2017年01月08日

その「自意識」って、本当に必要なの??と、問いかけるもう一人の自分の存在が必要なのでは、、、。

昨日のNHK朝の連続ドラマ「べっぴさん」で
とても、いいシーンが合った。

ベビー商品の総合商社をめざすすキアリスが
海外と取引することになった。

そこで必要なのが、英語を話せる人、、、。

白羽の矢があたったのは、以前から英語を勉強し、
外国人のベビーシッターの経験があるあけみだった。

そして、取引先のアメリカ人といざ交渉しようと思ったが、
なかなか専門用語が分からず、大恥、、、。

その後、あけみはその通訳の仕事を頑なに拒否をする。

そこで、すみれは姉であり、英語ができるゆりに
あけみに英語を教えてくれるように頼む。

それでも、大恥をかいたのがかなりショックだったのか、
あけみはなかなか腰を上げようとしない。

ゆりがあけみに
「別に私は、あなたが英語を習っても習わなくてどちらでもいいんだ
けど、そやけど、一言だけ言わせてもらうと、あなたの自意識、
いらない自意識だと思うわ。
大方、人前で恥をかいて、もう
傷つきつきたくない、そんなところでしょ〜」
と、核心を突く。

「なんで?だれが?」
と、うろたえるあけみ、、、。

「誰に聞かなくても、あなたを見れば分かるわよ。
私もべんきょうしてきたから、、、。どれだけ恥をかいたか、
どれだけ笑われた、、、。でも、そこをのりこえなければ、一生
中途半端なままよ〜。せっかく、今までやってきたことが水の泡よ。
それで、本当にいいの?手に入れたいものがあるなら、絶対に手に
入れる気持ちでやらないと、なりふりかまわず、一生懸命に、、、。」

と、あけみにほのめかすゆり。

私もニュージーランドに一年間滞在した経験がある。

そこで知り合った英語を勉強する日本人、韓国人、台湾人、タイ人、
などなど、いろんな人を見てきた。

はっきりいって、たとえ20年英語圏に滞在したからと
いって、英語がみにつくわけではない。

日常生活から、積極的に周りの人に触れながら、英語の環境の中に
飛び込んでいかないと、英語などほとんど上達しない。

そういう人って、けっこういたりする。

逆に、猛烈に地元の人と交わりながら、自身で猛勉強して、
短時間に英語を見につける人もいる。

ニュージーランドで知り合った韓国人女性のSさん。

Sさんの齢は、当時三十代後半ぐらいで、
少しわけありのようだ、どうも韓国で地位の高い人と結婚していたようだが、
その人と分かれて、子どもをつれて逃げるようにニュージーランドへ
きた人だった。

最初に、英会話スクールであったときは、ほとんど英語が出来ない。

そんな状態であるが、とにかく積極的で、
みんなで映画に行くとなれば、私も行きたい、
ホームパーティをすると言えば、私も参加するというような
形で、ほとんど意思疎通が出来ないのだが、
すごいバイタリティーの持ち主だ。

意思疎通が出来ないので、そんなときでも、
トンチンカンな行動の連続ではあるが、
それでもめげない。

ある日、私のフラットに、みんな遊びにくることになった。

そこで、知り合ったのが私のフラットメイトのニュージーランド人の
デービットだ。

その後、デイビットが外泊が続く。

ある日、デイビットが朝方帰ってきたので、
齢も近く、男同士なので、
「さては、彼女でも出来たな〜」
と、デイビットに言うと、

両手をうれしそうに、その彼女のことをかたってくれた。

なんと、その相手は韓国人のSさん。

男同士であり、デイビットは話し好きなので、経緯から、
何から全部話してくれた。

その後、関係は長く続く。

関係は、思いもよらぬ展開になるのだが、Sさんはデイビットと
結婚したい。しかし、デイビットは、あまりその気ではないようだ。

積極的なSさんの結婚に対するモーションは、ものすごいものがあった。

とても、このブログでは書けれないこともあるが、
何度もビザを更新したが、とうとうビザが切れ、韓国に
帰らなければいけなくなった。

デイビットに猛烈にあたっくしながら、ビザが切れても
韓国に帰ろうとしない。

最終的には、強制送還となるのだが、、、。

結局、何が言いたいのかというと、Sさんというのは、
傍から見ればハチャメチャな人ではあったが、英語の上達は
ものすごかった。

ほとんどまったくしゃべれなかったが、それが信じられないほどの
進歩であった。

Sさんの行いが、いいのか悪いのかべうとして、
積極的かどうかで、明らかにその上達力は変わってくる。

恥をかくことを恐れ、躊躇している日本人をよく見たが、
一歩踏み出す勇気って、ものすごく大事だと思う。

ゆりが言う「その自意識って、本当に必要なの?」
と、私も常に自分に問いかけている。

誰でも、自分を大きく見せたい。

しかし、大きく見せれば見せるほど、
その自意識によって自分自身が縛られてしまうことって
ないだろうか?

分からないことを誰かに聞く、
「迷惑になる」とか何とか言うより、もっとシンプルに
分からないことは分からない、だから教えてもらう、
自分自身も、見につけた知識・知恵は惜しみなく
周りの人に伝える、そういう姿勢って大事なのではないか?

英語にしろ、せっかく英語圏にいるのなら、
その都度、その瞬間というのが、チャンスである。

例えばフラットメイトに、
「ちょっと、チャンネル変えたいんだけど、いいかな〜?」
と、場面があるとする。

ただ教科書で習っているよりも、実際の現場でそのような体験をした方のが、
はるかに心に残るのでは、、、。

「必要は習得の母」である言われるように、見栄で自分を固めるよりも、
大恥をかきながらでも、必死にかぶりついていく姿のが
私は美しいように思う。

なにごとも、一期一会、その場面・場面を躊躇する癖がついてしまった人と、
その場面が「学ぶチャンスだ」と思う人と、後々、まったく違ってきてしまう。

ある人が、
「だめな人というのは、すごい人と比べようとする。
すごい人は昨日の自分、過去の自分と比較する」

と、、、。

勇気を出して、知らないことを聞いたのなら、
ビビリの自分という比べれば、すごいんじゃないかな〜。

いつも、毎朝、通りすがる人に、思い切って挨拶してみた。
それて、昨日の自分よりも、進歩したとほめてやれるのでは
なかろうか。

噂話の世界に生き続けるのか、それとも確実に自分の人生、
自分自身が主人公に持っていくのか、
日々の小さな勇気の積み重ねではなかろうか、、、。


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2017年01月06日

日本の「縮小と循環の文明」、、。その日本人が未来文明の先頭に立たなければ、いったい誰に立ってくれと言うの か、、、。

今日の中日新聞一面に

炭素繊維材 車向け量産

 航空機用などリサイクル

 東レ・豊田通商 年内にも 


このような記事が載っていた。

かいつまんで言えば、東レが航空機などに使われる炭素繊維複合素材
(CFRP)のリサイクル事業に参入し、自動車向けの再利用炭素繊維を量産
する方針とのこと。

そのCFRPとは、樹脂と炭素繊維で構成されており、熱分解により処理し、
その際にガス化した樹脂を燃料として活用すると、通常に比べ、10分の1の
エネルギーですむとのこと。

炭素繊維は、鉄よりも強さは10倍。重さは4分の1なので、かなり車の軽量化に
つながり、燃費向上を飛躍的に伸ばすであろう。

今日は、そのことを語りたいのではない。

このように、モノをトコトン使い切ろうとする日本人の発想って、
世界から見れば、とても特異的なことらしい。

最近、「日本史の謎は「地形」で解ける」など、竹村公太郎氏の著書に
はまっている。

その中で、竹村氏がエジプトへ行った時の話。

エジプトの首都カイロの中央駅で、ボロボロの列車が放置されていたとのこと。
その列車は、ホコリをかぶり、ドアは空きっぱなしで、窓ガラスは割れている。
明らかにもう何年もそこに放置されているようだったという。それも、カイロの
中心駅だ。

電車だけではなかったという。空港でも大型飛行機が胴体を傾け、ホコリをかぶり
放置されっぱなし。

これは、エジプトだけではないようだ。

米国のアリゾナ州にも、いわゆる「飛行機の墓場」に、
古くなった4000機の飛行機が、砂漠に放置されているとのこと。

エジプト人と米国人は、言葉も宗教も違うが、モノを捨てるという感覚において、
根っこは一緒のようだと、、、。

それは、「移動する民族」と「移動しない民族」とで、竹村氏は説明していた。

狩猟や遊牧など移動する民族は、最小限のモノしか携帯しない。軽やかな身支度で、
素早く移動し、新しい土地を征服していく。そして、そこで必要なモノを手に入れる。
彼らにとって、大切なことは、敏速に移動し、瞬時に新しい土地を制圧すること。
その為、不要なモノは捨て、放棄したものは人々の意識から去り、ホコリをかぶり
砂に埋もれて姿を消す。それが、移動する民の行動様式らしい。
その思想的な遺伝子が、21世紀になっても、引き継がれているとのこと。

それとは、真逆にユーラシア大陸から200組にと出された日本。
、激しい海流が流れる海峡に隔離され、独自の文明を育んできた日本人は、
かなり世界から見れば特異的だ。

さらにその内部を見ても、中央には、背骨のような山脈が走り、激しく流れる無数の川が
存在し、平野には湿地帯が広がる日本では、その土地土地の文化が形成されやすい。

その湿地帯で、我々日本人は3000年前から、稲作を開始した。

米は富であった。さらに保存がきき、お金の代わりにもなった。
しかし、その労働は、過酷であった。川から水を引き、硬い土を起こし、
苗を植え、水の管理、雑草を除く、洪水を防ぎ、稲刈りと、
むしろ狭い土地にへばりつきながら、過酷な労働のもと、集団で生きてきた。

そんな各々の隔離された土地で、外部から資源が投入されることはなかった。

だから、すべてのモノを徹底的に有用な資源とした。

例えば、「着物」である。

植物の綿から作られ、何十年使われた後、布団の布に再利用され、さらにその何年か後、
座布団の布へ。さらに何年か後、下駄の鼻緒や雑巾となり、何度もその姿を
変えて再利用されていく。そして最終的には、燃やされて田畑の肥料として、
栄養分となっていく。

輪廻転生の日本人の思想とは、そのような実生活と結びついていたのであろう。

付け加えるなら、日本には、エジプトや米国のように、不毛の砂漠のような
広大な土地がない。そのため、飛行機などを放置する場所などない。

むしろ、狭い土地をトコトン有効活用してきた。

また、日本の大地は、土壌が豊かで、余った土地でも、
田畑に変えられる。森林も貴重なダムであり、森林が損失すれば、
たちまちに水害が発生してしまう。

無駄なモノを放置できないし、捨てる場所が限られている以上、
それをトコトン再利用を考えるしかない。

そんな条件で、暮らしてきた我々日本人。

元米国務長官のキッシンジャー氏が次のようなことを語っていた。

「その国を知りたければ、その国の気象と地理を学ばなければならない」

と、、、。

国土の70%森林で、大変高低差のある大地。そして、梅雨の時期には
集中して降り注ぐ雨水は、狭い平野に押し寄せる。

その雨水を治めながら狭い平野に張り付き、過酷な労働を
共同作業で数千年もの間こなしてきた。

さらに、外国とはほとんど閉ざされ、侵略することもされることもなく、
国内においても、河川・山脈・湿地等で他の地域に移動がしづらかった。

そんな環境・風土の中で、独自の内向きの文化を我々日本人は、
長いことかけて、育んできた。

他の地域とは、大きな違いがあり、むしろ特異的な文化ともいえる。

今は、明らかに石油などの化石燃料をベースにした
石油文明といわれている。

人間は、莫大なをエネルギーを手にして、たいへん豊かになった。

それ以前は、採掘が不可能であった世界中の資源を
その莫大なエネルギーのおかげで、掘り起こせるようになった。

それから、すでに百数十年が過ぎようとしている。

今、急激に、いろんな資源が枯渇しようとしている。

2005年愛知万博が開催された。

焼き物の産地、愛知県瀬戸市では、各家庭から排出される
廃陶磁器を回収し、それをパウダーにして、50%と原料として
再利用する「Re瀬ッ戸運動」が展開された。

その時、回収された廃陶磁器を見て驚いた。


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なんと、まだまだ、使えるものがいっぱいある。

明らかに新品のお皿が何枚も捨ててあったり、新品のノリタケの
高級マグカップまで捨ててあった。

そして、千年以上続いた焼き物の産地の愛知県瀬戸市が
今、大変な危機に直面している。

それは、粘土原料の枯渇である。

白さといい、可塑性といい、当たり前のように存在した
世界最高峰と言われた瀬戸の粘土が、あと数年で
枯渇してしまう。


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これは、昔の焼き物を作るまでの工程だ。

手掘り原料を掘り、籠に担いで運び、足で捏ね上げ、
手引で成型し、薪で焼成していた。

しかし、今では大型シャベルで掘り起こし、
掘り起こしたついでに、ダンプカーが待機し、
その荷台に積んで運び出す。

各工程が機械化され、焼成もプロパンガスや重油だ。

シャベルもダンプもうすべて、石油で動く。

機械化された機械の原料も、化石燃料がなければ、
掘り起こせられない。

そして、薪ではなく天然ガスや重油などで焼成。

大量に資源を掘り起こし、大量生産し、その果てには
資源の枯渇、、、。

今、枯渇がささやかれている掘り起こされた粘土鉱山跡地に、
焼き物などの大量の産業廃棄物が捨てられている。

その中には、まだまだ使えるようなモノも多く含まれている。

ダンプもシャベルも、機械への設備投資も、お金がかかる。

モノがどんどん売れていかないと、そのお金が返せない。

私も数年前、自宅の倉庫の整理をしたが、そこから出てきたものは、
大量の冠婚葬祭でいただいた焼き物の引き物であった。

その時は、心を鬼にして断捨離をしたが、大量生産・大量消費で
経済が回るということは、結局は、ドンドンと捨てていかないと
経済がダメになる。

そのおかげで、ありとあらゆる資源の枯渇、、、。
温暖化、大気汚染、水質汚染などなどの環境破壊だ。

鳥の糞がとてつもなく長い時間かけて堆積してできたリン鉱石が
あと数十年で枯渇するという。

化学肥料としてリン鉱石が枯渇してしまえば、現在80億人を支える
現代農業は、崩壊することになる。

この200年の間に莫大に拡大した農業も工業も、水資源がなければまわらない。

その水資源の中で、一番使われているのは地下水であるが、
その地下水も、地下にとてつもない長い時間かけて貯め込んだ水が、
それを今、一気に使い切ろうとしている。

石油文明のおかげで、人口が爆発的に増え、人間の活動が飛躍的に
活発になった。

逆に言えば、世界が狭くなった。

狭くなったところでひしめき合って生きているのが、
今の人類であり、資源にも限りが見えてきた。

大航海時代のように、だだっ広い世界を開拓・開発していくというのら
征服民である一神教的な世界観が必要であるが、
今は明らかに大きく変わった。

狭い平野でひしめき合い、限られた資源をトコトン有効活用してきた
我々日本人、、、。

集団でひしめき合いながら生きるには、どうしても他人を思いやる
共生の思想が必要になってくる。

竹村氏もこんなことをおっしゃっていた↙

未来の人類社会への日本人の役割は、日本人自身が思っている以上に大きい。
 日本人は拡大解放系の文明を享受しつくして、世界トップクラスの豊かな
国になった。この日本人が、実は「縮小と循環」の性向をも持っている。
この日本人が未来文明の先頭に立たなければ、いったい誰に立ってくれと言うのか。
 ただし、日本が世界全体を新しい文明へ導くなどとは考えない方がよい。
日本人ほど世界のリーダーに不向きな民族もいない。
 ただただ心行くまでモノを見つめ、モノを縮小する性向を発揮していけばよい。
日本が「「縮小と循環文明」のモデルを創り、それを世界に見せることができれば、
それで十分責任を果たす。


と、、、。

我々が、この狭い国土の中で、生きてきた意味が、
今はっきり見えてきたような気がしてならない。


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2017年01月04日

他人と自分との「違い」、、、。それを認識できるれば、自分を解放することにつながる、、、。

年末の紅白はよかった!!

とくに中継であったが福山君、なかなかすばらしい
パフォーマンスだったように思う。

私は、男ながらに福山君のファンだ。

ファンと言っても、コンサートに行ったり、CDやグッツを買ったり
というファンではなく、とくに福山君のラジオが好きで、
毎回爆笑している。

ラジオを通してのファンであり、お金を使わず、
福山君にとってはあまりありがたいファンではないだろうが、
なんていうのか、あんな歌も出来て、芝居も出来て、
あんだけ人気のあるのに、ラジオではエロ話の連覇、、、
ふざけた口調で、笑いの渦に誘い込む福山君の能力、、。

彼は、多分、売れなくなっても、その道では、名古屋で言えば、つボイノリオや
北野まことのようなラジオをふざけたおじさん的なパーソナリティでも
十分やっていけるような気がする。

それほど、面白い。

通常、イケメンであれだけ人気があれば、どうしても
「イケメン」キャラに自分が自分で知らず知らずうちに
押し込んでいってしまいがちだ。

無口で不器用、そんな感じのしぐさなり、そぶりにはまって
しまいがちであるが、福山君というのは、むしろ、そんな自分と
懸命に戦っているのではなかろうか。

天然なのかどうか分からないが、その方のが自然体でいられ、
自由でいられる、そのことをよくよく理解しているのでは
なかろうか、、、。

そんな福山君と同世代として、もし同じクラスなら
友達になっているだろうとさえ思った。

とにかく、毎週、楽しみに福山君のラジオを聴いている。

ある日、ネット上で福山君に対してこんな中傷記事が載っていた。

「福山は、あれだけのルックスで、あれだけの演技力・歌唱力で、
それが独身であったから、エロ話が許されていた。結婚した
福山君がエロ話なんかすることを、世間は許さないであろう」
と、、、。

その記事を見て、なんだか腹がたったというのか、
ほんと、分かっとらんやっちゃな〜と感じた。

なんだか、無性に腹がたったので、福山君のファンである
ある女性にそのことを話した。

話したというより、腹が立っていたので、その苛立ちを
解消するために、その女性に対して、共感を求めたというのが
実際のところだった。

「ネットでさ〜、福山君、結婚したんだから、あんなエロ話
しちゃいかんわ〜なんていうやつがいるけど、福山君から
エロ話をとってみ〜。話が制限されてつまらなくなるわな〜。
ほんと、分かっとらんやつがいるもんだ」


というようなことをいったら、その女性が

「ほんなもん、あたりまえだわさ〜。あんなきれいな顔をして
お父さんになる福山君が、いつまでもエロ話なんか、しとっちゃ〜
いかんわさ〜。ほれに、あんな几帳面な福山君が、まさか
結婚するとは思わなかった」

と、、、。

私は、かなり福山君に対する意見というのは、自信を持っていた。

しかし、まさか、こんな身近に違う意見の人がいたとは、、、。

その福山君に対する中傷記事の腹立たしたは、吹っ飛んでしまい、
人って、こんだけモノの見方が違うんだということに
圧倒された。

冷静に感じれば、男友達なら、ちょとカッコいいけど、気さくでエロ話が得意な
同級生なら、自然に友達になりたいと思う。

あれ言っちゃいけない、これ言っちゃあいけないといえば、
たちまちに話がつまらなくなり、その人の魅力も影を落とす。

しかし、女性はまったく見る目が違うということ。

確かに、イケメンのスターで、社会的に影響力のあり、今後
パパになる男性のエロ話は、少し違和感を感じるというところ
なのかもしれない。

結局、長々と書いてしまったが、何が言いたいのかというと、
自分がいくら自信を持って主張していることでも、
人によって、立場が違い、主観が違えば、まったくモノの見方が
違ってくるということ。

人と自分とは違う、違いが分かるようになれば、もしかしたら、
自分を自由にすることになるのかもしれない。


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長州・維新回天の謎!? 功山寺の坂を駆け上がってきた若者たちを動かした思想とは、、、。

今年も毎年の恒例であるが、この年末年始、
義両親の住む山口県へ大旅行、、、。

もう何年も続けているが、かなり山口県内も見て回った。

今回は、あの維新回天挙兵の功山寺へ行ってきた。

写真を取りまくってきたが、今、デジカメの操作を間違えて、
すべて消してしまった。ほんと、新年早々自分のアホさかげんには
あきれるばかりだ。

気を取り直し、文字だけで書き上げようと思う。

高杉が挙兵を決意し、この功山寺の坂を数十人の若者がその時に
駆け上がってきたという。

しかし、その若者たちがどういう思いだったのか?

ふと思いにふけながらその坂を見つめていた。

当時の長州といえば、まさに絶体絶命!!

禁門の変で敗れ、その後15万の大軍が長州に押し寄せて
来ていた。

その状況を見て、長州藩内の幕府への恭順派が実権を握り、
次々の改革派の重臣が死に追いやられていく。

そして、長州の窮地はまだある。

この時期、攘夷を実行し、その報復として
イギリス・フランス・オランダ・アメリカの列強四国の
連合艦隊によって攻め込まれ、完膚なきままにたたかれた。

そんな状況での高杉の功山寺での挙兵、、、。

功山寺に、数十名の若者が集まったが、みんな不安げな顔をしていたという。

そんな若者の前で、雷のごとき高杉の大演説、、、。

さらに攘夷派の三条卿に対して、

「長州男児の肝っ玉をお目にかけまする!あとのことよしなに
お願い奉りまする!ではごめん」


と、言い残して立ち去ったという。

のちに、総理大臣にまで登りつけた伊藤博文が高杉のことを
「動けば雷電の如く、発すれば風雨の如し。衆目駭然として
正視する者なし、これ我が東行高杉君に非ずや。」
とも評したという。

この意味は、
「動けば雷電のようで、(言葉を)発すれば風雨のようで
ある。多くの人はただ驚き、正視できる者はいない。
これが我らの高杉君なのである。」


とのこと。

さらに、伊藤公は
「私の人生において、唯一誇れることがあるとすれば、この時、
一番に高杉さんの元に駆け付けたことだろう」
とも言う。

人生において、何度か、自身の人生をかけて
大勝負する時ってあると思う。

そんな時、一番大事なのが、決断力であると思う。

いつまでも悩んでいてもしょうがない。

いつまでも迷っていてもしょうがない。

どこまで、腹がくくれるか、、、。

どこまで、開き直れるか、、、。

腹がくくれれば、行動するのみ。

槍でも矢でもかかってこんかい!全部引き受けたる!!
ぐらいに思うと、死中から活路が開けることがあるような気がする。

これは、大げさかもしれないけど、勇気を出して、
一歩進むこと、これって日常的な小さなことでも、
とても大事ではなかろうか。

一歩進めば、新しい視界が開ける。

小さな一歩による新しい視界の積み重ねが、とても大事なのかもしれない。

話しがそれてしまったが、ではこの時、高杉の心境はどうだったのか?
功山寺の坂を駆け上がってきた若者達の心境はどうだったのか?

その辺りが知りたくて、萩博物館まで足を伸ばした。

このような博物館に行くと、年配のボランティアで解説してくれる人と
話すのがとても面白い。

いつもでたっても、話が尽きない。

学芸員の人もいるにはいるのだが、立場上、好きなことが話せないのか、
話が硬く、視野の狭い話しになりがちだ。

その点、ボランティアの人と話すと、
「こんな可能性もあるのではないか?」
「こんな視点から、見ることもできるのでは、、、」

とか、色々話がふくらみ、いつまでも話がつきない。

萩博物館にも、そのような面白い人がいたので、さっそく
高杉の功山寺の挙兵のことについて聞いてみた。

「あれは、まさに高杉の特攻ですね〜。
もう絶体絶命の死ぬ気だったんでしょうね〜。
その後、長州のほぼ全農民が高杉に味方することになり、
その時高杉も『勝てる』と思ったらしい」

と、おっしゃっておられた。

『勝てる』と思ったといっても、長州内の幕府恭順派に勝てると
言う意味であろうし、まだこの段階では、幕府をも倒してしまう
回天につながるとは、思っていなかったと思う。

その後、奇跡のような幕府に対しての勝利が続いていく。

その時には、若杉の体もかなり病み、倒幕が成し遂げられるときには
この世にはいなかった。

もう一つ、なぜどう考えても勝てるとは思えない高杉に
数十名の若者がついていったのか?

これは、歴史を知る我々からすれば、当たり前のことであるが、
このような絶体絶命の境地に、あえて付き従う人が
数十名もいたということは、驚くことではなかろうか?

確かに迷いもあったのは、当たり前。

この時、伊藤ですら、死を覚悟したであろうし、のちに総理大臣にまで
上り詰めるような「運」が開けるとは、思っても見なかったと思う。

長州の毛利家を振り返れば、本来関が原での優柔不断な行動が
もとで、120万石からその4分の1ほどの石高に格下げになって
しまった。

いざというときに、トコトン行動しないと、とんでもない
冷や飯を喰うことになる、これは関が原以来の長州藩の教訓、、、。

それに、奇兵隊にしろ、力士隊にしろ、その大半が下級武士か、
農民である。

それらの隊というのは、自身の大志を抱き、その可能性が開ける
道だったのかもしれない。

もし、幕府が力を回復し、幕府恭順派が実権を握り続ければ、
その芽が摘まれることになる。

ある意味、この長州の内戦とは、

幕府に恭順か?、それても戦うのか?というモノと、
既存の武士と下級武士の価値を示す戦いだったのかもしれない。

ただでさえ、百姓の中には関が原で敗れる前は
「今は、こげな貧乏をしちょるが、我が家だって、昔はけっこうな大禄を
もらっとった武士の家だったんじゃ〜」
というような意識が強いような気がする。

それに、毛利家自身の始まりが、安芸の国の豪族集団組合のような存在だった。

だから、平等意識が強く、他の藩では考えられないような下克上が簡単に起こる。

さらに萩博物館で聞いた話だが、毛利家は江戸時代を通して、
同じ殿様であった。もし、他の人が殿様になれば、自分たちの
権利や身分が台無しになってしまうという恐れが農民の間で
強かったらしい。

そりゃ〜、そうだと思う。

「関が原の折には、徳川に恭順したために、だまされて
あのような目にあわされた。そんなの真っ平じゃ〜。
高杉のいうことの方が、お〜ちょる〜。」


こんなような感情になったのではなかろうか。

当時の武士というのは、かなり官僚化していて、
果たして戦いのときに役にたったのだろうか。

逆に武力が強ければ幕府に目を付けられ潰されてしまうし、
怪我でもすればそろばんが使えなくなる。

例えば、なぜ浪人や百姓の集まりである新撰組が
京の街を守る為に、臨時採用という形で雇われたのか?

本来、それは武芸を生業としている、武士の仕事である。

江戸時代、会津藩や薩摩藩など、一部を除いて「武芸」というものを
かなり弱体化されたようだ。

長州でも、実際に戦ってみれば百姓の方が強かったということになる。

それに、鉄砲を主体とする戦いにおいて、鎧兜に槍というような武士の
価値がかなり縮小されてしまったのでは、、、。

そのようないろんな事から、長州の百姓達は、
俺達でもやれる、腰抜けの武士ではだめだ。俺たちが何とかしなくては
ならない、、、というような意識があったのでは、、、。

さらにそのような意識に火をつけたのが、吉田松陰ではなかろうか、、、。

松蔭の思想を突き詰めれば、百姓も武士も関係なく、
大志を抱き、この国のために命を駆けろというような思想なら
平等思想につながっていく。

それがかなり多くの若者を引き付けた根本ではなかろうか。

百姓が武士と共に、塾で学ぶ、そんなことってそうはありえない。

明治維新には、いい面と悪い面があり、その時代によって、
その評価も大きく変わってくると思う。

一つよい面を取り上げるなら、身分制度の
大シャッフルという意味では、多くの優秀な人材を
いろんな部署に投与できたのではなかろうか。

それが、日本の躍進にとてつもない原動力になったことは、
間違いないと思う。

江戸時代なら百姓が将軍になることは絶対にない。

いろんなしきたりに縛られ、いくら優秀であっても、
かなり身分制度に阻害されていたというのが事実であろう。

それが実際に、勉強がよくできれば、官僚にもなれる、
大将にもなれる、会社を興すこともできる。

さらに、長州藩全体で、尊王の意識が強かったという。

それは毛利家が天皇家の流れだということのようだが、
私が思うにはこういうことではなかろうか。

江戸時代を通して、朱子学が奨励された。

主君に忠義を尽くす、このことにより秩序が保たれ、
世の中を安定させようと幕府の狙いであろうが、
その主君というのが、極めれば極めるほど、将軍ではなく、
天皇のほうに思想的に重心が移されていく。

それが幕末の全国的な風潮であった。

とくに、江戸時代を通じて、幕府に対して押さえつけられてきた
長州藩には、そのような思想が強かったのだと思う。

長州には、回天の下地があった。

そして、その回天に火をつけた男が高杉晋作であった。

もし、あのような過激な男が、その後生き残っていたら、
もしかしたら、その後の長州も、新政府もかなりもてあますことに
なるだろうが、そこから天性の大調整役、桂小五郎が後を引き継ぐことになる。



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2017年01月01日

共生の思想の探求、、、。2017年の課題。

 新年あけましておめでとうございます。

今年もよろしくお願いします。

今回の年末年始も、毎年恒例の義両親が住む
山口県に来ている。

年末は、紅白を見て、それが終わるころに
すぐ隣にあるお寺の除夜の鐘が鳴り始める。

そして、鐘を突きに行き、その後近くの八幡さんに
初詣。

灯籠で参道が飾られ、新春らしい音楽が流れ
たき火のの火を横目に見ながら、お屠蘇を飲み
その後神社に参拝。

今年は、空を見上げれば、美しい星空、、、。

毎年、毎年の行事であるが、いつも思うことは
あ〜日本人に生まれてきてよかったな〜とつくづく思う。

私のブログ名は「日本人の研究!」である。

なんで日本人にそれほどこだわるのか?

それは、我々日本人って、それほど捨てたものではないということ。

また、今後必ず進むであろう、共生社会への大転回、、、。

その時にどうしても必要とされるのが、我々日本人が
自然とともに、限られた国土の中で、ひしめき合いながら暮らして
きた我々日本人、、、。

そんな中で培ってきた思想、精神、
技術が今後どうしても必要となってくる。

むしろ、そのために、今まで何千年の間、このような隔離された
島で独自の文化、文明をはぐくんできたのではなかろうか、
とすら思う。

今、若者は豊かさをそれほど求めないとも聞く。

新しい生きがい、新しい価値観、それを生み出すには
温故知新というのが、大きなキーワードになってくるのでは、、、。

そのような観点から、今年も、これから役に立つであろう共生の思想を
掘り起こしていきたい。

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2016年12月31日

家康の江戸への遷都の謎!?森林・エネルギーと武士の大量リストラから見た歴史、、、。

家康の江戸への遷都、、、。
歴史を知っている後世のものから見れば、
そんなもん当たり前のように思う。

しかし、当時の人から見たらどうだったのか?

関ヶ原の戦いの前哨戦、多くの大名が上杉征伐のため
東に向かった。

そして、江戸周辺のみすぼらしさを見て、愕然としたという。

それほど、関東エリアというのは、まだまだ未開の地、、、。

便利で華やかな関西圏を捨て、江戸に居続け、関東圏の開発を
続けた家康の考えはいったいどういうものだったのか?

私も歴史マニアであるが、武村公太郎氏の著書
「日本史の謎は地形で解ける」を読んで、
目からうろこが出る思いであった。

関西を嫌った家康

 なぜ、家康はあの江戸へ戻ってしまったのか?」
この問いのエネルギーからの回答が
ページの図2である。


IMG_2055.JPG


 この図は、巨木の伐採圏の遷移を示している。図のタイトルの
「記念構造物のため」でわかるように、宮廷、寺院、城などを建造する
巨木の伐採の時代変遷である。
 巨木の伐採場所や伐採時期は、寺社に保存されている縁起で特定できる。
それらを丹念に調査して作成した図である。
 これによると、」平安遷都したころの巨木の伐採圏が、淀川流域と
みごとに重なっている。
 さらに安土桃山時代の頃には、伐採圏が近畿から中部、北陸、中国、四国と
急速に拡大していった様子がはっきりとわかる。
 東京大学名誉教授の太田猛彦氏によれば「最初に建築材の巨木の伐採が入る。
それに続き燃料材の採取。その後に農民による焼き畑利用などが進む」という。
 この図2によって、単に巨木伐採の広がりだけが分かるのではない。人口の
増加と文明の発展、それに伴う森林消滅と山地荒廃の広がりを透かして見る
ことができる。
 家康が関ヶ原で戦っていた頃、木材の需要は関西圏の森林再生能力を
超えていたことが図2からわかる。当時、大阪で約40万人、京都でも
40万人の人口であったといわれている。少なく見積もっても、関西圏で
年間800万本の立木が必要であった。これは関西の産地は荒廃せざるを得ない。
すでに室町時代の後半、京都の東山や比叡山は荒廃していたと伝えられている。
 山地の荒廃が進展すると、雨のたびに養分を含む表層土壌が流出し、森林再生は
困難となっていく。兵庫県の六甲山、滋賀県の田上山がその代表である。
昭和年代までこれらの山々は、荒れるにまかせ放置されていた。
 1938年7月、梅雨前線豪雨と六甲山各所で崩壊が発生し、大規模な
土石竜が発生した。この災害は谷崎潤一郎の小説『細雪』でもとりあげられて
いる。神戸、芦屋市に土石に埋まり700人の人々が死亡した。この災害は、
400年前の秀吉の大阪城築城に伴う森林伐採のツケであった。
 徳川家康は関西の産地荒廃を目の当たりにしていた。家康はこの関西を嫌った。
1590年に家康は秀吉によって江戸へ移封されたが、そこで見たものは
日本一の利根川流域の手つ数の森林であった。目にしみいるような緑は
利根川流域の未来の発展を告げていた。家康は利根川の江戸を選択した。
 これが「なぜ、家康が江戸に戻ったのか?」の問いに対するエネルギーの
観点からの答えである。
 強力な権力を確立した江戸幕府は、木材供給基地を利根川・荒川流域だけに
とどめなかった。幕府直轄の木材基地を日田、木曽、飛騨、秋田、蝦夷と
全国に広げた。江戸幕府は、文明のエネルギー負荷を日本列島全体へ広く
薄く分担させることに成功した。全国各地から江戸に向かう大型船の船底には
大量の木材が積み込まれた。
 こうして日本全土から江戸へエネルギーが注入されたことにより、100万人と
いう当時の世界最大の都市・江戸の出現が可能となり、徳川幕府260年の
長期政権が保たれた。
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なるほどね〜。

世界の歴史上でも、エネルギー源である森林がなくなってしまって、
滅びた文明がいくつもあるという。

関ケ原あたりの日本の最大の政治課題は、有り余った兵士のリストラを
どうするのか?

秀吉の大陸進出も、現実問題、そのあたりが非常に強く絡み合ったいる。

秀吉軍団を見てみれば、日本一の上昇志向集団だ。

例えば、自分の部下に自身の領地を半分与えても
「秀吉様が、必ず新しい領地を与えてくれるはずだ」
という感覚が当たり前のようにあった。

では、その新しい領地とは、どこにあるのか?

外国しかない。

そんな上昇志向集団が、大きく方向を転換して、
大リストラしたのであるならば、たちまちに混乱して
しまったであろう。

しかし、大陸進出も失敗した。

そして、大衆の間も厭戦ムードになってきた。

そこで起こったのが、秀吉の跡目騒動である
関ヶ原の戦いだ。

戦争に明け暮れ、上昇志向の政治体制からの大きな
政治体制の大転換、、、。

その大転換を、当時日本一、また歴史上でも日本一の
上昇志向集団の秀吉軍団の遺伝子を受け継ぐ人たちでは、
どう考えてもできやしない。

社会全体として、それらの有り余った人材の雇用先として、
国内での新天地の開発しかない。

江戸初期では、日本の歴史上、飛躍的に新田開発が進んだ。

その最大の場所が、関東であったとも聞く。

そういう意味でも、エネルギー的に限界のある関西圏では、
ダメだったのかもしれない。

もし、家康が大阪に生き続けたら、西日本の森林は
荒れ放題、、、。

それが政治不信となり、大きな混乱が起こったのかもしれない。

大坂の陣とは、ある意味、「オレもいつかは大名になる」という
日本全国の浪人たちの野心を捨てさせる戦いであったともいえる。

もし、家康が大阪に居続け、秀吉のように豪華な生活を続けながら
より一層森林が荒れ放題になれば、大阪の陣はあれだけの規模で
収まっただろうか。

今回の真田丸の感想を多くの人に聞いても、
大半の人が幸村の生きざまに共感を受けていたようだが、
全体から見れば、家康のすごさというのは
計り知れない。

今の日本人の基礎を作った江戸時代、、、。

この江戸時代につちかったことが、これからの世界に
どれほど必要か、そう思えば、その基礎を作った家康が
もう少し評価されてもいいような気がする。




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2016年12月27日

「3.9+5.1」は「9.0」では減点で「9」でないといけないってホントなの!?

 先日、テレビを見ていたらあの「今でしょ」の
林修さんの番組がやっていた。

その中で、林さんが今年一番問題だったこととして、
いろんなことがある中で、どこかの学校の数学のテストで、
「3.9+5.1」の回答が、「9.0」では減点で「9」でないと
完全な正解にならないとのこと。

さらに、立方体の体積を出す時に、
「縦 ✖ 横 ✖ 高さ」であるが(順番が違うかもしれないが)
これが、例えば「高さ ✖ 縦 ✖ 横」などと書くと、
これも完全な正解にならないとのこと。

このことについて、多くの生徒に聞いてみると、
「答えがそのようだというのなら、それが答えになる」
という人が、多かった。

う〜ん、私もそれには引っかかるものがある。

例えば、体を横向きしある方向から見れば、「高さ ✖ 縦 ✖ 横」だったものが
「縦 ✖ 横 ✖高さ」にもなるはずだ。

ただそう教えるから、
それが答えだというやり方って、子供の学習能力を上げるのに
よくないような気がする。

大事なのは「何でこうなるのか?」ということ。

物事を根本から覚えるように癖をつけないで、ただ暗記だけに
頼る勉強方法で、本当に面白いのだろうか。

本当の力が付くのだろうか。

特に数学、理科なんてそうじゃないのかな。

歴史だって、歴史に興味を持てば、歴史に深い関係がある
例えば科学技術とか、宗教とか、政治、地理、地形学、などなど
いろんなことを知らないと、トータルで広い視野で歴史など
見れやしない。

ただ、「1192年に源頼朝が鎌倉に幕府を開いた」ということを暗記する
だけでは、本当の真実は見えてこない。

頼朝を押し上げる社会の大きな流れは何だったのか?

関東とは、どういう土地柄だったのか?

武士が出来上がった背景は、、?

などなど、いろんなことを総合して、頼朝の幕府創設というモノが
見えてくる。

確かに、受験勉強など、莫大な暗記量が必要とされる。

それを少しでも楽にするにも、
小さいころから、「何でこうなるのか?」というような
好奇心が大事なような気がする。

それを、小学生のころから
「3.9 + 5.1」は「9」じゃないといけないという風では、
なんとなく幅の狭い子供になってしまうような気がしてならない。


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2016年12月21日

自尊心の在り方、、、。

 先日、テレビで煩悩についてやっていた。

間もなく、大晦日、今年も義両親の住む山口で
除夜の鐘を突くことになるが、その除夜の鐘とは、
人間の持つ108の煩悩をあらわすという。

そのテレビの内容は、その煩悩の中の「嫉妬心」について
やっていた。

江戸時代初期のある旗本の話。

その旗本は、大砲の技術にたけていて、大阪城攻撃の時も
その大砲で活躍したという。

その大砲の技術を買われ、1000石の旗本になれたらしい。

しかし、その後、若い技術者が現れる。

その技術者に対する嫉妬心が抑えきれず、ある日、
その人と刺し殺してしまうという話だった。

「嫉妬心」とは、誰でも持つもの、、、。

その嫉妬心とどう付き合うのか、というよりも自尊心というモノを
どのように持つのかが、とても重要になってくるような気がする。

すごい技術、すごい知識を持ち、みんなにちやほやされる。

しかし、ちやほやされることだけで、自分の評価をしていたのでは、
いずれ崩壊することになると思う。

私が一番評価するのは、すごい技術よりも、すごい知識よりも
「常に学ぶ」という姿勢の人。

私は、戦国の三英傑の中で、信長も秀吉も好きだが、
紙一重で家康を評価している。

私なりに家康のことを表現するならば、
「内省の鉄人」とでも、言っておこう。

家康という人は、武田からも、北条からも、信長、秀吉、
天皇家からも、いろんなことを学んで取り入れている。

それには、常に自分を鑑みる、冷静さが必要。

こんな例がある。

小牧・長久手の戦いで秀吉軍に打ち勝ち、その後、
秀吉の傘下に入ることになる。

その直後の小田原攻めの時に、秀吉は小田原城をしっかりと囲み、
小田原城が見える高台に、自分の城を建てた。

そこに、全国から集まった大名たちが登城してくる。

その城の手前に急な川が流れ、そこを渡ってくる様子を
城から丸見えであった。

戦国の荒々しい時代を生き抜いてきた多くの戦国武将たちは、
その川を馬に乗り、勇敢に渡り切ろうとする。

ある意味、自分の武勇を見せつける見せ場であった。

そんな中で、家康がとった行動は、馬を降り、
数人の若い家臣に抱えられながら、石橋を渡るように
その川を渡った。

城から見ていた多くの大名たちは、そんな家康の臆病さを
あざけ笑った。

その中でも、数人の武将は「家康恐るべし」と
感じたという。

さあ〜、家康の立場になってみれば、
ほんの少し前まで、敵であった秀吉や秀吉配下の武将たちに
普通なら、自分を大きく見せようとするのでは
なかろうか。

こないだまで敵だった人たちに囲まれ、その中には家族や仲間を
家康に打ち取られた人もいるであろう。

そういう環境なら、通常、心を支配するのは、「恐怖」では
なかろうか。

恐怖心が心を支配すれば、自分を大きく見せようとするであろう。

しかし、家康は違った。

むしろ、自分の小さく見せようとし、その後の豊臣政権下では
徹底的に「律儀な内府」を演じきった。

「恐怖心」や「劣等感」のようなものが、心を支配していれば、
そのような行動はできないと思う。

それを抑える冷静さ、そして忍耐力、豊臣政権下の家康には、
そのことが一番重要だったと思う。

噂話の世界ではなく、自分の自尊心をどのように保つのか、
それは「常に学ぶ」という姿勢をやり続けること。

もし、常に学ぶという姿勢で、10年、20年やり続ければ、
相当な知識や知恵がつく。

目先の周りの評価よりも、本当の実力の方が、
結局は土台がしっかりした自分の自尊心につながるであろう。

それには、忍耐力、勇気、見識が必要なのかもしれないが、
同時に、心のあり方も、しっかりと研究していかないと、
身に付かないのかもしれない。

斎藤一人さんが、こんなようなことを言っていた。

「ダメな人は、すぐ、すごい人と自分を比べようとする、
有能な人は、昨日の自分、過去の自分と今の自分を比べることができる人」

もし、ライバルがいるなら、しっかりとその人から学ぶべし。

敵愾心を持っている暇などないし、それにとらわれていては、
周りが見えなくなる。

例えば、同窓会や昔の同僚になったりすると、
以前はもっと仲が悪かった相手でも、その憎しみのようなものが消え、
なつかしさが増してくることってないだろうか。

敵愾心や嫉妬心など、時間には勝てないということ。

環境が変わり、他のことで忙殺されるようになれば、
すっかり忘れてしまう。

人生の中で、その一瞬、一瞬を活かしきるには、
学ぶということに重点を置くべきではなかろうか。


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2016年12月18日

日米地位協定と北方領土問題、、、。

 ロシアのプーチンさん、日程をこなされ、
何とか帰国されたこと、ほっとした。

内心、米軍基地がいくつもあるこの日本は、
プーチンさんにとって、アメリカ以上に危険なところでは
ないかと、少し心配していた。

北方領土の問題に関して、確かプーチンさんは、訪日前の
日本人記者のインタビューに対して、
「日本の独立性にかかっている」
というようなことを話されていた。

もしロシアから見れば、北方領土の問題とは、
どういうものなのだろうか?

多くの日本人が、
「アメリカも沖縄を返したのだから、ロシアも北方領土を
帰すべき」
と、思っているのでは、、、。

しかし、ロシアから見れば、もし北方領土を返還しても、
そこに米軍基地がおかれてしまうのではなかろうか?
という強い懸念が存在する。

https://jp.sputniknews.com/japan/201612143129104/

2島に米軍基地建設の可能性、日本は否定せず


この記事をじっくり読めば、実際に、11月初旬、
谷内正太郎・国家安全保障局長はモスクワ訪問で、
ロシアのパトルシェフ安全保障会議書記と会談した際に、
パトルシェフ氏の日ソ共同宣言を履行して2島を引き渡した場合、
島に米軍基地は置かれるのか」との問いかけに対し、
「可能性はある」と答えた。
とのこと、、、。

この問題は、実は、日米地位協定に深く関係している。

沖縄国際大学大学院教授の前泊博盛氏の著書、
「本当は憲法より大切な『日米地位協定入門』
P.155〜159ページにQ&A方式で、次のようなことが
書かれている。


米軍が希望すれば、日本全国どこでも基地にできる
というのは本当ですか?


これは悲しいことですが、本当で。Q&A@でふれたように、
通常の安全保障条約や協定なら、駐兵する基地の名称や場所を条約や
付属文書に書き込むのが常識です。
 フィリピンがアメリカと1947年に結んだ「米比軍事基地協定」の
付属文書でも、有名なクラーク空軍基地やスビック海軍基地のほか、
23の拠点がフィリピン国内で米軍が使用できる基地として
明記されています。
 フィリピンはその前年まで、本当のアメリカの植民地でした。
それでもきちんと限定した形で基地の名前を書いています。ところが
日米安保条約にも日米地位協定にも、そうした記述がまったくないのです。
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すべて書き起こそうと思ったが、時間がなくなってきたので、
次の記事を紹介したい。

http://martin310.exblog.jp/17561176/

「日米地位協定入門」からの注目のトピック -2- 」

もし、北方領土をロシアが返してくれ日本の領土になったとしても、
アメリカとの日米地位協定により、アメリカが基地を置く権利を
有しているということ。

ここでも、日本の自立が大きな課題になってきている。


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2016年12月16日

「未来の人類社会への日本人の役割は、日本人自身が思っている以上に大きい。」武村公太郎氏の著書「日本史の謎は地形で解ける(環境・民族篇)」を読んで!

最近、武村公太郎氏の著書「日本史の謎は地形で解ける(環境・民族篇)」
を読んでいるが、今後、大転換が起こるであろう新しい文明について、
そしてその時の日本人の役割について、非常に的を得たことが書いてあるので、
是非とも紹介したい。

 文明を変換する「新しい物語」を


20世紀の日本が歩んできたのは「大量生産、大量消費」の拡大解放系の
文明であった。
 21世紀の人類には、資源の枯渇と、地球環境の激変が待ち受けている。
そのため、人類は拡大解放系の文明から脱却せざるをえない。
 この拡大解放系の文明からの脱却とは、その反語の縮小循環系への変換である。
 この縮小循環系の文明は、日本人が得意な分野なのだ。
 日本は、循環文明を鎖国下の江戸時代で体験済みである。モノを循環させる
社会システムのDNAは、すでに持っている。
 未来の人類社会への日本人の役割は、日本人自身が思っている以上に大きい。
 日本人は拡大解放系の文明を享受しつくして、世界トップクラスの豊かな
国になった。この日本人が、実は「縮小と循環」の性向をも持っている。
この日本人が未来文明の先頭に立たなければ、いったい誰に立ってくれと言うのか。
 ただし、日本が世界全体を新しい文明へ導くなどとは考えない方がよい。
日本人ほど世界のリーダーに不向きな民族もいない。
 ただただ心行くまでモノを見つめ、モノを縮小する性向を発揮していけばよい。
日本が「「縮小と循環文明」のモデルを創り、それを世界に見せることができれば、
それで十分責任を果たす。
 とはいっても、「縮小」とか「循環」という言葉は、人々の心を奮い立たせない。
 特に、荒々しい欲望を抱いて生きていく若者にとって、これらの言葉には魅力がない。
文明の変換という難関を乗り越え、新しい文明を築いていくのは若者である。
若者にとって魅力がなければ、文明の変換など絵に描いた餅で、単に年寄りの
つぶやきで終わってしまう。
「縮小と循環」という文明の変換には、何か強い熱情のようなものが必要である。
欲望あふれる若者の心をつかみ、若者の気概を引き出し、若者を文明の変換へと
奮い立たせる「新しい物語」が必要となる。
 その新しい言葉と新しい物語を考え続けいるが、まだ見出せない。
目の前に薄い霧がかかっているように、ぼんやりと見えるが、はっきりとは
見えない。  (P328〜330)


なるほど、なるほど。

私もまったく同意見だ。

私は、若いころ、一年間ニュージーランドに住んでいた経験があるが
その時知り合ったある女性の話。

その人はニュージーランド人で、日本にも2年ほど住んだことが
かなりの日本通、、、。

「日本人って、不思議なことにかなり優れた民族なのに、
なぜか自分たちのことを、悪く思っているところがある。
我々西洋人の方がはるかに残忍なことをしてきているのに、
もっと日本人は、自信を持つべきでは、、、」
と、、、。

愛知万博で知り合ったトルコ人の女性は、
「何でそこまで、卑屈になるの?経済だって一流、
民族性だって素晴らしいのに、たかだか一回くらい
戦争に負けたくらいで、そこまで自信を無くすこともない」
というようなことを言っていた。

せかいのひとって、日本人について、我々が思っている以上に
好印象を持っている人が多いように思う。

世界から見て、我々日本人っていうのは、かなり特異的、、、。

それに、私自身、なぜわざわあざ「日本人の研究!」などという
ブログを始めたのかというと、日本人にほんとの日本の姿を知ってもらいたい。

そして、その日本人が、これからの大きな文明の大転換の時代に、
非常に大きな役割を果たす可能性があるということ、、、。

これらのことを強く主張したい。

昨年だったと思うが、NHKで日本の三の丸遺跡のことをやっていた。

転々と住む場所を変え、とても貧しい生活をしていたと思われていた
狩猟採集民が、日本では定住し、大きな集落を形成し、かなり高度な文明を
発展させていたという。

一万年ほど前、他の国々では、農耕に変わる中、日本の縄文人たちは、
森と共に生きることを選んだらしい。

森に栗を植え、山の幸、海の幸を取り入れながら、自然と共に
生きていくことを選んだ我々の祖先、、、。

それに、日本の天災についてよくよく考えてもらいたい。

科学的な知識のない古代の人が、もし、海から大きな壁のごとき
津波が押し寄せたら、古代人たちは、
「海が怒った」と、感じるのではなかろうか?

いきなり真っ黒い煙を吐いて、山が噴火したら
日本の古代人たちは「山が怒った」と感じるのでは、、、。

稲妻が走り、激しく揺れる日本大地
「地が怒った」と感じるのではなかろうか?

川も氾濫し、毎年のように何度も、台風が押し寄せる。

こんな土地柄で住み続けてきた我々日本人は、
自然のことを無視することができず、恐ろしいモノであり、
そして豊かな幸を与えてくれるような大自然に対して
畏敬の念を持ち続けていたように思う。

何もない砂漠の宗教であり、絶対的な神が我々のために
すべてのモノを作り上げてくれた一神教的な世界観では、
どこか人間中心のモノになってしまう。

石油という莫大なエネルギーを手にし、自然やありとあらゆる
資源を喰いつくし時代ならその世界観が適していたのかも
しれない。

しかし、これからはどう考えても広げすぎた人間の活動を
どうにか縮小循環型社会に戻さなくてはならない。

日本の江戸時代を考えれば、そのような時代であったように思う。

その前の戦国時代とは、拡大型上昇志向社会ともいえる。

しかし、江戸時代はそれを大きく転換し、限られた国土、
限られた資源の中で、多くの人が生きていけるような社会であった。

リサイクル、リユースの江戸時代のテクノロジーというのは、
すごいものがある。

さらにと時から、限れた国土の中に、とても人口密度が高かった。

今、世界も益々人口が増え、人間の活動が活発になり、
狭い空間の中で、多くの人が住んでいることになる。

その中で、どのように殺戮し合うことなく、協力し合って生きていくのか、
その一番重要なのは「社会に信用を作ること」だ。

かなり高低差のある日本の地形、、、、。

その大地に梅雨の時期に雨が集中し、平野では水があふれかえる。

その水を上手く利用して、多くの収穫を得るには、一番稲作が
適していたのかもしれない。

梅雨の時期に、田んぼでは一番水を必要とする。

また、しっかりと川上の森林を維持しないと、
たちまちに水害の被害が拡大してしまう。

みんなで協力して、森林を維持し、川の堤防を築き、そこから水路を引っ張って
水があふれかえっていた平野の湿地帯を田んぼに変えてきた我々の祖先、、、。

その日本の田んぼというのは、牧畜や畑作に比べて、単位面積当たりの収穫量が多い。

つまり、村を密集して住めるということ。

また、稲作の北限である日本では、例えば田植えの時期に、しっかりと
労働力を集中し、田植えを終えないと、えらいことになってしまう。

常に暖かい、フィリピンなどの稲作では、いつ田植えをしても、
それほど影響がないが、日本では時期が増えれば、冬になり、
大きく収穫が減ることになる。

つまり、協力し、うまく労働力を田んぼに集中して、行わないと
たちまちに飢えが待っている。

だから、村社会といわれ、人目を気にし、協調的で自我を主張しない
思想が発展してきた。

その村では、納税から、冠婚葬祭、教育、介護、下の世話まで、
すべてのことをこなすほど、強い共同体を形成してきたといえる。

自己主張を優先する西洋的な思想とは、真逆であるが、
これからの時代、自分を捨てる思想でないと、共生社会は築けないように思う。

共生の時代に象徴的なある仏教の教え、、、。

地獄でも極楽でも、大きな釜でうどんをゆでている。

そのうどんを1メートルほどの箸を使って、食べなくてはならない。

地獄では、誰もが競ってうどんを食べようとするので、
誰も食べることができず、みんな飢え死にしてしまった。

極楽では、各々の口にうどんを運び、助け合いながら
みんなが食べることができ、みんな満腹になった。

各々との信頼関係がいかに築けるのか?

欲と恐怖に各々の心が占領されていたのでは、
結局はみんな倒れてしまう。

どこか今の世界に似ていないだろうか。

では、新し文明に大きく変換させる原動力となる
特に若い人たちへの強い情熱を引き立てる
「新しい物語」とは、何があるのか?

例えば、高度経済成長の時に、バリバリ働いて、
洗濯機を買った、車を買った、冷蔵庫、テレビなどなど、
ドンドン豊かになる実感があり、それが情熱へと
つながっていった。

しかし、今の若者たちは、車離れが進んでいるという。

果たして、そのような「豊かさ」だけで、強い情熱が
湧くとも思わない。

それよりも、いったい自分は何になるのか、何を目標に
生きていくのか、そのような漠然と大きな心の空洞が
存在するのでは、、、、。

それは、特に社会を引っ張っていく感受性の強い人ほど
そのように思うモノ。

世の中とは、一割ほどの人の意識が変われば、大きく変わる。

特に、空気に敏感な日本人は、大きな流れができば、
多くの人がそれに乗ってくるであろう。

その感受性の強い、若者たちの心に何が響くのか?

近畿大学の井田教授が、植物系廃棄物から、石炭に近い燃料
「バイオコークス」を開発した。

井田教授は、
「これで、世界の戦争を無くす」
と、語っておられた。

なぜ、中東であのように戦争が止まらないのか?

なぜ、日本があのような無謀な戦争に突っ込まなければならなかったのか?

世界の戦争を100年ほど振り返れば、そのほとんどが
エネルギー利権の奪い合い。

限りがある石油などのエネルギー資源が、限られた場所に
存在するから、その利権を争って、いつまでも戦争が続く。

それよりも、限られた場所に、限られたエネルギー資源ではなく、
誰でもどこでもとれるエネルギー資源に変わったらどうなるのだろうか?

太陽光、風力、水力、バイオマスなどなどの自然エネルギーは、
どこでも誰でも行える。

それも、すぐ近くのあの丘の上の風力発電とか、
うちの屋根の上とか、農業用水、ゴミ焼却場の排熱とか、
身近なエネルギー資源で、我々が生活できれば、明らかに
社会が変わる。

さらに、自然エネルギー資源の開発だけでなく、省エネ、エネルギー利用の効率化
蓄電システムなどなど、いろんな人が、角度から参加できる。

人間に莫大なエネルギーをもたらした石油、、、。

その石油により、資本主義が発展したといっても過言ではない。

しかし、資本主義が行き過ぎてしまった。

これだけ格差が世界中で広がり、このままでは世界が成り立たない。

自然エネルギーの普及、スローライフ、自前のエネルギーが
もしかしてマネーが暴走し、荒れ狂う成果経済の中で、
一番、身を守り、故郷を守ることになるのでは、、、、。

自然エネルギーで戦争を無くす、社会を大きく変換する。

そして、我々日本人という民族は、どのようなものかと考えれば、
これほど、そのことに適した人々もそうはいないと思う。

私がなぜ、「日本人の研究!」などというブログをやり続けているのか、
それはこれから新しい時代に向けて、日本人の役割というのは、
非常に大きいということ、そのことをよくよく訴えたい。


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