2016年10月18日

「資本主義」は、我々をどこに導くのか?「神の手」を失い、欲望と恐怖に心が奪われる狂気の世界で、本当の幸福はあるのか??

国家の束縛を離れ、国境なき巨大資本家たちによる
支配が完成しようとするTPPが,今国会で審議されている中、
NHKスペシャルで、「資本主義」について、もう一度
考える特集が組まれた。

今から、約三十年ほど前、共産主義が倒れた。

冷戦とは、簡単に言えば、シロアリさんとハゲタカさんの戦い、、、。

シロアリさんが敗け、ハゲタカさんたちが勝ったことにより、
ハゲタカさんたちの天下となった。

そして、そのハゲタカさんたちの思想が、トコトン尖鋭化してきてしまった。

そして、そのハゲタカさんたちの一番邪魔になるのが、
国家であり、それにともなるありとあらゆる規制だ。

人々の生活、環境、健康、文化伝統、雇用、安全などなど、
国民を守る為に、あらゆる法律があり、憲法がそれぞれの国にある。

それらの国家、憲法、法律が実は、ハゲタカさんたちにとっては、
まさに商売の邪魔、、、。

それをとっぱらい、永久にハゲタカさんたちのやりたい放題の
支配体制を完成させるのが、TPPである。

もし、政府が、地方行政が、国民の健康、環境を守ろうとした
法律や条例を作ろうとしても、そのことがハゲタカさんたちの
商売の邪魔になれば、たちまちに訴えれてしまう。

それが、TPPの本質だ。

話しが長くなってしまったが、是非ともこのNHKスペシャル
「シリーズ マネー・ワールド資本主義の未来」
を見てもらいたい。

三回シリーズで、一回目は、昨日(10/16(日))に
終わってしまったが、まだ10/22(土)、10/23(日)と続く。


http://www6.nhk.or.jp/special/detail/index.html?aid=20161016
「シリーズ マネー・ワールド資本主義の未来」

その紹介をしたいと思う。

第1集
「世界の成長は続くのか」
2016年10月16日(日) 午後9時00分〜9時49分


 豊かに幸せになるにはどうしたらいい? 格差ってどうして生まれるの?
商売を成功させる秘訣は? 人生につきまとうお金の悩み。その全てに
関係するのが人類が生み出したシステム「資本主義」だ。その資本主義が
今“500年に一度”とも言われる大きな岐路に立っている。無限に思われ
た成長の停滞、パナマ文書などで浮かび上がった富の偏在や巨大格差―。
 社会に豊かさをもたらすと考えられてきたシステムが未知のひずみを
引き起こし始めている。第1集のテーマは「経済成長」。
近年、世界の経済を牽引してきた先進国の成長が、急速に停滞し始めている。
近代資本主義の発祥の地・イギリスでは、EUの離脱決定後にポンドが続落。
先進各国もGDPの成長率を相次いで下方修正するなど未曾有の“超停滞経済”
と向き合っている。なぜ成長は止まり始めたのか?今後も世界は成長を
続けられるのか?フロンティアの消滅や、金融空間の限界など、その背景を
ひも解きながら、新時代での成長を模索する企業や経済学者の闘いを追う。



第2集
経済の“支配者”は誰か〜
国家 VS 市場経済・ルールをめぐる闘い〜 (仮)
2016年10月22日(土) 午後9時00分〜9時49分


第2集は、成長のルールをめぐる国家と市場経済の攻防を追う。
これまで市場経済を統御してきた国家が力を失い、資本主義を
コントロールできなくなっている。ある南米国家は欧米の
巨大企業の進出で成長を狙ったが逆に税収や失業率が悪化し
国家破綻の危機にさらされている。経済が低迷する南太平洋の
島国では、経済規制をゼロにすることで投資を呼び込む、
「国内国家」の検討を始めている。背景にあるのは“国家の
ルールは少ない方が競争を促し成長できる”と考える
「新自由主義」の広がりがある。今や北欧の福祉国家さえも
社会保障の財源のため新自由主義の導入を検討し始めた。
そして法律や規制はいっさい要らないと国家不要論を主張する
グループまで現れ、世界の国々と自治区設立を目指し、交渉を
始めている。経済が行き詰まるなか、国のルールや規制を大きく
変えてまで成長を求める資本主義は私たちに何をもたらすのかを
考える。


第3集
富は分かち合えるのか
〜巨大格差の果てに〜 (仮)
2016年10月23日(日) 午後9時00分〜9時49分


第3集は、変容する富の分配と巨大格差。資本主義は、人類が史上経験した
ことのない「巨大格差」を生み出した。その象徴が、世界におよそ150人いる
という年収2400万ドル以上の「プルトクラート」と呼ばれる超富裕層だ。
巨大な富と力を得たプルトクラートは今年注目のアメリカ大統領選挙を背後で
支え、影で世界の趨勢を握っている、とも言われる。一方で、利益の追求を
放棄するニューウェーブが世界各地で起き始めている。自らの年収を
10分の1にすると宣言するCEO、給与体系を変更し全従業員の賃金を
同額にする企業、利益を分かち合う自治体―。過剰な富の追求は「幸福」に
繋がらないという経済学が注目を集め始めているのだ。世界の富の分配は、
今後どう変容していくのか検証する。


是非とも、見てください。
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2016年10月12日

ロシアの「戦略的忍耐力」!




https://jp.sputniknews.com/politics/201610092877029/

ロシアのラヴロフ外相は、ロシアは非常に長い間米国の行動に
対して「戦略的忍耐力」を発揮してきたが、今ロシアと米国の
関係に抜本的な変化が生じたと述べた。

ラヴロフ外相ラヴロフ外相は、第1チャンネルのインタビューで
、露米関係で抜本的な変化があったという発言に対するコメントを
求められ、「私が思うにこれは事実だ」と述べ、「正直に言うが、
我々は非常に長い間、米国人が『戦略的忍耐力』と呼ぶものを
発揮してきた。なぜなら米国側からの一方的な関係悪化は、
ウクライナでの出来事が起こるずいぶん前から始まっていたからだ。
我々はこのことについて話をした」と付け加えた。 またラヴロフ外相は、
米国はロシアと「大人の」関係を築くことができず、米国の利益だけが
考慮された2国間関係のオプションは機能していないと述べた。
ラヴロフ外相は、「ジョン・ケリー氏が米国務長官に任命された時、
我々はこれについて話をし、双方が大人のやり方で関係を構築する
必要があるとのことで合意し、この用語は子供っぽい侮辱なしに
使われた。しかし誰もが上手くいっているわけではない」と語った。




国と国との関係でなくても、世の中、これだけ多くの人間が住んでいる
以上、いろんな摩擦が起きる。

斎藤ひとりさんが「人生とは、忍耐と知恵を学ぶためにある」
というようなことを言っていた。

本当に、強い人というのは、よく耐えれる人。

それには、広い視野と知恵が必要だ。

そして、こぶしを上げるときのタイミングを
よく知っていると思う。

今回の米露の関係においても、世界中で
米国の暴君ぶりは、目に余るものがある。

しかし、それをあぶりだすのも、「戦略的忍耐力」が
必要である。

ライバルが非常に誠意をもって耐え忍び、
相手がそれにイラつき、さらに暴君ぶりを助長させれば、
どうなるのか?

これは、アメリカ国内にも言える。

このままいけば、第三次世界大戦か、核戦争しかない。

それほど、米国は追い詰められている。

そして、どんな国にも、狂信者いる。

アメリカなどは、自由と民主主義というようなイメージだが、
日本の右翼なんかよりも、はるかに米国が第一の右寄り。

そのような狂信者が核のボタンを押させるのかどうか、
それはもう冷静さを取り戻させるしかない。

どんな国にも、世界にも、一定の狂信者というモノはいる。

しかし、ロシアが悪い、ロシアは悪魔だと思い込んでいるが
実際ロシアは、とことん耐え忍び、とことん協力を呼び掛けている。

どんだけの人が振り向くのか分からないが、
果たしてこのまま核戦争となるのであれば、
「本当にロシアが悪魔??」
だから、「核を使う??」
そして「核を使えばどうなる??」
と、自答する可能性が出るのではなかろうか。

そして、米国の内部で、激しい対立が
起こるであろう。

このようなロシアの「戦略的忍耐」というのは、
私は非常に効果があるように思う。

私は、どう考えても米国は、今までの路線を大きく
転換せざるしかないように思う。

プーチンさんが語る
「最後に勝のは、理性だ」と、、、、。



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2016年10月08日

シリアのアサド大統領が語る、、、。

シリアのアサド大統領はデンマークの第2TV放送からのインタビューで、
非常に興味深いことを語っている。下の記事によると


https://jp.sputniknews.com/middle_east/20161007/2870621.html


アサド大統領は穏健反体制派も急進主義者も構成しているのは
全く同じ人間で、これらは4、5年前は「自由シリア軍」と
呼ばれていたものの、その後「ヌスラ戦線」と名称を変え、
それから「ダーイシュ(IS、イスラム国)」になったと
補足している。

「全く同じ人間たちがこっちのグループからあちらのグループへと
移動しているだけの話です。だから米国はこれらの人間の線引きが
できない。それにそれをする気も米国にはないのです。」


シリアで穏健派など存在しない。

というよりも、存在できない。

果たして、あなたなら、今のシリアの状態で、
一人のシリア人として、反政府勢力であり続けることが
可能なのか?

自分の国、故郷がそれもそのほとんどが外国人によって、
クチャクチャにされている。

それと唯一戦っているのが、シリアの政府軍である。

たとえ、シリア政府に不満があったとしても、
もしシリア人なら、まずはテロリスト達を追い出すことを
最優先にするのでは、、、。

そして、唯一テロリストと戦っているシリア政府軍を
アメリカは誤爆と証して、数十人のシリア兵を殺戮する。

テロリストとの戦いで、ロシアが空爆し始めたら、
一気にイスラム国が後退し始めた。

アメリカは、もう数年、空爆を実施しているはずなのに、
後退どころか、アメリカ軍がやればやるほど、
イスラム国の勢力が拡大していった。

イスラム国の背後にいるのは、明らかにアメリカであり、
もうそれは公然の事実、、、。

そして、そのことを今では隠そうともしない。

なぜ、そこまでアメリカがシリアにこだわるのか?

なぜ、そこまでアメリカがシリアの勝利を危惧するのか?

そのことについて、アサド大統領が、下の記事で
非常に興味深いことを語っている。

https://jp.sputniknews.com/politics/20161006/2865146.html

「シリアの勝利は自立的な発展という考えの世界的な
普及につながり、それこそ西側が最も恐れていることだ」



オイル利権を牛耳り、世界通貨として君臨する米ドル、、、。

そして、世界各国に、その支配を確立するために、
米軍基地を置き、諜報機関を使って、謀略の限りを尽くす。

その支配体制が、大きく揺らぎ始めた。

オイル、マネー、軍事、これらはすでに過去のものとなりそう。

あらゆる思想、あらゆるシステムが、もう世界には
必要とされている。

アメリカ、そしてその発展とともに広まった資本主義、、、。

これらはもう過去のものになりつつある。

シリアでの戦闘とは、それほど歴史的に大きな転換点なのかもしれない。

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2016年10月01日

プーチン氏、「最後には理性が勝つ」と、、、!!

 最近の新聞を読んでいると、いつの間にか
シリアのアレッポで戦っているシリア政府軍とイスラム国から、
「ロシアが支援するシリア政府軍と、
アメリカが支援する反政府軍」
という表現に変わってしまった。

イスラム国は、どうしたの?

果たして、あなたなら、今のシリアの状態で、
一人のシリア人として、反政府勢力であり続けることが
可能なのか?

イスラム国により、自身の街は破壊され、人々は殺され、
強姦、人さらいはあたりまえ、、、。

自分の国、故郷がそれもそのほとんどが外国人によって、
クチャクチャにされている。

それと唯一戦っているのが、シリアの政府軍である。

たとえ、シリア政府に不満があったとしても、
もしシリア人なら、まずはテロリスト達を追い出すことを
最優先にするのでは、、、。

もし、テロリスト達と同じようなことをやっているので
あるならば、それは反政府勢力というよりも、
テロリストそのモノだ。

https://jp.sputniknews.com/politics/20161001/2845012.html

この記事の中で、ロシアの外相も、
「アメリカは、テロリストと反政府勢力と、
しっかりと区別させろ」
と、要求している。

誤爆という大量殺戮、その7分後には、
地上からイスラム国が政府軍を攻撃してきたという。

何度も行われる停戦反故という詐欺、、、。

毎回、その度に劣勢にたたされるテロリストへの
時間稼ぎにしかならない。

もう公然の事実であり、テロリストを支援している米国。

また、何度もテロにより多大な被害を受け、
大量の難民が押寄せるEUの国々がアメリカ側に
立っているというのは、あきれ返る。

今、世界に一番必要なのは、「信用の構築」である。

それなのに、そのリーダーが殺戮とだましを繰り返す。

プーチンは、非常によく耐えている。

その忍耐力と、知性にはとても感動する。

プーチンいわく
「最後に勝つのは、理性である」
と、語っていた。

世界の人々が、いずれ冷静に理性を取り戻し、
混乱と相互不信から、それが本当の平和と人類を
発展をつながること確信しているように思う。

それに、その道しかない。

何かに取り付かれた人の対処とは、冷静さしかない。

現に、多くの人が、目覚め始めているように思う。

時代が大きく変わるには、人々の集団意識が変わる
時である。

ロシアのプーチンさんは、ある意味、何度も何度も
世界の人々に、そのことを語りかけているように思う。

今、大きく、世界が動いている歴史的な
瞬間なのかもしれない。


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「守られている」、「導かれている」という感覚、これって大事なように思う。

朝の連続ドラマ、「とと姉ちゃん」、今日が最終回だった。

とても、面白かった。

昨日の放送で、名物編集長の花山さんが亡くなり、
その後、「あなたの暮らし」が戦後の人々の生活を
向上させるのに貢献したということで、賞をいただくことになった。

そのいただいたときに、とと姉チャンであり、
あなたの暮らし出版の社長である常子が
テレビに出演し、インタービューを受けるシーンがあった。

出演前、緊張する常子、、、。

自身の右肩をなぜながら、
「花山さん、どうしたもんじゃろの〜」
と、語りかける。

その一日前の放送のときに、花山さんの体が
悪化したときに、常子が病院に見舞いに行った。

その時、常子が
「花山さん、もし、花山さんがいなくなったら、
私達はどうなるんでしょう?」
と、不安そうに花山に語りかける。

花山が
「大丈夫、僕がいつもついているから。
私が常子さんの右肩について、君が、『どうしたもんじぇろの〜』
語りかけたときに、必ず支えるから、、、」
こんな内容のことを、語っていた。

誰かが、自分を守ってくれている、導いてくれている、
そんな感覚って、私は大事だと思う。

人間って、その人生において、何度も何度も
このような場面ってあると思う。

緊張し、不安になり、それでも、一人で向かっていかなくては
ならない。

そんな時に、常子のように
すでに亡くなった常子の恩人である花山が
「私が亡くなった後も、君を守り続ける」
というようなことを語ってくれたもしかしたら、
大きな心の支えになるのでは、、、。

これは、ある意味宗教教育のようなものであるが、
宗教でも、もし現代社会において、使えるのであれば、
それを利用する価値は十分にあると思う。

私も有名なおじいさんおばあさん子であった。

おじいさんが、病気になる、私が20歳ぐらいまで、
おじいさん、おばあさんと一緒に寝起きを共にしていた。

そんな祖父母が毎晩、私に対して言うことは
「ご先祖さんが守っとってくれる、氏神さんが守っとってくれる」
というような宗教チックなことを語っていた。

そんな祖父母が、今では亡くなって、私の「ご先祖さん」に
なられた。

そして、そのおじいさん、おばあさんと寝起きを共にした
我が家の離れで、今、私が暮らしている。

ここは、おじいさん、おばあさんがとても苦労して建てた
離れだ。

「牛坊かってね〜、それを毎日、豊田の街まで運んで、
それでこの座敷が建ったんだよ〜」
というようなことを何度も、何度も語っていた。

そんなこの離れで住んでいると、どこかに祖父母と共に
生きているような気持ちなる。

おじいさん、おばあさんが自分にいつもついていてくれる、
そんな気がしてならないが、しかし、そのような感覚が
幾度も私を助けてくれたような気がする。

あるラジオで語っていた話、、、。

二人のおばあさんが、一緒に働いているようであるが、
働き者のHおばあさん、要領がよく、上の人がいるときしか
働かないKおばあさん、、、。

働き者のHおばあさんが
「あんた、神さんが見てるよ〜」
と、いってもそんなことは、おかまいなし、、、。

しかし、お金にはエネルギーがあると思う。

しっかり働いて、稼いだお金というのは、
それなりにパワーがあり、その価値が分かり、
大事に使うであろう。

要領よく手にしたお金というのは、そのお金に対して
そのような意識しかなく、それなりの使い方になってしまう。

また、そのような生き方というのは、
周りの人にも影響を与える。

そのKさんのお子さん達が、いい年なのに、働こうとしないらしい。
そのお孫さんもそのような感じとのこと。

そして、そのおばあさんであるKさんの稼いだお金に
依存して生活しているとのこと。

ある精神科医が言っていたが
「人間とは、著しく、周りの人から影響を受けるもの」
とのこと。

それが、とくに影響を受けるのは、親であり、上司であり、
先生であり、先輩であり、自分よりも強い立場に
ある人の影響を受けるように思う。

親の生き方というのは、その人にとって、
それが標準的な生き方になり、知らず知らずに、
その影響は大きいと思う。

その時に、「神様が、見ている、ご先祖さんが見ている」
という感覚があると、自分を律する気持ちが生まれる
のではなかろうか。

科学が発展すると同時に、宗教というモノが
どうしても胡散臭いような感覚を持つようになった。

確かに、いろんな事件があったし、宗教的な対立が
大きな戦争を引き起こしてきた。

しかし、個人として、誰かに守られている、
誰かに導かれているという感覚、これって十分使えるのでは、、、。

また、亡くなった人は、大抵の場合が、
みんないい人として扱われやすい。

自分の大事なお子さんやお孫さんに
「私が死んでも、あんたを守っているからね」
なんて、語っておくと、その人たちの
窮地を救うことになる可能性が生まれるのでは、、、。

新興宗教などの月謝が馬鹿高い神様に頼らずとも、
身近な亡くなった祖父母、父母などの身近なご先祖さんでいい、
また近くの氏神さん、いつも見かけるお地蔵さん、
そんな身近な存在の方が、自分を守ってくれている
というように感じることができるのでは、、、。

困難をどのように乗り越えていくのか?

それが、何度も何度も訪れるのが人生であり、
そこで知恵と忍耐を学ぶのが人生であると
斉藤一人さんがいっていた。

そんな時に、自分に優しかった人たちが、自分を
守ってくれていると思えるようになれたら、
勇気が沸いてくるのでは、、、。

とと姉ちゃんの最終回、亡くなったとと(父)が
常子の前に現れた。

そして、常子に対して
「ここまでくるのに、よく頑張ったね〜」
と、ほめてくれた。

イメージとして、もし亡くなったときに
多くのお世話になった人たちが、自分を出迎えてくれて、
「よく頑張った、よく頑張った」
と、言ってくれるような人生にしたいとふと思う。

とと姉ちゃんもいい、作品であったように思う。



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2016年09月20日

幸せを感じれる力、「幸福力」とは、、、。

こないだの土曜日早朝のラジオ放送、
「なぜ生きる2」が、とてもよかった。

「死」、「病」、「老」、「別れ」と、
誰もが訪れることになる人間の4大苦について、
語られていた。

その中で、
「病気になれば、誰もが煩悩が減る」
というようなことを言っていた。

確かにそうなのかもしれない。

もし、いっぱいお金を持っていても、
誰もがうらやむ地位にあっても、病気であれば、
なかなか幸福を感じることはできない。

歩くこと、食べること、手、足を動かすこと、
呼吸すること、会話することなどなど、
呼吸困難で、食べることが出来ず、そんな状態で
高級ホテルに泊まり、最高のフレンチを出されて、
美女と食事しても、果たして楽しいと思えるだろうか。

6年前に亡くなったうちの伯母。

すい臓がんと肝臓がんを併発し、そのことを申告されてから
ちょうど一年後に亡くなった。

伯母が闘病しているときに、ある日、私のところに電話があった。
「便が出た、便が出た、黄色いウンチが出た」
と、大喜びで電話があった。

傍から見れば、おかしな話である。

毎日、当たり前のようにするものであるが、
一般的には「汚いモノ」。

誰もが嫌がるモノであるし、便が出たからといって
大喜びするようなものではない。

しかし、その当たり前の行為でも、もし体を壊し、
でなくなれば、どうだろうか。

伯母はまったく便が出なかったが、その時、
薬の投与で出るようになった。

周りをよく見れば、脳こうそくになり、片方の足、手が
動かない人もいる。

うちのオヤジなどは、長年、喘息に苦しみ、
ある日、夜中、息が出来なくなり、仏壇の前で
死を覚悟したという。

そういう人たちにとって、我々があたり前に思っている
「健康」って、どれほど幸福なことか。

あたり前の幸せって、本当に「あたり前」なのか?

水道をひねれば、飲めるほどのきれいな水が溢れ出る。

スパーへ行けば、食糧があふれかえっている。

世界的に見れば、どれほどの人が水不足で苦しんでいるのか。
どれほどの人が、飢えで苦しんでいるのか。

時代軸で見ても、これほど飽食の時代があっただろうか。

うちのオヤジの昔の思い出話は、そのほとんどが
「あれ食べた、これ食べた」というような話、、、。

それだけ、食べるということに執着が強かった。
逆に言えば、ハンバーガーもない、レストランもない、
兄弟姉妹も多かったうちのオヤジは、なかなか思う存分、
食べられなかったのだろう。

ある人が言っていたが、しあわせを感じる力、「幸福力」って、
人それぞれ違うと思う。

劣等感やコンプレックスというのは、確かに自身を動かす
原動力になると思う。

しかし、それだけではいずれ息詰まる。

周りに感謝できる、
何もかもつながっていると感じることができる,
何かに守られていると感じれることができるなど、
本当の自由とは、自身の幸福力が、自分を解放する
ことになるのでは、、、。

どんなにお金持ちでも、どんなに偉い人でも、
逆にそのことが、その人を苦しめることにもなりかねない。

やがては、すべてを置いて、魂一つで旅立つこの身の上。

本当に、それがいるのか?
本当に、そうあるべきなのか?
本当に、認めてもらう必要があるのか?

何のために生きるのか、もっとシンプルによくよく考えれば、
かなりすっきりし、本当の幸福感が味わえるような気がして
ならない。

より客観的に自分を見つめることができるのであれば、
まったく、世の中を見るモノサシが変わってくるような気がする。

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2016年09月19日

世界中の誰もが認める「アメリカは、イスラム国を援護している」ということ!!

アメリカの有志連合が、シリア政府軍の空軍基地を四度も「誤爆」???

そのいわゆる「誤爆」が終了後、その七分後に
イスラム国のの部隊が地上でシリア政府軍に対する攻撃を開始、
これはもう、空と陸で連携しているとしか考えられない。

なんで四度も「誤爆」がありえるのか?

人工衛星も有し、最新鋭の装備も完備しているアメリカ軍というのは、
それほど劣化しているのか!?

ロシアが空爆を開始したら、たちまちのうちに
イスラム国が敗退し始めた。

以前から、アメリカ軍がイスラム国を空爆しているのにも関わらず、
逆にアメリカが空爆をするとイスラム国の勢力が拡大する。

実際、アメリカが支持をする穏健な反政府勢力というのが、
存在するのか?いや、シリア国内で存在できるのか?

自分の国で、故郷で、自分の家族が、奪略にあい、殺され、
強姦にもあう。そして、石油を盗掘される。

それも、イスラム国のほとんどの構成員は、凶暴な
外国人だ。

あなたが、シリア人で穏健な反政府勢力であったなら、
政府軍側として戦うのか?、それともイスラム国側で戦うのか?

シリア国内は、もうメチャクチャ、、、。

どっちにつこうか、なんてのんきに構えているほどの状況ではない。

実際のところ、イスラム国の兵士とは、雇われた傭兵だ。

誰に雇われたかって?それは、シリアがクチャクチャになれば、
喜ぶ人たち、、、。

この混乱のおかげで、欧州には、大量の難民が押し寄せる。

今、いったい、アメリカを誰が、何処の国が支持できるというのか?

こんなことを、アメリカはいつまで続けるのか?



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2016年09月12日

背中で教える生き方とは、、、。

 瀬戸で働き始めて、すでに20年がが経つ。

最近、ある地元のお客さんに、自分が瀬戸出身ではなく、
「母国語は三河弁です」と言ったら、驚かれた。

「あんた、瀬戸の人かと思った。瀬戸弁丸出しだし、
なんか昔から、この辺におる人のようだ」
と、言われた。

私にとっては、とてもうれしいほめ言葉だ。

たしかに、意識して瀬戸弁を話すようにしてきたが、
今ではこちらの言葉のが普通に出てくる。

やはり、地元の人たちとよりよいコミニケーションをとろうと
思うと、地元の方言ってとても大事なような気がする。

何か話をするにしても、全く対応がスムーズにいく。

「地元に入れば、地元に染まれ」
これは、私も元上司に体で教わったこと。

私が高校を卒業して最初に入った会社に、東京近郊出身の常務さんがいた。

その人は、実質、その会社のトップ。

その常務さんは、自分は中日ファンだという。

しかし、どう考えても、典型的な巨人ファンタイプだ。

バリバリの中日ファンの私に合うと、
多分、その日の中日新聞のドラゴンズの記事を読んだことを
話してくる。

中日ファンなのだか、実際は「中日ドラゴンズファンの勉強中」
というような感じだった。

その常務さんは、いろいろ物知りで、本来ならもっと
気難しいタイプ。

常務さんと私とでは、歳も違うし、育った環境もまったく違う。

どうにか、若いモンとコミニケーションを取ろうと、
努力されているようだ。

トップである以上、大変厳しいことも、私らに言わなくてはならない。

しかし、それも日ごろ、本来なら気難しいタイプなのに、
毎日、毎日、私のことを探してまで、ドラゴンズの話をしに来てくれる。

その常務さんには、よく逆らった。

私の同期が常務さんに怒られたことで、頭にきて、その常務さんが住んでいる
社宅にまで押しかけて、文句を言いに行ったこともある。

そんなごたごたもありながら、当時、まったく甘ちゃんだった若造に
一生懸命、コミニケーションを図ろうとする常務さん。

今思えば、本当に頭が下がる。

その姿勢って、私の人生の中で、幾度も生かされてきた。

常務さんが、もし巨人ファンだとして、
「わしは巨人ファンだ。わしの前で中日の話などするな」
というような態度では、みんなの心をつかむこともできないし、
せっかく違う土地にきているのだから、地元のことを
学ぶこともあまりできないのではなかろうか。

常務さんにとって、当時、最優先することとは何だったのか?

自身の巨人ファンというアイデンティティーを主張することなのか?

それより、任された会社を上手く運営し、多くの社員を取り込みながら、
共に成長していく、そんな姿勢だったような気がする。

その常務さんは、「少数精鋭」を掲げ、全社員に、通信教育をやらせ、
いろんな免許を取るようにさせていた。

私などは、当時そのような勉強が嫌いで
「何で、高校出てまで勉強しなくてはならないんだ。
勉強が嫌で、就職したんだぞ〜」
というようなことを言って、反抗したものだ。

まったく、廻りが見えない甘ちゃんであった。

今では、その頃仕込まれた勉強癖のおかげで、どれほど
助かったいることか。

その常務さんは、数年ほど前亡くなられた。

その前に、手紙を書いた。

その当時、常務さんは、かなりの重病で、
それでも、返事が返ってきた。

ありがたいことだ。

常務さんは亡くなられたが、私の中で、常務さんの教え、
生きる姿勢というモノが、生きている。

そのように、常務さんから、私に、私も同じような気持ちで
生きていれば、誰かに影響を与えるのかもしれない。

さらにさかのぼれば、その常務さんにも、親がおり、
お世話になった上司、先輩の方々がいる。

それに、読書好きの常務さんなら、本からいろんなことを学んで
いるはずだ。

人間社会にとって、文字というのは、時代を超えて、
大きな影響を与えることになる。

何百年も前に生きていた親鸞さんや道元さんから、
多くの人が現代も影響を受けている。

そんな中に、常務さんも、私も、生きている。

そして、その人間社会の大きな大きな集団意識に強い影響を
受けながら、私という人格が形成されている。

つながっている、明らかに大きなモノにすべての人が
つながっている。

そういう認識って、今後、とても大事になってくるように思う。
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2016年09月08日

信繁殿、本当の「正義」とは何なのか?

 大河ドラマ「真田丸」、今、ちょうどこれから関ケ原というところで、
一番見どころがあるところではなかろうか。

そんな中で、兄、信幸とのやり取りで、
信幸が信繁に
「もし、豊臣が勝ったら、どんな世の中になるんだ?」
ということを迫る。

信繁が
「石田様が、秀頼様を中心に、安定した社会を築いてくれます」
と、ちょっと、言葉は違うかもしれないが、こんなような
表現であった。

豊臣につくのか、徳川につくのか、もし「正義」を語るのなら、
どちらが勝った方が、世の為になるのか?

豊臣家を中心に見た場合では、もちろん「豊臣の世」を
継続したいと思うから、断然西軍だ。

しかし、よくよく考えてもらいたい。

もし、西軍が勝っていたらどうなっていたのだろうか?

まず、総大将毛利氏は、120万石から、200万石くらいに加増。
上杉氏も、それぐらいになるだろう。
宇喜多、島津、小早川は、100万石を超えるであろう。

三成でも、豊臣政権で発言力を拡大するには、
100万石ぐらいの大名でなくてはならないであろう。

これほど、大大名が多数できれば、また戦国の世に戻るのは、
誰が見てもわかる。

なぜ戦国時代が起こったのか。

それは、大大名が各自勝手なことをやり、統制がつかなくなってきた。

戦国の世を勝ち抜いてきた毛利や上杉など、
もし200万石もの大大名になれば、それこそ、
ほぼ独立国のようにふるまうであろう。

それに、秀頼は幼子、淀の方はどう考えても、分別が足りないと
言わざるおうえない。

こんな状態で、戦国大名たちを束ねることなど、できやしない。

豊臣集団の大きな特徴というのは、著しい上昇志向集団だ。

日本には、今後奪えるパイはない。

海外遠征も失敗した。

今からは、戦いで生きてきた人のリストラの時代が始まる。

そのことこそ、戦国の世から、安定した時代の一番の
重要課題となるであろう。

そんな時に、安定した政権がなくては、どうにも収まらない。

それに、今、江戸時代の価値というモノが、大きく見直されている。

たとえば、戦国時代、戦いに駆り出された百姓や下人に、
どのように恩給を与えたかというと、征服した地域の
奪略、乱取りだ。

せっかく、それに老若男女問わずに、生け捕りにして、
奴隷として海外に売り渡された人数が、数十万ににも及ぶという。

海外でもそれは当たり前であり、今でも、そのような
感覚が抜け切れない。

そのような雰囲気を大きく変えたのが、成熟した徳川260年だ。

思想、宗教、哲学、日本独特の文化が発展し、
モノも徹底して使いこなす高度なリサイクル・リユース国家となった
日本人。

そのルーツは、やはり江戸期に成熟したといえる。

急成長した豊臣財閥では、その根本的な性質から、
戦争が辞められるのだろうか?

石田三成でさえ、4万石だった時に、島左近に
2万石与えて家臣に迎えている。

つまり、秀吉が必ず加増してくれると、
信じているからだ。

しかし、もう日本には、パイがない。

パイを作るには、国内の戦争を継続するしかない。

そんなことでは、いつまでたっても世が収まらない。

江戸時代の価値、それを考えたうえで、我々日本人は、
そこから、どれほどいろんなことを享受していることか。

そう思うと、関ヶ原とは、ただその時の支配体制が変わるだけでなく、
大きな大きな影響を我々日本人に与えたといえる。

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2016年08月28日

死後、「やがて地球の一部になる!?」、、、。週刊ポストの記事、おもしろかった!!

今回も「死」とか「あの世」とかの考え方についての
記事を紹介しようともうが、なんとなくこんなことを
書くと「こいつ宗教くさいな〜」とか、思われるかもしれない。

しかし、私もあなたもいずれ死ぬ。

父や母、かわいがっている我が家の犬もいづれ死が訪れる。

諸行無常であり、今、当たり前のことも、いずれは当たり前で
なくなる。

我々は限られた命、限られた時間の中で、過ごしている。

そう思うと、今、この時が大事に思うのではなかろうか。

あの栄華を極めた豊臣秀吉も辞世として、
「露と落ち 露と消えにし 我が身かな
浪速のことは 夢のまた夢」
と、詠んでいる。

あの巨大な大阪城も、金銀財宝も、多くの家臣団も、
すべてこの世に置いて、たった一人であの世に旅立っていった。

あれがほしい、これがほしい、こうなりたい、ああなりたい
人間いろんな願望があると思う。

しかし、どうあがいても、いずれはあの世に行く身の上、、、。

そう思えば、世の中の見方がまた違ってくるのではなかろうか。

求めるものが、変わってくるのではなかろうか。

少しでも、心の贅肉を落とし、限られた時間、
限られた命をめいいっぱい使い切りたい。

自分の死を認識するということは、
その「死」と真逆の「生きている」ということが
浮き彫りにされる。

ちょっと、前置きが長くなってしまったが、週刊ポストで
とてもいい記事が載っていたので、是非とも紹介したい。


死後の世界がわかれば生きるのも辛くなくなる
本気で考えてみた
「あの世」の大研究

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 臨済宗の僧侶で作家の玄侑宗久氏によれば、日本人が
「死」の概念を持つようになったのは、仏教伝来以降のことだという。
 「『万葉集』や『古事記』などには『死ぬ』という言葉はなく
『避(さ)る』という言葉を使っています。”どこかに行く”という
イメージで、『死』とはちょっと違うでしょう。6世紀半ばに
仏教が火葬の風習とともに入ってきて初めて、”体が灰になる=死”と
いう概念に触れたように思います。ポイントは、当初日本に伝来した
仏教は、中国の『輪廻』の概念を外されたものだったことです」
「輪廻」は、死んでもこの世のどこかで次の生が始まるという概念だ。
だから体を取っておく必要がなく、火葬しても構わないことになる。
後に輪廻の考え方も日本に伝わることになるが、当初は伝来の過程で
輪廻という概念が外され、火葬という形だけが残っていたという。
つまり「次の生に対する保証が何もないのに、体は燃やされてしまう」
(玄侑氏)ことになったのだ。
「このため、平安初期の説話集『日本霊異記』などを読むと、
『頼むから9日間は燃やさないでくれ』とか『腐敗が進んで諦めが
つくまでそのまま置いておいてくれ』という貴族がいっぱいいたんです。
そういう状況下に、救世主のように現れたのが浄土教でした」(玄侑氏)
 浄土教では死ぬことは「往生」、すなわち「浄土に往って生きる」
ことを意味する。
 この考えは『万葉集』や『古事記』の『逝る』という表現にピッタリと
合う。『ああ、死んでも大丈夫なんだ』と人々が思ったことで、浄土教は
燎原(りょうげん)の火の勢いで広がっていったんです」(同前)
 死後どうなるかという”ビジョン”が人々を救ったという解説だ。
 さらに玄侑氏は「あの世」という表現が定着していることにも
注目する。
「『あの世』という言葉は仏教ようごではなりません。日本人にとって
の死後の世界は、どうも”昔いた懐かしい場所”という感覚のようなんです。
『あの世』といった時に、誰も『どの世?』とは聞かないでしょう?
『あ〜、あれね』という暗黙の了解が前提にある気がします。浄土教に
置ける浄土は、”十万億土の彼方”といわれますが、日本人にとっては、
”身近な自然の奥のほう”というようなイメージが形づくられてきたの
ではないでしょうか」

「やがて地球の一部になる」!?

だが、こうした日本人の「あの世観」は、他の国とは違っているようだ。
中央大学大学院教授で宗教学者の保坂俊司氏がいう。
「日本人は古くから、奇岩に神が宿ると考えたり、コブだらけの樹に
霊的なモノを感じたりしてきましたが、そこに宿る神は世界を創造した
神ではなく、死者の霊などです。しかし、樹木に神が宿るといわれても、
砂漠地帯の人にはわからない。このように、ある地域に住む人なら理解し
共感できるものを民族宗教、世界中のどこにいていも受けれれられる
ものを普遍宗教です」
 その普遍宗教では「あの世」をどうとらえているのだろうか。
「2つの普遍宗教(キリスト教、イスラム教)のもととなった
ユダヤ教では、人間には神を裏切った”原罪”があり、この世は罪滅ぼし
の世界だと捉えています。ここで神の教え通りの良いことをすれば
許してもらえて、天国に行ける。この考えは、派生したキリスト教にも
イスラム教にも継承されています。ただ、この世の位置づけは
少しずつ違っていて、キリスト教では『悔い改めよ』というストイックな
面が強調され、イスラム教では礼拝やランダンなど罪の償い方が全部
決められている。しかしいずれも『一回起生』といって、生きるチャンスは
一回しか与えられていません。だから厳しいのです」(保坂氏)
 これに対して仏教では、人間は「輪廻転生」し、生前の行いで次に
生まれる世界が(来世)が決まると考える。しかし、転生はあくまでも
極楽浄土などの理想の世界に行くための通過点だ。ここが
ユダヤ教系の宗教と大きく異なる。ただし、そうした普遍宗教の底流には
共通するものがあるという。
「天国とは来世がないと、この世での倫理が成り立たないという考えです。
簡単に言えば悪いことをしても、死んでしまえばそれまでということに
なってしまう。生きている世界は不安定さを乗り越えたい。その意味で、
人類にとって宗教は不可欠なモノです」(保坂氏)
 "死後どうなるか”が示されることで、”どう生きるか”が見えてくるわけだ。
 キリスト教やイスラム教の「天国」のあり方は少しずつ違っている。
「キリスト教の場合、『光の世界』といった抽象的な表現しかありません。
一方、イスラム教では、いくら飲んでも酔わない酒だとか、縁があふれて
川が流れているなど、砂漠の中のオアシスに住む貴族の世界のイメージが
『コーラン』に書かれています。中には、”いくら抱いても処女の女がいる”
といった記述もありますよ」(保坂氏)
 宗教と切り離せたところでも、「あの世」に関しては様々な考察がある。
元京都大学帷幕部付属病院救急部・集中治療部部長で東大名誉教授の
矢作直樹氏は、「死とは何か」について次のように語る。
「我々の目に見える肉体はあくまでも三次元の存在で、人間の意識は
目に見えるものとは別の高い振動数の粒子の集まりと考えられます。
ただし、生きている間は意識は肉体とつながっている。人が死ぬことは、
肉体と意識のつながりが切れ、意識が肉体を出ていくことを意味します。
意識は肉体を離れれば自由になる。痛みも苦しみも感じることは
なくなります。ですから、死ぬことは決して怖いことではありません」
 他にも多様ない見方がある。(あの世ではまず、自らの人生を
振り返る映像を見る)(あの世はすべて自己管理の世界。タラタラ
過ごしても起こられない) そんな広告宣伝文が全国紙に掲載されて
話題の『聞いてビックリ「あの世」の仕組み』(東宝出版)の著者で
ライフアドバイザーの松原照子氏は、「不思議な世界から来た方々」に、
「死後の世界」のことを教えてもらっていたという。
 「人は死を迎えてもすべてが消滅してしまうわけではありません。
意識が体とお別れするということだそうです。体とお別れする
ときには痛みを伴いますが、天寿を全うして老衰で亡くなる場合は
『十分生きました』ということで心地よい痛みを覚えるそうです。
自己の場合は痛みは感じますが、体と別れたことを理解すると
痛みは治まるそうです。
 意識が肉体から離れると光の衣が現れ、それを纏うと次の場所に
導かれます。それが『あの世』です。あの世ではまず、自分の生前の
道のりを繰り返し映像で見せられるので、過ちを反省し、後悔する
そうです。そうして様々な欲から開放され、やがて自分は地球の
一部なのだというこに気づかされるそうです」
松原氏の"独自の説”をまとめた本に注目が集まるのは、人々が
それだけ「あの世」に興味があるということの証左だろう。

魂の重さは[21グラム」なのか

一方、化学の視点で言えば、そもそも「生」と「死」の境目は、
はっきり断定できないところもある。前出・大津医師がいう。
「便宜的に心停止、呼吸停止、瞳孔散大を一つの区切りとしていますが、
生物が心停止した後でも脳波の変化はありますし、すべての細胞が
死んでいるわけではなく、生きている部分もある。どう捉えるかは
実は非常に難しいところなんです」
 その上で大津氏は臨死体験者が見た「あの世」についてこう考える。
「最近ではラットの実験で、亡くなった後の数十秒間は脳波の活動が
活発になるといわれていて、臨死体験に関係している可能性があると
話題になっています。最後にぬくもりを見せてくれる脳の働きが
観測されているのかもしれません」
『霊はあるか』(講談社)の筆者で、自らも臨死体験がある立命館大学
橋上の安斎育郎しは「科学者の立場」という前提でこう話す。
「死んでだら無に帰す。例えば体重の18%を占める炭素原子は、
死んで焼き場で焼かれれば二酸化炭素となって飛び散っていく。
科学的にはそれだけです。残念ながら、死後の世界はない。でも、
それを思い描くのは人間の自由です」
 100年以上も前に遡るが、アメリカ・マサチューセッツ州の医師・
ダンカン・マクドゥーガル博士は人が死ぬ瞬間の体重を計測し
続け、死ぬと体重を測定し続け、死ぬと体重が21グラム減ることを
発見した。そしてそれが「魂の重さ」だと結論づけたのだ。この説は
現代科学では否定されているが、『21グラム』は03年公開の
心臓移植をめぐる映画のタイトルにもなった。
 それはつまり人間の魂や「あの世」への関心は科学的な知見の
発展とは別のところで存在し続けていることを意味する。
「あの世」がどんなものかを考えることが一人ひとりの「この世」
に与える影響は決して小さくないのだ。

非常に面白い記事だ。

「我々の目に見える肉体はあくまでも三次元の存在で、人間の意識は
目に見えるものとは別の高い振動数の粒子の集まりと考えられます。
ただし、生きている間は意識は肉体とつながっている。人が死ぬことは、
肉体と意識のつながりが切れ、意識が肉体を出ていくことを意味します。
意識は肉体を離れれば自由になる。痛みも苦しみも感じることは
なくなります。ですから、死ぬことは決して怖いことではありません」
と、、、。

この考えって、いいと思う。

そして、その肉体から離れた「意識」が大きな地球と合体していく。

体は、おもに二酸化炭素と水でできている以上、
その炭素はそこにある雑草だったのかもしれない。

私の中にある水は、もしかしたら、あなたの体の中に
あったのかもしれない。

人間の体内には、60兆もの細胞があるという。

その細胞は、崩壊と再生産を繰り返し、二年ほどで、
総入れ替えされるという。

生きているうちも、私たちの体は、
水と二酸化炭素の地球規模の循環の中にある。


では、「意識」はどうなのか?

オオカミに育てられた子供は、オオカミの習性を身に着けてしまう。

中国人なら中国人らしくなる。

日本人なら日本人らしく、周りの目を気にする性質になる。

我々の人格とは、実はそこに住む大きな社会の文化、風習により
作られていく。

最近ある法事に行ったら、親戚のおばさんが、
「あんた、死んだおじいさんと言うことが似てきたね〜」
と、言われた。

おじいさん、おばあさん、父、母、兄弟姉妹、叔父や伯母、
先生、上司、友人などなど、多くの人から影響を受け、
何層にも重なって、今、私という人格が形成されている。

また、人間社会には「文字」がある以上、
何百年前に生きていた道元さんや親鸞など、そういう人たちの
影響を受けていることになる。


人間とは、非常に社会性のある動物で、
ある精神科医は
「人間は、著しく周りから影響を受けている」
と語っておられた。

馬や鹿は、産み落とされてすぐに立ち上がり、歩き始める。

人間が歩き始めるまでには、それよりかなり時間がかかるのであり、
一人前になるまでには、20年もかかる。

その期間、多くの人から教育を受けることになり、
社会に出てからも、社会人として、いろんなことを周りから
学ぶことになる。

狼に育てられれば、狼のような習性を見につけてしまう人間の人格とは、
結局は、長いこと築き上げられた人間社会の集団意識により、
作られることになる。

この肉体も、細かく見れば、地球規模も規模の大きな二酸化炭素と水の
循環の中になる。

意識(人格)も、長い間築きあがられた人間社会の集団意識により、
作られる。

自分って、いったい何なのか?

もしかしたら、「自分など何も無い」のではなかろうか?

又吉さんがある番組の中で
「みんなが自分、自分がみんな」
と言っていた。

自分自身も、人間社会の中で、生きていく以上、
多くの人と摩擦を起こしながら、周りの人に影響を
与えることになる。

そうなると、わずかではあるだろうが、
人間社会の集団意識に影響を与えていくことになる。

「個」を強調する西洋的な思想と、「個を薄める」
日本的な思想と、今後どちらが主流になっていくのか?

共生の社会に移っていく以上、思想というのも、
大変重要になってくる。

むしろ「個を薄める」思想でないと、共生社会は
成り立たない。

今だけ、自分だけ、お金だけの考えから、
社会に「信用」を再構築し、共に生きる社会・思想を
築きあげなければならない。

そうなるためにも、自分はやがて死ぬということ、
死んだ後、どうなるのか、
また、我々は、体も心も、大きな循環・再生産の中にあるということを
よくよく認識する必要があるのでは、、、。


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