かさ(幸福)というモノが、手に入ったかに見える。

もし、石油がアメリカで見つからなけれれば、もう少し
細々とした国家であっただろうし
それほど自由主義というモノが、絶賛されなかったように思う。

これも、莫大なエネルギーのより、膨張する人類に適した
思想・宗教が人類に反映したといえる。

しかし、世界はもうそれほど、成長・膨張できない。

莫大なエネルギーのおかげで、ありとあらゆる資源が枯渇に近づいている。

顕著なモノで、地下水、、、。

現代農業を支えるリン鉱石、、、。

石油も石炭も天然ガスも、あと百年存在すると思えないし、
温暖化やあらゆる環境問題が顕著にあらわれてきた。

そんな中で、どうしても新たな価値観というモノが、必要になってくる。

では、エネルギーが減少する環境の中で、育んできた
思想とは、、、。


「足るを知る」って、禅宗の言葉だよね〜。

「あるがままを受け入れる」、「各々の道を極める」
これも禅宗の思想であるが、アメリカ主義の幸福を追求する思想よりも、
かなりもっと自我から離れ、心の内側を開発する思想体系等いうのだろうか、
とても、次の時代に適しているような気がする。

日本人の思想というのは、禅宗にしても、浄土でも浄土真宗でも、
自分を忘れ、全体に溶け込むような思想体系だ。

その中で培われた強い共同体意識、その共同体にどうしても必要なのが、
社会、もしくは共同体に対する「信用」である。

エネルギーの限界がある以上、個人を主張し、我の幸福とばかりに、
豊かさ、華やかさ、便利さを求める
ことは、全体として、江戸後期には、もうできなかった。

質実剛健の八代将軍、徳川吉宗の政策に反対し、領内では
規制緩和により、経済が活発になったと評価される
尾張藩主徳川宗春、、、。

吉宗がむしろ、経済音痴とされ、宗春が賛美されるようになってきた。

愛知県民である私も、地元の殿様が褒められるのは、
大変うれしいことであるが、もし、歴史をエネルギーという視点から
見ると、果たしてそれが正しかったのかどうか、、、。

私もつい最近まで、徳川幕府の官僚たちは、朱子学におかされ、
経済音痴で技術の進歩というモノに鈍感だったように思っていたが、
もしかしたら、減りつつある森林対策のために、制御していたのでは
なかろうか、、、。

経済がよくなればよくなるほど、エネルギーを消費する。

当時のエネルギーとは、森林であり、高低差のある大地で、
大量の雨が降るこの日本においては、森林の消滅とは、
著しく水害の被害にも、見舞われることになる。

真相がどうなのかわからないが、エネルギーなどの環境、その土地の気候、地形など
それらを無視して、歴史を見ることはできないであろう。



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2017年01月18日

日本を救う究極のエネルギー資源「水力発電」!水力のプロが語る今の日本の潜在能力!!

IMG_2181.JPG

この「水力発電が日本を救う 今あるダムで年間2兆円超の電力を増やせる 
   元クコ度交通省河川局長 竹村公太郎」

を、一気に読み切った。

いい本っていうのは、とてもシンプルでわかりやすい。

それには著者なりの工夫と、やはり深い理解力が必要だと思う。

まだ、新年が始まって間もないが、間違いなくこの本が、
私が今年読んだ中で、ベストブックになるであろう。

水力も、太陽光も、風力も、バイオマスも、石油も自然エネルギーといわれる
ほとんどのモノが、その大本は、太陽光である。

要するに、地球のそのほとんどのエネルギーとは、太陽光であり、
その太陽光をどのように使うかということに尽きる。

その太陽光の大きな欠点というのは、エネルギー的には、莫大であるが
広く薄く、どこでも分布している。

石油も大昔に、その太陽光により光合成をして繁殖した藻類によりできたとされている。

つまり、藻類により、太陽光エネルギーがとてつもなく長い時間
集められ、堆積にして、集められ、そのエネルギーにより、
今の文明がある。しかし、それにもいずれなくなる。

今ある太陽光エネルギーを上手く集まられる方法はないか?

日本においては、それは水力が非常に有効である。

水力でも、海水が太陽光に温められ、水蒸気となり、雨として降る。

日本の大地とは、その70%高低差のある山々であり、そこには森林があり
その森林がふった水を貯めてくれている。また、山に積もった雪もそうだ。

そのたまった水が湧き水となり、しみ出てきて山と山の間の谷に、
川として集められる。

高度経済成長期に、水の需要に伴い、その谷をせき止めて造られたのが、
日本のダムである。

ダムは、基本的に高い山の中になる。

ということは、高低差を利用して、水力発電ができる以上、
ダムに貯められた水というのは、石油と同じ。

つまり、エネルギーがかたまりだ。(位置エネルギー)

そのダムは、その機能からして、はっきりって半分も使われていないという。

そのダムや用水施設を少しだけ、手を加えるだけで、今の何倍も
有効に使えるという。

水力発電は、1960年代、中東より安価な石油が入ってきて、
衰退していった。

その後、原子力が始まり、福島の原発事故を経て、今に至る。

もう一度水力を見直してみる必要があるのでは、、、。

震災以来、そんな思いでモンモンとしているところで、水力の専門家で、
元国交省河川局長の竹村公太郎氏の「水力発電が日本を救う、、、」という
本に出合った。

読んでみると、驚きの連続。

すべてを書き起こしたいくらいだが、それも時間が許さないので、
冒頭の「序 100年後の日本のために」だけ、書き起こしたので、
どうか一度読んでみてください。

これからの日本のためにも、次の世代のためにも、
どうしても多くの人に読んでもらうことを強く望みます。

序 100年後の日本のために

 私はダム建設の専門家で、水力発電を心から愛する人間の一人だ。
 未来の日本のエネルギーを支えていくのは水力発電、そう考えている。
 このようなことを言っても、今さら水力発電かと思われる人が多い。
確かに、現在の電力をめぐる実態を思えば、水力が時代遅れに見えるのは
やむを得ない。
 私は、国土交通省の河川局で主にダムを造ってきた。三つの巨大ダム建設に
従事し、人生の大半をダムづくりに費やしてきた。
 ダムは水を貯める装置で、水力発電と密接に関連している。水力発電の
エンジニアや事業者とは随分と仕事上のお付き合いがあった。
 その過程で、水力発電のことを学び、様々な経験も積んできた。厳密には
発電の専門家ではないが、水力発電の基礎的なインフラのダムの専門家であるし、
水力発電の専門家の一人だと思っている。
 それで、国交省を退職して以来、あちこちの講演会で、水力発電を見直そうと
いう話をしてきた。2011年3月11日の東日本大震災以前であるが、何度か、
電力会社から有能な若い人が私のところへ来た。その人たちは、原子力がいかに
有利か、水力が時代遅れなのか、こんこんと説いてくれたものだ。
 だが、彼らは誤解している。
 私には原子力を否定する気持ちもない。私には今日のエネルギー政策を云々する
ような資格はない。何しろ、エネルギー全般に関して断定的なことを述べる素養を
持ち合わせていない。
 ただ、言いたいのは、50年後、100年後、そして200年後日本にとって、水力発電は
必ず必要になるということだけだ。
 今は石油がある、原子力がある。そうしたエネルギーに頼るほうが価格の面でも、
安定供給の面でも有利だろう。
 だが、石油などは100年後、200年後に本当にあるのだろうか。今と同じように
安価で手に入るのだろうか。現実の資源状況を見れば、わたしのような門外漢にも
危ういことは分かる。
 そんな時代になったら、必ず、水力発電が必要になる。
 今、この時代に、私のようにダムを三つも造った人間はめったにいないだろう。
日本の山奥で巨大ダムを次々に建設していたのは高度経済成長期、もう半世紀も
前のことだ。
 現在はもう、巨大ダムを建設する時代ではない。さみしいが、ドンドンとダム建設の
経験者は少なくなっている。私のように人生をダム建設に費やしてきた人間は
あまり残ってない。
 同様に、水力発電設備のエンジニアたちもいなくなりつつある。電力会社には、
発電所を建設する土木技術者がもちろんいる。けれど、今の中心は、火力や原子力の
発電所であり、水力発電の土木を知っている技術者はいなくなりつつある。
 水力発電所の建設には、川の地形に合わせる発想力が必要だ。過去の実例には
頼れない場所が多く、自分たちの力で、何もないところから新しく造っていくことを
求められる。過去の技術者たちには、そうした発想力ある先輩たちがいた。私は、
その先輩たちの背中を見て、追ってきた。今の時代、そうした方々はいなくなりつつある。
今この時期に、そうしたダムを含めた水力発電の経験やノウハウを、未来に繋いで
残しておかなえればならないと考えている。
 繰り返しになるが、私が危惧するのは、現在のことではない。50年後、100年後、
200年後の日本のエネルギーなのだ。
 水力のプロの私は、純国産エネルギーである水力発電の価値を知っている。日本の
ダムは半永久的に使える。例えば100年経っても、ダムは水を貯めている。ダム湖の
水を電気に変換できる。
 しかも、ちょっと手を加えるだけで、現在の水力の何倍もの潜在力を簡単に引き出せる。
 この事実を、今、日本の人々に伝えることが、数少なくなった水力の専門家としての
義務であると考えている。



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2017年01月15日

森林・石炭・石油へ、、、。エネルギー史がもたらす社会の大変換から大東亜戦争へ。

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我が街の市の図書館に、この本のリクエストを出し、
先週、やっと取り寄せてくれた。

しかし、自分でこの本を買うことにした。

それだけ、非常に価値のある本だ。

「水力発電が日本を救う 今あるダムで年間2兆円超の
  電力を増やせる」
  著者は、 元国土交通省河川局長 竹村公太郎であるが、


水力、ダムのプロ中のプロが何を語るのか、
どうか多くの人に読んでいただきたい。

エネルギー史から見た文明論、歴史論、まったく違った視点からの切り口、、、。

確かに、信長がどうの、、、龍馬がどうの、、、と、人物中心の歴史観という
のは、無理がある。

それよりも、地形、気候、そしてその社会を根本から支える
エネルギー源とは何なのか、、、?

それらにより、大きく道徳、宗教、哲学、生活習慣から
社会全体まで、大きく変化する力を持っている。

政権を握るにも、多くの人の支持が得られなくては、成立するものではない。

それに大きく左右するのが、社会のインフラであり、その土地の
気候、風土、地形などが深く関係してくる。

この辺りのことをこの本から、よくよく読み取っていただけたらと思い、
ちょっと長くなってしまったが、この本のP.103〜119まで、
書き起こさせてもらった。

エネルギー史が与えた社会に対する大きな影響、、、。

そして、原発、化石燃料、そして地球温暖化、資源の枯渇などなど、
この先どう考えても、我々の生活が崩壊する現実に直面して、
新しい大きな変革が我々にとって、必要なのが、明らかになってきた。

日本社会だけを考えれば、著者である武村氏は、専門家の視点からして、
今、現実のダムや水路などの施設が十分に使いきられておらず、
新しい大型ダムなどを建設しなくても、水力だけで2兆円規模の
電力が掘り起こせると指摘している。

著者である水力、土木などのプロ中のプロである竹村公太郎氏の言葉であるが
「日本のだむは、ちょっと手をくわえるだけで、現在の水力発電の何倍もの
潜在力を簡単に引き出せる。この事実を、今、数少なくなった
「水力のプロ」としての私の義務であると考えています」
と、、、。

そして、その具体的な方法、技術がとてもシンプルに
簡単に分かりやすく、書き綴られている。

とても読みやすい本である。

新年始まったばかりであるが、この本が今年の私のベストブックに
なることは、間違いないと思う。

それでは、すべて書き起こしたいほどであるが、
今日はこれぐらいにしときましたので、どうかお読み下さい。


奈良盆地から京都への遷都はエネルギー不足が原因

かつて、日本の中心は奈良盆地におかれていた。飛鳥京、藤原京、
平城京と、六世紀から八世紀までの約二百年間、日本の都は奈良盆地にあった。
 ところが八世紀末、突然のように桓武天皇によって、奈良から京都へと
都が移される。
 まず、長岡京が作られ、それから10年の西暦794年に、平安京へと
遷都された。奈良から京都(平安京)への遷都について、歴史家は様々な
理由を挙げている。
 例えば、天智天皇家と天武天皇家の争い、藤原氏との確執、仏教と道教の
対立など、政治や宗教に選との理由を求めている。
 だが、私は歴史の専門家ではないので、複雑な人間模様に基く原因を文献から
探ることは出来ない。
 ただ、土木技術者の目で当時の都のインフラを見ると、確実に分かることがある。
「奈良にはもう、エネルギーが残っていなかった」という事実である。
 当時の人々のエネルギー源は薪、つまり木材だった。ほかにも木材は
建築材に使われており、当時の社会では、人一人当たり年間10本ほどの立木が
必要だったと推定できる。
 都がおかれていた頃の奈良盆地には、ピーク時で、約20万人の人口があったと
言われているが、平均で10万人だったとしてみよう。年間に一人当たり10本の
立木を必要としたとすると、奈良盆地全体では年間100万本の木を伐ることになる。
 100万本もの立木が伐採するとは、毎年、100万坪の森林を消失させる
イメージである。奈良の都は200年も続いている。単純に考えて、年に
100万本ずつ200年も立木を伐採し続ければ、奈良盆地の周囲の山に木は
残らなくなるのが当然だ。
 つまり、森が消失してしまい、生活に必要なエネルギーを調達できなくなったため、
奈良にはもう大勢の人が住めなくなったということだ。
 これは、単なる想像だけでなく、証拠として文献記録が残っている。
 コンラッド・タットマンという歴史学者が、日本全国の神社仏閣に使用された
木材の出所(伐採地)を、古文書の記録によって調べた。
 すると、奈良時代の後半には、伐採のエリアが奈良盆地の周辺をはるか超えて、
紀伊半島から琵琶湖の北にまで広がっていたのである。
 これは、奈良時代後半、琵琶湖や紀伊半島の先まで行かなければ、木材が手に
入らなかったということを意味している。
 つまり、京都に都が移されたのは、奈良周辺の山々は禿山になってしまっていて、
もう木材エネルギーを手に入れることができなくなっていたから、と結論できる。
 このように、エネルギーに注目すると、歴史的事件の思わぬ真相が
浮かび上がってくることがある。

家康が江戸に幕府を開いた理由は豊富なエネルギーだった

 世界の中心の文明の歴史を見ると、人口が集中する都は、
エネルギー問題を常に抱えている。
奈良から京都への遷都して以降も、この原則は変わらない。地形と
エネルギーに注目すると、意外な真実が見えてくる。
 豊臣秀吉の命で家康が入部した1590年当時の江戸には、農家が数百戸しか
なかったと言われている。
 1600年の関が原の戦いで勝った家康は、征夷大将軍になった後、その辺鄙な
江戸に自分の幕府を開いたのだが、これは不思議な話しだ。
 というのも、関が原の後も豊臣家は大阪城に健在だったし、敵対していた毛利に
せよ島津にせよ西日本に構えていて、そこから家康に対していつ反旗を翻すか
分からない状況だった。
 そうした反徳川勢力に備えるのなら、箱根を越えた遠い関東に本拠をおくよりも、
京都か、名古屋、岐阜などのほうが、はるかに理にかなっていた。
 軍事的にも不利で、しかも未開の地だった江戸に、なぜ、家康は幕府を
開いたのか?
 歴史の専門家からは、この謎について明確な説が出されていない。
 だが私は、やはりエネルギーに注目することで、謎が解けると思っている。
 実は、この当時、関西にはもう木材がなかった。これが家康の決断を
理解する重要なカギになる。
 先ほども触れたタットマンの研究によると、戦国時代には、森林の伐採圏が
近畿地方にとどまらず、西は山口、高知、北は能登半島、南は紀伊半島、
そして東は伊豆半島にまで拡大している。
 奈良時代には、年間に一人当たり10本の立木が必要だった。ところが、
戦国時代には20本が必要になっていたと推定できる。
 当時の関西の兵庫、大坂、京都、滋賀、奈良地域の人口を100万人だった
とすると、年間に2000万本の立木が必要ということになる。
 これは奈良時代の森林破壊と比較して、20倍もハイペースである。
 さらに、奈良時代から平安時代、そして戦国時代まで約1000年が
経過している。この間の森林破壊は、奈良の山を破壊させたときとは、
けた違いだったはずである。
 つまり、戦国が終わったとき、京都や大坂などの人口集中地の近くには、
もう、森林が残っていなかったと推定されるのだ。
 そんな1590年、家康は秀吉に追いやられるようにして関東の
領地を得た。
 そこで彼が見たのは、利根川や渡良瀬川、荒川などの流域に広がる、
手つかずの広大な森林だった。莫大な木材は家康の心を動かした。
今日で言えば、軍事国家の独裁者が大油田を発見したようなものだ。
 エネルギー資源が戦略物資であることは、戦国の昔も今と変わらない。
家康という戦国武将が、エネルギー獲得に有利な江戸に魅力を感じたのは、
当然だった。 
 このように、家康が江戸に幕府を開いた理由も、エネルギー問題から
考えるとストンと胸に落ちていく。

幕末は文明の限界だった

家康は手つかずの森林に魅力を感じて、江戸に幕府を開いた。江戸は
豊富な木材というエネルギー資源を得て繁栄していく。
 ところが、江戸時代の繁栄にも限界が訪れる。またしても、木材が
不足する事態になってしまったからだ。
 もう一度、タットマンの研究を使わせてもらおう。彼のデータを基に、
天竜川流域の木材伐採量の推移をグラフにしてみた(P.108グラフ)。
すると、1700年頃にピークが訪れ、その後、急に下がっていることが
分かる。
 天竜川流域には幕府の天領が置かれ、重要な木材供給地の一つだった
のだが、その森林に置いても伐採できる木材が消えていったのだ。
 そのほかにも証拠がある。
 幕末に活躍した歌川広重の有名な浮世絵「東海道五十三次」シリーズ
がある。その一枚「二川」を見てみると、背景の山には木がポツン、
ポツンとしか描かれていない。
 広重ほどの絵描きがあからさまな手抜きをしたと考えるより、当時の
山には本当に木がなかったと解釈するほうが自然だ。二川だけではない。
広重の東海道五十三次の山の絵は、みな貧しい植生に描かれて、
21世紀の今の緑豊かな姿はまったくない。
 つまり、江戸時代の終わりには、木を伐りつくし、日本は森林と
いうエネルギー資源の限界を迎えていたのだ。
 もっと直接的な証拠を挙げてみよう。
 幕末に神戸を訪れた外国人が
「神戸の山には木がなくて丸裸だ」
と驚いている。
 幕末の日本は、森林というエネルギー資源が枯渇寸前で、文明の
限界を迎えていたのである。
 現代は、環境破壊が世界的な問題になっている。
 環境破壊により森林が減り、地球規模で二酸化炭素濃度が高まって、
地球の気温が上昇るると危惧されている。
 日本でも環境問題は深刻である。戦後になって高度経済成長から
バブル経済の頃へと急速な経済発展に伴い、次々と森林が宅地や
商業地、工業用地になっていった。
私たち日本人は、戦後の経済成長が、こうした自然破壊を代償にして
成し遂げられたことを知っている。
 そして、多くの人は、こう思っている。
「ああ、昔の日本は、きっと今とは違って、緑の豊かな美しい国だったろうに」
ところが、これは勘違いである。昔の日本の山のほうが、今よりも
ずっと破壊されていた。
 なぜなら、人々が山という山の木を伐り倒して使いつくしたからだ。
山の木を伐採して燃料にし、家の材料にし、農具にし、舟にしていた。
 人間が生まれて文明を生むにはエネルギーが必要であり、そのためには
山の森林を破壊せざるを得なかったのである。
 平城京の時代、奈良の山はすべて伐採の対象だった。
 平安京、すなわち今の京都に首都が移ったのは、奈良の山に木がなく
なったためだ。
 戦国次代の森林化かも激しかった。関西の周辺の山は丸裸となり、
西は山口、東は伊豆まで森林は伐採されていった。
 そして、江戸時代に入っても、日本の森林の破壊は止まらなかったのである。

明治日本の足元に眠っていた石炭

ペリーが黒船で来航し鎖国が終わり、明治維新が起きる。これより、
日本の近代化が始まった。
 実は、ペリーの来航は、日本の外交政策を転換させただけでなく、
エネルギー政策を一変させる事件でもあった。
 それは、日本人と、黒船を動かしている蒸気機関との遭遇である。
 ペリーの乗ってきた巨大な船が、木材で動くのではなく、石炭で
動くと知って、日本人は驚愕した。
「この真っ黒い石で、あんなデカい船が動くのか」
 日本人は、石炭という黒い石がエネルギー源であることを知って、
驚き、かつ、喜んだのだ。
 長い江戸時代が続き、日本の山は丸裸の状態にあった(P.113写真参照)。
燃料としての木材が枯渇寸前で、文明社会の限界にさしかかっていた。
 その日本人にとって、石油というエネルギー源の出現は、まさに光明だった。
 石炭ならば、九州から北海道の地面の下に埋まっていた。しかも、
木材よりも石炭のほうがエネルギー量が大きい。当時の感覚で言えば、
日本に埋蔵されている石炭のエネルギー量は、無限に思えただろう。
 ペリー来航の翌年に日米和親条約を結んで以降、日本の歴史は急展開する。
尊王攘夷運動が活発になり薩長が幕府と対立、ついに幕府の大政奉還から
王政復古に至り、時代は明治となる。
 そして、明治5年(1872年)には新橋-横浜間に、日本発の鉄道が
開業して、石炭を燃料とする蒸気機関車が走った。明治22年(1889年)
にはという東海道線全通が開通した。
 北海道、九州などの炭鉱が開発され、日本は、木材エネルギーから
石炭エネルギーへと一気に転換したのであった。 
 黒船によって日本人は、石炭の可能性を知った。
 木材エネルギーの文明の限界に立っていた日本が、石炭という
新しいエネルギー源の存在で救われたのだった。

石油は日本を戦争へと駆り立てた

国内に大量に埋蔵されていた石炭という化石エネルギーによって、
日本は一気に近代化を進めた。
 食品加工業から、繊維工業、そして重化学工業を発展させていった。
 時代は下り、第一次世界大戦で世界的なエネルギー政策の転換が起こった。
 化石エネルギーの主役が石炭から石油へと移り変わったのだ。
 このエネルギー転換が、日本を窮地へと追い込むこととなった。
日本には石炭はあっても、石油はほとんどなかったからだ。
 第二次世界大戦直前の頃の石油産出量を見ると、アメリカが突出して
多かった。(P.115グラフ)。
 日本には、石油の需要はあるのに国産の石油資源がほとんどなく、
アメリカからの輸入に頼るしかなかった。
 つまり、石油により、アメリカに首根っこを押さえられていたのだ。
 あの太平洋戦争が起こった一因は、ここにあった。
『昭和天皇独自禄』(文春文庫)には、こんな天皇の言葉がある。

「先の戦争は、石油で始まり、石油で終わった」

「窮鼠猫を噛む」という言葉そのままに、日本はアメリカという
ネコに苦し紛れに噛みつくネズミのようなものだった。
 アメリカに石油を止められて苦しむあまり、アメリカとの戦争へと
突入した日本が狙ったのは、オランダ領インドネシアの石油だった。
第二次世界大戦を始めたヒトラーもまた、エネルギーを求めていた。
彼はソ連のバクー油田を狙っていたのだ。
太平洋戦争に突入した日本は、石油を止められたために、幕末の
ように大量の木材が伐採されている。
 戦中の写真を見ると、当時の山はすっかり木がなくなり、どれも禿山の
状態だったことが分かる。山の木材さえも使い切ってしまった日本には、
もちろん石油の備蓄などほとんど残っていない。
 エネルギーがなくなった軍隊には、もはや勝ち目はなかった。
 石油を求めて始めた戦争は、石油が切れたことで、終わったのである。
 まさに日本は、昭和天皇のお言葉通り、石油という化石燃料を求めて
戦争を起こし、石油がないことで敗けたのである。
 多くの評論家、歴史家、作家が、戦争に突入していった原因や、
日本帝国軍部の戦争責任について解説してくれている。
 しかし、そのような社会状況と人間模様がおりなす歴史はむつかしい。
それよりも、昭和天皇の一言のほうが、分かりやすい。
「あの戦争は、エネルギー問題で起こった」と、理解できるのだ。
 ところで、昭和天皇は昭和25年(1950)に山梨県甲府市で
植樹を行った。これは天皇自らのご発案だったという。
 以降、天皇は全国の山に植林をなさっている。それほどにも、
終戦直後の日本は丸裸だった。

文明のあるところ環境破壊あり

 文明というのは、山が丸裸になるほど燃料の木が必要であった。
それは日本に限った話しではない。
 世界中の人類文明に共通した現象なのだ。
 メソポタミア文明が分かりやすい。中東は、今でこそ砂漠地域であるが、
昔からそうだったわけではない。メソポタミア文明が栄えた頃には
緑があり、レバノン杉の森林がいっぱいに広がっていた。
 ところが、文明が繁栄するにしたがって人口が増え、森林が伐採されていき、
とうとう伐りつくしてしまったのだ。 
 つまり、メソポタミア文明が、この土地を砂漠にしてしまったわけだ。
同じことは中国でも起こっている。
 例えば、春先になると、大陸から日本まで黄砂がやって来るが、これは
黄河流域の黄色い砂が季節風に乗って運ばれるからだ。
 現在の黄河流域には森林が5%しかなく、そのほかは荒涼とした砂漠が
拡がる不毛な土地なのだが、昔からそうだったわけではない。
 今から3000年前、黄河流域には古代文明が栄えていた。その頃には、
この大河の流域の80%が森林地帯だったといわれている。
ところが1500年前には森林率が15%に激変し、現在はたった5%に
なってしまった。
 かつては豊かな森林が広がっていた黄河流域が、今では砂漠になっている。
 これは、気象変動が原因なのではない。人間のせいである。
 黄河文明が栄えると当然のように人口が増える。すると、燃料として
木が伐採されていき、森林は激変していったのだ。
 秦の始皇帝は万里の長城を築いたのだが、あの長城は莫大な数の
レンガでできている。レンガを焼くために、黄河流域の森林が大量に伐採された。
 こうして、かつては森林地帯が80%もあった緑豊かな土地が、20世紀に
入った頃にはわずか5%という土漠地帯となってしまった。
このような歴史を見れば、「人類文明の誕生と発展は環境破壊」であった
ことが分かる。


このように、今まで培ってきた文明を維持するには、
どうしても持続可能なエネルギー社会に変換しなくてはならない。

それと、昭和天皇の言葉であるが当時日本では採掘さらなかった石油について
「先の戦争は、石油に始まり、石油で終わった」
と、語られたように、もしあの時、自前のエネルギー資源が存在すれば、
まったく違った選択脈があったはずだ。

水力のプロ中のプロである著者の武村氏は、純国産エネルギー資源として、
さらに持続可能なエネルギー資源として、水力発電の莫大な可能性を
強く語っている。

雨が多い日本、急勾配な地形、そして高度経済成長時代に
膨張社会のニーズで建て続けられた数々のダムが、今、この時代の
遺産として、非常に有効に活用できることを強く訴えられている。

どうか、多くの人が、この本を読んでいただけることを望みます。


posted by hide at 18:19| Comment(0) | TrackBack(0) | 水資源 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする